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冬模様

朝、
ちくちくと頬を刺す風を避けて、俯きあるけば、
あぜ道の美しい冬模様に
寒さがとけた。





























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伝言ゲーム





Kutscherhaus Recklinghausen
Willy-Brandt-Park 5 | 45657 Recklinghausen
20.August - 3. September 2017 | freitag 15 - 18 Uhr | Samstag - Sonntag 13 - 17 Uhr


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絵の時間




紫陽花の花を一輪、小さな花瓶に差した。
老人ホームでの"絵の時間"に使うモチーフとして持って行く為だった。出向いてみると今回私が担当する事になった婦人は殆ど目が見えなかった。残念ながら見て描くという作業は無理なので、アジサイは机の上にポツンと取り残された。
結局、ひまわりの咲く景色を描くということになった。どんな景色であるか話し合い、私がその景色を言葉で描くことから始めた。
夏の青空でふわふわな白い雲が浮かんでいます。
ひまわりが見渡す限り咲いていて、金色の様な花が眩しいようです。ミツバチが賑やかに集っています。
そんな風にお喋りをしながら彼女の手を取り、色を指につけてキャンバスに描いていった。
時々、私は今何を描いているの?と聞いてくるので、夏の爽やかな空ですよ、これは太陽の様なひまわりです。。と返事をすると、ああ、素敵ねえと笑顔を見せる。
そして、彼女の手も、私の手も、空の、雲の、ひまわりの色に染まっていった。




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煮る干す漬ける。。。













#
アトリエの近くにブラックベリーがわさわさと茂っている。
散歩中、近所のブラックベリーをつんでいる人を何人か見かけたので、もうそんな季節なのだと気がついた。アトリエの茂みに行くとやはり真っ黒でつややかな実がたわわに実っていた。
ぎっしりと枝に生えている棘はなかなか手強く、少々摘みにくい場所でもあり、思うようには手が届かないものの苦労の甲斐があって、ジャムが壜に五つほど出来た。
数年前の今頃、今は亡き母と甥が我が家にしばらく滞在した事があった。アトリエのブラックベリーを楽しそうに、そして一生懸命摘んでいた母は作ったジャムなぞどうでも良くて"摘む"のが楽しいと言った。完熟の潰れたベリーの色で手を染めてニコニコしていた母を思い出す。
#
ドイツには梅の木はない。だから梅干を作ることは出来ない。しかし梅の代用に杏を使う事もあって、かなり梅干に近い杏干を食べたことがある。
ひと月ほど前、あなたは肝臓が草臥れているようだから杏を食べると良いといわれて素直に杏を一箱買った。それを食べながらふと塩漬け杏に挑戦したくなって急遽仕込んでみたら、上出来とは言えないまでも、なんだか少しずつそれらしくなってきている。残念ながら赤紫蘇が無いので色白のままだが、来年は赤紫蘇の種も蒔かねばならない。種を入手しなければならない。来年の杏干の作りは紫蘇の種蒔きからはじまる。
#
ドイツのキャベツは日本の柔らかなキャベツと違って葉がしっかりとしている上、巻きが固い。頭の上に落とされたら。。。まあ、命は無い。武器に出来るほど固い。ざくざく切ってソースをかけて食べるような柔なキャベツとは違うのだ。しかしザウアークラウト(キャベツの漬物)にはこの石頭なキャベツが良いのだ。これが発酵すると煮ても焼いても具合良いしっかりした歯応えの漬物に変化する。
ドイツに来てしばらくたってからやわらかいサラダ用のキャベツが出回るようになった。(それでも日本のキャベツより葉がしっかりしているように思う)そのサラダ用のキャベツでザウアークラウトを作ってもみたが何か物足りない気がする。大きな専用甕で作ると場所の確保も量も大変なので、500ml入るガラス壜を使う簡易的方法を選んだ。醗酵キャベツはしばらくすると壜の中で泡が動き始め、かすかにプチプチと囁き始める。その時の野菜によって醗酵の具合も変わるのが面白いのだ。今も何か囁いているのが聞こえる。
#
テラスのローズマリーや月桂樹、ヘメロカリスの葉で納豆も作ってみたが、これもなかなかそれらしく出来た。
納豆菌はどこにでも存在する。売られている納豆の菌と葉っぱに付いている菌は厳密に言ったら違いがあるのだろうか。。その点気になるところではあるけれど大豆は納豆にしっかり変身し、美味しい。
大豆をしっかり蒸して瓶の中に入れ植物を乗せる。どの植物でも出来るのかどうかわからないが、上手く行く葉とそうでない葉があるかもしれない。
思い出せば子供の頃納豆が大嫌いだった。ついでに味噌、蕎麦、饂飩が嫌いだったが、今ではどれも好きな食べ物リストに並んでいる。


