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散歩絵
















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散歩道



昨日

紅花染めの朝焼けのなか

鹿の親子が畑を横切った


今日

日輪の八分の一が仄かに輝き

ハナトガリネズミが死んでいた









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閑話あつめ










先日の事。
友人がイギリス旅の土産話を披露してくれた。
「僕たちはキャンプ場でテントを張って泊まっていたんだ。そこには小さなトイレ小屋があって、用を足した帰りにキャンプ場の料金は何処で払うのだろうかと通りがかりの女性に聞いてみると、ほら、向こうにパイプを咥えて長靴を履いた人、緑色のセーターの、手押し車で働いている男性が見えるでしょう?あの人、多分ここの人よ、聞いてみたら?と言ったんだ」
確かにキャンプ場で“パイプを燻らしながら泥だらけの長靴を履いて手押し車を押す人”を見たら私も“管理人”と見ただろう。
彼は通り過ぎようとする長靴紳士にキャンプ料金とそれを何処で払えばいいのかと声をかけた。するとかの紳士はゆっくり頷きながら「あーー、あそこの小さいトイレ小屋の脇に箱があるからそこに入れておけばいいですよー。幾らでもいいから。。」と答えたそうだ。成る程と頷きながらも思い返せば、今し方そのトイレを使ったが、その付近に料金箱を見かけた記憶がない。友人は去りかける長靴紳士を慌てて呼び止め、そのことを言うと
「うん、私も見たこと無い。。。」と肩をすくめてにやりと笑った。
という話だった。

この話、結構気に入っている。











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霧霧舞い




霧の日にカメラを掴んで外に走りでるのは何故か?
在る物が見えず、ないものが見えてくる事。うっすらと見えるあたりに想像を膨らませる余地がある事。
これが毎日ならば高揚感は消えてしまうのかもしれないし日常に不都合をもたらすかもしれない。たまに起こるくらいがちょうど良い。友人の中国人に霧の写真を見せると、「綺麗な景色ね。でもこの写真を中国に住む中国人に見せても切ないだけなのでしょうねえ」と彼女は言った。中国の大気汚染は深刻だ。1952年に起こったロンドンスモッグも多くの死者を出した。。。


霧絡みの映画でジョン カーペンター監督のThe Fog と言う映画があったっけ。。。観たのはかなり昔なので記憶は霧越しでぼやけているけれど、確かどうしようもないB級映画ながらもじわじわと怖かった覚えがある。(今観たらどうなのだろうか?)

ところで最近、私の頭の中には濃霧が湧き上がったまま晴れる事がない。そんな感じがしている。
いろいろな事が仄かに見えているのだけれど一生懸命目を凝らしても薄っすらとしか見えない。
その上片付けをすると失せ物が増える。霧の向こうに置いて来てしまうからだ。何処に片付けたかを忘れてしまう事など昔は決して無かったのにと、地団駄を踏んでもやっぱり霧は晴れない。
歳のせいだと簡単に片付けられるのも気に入らない。
あんまり霧を追いかけたのでひと塊りの霧が頭の中に住みついてしまったのだ。


霧の向こうには必ず何か居る。

たぶん。



そして、探し物はなんとか見つかった。
一生懸命頑固な靄もやをかき分けながらやっと辿り着いた。
その内2度と見つからない事態も起こるのだろうね。と取り敢えず胸を撫で下ろした。
本日幸い。































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新年






大晦日の夜は日本酒の冷酒をアペリティフに生牡蠣、アヴォカドのディップとパン、舌平目のムニエルにビーツのムース添えや野菜のポタージュ、牛肉を煮込みとサフランリゾット、チーズのオイル漬け、ティラミスが食卓にのぼり年明けにシャンパンを抜き、楽しくいただき、夜中三時過ぎにそれぞれ眠りについた。
元旦、友人たちと昼の軽食後散会し、相棒とDVDを観たり散歩をしたりのんびりと平穏に過ごしていた。。。。しかしその夜中に腹痛で目を覚ます。
お腹をこわしトイレと寝室を往復し、翌日は体中が痛み、きしみ、寝床の中で朦朧と一日を過ごした。牡蠣にあたったらしかった。
情けない様子で年明けを過ごしてしまったが、一日半ほどの不調ですんだのは幸いだったと言えるのだろうか。自己治癒力に改めて感心した。


個人的な年明けの第一声がなんとも冴えないものになってしまったが、今年はどんな年になるのだろう? 新聞をひろげれば物騒な話が並んでいる。
ベルリンのクリスマスマーケットを襲ったテロのおかげで、近所のクリスマスマーケットでさえも警察の警備配置が増え、しかもマシンガンを携帯する事になった。
世の中の空気が目に見えて大きく動き、染め替えられているように思えてならない。自分の立ち居地をしっかり持っていることが大切なのだろう。
また過剰な心配や恐怖によっても空気は壊れてゆく。

少しでも多くの微笑が生まれますように。
そしてそれが少しでも長く続きますように。

新年明けましておめでとうございます。

















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硬い透明な空気
花一輪に柔らかに被さる陽光
ゆるり花弁は溶け解けて散る。




























