つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

ねじまき鳥クロニクルⅢ

2019年08月30日 13時14分18秒 | Review

―鳥刺し男編―
村上春樹/新潮文庫

 1997年10月1日初版、2003年10月5日第14刷。最後まで読んで判ることは、以外にも主人公の生きることの目的探し、心象風景、その変遷描写はあるものの、もう一つ「汚れ」という問題があることが判る。この「汚れ」の問題は、皮剥ぎボリス、元・中尉の間宮、妻のクミコ、加納クレタ、秘書の牛河それぞれの「汚れ」がある。これに対し笠原メイの透明な汚れの無さ、赤坂シナモンの清潔さが際立つ。そんな中に主人公の立ち位置がある。

 「穢れ(ケガレ)」、「瀆れ(ケガレ)」或いは「汚れ(ヨゴレ)」ではなく、何故「汚れ(ケガレ)」なのだろうか。この場合の「汚れ」とは何なんだろう。一見、透明で「汚れ」とは縁のなさそうな笠原メイでさえ、実はその「汚れ」を抱え込んでいる。そして例え元・中尉のように「抜け殻」のように生きたとしても、決してその「汚れ」から解放されることはない。このクロニクルはその核心に迫る訳だが、最後の最後まで直接それを語ることはない。ただ、その状況を、出来るだけ丁寧に説明するだけである。
 「汚れ」は精神的なモノ、物理的(肉体的)なモノの他にどんな「汚れ」があるだろうか。それぞれの「汚れ」が、あたかも鏡のようにそれぞれの生き様に写り込む。克服なんてことが可能かどうかは判らないけれども。

 最終的に、妻のクミコは失踪後、主人公の前に一度も姿を見せることなく、入院中の兄、昇の延命装置を故意に停止させて警察に出頭、自首するに至る。姉を自殺に追いやり、自分を「汚した」昇を許すことは出来なかったということで終わる。
 この一連の奇怪な騒動は、猫の「ワタヤ・ノボル」が失踪した所から始まるが、最後にその猫が何の前触れもなく突然帰ってくる。主人公は改めて猫の名前を「サワラ」とすることで、今回のクロニクルをリセットしている。しかし、何とも疲れる作品だった。


ねじまき鳥クロニクルⅡ

2019年08月22日 14時38分59秒 | Review

―予言する鳥編―
村上春樹/新潮文庫

 1997年10月1日初版、2014年11月10日第47刷。ほぼ「泥棒かささぎ編」で既に登場した人物で構成され、その後の顛末を語る。今回は、宮脇家(笠原メイの隣家)の古井戸であったり、区営のプール(巨大な井戸)であったり、間宮徳太郎元・中尉が経験した続きのように「井戸」にこだわる。水無し井戸が余程気に入ったように見える。この話はプラトンの「洞窟の比喩」とよく似ているような気がする。視点は異なるが、見えることで問われる本質(洞窟の壁に映る影絵)が、逆に見えないこと(漆黒の闇の中)で浮かんでくる本質を追求する。「限定された窓、何かが見えて、何も見えない世界」。
 クレタ島へ行っても何も解決しない。主人公はこの作品では「少なくとも自分には待つべきものがあり、探し求めるべきものがある」ことで納得したようだ。

 しかし、人間と言うのはどうしてこうも捻くれて、歪んでしまうものなのだろう。登場人物の全てが何かしら、グニャリと歪んでいる。笠原メイにしても加納姉妹にしても、クミコにしても綿谷昇にしてもである。一番真っ当なのが主人公じゃないかとさえ思えてくる。実の所、引き籠り寸前なのだが、少なくとも外に出て手掛かりを積極的に探していることでは何とかなりそうだ。

 間宮徳太郎 元・中尉の手紙で、86p「人生という行為の中に光が差し込んでくるのは、限られたほんの短い期間のことなのです」「そこに示された啓示を掴み取ることに失敗してしまったら、そこには二度目の機会というものは存在しないのです」そして「何も求めるべきものを持たない寂寥感ほど過酷なものは他にない」という言葉がやけに身に沁みて来る。



