3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

アサイチ 更年期を考える

2014-11-26 15:48:36 | 女性の地位
今朝のNHKアサイチのテーマは、更年期についてであった。
女優と漫画家が出てきてあれこれ話していた。

そもそも更年期という呼び方がよくないと思う。
老人の入り口とか、女の終末期とか、とにかく、ひどい言い方ばかりである。

若さとかわいさを中心にした男目線の価値観でいくと子どもを産まない年齢に達するのはよくないことらしい。
そういう価値観にどっぷり浸っていると男も女も苦しいだろうに。

男も女も年齢を重ねなければ見えてこない人生の深みというのがあるのである。
だから、20代や30代、40代のちゃらちゃらした時期には見えてこなかったものが実は人生の半ばを過ぎたころからみえてくる。

それは、子育てや職場の責任や親の介護や看取りなどを経て、次第に形成されるものである。
容貌や体型は劣化していくのは仕方ない。しかし、そんなものを相殺しても上を行く年齢を重ねることでみにつく輝きというものもあるのである。

外見ばかりを気にして整形したり、無理なダイエットをしたりしている暇があったら内面を磨こう。
豊かな内面が素敵な外見を作り出すものである。

更年期という婦人科的な範疇の疾病対策はそれなりに必要だが生き方までもコントロールされる必要はないのである。

若いおねーちゃんを持てはやす文化を殲滅することがまず第一である。
日本は若いねーちゃんばかりを持ち上げるので、若くなくなった女性たちは行き場を失ってしまうのである。

成熟した文化が必要なのである。
こんなに高齢社会になったのに、まだ、若さが中心なのかと思うといやになる。

落ち着いた老成の文化を改めて問い直したい。
成熟した文化を成熟した男女がつくる、そんな時代になっているのである。
若いねーちゃん、ガキは、社会の中心にいるのは30年早いのであり、端っこで遊んでいてほしいものである。


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秋雨のそぼ降る午後に

2014-11-25 12:49:13 | 日記
新しい家のリビングから庭の木々に秋の雨が降るのをしばらく見ていると、平穏な気持ちになる。
自然に親しむということが人を優しくさせるというのは本当である。

狭くもないやや広めのバルコニーのある家に引っ越してきて、半年たった。

春:お寺の桜が満開で、なんと美しいことか。

初夏:それぞれの部屋の窓を全開すると、風が家を吹き抜けていく。なんとさわやかな風か。銀杏の木の緑が日を追って濃くなっていくさまをみていると、生きとし生けるものをめでたいと思う。

真夏:さんさんと降り注ぐ、真夏の太陽、バルコニーチェアにすわってパラソルの下で読書する。シマトネリコがさらさらと揺れて木陰をつくる。猛暑の日は熱中症になるので、バルコニーに長時間いることはできないが、朝早く起きて、庭の草花に水やりをして、洗濯物を干すというのが日課になる。洗濯物はよく乾くので助かる。

台風:大型の台風がくるというので、バルコニーのパラソルをたたみ固定する。鉢植えを窓の近くにすべて寄せて風が直接当たらないように工夫する。ゼラニウムは雨風にやられてしまいそうなので、急遽、リビングにブルーシートをしいて、避難させる。いろいろ大変だが、自然と向き合うということ、そのことがうれしいものである。

秋:次第に銀杏やもみじが紅葉していくさまがリビングから見える。寝室の窓からは秋の空が見える。ベッドに寝転ぶとどこまでも高い空が見えるのだが、ああ、こんなに良い景色はこの何年も見ていなかったなあと改めて、この家の窓から見える景色に感激する。

秋の雨の日も、それはそれで、趣がある。雨が窓ガラスにかかるのを見ているとなんともいえず、詩情がわいてくる。
冬になったら、バルコニーから見える木々は葉を落とし、荒涼とした枯れた風景のみがみえることになるのだろうか。それはそれで、美しい季節の移ろいを体験できるのだからそれは結構なことである。

こうして、自然に直に向き合える生活になり、ゆっくりと年を重ねる準備ができたように思える。
馬車馬のように働いた時代を過ぎて、与えられた仕事だけでなく、仕事を選べるようになり、少しは資産も形成し、やがて社会から退く日も近い。
超高齢社会になったのだから、社会から引退してからが長いということを覚悟して、家や友人、家計、心身の健康などを考えなければならないだろう。

いつまでもみな健康でこの快適な家の住人であり続けたいものである。
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銀杏がくさいのは当たり前ではないか

2014-11-24 12:14:01 | 現代社会論
銀杏がくさいのは当たり前。苦情を言う人の気がしれない。
自治体も自治体である。こういう苦情に過敏に反応しすぎ。
銀杏ですからくさいのは当たり前です、といって、スルーすべきである。
精神的に変な人もいるからどうしようもないが、声のでかい住民の意見を取り上げるのはやめてほしいものである。

静かなまともな住民のほうがはるかに多いのであるから。
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子どもの声がうるさいとか銀杏の実がくさいとか 神経質過ぎやしないか

2014-11-24 11:57:20 | 現代社会論
子どもの声がうるさいという話を聞いて、病んでいるなあとおもっていたら、今度は銀杏の実がくさいから何とかしてくれという苦情が役所に寄せられているというんだそうだ。

マンションなんかで、子どもの足音がうるさいとかいう人も同じだと思うが、ずいぶん、神経質な人もいるもんだなあ。

銀杏の実がくさいのは当たり前だ。でも、あの銀杏があるので、町が美しいんじゃないか。神宮外苑の銀杏はOKだが、家の近くの銀杏はNOなのか?
そんなばかな!

くさいからいやだとかいう人はたぶん子供のころ自然にふれるチャンスがなかったかわいそうな人なんじゃないかと思う。

良質な教育環境で育てられれば、都会に住んでいても親は努力して自然環境に触れさせようとするものである。

冷凍食品やインスタント食品、外食、ファーストフード、車移動という生活では、子どもはだめになるから注意したほうがよい。

塾通いをさせて、少しばかり高い偏差値の大学にはいっても、自然に触れたことがないと性格がまがり、結局ろくな大人にならず、よい仕事をする大人にはなれないだろう。

とにかく、自然に親しみ、花や鳥や昆虫、動物とたくさん接する機会を作る必要があるのだ。それが子育ての鉄則である。

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選挙している時間とお金があるのかと思う

2014-11-20 10:34:17 | 現代社会論
選挙をするという。
待ったなしの社会保障である。医療、年金、介護、子育て支援・・、待ったなしである。
今はとにかく、手を付けてやり始めなければならない時なのである。こんな時に選挙して何を問うのか。
やるべきことはわかっているはずである。
消費税を先延ばしにするのも反対である。
が、先延ばしにするというのだから仕方ない。

少子高齢社会には高い税金がどうしても必要なのである。
医療や介護にはお金がかかるのである。
子育ても家族の責任にばかり押し付けると力のある財力のある親の子ばかりがいい思いをすることになるので、やめたほうがいい。
社会的な子どもの生活支援、教育こそが今必要なのである。

バカじゃないかしら。
こんな時に選挙して。

これじゃあ、日本はいつまでたってもよくならず、どん底生活に向かっているとしか思えないのである。
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