この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

『結婚論』 【あとがき】

2018-06-18 18:41:37 | 結婚論
【あとがき】

 結婚をしたことも、結婚をする予定もないにもかかわらず、結婚についてうだうだと語ってしまいました。
 誰かの心に届けばいいのだけれど、と思いますが、今の自分が何を言ったとしても、それが正しいことであれ、間違ったことであれ、誰かの心に届くことはないだろうな、なんて鬱なことを思ったりもします。

 先日、バーで飲んていたら(飲んでいたのはノンアルコールカクテルですが)、隣りに座った新婚の女性が「子どもを産みたくても、その環境が整っていない」と嘆いていました。
 由々しきことだと思います。
 結婚をした女性が安心して子どもを産める環境を整えるのは、当事者ではなく、周りの人間の、その中には自分のような独身者も含まれる、務めだと思うのですが、どうでしょうか。

 子どもを産む、産まないのは個人の勝手、自由だという言葉をよく耳にします。
 何ごとであれ、他人に強制されるのは気持ちの良いことではないというのはわからないではないですが、ただ、出生率が1.43という超少子高齢化社会の現代日本において、その言葉を口にするのは些か神経が図太いように思えます。
 出生率1.43の国の50年後が想像出来ますか?
 想像した上で、その言葉を口に出来るのでしょうか。

 自分が言いたかったことが全て言えたかどうかわかりません。
 というか、すべては言えてないんですけど、とにかく言いたいことの根幹にあるのは、子どもは国の宝だということです。
 その考えだけは間違っていないつもりです。

 
 
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『結婚論』 【第六章 浮気、不倫、離婚について】

2018-06-17 18:08:41 | 結婚論
【第六章 浮気、不倫、離婚について】

 本章では浮気、不倫、離婚について考えてみたいと思います。

 究極の恋愛・結婚のスタイルとして考えられるのは、初恋同士の男女が処女と童貞のまま結婚し、2人以上の子どもに恵まれ、そのまま互い以外の相手と性交することなく、生涯を終えるというものだと思います。

 しかし、今の世の中、初恋同士の男女が処女と童貞のまま結婚するというのは、都市伝説だとは言わないまでも限りなく少ないように思われます。

 現実には人は恋愛を繰り返し、生涯のパートナーに巡り合うことの方が多いのではないでしょうか。
 恋愛を繰り返す際、一つの恋をきちんと終わらせ、次の恋を始めるというのが理想ではあります。
 そして一つの恋を終わらせぬまま、次の恋を始めてしまうことが浮気なのだと思います。
 そして浮気をする相手が既婚者の場合、不倫ということになるのでしょう。

 浮気にしろ、不倫にしろ、褒められたものではない、と自分は思います。
 ただ同時に簡単に無くせるものでもないとも思います。
 恋愛なんてものは電灯をスイッチで消すようには終わらせられるものではないですからね。
 本当に好きかどうかもわからないままつきあって、その間に他に好きな人が出来ることもあるでしょう。

 一つだけ言えるのは、浮気にせよ、不倫にせよ、許されるのは子どもがいない場合のみ、ということです。
 ぶっちゃけて言ってしまえば浮気をされるのが嫌ならば、浮気をしないような相手をパートナーに選べばいいだけの話です。
 しかし浮気をするような父親が嫌だからといって、別の父親を選ぶということは子どもは出来ません。
 
 結婚は子どもを産み、育てるということに関しての契約なのですから、子どもが出来たのであれば、子どもを中心に考えるべきでしょう。

 離婚に関しても同じことが言え、子どものいない夫婦は離婚もある程度気軽に(といってよいものかどうか)してよいと思います。
 しかし、子どもがいる夫婦は離婚をするにしても、子どもを中心にして考えるべきではないでしょうか。

 

 
 

 
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『結婚論』 【第五章 同性婚について】

2018-06-16 17:32:22 | 結婚論
【第五章 同性婚について】

 本章では後回しにしていた同性婚について述べてみたいと思います。
 はっきり言います。
 同性婚には意味がありません。
 第一章、第二章で述べましたが、結婚とは子どもを産み、育てていくことに関する契約です。
 子どもが出来ない同性愛者が結婚をしたからと言ってそれに意味があるとは思えません。

 おそらく、結婚を望む同性愛者は結婚というものに対して過剰な幻想を抱いているのでしょう。
 例えば、結婚すれば二人の愛が永遠のものになるとか、結婚をすれば二人の愛はより強固なものになるとか…。
 残酷なことを言うようですが、それは幻想にすぎません。
 例え結婚にこぎつけたとしても、その結婚生活が破綻する確率は、同性婚も一般の結婚も何ら変わるものではないでしょう。