ねじまき鳥クロニクルⅠ

2019年08月18日 13時28分36秒 | Review

―泥棒かささぎ編―
村上春樹/新潮文庫

 1997年10月1日初版、2010年11月15日第41刷。最初の出だしは、既にどこかで読んだことのある話し。はて、これは既読の作品かと思ったが、どうやら2018/09/02に読んだ「パン屋再襲撃」と同じものを使っているらしい。道理でね。何故かと言うと、「パン屋再襲撃」の続きという位置づけで、その後のことを書いているからで、頭出しが別冊では具合が悪かったのかもしれない。
猫の「ワタヤ・ノボル」探しとその時知り合った女子高生の笠原メイはその後も何かと登場する。

 今回の主な話しは、二人(岡田亨とクミコ)が結婚した頃に時々訪れていた占い師(本田大石)のこと。二人のよき理解者だった本田のことは、戦場で生死を共にした間宮徳太郎(元・帝国陸軍中尉)によって語られる。この話が総ページの1/3を占めるから、その部分だけを読むと、戦記物かと思ってしまう。あまりのリアリティに、前半の「ワタヤ・ノボル」探し等、何処かへすっ飛んでしまい、思い出すのに努力が必要なくらいだった。本田伍長の予言:間宮中尉は中国大陸で死ぬことは無い。       「人間の運命というのは、それが通り過ぎてしまった後で振り返るものです。先回りして見るものではありません」という言葉が、何とも「占い師」らしい。

 同時に、突然主人公の妻のクミコが忽然と失踪する。そのことに関係があるのか無いのか、クミコの兄の綿谷昇、加納マルタ、クレタ姉妹等が登場し、本人の姿が無いまま離婚の話まで出て来て、話は混沌としてしまう。「クロニクル」だから、主人公の諸々の出来事を時系列で記したものになるはずだが、この後どんな展開があるのか、こんな調子でどのようにまとめるつもりなのかが興味深い。

 あの井戸の中の経験から、もぬけの殻のように生きたその後の間宮中尉、すべての苦痛から逃れるためにスポーツカーで壁に激突した筈の加納節子(クレタ)が全ての痛みと同時に全ての感覚を失ったことは、何か関係があるのだろうか。



朝日殺人事件

2019年08月14日 14時37分35秒 | Review

内田康夫/角川文庫

 1996年9月25日初版、シリーズNo.57。現場に残された陶器の破片のようなもの。事件に関係があるのか無いのか。この時点で、この破片が事件解決の決定的なモノになる、というちょっと安直な示唆が最初に出て来る。今回は「アサヒ」なる名前にこだわって、右往左往する訳だが、何故か偶然にも「アサヒ」のあるところに事件解決の糸口があるのである。かなり強引な関連付けなのだが、判っていてもつい読んでしまう。

 ミステリーは、とにかく死人が出る訳だが、今回は遂に「旅と歴史」の少ないスタッフの中からも死者が出てしまう。浅見も結構焦ってしまったに違いない。話しは既得権益を自分の実力と勘違いしている官僚と、それを取り込もうとする建設業界に住む魑魅魍魎が共謀して公共工事を独占しようと画策するもの。更にその関係の中に割り込もうとする第三者も現れる。

 アパートの隣人の箪笥お届けに現れた運送屋が、常務の多岡と建設省の課長補佐、石沢だという種明かしには笑える。大会社の幹部、出世頭と東大出のエリート官僚は仮の姿なのかもしれないと密かに思う。著者の性格の中には、そう言った権威主義的なものには懐疑的な目で見るというものがある。何色にも安易に染まらないという自主独立の確固たる信念である。居候という環境と女には弱いのだが。

 また、著者は「人形」というものにも憧憬が深いようだ。100を超える作品の中でも、人形が何らかの小道具になっているものが少なくない。また、その人形が果たす役割も大きい。

