3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

With Corona の時代に 1

2020-06-12 09:17:46 | 現代社会論
すっかりウイルスがいる生活が日常になった。
在宅ワークが主になった。手渡しでなければならない資料などを除いては、ほとんどメールでPWつければなんとかなる、ということになり、あとは在宅ワークの環境を整えることがテーマである。
パリの人はこの間の隠遁生活に飽きて、ひろい庭のある郊外の一戸建てに転居することを考える人が激増しているという。
日本も都心の狭いマンション、バルコニーは猫の額状態、では、やってられないということで郊外の庭付き一戸建てを希望する人が多くなっているという。
軽井沢とか山梨、熱海、小田原とか、新幹線などで1時間程度であればなんとかなりそうだ。世の中どこもかしこも空き家ばかりになっているのだから郊外や地方都市の一戸建て生活は可能だろう。

私は江戸っ子なので、地方に住んだこともあるにはあるが、どうも地方でのくらしはなじめないので、地方移転は無理と思っている。

第一、上野公園が近くになければコンサートも美術展も気軽にいけない。子どもの教育環境を考えれば、東京都心のほうがいいだろうと想像する。
中高年になって地方に住むのはけっこう勇気がいる。
その土地の価値とマッチするかどうか難しいと思うのである。

知人が定年を前に地方に引越した。最初は悠々自適晴耕雨読、在宅ワークを謳歌していたが、次第に近隣住民との軋轢か、5年したらまた都内に戻ってきた。生活拠点をたくさんもつというのは楽しいかもしれないが、一つの場所に集中するとそこの近隣関係のわずらわしさがいやになることもあるのだろうと思うのである。

在宅ワークの環境を整えるのは大変である。
書斎的な空間を用意してそこに机と椅子をおき、ネット環境を整え、モニターやヘッドセットを購入し、印刷機やコピー用紙・・。
第一、家にばかりいると運動不足になり体重が増えてしまう。
それで早朝のウオーキングは欠かせなくなった。

というわけでどこに住んでもよいけれど、with corona の時代にあって、在宅ワークにならざるを得ないのは確かだが、だからといって文化的な刺激がなければ無理である。
文化的な刺激がある程度満たされ、近隣関係のわずらわしさがないところ、で、何回かの出社にも楽な場所・・と考えると、今のところのほかに考え付かない私なのである。

地方への移転は絶対に考えられない。
刺激に満ちた江戸の暮らしをそう簡単に捨てられるわけないじゃないかと思うのである。



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