つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

Coffeehouse

2009年11月20日 20時27分02秒 | Weblog

 街中から少し離れたところに
ログハウス風の喫茶店がある。

 秋も深まり、朝夕が寒くなってくると
店内の暖炉には火が入る。
 やわらかい暖かさが冷えた身体に心地よい。

 かすかに流れるスローなバラードを聞きながら
好みのコーヒーをいただく至福のひと時は、
さながら映画のワンシーン。

 秋の日暮れはつるべ落とし、5時ともなれば
家々の窓はセピアな灯りがともりだす。
 ゆらゆらと燃える暖炉の火を眺めながら、
悠久の時を過ごすのも悪くない。
                       
         Beans Farm

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期待、そして・・

2009年11月17日 14時57分51秒 | Weblog
 先日、新聞に「婚活不審死」という見出しで、或るプラモデルファンの方の記事が載っていた。8月6日に練炭の一酸化炭素中毒で亡くなったトーマさんの話しである。
 トーマさんもBlogを書いており、「婚活中」だったことが分かる。直近の更新Blogでは、(結婚したら)今後忙しくなるかもしれないが「パワーアップしていつか必ず復活」することを期している。現状の「婚活」に対する期待の大きさが読み取れる。こんなトーマさんが車に練炭を持ち込んで自殺するとは考えにくい。

 主を亡くしたBlogは、ここでプッツリと更新が途絶えている。その後、このSiteには多くの方がCommentを書き込み、新聞によれば1,700件を越えているという。私が訪問したときは2,400件を越えていた。個人のBlogがこのような形で残り続け、多くの訪問者によって弔い続けられているのは、いかにも現代のIT社会を反映している。

 Commentsに寄せられた、同情、なぐさめ、怒り、嘆き、悲しみ、惨めさ、悔しさ、そして無念さ、、、。手向けられた言葉は様々だが、これもまた現代の人々の気持ちを鏡のように映し出している。しかし、すでにこの世を去ってしまったトーマさんには、もはや何ら返す言葉もない。
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続・Winny

2009年11月09日 12時20分46秒 | Weblog
 10/08、ACCS(コンピュータソフトウェア著作権協会)はWinny開発者の大阪高裁無罪判決(10/08)に対して、「意外であり疑問を生じる」とするコメントを発表している。
それを受けてかどうかは判らないが、大阪高検は21日、逆転無罪とした大阪高裁判決を不服として、最高裁に上告した。

 ACCSは「ピア・ツー・ピア(Peer to Peer)はインターネットの重要な技術の1つであると理解しており、これまでもその立場を明確に表明しています。ただし、著作権などへの配慮がないままに、この技術を現状のファイル共有ソフトのような形で実現すれば、そのネットワークを通して著作権侵害行為が蔓延することは火を見るより明らか」という見解である。つまり、技術としては認めるものの、著作権に対する保護が考慮されていない現状を放置するのは「いかがなものか」と言いたいらしい。更に「今回の判決にかかわらず、被告には社会的・道義的な責任が生じているものと考えます」という見解も示している。

 しかし、このような考え方はいずれも結果論であって「犯罪行為」に利用されたからと言って、開発者の責任にするのはやはりおかしい。世の中には「人を殺傷した包丁、犯罪がらみの車やひったくりバイク」など犯罪行為に利用されるものは身の回りに山ほどある。それを、開発者や製造者に対し「社会的・道義的な責任」を求めるのは、やはり見当違いも甚だしいのではないだろうか。

 「振り込め詐欺」に携帯電話が利用されているからと言って、携帯電話会社に「道義的責任」を求めるのか。「飲酒運転」が多発するからと言ってアルコール類を製造する酒造会社に「道義的責任」があるのか。その意味で、大阪高検の上告はその「根拠」が極めて乏しいと言わざるを得ない。

 PCユーザは、Winnyがウィルスに感染しやすく「PCに保存してあるDataがNet上に流れるかもしれない」リスクがあることは百も承知している。その上での「顧客情報などの流出」である。今や「故意に」と言われてもやむを得ない状況である。
 勿論、「著作権に対する保護」が充分に考慮さたWinnyであれば、それに越したことはない。しかし、人間が造るものに対してそのようなカンペキな要求は無意味である。そもそも神が造り給うた「人間」そのものが「全くもって不完全」なのだから。
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