「鳥取雛送り殺人事件」の人形
「横浜殺人事件」のフランス人形(ビスク・ドール)
「化生の海」卯・土人形  等々。

今回の作品にも「赤江焼き」という土人形を使っており、最終的な証拠になっている。
著者に限らず、ミステリーと人形は一般的に相性が良いのかもしれない。




2019年08月12日 22時45分25秒 | Review

藍川 京/幻冬舎文庫

 2002年6月25日初版、2009年12月20日第10刷。著者の作品は初めて読む。「炎(ほむら)」というのは男と女の情念であり、陶芸家の作品に対する情熱であり、それを実現する1300度に及ぶ灼熱の窯の炎である。その美意識は女性の肌であり志野焼の肌である。
 著者は官能小説の大家と言われているようだが、ストーリーの根底にあるのは徹底したエロチズムである。最初から倒錯気味のエロチズムがストーリーを覆っているが、別に殺人事件が起きるわけでもない何でもない。終わってみれば、若い陶芸家の求めるものが「土は女」であることを悟るまでの修業のような女遍歴であった。特に琴夜の存在はその究極を高めるための道程であった。
 紫織にあっては、その最終段階にある「炎」の全てである。主人公はきっと、琴夜との約束のもと、至高の作品(骨壺と「琴夜」銘の抹茶椀)を作りだすに違いない。

 一見して、派手なエロチズムを除けば、単なる一陶芸家のHappy End物語である。性的嗜好は個人の趣味嗜好の範疇だ。他人が見れば、それは滑稽でさえある。もし、事件性があるとしたら、それはドラッグレイプだろう。しかし、それもまた藤絵に執着するあまりの主人公の倒錯したイメージの産物であるのかもしれない。

 読者があまり真剣にならないように、そこかしこにちょっとした笑いがある。ドラッグレイプで水鉄砲を持ち出してみたり、作品を焼く窯の形式が窖窯(あながま)であったり・・・。至高の素材、最高の技術、絶妙の釉薬、最高の窖窯、最高の窯焚き、そして紫織の存在・・・。人肌のような風合い、艶めかしい肌の器、倒錯した情交描写が、その焼物の話しをいよいよもって妖しくしていく。これが女性作家の作品だとは、ちょっと驚き。いやまったく疲れる作品だった。


浅見光彦殺人事件

2019年08月10日 10時44分14秒 | Review

内田康夫/角川文庫

 1993年3月10日初版、1993年10月10日第六刷。シリーズNo.48。ストーリー自体はそれ程凝った作りではない。けれども、光彦の偽物が登場するという仕掛けがある。矛盾というほどでもないが、話の整合性にぎこちない所があるような。この作品もまた「伊香保殺人事件」に似たような背景を採用している。「日なた道と日かげ道」である。下川健一は気の毒としか言いようがない。何の罪も責任も無いのに、である。原因を作った父親は、その責任を問われたのであろうか。偽光彦の最期を思うと、何かしら悲哀と怒りが湧いてくるようだ。

 トランプの絵柄が付いた表紙の冊子は北原白秋の詩集「O MO I DE」。白秋と言えば「雨」や「この道」など、どちらかと言うと曲の方で有名だが、その詩集の中に仕組まれた一枚の写真が物語る真実に、人間の限りない欲望が隠されていた。白秋にとってはいい迷惑なのだけれども、それが「思ひ出」というタイトルなのだから、意味深長である。片や、自分の汚れた過去を隠蔽しようとし、片や、それを強請のネタにして優位に立とうとする。自分の全く関係ないところで、自分を中心にして起こる不条理、理不尽に、最後まで偽光彦は己の心情を語ることは無かった。

 現代では、あらゆる画像が世界中で氾濫している。あらゆる街角や通りでも監視カメラがある。個人として、禍根となるようなものは残したくないものだ。

 早速、トランプの絵柄が付いた表紙の冊子、北原白秋の詩集「O MO I DE」を検索してみた。画像の著作権があるのか無いのかわからないが、復刻版の画像があった。詩集にしては随分立派な本だった。








