追憶の彼方。

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葉茶滅茶総理からテルテル総理へ

2020年10月12日 | 政治・経済
葉茶滅茶総理からテルテル総理へ

「令和おじさん」や「パンケーキ好き」「秋田の苦学生、苦労人」等はまさに世をたぶらかす仮の姿、本質が見えない愚かな一部の国民から吉本芸人やタレントの人気投票紛いの軽い感覚で6割を超える高支持率を得てスタートした菅総理、破落戸(ゴロツキ)大統領トランプに「鴨葱」到来とばかりTel,tel(テルテル) と連呼され、すっかり気をよくしたのか、外交に「根拠無き自信」をつけたようだ。葉茶滅茶路線を引き継いでポンコツ兵器購入や米軍駐留経費負担の増額等、大盤振る舞いせぬよう祈るばかりである。プーチンに至っては電話会談当日を見計らって北方領土で大規模軍事訓練、葉茶滅茶同様完全になめられてしまった。誠に心許ない限りである。
テルテル総理の本質は睨みを利かせる為、官房長官時代と同様、警察官僚で脇を固め、人事権をフル活用して官僚はもとよりメデイアをも支配して意のままに操ろうという意図が見え見え、人格破壊に等しい暴言で意に添わぬ官僚等を叩きのめそうとするなど、陰湿・陰険な本性が随所に顔を出す。優秀な官房長官と評されたのは疑惑を追及されると「指摘はあたらない」「全く問題ない」「適切に対応している」など、まともに答えない「菅話法」を貫き通す、追及しない腰抜けメデイアにも問題はあるが、これこそテルテル総理の本質的な顔」である。説明から逃げ、論点をはぐらかし、時間を稼げば、どうせ能天気・お気楽な世間は忘れるというそろばん勘定だ。国の最高権力者が意に沿わない者を切り捨て、その理由も問答無用であるという風に明言するのは、民主主義の破壊行為、これこそ葉茶滅茶政治の踏襲である。東京新聞の望月衣塑子記者が「会見は政府のためでも、メディアのためでもなく、国民の知る権利に応えるためにあるものだと思いますが、この会見を一体何のための場だと思っているのかという問いに「あなたに答える必要はありません」と言い放った。
ご飯論法の命名者・法政大学の上西充子教授はテルテルの情報発信の特徴をこう指摘する。 「言いたいことは言う、それでいて相手の指摘は受け止めない」「門前払い論法」、相手の質問をシャットアウトしながら、こんなに頑張っているんだという自分の思いは一生懸命話し、共感してもらおうとする。
葉茶滅茶が第一次政権同様、慶応病院医師団が公表した単なる「機能性胃腸炎」を重病の「潰瘍性胃腸炎」と仮病を使い、能天気な大衆を騙くらかして「お疲れ様」との同情の声迄集めて、マンマと政権を放り投げるのに成功したが,唯一番の心配の種は「森友・加計・桜を見る会・前法相河井克行被告大規模買収事件への関与」の犯罪行為が再調査されることである。首相候補者の石破は再調査が必要と匂わせているし、岸田は買収問題で煮え湯を飲まされ、派閥領袖としての地位を危なくされた恨みがあり、何時、寝首を掻かれるか知れたものではない。
ここは上記犯罪行為に加担してきた菅しか無い、「彼なら人事権をちらつかせ検察も抑え込むだろう」として、安倍・麻生・二階の自民悪人トリオの利害が一致して選ばれたのに過ぎないのである。ここにテルテルが加わり自民悪人カルテットが出来上がった。案の定、桜を見る会は中止、ついては検証はしない。同会でのテルテルと反社会的人物とのスナップ写真も、反社会的勢力の「一義的定義は定まっていない」との菅の2007年の政府指針に反する迷答弁に沿って無かったことにする積もりであるある。
テルテルの知性水準も悪人トリオと同程度、葉茶滅茶同様、法学部出身だが民主主義の基本理念や憲法の基本すら理解していない程度の法学士、自民の若手からでさえ政治哲学など皆無と蔑まれ、法大学長・教授連中からも駄目だしが出ているのは葉茶滅茶と同じ構図。自分の言葉で演説が出来ず原稿を読むだけで発信力ゼロ、アメリカが破落戸大統領のせいで過去の栄光を失ったのと同様、葉茶滅茶、テルテル2代続きの無知・無能のお陰で日本人の知的水準も含めた評判が「がた落ち」になる可能性大きく国家の一大損失である。
元々政治哲学はおろか信念、思考の座標軸等とは凡そ無縁と見られ言説がぶれまくる。
2012年3月刊行の自著「政治家の覚悟」には「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料、その作成を怠ったことは国民への背信行為である」と中々格好いいが、2017年8月8日の記者会見で「誰の何という本の内容か知っているか」と質された際、「知らない」と答えている。どうせゴーストライターの作品だろうが肝の処ぐらい覚えておけと言いたい。官房長官時代は強権的な手法で、不都合な公文書の(隠蔽・改ざん)に加えて「廃棄した」のオンパレード、「政治家としての覚悟」の無さを物の見事に証明した。
更に今年9月17日の東京新聞記事には「菅首相の地方を大切には本当か」という興味深い記事が出ている。
16日の首相初の記者会見で「秋田の農家の長男として生まれた私の中には、一貫して地方を大切にしたい、日本の全ての地方を元気にしたい。こうした気持ちが脈々と流れています。この気持ちを原点として知恵を絞り、政策を行ってきました」テルテルは熱く語った。 しかし2000年9月頃の自身の ホームページで「私のめざす政治として『年功序列、地方優先政治の打破』を掲げ、こう厳しく指摘した。「皆さんの支払う国税の大部分は地方の道路や施設の投資に使われています。大都市はさまざまな都市問題を抱え、財政も火の車です。世界を捜しても日本しかない地方交付税制度はもう見直さなければいけません」と主張、さらにプロフィル欄では、「都市で徴収された国税の大部分が地方に投資されており、効果にも疑問」と強調。「厳しい財政状況の中で国民の血税が使われるのです。立ち遅れている都市政策を充実させるためには、都市と地方の予算配分の見直しこそが不可欠です」と真逆の主張、当にご都合主義の面目躍如である。
テルテル最初の記者会見で語った政権の基本方針は次の通りである。「目指す社会像は自助・共助・公助、絆だ。国民から信頼される政府を目指す。そのためには行政の縦割り、既得権益、あしき前例主義を打ち破る。国民のために働く内閣をつくる。」
総理として恰好をつける為に大上段にしゃべったことがこのような上から目線の発言になったとしか思えない。本当に意味が分かって語っているのか甚だ疑わしい。
先ず「自助・共助・公助」、『先ずは頑張って自分の力で何んとかしろ、それがダメなら身内や知り合いを頼れ。どうしてもダメなら、しょうがないから政府がなんとかしてやる』、この発言、政治や政治家の役割がまるで分っていない。そもそも政治の目的は個人が頑張り、互いに助け合いが出来るような社会環境や仕組みを作る事にある。国のトップは「そのような社会にするので皆さんどうか頑張って下さい」とお願いするのが筋であろう。
次に「国民から信頼される政府を目指す。 国民のために働く内閣をつくる。」 これは葉茶滅茶や自分がやってきた8年が凡そ「国民から信頼されず」、「国民の為ではなく、自分達やそのお友達、更には破落戸大統領の為に働く」内閣だったと反省の上に立った発言だったとすれば合点のいく発言であり、初心忘るべからず
ぜひ実行してもらいたい。

「テルテルご都合主義の改革」へ続く

コメント
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