追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

(続・続)秋篠宮様の大嘗祭発言に付いて

2018年12月17日 | 政治・経済
続・続)秋篠宮様の大嘗祭発言に関連し「天皇による叙勲について」

今年秋の叙勲の大綬章親授式では最高位の桐花大綬章にマハティ―ル首相、今井敬経団連名誉会長、斎藤十朗元参院議長の3名が対象となったが、2010年には宝塚歌劇出身のタレント議員のはしり扇千景(=芸名で政治活動を通した…本名林寛子)元参院議長が選ばれ、「恥ずかしがらずに、頂こうかなと思いました」と語った。斎藤十郎の様な鉄面皮と違って自らの業績に照らして多少「恥ずかしい」という真っ当な恥じらいの感情があったのかと思う。大した功績も無い斎藤・扇共に,参議院議長という名ばかりの役職に就けたと言う事だけで最高位の勲章が与えられるのである。
尚余談ではあるが、扇は香淳皇后(今上天皇の母)崩御の皇居喪中の時期であったにも拘らず第二次森内閣の国土交通大臣認証式で華麗なイブニングドレスで皇居に現れ顰蹙を買ったが、同じ場所で天皇から直々に叙勲を受けている。
旭日大綬章または瑞宝大綬章の上位勲章として桐花大綬章が制定されているが、更に其の上位に位置する大勲位菊花章というのが設けられている。日本国憲法施行後皇族の外遊や国賓としての公式に来日する国家元首レベル以上の者に贈られるが、一般国民への叙勲は、「約5年以上内閣総理大臣を務めた者、最高裁判所長官を長年務め多大な功績があった人物」などに授与されるが、戦後の生存者叙勲再開後では、生前授与されたのは中曽根だけである。没後叙勲でも、1974年の田中耕太郎を最後に総理大臣経験者以外の授与例はない。戦後の受賞者は総理経験者、鳩山に始まり橋本(龍)に至る13人と田中であるが、当に政治家のお手盛り、 明治の山縣や伊藤(博)といった政治私物化の名残(残滓)以外の何物でもない。特に岸伸介(安倍首相の祖父)は山縣等が巨額の戦費費消と多数の犠牲者を土台にして受賞したのと全く同じ構図である。又田中(耕)は国際司法裁判所判事にも就任出来たが、砂川事件判決で米政権と裏で通じていたことが露見したことに見られる通り、米国に都合の良い裁判官であった事が日米両国に貢献したと評価されたものと見られる。
日本の最高位叙勲は大勲位菊花章頸飾で、皇族及び外国人への儀礼叙勲が中心で,立憲君主制の皇帝、国王、大公、首長などの国家元首に対して贈られている。選挙など国民から選出される王族籍を持たない大統領に対しては、一階級下の大勲位菊花大綬章を送るのが慣例であるが、王族ではない大統領に贈られた例は過去にアメリカ大統領のアイゼンハワーに対するものが唯一である。 日本人では吉田茂、佐藤栄作が受章しているが吉田はサンフランシスコ平和条約締結、佐藤は日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還の功績によると考えられる。但し佐藤は1974年にノーベル平和賞を受賞したが、死後に核持ち込みの密約が発覚し、菊花章首飾、ノーベル賞に味噌をつけ世界に恥を晒す結果となった。(岸・佐藤・安倍、この一族は兎に角問題が多い。)

