散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

帰国予定

2006-04-27 23:00:34 | 思考錯誤
5月13日にドイツを発ち、オランダのスキポール空港経由で日本に向う。今回もオランダ経由にした。東京着は5月14日の午前10時頃だ。刻々日が迫るのに、やりたい事がたくさんありすぎて、目標クリアするのが難しい。
今まで寒かったのも手伝って、色々故障がでた。何とか出発までにパワーアップしておきたいものだ。
今回は展覧会の為に帰るので東京と静岡を行ったり来たりになるのかな。色々な展覧会も見たいし、美味しい物も食べたい。大きなトランクも用意したが、荷物は材料ばかりで一杯になるだろうから、お土産なんぞのはいる余地も無く、着替えも最低限。

展覧会の案内は又後日、掲示するつもりではあるが、もしメイル経由、郵便等にての案内希望の方がいればお送りするので、下記のメイルアドレス宛てにご連絡くださると幸いです。遠慮なくどうぞ。

今回は先ず6月第一週に静岡市、
◎ギャラリーsensenci (個展)
もう一つは6月26日から東京。
◎トキ・アートスペース (二人展)
(7月1日 ギャラリーコンサートとギャラリートーク)です。

何しろ飛行種子の如く、作品はまったく小粒で軽量級で荷物は少ない。こんなのでいいのかなあ、というくらいなものだ。

果たしてどうなる事か?



連絡先:seedsbook@ mail.goo.ne.jp

採集箱の中身 03

2006-04-27 00:22:44 | V.P
                    
プロペラが     
く     る     く     る     
                             
 宙     を     回      転しながら          
空          中          に          
浮かんでいる。                 良                 く                 見                 る                 とプロペラは                       言                       葉                       だ                        言                       葉                       が                   く             る       くる                回                 転                 し             な              が                 ら                  待機     している                       
 プ           ロ          ペ         ラ                        を                        一枚                         一枚                             綴              り                 合わせて                                  み               た            ら                     ど ん な 話 が 表れるの だ ろう?
 

Encre Invisible

2006-04-25 07:46:33 | 収集物品
まったく妙な夢を見ていたのです。
とは言っても、楽しかったのか、恐かったのか、辛かったのか起きてみたらすっかりわから無くなっていて、ある音だけが耳にこびりついています。それは例えばペン先で硬質の紙の上を引っかくような音でした。
夢から引き剥がされて、現実との間で宙吊りになっているような時間があります。
薄暗がりの中でどちらの世界に留まっていようかと判断のつかないまま、いつものように紅茶を入れて、カップの中のあつい液体が描く軌跡を追っていると、入り口のドアの向こうに何者かの気配がしたのです。
そのうちに先ほどの夢の中で聞いたようなカリカリと言う音も聞こえてきて、仕舞いに“バサッ”と大きな音がしたのでドアを開けると、玄関のライラックの花の香が風にのって動いたように感じましたが、誰もいないのです。
足元に視線を落とすと、真っ白な封筒がいかにも律儀な感じにおいてあるのが見えました。
封筒を拾い上げると表にも裏にも何も書かれていないのですが、中に数枚の紙が入っているような手ごたえがあります。
私宛に届いたのかどうかはっきり記されていないので、それを部屋に持って入ったものの机の上において少し途方に暮れてしまいました。
取りあえず、新しく注いだお茶をすすりながら朝ごはんのしたくを始める事にしました。
真っ白く汚れ一つ無い封筒の存在が気になって仕方ないのに、その誘惑を振り切っていつものようにゆっくりと朝食をとることにしました。
グラスになみなみと注いだオレンジジュースを飲み干し、丸いパンをナイフで半分に切り分け、バターを隅々まで丁寧に塗り付け、オレンジマーマレードをその真ん中に乗せます。
光を煮つめたらこんな風に見えるのかもしれないマーマレードを眺めながら、パンの端に齧りつくと、すぐにはマーマレードには辿りつかず、ぺっとり鼻の頭にぶつかりました。
ミルクを入れたエスプレッソの香りはいつものように目覚めを助けてくれます。
サイコロに切ったチーズが皿の上にピラミッドを築いていて、5日前に蒔いたアルファルファはピラミッドの裾に広がる緑の草原です。
そういえば、この間歩き回った廃墟の瓦礫山とその周りの空き地にも似ています。
朝ごはんを終えて、皿を洗い流し、水をぬぐって棚にしまい、流しを片付け、大振りのカップになみなみとミルク入りエスプレッソをもう一杯入れて、先ほどの白い封筒の前に改まって座りました。
一体誰が書いたものなのだろう?本当に私宛なのだろうか?
恐る恐る注意深く封を開けると、中には数枚の便箋が、やはり律儀に折りたたまれて入っていました。
便箋を取り出して広げて見ると、そこには何か書いてある事が感じられるのに文字が見えないのです。
便箋は4枚重なっており、どの紙にも何かが書かれているらしい事がわかります。
陽に透かして見ても何も見えないし、匂いをかいで見るとほんのわずかにライラックの香がしました。
思いついて台所の電気プレートで便箋を暖めて見ると、間もなく矢車草色の文字が現れ始めたので、好奇心でいっぱいになりました。
「この文字は紙が冷えてしまうと消えて行きますから早く読むこと。」
とぎこちない文字で書かれた注意書きが先ずあらわれました。
「貴方は先日XX市の○○文具店にて”Encre Invisible”をお求めになりました。」
と続いています。
確かに私は先週末Encre Invisibleと表書きのある美しいインクを手に入れたのです。
廃墟の瓦礫山の近くにあるその店は、こぎれいで整然とした棚が並ぶモダンな文具屋です。
様々な紙が重ねられて並んでいる間に、唐突な感じでこのインクがあったので、目を引いたのでした。
良く見れば“あぶりだし用”のインクらしい事がわかりました。
見えないインクなんて楽しいし、こういうものが私は大好です。
インクを買って家に戻ってから、誰あてに、何を書こうかと思い巡らせながら、便箋にいたずら書きをしただけでその日は終わりました。
「貴方があのインクをお使いになったその時、私の“本”に貴方の名前があらわれました。そのインクはそういう物なのです。」 
                  
