蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

神楽坂研究(6)「ハナミズキとサクラの物語」  (bon)

2017-05-06 | 日々雑感、散策、旅行

 しばらく振りに、神楽坂にお住いの“若さん”の原稿が届きました。
 皆さんも良く知るところの“サクラとハナミズキ”交流も、若さんオリジナルの内容で、
ユニークな語り調子が大変面白く、その詳細を知ることとなりました。

 若さんは、仕事でアメリカにおられて、今は神楽坂に住み、時として界隈の親しいお店に
頻繁に出撃されるというダイナミックなお人です。 いまは、もうお勤めはしておられないと
思いますが、交流範囲は広くおしゃれな“ナイスガイ”というところ。

 今回の話題は、内容の鮮度が重要ですので、原稿が届けられてスグのブログアップとしま
した。 それでは、お楽しみください。

 

 ******* 神楽坂研究(6)ハナミズキとサクラの物語 *******

 

◇オーガスタ(MASTERS)11番ホール、愛称は「白ハナミズキ」


     グリーンジャケットの行方が左右されるアーメンコーナー(No.11,12,13)

  今年のマスターズ(4/6-4/9)は、“Colorless Augusta”(彩のないオーガスタ)と呼ばれ
て開幕しました。春先から異常高温が続き、「つつじ」(Azalea)の花が既に終って緑一色に
なっていたからです。  開花を遅らせようと、主催者はつつじの根元に「氷」をまいたとい
う噂が流れた程、「オーガスタのつつじ」は米国ゴルフシーンに欠かせない風物史のようです。
 オーガスタのほとんどのホールには、花にちなんだ愛称がついています。数々のドラマが
生まれる、アーメンコーナーの始まる難関11番コースのフェアウエイ両側には、白いハナミ
ズキ(White Dogwood)が植栽されています。 イエス・キリストの復活、キリスト磔の象徴、
キリスト教のシンボル的花木として、アーメン・コーナーにふさわしい「粋」な演出のガー
デニングです。

 東京都心も、桜のシーズンの終わりと重なり、1912年(明42年)米国首都ワシントンDC
贈った「桜」の返礼に来日したハナミズキが開花。そして新緑の木々のなかに白、ピンク、
オレンジと華やかな「つつじ」が彩を添えます。 調べてみると、ハナミズキは全国の11市、
政令指定都市の7区で市の木、区の木になっているほどの人気です。横浜市港北区ではシンボ
ルマークにもなってすっかり身近な花木として日本に定着です

 

◇神楽坂下から九段(田安門)までの並木は「ハナミズキ」

 最近「神楽坂」はどうも南北に延伸しつつあるようです。 大久保通交差点(坂上)から
神楽坂駅(東西線)そして外堀交差点(坂下)から飯田橋西口(千代田区飛び地)まで「バー
チャル神楽坂」です。(笑) 神楽坂の並木は、新宿区の木「けやき」が昭55年植栽され緑の
トンネルになっています。坂下から九段までの街路樹はピンクと白の「ハナミズキ」。  
今や、神楽坂(飯田橋西口駅から坂下)でもハナミズキを愛でることができるのです。
 100年以上前に来日の原木は、戦中伐採されたり、倒木したりと都立園芸高校の一本だけと
なりました。 最初に原木が植えられた日比谷公園や小石川植物園の現在の木は、都立園芸
高校の原木の子が植えられたようです。
 
 九段田安門から北の丸公園の武道館の脇道を清水門に向けて歩くと、桜が両側に、背後に
百日紅が植栽された「吉田茂」の銅像があります。 東南側正面にはハナミズキが20数本の
植栽。 銅像の左右目線の範囲は、皇居、国会そしてハナミズキ林の先の、太平洋岸対岸の
米国まで見据えているような気がしました。


 桜(駿河台匂い、虎の尾、旗桜) 生誕100年記念吉田茂銅像     ハナミズキの並木

 