この首飾は全ての構成部品が22金で出来ており40年前、制作費だけで一つ232万円と非常に高価、しかも造幣局のベテラン専門工が一年掛かりで制作に当たると言われている。これを時価換算し専門工の労務費まで考慮すると気の遠くなるような金額である。全ての勲章は80人の造幣局職員が掛かりきりで制作している。
問題は春・秋併せて年間8千人近い叙勲受章者の6~7割が政治家や公務員であることだ。しかも対象者の選定は各省・各庁の長、各都道府県知事が行うことに成っているが、極めて不透明で情実や選挙目当て等の打算が入り込む余地が極めて大きい。問題はこれが全て税金で賄われていることだ。
旭日章の受章理由を見ると地方自治功労が矢鱈多く町長・市長・市議会議員の名前が府県別にずらりと並ぶ。
又瑞光章の場合は永年勤続章とも言うべきもので教育研究功労を受賞理由とする大学学長や名誉教授が都道府県別に並んでいる。中には命名に疲れたのか弁護士功労等という投げやりな受章理由等も並んでいる。
一体8千人に上る人間をどの様にピックアップし篩に懸けて絞り込むのか、何も考えず機械的にやるだけでも相当な人数が係わっており、其の公務員の無駄な労力は税金の無駄遣いの極地ではあるまいか。こんなことでは公務員の数は一向に減らないだろうし、こんな業務を長年やっていただけで叙勲を受けられるのである。
国会議員、都道府県知事、都道府県議、市区町村長、市区町村議らに与える旭日章、そして国家公務員である大学長、大使、判事、裁判官、自衛官等々に与えていた瑞宝章、こういう国民の税金を貰って生計を立てていた政治家・公務員達になぜ褒美をやらなくてはならないのか。
小・中・高の校長の受章理由が教育功労…(同じ教育功労でも大学教授なら一ランク上の叙勲となる。校長より大学教授の方が功績大なのか。幼稚な判断、そのセンスを疑う)。 地方の麻薬取締事務所長は薬事功労、地方気象台調査課長は気象労務功労、地方開発局部長は開発行政事務功労、中には秘書官功労と言うのもあった。どれも似たり寄ったり、調べるだけで馬鹿馬鹿しくなる受章理由ばかりである。
これら公職者は、国民の税金から給与や報酬をもらって働いていた、つまり政治家には高給を、公務員にも身分保障で失業の心配も無く民間会社の上位クラスの給料と言ったように,その職務上発生した成果への代償はすでに渡してあるということになる。その上何故多くの税金を使って叙勲・褒章などしなければならないのか。
この天皇の名前を使った叙勲制度を運用している政治家や公務員にとっては彼等の利権や政治利用出来る道具として誠に都合の良い隠れ蓑となる制度なのである。

税金を浪費し政治的に利用しようとする政治家の責任は重いが、勲章をもらって功名心を自己満足させる人間が多いのも哀れな話である。
報道機関と言った権力を批判する立場の者がその権力者から勲章等をもらうということに何ら違和感を持たないのだろうか。文化勲章辞退者は4人いるが、その内陶芸家・文筆家の河井寛次郎は名利求めぬ姿勢を貫き人間国宝や芸術院会員も辞退、自身の作品に銘さえ入れなった。又名優の杉村春子は「戦争中に亡くなった俳優を差し置いてもらう事は出来ない」と言う辞退の名言を残した。他の二人は孤高の洋画家熊谷守一、ノーベル文学賞の大江健三郎である。
叙勲を辞退した政治家は「原敬、宮沢喜一、浅沼稲次郎、市川房江、細川護煕,土井たか子」成程と頷ける諸氏である。ちなみに自民党蘇生の恩人で社会党を崩壊させた村山富市は桐花大綬章を嬉々として受章している。
「アサヒビール社長の樋口廣太郎,(叙勲廃止論者)や日経新聞社長大軒順三」両氏は家族にも叙勲辞退を伝えていたにも拘わらず一方的に死後叙勲となった。財界では「国鉄総裁の石田禮助、東京電力社長の木川田一隆、日本興業銀行の中山素平」の侍と言われた財界巨頭が辞退している。流石と言う他はない。
大軒順三の遺族によると、会社から「勲章を受けて欲しい」と強く要請されたそうである。 大軒の死後叙勲の後、新聞・テレビ局のトップが堂々と生存者叙勲を受けるようになった。「読売新聞の渡邊恒雄、日本経済新聞の鶴田卓彦、サンケイ新聞の波佐間重彰、日本テレビの故氏家斎一郎、フジテレビの日枝久」いずれも民間人としては最高の旭日大綬章を受賞している。何れも自民党権力にすり寄る哀れな御仁である。
最後に佐藤栄作首相によるとんでもない叙勲;第二次世界大戦の航空部隊司令官、カーチス・ルメイが編み出した戦略爆撃機B29による<夜間・低空・無差別爆撃>作戦、これによる東京大空襲で隅田川沿岸の下町地帯中心に10万人が殺された。当の本人が、「もし我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と振り返っている。この人物に最上位の勲一等旭日大綬章を贈った。「航空自衛隊の育成ならびに日米両国の親善関係に終始献身的な労力と積極的な熱意とをもって尽力した」ということが理由だった。
更に佐藤首相は人類初の月面着陸を果たしたアポロ11号のニール・アームストロング、マイケル・コリンズ、エドウィン・オルドリン3宇宙飛行士が、各国歴訪の一環で来日した。同日午後総理官邸を表敬訪問した3名に対し、佐藤栄作総理は自ら文化勲章を手交した。この文化勲章は、佐藤がごり押しで閣議決定し、所轄の文部省は一切関与していない、文化功労者顕彰がされていない、宮中伝達式も行わなかった、そもそも外国人に対するものだったこと等、異例ずくめの授与だった。しかも受章者のうち2名(コリンズとオルドリン)が現役軍人であるということから、各方面から批判や疑問の声までもが沸き起こる始末となった。佐藤の頭の中は星条旗一色、アメリカ・ポチ首相の面目躍如、岸、安倍に共通するDNAである。