                         ○  ○  ○  ○  ○ 

調子に乗って、前置きみたいな小話が長くなってしまった。
話の続きは、まだ見えないインクの文字が現われてこないのでわからない。
。。。。。とお茶を濁しつつ冷や汗かきながら退場してしまうことにします。

                
                 これがそのインク
                         
                             
このインクで書いて暖めると文字は現われる。
楽しいでしょう?

兎に角、さき一昨日こんなインクを見つけて嬉しくなって買ったのだった。




やっぱり美味しい

2006-04-24 08:14:03 | 飲食後記
その肌は艶やかなクリイム色である。
いかにもみずみずしい。
品の良いクリイム色の肌は内側から絹の光沢を放っている。
思わず獣のようになって、かぶりつきたくなるのだが、耐えて乱れる心をぐっと引き締め、時が来るのを待たねばいけない。

話はホワイトアスパラガスについて。去年も書いたけど毎年同じように感激する。

塩、砂糖、バターを落として大鍋にぐらぐらと湯を沸かし、皮を剥いたホワイトアスパラガスを15分ほど湯がく。
お供はスペインのハモン・セラノと、ほっこり甘みのあるジャガイモ。
今年初めてのホワイトアスパラガスを農家に買いに行った。
私の大好きなアスパラガスが出回る5月中旬に日本に行くので、今年は美味しい採れ立てを食べられないかもしれないなあと心配していた所だったのだけれど、そろそろアチコチのレストランに
”アスパラガスあります”
”季節到来!アスパラガス”
などという看板が立つようになって来たので早々農家を覗いてみた。
あるある。箱の中にキチンと積み上げられている。
実はまだ高い。
普段なら買わない値段だけれど、ここで食べておかねば悔いが残るとばかりに買い込み、アスパラガス尽くしの週末だった。
私はあっさり塩コショウ、刻んだハーブに溶かしバターと言う食べ方が一番好きだ。ソースには凝らない。
剥いた皮はアスパラガスを湯がき汁の中に入れて煮る。しばらくして皮を絞りながら取りだしクリームスープを作った。これも中々美味しい。
日本出発までにあと何回食べられるかなあ?





金剛石

2006-04-21 07:45:33 | 思考錯誤
朝早く外に出ると、オダマキの葉の上にぴかりと光る物がある。
近づいて見れば大粒の金剛石だ。
誰からの贈り物?



