3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

新型コロナウイルスの脅威15 子どもの貧困防止に学校はなにをしているのだろうか

2020-06-04 10:09:42 | 病気
ブルーインパルスが東京上空を飛んだ。どこかでは花火があがったとのこと。そして、またまた、給付金をめぐる疑惑が浮上している。
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中小・個人事業者向けの「持続化給付金」の給付業務を769億円で国と契約した一般社団法人サービスデザイン推進協議会がじつは電通の“トンネル法人”だった問題で、新たな事実が次々とわかってきた。
 6月2日におこなわれた野党合同ヒアリングに政府が出してきた資料によると、サービスデザイン推進協議会は業務の管理・運営を749億円で電通に再委託、そこから電通は電通の子会社である4社に広告制作などを、給付金支給業務などはやはり子会社の電通ライブに外注。さらに電通ライブがパソナやトランスコスモス、大日本印刷などに業務を発注していることが判明。また、749億円のうち広報に50億円もあてられていることもわかった。
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こんなときでも商魂たくましく一円でも国からお金をせびろうとし国も特定の企業に業務をやらせて、あとでいつかどこかでキックバックするつもりなのだろう。
このやり方はコロナ前で国民の生活がのんべんだらりとなんとなくやっていけた時代は通用したかもしれないが、アフターコロナの時代はもうこれをやったらおしまいである。
国民の怒りは爆発する。
非正規の人はいつ首を切られるか戦々恐々としているし、正規の労働者も業績悪化で給料はカットだろう。給料が減額されるとなるとローンを抱えているサラリーマンは途方にくれるだろう。この時に税金を投入してまた儲けようだなんて、品性を疑う。

母子世帯のお母さんも多くはパートなど非正規である場合が多く、平時でも家計が苦しかったのに、ここにきて、ますます生活は苦しく、子どもの貧困はますます改善されることは当分ない。絶望的である。
国民生活の実態はなかなか把握できないが、子どもの貧困は小中高校や保育園などを通して詳細な調査は可能である。だから、保育園、幼稚園、小中高の教育、福祉機関を通して子どもの貧困を明確にし、生活保護などの扶助や親の就労支援への職安などへの橋渡しも含めやるとよいと思うのだ。
かつては学校が子どもの貧困の最前線にあって先生は家庭訪問を通して経済状況、家族関係、虐待、風呂にはいっているか、ご飯をちゃんと食べているかどうか、などにも目をむけ責任をもつ支援をしていた。そういうことを含め教育だった。
WEB授業で忙しいだろうけれど、学校の先生のやることは読み書きそろばんだけでなく、子どもの生活状況を把握することも大切な仕事だろうと思う。
子どもが安心して勉強ができる環境を整えてやることは教育の基本だ。
私が教育長だったら、校長に呼びかけて子どもの生活調査をやるだろう。親の商売が上手く行かない実情も含め、あらゆる生活の問題が明らかになるはずである。それをもとに決めの細かい生活保護やさまざまな社会手当を展開すれば効率もよいというものである。特定の層だけでなく広く貧困が拡大していると思われる昨今、かなり強力な子どもの生活調査が必要だ。
お金をばら撒くのは緊急的にはよいかもしれないが、本当に求められているのは決めの細かい実態調査にもとづく支援である。学校や保育園をターゲットにすればすくなくとも子どもだけはセーフティネットによって救われる。
学校よ、もっと地域に出よ、地域を歩いて子どもとその家族の生活を支える資源になれ、といいたいのである。


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新型コロナウイルスの脅威14-大山鳴動してマスク2枚の貧弱

