この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

伊坂幸太郎著、『仙台ぐらし』読了。

2012-02-29 22:09:27 | 読書
 贔屓の作家である伊坂幸太郎の新刊『仙台ぐらし』を読み終わった。
 新刊、といってもエッセイ集なのだけれど(書き下ろし短編『ブックモビール』付き)、さすが文章巧者の伊坂幸太郎だけあって、読み易く、面白かった!
 こういった半真半偽のエッセイって好きだな~(他には乙一の『小生物語』とかね)。
 あまりに自意識過剰な作者の行動には思わず笑ってしまった。

 ただ、後半は震災後に書かれたものを収録しているので、単純に面白いといえる内容ではないのだけれど、それはそれでいろいろ考えさせられました。
 作者が、今回の大震災で、自らの無力さを痛感し、嘆き、途方に暮れる様は、読んでいて、どうしてもため息をつきたくなるような気分になる。
 作家って(他にも漫画家や歌手やお笑い芸人など)、震災の復興において直接的にはほとんど役に立たないのだけれど(やっぱり小説を読んだからといって瓦礫が片付いたり、お腹が膨れるわけじゃないしね)、でもだからといって無用の存在かというとそうは思わない。

 「生きる」っていうのは単純に「生きている」というのと若干意味が異なる、と自分は思う。
 「生きる」っていうのは、感動して泣いたり、大きな声で笑ったり、腹を立てたり、叫んだり、そういった喜怒哀楽、感情の起伏があって、初めて「生きる」と言えるのではないだろうか。
 被災地の人たちも今は「生きている」だけで精一杯なのかもしれないが、例えば、小説を読んで感動したり、映画を観て泣いたり、漫画を読んで笑ったり、一日も早くそういった日常に戻れることを願う。
 だからそのためには作家や漫画家や歌手やその他諸々の文化の担い手には被災地の方々が元気と勇気が出るように、頑張ってもらいたい。

 などと遠く九州から被災地の実情などろくに知りもせず、無責任にテキトーに言ってみたりする。笑。

 そういえば、福島に住んでいるブログ仲間が半年ぶりぐらいに記事を更新していて、それが無性に嬉しかった。
 その人がまた日常の些細なことをネタにして記事を更新する日が来ればいいな、と思う。
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想像を絶する結末が待ち受ける、映画『灼熱の魂』。

2012-02-28 23:38:33 | 新作映画
 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督・脚本、ルブナ・アザバル主演、『灼熱の魂』、2/26、中洲大洋劇場にて鑑賞。2012年7本目。


 一人の中東系カナダ人女性がこの世を去った。
 彼女の名前はナワル・マルワン。
 彼女は双子の子供ジャンヌとシモンに謎めいた遺言と二人がその存在すら知らなかった父と兄への手紙を残していた。
 ナワルはなぜ子どもたちに父と兄の存在を秘密にしていたのか?
 果たして二人はその手紙を送り届けることが出来るのか?
 ナワルの隠された過去とは?
 そして最後に想像を絶する結末が明かされる…。
 
 まず最初に断っておくと本作は傑作でした。
 想像を絶する結末が待ち受ける、というのはどんでん返し系映画の宣伝における常套句のようなものですが、本作に限っていえばガチもガチ、本当に想像を絶する結末でしたよ。
 気軽に観るような作品ではありませんが(公式サイトには「魂が震える究極のエンターテイメント」とあるけれど、決してエンターテイメント=娯楽とは言えないと思います)、それでも近くに上映している映画館があれば是非観に行って欲しいです。
 それも出来れば女性に。
 この映画はある意味究極的な母性を問われる作品なので…。

 などとお勧めしといてなんですが、本作は上映館数が恐ろしく少ないんですよねぇ。
 福岡ではわずかに一館だけですよ(中洲大洋劇場のみ)。
 東京や大阪でも一館だけだし、地元の映画館で本作が上映されてるって方はその僥倖に感謝しなくちゃいけないかもしれませんね(ちなみに長崎ではあるが、埼玉ではない。笑。)。

