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つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

11文字の殺人

2014年09月29日 10時37分19秒 | Review

 東野圭吾/光文社文庫

 2006年2月5日第38刷。最初に主人公「わたし」は推理小説作家、そして相棒的な担当編集者の萩尾冬子が登場する。それぞれ「わたし」の恋人は川津雅之、冬子の恋人は?(これがポイント)

 川津雅之が何者かに狙われ、殺されるところから物語が始まる。恋人を殺された主人公は担当編集者の冬子の協力を得ながら探索をはじめる訳だが、ヤマモリスポーツプラザとクルージング・ツアーが舞台になる。クルージング・ツアーの参加者11人が話しの要になる。最終的に話は、推理小説特有の二転三転を繰り返しながら、これでもかこれでもかと裏の裏に回り込む。「そんな馬鹿な」と思うくらいに。

 ちょっと気になるのは、最初の方でカメラマンの新里美由紀、役者の坂上豊が殺された当たりで、何故か「あぁ、冬子だな」と察しが付いたことだ。あとは何処でその種明かしをしてくれるのかを待つだけになってしまう。その辺がとても残念だった。しかしこの手の推理はたまたま当たっただけで、思いも拠らない「話の展開」は、そこかしこに仕組んである。ただ、好き嫌いで言えば「いかにも推理小説」はどうも性に合わない。もっとリアルで「これ推理小説?」というくらいのものが私には向いているようだ。

 たまたま、先に読んだ宮部みゆきさんが(べた褒め)解説を担当している。推理小説には推理小説のこだわりというものがあるようで、「サスペンスファン」が狂喜するツボでもあるらしい。その点、私は根っからの「サスペンスファン」ではない。
最後にお題の「11文字」というのは「無人島より殺意をこめて」の11文字。

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本所深川ふしぎ草紙

2014年09月28日 17時46分17秒 | Review

 宮部みゆき/新潮文庫

 2007年9月20日第46刷。「ふしぎ草紙」とは言うもののホラーと言うほどのこともない。井戸端で花が咲く程度の噂話に尾ひれが付いたようなもの。宮部さんはもっと怖い話も書けるだろうが、この「本所深川ふしぎ草紙」に本格ホラーを期待してはいけない。「あやし」や「おそろし」とはまた別物かと思う。それにしても46刷とはなかなかのものだ。本所深川七不思議なので以下七編が収録されている。

・片葉の芦    江戸一番の寿司屋、近江屋籐兵衛のこと
         娘のお美津と彦次の約束
・送り提灯    煙草問屋・大野屋の娘の恋
         奉公人の清助とおりん
・置いてけ堀   亭主の庄太を失って、息子角太郎と二人暮らしのおしず
         置いてけ堀の岸涯小僧の正体、川越屋の吉兵衛とお光
・落葉なしの椎  小原屋の奉公人お袖、遠島帰りの勢吉
         親と子の関係
・馬鹿囃子    湯屋の娘お吉、鳶の宗吉とおとし
         顔切り魔
・屋敷   大野屋長兵衛の娘おみよ、後妻のお静
         二人の前に現れた座敷童子、お静の秘密
・消えずの行灯  市毛屋(足袋屋)の喜兵衛、お松、娘のお鈴
         小平次がおゆうに薦める女中奉公とは

「本所深川ふしぎ草紙」全編に共通するのが、本所回向院の親分茂七・お里である。
茂七の弟の娘・おとしも登場する。下っ引きの、文次、秀さんにも出番がある。一見単独であるかのような短編も、この共通項でいかにも連続しているような気になるから不思議な関係だ。かと言って捕物中心という訳でもないが、話の種明かしと幕引きはこの茂七親分が大方担当している。まあ、舞台は同じ本所深川なのだから少しもおかしくはないのだが。

 著者は1960年生まれの54歳、1987年(27歳)でデビューしている。「本所深川ふしぎ草紙」は平成7(1995)年が文庫の初版だから35歳の時である。作品自体の発表はさらに遡って平成3(1991)年、31歳の時となるようだ。デビューして3年、この若さにしてこの作品か、、、恐れ入る。



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レイクサイド

2014年09月24日 23時03分13秒 | Review

 東野圭吾/文春文庫

 2006年8月5日の第七刷。久々の東野作品。相変わらず「ドワイ、カサス」の原作風ですが、それはそれとして、先ずは読んでみた。

 中学受験の親と子、講師と有名校の職員との関係を介して精神的、肉体的、金銭的賄賂による裏口が暗黙のうちに出来る。そんな秘密を共有する親達の「結束」、それを知って脅迫する者、また親達の意思を反映したような子供達の稚拙で残虐な行動がある。そんな中で一人違和感を禁じえない並木俊介(主人公)の目を通して描かれる。ある意味、冷徹な傍観者でもあったはずの俊介は、最後に、その責任の実態に飲み込まれるようにして妻美菜子のところに戻ってくる姿は、(それこそヒッチコックのサイコ並みにとは大袈裟か)そら恐ろしい。この辺が東野サスペンスの真骨頂なのだろうか。