2020-05-27 09:31:35 | 病気
東京は緊急事態が解除された。解除される2日ぐらいまえからどうも解除されるらしい、といううわさが流れ、みんなそわそわしていた。在宅ワークに慣れきっている人びとはああー、このまま在宅ワークが続けばよいのに、またあの通勤地獄か、とうんざりしたり。
在宅ワークをしてみると家でお昼を食べる生活というのに穏やかな生活とはこういうものか、と改めて家に居る生活のよさを再認識したりしている。洗濯物を外に干していて急に雨が降ってきてもだれかが気づいてとりこんでくれるとか、いいなあと思うのである。
さっそく開店したデパートに人びとが殺到している映像をみると自粛蟄居という生活にいかに飽きていたかがわかるというもの。そうこうしているうちに感染第二波がすぐにやってくる気もするのだが、我々はこのウイルスの特長について、そうとう知識を蓄積してきていてちょっとは賢くなっているので気が大きくなっているのは確かである。
マスクをして人との距離をとり、手を頻繁に洗いさえすればなんとか感染防止が可能であるとか、このウイルスは、唾液に含まれていて飛沫感染するとか、だとしたら、食事中にやっぱりおしゃべるしてはいけないのだろう、とか。そういうことがだんだん明らかになってくると基本さえ抑えておけば何とかなると思うのは私だけかもしれないが、とにかく、気が大きくなっていることは確かだ。
子どもには手にうんこがついているとおもいなさい、と言ってある。そう思えばお金をさわったり携帯をさわったりドアノブやエレベーターのボタンなどやばいと思ってさわらないだろうし、さわったら消毒をするだろうと思うから。
どこかの国の人は手にペンキがついていると思いなさい、といっていたがどこの国の人もみな考えることは同じだ。
在宅ワークが続くとエッセンシャルワーカーを除く人びとはみなテレビやラジオネットニュースなど以前よりずっと目にする機会が増える。であるので、検事長の定年延長や賭けマージャン、布マスク2枚のアベノマスクの失態、10万円をすぐといいながら待ちぼうけを食らっている仕事の遅い政府のやり方・・・。とにかく不満が爆発している。自営業の人びとなどは堪忍袋の緒が切れた感じである。
マスクなど全戸配布する必要などそもそもないのに大騒ぎして何億円もかけて馬鹿じゃないかと思うし、挙句の果てに送られてきたマスクが不良品だった日には怒髪天である。われわれの国の政府は国民の健康や経済の安定など本気で何も考えていなかったということが明らかになるにつれ、みんなの怒りがここえきて爆発している感がある。
60年代70年代は政府を批判することは普通だった。最近は政権批判をするといけない空気が蔓延して息苦しかったのだが、感染症の拡大は国民のことを真剣に考えている政権というものはどういうものであるか、を他国の首相などの所作と比較して知ることになり、わが国の総理大臣と政権に対する絶望と失望はハンパないのである。
平時ならやり過ごすことでも非常時は命と生活がかかっているからみな真剣である。素人でもわかることがわかっていない、普通の企業だったらとっくの昔に更迭されているような大臣が居座る現政権の幼稚さに皆我慢ができなくなっていることは確かだ。
非常事態解除で世界が日本の不思議と半信半疑で評価している。
無策の政権、たったマスク(布)2枚を全戸支給するという愚策しかやっていないのになぜ感染拡大を食い止めているのか、本当に不思議である。衛生観念のある国民、握手をせずにお辞儀をする文化、靴を脱ぐ文化などをあげている。
しかし、私はコウ思うのである。
それは、日本の保健医療福祉関係者が身を削って使命感のみでがんばってくれているからとしか言いようがないのではないか。戦後まもってきた国民皆保険の制度がわれわれを守ってくれているのであると。
また、欧米では、高齢者施設の感染が広がっているようで、しかもケアワーカーが感染を恐れ高齢者を放置して逃げてしまったという話を読んだが、そういうことはわが国ではまだおきていない。それは、介護現場で働く人びとが高いプライドを持って働いているからではないかと思うのである。決して高くない賃金にもかかわらずだ。本当にありがたく、彼ら彼女らの給料を医師看護師と同様引き上げる必要を感じる。
わが国の感染拡大防止の裏にはエッセンシャルな仕事を大切に思い使命をもって働いてくれる人々がいるということである。
そんな人びとの努力をよそに賭けマージャンに興じる検事長などを許すわけないじゃないか。懲戒免職にしても足りないとただただ憤るのである。

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新型コロナウイルスの脅威13 ドサクサにまぎれファッショ化する日本