 ただ、傑作だ、とは思いましたが、完璧だ、とは思いませんでした。
 作劇上、いくつか疑問点は残りました。
 ネタバレではないですが、ネタバレ気味にその疑問点を書いていきたいと思います。
 近々本作を観に行くつもりの方はこの先読まない方がいいかもしれません。

 ナワルは実はイスラム系の女性闘士であり、十五年もの間、刑務所に収容され、その間、ありとあらゆる拷問を受けた、という過去を持ちます。
 そういった過去を出来れば子供たちに隠したい、というナワルの気持ちはわからないでもないです。
 しかし、、、ありとあらゆる拷問を受けていた、っていうんですよ?
 であれば、何らかの後遺症が残っていて然るべきじゃないですか。
 長く一緒に暮らしている子供たちがそのことに気づかないということはないんじゃないか、って思いましたね(それとも不屈の意思でナワルは隠し通していた?)。

 それから、ナワルに究極の辱めを与える拷問人が、どう見ても実年齢より老けている、、、ような気がしました。二十歳前後に見えない。

 あとは、ナワルの死、そのものが不自然に思えました。
 すべての真相を知ったナワルが、プールサイドでそのまま息を引き取った、というならわかるんですけどね。
 そうじゃなく、すべての真相を知ったナワルが、遺言と手紙を書き、公証人に話をつけ、そのあと亡くなったとなると、何だか話が合わないような、若干の違和感を覚えてしまいます。

 今挙げたのは、自分がちょっと疑問に思った箇所であり、作品上の致命的な欠陥というわけではありません。
 ただ、そういった疑問点がなければ、ただの傑作どころか、それこそ神作品になったかもしれないな、と残念に思います。


 お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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お疲れ様でございました。

2012-02-27 22:04:41 | 戯言
 あるマイミクさんがマナー教室で同僚には「お疲れ様でした」、上司、もしくは目上の者に対しては「お疲れ様でございました」を用いる、というようなことを習ったと日記で書かれていました(注:若干脚色しています)。

 お疲れ様でございました???

 「お疲れ様」という言葉自体「お疲れ」+「様」で敬意を表しているのに、さらに丁寧口調となる「ございます」を語尾につけると何だか二重敬語のように自分には思えます。

 気になって調べたところ、、「サザエです」の丁寧な表現が「サザエでございます」となるのと同じようなもので、「お疲れ様でございます」でも文法的には間違いでない、という意見がありました。
 うん?そうなのかな?って首をひねりたくなります。
 だって「サザエです」という表現には一切敬意が込められていないですからね。それを丁寧口調である「ございます」にして敬意を込めるというのはごく自然です。
 一方「お疲れ様です」には元々「様」が含まれてますから、その語尾を「ございます」にして敬意をさらにこめるのはやはり違和感を覚えます。

 また、「お疲れ様」というのは本来目上の者が目下の者に対して用いる労いの言葉であるから、「ございました」にしようがしまいが目下の者が目上の者に用いるのは誤りである、という意見もありました。
 正直よくわかりません。
 敬語は苦手です。

 ただ一つ、間違いなく言えるのは、敬語を用いるのに何が一番難しいのかというと、それは文法的な問題ではない、ということです。
 そんなものは敬語の入門を買ってきて、半日勉強すればおおよそわかることです(たぶん)。
 より難しいのは、相手に対して敬意を持ち続けることです。
 例えどんなに文法的に正しかろうが、心がこもっていなければそもそも敬語を用いる意味がありませんから。

 あるバラエティ番組で敬語に関するクイズを出すコーナーがあるんですけど、その採点者であるどこぞの大学の教授がすっごい尊大な態度なんですよね。
 間違った解答者に対して、何だね、その答えは?そんなことも知らないのかね?みたいな感じなんですよ。
 自分は敬語に関しては全くの門外漢ですが、例え敬語で間違ったとしても、そのオッサンに誤りを指摘して欲しくないし、改めるつもりも一切ありません。

 礼儀を欠く相手に敬意を持ちえない、というのはごく当たり前の感情だと思います。
 しかし人はそれ以外にも些細な理由で簡単に敬意を失ってしまうものです。
 例えば、それこそ無知であること、目下であること、考えが異なること、などなど。

