3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

沖縄防衛局長の性犯罪を引用した発言に沖縄のみならず、多くの女性は傷つく、更迭どころか懲戒免職

2011-11-30 09:44:27 | 女性の地位

沖縄防衛局の田中聡局長が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設に関する環境影響評価書提出をめぐり「これから犯すよと言うか」と発言していたことがわかった。29日付の琉球新報が報じた。
この人はいつもこのような事で頭がいっぱいなのだろう。

オフレコであろうが、人権侵害発言をし、それを聞いた新聞記者が問題としたのはよいことである。
こんな人権侵害野郎が局長だって?私がその場にいたら、嫌な気分であるし、耳が腐るし、傷つく。怒髪天、コップの水を顔にかけて「何考えてんだ。頭冷やせ、出て行け!首だ!」というだろう。

こんな軽い、いやいや軽いならまだ許せる、ただの馬鹿と思うが、性犯罪がらみの話題をだすなんて、下劣だ。こんなものが国Ⅰだなんて、やはり日本の官僚のレベルは政治家と同様ひくいのだ。

先日、朝日ニュースターをみていたら、
11/27(日)白熱討論!この国と女性の未来
辻元清美氏 VS 片山さつき氏
白熱討論!この国と女性の未来
片岡さつきと辻本清美、田原 総一朗がしゃべっていた。国会議員のなかでも女性はマイナーであると。

官僚も政治家も男の世界、男はつるんで保守にまわるので、世の中変わらないのだ。だめなものはだめといえる正論をいうのは、自民民主どっちも女性だとのこと。
そうだろうよ。
職場でも同じだ。

私は組織上、正論をいわなければならない立場にある。それに間違ったことがきらいなので、何があろうと「反対は反対」発言をすることにしている。だめなものはだめ、よいものはよいのだから。
正論をいうとその場の雰囲気がしらける。それをこわがる弱い女性はそういう雰囲気をこわすまいと反対意見はいわない。呆れるほど弱々しい女性もいる。

しかし、強靭な女性たちと正論を是とする少数派の真のリベラル男性とは連帯できる。しかしそれはマイナーなので、組織の体質はかわらず、世の中もかわらない。

日本はなんでこんなにも品性下劣な国になってしまったのだろう。

だめなものはだめといおう。保身にまわるだめ男を撃沈しよう。




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足尾鉱毒事件からミナマタ、フクシマへ

2011-11-24 10:44:36 | エネルギー政策
3.11のあと、我々の生活はどのように変わったのか。

結局何もかわってはいないのではないか。

原発反対の声も少し前よりかなりトーンダウンしているように思う。
言論統制が敷かれているからなのだろう。それにしても、ショボイ。
なぜしょぼくなってしまうのか。

原子力関連企業は、日本の基幹産業である。
そこには、多くの従業員が働いてて、その家族がいる。もし、原子力発電所が停止され、その技術も次第に消えていくことになったら、生活に響くからだろうと思う。
また、マスコミ、政治、経済界はつながっていて決して徹底的に東電を叩き、また、原子力関連企業を叩こうとはしないので、盛り上がりに欠くということになる。

昔、足尾鉱毒事件が起きて、田中正造が銅山の操業停止を議会で訴えた時、殖産興業で西欧列強諸国に対抗しようと考えていた政治家や経済人たち、知識人たちもみな鉱毒問題なんて、日本の経済成長のためなら、目をつぶれといった。それに第一、足尾銅山で働く労働者1万6千人とその家族が路頭に迷うではないかと。操業停止なんてもってのほかと考えていた。

しかし、被災地に足を運んだジャーナリストたち、たとえば、木下尚江や島田三郎らは、そこで鉱毒による川の汚染と銅山から出る亜硫酸ガスによって山木が枯れ、禿山になり、洪水が起きていること、下流の農村の農民の生活の惨状を見て、一気に操業停止側に回った。足尾鉱毒問題を新聞でとりあげ、キャンペーンをはり、全国に発信した。しかし、銅山経営者古河市兵衛は政治家と縁戚関係を結んでいたこともあり、結局、鉱毒問題は被災地域を遊水池にするという治水問題にすり替えられ、残念ながら戦時体制に傾斜するなかでうやむやになった。銅山操業は継続されたのである。
以来、ミナマタを経て、フクシマに至る道、構造的には何も変わっていない。
自然破壊をして成長優先して得た豊かさはいずれツケが回ってくるのだ。

