つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

愛しの座敷わらし

2018年06月30日 09時53分33秒 | Review

荻原 浩/朝日新聞出版
 (上)2011年5月30日初版、2012年2月20日第五刷。
 (下)2011年5月30日初版、2012年3月20日第六刷。この作品は映画化されているようで、あとがき「解説」は晃一役の水谷 豊さんが担当している。智也の単純で判りやすい行動、座敷わらしとの交流、淡い恋心はファンタジックでカラフルでなかなかよくできていて楽しい。姉の梓美のことも、大人と子供の中間人として描写が素晴らしいと思う。
 小四男子と中二女子の心理描写の使い分けが絶妙だ。勿論、ボーイッシュな桂も負けてはいない。
 著者のあたたかく子供を見守る視点が伝わってくるようだ。その分だけ座敷わらしに対するイメージが豊かでリアルさが増す。しかし、その「いわれ」は今まで、聞いたことのない悲しい話し(155p~)であった。飢餓を繰り返した東北地方独特のものなのかもしれない。

 晃一のサラリーマンの悲哀といったものも、一見おわらい風に出来るだけ軽く書かれているが、内容は現実そのもので、本当はおわらい所ではない。切実で悩ましい現実なのである。そんな現実を家族の前ではおくびにも出さず、モンモンとサラリーマンを続けている人の何と多いことか。著者はこの辺にも詳しいようだ。どうも晃一の顔が水谷豊さんの顔とダブってしまい、困った。

 座敷わらしが徐々に薄くなって透けていくシーンは創作だと思うが、実に違和感なく描かれている。元々軽々に姿を見せない座敷わらしだから、自然、納得できるが、ラスト「六名様」は思わず笑ってしまった。


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風に立つライオン

2018年06月24日 12時21分24秒 | Review

さだまさし/幻冬舎文庫

 2014年12月25日初版。この作品にはモデルがあり、その経験談が基本になっている。石巻明友館も実在する。そこで活動した班長やリーダーも実在するらしい。かといってドキュメンタリーではない。相当のフィクションによって造形されており、モデルはヒントに過ぎないのかもしれない。「高い志」のリレーとでも言ったらいいのだろうか。あまりにもカッコ良好過ぎる。純粋過ぎる。崇高過ぎるとさえ思ってしまう。そこは小説なのだが、主人公や和歌子には、何か衝き動かされている宗教的狂信性さえ感じてしまう。世俗にまみれた自分としては座り心地の悪い椅子に、我慢して座っていなければならないような感覚にも思える。

 著者は特に病気ということも無いと思うが、何故医療関係者に詳しいのだろうか。親しい人の病気のせいだろうか。よくわからないが、多くの医療にかかわる人たちと親交があるようだ。確かに身近な人が病気になれば、あれこれ対応するうちに治療方法や薬物、お互いの心境などに詳しくなることは避けられないのだけれども、それにしてもロピディン病院、ナクール病院の治療活動の描写はリアルである。著者は現地取材をしたのだろうか。ミケランジェロ・コイチロ・ンドゥングにしてもあつお(小野寺典夫)少年にしても泣くに泣けない重い設定だった。

 主人公の医師という職業の並外れた倫理観、「戦わない医師は医師ではない」とまで言い切る姿勢はちょっと頑張り過ぎだと思うのだが、それは著者の医師に対する「思い」なのかもしれない。やはりデビュー作「精霊流し」を是非読んでみたい。「解夏」「眉山」「茨の木」「アントキノイノチ」「かすてぃら」と読んできて、「精霊流し」を読まないという訳にはいかないようだ。


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異境

2018年06月16日 11時18分05秒 | Review

堂場瞬一/小学館文庫

 2014年5月13日初版。484pの長編、ちょっとはみ出しの記者が主人公。なかなか素直になれず、意地を張り、本社社会部から追い出されて横浜支局へ異動(左遷された)。そこで待っていたのが今回のストーリーの中心になる同僚記者の失踪。異動してきたばかりで、信頼できる同僚も、何のバックアップもない状況での苦しさや、孤独感、無力感が迫る中、話をした数少ない同僚の一人が突然行方不明に。これは単なる個人的な行動なのか、事件なのか、判らないながらも徐々に少ない変化の中から違和感、矛盾点を見つけてゆく。この不透明で地道な努力が延々と続き、Pageの大半を使うが、それはラストを盛り上げるための伏線。山北ヤードの一連のシーンはなかなか迫力あるリアルな描写だった。

