3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

樹木葬がいいなあ

2019-08-17 11:44:17 | 日記
親しい友人が亡くなった。
新盆である。
法事は遠いところでやるので友人に託してお花を贈った。
お墓参りもいつかしたい。

お墓参りという宗教的儀式はある種の生活文化である。
しかし、価値の変化によってお墓参りや先祖を供養するという感覚が薄れていくのは仕方がない。
私的には、実家のご先祖様のいるお墓は生きている限り管理しようと思う。
しかし、私の次の代にそれを引き継ぐのは難しいと思う。なので、それなりの年齢になったら永代供養にして、次の代にお墓の管理を強いることはしないようにと思っている。

私のお墓については、樹木葬にしたいと考えている。
理由は、人は最後は土に還っていくものだからである。高価な骨壷にいれられて長く墓のしたにおかれるのは趣味ではない。
樹木の下に静かに眠るのがもっとも私らしいと思うからである。
どんな樹がよいか、それを考える。
ほんのわずかの遺骨の粉は思い出の川に撒いてほしいと思っている。5グラムぐらいでよい。
思い出の川の思い出の橋の下あたりに撒いてほしいと思っている。

これはある種のロマンなのかもしれない。
私だけの樹木、川の思い出、そこに私が生きた足跡をほんの少し残したい。それだけである。
死んだ男の残したものは・・・・、墓石一つ残さなかった。という谷川俊太郎の詩があるけれど、それでよいと思うのである。

樹木選びと場所は選びは難問である。
慣れ親しんだ自宅近くにしたいと思うからである。
庭の椿、実家から移植した椿でも植えようかと思うのである。
冬に赤い椿の花が咲く。その下に眠る、というのも良いかもと思うのである。
ちょっと派手すぎやしませんか、とも思うのであるが、オリーブの木はやりすぎだし、赤いバラは管理が難しいし、糸杉は陰気だし、桜はありきたりだし・・・・。あれこれ考えると悩みは尽きないのである。気軽に樹木葬、そういう環境がほしいとつくづく思うのである。


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海外出張の準備

2019-08-17 11:24:26 | 日記
海外出張の準備をしている。
出張といってもそれほどタイトな日程ではない。幸いなことである。
楽しみである。
KLMの機内食はどんなだったか?などと調べてみたりしている。
最近はキャリーバックも進化して、ものすごく軽いものが出ている。
とりあえず、かつてのバックに比べ2キロぐらいは軽くなっている。それで荷物も増やせるというもの。
しかし、旅慣れてくると荷物は少なくなる。
最初にヨーロッパに行ったときは、あれこれ持参していったが、今は最小限にとどめようと1週間用のキャリーバックを用意した。
がスカスカである。2泊3日機内持ち込み用で十分である。
私も年を重ね、随分旅なれたものである。

事前に読むべき資料がたくさんあって、機中でも読む必要があり、それだけが心配ごとである。

何才ぐらいまで海外に行けるのだろう。
私の祖母は95歳で亡くなったが、彼女は80歳のときにハワイに行った。
80歳ぐらいまでは同伴者がいればハワイぐらいにはいけそうだ。
パスポートの更新も済んだ。10年ものである。10年後は○○才になっている。
80歳には遠いのでまだまだ行けそうである。

2020東京オリンピックは暑そうである。
チケット全滅したので、恨んでいる。
追加の応募をする気はない。お騒がせのオリンピックチケットである。

参加企業では、いろいろな形でチケットをプレゼントすると言っているが、一般応募ではなく、大企業がチケットを持っていて、こういう形でチケットを売るのね、と思うとまったくこのどこまでも儲けようとうする企業精神に辟易とする。もっともオリンピックなど金まみれであることははじめからわかっていたことなので、今更であるが。

オリンピックなどくだらん、来年の今頃は無理にも海外に行くぞ、と思っている。
最後のマラソンぐらいしか見たいものがないし。チケットなくても観戦できるものといえばマラソンぐらいだからね。

しかし、スポーツ観戦が趣味の家人の困った顔をみると付き合ってやるしかないとしぶしぶ思う今日この頃なのである。



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なつぞら 最近つまらないよね

2019-08-16 13:01:50 | TVノート
一休さんと結婚式を挙げ、松島奈々子から料理のノートをもらうシーンは泣けた。
松島奈々子もよい演技をするようになったなあと感心した。
そこまでは良かったし、一休さんが、料理をし、妻を支える主夫をやっているところはほほえましく好感が持てた。

しかしだ。その後の風車の話である。なんかひどい話である。

山口智子がなんか変なのである。
サイタロウも変なのである。
ムーランルージュの踊り子が孤児のサイタロウを拾って育てた。おでんやのおかみさんをやりながら。
というストーリーなのだが、どうも配役がミスマッチなのではないだろうか。
子役のサイタロウはドンくさい感じで孤児の雰囲気が出ていたが大人になったサイタロウはモデルみたいな俳優で土もさわったことのないような感じで、戦争孤児だったなんて微塵も感じない。おれはイケメンであるといわんばかりのつまらない役者でうんざりである。

山口智子もカラフルな衣装で派手派手で、新宿の裏のおでんやのおかみさんという雰囲気ではない。スナックならわかるしバーならわかる。しかし、バーのマダムとしては山口智子は似合わないしねえ。