宮沢賢治の「十力の金剛石」を思い出した。

  
  雨があられに変ってパラパラパラパラやって来たのです。
  そして二人はまわりを森にかこまれたきれいな草の丘の頂上に
  立っていました。
  ところが二人は全くおどろいてしまいました。
  あられと思ったのはみんなダイアモンドやトパァスや
  サファイヤだったのです。おお、その雨がどんなにきらびやかな
  まぶしいものだったでしょう。・・・ 
宮沢賢治-十力の金剛石


朝露が使われている歌は多い。
万葉集の中にもいくつもあるようだが
-月草に衣は摺らむ朝露に濡れての後はうつろひぬとも-作者不詳
と言う詩があった。
月草とは露草の事だ。露草の青色は水に浸すと消えてしまうので、友禅の下書きに使われると聞いた。
露草で衣を染めても、美しい青は朝露にぬれて消えてしまう。それでも露草で染め上げた衣は美しいだろうね。淡い青色の煙の様だろうか?
朝露の触れた軌跡が青い衣の裾模様を描いてゆくなんていうイメージも素敵だ。
露草の咲く夏の空気を思い出す。

あっという間に消えてしまう泡沫の夢のようなものだからこそ、より美しいのかもしれない。

朝露の話がどこか飛んで行きそうになった。
つまり、今朝思ったことは一つ。
ダイヤモンドは美しいかもしれないが、朝露だって美しさにかけては負けない。




しずくの写真もう一枚

文明の利器

2006-04-20 09:24:19 | 思考錯誤
最近携帯電話を買った。
最も私はモバイルを滅多に活用しない。もっぱらショートメイルと"受け”専門となっている。しかし、たまにとても必要な事態も出て来るのだ。モバイルが普及浸透しつつある今日この頃、電話ボックスは減っているし壊れている事も多くて、田舎を歩いていたら泣きたいくらい電話が見つからない。
実は今まで譲り受けた古いモバイルを持っていたが、大きくて重たいし、バッテリーもイカレテいて、半日で電話の息の根が止まるのだ。こんな所で息を引き取らないで欲しい!と撫でさすって祈っても無駄だ。畑の真ん中では電源もなく、トボトボと公衆電話を求めてさすらう事になってしまう事もあった。
他の日はいつも充電用コードをつなぎっ放しで自宅の電話の脇に転がっている"それ”は携帯電話とは言えない。
。。。という事でこの際新しい電話の購入に踏み切った。
私は前述したとおり殆どモバイルを使わないのでプリペイドを使っている。割高だとは言え、使わない時は本当に使わないのでプリペイドの方が私には具合が良い。
こうして生活の中に不必要なものたちが増えて行く。不必要な物の筈が、段々に生活に組み込まれて無いと困るような"気”にさせられて行く。今私はコンピューター無しの生活は考えられない"気”がするくらいになっている。いや実際無くなったら困る。
良く考えると恐い。
文明の利器を手に入れて色々な事が簡単に快適に出来るようになって、節約された時間が残ってゆく筈なのに、そこから派生してくる様々な事柄にどんどん時間を喰い千切られているんだよね。便利さを求めて時間を失う。
そうかといって私は文明の利器に背を向けるわけでは無い。各分野テクノロジーの進展に対していつも興味深々だ。

新しい物といえば、最近スカイプというものを利用し始めた。
これだとドイツ国内はもとより、気軽に日本の友人たちとも話が出来る。
今回は6月下旬の2人展に向けての準備の為の打ち合わせなどにも役立ってもいるし、声の聞こえもまずまず良好。なんだか新しいおもちゃを貰った子供のように喜んでいる。オペレーターのようにヘッドセットをつけて作業しながら電話が出来るなんて、空想はしていても10年前の私には現実味が無かったことだと思う。
(しかしブルートゥースのヘッドセットにしておけばよかったなあ、今はケーブルに繋がっているので、毎回使うたびに棒に短い紐で繋がれている犬のイメージが離れないんだよね。)
これに関しては又、電話代を気にしながら喋る必要が無いという利点もあるから更にありがたい。

テクノロジーは人間の歩く速度よりも断然早く前進している、ある意味では一人歩きを始めているように見える。

それにしてもこれから数年後にはどんな物が私の身の回りに組込まれているのだろう?

どんな風に私は生きているのだろうね?



???