ある社会学者の時評より引用:「辺見庸氏の「永遠の不服従のために」という本の3章に「堕落」という一節がある。引用すると秋の叙勲の受章者リストを見るといい。改憲派の政府・法曹関係者ばかりではない、かつての護憲派の名誉教授様、芥川賞作家まで名前をつらね、、反権力を標榜していた映画監督や著名俳優、反戦歌を詠んだことのある歌人もいたりして、意外や意外どころのさわぎではない。革新政治家、かつては“社会の木鐸”を気どっていたはずのマスコミ経営者、万人平等を教えていたはずの学者ら、その他諸々の、ひとかどの人物たちが、目白押しである。受章と反権力は矛盾しないだろうか。受章と護憲は矛盾しないだろうか。私は、ごく単純に矛盾すると思う。。。権威への欲が矛盾をなぎ倒し、国家主義を直接に手助けして、今日的反動の土壌をこしらえている。」

この様に見て来ると国や地方自治体には見直すべき組織・制度が気の遠くなる程存在し、これが国家財政の硬直化に繋がっている。かって民主党政権時代消費税を上げる前に無駄の排除が必要であるとして国民の拍手喝采を得たが、既得権保持の自民党・官僚・メデイアにつぶされた苦い経験がある。足腰の強い改革勢力の登場が望まれる。


戦争責任…(7) 太平洋戦争 に続く
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(続)秋篠宮様の大嘗祭発言に付いて

2018年12月06日 | 政治・経済
続)秋篠宮様の大嘗祭発言に付いて

予想通り怒り狂った官邸の猛烈な圧力で宮内庁は火消しに躍起である。
宮内庁西村次長は……宮様のご発言は政府決定への反対ではなく「宮内庁に対する叱責」と考えており,今後は意見が違うことがあっても理解いただくことが必要で、二度とこのようなことがないよう、しっかりと対応してまいりたい……と述べたと報じられている。
この報道が事実とすれば平目官僚の面目躍如、官邸には恭順平伏し、一方守るべき宮様に向かっては黙って政府方針に従えと言う恫喝まがいの言いよう、全く不敬極まりない発言である。
安倍政権は本件に限ったことではなく、沖縄問題始め、国家の将来を決するような重要法案の審議等あらゆる問題に付いて「全く聞く耳持たず、問答無用の切り捨て御免」を地で行く強権・専制振りである。それを正すのが国民の公僕であり、皇室の代弁者たるべき宮内庁を含めた役人の責務である。
常々皇室の意向を聴取しそれを予め政府や国民に伝えて対処法を政府と共に考えるのが最大の任務である。それが出来ないなら即刻辞表を書くべきであろう。
このような平目役人に囲まれた皇室の不幸は真に同情に値するし、同時に国民にとっても大きな損失である。
安倍や日本会議メンバー、頭のおかしい古色蒼然たる歴史学者達といった明治礼賛に凝り固まった連中は明治維新のテロリスト下級武士同様,天皇を都合の良い国家統治の道具としか見ていないのである。
(明治維新以降の天皇論に付いては別途取り纏めたい)

