散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

ミクロコスモス

2005-07-19 19:23:41 | ミクロ界
ミジンコという名前はいかにもミジンコらしい。ミジンコという名の響きが子供にころからなんとなく好きだ。その頃近所の友達と遊んでいて、鬼ごっこに自分達よりも小さな子供が混ざるとその子供を"お豆”と呼んでいて、それは小さな子供を気遣う暗黙の了解だった。私はある"お豆”をある時"ミジンコ”と命名しなおした。今思えばそのほうが似合う、くるくるとよく走リ回る子供だった。
ジャズ界の鬼才坂田明氏もミジンコファンだそうだし、ミジンコファンは世の中に案外存在するらしい。
今私の隣で瞑想している水亀”ジロウ”が500円玉サイズだった頃、毎週熱帯魚屋にいってミジンコがわんさか入った袋を餌として買ってきた。それは大きくて赤みがかった養殖ミジンコでチビ亀はミジンコに向って果敢にアタックをかけパクついていた。
休眠卵で難をしのぐミジンコの生命システムはなかなか興味深い。私にもそんな技が出来たらいいのになあ。
ミジンコファンの一人である友人Aも上手に育てる。彼女が公園の池のミジンコを捕まえに行くというので、その池の水を見たいと言っておいた。早速 "この水はあんまり生物がいないようにみえる”といいながらも池の水を一瓶届けてくれたので顕微鏡で一滴ずつ覗いてみた。いるいる、一見何もいないような水の中にも案外色々な微生物が住んでいる。
緑藻の種類、アメーバ、太陽虫が一種類、藍藻、ミジンコ、珪藻、繊毛虫の種類などが見えた。べつに珍しいものではないけれど見るたびに面白さは新鮮だ。
米粒形の小さい奴等がすごい勢いで回転しながらひゅーっと通り過ぎる。スクランブル交差点を上空から眺めているかのようだ。透明アミ袋のような奴はじんわりといったふうに歩いていって何か食べているらしい。たぶんその周りに繊毛を生やしている透き通った”まん丸”は、ピュッピュッと方向を変えながら、あっと言う間に視界から消えてしまう。その動きはSF映画に出てくるUFOみたいだ。あれ、さっきのアミ袋はなんだか珪藻の脇で休憩しているのか動かなくなった。珪藻は薄茶色のガラスブロックのように光っている。緑藻の緑の粒粒はなんだか美味しそうだ。抹茶味の飴にも見える。
緑藻の種類。他にも丸い緑や黄色の粒が固まっているもの見えたが、もっと倍率の良い顕微鏡でなければ上手く写真は撮れない。
ミジンコの子供。一見水しか入っていない壜の中をしばらく眺めていると、埃のようなものがチラチラ泳いでいたので拡大して見たらなんとミジンコの子供だった。撮影後すぐさま水の中に戻したら、ちゃんと元気に泳いでいる。一口にミジンコといっても色々な種類がいるようだ。このミジンコはいかにも代表的な姿をしている。
アオコの原因である藍藻の種類。これは増殖するのが滅法早い。あっという間に水の表面を点てたばかりの抹茶のようにしてしまうのだ。壜の中でもすばやく天幕を張ろうとしている。

肩が凝ったのでソファーに座ってお茶を飲みながら、自分がこの壜の中で泳ぐミジンコ級のサイズに縮んだらどんな世界を散歩できるのかと想像力を働かせてていたら、ふうっと眠ってしまった。

結晶 対 ユーゲントシュティール

2005-05-10 15:54:30 | ミクロ界
夕飯時に電話がなった。 
日頃その時間に電話がなる事が少ないのでちょっとためらったのだが、思い返して受話器をとった。

”是非見せたいものがあるんだけど、今時間あるかな? あれば今からそちらにいくから。。。”
と受話器の声が言った。

30分後現れたのは、隣町に住む知人で、古書や古いドキュメントなどの売り買いをしている。
彼が見せたくて持ってきたものとは、偏光顕微鏡で見た科学物質の結晶を撮った古い写真だった。



残念ながら個々の物質名が記録されていないが、一枚として同じ結晶が見られない。
まるで深海に浮遊する生物、ゴッホのひまわり、野に咲く芥子が風にゆれている図、これは誰の絵だったかな?と思わせる画面、フラクタル模様。。。。
私達が必死に考えて、編み出したと思う形態は既にそこに存在しているのだなあ。。。

結晶化した科学物質のイメージ 対 ユーゲントシュティールの意匠。 どちらが勝つか?

宝物のようにして抱えてきたその束を”欲しければあげる”というので、それはあんまりだからと
私の作品と交換することになった。

"さて、そろそろ家も静かになったかな? 今女房がね、家で学校関係の集まりをしていてね、僕は邪魔だったんだよ。それで彼女が 「犬の散歩をしてきて頂戴」 というんだ。”

彼らの家に犬はいない。

そして"ミクロの花園”と引き換えに”Particlezoo” という作品を選んでから、ちゃんと見えない犬を連れて帰っていった。


200枚くらいもあるかな?