 自分も無知であることをひけらかすような人間は好きじゃありません。
 でも無知であること自体は決して罪ではないはずです。

 また敬語においてはよく目下、目上という言葉が用いられます。
 自分は目下、目上という言葉自体好きじゃないです。
 だって、十歳の子供であっても尊敬できるときは尊敬できるものだし、逆に八十歳の老人であっても唾棄すべき相手であることもありますから(もちろん目下、目上というのがそのまま年下、年上という意味でないということは承知していますけどね)。

 そして人はしばしば自分と考えが違う相手に対して侮蔑的な態度を取ります。
 これこそナンセンスですよ。
 なぜなら人はどのような考えを持とうが自由なんですから(他人に迷惑を掛けないという条件付きで)。

 だから、最初の問題に戻ると、「お疲れ様でございます」という表現を用いるのも構わないのですが、しかしそこにそれだけの敬意がこもっていないのであれば、形だけ最上級の敬語であっても意味はない、ということです。
 自分もいつか、自然と「お疲れ様でございます」と言えるような、心から尊敬できる相手に出会ってみたいものです。
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あぁ、アンドリュー・ニコルよ、どこへ行く・・・?映画『TIME/タイム』。

2012-02-26 20:36:41 | 新作映画
 アンドリュー・ニコル監督・脚本、ジャスティン・ティンバーレイク主演、『TIME/タイム』、2/25、Tジョイ久留米にて鑑賞。2012年6本目。


 myDVDライブラリーを眺めていたら、あることに気づきました(なぜ「ライブラリー」はカナなんだ…)。
 それは同じ監督の作品のDVDが二作ない、ということです。
 『ターミネーター』と『ターミネーター2』、『ジェイソン・ボーン』三部作などのシリーズものを除いて、例えばジェームズ・キャメロンでいえば、『ターミネーター』はあっても『アバター』や『タイタニック』はないし、デヴィッド・フィンチャーなら『ファイト・クラブ』は合っても『セブン』はない、といった感じなのです(記事を書いた後に改めて調べ直したら、『マッハ!!!!!!!』と『トム・ヤム・クン』はどちらも同じプラッチャヤー・ピンゲーオで、『愛が微笑む時』と『トレマーズ』もロン・アンダーウッドでした)。
 別段、同じ監督のDVDは二作買わないと決めてるわけでなし、それはたまたまなのですが、五十作近くあって重なりが一作もないと、もしかしたら自分は無意識のうちに一人の監督からは一作しか選んでいないのかも、なんてことを思ってしまいます。

 さて、そのライブラリーの中にアンドリュー・ニコル監督の『ガタカ』があります。
 一番好きなSF映画は?と聞かれたら自分はこの作品を挙げますし、ジャンルを設けなくともフェイバリット・ムービーの十位以内には確実に入ります。
 持たざる男が、文字通り命懸けで夢を叶える様は、何度見ても泣けます。
 間違いなく傑作です。

 しかし、『ガタカ』以外のアンドリュー・ニコル作品はやはりライブラリーにはありません(元々寡作な人ですけどね)。
 カート・ウィマーの作品が『リベリオン』、またアレックス・ブロヤスの作品が『ダーク・シティ』しかないように。

 そのアンドリュー・ニコルの新作がこの『TIME/タイム』であり、もちろん自分は『ガタカ』と同様の傑作であることを期待していました。
 けれど、、、自分は観る前に既に知っていたのかもしれません。
 『ガタカ』のような傑作はそうそう生み出されるものではない、ということを。
 そして実際に観た『TIME/タイム』は本当にどうしようもない駄作でした。
 通常駄作を鑑賞すると「金を返せ!」というような怒りが湧くものですが、本作の場合ひたすら悲しくなるばかりでした。
 あのアンドリュー・ニコルがどうしてこんな駄作を、、、と思わずにはいられなかったのです。