Gregory Crewdson

2006-04-19 09:56:04 | 美術関係
写真家Gregory Crewdsonの展覧会を鑑賞。
オリジナルを見るのは初めての事である。大抵は雑誌やカタログで見るわけだから、かなり縮小されたものを見ているわけだ。
大きければそれなりのインパクトがある。
彼の作品はほぼ全てが映画の一コマのような作りであり、大掛かりな演出がなされている。製作風景を取ったヴィデオも会場で見る事が出来たのだが、まるで映画の撮影現場のようで、一体どれだけの制作費がかかるものかなあ、と入らぬ心配をしてしまうのは小市民の悲しさ。
アメリカの平凡で一見平和そうに見える中流階級市民の生活の中に潜む”ねじれ""ゆがみ”を描く場面が続く。
それぞれの場面は単独に、唐突に始まり終わりは描かれないので、我々見ているものは、話しかけられたまま放り出され、話の結末を求めて画面の隅々まで視線を這わせ、解決の糸口を探すはめに陥るのだ。話の結末は鑑賞者達に委託されている。
こうした演出された場面を撮る写真作家は多いけれども、これだけ大掛かりで、又知名度のある俳優を主人公に使っているので話題性は高いだろうね。
シンディ・シャーマンやジェフ・ウォールなどもそうだけれど、ストーリー性の高いこれらの作品は「ワン・フレーム・ムーヴィー」なのだ。

彼の作品としては古い小品のなかにテーブルの上の"物”を写した写真があって、それは何故か私をホッとさせた。
面白い作品だとは思うし、興味深かったが、大掛かりな演出の大作は私の手もとにおいておきたい作品では無かった。

魂の欠片

2006-04-18 17:27:59 | 美術関係
イースター休暇中は生憎の雨模様で肌寒く散歩の気分は盛り上がらなかった。
最も情けない事で言いたくないが、少し前に軽いぎっくり腰なんかわずらってしまって今だ完治せず、遠出は無理でおとなしくしているのが無難だったわけなのだけれど、一日中家に篭っていると頭の中の空気も停滞気味になってきていけない。
酸欠寸前の頭の中身にちょっぴり風通しをするために、中世の町Zonsに出かけた。
もう一度言うが、残念ながら雨である。
傘を差して石畳の小さな町の中を歩く。雨にもかかわらず散歩をしている人は意外にも多い。
カメラを持ってはいたが雨が恐くて胸の中にかかえたまま取り出せなかった。何しろ一度雨の中で写真を撮ったが為にカメラの具合が悪くなって冷や汗をかいた事があるのだ。
だから街の写真は無い。中々趣のある街だが、街の描写と歴史は次に回してこの回は『イースターエッグの展覧会』の話。
毎年イースターの間に展示即売会があるので散歩がてら見に行く。他の街でもこの手の展示即売会はあって盛んな所もあるようだが、あちこち出かけるほどのファンでもないので、この「散歩がてら。。。」と言うところがいいのだ。
などといいながらも、力作の玉子絵師(?)たちの作品を見ていたら思わず2つも買ってしまった。出展者たちのリストを見ると東欧から来ている人が多い。
ニワトリ、アヒル、Emusやダチョウの卵などを削ったり、腐食させたりしたあと磨いてニスを塗り仕上げている。フェニックスが玉子の表面に納まっているところがまた良くて、気に入った。
物静かな良い感じの作者はチェコから来ていた。
ルーマニアから来ていた出展者の作品。蜜蝋を溶かして細い注射針のような針が先端に取り付けられた道具でリズミカルに線を引いてゆく。彼女のバティック柄の玉子も美しかったのだが、この繊細な蜜蝋の線が実に繊細で美しくこちらを選んだ。私がどの玉子がいいか選んでいるときに、隣にいた客に向って彼女が「私の魂の一部分です。」といっているのを聞いた。私は彼女の魂の欠片を持って帰ってきたのだ。
                               これは去年買った玉子で、作者はドイツ人。この作者は他に童話の挿絵風なものを描いたりもしていて、それも中々楽しくてよかった。

これはガラスケースに収まっていたオランダ人の作品。これだけ透かし柄を完成させるのに、何個の玉子をつぶしたのか? 



