つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

シューカツ!

2019年07月31日 13時00分07秒 | Review

石田衣良/文春文庫

 2011年3月10日初版。著者には2013年2月8日「眠れぬ真珠」でお目に掛かった。随分久しぶりである。今回は「眠れぬ真珠」と違って、大学三年のフレッシュマンの話しである。いくら若い頃を思い出してとは言っても、とにかく若々しい文体(感覚)にちょっと驚く。

 学生が「ずっと学生で居られたら・・・」と思いながらも、シューカツに臨む姿が痛々しい。勿論、「散々遊んできたくせに」ザマー見ろ!というのもあるが。
大学三年になって、人生の一大転換、切り替えを強いられる。しかもワンチャンスだ。自堕落な生活を送っている者にとっては、非情このうえないものだろう。社会における生活というのは、学生生活でもなければバイト生活でもない。責任重大で果てしない。ともすれば希望や思いを圧し潰す。そんなことに気が付いて恐れをなすのもよく解る。

 「この社会に必要とされていない人間」というプレッシャーは、この社会に居る限り常にある厳しい現実である。落ち込む度に思うことだ。そして「社会は理不尽なもの、人生もまた不条理なことが多いもの」と諦念し、再起するのもいつものことだ。どの時点でも投げてしまえば人生それまでである。
 このドキュメンタリータッチの作品は結構リアルで、ヒリヒリした感覚、臨場感、緊張感を強いられる。中味の薄いエンタメ、ミステリーよりも余程面白い。かつて誰しもが経験したであろう社会への「入口」を改めて見る思いだ。

 主人公の千晴は二連敗の後、後半戦で2社の内定を得たが、そこからの結末は語られていない。プロジェクトリーダーの圭は、受験したすべての会社から内定を得たらしい。しかし、その全てを辞退してフリーランスのライターを目指すという。確かにシューカツは人生の重大な岐路ではあるが、それが全てという訳ではない。「おカネ」の問題と同じように。


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中央構造帯(上下)

2019年07月29日 10時01分03秒 | Review

内田康夫/講談社文庫

 上下:2005年9月15日初版、シリーズNo.89。いきなり地学用語がお題になっており、これは浅見光彦とは関係がないのでは、、と思いつつ読んでみた。更には個人的に「糸魚川静岡構造線」の方が気になって「中央構造帯」のイメージがつかめない。それはほぼ関係なかったのだが、読み進んでいくと、どちらかと言うと「平将門伝説殺人事件」的なことだった。それが何故「中央構造帯」なのかは、あとがき(自作解説)に説明があった。早い話が、将門の名を借りて天誅を下すという殺人事件である。背景はバブル崩壊の時代であり、銀行の汚点をはっきりと残した歴史的な事件でもあった。

 平将門については、特に調べたことも無いが「怨念の代表選手」みたいなイメージがある。アニメ的に言えば、首が空中を飛び回る、ほぼお化けのようなものである。今回、将門がなぜそのようなイメージになっているのか、歴史的背景や史実?、伝説で成る程よく解った。
 そこにもってきて、終戦時の悲惨なリンチ事件(私的な処刑)がプロローグに置かれ、グッと一気に引き込まれてしまった。いや、まったく昨日見て来たかのように書くのだから恐れ入る。将門についても、うまいことこじつけたものだと感心する。ミステリーとして、十分楽しめる一冊であることは間違いない。

 平将門は関東の武士であるため、東京近郊にもその霊を慰める何某かの碑や塚が随分あるようだ。「国王神社」、「神田明神」にも祀られているらしい。しかし、中央との確執でその首は京都まで運ばれて歴史上最古の「晒し首」になったとのこと。故に胴体の元に返る、関東に帰るために首が飛ぶのである。それにつけても謀反人になったり英雄になったり将門は忙しい人だったようだ。


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淡雪の記憶

2019年07月28日 13時49分17秒 | Review

―神酒クリニックで乾杯を―
知念実希人/角川文庫

 2016年4月25日初版、2019年2月5日第22刷。交通事故で亡くした夫と娘の復讐を誓い、爆薬入手のため時限爆弾の製作に協力する女エンジニア。そこにもう一つの美術品強奪という犯罪が絡んでくる。どちらも狙われているのはクリニックの顧客である。片や秘書と不倫し飲酒運転の果て追突事故で父娘を死なせてしまい、その妻から追われる身、片や部下に裏切られ、預かり物の美術品を強奪される身だ。