 東京市から米国首都への「サクラ」寄贈物語


    ワシントンDC、ジェファーソン記念堂前のタイダル・ベイスンに咲くソメイヨシノ

 

 1991年1月出張でワシントンDC滞在中、湾岸戦争が勃発し帰国中止命令、(私は)半年ほど
滞在することになりました。国立公園サービスは桜満開予報をだします、その年は3月29日で
した。
 National Cherry Blossom festival「桜まつり」は実に見事なものでモールを中心にポト
マック河畔がソメイヨシノのピンク色に染まるのは圧巻!リンカーン記念堂からポトマック
河畔の10kmレースを走りました。 時折、桜吹雪を感じながらのランニングは格別の思い出が
あります。 余談ですが、DCの略は“Dangerous City ”といわれたくらい当時は危ない首都
でした。

 ハナミズキの東京への返礼は1915年(明49年)でした。 では、なぜ東京から米国ワシントン
DCに「桜」が寄贈されたのでしょうか?  遡ること27年(1985年/明18年)ワシントン在住、
エリザ・シドモア女史(地理学者でNational Geographic Society初の女性理事)来日の折、
東京の街、郊外を彩る「桜」の美しさに感動。 南北戦争(1861年/万延2年―1865年)終了後、
首都の改修工事にとりかかるも財政破綻。 乱開発、スラム化の影響の問題残る、荒廃した
首都に桜植樹の夢を思い描いたことに始まっています。 彼女は1896年明治三陸沖地震を現地
取材した記事に“TSUNAMI”を使いました(最初の例)。 当時の首都は初代大統領ジョージ
ワシントンの独立戦争の戦友、仏人都市計画家ランファンの設計した基本案を基に開発を進め
ましたが、南北戦争などもあり難航し想像以上に荒廃、雑然としていたようです。 ホワイト
ハウス南側緑地は羊の放牧地でした。


    
ワイトハウスと羊の放牧風景        ワシントン記念塔建設も中断していた首都風景

 彼女は、首都の公共の土地、建物を管理担当、陸軍監督官に桜植樹の提案をしました。しか
し却下され、その後も20年以上代々の監督官から陳情を却下されました。一方、彼女のアイ
デアに真剣に賛同したのは、農務省のフェアチャイルド博士でした。

 1906年(明41年)首都北部に隣接するメリーランドの個人所有地に100本の桜を、横浜植木
会社から個人輸入し試験栽培し成功。 翌年「桜」300本注文する会社も現れるくらい実際の
桜開花の反応は大きいものがありました。 苗木を増やし、首都の学校の植樹祭に寄付し、
一部の街路樹にも植樹をはじめました。 博士の行動の背景は、女史の熱意 そして1902年の
マクミランプランと呼ばれる、上院公園委員会の首都改造計画(東の議事堂、西端の隣家
記念堂、十字架の交差点にワシントン記念堂、北にホワイトハウス、南にジェファーソン
記念堂を配す緑地とスミソニアンをはじめとする公共的建物建築計画)の本格始動も背景に
あったようです。

 博士が桜を輸入した横浜植木会社(1890年/明23年)の創業者は鈴木卯兵衛。 彼は、開拓使
お雇い外国人として来日したドイツ系米国人園芸家、ルイスベーマーの設立した
横浜の会社
で修行、社員の身分ながら外国商館しかできない園芸品種の輸出入を ベーマーから名義を
借り実施。後に日本人経営初の園芸会社を設立、米英に直接進出し成功しました。