11月27日,天皇・皇后陛下が静岡県袋井市を訪れベトナムの独立運動を支援した浅羽佐喜太郎医師の記念碑を視察されるとの報道があった。「戦争責任…(6)太平洋戦争への道」でも触れたが、フランスからの独立に燃え日本に希望を託した多数のベトナム人が来日し,留学生として勉学に励んでいたが,日露戦争終結後、桂内閣は日本の敵対国フランスと1907年日仏協約を結び彼等を日本から追放して其の独立運動を叩き潰す暴挙を行った。そのような政府意向にも拘わらず密かに彼等の活動を支援したのが浅羽医師である。この記念碑建設により日越交流が深まる契機となり、今日のベトナムの対日好感情にも繋がっている。今上陛下はこの様な小さな歴史の一齣にもよく精通しておられ、この一件からも天皇が如何に幕末から敗戦に至る歴史にお詳しいかが垣間見える。これは偏に明治から昭和に至る天皇が政治に悪用され結果として国民を苦しめることに成ってしまった失敗に思いを馳せ、その轍を踏むまいとする強い意志のなせる業であろうと思われる。

今上天皇の秋の叙勲の大綬章親授式の様子を拝見して、あまり晴れやかな御様子で無かったと考えるのは、穿ち過ぎだろうか。
かって将棋界の重鎮で東京都教育委員会委員だった、愚かな米長邦雄が園遊会で陛下に「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが、私の仕事でございます」と発言し、陛下から「強制することは好ましことではありません」と諭され平身低頭・恐懼したとの報道や、 靖国参拝、明治150年式典への出席を回避しておられる事実を勘案すると、上記の様なお気持ちをお持ちなのではないだろうか。
戦争責任を問われる昭和天皇の苦悩を間近にご覧になり、「国民に寄り添う事を第一義とする」という点を象徴天皇として最も重要な立ち位置にされた賢明な陛下にとって明治時代の残滓とも言うべき自己中心主義、上から目線の制度、行事、考え方に違和感を抱いておられることは間違いないと考えるのは私だけでは無いと思う。
元々大袈裟な叙勲や園遊会は明治の遺物、残滓に近い物であるが、とりわけ叙勲は(戦争責任…(6)」で触れたように明治政府の手足となる官僚、とりわけ軍人を統御し、彼等の権威を高めて、国民の国家への従属意識(官尊民卑)を強める為の強力なツールであり、加えて長州の下級武士に過ぎなかった連中が「鷹司、九条と言った皇族」或いは「徳川、毛利、島津と言った藩主」と肩を並べる地位まで栄達を極める為の自己中心、自作自演の制度でもあった。山縣・伊藤(博)が皇族・徳川・毛利・島津と同じ公爵に、井上馨・松方正義・野津道貫、桂太郎が侯爵となった。「10万の英霊と20億の国費」費消によって得た栄達である。