 今、同性婚は意味がないと述べました。
 ただ、反対はしません。
 同性婚に意味がないことを承知の上でそれでもあえて結婚をしたいというのであれば、それは一市民として税金の徴収に協力したいと言っていることに他ならず、であれば反対する理由などないからです。

 さて、ここからが提言です。
 同性婚には意味がない、と述べました。
 自分は意味がない同性婚を意味があるものに変えられないか、と考えています。
 具体的には虐待やネグレクトによって行き場を無くした子どもたちの避難場として、同性婚をした夫婦の家庭はどうか、ということです。
 同性婚をした夫婦が受け口になることで、子どもたちが救われるのであれば、こんな素敵なことはないと思うのですが…。
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『結婚論』 【第四章 戸籍とは何か?】

2018-06-15 23:55:58 | 結婚論
【第四章 戸籍とは何か?】

 第三章では婚姻届について述べたので、本章では戸籍について考えていきたいと思います。

 あるところに根っからのケチな男がいました。
 ある日男は一生働かなくてもいいぐらいの大金を手にしました。
 根っからのケチだった男は税金すら払いたくはありませんでした。
 このとき男が取るべき選択はどのようなものがあるでしょう?

 一案として、キャンピングカーを購入し、現金はすべて手元に置き、その現金が無くなるまで全国を放浪する、という選択があります。
 もしこのような生活を一生続けることが出来たら、相当な額の節税が出来るはずです(それを節税と呼べるのであれば)。
 税務署も住所が不定で職業が不詳で家族構成が不明な相手から税を取り立てるのは中々至難でしょうから。

 まぁ今のはあくまで一案で、実際そのような生活を送るのは難しいものがありますが、ともかく言えるのは、戸籍に不明瞭な箇所があればあるほど税金は取り立てにくくなる、ということです。

 これは逆に言えば税金をスムーズに取り立てるためには戸籍は出来るだけ正確であることが望ましいということになります。
 
 そのため税務署は(引いては国は)、住人(国民)に対して機会があるごとに戸籍がクリアで正確なものになるように強いるのです。
 婚姻届の提出はその機会の一つにすぎません。

 章題の「戸籍とは何か?」という問いですが、ここでは税金をスムーズに取り立てるためのシステムの一部とします。

 婚姻届を提出することによって戸籍を正確なものにするということは、税金のスムーズな取り立てに協力していることに他なりません。
 第一章で結婚にメリットがないと断言したことの意味がわかってもらえたのではないでしょうか。
 
 

 
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『結婚論』 【第三章 婚姻届とは何か?】

2018-06-14 23:09:54 | 結婚論
【第三章 婚姻届とは何か?】

 第二章では結婚の定義について述べましたが、本章では婚姻届について考えていきたいと思います。

 結婚を決めたカップルが次に起こさなければならない行動は、両家に挨拶をする、結婚式を挙げる、披露宴を行う、などが考えられますが、まず何よりも役所に婚姻届を提出しなければなりません。
 この婚姻届が実に不完全なものであると言わざるを得ないものなのです。

 婚姻届の何が不完全なものなのか?
 例えば婚姻届を提出には必ずしも両者の同意は必要ではないのです。
 極端な話、嵐の松潤の熱烈なファンの女性が松潤と結婚したければ、必要な書類さえ用意できれば、松潤の同意がなかったとしても、松潤と結婚出来てしまうのです。
 その婚姻届は(届が正規のものなのか、役所には判断能力がないので)おそらく承認され、婚姻は無効とはなりません。
 こういった一方の同意のない婚姻届の提出によるトラブルは以前はちょくちょく耳にしました(こちら)。
 これは明らかに婚姻届の不完全さ示すものであり、改善が必要だと思われます。

 また婚姻届には夫婦の住所や職業などを記載しなければなりませんが、それとは別に証人という項目もありますが、これがよくわからないシロモノなのです。
 極端な話、天涯孤独で友人知人が一人もいない男性と同じく天涯孤独で友人知人が一人もいない女性が奇跡的に出会って、結婚しようということになったとしても、証人を頼める知り合いが誰もいなければ2人は結婚が出来ないのです。
 もっとも証人は見ず知らずの相手にも頼めるらしいので、実際証人がいないということはないようなのですが。

 そもそもこの証人は何を証明する人なのでしょう?
 2人が深く愛し合っていることを証明する?
 それとも他の何か?
 