サイタロウとその育ての親のキャラクター設定の誤りとしかいいようがない。

まあ、ナツもいつもカラフルな衣装に身を包み、とても昭和30年代40年代のアニメーターとして「働く女」というようなイメージとはかけはなれている。あんな洋服、当時なかったよね。ぜったいなかった。ネックレスとイヤリング?なかったよ。昭和50年代に入ればあったかもしれないが、絶対あんなファッションはなかったと断言できる。あまりにもバカっぽい。知を感じないよ。

衣装係は何を考えているのやら。
時代背景を考えているとは思えない。手抜きか無知かやる気がないのか。

比べてはいけないが「おしん」の迫真の演技と時代背景にマッチしたセットや衣装と比べると、本当にNHKも落ちたなあ、と思うのである。
田中裕子と「すず」じゃあ、雲泥の差だから、年齢も違うし、仕方ないかもしれないが、あまりにもお気軽な配役と演技指導にバカヤローと思ってしまうのである。
朝ドラ100本の記念なんだそうだ。そろそろ田中裕子が登場するのか?どんな役で登場するのだろうか。楽しみなのである。乙羽 信子は亡くなってしまったので写真で登場するとか、だとしたらうれしい。草刈正雄の死んだ妻に乙羽 信子。田中裕子はすずが頼りにする産婦人科の女医とか。つまらないといいながらだらだらそんな期待している私なのである。




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ピアノの森も終盤になりました

2019-08-12 17:14:30 | TVノート
ピアノの森、毎週欠かさず見ております。
先日は、雨宮がファイナルに残れず、絶望の淵。

逆にファイナルに残った一之瀬に「お前が嫌いだ」って言ってしまって、互いに傷ついてしまうという話でした。
子どものころからピアニストの父親の厳しいレッスンを受け、期待を一心に集めてきた雨宮、ファイナルに落選したときの父親の落胆ぶりは大変なもので、雨宮本人より父親のほうの絶望が深いようでもありました。

東大に落ちて、リベンジで息子に東大をと思ってスパルタで勉強させ、受験させたら、不合格になり家族全員悲嘆にくれるというような情景にかぶります。
教育パパとママ、成功すればすべてよしですが、人生はそう簡単ではないので、ドラマが生まれるってことですね。

****************************

ファイナルはピアノ協奏曲1番、一之瀬は落ち込みながらレッスンをしていると、隣の部屋からオケのピアノ伴奏が聞こえてきて・・・それは雨宮が一之瀬のファイナルの協奏曲の練習のために弾いてくれている・・・涙が・・こぼれる、という熱い友情の物語でした。

良いなあ、こういう話。

これを契機に雨宮は大人になり、父親の脅威からも解放されていくのです。

アニメーションでいろいろなことが伝えられるのだと思います。
一人でも多くの人がピアノのすばらしさに目覚めて、クラシック音楽のファンになってくれるとうれしいと思うのです。
日曜の夜7時、Eテレというゴールデンタイムに放映されることの意味は大きいです。

ピアノやバイオリン、声楽などいろいろなテーマのアニメが放映されると子どもたちの可能性は拓かれると思います。

このお話も終盤になりました。
後何回かで最終回。
こういう番組だったら私はNHKの受信料を払います。
映像の世紀とか、NHKスペシャルとか、あのような力作は広告会社の顔色を伺う民放ではできないものですからね。





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2019.8.12 バルコニー便り 遠出をやめて家ですごす

2019-08-12 16:34:40 | 日記
この連休に遠出をしようと思っていた。しかし、気が変わって、家ですごすことにした。どこへ行っても日本中、混んでいるし、暑いので。

のどかな連続休暇。
8時頃起床し夜は1時半ごろまでテレビをみたりしてすごす。
クラシカジャパンの音楽史1、バロック編なんか見ているとすごく楽しい。

近くのデパートに行ったら、結構混んでいた。
地方に帰省する人ばかりじゃないらしい。

遠出をしても混んで疲れるばかりだし、だいたいこの暑さだから家にいるに限る。

2020東京オリンピックもきっとこの暑さだから、テレビ観戦のほうが賢い。
友人はそのときは日本にいないことを決めているそうだ。
それは賢いかもしれない。
日本にいてオリンピック観戦も良いかもしれないが、みながオリンピック一色という感じがそもそもなじめないし、日本脱出も良いと思うのである。

前のオリンピックのときは、日本が戦争に負けたすぐあとで、ゼロから立ち直っていく契機になったかもしれない。
テレビ、新幹線・・・日本全体が一つのイベントの成功に向けてがんばるという雰囲気がまだあったころ。
しかし今はそんな一色の雰囲気はない。
それぞれが違う価値を求めるようになっている。だいたい、1960年代の日本はすでに過去のものであり、そのとき生きていた人はもう亡くなっているし、あれから外国からやっていて定住する人も増えた。

あのころはみなが貧乏だったし、もちろん金持ちもいたが少なかった。そこからの脱却を目指してガンバリズムでいこうという生活価値をみな持っていたが、今はまったく違うのである。

それぞれがそれぞれの生き方をしているし、経済格差も拡大している。皆が貧乏だったあのころとは異なる。
今は羽振りのよい金持ちはいるものの薄っぺらで、文化や歴史を語る人は少なくなったように思う。
残念な日本の2020東京オリンピックにどれほど期待できるというのか。
なんだか、興ざめの2020なのである。












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