 特殊能力を持ったクリニックのスタッフが顧客の問題(事件)解決に積極的に挑戦するというかなり空想的なストーリー。今回はビル爆破、一見テロ紛いの事件と飲酒運転による死亡事故の復讐という事件が同時に進行する。記憶喪失、催眠術、読心術、美術品の強奪あり、総合格闘技から、ボクシング、古武術まで何でもありのテンコ盛り。エンターテイメント性はあるものの、何か物足りない。Happy Endなのだが何かスッキリしない。あまりにも都合よすぎる話だからなのか。リアリティも今一つ不足する。一つだけ迫力ある場面があるとしたら、それは成田と勝巳の勝負だったように思う。

 著者は内科医ということだが、派手なアクションの割には「殺人」が少ない。この作品でも交通事故を除けば、結局一人も死んでいない。Happy Endもそうだが、基本的に「人の命を救う」立場から逸脱はしないようだ。例え創作の世界であっても。


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江田島殺人事件

2019年07月22日 22時06分17秒 | Review

内田康夫/講談社文庫

 1992年1月15日初版、1992年5月25日第四刷。シリーズNo.27。今回はお題の通り広島湾の「江田島」を舞台にしたもので、「しまなみ幻想」や「箱庭」を読んだ後では続き物のような気さえしてくる同じ瀬戸内海の島々をめぐる作品。一般的にその詳細は知らなくても江田島と言えば「海軍兵学校」というイメージが強い。その海軍兵学校は古鷹山の南側の麓にある施設で、「教育参考館」には軍神、東郷元帥の佩剣(短剣)が展示されているらしい。この短剣をめぐって、物語は自決や刺殺に到るという話である。

 ミステリー自体は、それ程目新しいものは無いが、兄の陽一郎が光彦の倫理観を評した場面があった。「杓子定規に犯罪者を断罪しない」主義であり、「犯人の裁量に任せてしまうのが、大抵の場合のきみのやり方」だと。いや全くその通りで、反論の余地も無い。光彦にも彼なりの矜持があるのだから。
ただ、いつもはかなり控えめなのだが、陽一郎の「官僚のいやらしさ」が十分に出た作品でもあったように思う。

 海軍兵学校、同期6人の軍神になることを誓った「必死」の連判は、思いがけず軍神に成り損ねた男によって果たされたのだが、このような幕引きはイメージ先行の光彦もさすがに想定してなかったようだ。有名な「葉隠」の一説を思い出してしまった。


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ダンス・ダンス・ダンス(上下)

2019年07月20日 22時51分45秒 | Review

村上春樹/講談社文庫

 上、1991年12月15日初版、1994年2月25日第5刷。
 下、1991年12月15日初版、1995年12月1日第8刷。
 お題は「ダンス・ダンス・ダンス」という軽いノリなんだけれど、その割に上下本で随分な長編。心の旅でもあるし、自分探しの旅でもある。サスペンスも盛り込まれミステリアスでもある。友人の五反田君のことは、ちょっと怖い。34歳の主人公が迷い込んだ死の世界からの再起動の話しである。

 突破口は札幌のいるかホテル(ドルフィン・ホテル)。此処から始まり、一周して此処に戻り、現実復帰を果たす。必然性とか、妥当性とか合理性とか、そのような現実とはかけ離れた意識だけの世界である。「煩悩の海」を連想した。
 妙な者(羊男、鷗(かもめ)、灰色猿、、)も登場する。ホノルルのDown townで6体の白骨を見たりもする。しかし、唯一、弓吉だけが共感できる現実だった。何だか異様に疲れる作品だった。著者が良く取り上げるこの精神世界、心象風景は「ノルウェイの森」や「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」にも表れる。これが、著者が追求する世界観なのか。

 確かに「雪かき」には共感できた。それをあまり長く続けるあまり、生への渇望が失われ、生きる目的を見失う。遂には存在意義に疑念を持つに至ってしまう。しかし、もう一度それを問い直すには、これまた大変な執拗さと執着が必要だ。「試練」と言われればそれまでだが。
 「だから踊るしかないんだよ。みんなが感心するくらい上手く」という羊男の言葉が印象に残る。