 もう一つ、新しい試みなのかもしれないが、この物語は主人公(?)俊介含めて、登場する人間の内面描写が全く無い。それでいて読者の想像力に訴える訳だから難しい。では想像力乏しい人はどうなるか。多分、あまり面白くないのではないだろうか。「赤い指」、短編集「あの頃の誰か」、「私が彼を殺した」、「疾風ロンド」と読んできたが、今更ながら「赤い指」が最も印象的な作品だったように思うのは気のせいかな。



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刃風閃く

2014年09月22日 23時05分09秒 | Review

-返り忠兵衛 江戸見聞14-
 芝村凉也/双葉文庫

 2014年7月12日の初版。遂に天名の鬼六との対決が相成った。しかも思わぬ形で、、。神原采女正は本当に悪党なのか、その本心やいかに。定海藩は相変わらず沈んだまま。ドサクサに紛れてほくそえむ老中松平周防守。不気味なのは前藩主樺島直篤。思いっきり話を広げてしまったが、これをどんな風に収拾するのか、これからの注目するところ。

 思うに、忠兵衛は紗智を妻とし、現藩主樺島直高に請われ定海藩に戻り要職に就く。神原采女正も志を新たにして定海藩の要職に返り咲き、財政建て直しに尽力する。浅井蔵人は剣術指南役他の要職に就いて忠兵衛を助けるのかと思えば、気儘な生活が忘れられず、仕官の要請は全て断ってしまう。浅井は忠兵衛が残したよろず仲裁の仕事を継ぐ。ということでHappy Endを目指すのではないだろうか。しかし、それではあまりにも平凡すぎるか。

 忠兵衛と浅井の対決、或いは神原采女正との対決はどんな形で実現するのか、或いはしないのか。実現すれば只では済まない。そこをどうやって生かし続けるのか。どんな奇策が待ち受けているのか楽しみです。なかなか話が進まない韓国映画のようですが、早いもので最初の「春嵐立つ/2011年」に出合ってからもう3年になります。「返り忠兵衛 江戸見聞」も14冊ともなれば、何とも壮大なドラマになったものですね。


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世話焼き長屋

2014年09月21日 11時32分20秒 | Review

―人情時代小説傑作選―
 縄田一男選/新潮文庫

 2008年9月20日第七刷。「世話焼き長屋」ということなので長屋を背景にしたものかと思ったらそうでもない。確かに「人情時代小説」には違いないが。以下、5作品の短編が収録されている。

1.お千代/池波正太郎
2.浮かれ節/宇江佐真理
3.小田原鰹/乙川優三郎
4.証/北原亜以子
5.骨折り和助/村上元三

 其々の作品は、著者の個性が滲み出ているものばかり、縄田さんの作品選択の思いが解かるような気がする。私が少しばかり読んでいるのは池波正太郎、宇江佐真理のお二方だけ。他の方は今回初めてお目に掛かる。しかし、ここに収録された作品を読む機会を得て、(縄田さんの選択が良かったのか)改めて他の方の作品も読んでみたいと思ったことは確かである。

 「お千代」はちょっとホラーで本当に池波さんらしい作品で松五郎の人情が熱い。「浮かれ節」は「神田八つ下がり-河岸の夕映え-」に収められている短編集の内の1つ。既(2013年10月3日)に読んだ作品だが改めて読み直し、市井時代小説宇江佐ワールドを味わった。乙川優三郎さんの作品は初めて読むが、「小田原鰹」は長屋モノの屋台骨のような作品だった。傑作中の傑作「完璧なまでの人間洞察」と縄田さんは評している。北原亜以子さんも初めて読むが、「証」は、棹差せば流される人情の瀬戸際、人情のせめぎ合い。村上元三さんの「骨折り和助」は生きることに一生懸命の和助の話し。武士ではないが、「男の約束に二言はない」を頑なに守ろうとするなかで、自らも一生懸命でありながら、実は周りの人々にも多々支えられていることを知る。主人公の和助が度々相談する同心の加田三七は、村上元三さんの作品の常連モデルだそうで、「捕物そば屋」「加田三七捕物帳」その他の作品で度々登場するらしい。

 この手の「選」は、「江戸の秘恋/時代小説傑作選/大野由美子編」で既にお目にかかっているが、よくあることのようで、いろいろな作風のテイストを一堂に楽しむという贅沢な試みらしい。選者の縄田さんによれば、「世話焼き長屋」以前に、やはり短編集「親不孝長屋/2007年7月」を出しており、これが好評だったので再度発刊を試みたようだ。

