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グリニッチセンター世界地図の勧め

2023年11月23日 | 文化・文明

グリニッチセンター世界地図の勧め

最初の海外赴任先ペルーでは1年間単身生活を強いられた為、最初の3か月は会社が探してくれたドイツ系移民の家庭に下宿したが、余りに粗末な食事に辟易し、現地人職員に探してもらってイタリー系移民の家庭に9か月お世話になることになった。

この二つの下宿生活で気になったのは普通日本の家庭では余り見かけない大きな世界地図が食堂の壁に張り付けられて居た事である。先輩の話では移民して来た人達の故郷へのノスタルジアのなせる業だろうとの説明に成る程と納得したが、只、初めてこの地図を見た時、会社が社員に配布している社員手帳に掲載されている世界地図と全く異なっている事に少なからず違和感を覚えた。ペルー人に確かめると、学校や役所で使われている地図は私が食堂で眺めている地図や、社員手帳に掲載された日本人に馴染の地図とは異なり、北米・南米を中心にした世界地図だと言うことが分かり、世界には自国を中心にした地図があるのだと言うことに気付かされた。後年世界で最もポピュラーな世界地図は三つ、下段左から順に、下宿の食堂に張られていた(1)グリニッチセンター地図、社員手帳の(2)アジアセンター地図、ペルー社会で一般的だった(3)南北アメリカセンター地図であることが判明した。

下宿先の食堂に張られた上記(1)の地図はイギリスのロンドン郊外グリニッジ天文台にある通称「エアリー子午環」の中心を通る子午線(経線)を中央に配置したもので、ヨーロッパ、アフリカ、インドで利用される世界で最も汎用性の高い地図である事も分った。一年間、朝夕これを眺めていたお陰で色々気付かされることが多く非常に勉強になった。我々日本人が見慣れた(2)の地図は太平洋が真ん中に配置され、中央に日付変更線が縦に走っている地図だが、この地図だと極東は北中南米,若しくはグリーンランドを指し、更に日の出国(日のいずる国)はグリーンランドやブラジル・リオ辺りになる。そう言えば過って太平洋戦争時、日本の軍事政権は「極東」の字句は「イギリスは世界の中心なりとの観念の上に組み立てられたものである」として、次官会議を通じてあらゆる公文書新聞雑誌などから「極東」を排除した歴史がある。極東を拒否するのであれば、日本は「日の出国」も返上する必要があるのではないかという疑問が湧いてくる。尤も日付変更線上から地球の一日が始まると理解できれば、日本は日の出国(日のいずる国)だと胸を張って言えるのだが。

要するに我々が見慣れた地図はアジア至上主義がもたらしたもので、この地図を使っているのは日本、韓国、東南アジア等限られた一部の国だけである。他と見比べて、この地図は長年に亙り如何に我々に無知や偏見をもたらして来たものであるかと言う事が明らかになった。

グリニッチセンター地図で見れば、日本は右端に位置し、当に極東である。日付変更線は更にその先に在るので日本は日の出る国に該当すると胸を張って主張出来ることにもなる。 

更にこの地図を眺めている内に、先ず大西洋に関する印象や知識が一変した。見慣れた地図では大西洋を意識する事が殆ど無かったが、よく観察すると大西洋は太平洋のおよそ半分、インド洋とほぼ同程度で想像以上に狭い。従ってアメリカとイギリスは非常に近く、信仰の自由の象徴であるメイフラワー号が比較的容易に、イギリスを逃れてアメリカに渡れたのも納得が行くし、【(アメリカ大陸)、(西インド諸島=バハマ、キューバ、ジャマイカ,ハイチ、ドミニカ等)、(ヨーロッパ)】、この三者の結びつきを容易にし、経済・文化の発展に寄与した事も納得がいく。

 歴史を振り返れば、 13世紀イタリア商人で冒険家のマルコポーロがヨーロッパに中央アジアや中国を紹介する「東方見聞録 」を著わし、それが世界地図作成の基礎となって、大航海時代への幕が切って降ろされた。15世紀にはポルトガルの航海者・バスコダガマがアフリカ沿岸に沿ってひたすら南下し、南端の喜望峰を超えインドに航海した最初のヨーロッパ人となった。

同じ頃スペイン女王の支援を得たコロンブスも東方見聞録に刺激され、インドや黄金の国・ジパングを目指したが、喜望峰に到達せず、大西洋を横断してしまって中米・サンサルバ島に到着してしまった。天文学を勉強した彼は当時明らかに成りつつあった地球・球体説を信じスペインから西にさえ行けばインド・ジパングに辿り着くと信じ込んだ為、結局中米に辿り着いてしまったのである。浅黒い先住民をインド人と誤認し、インドに到着したと考えた為、以後中米を西インド呼ぶことになった。最後までインドと信じ込んだコロンブスは先住民をインデイオと呼び、彼等を奴隷として、豊富な金塊と共にスペインに持ち帰って奴隷商人としての名を馳せ、その功績によりスペイン王室から今に続く侯爵の称号を得ている。コロンブスと同時期、イタリアのアメリゴ・ヴェスプッチ (Amerigo Vespucci)と言う探検家が数回にわたって大西洋を航海、南北に連なる広大な陸地を探検し、コロンブスが到達したのはインドの一部ではなく、「新大陸」であることを明らかにし、その結果彼の名前を取って新大陸はアメリカと呼ばれる事となった。

  

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