われわれはこの足尾鉱毒事件の教訓を今に生かさなければならない。

我が国はコネの男社会である。男同志の仲間でいいように金と権力を牛耳り、人道を外れても透明性に欠けていても、身内をかばい合う。異質な人間をこそ集団にいれる勇気をもたなければならない。
異質な人間とはなにか、厳格で融通のきかない人々である。金を積まれてもダメなものはダメといえる人である。



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NHKの劣化

2011-11-22 11:30:42 | 現代社会論
NHKの劣化がひどい。

クラシック番組の女性アナウンサーの劣化については、ずっと前に書いたが、
この間はBSでAKBの特集をやっていた。
見る気もしなかったが、どんな内容でもAKBをBSで流すなんて・・・、見たくない。
NHKスポーツ番組もみてられない。
超ミニの人造人間みたいな女性スポーツキャスター?がでてきて、高音早口でぺちゃくちゃしゃべる。キャバクラ嬢?!のような髪型で知性のかけらも感じられない。
カメラは何を勘違いしているのか?おじさんアングルで下から撮る。たるんでいる。
不快の極みである。

一切みないことにしている。

民放は論外。お笑いとバラエティしかやらず、ゴミみたいな番組ばかりである。


コメント (1)
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ガバナンス(オリンパス、大王製紙、読売)

2011-11-19 13:50:48 | 現代社会論
オリンパスが大変だ。
大王製紙も大変。
ジャイアンツも大変?だ。(野球は興味ないので、ジャイアンツがどうなっても構わないし、読売新聞も好きではないので、清武でも江川でもどうぞ)

ガバナンスの問題といわれている。

日本の企業は、日本的体質のもとで経営されている。
日本的体質とはなにか、それは、お金と人事の流れ、がうやむやで透明性に欠けるということ、それを見てみぬ振りをしていると出世できるあるいはうやむやなことを一緒にやってしまうと出世できるという構造になっているということ。そこに、外国人経営者とか女性幹部とかちょっと毛色の違う人間がはいって、なにこれ?といわれたら、最後、今までの「やばいこと」が白日のもとにさらされとんでもないスキャンダルになる。

自分のポケットマネー以外は一円でも不透明な使い方をしないように、第三者性をキープし、人事も第三者に説明ができるようなものにしなければ通用しないのに、それがまるでわかっていない経営者陣が多過ぎる。

なにこれ?とか、このお金はどこへいったんでしょう?という、あるいは、この人はなんでこのポストに?という疑問に360度明快に客観的データを示し回答できるものでなければ国際的な企業としてはやっていけなくなっている。

企業、役所、大学、町内会や管理組合にいたるまで、透明性、公明正大が必要になっているのだ。

この人に任せていれば安心というのは神話でしかない。任せられた人は透明性と公明正大なことの根拠を示さなければならない。たのまれなくてもそれをやる、というのが上に立つものの資質として必要なのである。
レベルの低い組織は、批判力もなく、強力なトップが勝手をやっているのを放置するものである。取り巻きが知っていてもなにもいわず、変革もできないような組織はどうしようもない。とりまきもまた不作為の罪として断罪されるべきである。
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足尾銅山鉱毒事件からミナマタを経てフクシマへ

2011-11-17 14:56:34 | 現代社会論
足尾鉱毒問題は明治時代、富国強兵殖産興業、戦時体制に急激に旋回していく国策のなかで葬りさられた日本の公害の原型である。

そして、水俣は戦後の高度経済成長の負の遺産として、フクシマは高度経済成長を支え、日本の経済成長と没落のシンボルとして長く語り継がれるだろう。
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