ちょっと挑戦してみたい気もして、冷蔵庫から玉子を取り出して見たが、30秒眺めたのち、そっと冷蔵庫の中に戻した。
黄身を抜く前に挫けているんじゃ話しにならないね。



中世のZons

2006-04-14 23:08:58 | 植物、平行植物

やっと咲いた我が家の桜。こうして見るとまるで木の下で桜の枝を仰いでいるようだが、実は身の丈1mも無い位の盆栽のような桜の木なのである。

今日はイースター復活祭前のKarfreitag"聖金曜日”-キリストの受難の日として嘆きの金曜日という事になっている。
Karfreitagの『Kar』 は古代ドイツ語で「歎き、悲しみ」とか「不安」の意。
祭日なので、辺りは実に静かである。月曜日までの連休で旅行に出る者も多く、観光地は込み合っているだろう。

今やっと十五度くらいであろうか。
我が家では祭日の静けさの中、桜の花の下で花と酒にほろ酔う様な天気ではないが、今日は花見の気分を出して見たい。
取りあえず、桜茶を作って。。。。


採集箱の中身 02

2006-04-13 08:02:53 | V.P


 い
  半
   透
   明
  の
 皮


 に
  入
   っ
    て
    い
    る
   言
  葉
 の


 も
  う
   す
    ぐ
     、
    あ 
   と
  少
 し



 す
  る
   筈
   


採集箱の中身 01

2006-04-12 08:40:10 | V.P

一昔前 
の事バルセロナの
公園をのんびりと歩いていると
沢山の小さな船が地面に漂着していて
中には白いうぶげを纏った 黄色い粒が
その中に いっぱいに 詰まっているのだ
なんという植物の種子なのか知らないまま
一昔分の時間が過ぎた。しかしその時の旅の
記憶はこの産毛の生えた黄色い粒の中に
しまわれていて、ちょっと指で突くと、
ポロポロと記憶の欠片が
浮き上がっては
きえて
行く。











































































 

イースターエッグ

2006-04-10 09:27:18 | 製作記録
今週末はオースター(又はイースター)


Ester Eggといったらイースターに飾ったりする卵の事だ。
子供達のいる家庭では隠された卵を捜すハンティングゲームなどもイースターの楽しみの一つになっている。
色を塗ったり、絵を描いたり、様々な細工を施して窓辺やテーブルに飾ったりする。私も昔は面白がって沢山の卵に絵を描いた。
(昔はそういう素敵なことをする時間をたっぷり持っていたのに、何故今は無いのだろう?)

ところで、コンピューターのプログラマーが自作品の裏に写真や文章、ゲームなどを潜ませる事があって、それをEster Eggと言うのだそうだ。
又は映画や音楽のなかに潜む、知る人ぞ知る"秘密”などもある。
つまり宝探しですね。

そういう事ならば、貴方の作るものはその意味で”Ester Egg"ではないか?と友人が言った。。。そうかもしれない。



 

う~ん何かね? これは。ムム!!!               何が見える? 


Ester Egg

イメージの鎖

2006-04-06 08:52:28 | 思考錯誤
ブログ仲間のMercedesさん(Mercedes's Dialy)から「イメージバトン」なるバトンが飛んできた。私はバトンをうまく引き継いだり渡したりするような事がうまくないのでひょいと身をそらして、飛んできたのに知らない振りを決め込もうかと思ったら、なんでも一言つなげば良いだけの話らしい。

言葉連想ゲームのようなものだ。そういうのは気楽でいいね。私は最後のMersedesさんが付け足した言葉から続けて一つの言葉を書けばよいのだそうだ。
そのあと3名にバトンをピュンピュンと投げればいいらしい。

***************************************


海⇒川⇒水⇒雨⇒雲⇒空⇒青⇒ポカリスエット⇒スポーツ飲料⇒潤う⇒汗⇒夏⇒クーラー⇒寒い⇒冬⇒雪⇒雪だるま⇒白⇒白熊⇒カキ氷⇒祭り⇒混雑⇒ラッシュアワー⇒電車⇒通勤⇒会社⇒深夜残業⇒深夜営業⇒コンビニ⇒新商品⇒春物⇒ピンクの唇⇒ちゅぅしてぇ!!⇒おんな心⇒秋の空⇒毎年恒例冬の大放出⇒福袋⇒ わくわく⇒動物ランド⇒チンパンジー⇒岡村⇒ダンス⇒甲子園⇒高校野球⇒ハゲ⇒アンパンマン⇒バイキンマン⇒はっひっふっへっほ~⇒和田あき子⇒あの鐘を鳴らすのはあなた~♪⇒名曲⇒なごり雪⇒春は近い!⇒花冷え⇒桜夜風⇒月明り⇒「海ボタル」