2020-05-16 17:14:32 | 病気
検察官の定年を65歳に引き上げ、内閣の判断で検察幹部の「役職定年」を延長できるようにする法改正案。ツイッターを中心に抗議の輪が広がり、「#検察庁法改正案に抗議します」の投稿は日に日に増している。
タレントたちも異議をツイッターで発信している。
昨日の予算委員会を見ていたら、議事堂の外のデモの音がはいってきて臨場感100%だった。
こんな暴挙が許されるのだろうか。
コロナショックで国民が疲弊している隙になんという卑劣なやり方だろうか。
しかし、これまで素直でおとなしかった国民もやっと目が覚めたのかとおもう。
安倍内閣のコロナ対応がひどいもので、2ヶ月たってもたいした政策をうちだせず、布マスク2枚にこのままじゃ沈没してしまうという危機感のあらわれなのかとおもうのだが、みなが反対の声をあげはじめた。
在宅勤務のビジネスパーソンたち、日ごろは混んだ電車で通勤している時間も在宅ワークになり、テレビなどをみて疑問をもち発信しているのだろう。
多くの国民が安倍内閣の横暴と無能さにあきれ果てこんな信用できない政府は金輪際やめてほしいと心底思っているのだろう。
さらに、諸外国の神対応などをみるとわが国が到底先進国などとはいえない状況であることに失望しているのは確かだ。
他国の首相や大統領といわれる人たちが、トランプを除いてだが、危機感をもち一つ一つの言葉を選び抜いて国民に話しかけるその演説の内容、信頼と安定感に満ちた話を聞くと、わが国の総理の軽くて頭が悪くて、取り巻きのいいなりしかできない、選挙演説の域をこえられない、これまで自分の足で頭でなにもかんがえてこなかった首相の演説内容と比べ、ただただ失望と絶望でいっぱいになるのはわたしだけではないだろう。

メルケル首相の演説を聞いて、こんな首相がわが国にいたら幸せなのになあ、とうらやましく思った。
東独出身の彼女の言葉は一つ一つが選び抜かれており、自らの自由を奪われた東独時代の経験を引きながら語りかけるその姿に引き込まれ、自国の首相ではなく、メルケルさんの話で私も自粛しようと思ってしまったくらいである。
自らの手柄など一つもあげることなく、だれもがこの人を信じようと思う、そんな心に響く演説だった。

自分の利益のためにかってに強権発動して検事長の定年を延長させるなど、ファッショとしかいいようがない。
いつの時代の話なのか、治安維持法の時代の話か。
総理であろうとなかろうと、司法に立ち入ることは禁触である。そこに土足で入り込むなどとんでもない話である。
私も一人の市民としてこの暴挙を阻止するために発信したい。

コロナショックで明日のご飯もない人もいて、そういう人のことも考える必要があるのだが、それと同時に私たちは政治の公平さ、を譲るわけにはいかないのである。政治的公平があることが最低生活の安定をつくる前提であるのだから。
一歩も譲らず、この改正案を廃案にするために同じ志を持つ人と連帯し闘いたいと思うのである。





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新型コロナウイルスの脅威 12 芸術を支えたい

2020-04-30 12:03:06 | 病気
自粛の日々が続いている。
ついこの間まで白や赤の椿が咲き乱れていたが、いつの間にか小手まりが風に揺れている。
冬の間はただの枯れ枝だったはずなのにアジサイの葉が出てぐんぐん大きくなっている。
驚異的な成長をみせているのは桔梗である。昨年すべての花がしぼんでしまってもう二度と咲くはずがないように枯れてしまった。諦めていたのに、ずんずん芽がでてもう今日はすっかり桔梗の体をなしている。すばらしい生命力だ。
イロハモミジも青々とその葉を揺らしている。鳥たちがやってきてなにやら虫を食べているようである。
季節が変わったのだなと思う。
ウイルスの脅威に恐れ人間は家に閉じこもっているが自然はそんなことはお構いなく懸命に花を咲かせようと小さな努力を続けているのだ。
なんてけなげな連中なんだ。

3月に交響楽団がコンサートが開けずに減収してしまった大変だというニュースを見て、支援したいと思って、大枚、といってもたいしたことはないのだが、をはらって賛助会員になった。
当分、会員としての恩恵に浴することはないのだろうけれど、それはそれでよい。カンパと思っている。