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晩秋






路上 埋める秋
積る枯れ葉を踏みしだく音だけ
が道連れ

多分人々はいるべきところに収まっていて
路上は閑散としている

足元に絡まる
晩秋

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今日の話





チーズと蕪
胡瓜に干しぶどう

コーヒー

買って店を出た
冷たい空気が頬をぎゅっと挟む

忘れていた今朝の夢がつるっと顔をだした
ので
消えないうちに
受け止めたい
のに
チーズと蕪
胡瓜に干しぶどう

コーヒー

両手をふさいでいた
から
つるっと飛び出した夢は
ころころ転がって
また
見えなくなった。

私の手
あいかわらず
つかみそこね

いる。








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城の中、駆け巡る。。。。


今朝、散歩にでて間も無く雲行きが怪しくなった。仕舞にはカメラを上着の中に抱いて家まで走ることになった。





デューレンという街に出かけたのは今週の火曜日だった。途中車窓からケルンの大聖堂や工場の煙突は三分の一ほど消しゴムで消されてしまったように見えたのが愉快だった。霧の仕業だ。
アーヘンとケルンのちょうど中間に位置したこの街はアイフェル山地の麓にあり、製紙に適した柔らかな水が豊かであることから、製紙工場が集まった。今では大分縮小されたものの、まだいくつかの有名製紙工場が稼動している。歴史も古く、戦前は豊かな都市だった様だ。

その街のはずれに森を従えたブルクアウという水城がある。14世紀に築かれ、以来幾度も城主を変え、第二次世界大戦中に破壊と強奪の憂き目に会った。1974年から1991年にかけて城は再建されることとなり、現在文化施設として復活している。
基礎は古いものの新しく再建された城なので今ひとつ中途半端な雰囲気であることは否めない。
城の一部450平米は展覧会場となっていて、今回三人展をする事になり、展示の為に出かけたのだった。
部屋は5つのブロックに分かれており、なかなか難しい空間で二日間かけての展示作業になったが、火曜日の晩はデューレンの知人の家に宿泊させてもらう事が出来たのが幸いだった。









展覧会のインフォメーション

Ausstellung „Dreisatz“ mit Mavi Garcia, Kai Savelsburg und Setsuko Fukushima
Vernissage: Sonntag, 20. November 2016 um 11 Uhr
Eröffnungsrede: Bürgermeister Paul Larue um 15 Uhr
Einführung: Stefan Skowron

Ausstellungsdauer: 20. November 2016 bis 8. Januar 2017
Freitag, 9. Dezember um 19 Uhr Performance Mavi Garcia / Ruth Mensah,
um 20 Uhr Lesung Kai Savelsberg

Öffnungszeiten: Mi. + Sa. 14 bis 18 Uhr und So. 11 bis 18 Uhr
Kontakt: p.goertz@dueren.de oder 0160 91764450
Schloss Burgau
Von Aue Str. 1 | 52355 Düren










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光る道




ここしばらく空は暗い。雨雲の隙間にカメラを持って一回りする。
雲が引き千切れて太陽が顔を見せる瞬間、雨で濡れた車道は光った。
美しいなあと何枚もシャッターを切ったが後で写真を見ると、どうもあの瞬間の美しさが無い。
感動が写真に写るならいいのに。。

帰り際、胡桃が落ちていた。光る道を味わう精神的楽しみから一転し、食い意地が勝って、カメラを仕舞い胡桃の木の下で目を凝らす。
そろそろ胡桃の木は実も葉も落としきろうとしている。今年は胡桃に取り付く小バエが大量発生したらしく、不健康な感じに真っ黒になった実が沢山落ちている。外皮をむいてみると中は無事のようだった。木に挨拶をしてから大切な実を十個ほど持ち帰った。

















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散歩絵:黄金雨








まるで雨粒が葉を打つかのような音が
晴れているのに
ああ
金色の葉が降っている
ぱたぱたぱたと












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散歩絵:蒸発霧




陽の温もりを受けて消えてゆく蒸発霧がたゆたゆと水面を漂う。
目をこすると消えてしまいそうな夢と現実の隙間に少しだけ膨らんで見えた景色。













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散歩絵:霧



霧の日は
いつも在るものが無かった
霧の日は
いつも歩く道の角度が少しだけ違っていた
霧の日は
時間が荒い粒の様になっていて
その間を歩けばひょっとして
昨日の夢に辿り着く


























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散歩絵:みずたまり






たびたび通りかかる畑の脇に大きな水溜りがある。それは脇にあるものの通り抜けるのに少しばかり邪魔でつい気になって立ち止まる。
陶器の細かいかけらを投入し、その水溜りを埋める努力をする人がいる形跡が見えるが、なぜか窪みは小さくなるような様子が無い。
ある日は茶色い壺らしき陶器の欠片が、あるときは塩釉をかけた陶器の欠片が、そして昨日は安っぽい模様のタイルらしき欠片が見えた。
水溜りの底は少しずつ陶器を飲み込んでいるらしく大きな変化はない。
水溜りを埋めようと陶器を砕いている誰かの努力が実る日は来るのだろうか?



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失敗

先日オランダへの小旅行について割合長めの文章を書いた。
それがどういう風に手元が狂ったのか、一瞬で消えてしまい同じ事をもう一度書き起こす気分にはならなかった。

オランダの砂丘地帯の事、頭の中が空になるほど沢山歩いた事、ついでに安倍公房の砂の女を思い出していたこと、などなど頭の中に絡まっていた印象を解し書き出したのだったけれど、それから幾日も過ぎてしまうと、また頭の中には別の糸が絡み始めていて、解く糸口が今のところ見つからない。
























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