 ベーマーは東京、札幌の開拓史で数々の業績を残しています。日本のリンゴのルーツは彼の
いたNY州ロチェスター(札幌と同じ北緯43度)のマウントホープ園芸会社(後に世界一)から輸入
したリンゴ苗木です。北海道を皮切りに苗木頒布、栽培指導しました。彼が番号付けした49号
(国光)はその後青森で品種改良され、現在世界産出量の40%を占めている「フジ」になりま
した。
  サッポロでのビール製造に欠かせない本格ホップ栽培を指導、世界的にも評価される現在
の栽培技術につながりました。国内で最初の欧米品種ワイン葡萄栽培指導し、本格的ワイン
醸造立ち上げにも貢献(ワインは初の宮内庁御用、大正の初めまで札幌はワイン栽培、醸造が
盛んでした)。 さらに、札幌大通り公園等のガーデニングの元祖です。退職後は横浜にベー
マー商会を開設、事業家としても成功、日本に園芸ビジネス・ノウハウと高度な園芸技術を
伝授、半生を日本で過ごしました。


シドモア女史 フェアチャイルド博士 鈴木卯兵衛 ルイスベーマー 高峰譲吉博士 タフト大統領夫人

 

 フェアチャイルド博士の桜植樹展開が好評なので、1909年4月女史は時の大統領夫人(タフト)
に直訴し賛同を受けました。ファーストレデイも日本滞在経験があり「桜ファン」だったの
です。 一転して、陸軍監督官も八重桜をポトマック河畔に植樹開始、8月にはタカジアス
ターゼ、アドレナリン開発で成功した 三共製薬創業者、米国在住の 高峰譲吉博士が私費を
寄付するので東京市からワシントンへ 2,000本の桜を寄贈する話が進められ10月には実際に
シアトルに到着。 しかし検疫の結果、翌年1月全量焼却。 その後、桜苗木を厳しく選定、
検査し、またも横浜植木会社の管理の下で 3,020本の桜が輸出されました。 なんと、全数
検疫を通過し現在の「桜まつり」につながる植樹が開始されました。 桜は30~35年で樹齢
ピークを迎えます。大戦中の伐採の危機も乗り越え、桜は大変人気のある愛される存在にな
り、着実に植え替えされてきました。 代々の大統領夫人が祭りの会長を務め、植え替えの
植樹祭も大統領夫人の参加が恒例になっています。

  2013年「桜寄贈100年」を記念して米国からハナミズキが再度寄贈されました。東京は都立
園芸高校に植樹。 横浜は、最初の試験栽培の桜輸出から担当した横浜植木会社が管理する
横浜本牧山頂公園でケネデイ大使と横浜市長参加し記念植樹式が行われました。サクラとハナ
ミズキの日米交流は、ルイスベーマーが指導した当時としては 世界の先端をいく園芸技術+
園芸事業経営ノウハウが横浜の鈴木卯兵衛の会社に伝えられ100年を超える日米花木の美しい
交流につながりました。

 
       ベーマーワイン   Bar Airs(坂上)   ニッカ余市  麦酒停のフレッド ヒグマ濃いビール

 

 私が、ワシントンDCにいたときは、ソメイヨシノとハナミズキの両方を楽しむことができま
した。 神楽坂は何といっても、毘沙門天の枝垂れ桜、そして飯田橋から赤坂までの外堀両岸
の桜が水面をピンクに染め、桜を楽しめる名所になっています。今は、前述の通りハナミズキ
も楽しめるようになりました。

 サクラとハナミズキの物語に間接的に縁のあるベーマーの配布したリンゴが最初に結実した
地は札幌と余市。戊申戦争で敗れた会津藩士が入植しリンゴ栽培開始、マッサンがリンゴ果汁
販売しながらウイスキーを製造した余市は、フルーツ王国ワイン特区になりました。
 個人的にベーマーを顕彰している、ワイナリー夢の森を始めた大下さんから「ベーマーワイ
ン2013ヌーボー」(第一号)が到着。花見の後は「Cabane」(袋町)で友人、仏人も交え野性味の
ある酸味が特徴のワインを楽しみ、2軒目は 札幌出身村上さんの「Airs」(坂上)でニッカ
余市と 札幌麦酒停(早稲田卒フレッド経営)のヒグマ濃いビール(オレゴン醸造)を楽しみま
した。 若 つづく (2017.5.5)

 

 

 

 

 

 

 


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