伊坂幸太郎著、『ホワイトラビット』読了。
正直読む前は不安でした。
何が不安だったかというと、本作は前作『AX』からわずか二ヶ月後の刊行だったのです。
別に二ヶ月で書き上げたとは思ってないですけど、さすがに刊行間隔が短すぎやしませんか?
『AX』がそれなりに面白かったがために、逆に本作の面白さを疑ってしまったのです。
しかしそれは杞憂でした。
『ホワイトラビット』、面白かったですよ。実験的作品でありながら同時に娯楽性にも溢れているという快作でした。
伊坂幸太郎は過去にも何作か実験的(といってよい)作品を書いています。
例えば、『SOSの猿』や『あるキング』がそれに当たります。
この二作品は実験的精神に満ちた作品ではあっても、娯楽性が皆無で(少なくとも自分はまったく楽しめませんでした)、自分は伊坂作品を追うのはもうやめようとすら思いましたよ。
作者が書きたいものと読者が求めているものが乖離することはままありますが、読者の存在を完全に無視し、とにかく自分が書きたいものを書くというのであれば、別段出版社から本として刊行する必要はないだろう、脳内で書けばよい、そう思います。
ただそれ以後は伊坂作品から実験性は影を潜め(別の作家との共作もありましたが)、きちんと読者が楽しめる作品を提供していました。
そういうことにこだわらなくなってきたのかな、と思ってきたところに本作ですよ。
上から目線になりますが、伊坂幸太郎はやはりやれば出来る作家なんてすねぇ。
本作はある籠城事件が多視点で語られるのですが、そのうちの一つが神(つまり作家本人)の視点なんです。
そしてその神は、作中のとあるトリックを「読者が見抜いていたように」と語るのですが、いやぁ、全然気づかなかったよ。気づいていた人ってどれぐらいいるんだろう?ボンクラだったのは自分だけ?
見事作者の術中にはまってしまったわけなのですが、だからといって不快ということもなく、むしろ気持ちよく騙されたなぁという感じです。
あ、ちょっとネタバレが過ぎましたかね。笑。
読後感もよかったです。
あと、個人的に266pの最初の3行が重要でした。
やはり伊坂幸太郎はこういう考え方をする人だったか、と満足しました。
何を言っているかほとんどの人には意味不明かもしれませんが、ともかく本作は老若男女にお薦めの1作です。
正直読む前は不安でした。
何が不安だったかというと、本作は前作『AX』からわずか二ヶ月後の刊行だったのです。
別に二ヶ月で書き上げたとは思ってないですけど、さすがに刊行間隔が短すぎやしませんか?
『AX』がそれなりに面白かったがために、逆に本作の面白さを疑ってしまったのです。
しかしそれは杞憂でした。
『ホワイトラビット』、面白かったですよ。実験的作品でありながら同時に娯楽性にも溢れているという快作でした。
伊坂幸太郎は過去にも何作か実験的(といってよい)作品を書いています。
例えば、『SOSの猿』や『あるキング』がそれに当たります。
この二作品は実験的精神に満ちた作品ではあっても、娯楽性が皆無で(少なくとも自分はまったく楽しめませんでした)、自分は伊坂作品を追うのはもうやめようとすら思いましたよ。
作者が書きたいものと読者が求めているものが乖離することはままありますが、読者の存在を完全に無視し、とにかく自分が書きたいものを書くというのであれば、別段出版社から本として刊行する必要はないだろう、脳内で書けばよい、そう思います。
ただそれ以後は伊坂作品から実験性は影を潜め(別の作家との共作もありましたが)、きちんと読者が楽しめる作品を提供していました。
そういうことにこだわらなくなってきたのかな、と思ってきたところに本作ですよ。
上から目線になりますが、伊坂幸太郎はやはりやれば出来る作家なんてすねぇ。
本作はある籠城事件が多視点で語られるのですが、そのうちの一つが神(つまり作家本人)の視点なんです。
そしてその神は、作中のとあるトリックを「読者が見抜いていたように」と語るのですが、いやぁ、全然気づかなかったよ。気づいていた人ってどれぐらいいるんだろう?ボンクラだったのは自分だけ?
見事作者の術中にはまってしまったわけなのですが、だからといって不快ということもなく、むしろ気持ちよく騙されたなぁという感じです。
あ、ちょっとネタバレが過ぎましたかね。笑。
読後感もよかったです。
あと、個人的に266pの最初の3行が重要でした。
やはり伊坂幸太郎はこういう考え方をする人だったか、と満足しました。
何を言っているかほとんどの人には意味不明かもしれませんが、ともかく本作は老若男女にお薦めの1作です。