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横浜殺人事件

2019年07月18日 15時44分50秒 | Review

内田康夫/角川文庫

 2002年5月25日初版。シリーズNo.31。今回は「横浜」が舞台、何だか気恥ずかしいような。横浜の風景をどんな風に表現、描写するのかとても楽しみにした一冊だった。横浜にはいろいろな魅力があり、代表的なもので総括することはとても出来ない。有体に言えば、やはり港であり、山下公園、大桟橋、マリンタワー、ランドマークタワーになるだろうか。JR横浜駅はどちらかと言うと中心から少し外れており、中心はやはり桜木町、伊勢佐木町、中華街、元町などではないかと思われる。
 そんな横浜の雰囲気を(十分とは言えないが)感じ取ることが出来た。小さなレストランや古いホテルも横浜には欠かせない魅力の一つである。港町特有のエキゾチックさもしっかり漂っていた。

 話の内容も実に横浜らしいものだった。ビスク・ドールには作家の知人がおり、現物を見ているので多少の知識はあったが、それがフランス人形であり、その総称や製作技法であることを始めて知った。その魅力がどんなものかは現物で確認しているのでよく判る。そして、「赤い靴」や「青い目の人形」はストーリーによくマッチしていたと思う。作詞の野口雨情の話しも適度で良かった。事件の方は、まあ通常の「ミステリー殺人事件」だったのだけれど。

 結末は、大迫良介(総会屋)の側近が、いつの間にか行方不明になってしまう。結局、身内の始末は自らが責任をもって処断するということらしい。浅見もこれを敬意のようなものを感じながら黙認した形だ。時代小説でよく使われそうな「武家の責任の取り方」に通ずる。浅見の保守的な性格の一面が垣間見える。そして最期の、浅見と藤本虹子の対話には本当にせつないものがある。


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天河伝説殺人事件(上下)

2019年07月15日 23時09分16秒 | Review

内田康夫/角川文庫

 上/1990年6月10日初版、1994年3月10日第30刷。
 下/1990年6月10日初版、2000年6月20日第47刷。シリーズNo.23。
 和歌山線・吉野口駅から熊野市へ抜けるR309で南下、天河村は紀伊半島のド真中にある。能楽については全く知識がないが、こんな山奥の村が日本三大弁財天の一つ、芸能の神である天河弁財天の所在地であることが不思議である。天河神社のHome Pageによれば、やはり本当にここで薪能が奉納され、社務所には例の五十鈴が売られているようだ。こんな山奥で。能の奉納シーンの描写が極めてリアルでありながら幻想的なのは成る程納得する。

 紀伊半島のもう少し南は「熊野古道殺人事件」で舞台になったところなので、多少の親しみはあるが、こちらも引けを取らない相当の山奥である。「吉野」というと何となく奈良の静かな山間、穏健な土地を思い浮かべるが、そこはやはり古代文化圏の近隣だけあって何某かの営々と続いてきた悠久の歴史があるようだ。

 今回の話しは能楽の家元、水上流宗家の継承問題である。登場人物のそれぞれの想いが交錯する中で起きる「殺人事件」である。怨念のようでもあるし、単なる勘違いのようでもあるし、例によって思うようにならない人生の禍福でもある。

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汚れちまった道(上下)

2019年07月12日 11時39分31秒 | Review

内田康夫/文春文庫

 上下とも2018年11月10日初版、シリーズNo.112。山陰本線の列車の窓から垣間見た「反射炉公園」の「雨のそぼ降る中に佇む美女を見た」という全く同じ描写が出て来て、思わず既読の作品かと思ってしまった。振り返って調べてみると、今回は浅見が主人公の「汚れちまった道」、前回は2014年9月17日に読んだ松田将明が主人公の「萩殺人事件」、事件は全く同じ内容・舞台背景で、松田の視点と浅見の視点で描いたものの違い。異なる出版社から同時に出版されるという離れ業、「ヤマグチ・クロス」なるもののもう一方の作品だった。読後の評によれば、松田視点の前回の作品「萩殺人事件」はちょっとシリーズとして違和感があったようだが、今回はいつもの浅見光彦であり、安心して読めた。その違いは主人公が違うのだから当然と言えば当然なのだが、前回はその違いを楽しむという余裕が無かったのかもしれない。