箱庭で作っているハーブや小さな野菜を摘んでママゴトのような事をしているひとときは至福。




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擬似蜂巣





ブーンブーンブーンと驚くほど大きな羽音がする。
テラス側の窓辺にヴェスパがふらふらと飛んできて部屋の中に入ろうとしている。一匹が二匹、二匹が三匹と増えているので巣でも作られたらたまらないと、対策を探し始めた。
こういうときはインターネットで検索できる便利さを享受する。
ヴェスパよけに茶色の紙袋を膨らませてしかるべき場所に設置するという記事を見つけた。その"物体”を他のコロニーが作った鉢の巣と見間違えて逃げてゆくという説だった。
眉唾ものかと思いながらも、手間のかかることでも無し、持っていた茶色紙袋を膨らませて吊るしてみると、確かにすうっと逃げていったきり戻ってこない。ここ数日うるさいほどの羽音がひっきりなしに聞こえていたのに、シーンとしているのだ。これは偶然なのか、それとも本当に茶色紙袋擬似蜂巣作戦が功を成したのか、はっきりとした事は判らないものの、今日はまだ一匹も飛んでこない。
これはミツバチには関係ないらしく、彼等はトマトの花を静かに訪問している。
 ミツバチといえば先日、寝室の床に動かなくなっているのを見つけた。よく見ればまだ生きているので、喉が渇いたか、空腹かのどちらかだろうと、ちり紙をぬらし蜜を少し落としてミツバチを乗せてみると、早速ごくごくと飲んでいるらしい様子が見えた。そして5分ほどして、回復したのか動き始め、飛び去った。 
このところ気温が高く雨が少なかった所為で水溜りが足りなかったのかもしれない。ミツバチも喉が渇いているらしい。
 蜜といえば去年わさわさと茂ってたくさん花をつけていた小さな赤い花のサルビアが半分枯れてしまった。その蜜を求めてホシホウジャクがたびたびたずねてくるのが楽しいのだが、今年は花が少ないのでホシホウジャクの訪問も少ない。彼らのために来年はサルビアの挿し木をたくさん作っておこうか。。。
 サルビアといえば。。。
 ホシホウジャクといえば。。。
 赤い花といえば。。。
 挿し木といえば。。。
 どんどん枝葉がのびてゆく。。。








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ドクメンタ14





一昨日の水曜日、ドクメンタを見るためにカッセルに出かけた。デュッセルドルフからの往復バスに席を予約していた為、早朝大粒の雨の音にくじけそうだったが、幸い連れ立つ友人もあり、励ましあいながら(!?)出かけたのだった。数日前から天気予報を睨んでいたがサイコロを転がすようにコロコロと変わっていっているものの、水曜だけはまるで呪われているかの様に雨、雷、風のマークが居座っていた。
しかし、空は気まぐれではあったが思いの外それほど悪くはならず、時として思い切りな雨が降ったが、濡れ鼠になることはほとんど無かったのは幸いだった。
今回のドクメンタはLearning from Athens。経済危機、難民問題、紛争と政治色の濃い作品がいつにも増して多く、それらの作品は作家の出身国の歴史、政情、文化的背景についての前知識がなければ、読み解くのは難しい。歩きながら聞こえてきた会話に「やれやれ、なんだかわからないわ。随分昔の作品ばっかりね」「これって芸術なの?」という呟きが聞こえた。普通の(何を持って普通と言うのか。。。なのだが)美術展覧会を期待しては肩透かしを食らう。作品はキュレーターが見せたいテーマを説明するための道具のように見えた。「さて、お前にわかるかな?」と言われている気がしてその度居心地が悪い様な思いがあったが、それも意図されていたことなのか?
街中に点在する展示会場全てを一日で見ることは出来ない。その上いちいち出くわす長蛇の列が時間も体力も食いつぶす。
ドクメンタの紹介でたびたび見かけた禁断の書で作られたというMarta Minujínのパルテノン(。。。私はこれにあまり魅力を感じなかった)の近くにある教会のドアが開いていたので入ると、ドクメンタとは関係のない展示で、そのシンプルで美しいインスタレーションは心地よく、美術を見せると言う事についてあれこれ考えさせられた。

車中消化の悪そうなサンドウィッチを食べながら夜中に帰宅。

私の中でドクメンタ14の消化はまだ出来ていない。



見た作品の中で気に入った作品の一部


George Hadjimichalis

Amar Kanwar

Bill Viola







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マインツ




















用事を済ませてから街散策。
マインツは活版印刷の発明者ヨハネス・グーテンベルクの出身地だ。
ぶどう棚の木漏れ日が美しい店で腹ごしらえを(昔風の感じの良い店だったが食事については特記するべきことは無かった)した後、聖ステファン教会に向かった。
シャガールのステンドグラスが自慢の教会で街並みを見下ろす高みに建っている。
教会に入ると青が基調のステンドグラスを通り抜けて差し込む光が青に染まっているのが美しかった。
マインツまで来るとワイン畑が広がる高低のある景色のせいか、見渡す限り平坦な私の住むあたりとは随分と様子が違って、ちょっとした旅行気分が味わえた。

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27度
晴れ
週末に向けて30度、28度、31度と夏らしく、来週はぐっと21度に下がるという予報。





















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独り言






「年をとるということは。。。。まーったく。。。いやになっちゃう」

その人は笑う
気丈で常に肩肘張って生きてきたその人も
今では私の腕にすっと手を滑り込ませる

他人の世話にならずに生きることは出来ないのだなあ

私がその人の年になったら、腕を貸してくれる人があるだろうか?