 表向きは、つまり民法上は届出の正確性を高めるために証人が必要だとされているようです(詳しくはこちら)。
 しかしそれは眉唾ですね。
 届出の正確性を高めるための証人であれば誰彼構わず頼めるというのはおかしな話ですから。

 個人的に婚姻届の証人が証明するのは、結婚する夫婦の社会性、つまり、社会人としてきちんと働いているかどうかだと思います。
 つまり、婚姻届の証人は基本的に借金の保証人と何ら大差ないのです。
 まぁ婚姻届の証人に義務や責任は生じませんが。
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『結婚論』 【第二章 結婚にはメリットがない。ただし、、、】

2018-06-13 23:42:38 | 結婚論
【第二章 結婚にはメリットがない。ただし、、、】

 第一章において結婚にはメリットがない、と述べました。
 しかしながら、結婚にはメリットがない、ただし、と続きます。

 結婚にはメリットがない、ただし、子どもを産み、育てることに関してはその限りではない。

 ぶっちゃけて言って、今の日本の社会において、結婚をせずに子どもを産み、育てようと思ったら、そうでない場合よりも様々な困難を伴いますよね。
 子どもを病院で診察させることも、学校で教育を受けさせることも、結婚をせずにそれをしようと思ったら、おそらく大変な労力を必要とするはずです。
 
 *労力を必要とするはずです、という表現からもわかるように、今述べたことは自分の想像にすぎません。
 結婚をしても、しなくても、子どもを産み、育てることにそんなに労力に違いはないですよ、という意見をお持ちの方はコメントをください。考えを改めるかもしれません。

 以上のようなことから、自分は結婚を次のようにに定義します。

 結婚とは夫婦の間で交わされる、子どもを産み、育てていくことに関する契約のようなものである。

 この定義にはおそらく多くの方が反感を覚えることでしょう。
 結婚が子どもを産み、育てていくことに関する契約であるなら、子どもが出来なかった夫婦はどうなるんだとか、そもそも子どもが出来ない同性愛者同士は結婚してはいけないのか、といった意見です。

 まず断っておきたいのは、子どもを欲し、出来なかった夫婦は何者にも責められるものではないということです。
 目黒の虐待死事件も記憶に新しいですが、子どもを産みはしてもまともに育てられない夫婦もまた少なくありません。
 その一方で、もし子どもがいれば、その子どもに惜しみない愛を与えたであろう夫婦に子どもが出来ないことは、とても不条理なことだと思わずにはいられません。

 同性婚についてはまた別の章で意見を述べたいと思います。
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『結婚論』 【第一章 結婚にはメリットがない】

2018-06-12 23:01:31 | 結婚論
【第一章 結婚にはメリットがない】

 今年の一月のことだったと思います。
 結婚して一年ほどになる友人が、ツイッターでこうつぶやきました。
 
 結婚にはメリットがない、と(正確な引用ではありません)。

 え?と思いましたよ。
 彼女の突然のツイートには(友人は女性です)驚かされました。
 結婚にはメリットがないということに気づくのに一年もかかったのか、そのことに驚いたのです。

 結婚にはメリットがない、そう断言すると、いや、そんなことはない!と反論したくなる人も多くいるでしょう。
 その人たちに質問です。
 恋人同士だった時は得られなかったが、夫婦になって初めて得られたものがあるとすれば、それは何ですか?

 この質問に簡単に答えられる人ってどれぐらいいるんでしょうね。
 社会的には、男性は結婚して初めて一人前、みたいな風潮があります。
 また、男女問わず、いい年をしていつまでも結婚せずに親と同居しているのは世間体が極めて悪いです。
 つまり、結婚をすれば対外的に信用を得やすい、と言えるかもしれません。

 しかしそれはあくまで対外的にそうだというだけであって、当事者たちにとってはあまり重要なことではないでしょう。
 それに対外的な信用を得るために結婚をする人もいないでしょうしね。

 私たちは結婚してより愛が強まった、絆が強くなった、という夫婦ももちろんいるでしょう。
 しかしそれはあなたたちはそうだというだけであって、誰しもがそうだというわけではありません。
 そのことは、平成29年に離婚した21万組の元夫婦が証明しています。
 結婚をすれば愛が強まるかもしれないし、強まらないかもしれない、絆が強くなるかもしれないし、強くならないかもしれない、どちらとも言えません。
 であれば、結婚することのメリットとして愛が強まることを挙げることは出来ないはずです。

 結婚にはメリットがないのです。
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『結婚論』 【まえがき】

2018-06-11 22:45:42 | 結婚論
【まえがき】

 
 はじめに断わっておくと、自分は現在独身で、過去に結婚したこともありません。
 一応結婚を申し込んだことはあるのですが、断られこそしなかったものの、返事保留のままいつしか時が経ってしまいました。
 そんな自分が結婚について語るのはおこがましいのですが、嘲笑の対象となることを承知の上であれば、そういう結婚論が一つぐらいあっても構わないでしょう。



                            6月某日記
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