戦後官僚制度が根本的に変わったため、従来の叙勲規定の適用が困難となり、1946年(昭和21年)5月3日の閣議決定により、「皇族及び外国人に対する叙勲と文化勲章」を除いて生存者叙勲は停止され、1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法に「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。」(14条3項)と定められたため、栄典に伴う様々な特権も廃止された。
只憲法には内閣の助言と承認により天皇が行う国事行為の一つとして「栄典を授与すること。」(7条7号)との条文規定が残された為、昭和21年以降は故人、皇族、外国人に対する叙勲、及び文化勲章は残された。
しかし乍ら今現在も、叙勲制度を含む栄典制度に関する法律は定められていない。そのため、栄典制度・叙勲制度は、日本国憲法7条7号が天皇の国事行為の一つとして定める「栄典を授与すること。」を根拠とし、明治8年太政官布告第54号「勲章制定ノ件」等、古めかしい文語調の明治時代の政令(太政官布告、勅令)・内閣府令(太政官達、閣令)・内閣告示等に基づいて、内閣が実際の事務を行い運用されて居り、厳密には憲法違反である。
(天皇の国事行為を有効にするためには、「栄典法」のような法律を作り、その内容を規定すべきであるが、過去に数回に亙り法案が国会に上程されたが何れも賛成が得られず、成案となっていない。)

1963年(昭和38年)7月、池田内閣は法制化を諦め、安易な閣議決定により、生存者叙勲の再開が決められ、翌年新しい「叙勲基準」も閣議決定された。これは戦前の叙勲制度が「官吏及び軍人」中心のものであったのに対し、日本国憲法の下では国民の各界各層を対象とする叙勲制度とするために叙勲の基準を新たに定めたものである。しかし実態は評価が曖昧、官中心で官民格差が大きい等批判が多く、平成11年12月8日、自民党内閣部会において、亀井政調会長から「21世紀を迎えるに当り、栄典制度を新しい時代にふさわしいものとするため抜本的な検討を加えるべき」との指示により、栄典制度検討プロジェクトチームを設けられ、有識者からのヒアリングを含め栄典制度全般について検討、平成12年4月13日、報告書をとりまとめた。しかし検討会そのものが内閣府賞勲局の官僚や自民党の政治家が中心で行われたため改革とは程遠い代物であった。
現在日本の栄典制度には叙勲(各界各層の全ゆる分野で国家・社会に功労のあった者を表彰する)と褒章(特定分野に付いて民間の各種善行者に授与される)がある。勲章は旭日、宝冠、瑞宝の3種類、夫々6段階に分かれており、更にその上に大勲位菊花章首飾、大勲位菊花大綬章、桐花大綬章がある.
又褒章には紅綬、緑、黄、紫、藍、紺の6種がある。学問や芸術・文化などで功績を残した人には「黄綬褒章」、顕著なボランティア活動などには「緑綬褒章」が個人や団体に与えられ、公共の利益に貢献した人には「藍綬褒章」が、人命救助に尽力した人には「紅綬褒章」が、学術・芸術・ 発明などに顕著な功績のあった者に「紫綬褒章」が授与されている。「紺綬褒章」の様に公益の為に私財を寄付した場合に与えられる有意義な褒章もある。
 学問や文化・芸術の分野でご尽力し、或いはその道一筋に励み技術を深めて職を極めた人たち、自分の命やお金や労力等を投げ打ってボランティア活動を続けて来られた人たち、民間に在って一般国民の利益に貢献してきた人たち、人命救助に尽力した人たちが褒章・勲章を受ける。このことは非常に良いことで積極的に進めるべきだと思う。
検討会議では叙勲制度は元々官僚を対象に発足したものでありある程度「官偏重」もやむを得ないといったニュアンスの事務局発言があるように改革の姿勢など到底見当たらない。最大の問題は巨額の税金を使って政治家や自分達役人の既得権を守ろうとする姿勢である。「国及び地方公共団体の公務」に与えられる叙勲にこそ問題があり、批判が挙がっていることが分かっていない。既得権保持の為敢えて図太い官僚精神で批判に背を向けているのかもしれない。
旭日章は、「国家又ハ公共ニ対シ勲績アル者」に授与すると定められ「民間人や 国会議員、都道府県知事、都道府県議、市区町村長、市区町村議ら」に与えられる。
瑞宝章は、「国家又ハ公共ニ対シ積年ノ功労アル者」に授与すると定められ、具体的には「国及び地方公共団体の公務」または「公共的な業務」に長年にわたり従事して功労を積み重ね、成績を挙げた者を表彰する場合に授与される。国家公務員である大学長、大使、判事、裁判官、自衛官等々に与えられる。