 時間が通貨のように扱われる世界、という基本アイディアは悪くないと思います(悪くないといっても、そのアイディアはミヒャエル・エンデの『モモ』の時間泥棒のSF的な焼き直しだと思いますけどね)。
 しかしそれだけです。
 SFであれば、どんな荒唐無稽なアイディアであっても、観る者がその世界において成立すると思えるものでなければなりません。
 けれど、『TIME/タイム』を観ていても、例え時間が通貨のように扱われる世界が存在したとしても、こうはならないだろうな、としか思えません。
 一言でいえばアイディア倒れ。

 その他にも、主人公やヒロインを始めとして登場するキャラクターが一人として魅力的でもなければ個性的でもない、ストーリー展開も極めて単調、アクションシーンもお粗末の一言、結末も「何だそりゃ?」って感じですし、褒めるところが本当に見当たりません。
 期待度もそれなりに高かったので2012年のワースト5に確実に入ります。
 アンドリュー・ニコルには次回作に期待したい、といいたいところなのですが、次回作はステファニー・メイヤー原作のSFラブストーリーのようなので、そもそも観る必要はないみたいです。


 お気に入り度は☆、お薦め度は☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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喪失と再生の物語、映画『ものすごくうるさくてありえないほど近い』。

2012-02-22 22:33:20 | 新作映画
 スティーブン・ダルドリー監督、トーマス・ホーン主演、『ものすごくうるさくてありえないほど近い』、2/19、Tジョイ博多にて鑑賞。2012年5本目。


 生きるとはすなわち喪失し続けることである。
 それはその人が死ぬまで続く。

 が、我々は通常そのことに気づかない。
 なぜなら人生の砂時計は砂の零れ落ちるスピードがあまりに緩やかで、その変化に気づきにくいからだ。

 そのことに気づかぬまま一生を終えるのはむしろ幸甚であるのだが、時に人は、唐突に、そして望まずにそれを知らされることがある。
 例えば大切な人を交通事故で喪うことによって。
 例えば同時多発テロによって。
 例えば未曾有の大震災と大津波によって。

 映画『ものすごくうるさくてありえないほど近い』は911アメリカ同時多発テロによって父親を喪った少年オスカーの喪失と再生の物語である。
 
 正直に言うと、自分はこの作品でそれほど心が動かされることはなかった。
 自分がこの作品で心を動かされなかったのは、自分がこれまでの人生において、大切な人をある日突然喪う、というような経験をしたことがないからだと思う。
 十年近く前に父を病気で亡くしてはいるが、父は家族に看取られて安らかな最期を迎えており、自分は父の死を悲劇と捉えてはいない。あるがままに受け入れ、混乱もしていない。
 そこには当然喪失も再生もない。

 自分は2011年の3月11日にに東北大震災が起きたことを知っている。
 そして2001年の9月11日にアメリカ同時多発テロが起きたことも知っている。
 しかしそこまでだ。
 ニュースや人づてに話を聞いただけでは、決してテロの被害者や遺族、及び大震災の被災者の味わった喪失感を味わうことなど出来るはずがない。
 だから、自分はオスカーの心情を完全には理解できないし、またこの作品で感動するということもなかった。

 だからといって自分はこの作品を否定する気はさらさらない。
 東北大震災からやがて一年が経とうとしているが、完全復興にはまだまだ遠く、被災者の方々の心の傷も癒えたとはとても言えないだろう。
 大震災によって被災した人々にこそ、本作は是非観て欲しい。
 自閉症気味だったオスカーが亡くなった父との絆を求め、ニューヨークの街へ一歩踏み出す姿は、そういった人たちに勇気を与えるのではないだろうか。
 喪失感を味わったことがない自分にもそれを想像するのは決して難くはない。
 

 お気に入り度は★★★、お薦め度は★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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週末、乳と戯れる。

2012-02-22 00:00:35 | 日常
 先週末、東京から友人が遊びに来ました(残念ながらたっちゃんに非ず。たっちゃんは新天地で面白おかしくやっている模様。リアルが充実すればネットの友人などどうでもよくなるものらしい。)。

