つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

蜃気楼

2019年11月29日 12時31分17秒 | Review

内田康夫/文春文庫

 2005年6月1日初版、シリーズNo.73。今回の「旅と歴史」は富山県を中心にしたもの。魚津市の蜃気楼、天の橋立、戦友歌碑、埋没林博物館や鬼の博物館が話の中で背景となって使用されている。主要な舞台は富山なのだが、東京にも縁があり、豊島区駒込、文京区本駒込、港区赤坂、品川区大崎、レインボー・ブリッジなどの背景を使う。豊島区、文京区、台東区、荒川区は先日読んだ「上野谷中殺人事件」でも背景に使用された「染井川」である。
 そして、ファッション界の後継者問題、伝統的な富山の売薬さん、薬学会で出世欲をつのらせる権化が絡み合う悲哀の籠った話だった。

 話の結末は「すべては蜃気楼だった」の一言に尽きる。「砂上の楼閣」と同様に、見えているものが実態の伴わない幻視、幻覚であることの例えによく使用されるように、犯罪によって打ち立てられた一見華やかなサクセスストーリーが、哀れに崩れ去るのを目前にするのは、やりきれないものがある。登場人物の和泉冴子(=多田真由美)の半生は、特に哀れという外はない。光彦同様、犯罪を憎みながらも目を背けたくなるものである。

 このような話を読むにつけて思うことは、やはり「選択」ということである。いろいろな解決方法があるにも関わらず、何故その選択をしてしまうのか、ということ。疑心暗鬼になるあまり周りが見えなくなってしまったり、何気なく軽率な「一言」を漏らしてしまったり、人が陥る「誤り」は確かにそこら中に存在するのだが、そこには後戻りできないという難しさがある。根底には、「人が多様性を受け入れることの困難さ」を表しているような気がする。
 何も小説だけのことではない。昨今、北から南まで自分の子を見境なく殺し、親を殺し、他人にも容赦がない殺人事件が横行している。さしたる理由らしき理由もなく、選択した行為の結果は重大であることの認識も無いことを考えれば、小説にはまだ立派な「動機」がある。


ループ

2019年11月27日 18時21分17秒 | Review

鈴木光司/角川ホラー文庫

 2000年9月10日初版。著者はホラー作品の名手ということで、角川ホラー文庫なのだから、どんな恐ろしいホラーかと身構えながら読んだのだが、その点ではちょっと予想外の作品だった。これはホラーというよりもSFである。より科学的でスタイリッシュなフランケンシュタインかと思えるような話。現代ではスーパーコンピュータやAIによってビッグデータの解析やDNAの解析も難しくなくなった。更にDNA編集技術も進んでいることだろう。実際にとても似たような話がある。2015年、中国の医療関係者が人間の受精卵を使ってゲノム編集を応用したと発表したことがある。

 ニュートリノの存在の可能性は早くから理論的に知られていたが、近年遂にその存在が証明された。空間は勿論の事、あらゆる物質、地球の核さえも抵抗なく通過してしまうというシロモノ。色々なものが光の速度による単位で考えられてきた現実に、光の粒子やエネルギー以上の根源的なモノとして現代に登場してきたのは確かである。作品に登場するNSCS(ニュートリノ・スキャナー・キャプチャー・システム)はともかくとして、かのX線やγ線と同じように、いずれ人はそれを応用するに違いない。

 人工生命を仮想空間でより完全にシミュレーションすることで、結果的に人間が持つ探求心(何処から来て、何処へ行くのか)も生成されて、現実にその遺伝子を使って人間を誕生させてしまう。やがて子供は成長し、自分の出自を知ることになるが、ヒトガンVirusに感染した父や母、恋人のためにガン発生の根源となったリングVirus対策、ワクチン開発に使命を求め、再びNSCSによって仮想空間へ戻って行く主人公。まさにそれは「リング」であった。

 ニュートリノの発見(証明)とDNA解析のコラボ、マトリョーシカのように1つ解決すると又次の疑問が現れる、仮想と現実の世界。この作品を読んで思い浮かべるのは、昔から伝えられている「輪廻転生」という概念である。人が未来を創造するうえでの「リング」そのものなのかも知れない。