今年秋の叙勲の大綬章親授式が11月6日、皇居で行われ、桐花大綬章のマハティ―ル首相、今井敬経団連名誉会長、斎藤十朗元参院議長、 旭日大綬章の大橋元最高裁判事、平沼赳夫、千葉景子等国会議員4人、渡辺元トヨタ社長、外国人一人、合計10人に勲章が手渡された。10人中6人が政治家・役人である。最高位の斎藤始め国会議員の受賞理由が概ね「多年に亙り国会議員として議案審議の重責を果たし、国政の枢機に参画した」という程度の事である。受賞者の顔ぶれを見ればこれ以上の叙勲理由を書き様が無いことが分かるが、国民の公僕として巨額の報酬を受け、極めて当たり前の仕事をしたに過ぎない人物が果たして表彰に値するのか、外国人や民間人受賞者に対しても失礼に当たるのではないかと思う。
此処で留意したいのは、叙勲に関わる費用である。内閣府の予算数字を調べると春秋併せて8千個,其の褒章品の製造コストは総額27億円(最近年度はほぼこの水準、1978年度は4.6億というネット情報があったので、これが事実とすればこの間約6倍の膨張である)、これに関わる事務経費(人件費等…どれだけの人間が係わっているか)を加えると気の遠くなる様な金額である。
国(酷)税から政治家や公務員に高給を払い、その上何故これ程巨額の経費を懸けて彼等に褒章を与える必要があるのか。利権の温床になっている可能性も強い。
陛下が叙勲者の顔ぶれを見て晴れやかな御様子になられなかったと同様、税金の無駄遣い此処に極まれり、消費税増税など以ての外という感を強くする。

この項(続・続)秋篠宮様の大嘗祭発言に付いて……へ続く 
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秋篠宮様の大嘗祭発言に付いて

2018年12月02日 | 政治・経済
秋篠宮様の大嘗祭発言に付いて

「戦争責任…(2)天皇を利用し尽くした薩長政権」 で触れた通り伊藤博文を中心とする藩閥政治家達は国民統合の手段として「君臨すれども統治せず」、「皇国史観」 この基本方針に沿って天皇制を徹底的に利用する事を考え、天皇の神格化を図ったがその手段として、大嘗祭のもとになる新嘗祭等単なる皇室祭祀に過ぎなかった行事を華美で大規模な祭祀とし、大袈裟に国民の祝日としたのである。全ては天皇の政治利用が目的である。