 立場は違うものの、警察という組織内部で孤立無援の悲哀を味わっているであろう巡査部長の浅羽が相棒の代わりを務める。この際、どちらが相棒なのか判らないが、とにかく馬が合う。互いの情報を小出しにしながら追求していく場面は、いかにも小説なのだが、ただ、欲を言えばこの長さの読み物としては、山場は二つくらいあってもよいのでは、と思うのは贅沢だろうか。

 著者の作品は「刑事・鳴沢 了シリーズ」、「警視庁失踪課・高城賢吾シリーズ」など、いわゆる警察モノをよく見掛けるが、新聞記者を主人公にしたものは珍しい。例え立ち位置が異なるとはいえ、似たような部分もたくさんあるので、書きやすかったのかもしれない。

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茨の木

2018年06月13日 22時14分18秒 | Review

さだまさし/幻冬舎文庫

 2011年4月15日初版。「茨の木」=茨木(城)で、また面白い小話かと思ったが何の関係もなかった。兄に認知症が発症したというのに、見舞いも無しに、いきなりイギリスへ行くものだろうか、ヴァイオリンがいくら気になったからといってもちょっと唐突な設定のようにも思う。

 モデルは著者が中学生の時に買ってもらったヴァイオリンらしいが、著者のヴァイオリンに対する憧憬が余すことなく描かれている。ヴァイオリンという楽器の価値、楽器としての評価も。スコットランド、ロンドンから北へ、リバプール、マンチェスター、シェフィールドといった大きな町がある。更に北西へ向かうと湖水地方がある。ちょうどマン島の右手。そして、更にその北西にグラスゴー、エディンバラがある。グラスゴーは造船の町、ヴァイオリンの生産地でもあると同時にアメリカ西部開拓のフィドルのルーツでもあった。

 喧嘩をしようと、何をしようと切っても切れないのが家族の絆、ヴァイオリンのRootsを探す旅=自分の家族と向き合う旅、それを確認する旅でもあった。初恋の浅野先生のこと、自分の女房(冴子)のこと、そして旅の間に巻き込まれた響子のこと、その元・夫のこと。ここまで生きてくると悲しいこと情けないことが多すぎて、いろいろなことを知り過ぎて疲れてしまう。いやにリアルで、立ち直るのに時間が掛かるのは致し方ないが、花子の存在だけが救いのような気がしてくるのが不思議だ。


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アントキノイノチ

2018年06月10日 15時09分12秒 | Review

さだまさし/幻冬舎文庫

 2011年8月5日初版、2011年10月31日第三刷。「アントキノイノチ」はアントニオイノキをもじった落語風の小話集か何かだと、読む前に決めつけていた。本文でもそのことに触れた部分があり、著者も気にしていたのかと笑えた。しかし、これは本当にさだまさしが書いたモノなのか、どうも今一つ信じられない。

 当初、お題から「アントニオイノキ」に掛けた落語風のチャラい話かと思っていたが、冒頭いきなり引きこもり風の病気っぽい主人公が出てくる。遺品整理会社の社員らしい。何度も出てくる生々しい「人の死」、痕跡、そして遺品。これはなかなかチャラいどころかとても重いマジな話しだった。

 登場人物を見ていると、人はいろいろなものとぶつかり合い、傷だらけになりながら生きていくものなのだなとつくづく思う。自分では瀕死の重傷、世界が崩れ落ちると思うほどのことが、他の人と比べると、そう考えるのが恥ずかしいような、とんでもない甘えのような、まるでほんのかすり傷になってしまうこともある。そして生きようという勇気が湧いてくる。「アントキノイノチ」は「あの時の命」だった。ラスト、雪ちゃんの告白はちょっと衝撃的。松井との再会は出来過ぎているが。

