今日は蒸し暑い。
しかし、空の雲は秋である。
一ヶ月前はドイツにいた。
ドイツは私が滞在しているときのみ暑かった。
ドイツの空は遠い。
旅は魂を解放させる。
ドイツ滞在中は日本の雑務を忘れることができた。
日本に帰ってきて、どこまでも遠く続く秋の空を見ているとドイツの空がただただ懐かしい。
日本はラグビーワールドカップに盛り上がっている。
昨日は、アイルランドに勝ったということで奇跡再びと喜びに沸いている。
ラグビーは嫌いじゃないが、どうも男のスポーツで女子もあるらしいが、断然男の世界で、なじめない。
9月も最後になり、いくつかあったドラマも最終回。
ピアノの森、これは経費で落ちません、サギデカ、なつぞら。
すべて終わってしまった。
経費で落ちません、も最後になったら気の抜けた話でおわった。
サギデカは途中まではなかなかよかったが、最終回は何が言いたいのか意味不明で人間ドラマにしたいのか、社会派ドラマなのか、どっちつかずの力不足で時間稼ぎの終わり方で不満である。
なつぞらも十勝の話になると結構面白いが、もう最終回モードにはいって、これまでの出演者総出でがやがややっているだけで何がいいたいのか盛り上がりに欠け、残念な終わり方である。
継続し異彩を放っているのはおしん、ぐらいのものである。
おしんは脚本の力、言葉の使い方が卓越しているので、飽きない。
なるほどと見ているほうがなっとくするせりふと話の展開である。
時代は変わり次世代の話になにげなく移っていくところはうまい。
浩太さんは勝手過ぎる男の代表、夫の田倉龍三はだめ男の代表、嫁いびりの代表として姑、姑の言いなりの舅、我慢して一生終わる残念な長男の嫁、
米問屋の跡継ぎ一人娘の加代は家のために人生を棒にする悲劇、加代の夫は帝大卒で米屋の婿養子になったが昭和恐慌のおり商売に失敗して自死という高学歴と商売は必ずしも相関しないという典型、そして小作の娘がゆえに苦労の連続であるおしん・・・。
戦前期にいきた人々のそれぞれの人生を描きながら小作争議、関東大震災、第二次世界大戦を描いている。
人生を描くことで社会の変化を描くという手法は文化人類学のようである。おしん、は小作という社会の底辺に生まれながら東京に家出同然で出ていって自ら人生を切りひらいていく、時代に翻弄されながらも紆余曲折する人生ながらなんとか自力で食っていく女の生き様をとおして、女の強さとしたたかさを描いているように思う。
家制度なんかくろくらえ、といわんばかりの女子、次の時代の自立型のビジネスで勝ちあがっていく女性のモデルを先取りしているのだろうか。
もうみるべきドラマのないこの秋、せいぜいおしんでもみて戦前期の辛酸の女性の人生から立ち上がるその心意気に声援を送ろうか。
しかし、空の雲は秋である。
一ヶ月前はドイツにいた。
ドイツは私が滞在しているときのみ暑かった。
ドイツの空は遠い。
旅は魂を解放させる。
ドイツ滞在中は日本の雑務を忘れることができた。
日本に帰ってきて、どこまでも遠く続く秋の空を見ているとドイツの空がただただ懐かしい。
日本はラグビーワールドカップに盛り上がっている。
昨日は、アイルランドに勝ったということで奇跡再びと喜びに沸いている。
ラグビーは嫌いじゃないが、どうも男のスポーツで女子もあるらしいが、断然男の世界で、なじめない。
9月も最後になり、いくつかあったドラマも最終回。
ピアノの森、これは経費で落ちません、サギデカ、なつぞら。
すべて終わってしまった。
経費で落ちません、も最後になったら気の抜けた話でおわった。
サギデカは途中まではなかなかよかったが、最終回は何が言いたいのか意味不明で人間ドラマにしたいのか、社会派ドラマなのか、どっちつかずの力不足で時間稼ぎの終わり方で不満である。
なつぞらも十勝の話になると結構面白いが、もう最終回モードにはいって、これまでの出演者総出でがやがややっているだけで何がいいたいのか盛り上がりに欠け、残念な終わり方である。
継続し異彩を放っているのはおしん、ぐらいのものである。
おしんは脚本の力、言葉の使い方が卓越しているので、飽きない。
なるほどと見ているほうがなっとくするせりふと話の展開である。
時代は変わり次世代の話になにげなく移っていくところはうまい。
浩太さんは勝手過ぎる男の代表、夫の田倉龍三はだめ男の代表、嫁いびりの代表として姑、姑の言いなりの舅、我慢して一生終わる残念な長男の嫁、
米問屋の跡継ぎ一人娘の加代は家のために人生を棒にする悲劇、加代の夫は帝大卒で米屋の婿養子になったが昭和恐慌のおり商売に失敗して自死という高学歴と商売は必ずしも相関しないという典型、そして小作の娘がゆえに苦労の連続であるおしん・・・。
戦前期にいきた人々のそれぞれの人生を描きながら小作争議、関東大震災、第二次世界大戦を描いている。
人生を描くことで社会の変化を描くという手法は文化人類学のようである。おしん、は小作という社会の底辺に生まれながら東京に家出同然で出ていって自ら人生を切りひらいていく、時代に翻弄されながらも紆余曲折する人生ながらなんとか自力で食っていく女の生き様をとおして、女の強さとしたたかさを描いているように思う。
家制度なんかくろくらえ、といわんばかりの女子、次の時代の自立型のビジネスで勝ちあがっていく女性のモデルを先取りしているのだろうか。
もうみるべきドラマのないこの秋、せいぜいおしんでもみて戦前期の辛酸の女性の人生から立ち上がるその心意気に声援を送ろうか。