大嘗祭も明治22年2月裁定の皇室典範11条に於いて始めて「即位の礼及び大嘗祭は京都に於いて行う」と規定されたが、昭和22年5月裁定の新皇室典範では「皇位の継承があった時は即位の礼を行う」とだけ規定し大嘗祭には一切触れていない。  又大嘗祭に関する政府見解として「大嘗祭は収穫儀礼に根差したものであり、その中核趣旨・形式等から宗教的儀式としての性格を有しており、態様に於いても国がその内容に立ち入ることが出来ない」として皇室の私的祭祀であることを認めている。
憲法20条に政教分離が明確に謳われ,国家神道は廃止されたのであるから、天皇が神道の神官として祭祀を執り行う際は、天皇家のプライベートな行事という扱いにするのが筋であって、国家予算をつぎ込むのは明らかに憲法違反である。
秋篠宮様のご発言はそもそも憲法の政教分離大原則に違反する可能性のある皇室の私的行事に対して「短絡的な前例踏襲」という安易な考えで巨額の公費で賄うことに疑義がある。天皇の公務削減という問題も含め、社会通念の変化を踏まえ主権者である国民の間でよく議論されてしかるべきではないか。大嘗祭は新しい皇室典範にも皇位継承の重要な儀式とはされて居らず,皇室の私的祭祀であるから、天皇家の私費に当たる「内定会計」の範囲内で「身の丈に合った儀式」にするのが本来の姿である、というものである。政府が皇室の私的行事に迄口出しをして、其の簡素化すら皇室は自由にできない、人間天皇に対する基本的人権の蹂躙以外の何物でもないだろうか。象徴天皇制は統治システムであるが、それを担うのは、自由意志のある人間であって、その思いは尊重されるべきことは言うまでもない。
昭和天皇の逝去の後、喪が明けた1990年11月、大嘗祭を行う費用は総額で約22億5000万円、その内2日後に取り壊された大嘗宮を皇居・東御苑に設営するのに14億5000万円余り掛かっている。当に国税(酷)の無駄使いの最たるものである。全国の知事を総動員して行う大掛かりな儀式に一体何の意味があるのか。東京五輪・大阪万博、明治維新150年等々国威発揚の旗印を基にポピュリズム政治の道具、政権の人気浮揚策以外の何物でもない。
政治の皇室利用は薩長幕藩政治以来今も変わるところが無い。
明治維新までは代々天皇家は質素を旨とし国民に寄り添う事を第一義としてこられた。今上天皇同様、宮様発言の根底にはこの考えが脈々と流れているのだろうと思う。消費税増税で集めた貴重な税は被災地や子育て、介護施設等其の配分を待ち望んでいる人が沢山いる、そちらに回したらどうかと仰りたいのではないだろうか。
この様な背景から、宮様のご発言は100%正しい。
原稿も見ず自然体で噛み締めるように話されたご発言内容は「現憲法に従って公務を行うことを再確認した」と言う重い意味を持ち、極めて説得力があり共感を呼ぶ。護憲主義を嫌い平気で憲法違反犯す現政権とは真逆の考えである。
このご発言に対する官房長官や宮内庁長官の木で鼻を括ったような誠意のない対応はどうだろう。ここに知性・人間性の落差の大きさを感じたのは私だけだろうか。
宮様は7年前の同じ会見でも「天皇にも定年制が必要になってくる」という問題の本質を突く鋭い発言をしておられる。天皇や・皇太子が言えないお二人の立場を慮っての事と推察される。
以前今上天皇が生前退位のご意向を表明されたが、前々から天皇は宮内庁にそのご意向を伝えていたにもかかわらず、宮内庁は受け入れなかった為、天皇はビデオメッセージでお気持ち表明するという強行手段に出ざるを得なかった。秋篠宮さまは生前退位にも賛成で、天皇をそういう状況に追い込んだ宮内庁に不信感を抱くようになっておられたと報じられている。
陛下からは皇太子殿下とよく相談するようにといわれたといって、暗に秋篠宮殿下の意見は陛下の意向に従ってあまり聞くつもりはなかったようなこともいっている。もしそうであれば善意に解釈すれば「融通の効かない子供の使い其の物の、全く血の通わない典型的な官僚発言」であり、悪意に見れば「官邸の意向を忖度し皇室軽視の平目高級官僚其の物」でる。何れにしても人間的にも能力的にも宮内庁長官の資格など無いと言わねばならない。天皇家の人の言うことに聞く耳持たずとは、それ自体が政治色の強い行動であることを失念している。
薩長テロリスト下級武士による明治維新により孝明天皇以降の天皇が辿った不幸な過去、とりわけ昭和天皇の苦悩や戦後の国民の苦しみを、今上天皇はま近にご覧になり、天皇制は現行憲法の価値観をベースに、国家神道とはきっぱり決別し、明治回帰・戦前回帰等国家主義的傾向の目立つ政権の「皇室の権威利用」を拒否するという毅然たる皇室全体の意思表示が見て取れる。国民的な人気のある天皇家を神格化し戦前回帰の国家をつくることに利用しようとする政権、古色蒼然たる日本会議や学者達には皇室をサポートし我々の厳重な監視の目が必要である。


この項続く(戦争責任…(7) 太平洋戦争 はその後で)
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