 著者は本当に遺品整理屋さんを取材し、主人公、松井、山本、菊田という傷つきやすい青春時代を併せて「人生と命」をドラマチックに展開している。忙しい音楽関係の仕事があるのに、よくそんな時間があり、そんなことが出来るものだと感心するし、本当にその多彩な才能を羨ましく思ってしまう。

 

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眉山

2018年06月03日 21時28分53秒 | Review

さだまさし/幻冬舎文庫

 2007年4月10日初版、2007年5月10日第二刷。この作品を読んで、「阿波よしこの囃子」を自分の耳で直接聞き、男形、女形の踊りの動きを自分の目で確かめ、祭りの熱気を体感してみたいと思う人は多いだろう。このイベントを繰り返し描写するのは延々と続く祭りの盛り上がりにも似ている。「阿波よしこの囃子」が巧みに(音的に)聞こえるがごとく押し寄せる波のように繰り返す。そこのところは計算し尽くしたようなところがある。

 直交する電流が瞬間激しく短絡して、火を放つような恋をした母の思いを、その娘が大人になり、少なくとも受け入れられるようになるまでの話。個人的には全くの自由で誰の責任ということもなく、誰に迷惑を掛けるでもないのだが、小説であるが故に、ある意味美しくもあり、気高くもあるように見える。しかし世の中全てがこうであってはやはりおかしい。そのことは神田のお龍といえども、よく承知しているのだろう。それはやはり不倫であって禁断なのだと思う。それ故に全てに封印し、孤高の生き方をしてきたのだと思う。個人的には何等恥じることはなくても、それが正々堂々公にしてはばかることなく、人の生き方として真っ当を主張するのであれば、決して許されるものではないだろう。そんな母、娘がいつも折に触れて眺めていたのが眉山だった。

 「甚平」の松山賢一が預かった「箱」は、封印された過去の「思い」だったが、この設定は、「解夏」の中の「水底の村」でも同様の場面がある。数十年経って、記憶が薄らいでいく中、忘れていた過去への「タイムマシーン」が出現し、瞬時に数十年前に引き戻される思いがある。それは確かに人にとってはある種の脅威(悲しいほど懐かしい思い出、或いは封印したはずの過去)でもある。著者はどうもこの手の設定が好きらしい。


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解夏

2018年06月01日 22時09分43秒 | Review

さだまさし/幻冬舎文庫

 2003年12月5日初版、2014年3月30日第28刷。487pに4編を収めた一冊。短編というには長く、長編というには短いけれども、読み応え十分な重量級の作品である。昨今「~事件」なるテーマの作品が多い中、珍しいと思う。「かすてぃら」のノリとは異なる本格的な小説である。まるで人が違ったように思うのは私だけではないだろう。これが「さだまさし」の小説なのだと認識を新たにする。失礼ながらハッキリ言って、落語風のちょっとチャライ話かとイメージしていたのだが、とんでもない先入観だった。

「解夏」
 やがて来る失明という人生の大問題を抱えた主人公の心の動きを丹念に描写する。絶望の淵から見えてくる未来があった。

「秋桜」
 侍に惚れて日本にやって来た若い娘が、結婚して日本人になろうとする。周囲の人々との葛藤を描く。不条理も矛盾も呑み込んで本当の喜びを見出すまで。ジグソーパズルのピースのように、収まるべき所にピタッと収まった瞬間。

「水底の村」
 ダムの底に沈んだ故郷の村、はるかに過ぎ去ったはずの青春時代。村は渇水によって十数年振りに姿を現す。少年(息子)との出会いによって、己の青春もまた忽然と浮かびあがる。

「サクラサク」
 家族が崩壊寸前の危機的状態の中、主人公の父に認知症が始まった。主人公には目の前に会社役員の扉が開かれようとしているのだが、それを振り切り、父のため、妻のため、子供達のため、そして自分のためにやり直す。家族再生の主役は認知症の父だった。




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