Mercedesさんの
「月明り」を受けて私は
「海ボタル」
と続けました。

月明りの海辺を散歩していて、気がつくと緑色の波が足元を洗っているというイメージです。

しかし私はリレー競争が今ひとつ上手くない。
走ってきてバトンを渡す相手を上手く見極める事が出来なかったりしてしまう。
一体誰に渡せばいいのだ?。。。三本のバトンはウロウロしているうちにバラバラ落としてしまった。
私の「海ボタル」を掬ってくれる方がいるだろうか?
波間に消えて行く光の粉を拾ってくる人いるだろうか?
手を挙げてくれる人をバトンの横に座って待っています。
(Mercedesさん役立たずでごめんなさい。)

海ボタルは別名夜光虫。
原生動物鞭毛虫類の仲間だけれど、増えすぎて赤潮になることもあるらしい。
プランクトンばかりでなく、魚の卵なども喰って増殖するそうだ。
海ボタルの波の中に入ってグルグルかき混ぜてみたいものだ。
緑に発光する手からポトポトと水滴が落ちる図を想像して、なんだか無性に「海ボタル」を見たくなった。

音楽の薬効

2006-04-03 13:51:04 | 思考錯誤
今週の天気予報は毎日雨雨雨。憂鬱な雨。
満開の土佐水木一鉢を買った。高野水木なのかもしれない。いづれにせよ近種である。薄暗い空の下でぼんやりと柔らかな光の鎖が滲むように輝いている。
灰色に黄色はよく似合う。。。とは思うが灰色の空がいつまでも続くとつい愚痴っぽく訴えてしまうのが我ながら無念だ。
愚痴を言えば灰色の空がそれを吸収して更に分厚く頭上に押し寄せることになるので、ここは一つ無視する算段を取るのが良い。

悪天候の春だとは言え、日が延び始めたのは嬉しい。思わず時計も見ずに外灯りに頼って作業していて、気がつくと夕飯時になっている事も多い。
また雨の晴れ間に鳥のさえずりが聞こえるが、歌い方は明らかに数週間前のそれではなく春の賛歌に変わっている。

少し前のニュースだがフンボルト大学のある独米研究チームが鳥の囀りに関しての研究成果発表をした。
鳥の声帯の研究であるが、歌っている時にレントゲン撮影をした所見ところ、彼等の声帯の使い方は人間と実に似通っているのだそうだ。
なるほど、まねで鳴き声を学んで変えたり、達者なカラスやオウムは更に複雑に使い分けるわけだ。
しかしその辺でいつも歌っているウロウタツグミのように私に歌えないのは残念だ。
私の声は昔から美声とは程遠い所でしか響かないうえ、この頃では又更に遠ざかる一方なのである。

美声といえば先ほどまでElizabethan songを聴いていた。
Elizabethan songでは「FAIRE,SWEET&CRUELL」と言うCDが気に入っており、繰り返し聞いたものだが、今は手元に無い。Christine Hoegmanのとても素直な美しい声は聴いていると頭の中に"声”が柔軟な帯の様になって、様々な色を発光しながら飛び回るという感じだった。 
私はこの手の音楽を聴くと気分が安定するので、薬だとおもっている。
私にもこんな歌が歌えたらいいのにと、時々思うがじっと聴いている方が近所迷惑をかけずに平和である。
だからと言うわけではないが今アマゾンの買い物籠に薬を一つ注文した。(もう一つの薬はE.S.T.のViaticum Platinum Limited Edit)

実際音楽又は音には薬効があるのだと思っている。その時その人に合った音楽を聞く事で体に、精神に起こっている不調をの波を中和しするのだ。
今日はElizabethan songを聴いて少し心のざらざらのお手入れをしておいた所に、今Haydonのオペラ"The Creation”(N.Harnoncourt指揮)を聴いている。
これは丁度ビタミンCの役割だ。
これを聴き始めた時に偶然にも雨雲がちょっと脇に退いて太陽が顔を出した為もあるかもしれないが元気が出てきたように思う。副作用無しの即効性良薬であり、良薬にもかかわらず苦くも無い。
私は様々な音楽を聴いて楽しめるほうだが、今日の場合はどうやら古楽期の音楽が栄養になるらしい。これはその日その日によって違うのが面白いと思っている。
心は多面的にカットされており、ゆっくりまわりながらその時の角度の具合で反射の仕方が変化するかのようだ。

本日の調合
Elizabethan song
Haydon:The Creation
La Nef:Parceval