上野谷中殺人事件

2019年11月25日 22時57分36秒 | Review

内田康夫/角川文庫

 1991年2月10日初版。シリーズNo.46。浅見の事件の結末は「武士の情け」が定番だが、今回は犯人の旧知の仲間たちが引導を渡した。勿論、そこに至るには浅見の鋭い真相追求がある。シリーズのミステリーとしては並みの出来かと思う。大作と比較すれば小品ということになるのかもしれない。町の個人商店主たちの苦悩、商店街の衰退など、現代の社会問題を背景に取り込んだ、なかなかリアルなミステリーであった。

 東京の下町、谷中界隈が今回の「旅と歴史」の背景。訪れたことは無いが、空襲も免れて江戸時代の名残を街のあちこちに留めるところらしい。家屋は新しくなっているだろうが、狭い道路と道筋は意外と昔の姿のままであることが多い。通り名や地名がそれを示している。時代小説の「谷中」は、中央から結構離れており、悪党どもが隠れ住む場所のイメージがある。畑ばかりが続く田舎という訳ではないが門前町の賑わいとは縁遠い、不穏な雰囲気が漂っている陰鬱なイメージである。谷中霊園があるためか、小説が作り上げた勝手なイメージなのかもしれない。

「谷根千散歩コース」なるものも行ってみたいと思うのだが、なかなか機会が訪れない。道筋に時代の痕跡を見つけることが出来るだろうか。どんな形の痕跡が現れるのか興味深い。いろいろな楽しみ方があると思う。それが歴史を背負った街の顔というものだろう。


エネルギー(下)

2019年11月21日 13時06分36秒 | Review

黒木 亮/講談社文庫

 2010年9月15日初版。ここまで来て、この作品は「サハリン、イラン」の石油開発、利権とオイル・マネー市場の資金の流れの3本の話しで出来上がっている。登場人物は石油開発に懸ける商社マンと支援する政府の人間、そしてオイル・マネーに翻弄される人間である。勿論、その周辺には開発援助(投資)の銀行や、当事国政府の政治的な思惑も絡む2007年までの壮大な物語になっている。

 資源のない国、日本の立ち位置を理解するうえでエネルギーの持つ重要性がドキュメンタリー風の作品になっている。勿論そこにはエネルギー開拓に命懸けで取り組む商社マンたちの長い戦いがある。プロジェクトは簡単ではない。開発地域とその国の状況、政治体制の問題、莫大な開発資金調達の問題、そして環境保護の問題がある。更にエネルギー市場の取引、資金の流れがあり、他人のふんどしで相撲を取る連中もいる。日々何気なく使用している電気、ガス、石油、ガソリンが、或いはありとあらゆる各種プラスチック製品がこの混沌の中から生まれてくることに、その危うさに恐怖さえ感じてしまう。あるはあらゆる思惑が絡み合った過激な争奪戦の結果ということを考えないわけにはいかない。

 話しの流れの中で金沢兄妹が登場する。この3兄妹が登場することでなんとなく小説のような雰囲気がある。この兄妹の登場が無ければ、「これは小説なのか?」と思ってしまうくらいリアルでドキュメンタリー風である。参考文献も並みではない。上、中、下、長い長い旅であった。


シャドウ・ドクター

2019年11月17日 10時38分23秒 | Review

―警視庁公安J―
鈴峯紅也/徳間文庫

 2018年11月15日初版。著者の作品は初めてお目に掛かる。警察モノではあるが、ちょっと風変わりな傭兵のような「公安」。組織の中でもかなり無視されているが、カネと力によって存在を維持しているようなところがある。カネもあって能力もあって、小さいながらも組織もあって、何等不足、不満の無いヒーローが主役では、たとえどんな活躍をしたとしても面白くないのではないか。
人間、我儘なもので強いものに同調し、弱いものをいじめると同時に、強いものに逆らい、弱いものに味方する。

 しかし、話の構成はなかなか面白かった。カンボジア近代小史のような話と、その中に組み込まれた小児臓器移植売買というシンジケート、クメールルージュの中で、人間不信と憎しみの権化となった兄弟とその妻が、娘の臓器を取り戻しにやって来るという設定は、さもありそうな話である。医療技術の進歩で臓器移植が可能になったことは、患者にとって確かに希望ではある。しかし、一方人間の臓器を売り物にするということに対しては、どうにも違和感がある。