引き続きミクロの世界。

2005-05-02 02:20:16 | ミクロ界
(ベンケイソウ。これも絵のネタになりそうだな?きれいな緑)


明るい。
散歩日和、
自転車日和。

ドイツで日曜日に営業できる店といえば花屋、パン屋、ガソリンスタンドや飲食店くらいなので、
日本の年中無休になれている人は、面食らうようだ。
しかし、じわじわと状況は変わりつつあるらしい。
例えば今日郊外にある大きな園芸センターに出かけた。
友人の誕生日と引っ越し祝いに送る木を物色するためだ。
今頃の日曜日の昼の園芸センターでは、ミツバチのように花から花に飛び回り、物色し、山ほどの植物を抱えて意気揚々と車に積む込む老若男女であふれる。
今日は閉店時間になってもやけに賑やかなので見渡せば、なんと開店時間が4時間も延長されていた。
植物と関係無い店も何気なく店の前で屋台を広げていたり、ドイツも変わってきたものだ。

。。。というわけで、今日は天気が良いので、又顕微鏡を覗く事にした。
もちろん天気が悪い時にも覗くので、天気が理由になるわけではないが、
まあこういう天気の場合、外に覗いて楽しそうなものが増えるし、
花粉も乾いていてサンプルとりやすいというわけだしね。
。。。白状してしまうと、昨日の疲れが残っているので、今日はあまり行動的な気分にならない。

昨日は我が家に知人たちを呼んで”和食”をご馳走する約束があった。
そこで朝早くに刺身用の魚を仕入れに行き、朝から煮物、和え物など思いつくものを作りまくった。
この地に暮らしていると当然のことながら、そういう料理を作るための素材を
入手するのが面倒だし、無いものも多い。工夫が必要だ。
しかし何とか奮闘して作り上げ、美しく飾り上げ、アッと言う間に腹の中に納め上げた。
美味しい白ワインも順調で知らぬ間に数本並んだ。

ところで、客人の一人はドキュメンタリー映画を作っている。
”Arte”というTV局の仕事で、近いうちにノルウェーに仕事があるそうだ。
ノルウェーで何が取り上げられるのかと思って聞いてみると、第2次世界大戦中、
多くのドイツ兵がノルウェーに駐屯していた時期、かなりの人数の女性たちが半分ドイツ人の血を引く子供を産んだという。
彼女たちもその子供たちも阻害されて生き続けた。今でもその”汚名”を抱えて生きている人たちを、彼女は取材に行くということだった。
どんなフィルムに出来上がるのだろう?出来上がったら是非見ようと思っている。

とにかく皆満足だった様で、奮闘のしがいはあったけれど、今日はおかげで情けないが力が出ない。

だから、顕微鏡を覗いている。

タンポポの綿毛の部分。これをネタに絵はどうか?

上はタンポポの綿毛にぶる下がった種の部分。ブロスフェルドの写真に迫るか?

ピンクパンダというあだ名が付けられた、ピンク色の観賞用イチゴの花粉。食べられるけれど実りは少ない。

オオアラセイトウの花粉。結局皆似たりよったりの形。日本米の様だ。

蜘蛛の糸の拡大。カプセル様なものが見えるけれど、いったいこれはなんだろうか?

そしてこれは、蜘蛛の巣にかかっていた、つぶれたアブラムシ!


最近目が悪くなったので、スライドガラスの上に何が乗ったのかあまり良く見ないで顕微鏡を覗くと、”ワッ”と驚く事も多い。
でも本当はその”ワッ"というところも好きかもしれない。
いい加減なプレパラートでも十分面白くて、美しいものを見ることが出来る。
そこから、広がって行って何かが生まれるかもしれない。
新しい興味も膨らむきっかけになるかもしれない。
そんなもの覗いて何の役に立つか?という様なものだけれど、面白い事はどんどんやった方が良い。
この頃日本では理科離れの子供が多いという記事をつい最近読んだ。
こういうたわいも無い遊びから興味が生まれないものかな?
それともそういう問題ではないのだろうか?

そうやって私の一日も、もう大半終った。


アクアリウムの中の水にすんでいる,貝ミジンコを発見。これも絵の中に入るかもしれない。 
 

ミクロの世界へ。

2005-04-27 19:53:50 | ミクロ界
チューリップの花粉。

絵を描いていて出てきた形を、よく自然の中にも見つけることがある。
気づくと、花粉や水中の微生物のような物など、たびたび出てきてしまう。
しかし、どういうわけだかミクロの世界に偏っている。

観察した事があるから、出てきたのかどうか?


姫りんごの花粉
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最近私はもう一つのブログの管理を始めた。
前にも書いたことだが、ドイツ語環境のPCでは日本語でホームページを書くことが出来ない。
そこで代わりにブログを使うつもりで始めたのに、書き出したら違う方向に走りだしているのに気がついた。
引き返すのも疲れる気がして、新たに作る事にしたわけだが、そちらは作品の写真とメモだけなので、それほど手間がかからない。
ホームページと違って楽ではあるけれど、レイアウトできないもどかしさがある。
日本語環境のコンピューターを手に入れるのが一番良いのはわかっているが、
すぐにどうすることも出来ない。
既に2台のコンピューターが目の前に座っている。プリンターも3台並んでいて、手狭にもなった。
これらの機械に頼りたくはないと抵抗しつつも、次第に日常に癒着し始めているのを感じている。
機械がつぶれたら途方に暮れてしまう所まで来てしまった。本当に冷や汗が出る。
あまり深く考えたくない事の一つである。

そしてインターネットのなかを池の無防備なミジンコのように動き回る。
ビールスやスパイウェアなどを振り払いつつ、果敢に泳いでゆく。

膨大な情報、その情報過剰の渦の中で自分に必要な物だけ取り出し吸収する事。
透明化してゆく個人情報を保護する壁に対する不安をどうするか?
ともすると、現実を忘れがちになってしまうヴァーチャルな世界。
外の空気をすいながら、平行して手繰ってゆくバランスを持つ事も必要だ。
しかし反面、思いがけないコンタクトの可能性、すばらしい情報網を紡ぐことが出来るのだということも実感している。
日常化したこの新世界を常にいろいろな角度から自分自身のセンサーで確認を続けながら、
大海を泳ぐミジンコになるしかないのかもしれない。