 東京から来た友人を連れて行くのに相応しい観光地はパッと思いつくところでは、熊本の阿蘇山や長崎のハウステンボスなどがあります。
 阿蘇山はいいですよ!
 何といっても世界一のカルデラ(火口)ですからね。といっても二番目は知りませんけどね!笑。
 ただ、今の時期に阿蘇山に行くのは自殺行為です。何といっても阿蘇山近辺は九州でも一番冷え込みますからね。
 ハウステンボスも悪くないはずです。
 HISが資本参加し、施設やイベントもかなり充実しているようです。
 しかし、後述するような理由で、今回はあえて友人を佐賀のマイナーな観光スポットに連れて行くことにしました。

 一番最初に向かったのは、三瀬にある『そばの芽料理とそばの店 木漏れ陽』
 全国にはそれこそ無数にそばを食べさせるお店があります。
 けれど、そばの芽のサラダやそばの芽のジュースを食せるそばの店はそうはないんじゃないでしょうか。
 そばも、三瀬のそば街道では一番美味しいと思います。

 昼食後、『どんぐり村/三瀬ルベール牧場』に向かいました。
 ここはよくある観光用の牧場で、この日立ち寄った中で唯一これまで自分が訪れたことのない施設でした。
 果たしてどんなものなのか、以前から興味があったのですが、、、自分たちが入園したぐらいから猛烈に吹雪いてきて、ほとんど視界がなくなり、何が何やらわかりませんでした。
 それでも生キャラメル作りと乳搾りは体験できました。
 キャラメルって、もっと何か特別な材料がいるのかと思っていたのですが、牛乳やバターや蜂蜜など、台所でよく見かける食材だけで作れるんですねぇ。知らなかった。
 乳搾りも初体験でした。
 この日、乳を搾らせてくれたホルスタインの花子さん(仮)。


   


 どんなおっぱい星人の男性であっても満足させられるに違いない巨乳の持ち主でした。
 自分は自慢のテクニック(?)で大量の牛乳を搾り出すつもりだったですが、花子さんからは糸のような細い牛乳が出ただけでした。
 自分のテクニックはまだまだ未熟だったみたいです。
 テクニックを磨いてまた来るからね、花子さん!(どこでだよ)

 牧場で一仕事(というほどでもないですが)終えた後、古湯温泉にある『鶴霊泉』へ。
 この温泉は全国でも珍しい天然砂湯温泉です。
 砂湯、、、泥湯は泥が混じったお湯のことですが、砂湯は岩盤が砂で覆われた温泉のことです。
 言葉で説明するのは難しいな。
 実体験したければ、どうぞ古湯温泉にいらしてください。笑。

 温泉から上がったころにはちょうど五時を過ぎていたで、この日の夕食を取るために小城にある鯉料理の店『白滝』へと向かいました。
 なぜ九州の有名な観光地ではなく、佐賀のマイナーな観光スポットに友人を連れて行ったかというと、そもそもこのお店に連れて行きたかったのです。
 というのも、友人曰く、東京の人間は川魚を食べるという習慣がない、川魚には泥臭いというイメージがあるとのことで、そのイメージを払拭させたかったのです。
 で、鯉の洗い(鯉の洗い、わかりやすく言うと鯉の刺身。通常の刺身と違うのは醤油ではなく、酢味噌をつけて食べる。)を一口食べた友人は目を見開いて「お、美味しい…」とつぶやきました。
 今まで食べたことのない、鮮烈な味だったようで友人は甚く感動していました。
 小城の鯉料理が美味いのは当然なんですよ。何といっても水そのものが違いますから。
 言っちゃなんですが、東京ではいくら金を積んでも口に出来ない味だと思います。
 このお店の鯉は捌く前に二、三週間ほど清流から引いた水のいけすにさらし、その間、一切エサを与えないとのことです。
 残酷だな~と思いますが、だからこそ、身が引き締まって美味なんですよね。