幻香

2019年08月08日 13時54分58秒 | Review

内田康夫/角川文庫

 2010年9月25日初版。シリーズNo.103。完成までに足掛け12年を要した「幻香」の苦節は自作解説に書かれているが、390pの長編大作は確かに面白かった。成る程、こんな成り立ちがあったのかと、一味違う「幻香」を改めて振り返った。「匂い」だけでここまで書けるものかと感嘆する。調香師の三人の娘を「三美神」に例えるのは、いささか固地付け気味だが、確かにそれは「幻香」だった。

 人間の生活の中でどれだけ「匂い」に関わりがあるかと言えば、あまり関心のない自分については光彦同様、優先順位はかなり低いのだが、確かな認識の無いうちに実はいろいろな匂いに関わっているのかも知れない。調香師のような人間にとっては雑多な匂いは黙認することのできない、我慢のならないものなのかもしれない。

 駐在を定年まで勤めあげた警官の息子が大麻草の栽培と殺人に関わっていたという結論は意外性に富む、思いも依らない展開だった。繰り返し思うことだが、人間は一歩踏み違えてしまったことで、その後全く異なる人生を歩むことになる。勿論軌道修正することも可能だが、現実にはそれこそ奇跡に等しいことだ。もし何度でもやり直すことが可能であるならば、世の中のあらゆる苦しみ、煩悩は半減するに違いない。一見何度でもチャンスがあるように思うけれども、本当のチャンスは一度しかないのかもしれない。



逃げろ光彦

2019年08月06日 23時31分47秒 | Review

―内田康夫と5人の女たち―
内田康夫/幻冬舎文庫

 2008年10月10日初版。シリーズNo.98。「他殺の効用」以来の短編集。

〇埋もれ火
〇飼う女
〇濡れていた紐
〇交歓殺人
〇逃げろ光彦

 5本収録の内、浅見が登場するのは最後の「逃げろ光彦」1本だけで、他は登場しない。著者は短編が苦手ということで、短編の数は多作の長編に比べて非常に少ない。まあ、それはどうでもよろしいが、「こんなものも書けるんだぞ」という挑戦的なもの、試作的なものがあるのが面白い。「埋もれ火」「飼う女」「交歓殺人」など。

 しかし、シリーズの流れからすれば、やはり本流ではないだろう。例え書けたとしても、シリーズのような読者からの支持が得られるとは思えないからである。更に、今回短編の特色として、著者の「女性観」というものがある。副題にあるように、作品ごとに女性が登場するのだが、そのイメージには各々相互に相当の開きがある。つまりは変幻なるが故に、よく解らない、ということなのかもしれない。シリーズ中、女性はこうあってほしいというイメージがある。男の側からの女性観である。しかし、そんな期待、希望とは裏腹に、その実態は全く異なものなのだということが判っているだけに辛い。歌舞伎で使用する「こおもて」面、と「般若」面が同じ人間の側面であるかのように。



失踪

2019年08月04日 23時18分56秒 | Review

―浅草機動捜査隊No.5―
鳴海 章/実業の日本社文庫

 20141215日初版。著者には2019/06/30に「情夜/シリーズNo.10」でお目に掛かり、同シリーズの今回作品で2回目。警察モノと言えば圧倒的に新宿、池袋周辺を舞台にしたものが多い中、改めて、何故「浅草」なのか、という疑問が浮かんでくる。浅草の町は確かに古くて、新宿とは違う何かしらカビ臭いような雰囲気すら漂っている。その辺は作品からも感じられる。身近に起こる事件も、何か江戸時代の刃傷沙汰やかどわかし的なある種優しさのようなものが伝わって来る。背景や人物描写だけでなく、同じヤクザでも 香具師の元締めのような古いタイプの、しかも破門されたような元ヤである。近くには元・吉原もあり、考えてみると何だか江戸時代と差ほど変わらないような感じがしないでもない。官権という上から目線の話しではなく、身を持ち崩した人々の苦しみを、その痛みを感じながら、何とか少しでも理解しようともがく警官の姿なのかもしれない。そして、それこそが浅草を舞台にしている理由なのではないだろうか。

「観音裏の居酒屋で女同士のケンカ騒動」が、小町の不適切な雄叫びとともにスマホで動画撮影されていた。屈託が積もるストーリーなだけに笑える。