 短編集の読み方
 どんな読み方をしようと余計なお世話と思うかもしれないが、つたない読書経験からすると、どうも短編集の読み方は「一気読み」に限るようだ。1作品を分けずに「一気読み」することで、その作品の粋を知ることができる。著者の思いも伝わってくる。作品の良さも然りだ。何方かが、「小説は短い方が良い」と言っていたがその典型は短編に現れているのかもしれない。ただ、「読んだ」という満足感からすれば、短編集ははなはだ心もとない。小粒でピリリと効くのが短編集の作品の魅力だとすれば、重く胃に残る(腹持ちの良い)のが長編なのかもしれない。

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おそろし

2014年09月18日 18時59分58秒 | Review

―三島屋変調百物語事始―
 宮部みゆき/角川文庫

 2012年4月25日初版。今回の「おそろし」は全編通して三島屋の主人の姪おちかさんが主人公。「曼珠沙華」「凶宅」「邪恋」「魔鏡」「家鳴り」其々が独立した話のようで、実は連なっており最後の「家鳴り」で総括される仕組み。一番「おそろし」かったのはやはり「邪恋」でしょうか。それとも「魔鏡」でしょうか。しかし、一体何処からこんな話のネタを探してくるのやら、大変なモノです。

 著者のこの手の作品は3年ほど前に「あやし」という短編集でお目に掛かっている。「あやし」はホラー短編集で、一話読み切り形式だった。著者は、どうもこの手の話が好きなようで、「怖いもの見たさ」の興味津々、好奇心旺盛なところが文章にあふれているように思う。そんなことを感じながら読むのがまた楽しい。三島屋変調百物語はシリーズで「おそろし」はその最初の作品。その後「あんじゅう」「泣き童子」と続く。

 「おそろし」は、たまたまTV放映中で、それに平行して読んでみた。TVは全編を見ることが出来なかったが、なるほど面白かった。宮部さんの作品のTVドラマ化は珍しくない。文章と違ってなかなか思ったような演出になっていないものもあるかもしれないが、個人的にはやはり、本で読む方が好きだね。また、宮部さんは現代モノも書くマルチな作家だが、これまたやはり時代モノの方がはるかにいいと思うね。そのうち現代モノでも面白い作品が出てくるかもしれないが、一つ傑作を楽しみにしておりますよ。えぇ、何も長編じゃなくてもよぅござんすからねぇ。そいじゃあまたお会いしましょう。



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萩殺人事件

2014年09月17日 22時12分38秒 | Review

 内田康夫/光文社/カッパ・ノベルス

 2014年5月20日の初版。内田康夫と言えば浅見光彦、小説の中の定番主人公とは言え、それくらい切っても切れない関係にある。「砂冥宮」でも「風のなかの櫻香」でも。が、今回はその浅見の大学同窓で独身貴族連盟の松田将明が主人公。肝心の浅見は話が中盤になって(152p)やっと現れる。松田は自分が勤める好燦社の斉藤編集長から薦められて見合いをすることになり、はるばる山口県の宇部市へやってきたのだが・・・。

 話の筋はこれから読む人のために敢えて書かないが、いつもの浅見が出てこないので妙な感じで読んだことは確か。152p以降に出て来ても、それは常に松田から見た浅見であって、ついに最後まで浅見が主人公になることは無かった。

 何故こんな書き方を?と思ったが、それはもう一つの「汚れちまった道」という作品に関係があるらしい。こちらは浅見が主人公で、例によって例のごとく話が展開し、その舞台が同じ山口県宇部市で、「萩殺人事件」と相互に干渉しあう展開という仕掛けなのだとか。それでこれを「ヤマグチ・クロス」というらしい。

 通常、このようなセットモノは同じ出版社から出ているのが普通だが、今回は「萩殺人事件」が光文社で、「汚れちまった道」は競合の祥伝社、しかも同時発刊というからこれまた内田康夫の新しい試みということでもあるらしい。

 ただ、他の読者も言っているように「松田とのやりとりにおける口調がいつもの浅見さんと違ったので何か違和感を覚えた」というのは、私だけではないようだ。慣れというものもあるのかも知れないが、ちょっとイメージが壊れかけたのは確かだね。また「著者が自画自賛している二つの視点からの「鮮やかな収斂を迎えるカタルシス」など何処にも無い。」と手厳しいご意見の方も居るようだ。まあ、長年書いてきた浅見シリーズではあっても、書いたものすべてが傑作という訳にもいかないだろう。

 

