宣セーショナル

宣承をひらく

認知症も私の一部として生きる人

2017-06-16 17:58:13 | 日記
心が動かされた話題パートⅣ


釜石の研修会の翌日、今度は北上市にてお寺で法話会に参列した。
ここに登場されたのは、元大谷大学教授で滋賀県長浜教区のお寺からいらした泉惠機(いずみ しげき)先生だった。
大学時代、先生の講義を2コマ履修したことはあるものの、泉先生とお話ししたことなどはなく、無礼な話、すっかり教わった授業の風景がおぼろげになってしまっていた。
先生は、人種差別の問題や戦争問題に主眼を置きながら仏教の講義をされてきたのだが、当時から、厳しい眼で厳しい論点で発言や指摘をされてきた方だった。

その先生が数年前にアルツハイマー型認知症と診断され御年74歳。物忘れの症状は進行中である。

先生は、お話しの中で、ご自身の認知症状についても触れられていた。前日にも岩手県内のお寺でご法話を務められたのだが、その際、一席目と二席目の最初の入りが全く同じことをお話しになり、少々ざわついたという情報があった。
先生は穏やかにお話しを進めていらしたが、やはり途中、同じようなくだりに入ってしまうことが何度かあったのだが、聴聞している人たちの表情や反応を観ながら、


『私、さっきも同じ話をしたんですかね!?(笑)』
『イギリスの首都ってどこでしたっけ?(会場から「ロンドン」と声があがる)…あぁ、そうそうロンドンですね…。あかんなぁ、大学の先生が、ははははっ…。』
『私、子どもの頃、阿弥陀経というお経を全部暗記して、字で書くこともできるまで成ってましてね。つい最近までそれができたのに、この病気になって、全くその言葉が出てこうへん。全くお経が詠めなくなってしまったんです。子どもの頃に覚えたもんまで忘れている。情けないけど、そうなんですよ。せやけど、法話だけは何故かできるんやね。不思議な病気ですよ、まったく、ふふふっ。』


とニコヤカに切り替えされている。ステキだと感じた。
自身の事実を生きる。事実とともに歩んでいく。
果たして、私にはできるだろうか。難しいことである。それでも間違いなく、あの本堂での空間は、泉先生を中心に、温かい慈悲の空気に包まれた一体感を帯びていたのだ。なんと、心地好い時空だったことだろうか。

先生は、ご法話の最後にこう締めくくった。


『本当の住職の仕事って何なんかなぁ。僧侶としてどうあるべきか、まだまだ私は分かっていないんですね。やり残したことが気になって夜も眠れんことがある。私は、門徒さんの問いを受け止める僧侶でありたい。そんな関係でありたいと、こんな体ですが思っている所です。』


本当にやさしい気持ちにさせられて、『あんな年寄りに成りでぇなぁ♪』と、聴聞された多くの方々が安堵の表情でお帰りになっていく姿が印象的だった。


その後、先生と懇親の宴をご一緒した時間も、とても先生安心されたお顔だった。
私は先生を翌日空港までお見送りする係りとして、一緒に宿泊した。時にどこに居るのか分からなくなり、チケットや物をどこに置いたのか分からなくなる。
朝食をご一緒した時間、先生は着ている服のあらゆるポケットに、色んな物を詰め込んでいらして、それを出し始めた。


『こんな物も入ってる。…あら、こんな物までね。何でこんなもん入れてきてるんやろ。私ね、こうやってる自分がおかしくて仕方ないんですよね、フフッ。本当にこの病気はおかしなことばかりするようになるね。』


また柔和な笑みを浮かべながら、語っていらした先生の姿に、頭が下がるばかりだった。
ご自宅に着いてからも、何度も御礼のお電話をいただいた。
新鮮な気持ちで心こめた御礼をその度に言ってくださる泉先生のお姿に、到底そのように成れるとは思えないけれど、やはり先生のように成りたい…そう思っている今日この頃である。

『認知症も私の一部として生きる人』

おかげさまです。