頁を切り取られた本
まだ沢山の物語を語りつづけている。









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カテドラル





頭を思い切り後ろに傾けて見上げる。

カテドラル!と思わず声をあげた。

まるで大聖堂の様だ。


カテドラル

。。。と言えば

レイモンド カーヴァーの短編で「カテドラル」という作品がある。

私の好きな作品の一つだ。








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夏日幻想




30度、31度、33度、34度、35度。。。。
この国としては珍しいような夏日が続いている。
土手を覆う野草もすっかり焼けて景色の中の配色が変わった。しかし枯れ草色を背景に淡い青紫のチコリの花とマーガレットの白い花がちりばめられているのもまた美しい。
太陽の日差しは尖っているので痛い。

日陰を探しながら道を歩く。

老人ホームの"絵の時間"を手伝いに向かう道すがらは影はほとんど無く、日差しに背中を突かれて思わず早足になった。体中から汗が噴出す。
午後の脳味噌も蒸しあがってしまいそうな一番暑い時間帯だった。

"絵の時間"が始まって半時ほどたった頃、F婦人は急に落ち着きが無くなり「もう帰るわ、家に。。。両親の家に帰らなきゃ、すぐそこにあるのよ」と言って描いていた蝶の絵を放り出して立ち上がった。
彼女はふと"過去のある時点"に帰ってしまっていたのだ。



「帰る場所」

私なら、どこに「帰る」。。。と言うだろうか?








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散歩絵
















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散歩道



昨日

紅花染めの朝焼けのなか

鹿の親子が畑を横切った


今日

日輪の八分の一が仄かに輝き

ハナトガリネズミが死んでいた









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閑話あつめ










先日の事。
友人がイギリス旅の土産話を披露してくれた。
「僕たちはキャンプ場でテントを張って泊まっていたんだ。そこには小さなトイレ小屋があって、用を足した帰りにキャンプ場の料金は何処で払うのだろうかと通りがかりの女性に聞いてみると、ほら、向こうにパイプを咥えて長靴を履いた人、緑色のセーターの、手押し車で働いている男性が見えるでしょう?あの人、多分ここの人よ、聞いてみたら?と言ったんだ」
確かにキャンプ場で“パイプを燻らしながら泥だらけの長靴を履いて手押し車を押す人”を見たら私も“管理人”と見ただろう。
彼は通り過ぎようとする長靴紳士にキャンプ料金とそれを何処で払えばいいのかと声をかけた。するとかの紳士はゆっくり頷きながら「あーー、あそこの小さいトイレ小屋の脇に箱があるからそこに入れておけばいいですよー。幾らでもいいから。。」と答えたそうだ。成る程と頷きながらも思い返せば、今し方そのトイレを使ったが、その付近に料金箱を見かけた記憶がない。友人は去りかける長靴紳士を慌てて呼び止め、そのことを言うと
「うん、私も見たこと無い。。。」と肩をすくめてにやりと笑った。
という話だった。

この話、結構気に入っている。











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霧霧舞い




霧の日にカメラを掴んで外に走りでるのは何故か?
在る物が見えず、ないものが見えてくる事。うっすらと見えるあたりに想像を膨らませる余地がある事。
これが毎日ならば高揚感は消えてしまうのかもしれないし日常に不都合をもたらすかもしれない。たまに起こるくらいがちょうど良い。友人の中国人に霧の写真を見せると、「綺麗な景色ね。でもこの写真を中国に住む中国人に見せても切ないだけなのでしょうねえ」と彼女は言った。中国の大気汚染は深刻だ。1952年に起こったロンドンスモッグも多くの死者を出した。。。


霧絡みの映画でジョン カーペンター監督のThe Fog と言う映画があったっけ。。。観たのはかなり昔なので記憶は霧越しでぼやけているけれど、確かどうしようもないB級映画ながらもじわじわと怖かった覚えがある。(今観たらどうなのだろうか?)

ところで最近、私の頭の中には濃霧が湧き上がったまま晴れる事がない。そんな感じがしている。
いろいろな事が仄かに見えているのだけれど一生懸命目を凝らしても薄っすらとしか見えない。
その上片付けをすると失せ物が増える。霧の向こうに置いて来てしまうからだ。何処に片付けたかを忘れてしまう事など昔は決して無かったのにと、地団駄を踏んでもやっぱり霧は晴れない。
歳のせいだと簡単に片付けられるのも気に入らない。
あんまり霧を追いかけたのでひと塊りの霧が頭の中に住みついてしまったのだ。


霧の向こうには必ず何か居る。

たぶん。



そして、探し物はなんとか見つかった。
一生懸命頑固な靄もやをかき分けながらやっと辿り着いた。
その内2度と見つからない事態も起こるのだろうね。と取り敢えず胸を撫で下ろした。
本日幸い。































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