 あとは友人をホテルに送り届け、この日の佐賀の巡りは無事お開きとなりました。

 ちなみに今日紹介した三瀬の『木漏れ陽』と『どんぐり村』、古湯温泉、小城の『白滝』はいずれも近い距離にあり、小城だけが若干離れているかな、それでも車で三十分もかかりません。
 もし、九州に遊びに来る予定があり、あまり人が行かないようなところに行ってみたいという奇特な方がいれば、佐賀の富士町や三瀬、小城を巡るコースは案外お勧めですよ。
 もちろん福岡在住の方にもですけどね。
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韓国人の女の子二人をナンパしました。

2012-02-19 23:13:31 | 日常
 韓国人の女の子二人をナンパしました。
 嘘ですよ、嘘!!
 東京から遊びに来た友人を博多駅に送った帰り、バスの中で降りるバス停がわからずキョロキョロしていた韓国人の女の子二人に降りるバス停を教えてあげただけです。
 もちろん、韓国語なんて知るわけないので、精一杯のジャパニーズ・イングリッシュで!!
 自分が「ホェアドゥユゥウォントゥゴォ?」って行く先を聞いたら、彼女たちは元気よく「コリア!!」って答えてくれました。
 誰がどこから来たか聞いとるっちゅーんじゃい!!思わずそのまま右向け右しようかと思ったぞ。
 まぁそれでも何とか彼女たちから目的地が天神地下街ということは聞きだし、自分も天神で降りなければならなかったので、地下街の入口までは案内して二人とは別れました(彼女たちはたどたどしく日本語で「アリガトウゴザイマス」と礼を言ってくれましたよ)。
 まぁそれだけのことなんですが、わざわざ韓国からやってきて、天神地下街に二人は何の用事があったんだろうなぁ?
 天神地下街に何か外国から来た人が喜びそうなお店ってありましたっけ?
 今になってそのことが気になるので、どうせなら最終目的地まで連れて行ってあげればよかったかな、、、と思わないでもないですが、そうするとそれこそナンパというか、下心がありそうに思われそうで、そこまでは出来ないんですけどね。
 う~~~ん、気になるなぁ…。
 
 
 
 
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グッチのショルダーバッグ3,000円也。

2012-02-18 23:20:56 | 日常
 グッチのショルダーバッグが3,000円だったので買いに行ってきました。
 30,000円ではないですよ!本当に3,000円です。
 もちろん韓国製のバッタモンですけどね。

 というオチでもなく、本当のところは某質屋の早朝セールが今朝あったのです(他にも、3,000円のシャネルのワンショルダーバックや2.000円のルイ・ヴィトンのファスナーつき財布などがありました)。


   


 以前から、この質屋のチラシを目にするたびにセールがどんなものなのか興味があって、今日たまたま機会があったので行ってみた次第です。

 3,000円のグッチのバッグなんていったいどんなカラクリがあるのかと思っていたのですが、売価そのものには偽りはなく、ただし、購入は購入希望者の中から抽選で選ばれる一名のみでした。
 良い品であれば、それなりに競争相手がいるわけで、、、自分のようにクジ運がからきしないものは最初から望み薄でした。

 クソッ、あのショルダーバッグが購入出来たら愛しのあの子にプレゼントできたのに!!
 ・・・・・。
 ま、おらんけどね、そんな子。

 早起きするのが苦手だ、というのでなければ、参加しても損はなし、この質屋の早朝セールに行ってみてもいいのではないでしょうか。
 まぁ自分は休みの日にはゆっくり寝ときたいですけどね。。。
 
 
 
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世の中、よくわからない人もいるもんだ。

2012-02-16 23:09:56 | 戯言
 記事を書いてから一週間も経っていないので、そうだと断言するのは些か気が早いのですが、『侍ロック』のレビュー記事に未だに劇団関係者の方からコメントがつきません。
 コメントがついたら次回公演も観に行きますと書いているのにコメントがつかないのは、自分たちの公演がネットでどのような評判なのか全く興味がないか、それとも酷評されたことが気に入らないのか、いずれにせよ、自分には縁のない劇団だったのかな、と思います。

