蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

尖石遺跡  (bon)

2017-04-08 | 日々雑感、散策、旅行

 今月下旬には、いよいよ約5か月ぶりに今年の “畑開き”、蓼科農園が始まります。

私たちの畑は、JR中央本線の茅野駅から八ヶ岳の麓へ上る中ほど、標高1000mの高原地帯、
茅野市豊平というところで、八ヶ岳の峰々に抱かれた大自然の中に畑があります。

 表題の、尖石遺跡は、下図に示しますように、畑から車で10分くらいのところにあり、
かって、「尖石縄文考古館」を訪れ、縄文のビーナス、仮面の女神などの国宝にお目に
かかったことがありました。また、畑仕事を終えて、温泉「縄文の湯」のお世話になって
います。

      

 尖石遺跡は、縄文時代中期(約5000年くらい前)を代表する著名な遺跡として、1942年
(昭和17年)に国指定史跡に、‛52年には特別史跡に指定されています。その後、‘93年に
追加史跡として特別史跡に指定された 与助尾根遺跡 とともに、現在では、これらを一体
化して,「尖石・与助尾根遺跡」として扱われることもあるそうです。

       尖石遺跡
          (茅野市HPより)


 手元にある会報の記事「尖石・与助尾根遺跡」(山田康弘氏、国立歴史民俗博物館教授)
によれば、この遺跡が学会に初めて発表されたのは、1893年であり、もともとは「南大塩の
遺跡」と呼ばれていたそうですが、1920年頃以降、遺跡が立地する台地に三角錐形をした
高さ1.2mの岩(『とがりいしさま』と呼ばれていたそうです。)のあるところから、尖石
遺跡と呼ばれるようになったとあります。

        とがりいし さま
                   (ウイキペディアより)
 

 発掘調査は、ずっと継続され、1930年頃からは宮坂英弌(ふさかず)がほぼ独力で本格
的な調査が進められ、33基の竪穴住居跡のほか、数多くの炉址、墓、貯蔵穴(土坑)、
土器埋設遺構、配石遺構などを掘りだしたという。 戦後に入って、与助尾根遺跡の方も
発掘を行い、28基の竪穴住居跡のほか、多数の土器や石器を発掘し、縄文時代の集落をほぼ
全貌を明らかにしたことになるのです。

 このように、各種の遺構が一つの遺跡から検出されるということから、尖石遺跡が単に
住居の集合体、居住区のみによるものであったのではなく、用途や機能に応じた様々な
“場”を内包しながら全体として一つの「ムラ」として機能していたと推定できる とし、
縄文時代の集落研究において画期的なものであったと評されています。
 ウイキペディアには、これらの出土品から、当時の生活が、ワナ猟とクリ林、黒曜石の
交易が行われていたと考えられたり、あるいは、狩猟・採集以外の何かの生業、例えば
焼畑農業が存在したのではないかなどと考えられているのです。

 1980年に設置された尖石縄文考古館には、これらの遺跡から出土された資料だけでなく、
茅野市棚畑遺跡から出土した土偶、国宝「縄文のビーナス」(1995年指定)、中ッ原遺跡
から出土した土偶、国宝「仮面の女神」(2014年指定)が展示されています。 

 縄文のビーナス          仮面の女神 (共に尖石縄文考古館HPより)
    
 
 
 
 遺跡といえば、中学生の頃、修学旅行で登呂遺跡を見学したことがあり、一昨年には、
青森県の三内丸山遺跡の広々とした集落を巡ったりしました。

 今また、蓼科の畑の合間に、これらの出土品を観賞するだけでなく、当時の集落や生活の
あり方について、機会を見つけてもう一度訪れてみたいと思いました。 標高1000mの冬季
には厳寒の この地にどうしてこのような集落が存在したのか・・やはり大きな謎が残って
いるのです。


 

 

 

 

 


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