バスケットボールの審判は、ワッペンをつけている。
成り立ての審判は白。
経験を積んだ位の審判は青。
上級位の審判は赤。
もちろん、国際レベルなど、上記以上の色をつけた審判もいらっしゃるが、私が語るそれは、高校時代に審判してくださった方々レベルまでの話である。
高校総体県予選のジャッジは青ワッペン以上の方々が仕切っていた。
しかし、審判によっては、1から10までビシビシ厳しくファールに対して笛を吹く。
むしろ、『こんなのまで吹かれたらプレイにならないじゃねぇか!』と、そんな審判には、本当に頭にきたものだった。
時折、本当にたまにだけれど、赤ワッペンの審判に笛を吹いてもらう試合もあった。
赤ワッペンの審判は、多少の細かいファールで笛を吹かず、たとえば、あきらかに軽めのファールが誰の眼から起っていたとしても、『ナイスプレイ』が起った瞬間のことであれば、その場を流すように笛を吹かない。
手で親指を立てて『グッドサイン』を送って、プレイヤーに続行の合図を知らせるのだ。
その判断は、その人の感覚でしかないのであるが、そこに不満は起り難いものだった。
『上級の審判は、いいプレイの前では、細かいファールよりも、いいプレイを瞬時に優先できる人なんだよ。だから、笛を吹かない。』
この話、バスケットボールを知らない方には分かり難い話なのかも知れない。
ただ、なぜこの話を急に思い出したかといえば、この赤ワッペンの審判のあり方こそ、いいプレイヤーを育てるものであり、私たちの日常の中で、人材を育てるとはそういうことではないかと思ったからであった。
要するに、見守る〝親心〟のような。
若い世代をよく育てられる先輩は、多少荒削りな発想や実践であっても、〝まずやってみたら…〟と任せて見守ってくださる。
上司になっていくとき、あるいは指導する立場になった時、あの〝赤ワッペン審判のセンス〟でもって、見守っていくことが大事なのだと思うのである。
成り立ての審判は白。
経験を積んだ位の審判は青。
上級位の審判は赤。
もちろん、国際レベルなど、上記以上の色をつけた審判もいらっしゃるが、私が語るそれは、高校時代に審判してくださった方々レベルまでの話である。
高校総体県予選のジャッジは青ワッペン以上の方々が仕切っていた。
しかし、審判によっては、1から10までビシビシ厳しくファールに対して笛を吹く。
むしろ、『こんなのまで吹かれたらプレイにならないじゃねぇか!』と、そんな審判には、本当に頭にきたものだった。
時折、本当にたまにだけれど、赤ワッペンの審判に笛を吹いてもらう試合もあった。
赤ワッペンの審判は、多少の細かいファールで笛を吹かず、たとえば、あきらかに軽めのファールが誰の眼から起っていたとしても、『ナイスプレイ』が起った瞬間のことであれば、その場を流すように笛を吹かない。
手で親指を立てて『グッドサイン』を送って、プレイヤーに続行の合図を知らせるのだ。
その判断は、その人の感覚でしかないのであるが、そこに不満は起り難いものだった。
『上級の審判は、いいプレイの前では、細かいファールよりも、いいプレイを瞬時に優先できる人なんだよ。だから、笛を吹かない。』
この話、バスケットボールを知らない方には分かり難い話なのかも知れない。
ただ、なぜこの話を急に思い出したかといえば、この赤ワッペンの審判のあり方こそ、いいプレイヤーを育てるものであり、私たちの日常の中で、人材を育てるとはそういうことではないかと思ったからであった。
要するに、見守る〝親心〟のような。
若い世代をよく育てられる先輩は、多少荒削りな発想や実践であっても、〝まずやってみたら…〟と任せて見守ってくださる。
上司になっていくとき、あるいは指導する立場になった時、あの〝赤ワッペン審判のセンス〟でもって、見守っていくことが大事なのだと思うのである。
管理的に部下のミスばかりを探して注意するだけの上司か、部下を信じてお年寄りの生活全体を感じられる感性を育てるかですね。
おかげさまです。
一度、ご説明願えませんか!?
不勉強な私でスミマセン。。
私も、赤ワッペンを付けれる主任になりたい…。
自分次第で、赤になれますもんね!
どれだけルールやマニュアル作って部分部分を完璧にしようとしても、おもしろい日常はやってこない。
おもしろい物事の見方、お年寄りの豊かな心と若い世代の発見する力を結びつけられる上司でありたいものです。
もしかして、携帯電話で見ると、文字化けするもののことかも知れませんね。
単なるパソコンに入っている絵を使ったときではないかと思います。