 また、この作品はシリーズ中の「道シリーズ」5作品の中の一つでもある。「道」といえば道路である訳はなく、当然の事ながら「人生」であろう。この作品も、その人生が「汚れちまった」ことをテーマの一つにしている。良かれと思った選択が、たった一度の選択が、その後の人生を左右する人間の悲しさである。今回は地方の公共工事の権益・談合に対する批判、あるいは地方政治の在り方の問題という社会派的作品ということもあるが、政治への不信は当然こととして、社会の公器であるはずの「新聞社」の正義について改めて考えさせられる作品だった。

 知らなかったのだけれど、著者は昨年(2018年)3月、83歳でこの世を去ったという。中原中也の詩じゃないけれど「ポロリ、ポロリと死んでゆく」。以降再び、浅見光彦にお目に掛かれないという現実は寂しい限りである。


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化生の海

2019年07月10日 11時07分25秒 | Review

内田康夫/新潮文庫

 2006年2月1日初版、シリーズNo.92。581pの長編力作。北海道の余市・松前、石川県の加賀・橋立、山口県の彦島(福浦町)、そして福岡県の津屋崎町までダイナミックでありながら、緻密な描写の積み重ね、読み応えのある作品だった。日本の物流黎明期とでも言えるような北前船の盛衰までさかのぼりながら、巧妙に現代につなげる技はいつもながら感嘆してしまう。
 結果としては「遺産の相続争い」の果ての殺人事件ということになるのだけれど、最後は浅見流の「武士の情け」を迫る結末になった。人はここまでその根拠を示さなければ納得しないもののようで、そこで初めて罪の重さを理解するらしい。

 ミステリーには定番としてカラクリの「種」というものがあるのだけれど、著者はあまりそれにこだわらない。あまりにもそれらしい、取って付けたような「種」も読者は歓迎しないと思うが、今回の作品には「種」があった。もう一人の主人公、深草千尋の邸と隣の家の「清涼山荘」が地下通路でつながっていることである。中にはやたら非現実的なカラクリを持ち出す作家も居るようだが、著者はいかにもそれらしく、無理のない程度にさりげなく出してくるところが憎いと思う。

 余市の自然は植松三十里さんの「リタとマッサン」を思い出さずにはいられない。そして、松前は宇江佐真理さんの作品にも時々登場する場所である。時代小説なので松前藩や北前船、蠣崎波響は実に懐かしい名前だった。

 「化生」はケショウと読み、光彦の嫌いな「霊的な存在、お化け」といった意味で「冬の海は化生のように恐ろしい」が判る。同じ字を当てて、カセイと読む場合もあるが、こちらは全くの「病理形態学」上の専門用語で、ケショウとは似ても似つかない意味になる。


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橋を渡る

2019年07月08日 10時24分21秒 | Review

吉田修一/文春文庫

 2019年2月10日初版、2019年3月5日第二刷。著者の作品は初めてお目に掛かる。解説に依れば、並行して展開する話が、最後に交差するという組立は著者の得意とするところらしい。それはともかくとして、この作品は近未来小説なのか、SF小説なのか、或いはサスペンスなのか、ミステリーなのか。そんな範疇に囚われない別の何かなのか、訳が判らない。エンターテイメントとしても今一つ乗り切れない。

 70年後に生きる人々は、より我儘で差別的であり階級的である。そして異様な管理社会の中にある。それは今考えられる近未来に極めて近いものである。面白くも無い、つまらない、希望も夢も無い世界観なのだが、近未来は本当にこんな息苦しい世界になってしまうのだろうか。現実性に欠けるワームホールやタイムスリップが、この世界から逃れる唯一の手段だというのが悲しい。
 すでに中国では、ありとあらゆる所に監視カメラが付き、億単位の人間の顔を認識し、検索することが現実、可能になっている。また、今の所人間には適用されていないが、IDチップは犬猫には既に採用されている。しかし、人間にもMy Numberが付与されておりIDチップ化の一歩手前に居るに過ぎない。近未来の事を考えると、明るいイメージなど持ちようもない。

 里見謙一郎は70年後の世界から何とか逃れて、護送中の飛行機の中に戻った。新宮歩美は朝比奈の作品に迎合することをやめる決心をしたらしい。赤岩篤子は夫の不正行為を週刊文春に暴露したらしい。そして二人のサインも自由を求めて失踪する。

 サイン
この作品の中で語られる「サイン」について、かなり近似の考え方を持った作品としてカズオ・イシグロさんの「わたしを離さないで」を上げることが出来ると思う。人間の欲望は飽くことも尽きることもなく、怖れも知らず止まることも知らないようだ。

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