宣セーショナル

宣承をひらく

聞いた話…それって色ついてない!?

2018-01-16 22:19:48 | 日記
聞いた話だけを鵜呑みにして、むしろ色をつけて元々の色合いが見えにくくしてしまうことが世の中には存在する。それどころか、着色し過ぎたものを周囲にばら撒いてしまう良くない癖を持つ人もいるものだからこれがまた難解となっていく。


聞いた話…
その話した人の都合や解釈で事実がすでに着色され歪んでいることだってある。それが、信頼している間柄での情報のやりとりとなると、その話を真に受けて、しかもその聞き手の勝手な解釈でさらに色付けして厄介なものにまでしてしまうことは、経験則としてもお分かりなる方も多いことだろう。

簡単に言えば、対象の相手の人を良く言えば良い印象になるだろうし、悪く言えば怒りの対象にもなり得るだろう。


でも、話を聞いた人は、本来、関係ない部外者である。
それは、もめている両者の間の問題でもあるからだ。


要は、話をどれだけ聞いたとしても、本当に公平に観ることは難しいもので、例えばその対象となる両者のやり取りのいきさつや関係性、話の流れがどんなものであったかまで図る必要があるからであり、しかしながらそれはかなり困難なことであり、そこを丸く修めようとするなんてなってしまえば、かなり難解であったりもするのだ。


もし、仲立役をするのであれば、両者と同席して言い分を聴き、その上で、過去のやり取りのどっちのどこが悪いって言うことをあれこれ取り合うよりも大事なのは、未来に向かって個々がどうなりたいのか?を語り合うことだという軸を欠かしてはならなという点である。

今、この時間、相手にこうして欲しいあぁして欲しい、例えば謝って欲しい等々あるにしても、それを相手に求め、強いている我が心にも、もめ事の要因があることを見渡す必要がどうしたってあるということ。

仲立役の立場になったとしたら、自分自身が全体像を見渡せる広い心で聴ける状態をつくること。
その上で、その両者にも、自分自身の心も含めた全体像を見渡せる目を渡してさしあげる努力が肝心であると思う。


それを実践するのは中々難しいから、あえて『努力』としておきたい。
けれど、一度関わったとしたら、その真摯な態度で努力することを忘れないことは、問題解決の結果よりももしかしたら大切なことなのかも知れない。

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