 この作品の「牧場」もそうだが、「わたしを離さないで/カズオ・イシグロ」も類似のテーマだった。人間はあくまでも、自己中心的であり、自らの命の消滅を前にしては、何物の説得も意味をなさないものらしい。「人が自分のパーツ(臓器)交換のために、そのための人を作る」という生命倫理に反したような、矛盾したようなことが、いずれ起きることの暗示でもあるのかもしれない。

 しかし、移植先の多くがヤクザというのはどうしたものか。この辺に著者の生命に対する「畏れ」が少なからず現れているのかもしれない。



はちまん

2019年11月15日 17時04分45秒 | Review

内田康夫/文春文庫

 上、2009年5月10日初版、下、2009年6月20日初版、シリーズNo.80。例によって東京を中心にして石川、高知、秋田、兵庫、熊本と縦横無尽に駆け回ることになった浅見。横軸のスケールの大きさもあるが、縦の時間軸も面白い。更に今回は日本人にとっては極めてセンシティヴな「愛国心」、そして極めて日本的「神道」を話の根幹に持ってきて、その起源から現在に至るまでの変遷をたどりながら「殺人事件」の真相を追求する「旅」である。
 浅見ではないが、初詣に鶴岡八幡宮へ行ってもそこに祀られている祭神が何かさえ気に掛けないものだから、「八幡神社」の何たるかも知る由もない。その意味で今回は大いに勉強になったことは確かである。

「愛国心」も、その素朴な「原器」とでも言うべき郷土愛から守護神「八幡」、そしてその政治利用と極めて納得のいく流れであった。総本山の「宇佐八幡」の前で「聖約」した8人の特攻隊員が半世紀の後に見た現実、そして「聖約」の責務、次世代に託す思い、といったものが縷々語られる。大方の作品にみられる「武士の情け」は、今回ばかりは無かった。古来、日本の八百万の神々は怒りっぽくて結構短気で、しかも気紛れで容赦がない。巫女が見た結末はまさに「天誅」であった。
ミステリーではあるものの、重い課題に挑戦した読み応え十分な一冊であったと思う。





透明な遺書

2019年11月13日 12時05分24秒 | Review

内田康夫/祥伝社文庫

 2007年6月20日初版、2012年4月11日第4刷。シリーズNo.58。今回は「旅と歴史」というよりも「政治家とカネ」の話である。著者の作品の中ではかなり社会派的な味付けである。但し、頑迷な研究家や歴史家としてではなく、あくまでも自由市民としての見解である。そして、営々と続く日本の政治の中で相変わらずの体質に苦言を呈することになる。政治家の不正やその幕引き、みそぎについては今までも事あるごとに苦々しく思っていたであろうことは、多くの作品の中にしばしば見られることだが、今回はその集大成のような作品だった。

 浅見光彦は今までどちらかと言うと警察のよき理解者で、文句を言いながらも協力的な設定だったように思うが、今回は「警察権力」とは言えこれも人が作る組織、基本的には体制擁護の組織であり、強味も弱味もあることを前面に出し、陽一郎との駆け引きはなかなか緊張感あふれるものだった。「正義」というものが、いかにあるべきか考えさせられる作品でもあったように思う。

 西村裕一が松永会長と知り合って、「政治家とカネ」の関係の極秘資料を預かることになったが、それをいかに利用するかがとても難しい。さすがに命懸けの作業になった。光彦もタジタジである。
 清野林太郎も西村裕一も松永会長も、そして浅見光彦も兄陽一郎も皆「国を憂える」人々である。そして著者も。

 世界の列強侵略の歴史の中で「最後にババを掴んだのが日本」という評も頷ける。それは多くの国民が承知していることだとも思う。決して声高に誇れるというものでもないが。今、日本と韓国の関係が最悪と言われている。確かに色々な問題があるのだが、文化的な相違からか思想的な相違からか、とにかく互いに意見が咬み合わない。全く話が通じない。著者だったらこの状態をどんな風に解釈するだろうか、是非聞いてみたかった。



ホームズの娘

2019年11月10日 12時12分17秒 | Review

横関 大/講談社文庫

 2019年9月13日初版。著者の作品は初めてお目に掛かる。ホームズの娘というのは探偵一家の一人娘、北条美雲(主人公)のことである。交換殺人などの殺人事件は出て来るものの、言ってみればHappy Endだ。「探偵モノ」+「怪盗モノ」+「警察モノ」の良いとこ取り、軽快でテンポよく読める。しかし、先を急ぎ過ぎたのか、刑事部長の磯川のその後と肝心の三雲 玲のその後がスッポリ抜けているのが残念。