ベルリンフィルのサイトにはいっていくと無料でコンサートを聞くことができる。
さっそく無料券の手続きをしてログインし、今日はアバドのマーラーなど聞いている。
自粛生活のなかのオアシス。
映像がついているというのはそれはもうリアル感満点であるし、PCに入っているCDやDVD、クラシカジャパンもあるにはあるが、やはりベルリンフィルのサイトで聞くというのはあのコンサートホールに行って聞いているという臨場感があるのでたまらない。
ドキュメンタリーなどもあり最高に楽しめる。

ドイツではコロナショックでどこのコンサートホールも閉鎖されている。しかし、芸術は人間の生活にとってなくてはならないということで芸術家たちの救済のために多くの財源が投入されたという。メルケル首相のスピーチを聞いて感激した。
さすがに芸術国家のドイツである。
ドイツはどこの都市でもだいたい市が独自の交響楽団をもっていてしかもそれぞれのレベルが非常に高い。
市は税金を投入して交響楽団などの芸術活動を育てる。それが民意でもある。だから芸術家たちはアルバイトなどに精をださなくても、芸術活動に専念できる。
税金が投入されているので、市民は高レベルのコンサートを低額なチケットで利用できる。ジーンズでベートーベンという風景は日常だ。
うらやましいなあ。

翻って日本の芸術はどうも敷居が高く、金持ちの道楽になってしまったように思える。
市民の日常になじむ芸術のあり方が問われているのだろう。

コロナショックで日本の芸術が危機にされされている。
一クラシックファンとしてとにかく支えなければと思う。
10万円のうち5万円は医療保健福祉従事者へ、残りの5万円はクラシック音楽関係に寄付したいと思うのである。








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新型コロナウイルスの脅威 11 教育の危機

2020-04-29 13:08:58 | 病気
新型コロナの襲来であらゆる生活が制限されている。
そもそも車でディズニーランドに行くとか湘南に繰り出すとかそういう余暇の過ごし方は時代遅れなのではないか。70年代の文化なのでやめたほうがよい。
みんな自粛生活に飽きてきて、いつ緊急事態は解除されるのか、とか、早く解除されなければ経済が危機的状態になる、と心配する声もある。
このウイルスは日本の忖度官僚政治のやり方などまったく通用しないので、今までどおりのやり方では感染拡大するばかりである。
実際、地域的には医療崩壊の危機に瀕している。
5月6日の連休明けに解除されるわけないと思う。急いてはことを仕損じるのである。

ここはもうドンと構え、国地方自治体は税金を大量に投入し、国民の生活を守るしかないだろう。
非課税世帯等は別として、中間以上の、富裕層、大企業や公務員のようなある程度の賃金が不況でも支払われる層から税金をたっぷりとって、その分を低所得層の生活保障にまわすべきだろう。
ウイルスは富裕かどうかに関係なく感染するので、もっとも医療は富裕層に有利であることに違いないのだが、感染力が強いこのウイルスは富裕層であっても脅威に晒すのだから、もう、金の力で何とかするという発想は時代遅れ。あらゆる社会階層に広く感染対策を打たねばならないのである。
今ここで問題になっているのは子どもたちの教育である。遅れに遅れている。先進国どころか途上国でもオンライン教育にシフトしているのにわが国な無能というほかはない。オンラインにシフトできずに右往左往している姿は、文科省の頭の固さを象徴している。

文科省は世界一時代遅れの省でその下部組織である教育委員会も世界一時代遅れなので、オンライン授業なんていうものについてまったくついていけてないらしい。対面式しか単位を認めないとか、ばかじゃないかしら。

after COVID-19の世界はwith vuirs なのでもう40人とか一斉にスクール方式なんて無理である。
かつてのように寺子屋方式にしたらどうか。
地域に根ざしてローカルに学校をやる。子どもの食の保障を確保し、必要なら朝食も夕食も提供する。
和気藹々の小規模な学校というスタイルで、教育保障し、後はオンラインで子どもの発達に応じて座学を提供するとか、世界とつなげる教育とか。
コロナ以後の世界では、明治以降の立身出世主義の教育は限界、まったく新しい発想にもとづくITを駆使した世界とつながるような新しい教育のスタイルがもとめられているのではないだろうか。

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