 はっきり言っておくと、三谷幸喜のような売れっ子作家じゃあるまいし、素人に毛が生えたような、というか素人の毛を抜いたような演劇なんだから、酷評されるのが当たり前だって。
 それでやる気がなくなるというのであれば、悪いことは言わない、演劇の道は諦めた方がいいよ。
 演劇に限らず、他人に多少何か言われたぐらいで決意が揺らぐのであれば、その道に進むのは止めた方がいい。
 酷評されて、貶されて、ボロクソに叩かれて、それでもなにくそ、と諦めないヤツが最後には生き残るんじゃないかな。
 
 自分は縁があって公演を観に行ったんだけど、もしやる気があるようだったら自分も戯曲の一本でも書いてやっていいって思っていたからとても残念でした(出たよ、大言壮語。笑。)。

 ところで、劇団関係者の方からはコメントがついてないんですけど、そうじゃない方からよくわからないコメントがつきました。
 その人は自分と同じく『侍ロック』を観劇したようなのですが、評価そのものは自分と似たような感じなのだけど、自分がレビュー記事に出演者のことを絡めて書いたのがどうにも許し難かったようで、キモオタとか、破廉恥だとか、恥知らずとか、オッペケペーだとか、ミトコンドリアとか、散々でした。
 知り合いが出演している劇だから観に行ったんだから、レビュー記事でそのことに触れていても何も問題はないと思うんだけどな。
 それに、その知り合いのHP上の写真が、百枚撮った中で一番写りが悪いのを選んだんじゃないか?って思えるぐらい写りが悪かったら、差し替えたらいいのにって言いたくなるのも当然じゃないの?
 世の中、よくわかんないです。
 まぁでも今度その人のブログを拝見させてもらうつもりなので、その人の書いた『侍ロック』のレビューを読んだら、その人の言ってることがもう少しわかるかもしれません。
コメント (7)
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ファンタジーとミステリーの幸福な結婚、米澤穂信著『折れた竜骨』。

2012-02-15 21:47:29 | 読書
 よーやく米澤穂信の『折れた竜骨』を読み終わりました。ものすごく長い時間をかけて一つの宿題をやり終えた気分です。
 何しろ本書を購入したのは一年以上前ですからね。笑。

 ファンタジーとミステリーという二つのジャンルは存外相性が悪いものです。
 やっぱり最終章で何の伏線もなく唐突に密室殺人の犯人が透明人間だったとか、壁抜け男だったとか、時間跳躍する能力の持ち主だったとか明かされたら、読んでるこちらとしては本を壁に叩きつけたくなります。

 しかしながら別段、透明人間が密室殺人の犯人であってはいけないという法はないわけで、問題なのは透明人間が密室犯人であることではなく、それが何の伏線もなく唐突に明かされることなんですよね。
 作家が、透明人間が存在しても不思議ではない世界を作中に構築し、透明人間が殺人に至る過程を描き、そして探偵役にきちんとその犯行を論理的に暴かせることが出来るのであれば、透明人間が密室殺人の犯人である作品があっても構わないと思います。

 要はこれまでファンタジーとミステリーの相性が悪かったのは、その二つのジャンルをどちらも修得した作家がいなかったからだといえないでしょうか(まったくなかったとは言いませんが)。

 本作には魔術師が存在します。さらに不死人も、青銅魔人も、透明になるすべを心得た者も登場します。
 一見すると何でもアリ、の世界のように思えます。
 しかし、何でもアリの世界のようでも実はきちんとしたルールが存在し、そのルールに照らし合わされて、殺人事件の犯人が燻りだされるのです。
 
 ぶっちゃけ純然たるファンタジーとして読むと物足りないところはあるし、それはミステリーとして読んでも同じです。
 それでもファンタジーの世界で面白いミステリーを書いてやろう、という作者の意気込みは買いです。
 そしてその試みは充分成功していると思います。

 それから、騎士従士のニコラが殺された領主の娘アミーナに誓いを立てるシーンは読んでいてニンマリしちゃいました。
 萌え小説としても充分面白いといってよいのではないでしょうか。笑。

 ところで、一つの宿題を終えたのはいいんですが、次の宿題である『水底フェスタ』(辻村深月著)はさらにハードなんですよね。
 10ページぐらいのところで挫折しています。
 読み終える日が来るのだろうか…。
コメント
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