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見習い同心如月右京

2014年09月10日 23時08分26秒 | Review

―予言殺人―
 早見 俊/コスミック時代文庫

 何故か出版日付なし。著者の作品はお初にお目に掛かる。時代背景は文政五年(1822年)の江戸は言わずと知れた八丁堀界隈。お題の通り主人公は如月右京で、如月家の次男。長男の右門は家督を継いで南町奉行所の同心を勤めていた。しかし、右京が蘭学修行の後、長崎から帰ってきた途端、兄の右門が捕物の最中に刀傷を受けることとなりそれが元で亡くなってしまった。学者の道を志していた右京だったが、抗う間もなく如月家の家督を継ぐことになってしまったのである。人生は儘ならないものだ。

 学者の夢を諦めきれず、不満を抱きながらも同心の生業を始めた右京だった。出だしは大体こんな感じで始まるが、ここから難儀な事件が次々起きて、その解決に右京が活躍するという按配だ。この辺は時代小説によくあるパターンだ。ちょっとユニークなのは右京が長崎で学問と共に習ったという西洋剣の使い手だということである。常々西洋剣を持ち歩いていて、時折その腕を見せる場面がある。まあ、同心が常日頃から西洋剣を持ち歩くなんてことある訳ないだろう、と言ってしまえばそれまでだが。

 学者になりたかった割には凄腕なのだ。それと右京の事件に対する洞察力は半端ではない。蘭学と言えば医術が有名だが、右京のそれは何だったのだろうか。右京が蘭学の何を学んだのか書かれてないように思うが、まさかプロファイラーではないだろうな。

 主人公の如月右京を中心に上役の筆頭同心佐々木信吾、小者矢吉の娘美祢、難事件解決に三人の活躍がこれからも続きそうだ。
・辻斬り悲恋
・宿命剣
・かなしみ観音   などの続編が既にあるらしい。しかし事件のネタ探しは大変だね。

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まねき通り十二景

2014年09月05日 22時33分38秒 | Review

 山本一力/中公文庫

 2012/12/20の初版。著者の作品はお初にお目に掛かる。著者の作品はたくさんあるが、何故この作品かということでは、特に理由はない。何かしら噂を耳にしたわけでもないので、何の先入観も持っていない。

 時代小説作家は、どうも通りモノというか横丁モノというか、必ず一冊はこの手の作品を書いているようだ。で、今回の作品は本所深川、仙台堀に面した冬木町の商店街「まねき通り」が舞台だ。しっかり通りの配置図まで付けてある。宇江佐さんの作品では「あやめ横丁の人々」が相当するだろうか。話の内容は異なるが、通りに面して店を構える主の諸事情について、話のタネにするという意味では同じ手法である。ただ、事件ものではないので派手な立ち回りや捕物の出番はない。その分小説としては盛り上がりを作るのが難しいだろうと思う。

地図URL http://onjweb.com/netbakumaz/edomap/edomap.html

 町の特徴、そして四季の移り変わり(十二景)をうまく取り込んで話の流れを作っている。ここで話に一本の筋があるとすれば、それは「祭り」だろう。何かに付けて「祭り」に対する冬木町の人々の思いが感じられる。材木商の町冬木町、その豪気と見栄がまた冬木町の人々の誇りでもあるようだ。この辺も、著者が書きたかったところの一つではないだろうか。天保7年(1836年)といえば江戸時代後期、成熟した江戸時代の人々の暮らしが(著者の目を通して)見える一冊である。


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通りゃんせ

2014年09月04日 23時04分03秒 | Review

 宇江佐 真理/角川文庫

 2013/12/25の初版で作品番号49。この作品を読んで著者の文庫は50冊を越える。ボチボチ読んできたが振り返れば50冊。そんなに読んだかと感嘆もする。今回の作品は「虚ろ舟」に続くSFもので、時代小説作家には珍しい作品。とは言え、プロローグ、エピローグを除けばやはり時代小説そのものだ。

 タイムスリップはともかく、前半は裏高尾の小仏峠から迷い込んだ青畑村と、後半江戸は深川八名川町の松平伝八郎の屋敷を背景にして物語は展開する。内容はどう見ても江戸時代そのものだ。村の人間関係やしきたり、組織(仕組み)が押し付けがましい説明でなく、うまく話の中に嵌っている。この辺は当時の村の情景が見えるようだ。別な言い方をすれば、あたかも(著者が)見て来たかのように書いている、ということになるのだが、小説家の真骨頂というべきか。

 後半、江戸は深川八名川町の松平伝八郎の屋敷で出会った芳蔵の話(浅間山の噴火)は、別の作品でも使われている情景である。ほとんど同じような内容になっているが、できれば別の背景にしてもらいたかった。物語は天明6年のことなので、天明3年の浅間山噴火の話は当時の人々の記憶に新しい天変地異だったのは確かだと思うが、小説の読み手としては気になるところだ。

 最後の「青畑早苗」との出会いは、ちょっと出来すぎ。もう少し自然な出会いにしたかったね。今回はHappy Endというよりも、その予感!といったところで終わっているのがいい。




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