 話しの展開としては、サスペンス或いはミステリーというより劇画風の流れで、あまり個人の心情に立ち入らないスタンスがある。扱っている内容が殺人など深刻な内容であるにも関わらず、かなり軽めに統一された読み物だった。
 社会的な現象として、現実に「自殺(幇助)サイト」や「殺人(請負)サイト」などの闇サイトの存在があり、詐欺組織も暗躍していることを考えれば、フィクションばかりとも言えない。現実を茶化したようなこの軽さと爽快さは「今風」ということなのだろうか。よく判らない。

 


エネルギー(中)

2019年11月08日 15時31分59秒 | Review

 黒木 亮/講談社文庫

 2010年9月15日初版。「エネルギー(上)」を読んだのは丁度6年前の今頃だった。もう6年も経ってしまったかと思うが、あのエネルギー資源に対する情熱と壮大なスケールは忘れていない。今回機会があって再び続きを読むことになった。

 サハリンの石油、ガス開発、中東の石油開発という巨大プロジェクトを巡って、それに関わる各種銀行、商社、既存のメジャーのしのぎあいが同時に繰り広げられる。更にここに開発に否定的な環境保護団体が加わってあらゆる方面に圧力をかける。エネルギー(石油、ガス)は世界経済の動力源(熱源)、同時に金融、インフラ、物流、あらゆる投機的欲望を掻き立てる。

 常日頃、自分が何気なく使用しているガソリンや石油、或いはガスといったものがどのようにして入手されたものなのか、今更ながら驚く。これらの活動に派生して先物やFX、株の取引が加わって資金の流れが生じてくる。どの切り口から見ても単純にその全貌を知ることは難しい。
 巨大プロジェクトに燃える人々の熱気と同時に、人間の活動というのは一体何なんだろうか、と。不労所得や手数料稼ぎに奔走する人々を考えると何だか虚しくさえ思えてくる。

 CAOの失敗は会計基準を無視して市場動向を恣意的に見た結果であり、リスク評価の誤りである。類似の事件は日本の「東芝の不正会計」にも見られる。積み重ねられた個々を見ずに、つい全体のみを見てしまう。人はその巨大さゆえに慎重さをついつい忘れてしまうらしい。

 イラン石油開発、サハリン石油・ガス開発の成否もさることながら、この先、秋山修二(TERM)は、金沢明彦(五井商事)は、亀岡吾郎(トーニチ)は、十文字(常務)は、そして金沢とし子(EWJ)はどうなるのか。思いきり広げた話しの間口は、いったいどんなふうに収束させるのか、最終章「下」巻に期待する。



靖国への帰還

2019年11月05日 21時19分54秒 | Review

内田康夫/幻冬舎文庫

 2015年10月10日初版。浅見光彦シリーズ以外の作品を読むのは珍しいことだが、お題に魅かれて読んでみることにした。構成としてはちょっと安直で、大戦末期、主人公の武者 滋は「月光」でB29を攻撃中、流れ弾に当たり、厚木へ引き返す途中、暗雲の中に引き込まれ気を失い、1945年(S20)から2007年(H19)へ、62年先へタイムスリップ、というもの。

 しかし、お題の通り、この作品は「靖国神社問題」である。御存じの通り靖国神社は戦前の国策神社であり、神道の神社なのだが、伊勢神宮や出雲大社とは異なる独特の形態を持つ。それは最初からあったのではなく、そういうものを「作ってしまった」とも言える。宗教的側面もあり、政治的側面もある。他のどのような意味付けをしようとも、それを免れることは出来ない。この矛盾と欺瞞を抱え込んで生きているのが日本人の姿である。

 八百万の神々がおわす日出邦にあって、「死んだ者にとって、この世の利害関係は全く無縁である」はずだが、それをこの世界が認めるのはとても難しい事なのかもしれない。その他にも戦争犯罪についての考察や戦争そのものの原因や背景、更には目的といったものの多角的考察が、登場人物の口から次々と語られる。中庸でどちらにも肩入れせずにうまくバランスを取ってとても面白かったし、人間界の矛盾と欺瞞がさらけ出された一冊であった。課題の「靖国神社問題の一端」は、著者の狙い通りに充分その効果を発揮できたのではないだろうか。