台風が転じた熱帯性低気圧が長崎に「50年に一度」の大雨をもたらした今日。
バスに乗って佐世保まで行ってまいりました。
そして見てきたのが
佐世保市博物館島瀬美術センターで開催中の
「アメリカン・ポップアート展~1960年代からのアメリカ~」です。
会場は昨年「ねこ歩き」を見に行った会場であり(ほぼ丸1年ぶりですね)
展示の1/3は昨年見たアンディ・ウォーホルの作品だったわけですが
コンパクトな会場、(天気のためか)ゆっくり落ち着いて見られるコンディションと
作品に直接触れられない(当たり前だ)以外はかなり恵まれた展覧会でございました。
展示は4Fから下に降りていく形式となっています。
4Fは「ポップアート」の始まりからの流れとして
「ポップアート」の語源となったコラージュアート
「一体なにが今日の家庭をこれほどまでに変化させ、魅力的にしているか」
(この作品の中のキャンディの広告からのコラージュに書かれていた「POP」が
「ポップアート」の語源という説が一般的でございます)と同じ
リチャード・ハミルトンのコラージュ作品や、
大量生産・大量消費時代の到来へのメッセージ性をはらんだアルマン、
アメリカで人気を博したジャスパー・ジョーンズといったアーティストの作品が並びます。
3Fでは、コミックの1コマを拡大したような、印刷の網点まで手描きで再現した
ロイ・リキテンスタインの作品から、モネ「積みわら」をもとにした連作を中心に、
ジョージ・シーガルの生きて生活する人をそのまま型どりし、石膏像にした
「コーヒーを注ぐウェイトレス」、
トム・ウェッセルマンの「グレート・アメリカン・ヌード」シリーズから2作品と
「大衆化」「ディフォルメ」といった側面を中心とした展示となっています。
そして2Fは丸々アンディ・ウォーホルのためのフロア。
左半分は「電気椅子」シリーズに「ジャクリーン」「マリリン」といった
「死」をテーマにした作品たちが。
右半分には「キャンベル・スープ」に「シャネル」、オファーを受けて制作した肖像画と
「消費」をテーマにした作品がずらりと並んでいます。
「ポップアート」というムーブメントの黄金時代を小さな会場にぎゅっと凝縮、という
イメージをうけた展覧会であり、「かっこよさ」「ポップさ」の中に孕まれた
「空虚さ」「むなしさ」をも肌で感じられるような、そんな展覧会として楽しめました。
同時開催は「生誕80周年記念 エルヴィス・プレスリー レコード展」。
こちらはM2Fと1F(と親和ギャラリー)での展示となっており、
長崎で歯科医を開業していたプレスリーマニアの方が集めた
日本版・海外版のさまざまなレコードを一同に集めた展示となっています。
シングルヒットは頭に浮かぶものの、「アルバム単位」ではタイトルがぱっと出てこない、と
いう程度のプレスリー知識で見るこの展示は、同じような表情やアングルのエルヴィスが
ずらっと並んでいる感覚がまさにウォーホルのアートのように見えて
(ウォーホルの「エルヴィス」の作品も2Fに1点展示されています)
大量生産・大量消費時代の始まりのスーパースターだったのだなぁ、と改めて思ってしまいます。
(そして、この文脈とともにこの世を去ったのがマイケル・ジャクソンだったのかもしれない、とも)
そして1年ぶりに歩いた佐世保のアーケード街はシャッターが下りた店が増えつつも
なんとか商店街全体を盛り上げよう、というベクトルも感じられて
(九十九島Tシャツデザインコンテストとか、街のあちこちにあるIngressのポータルとか)
長崎市にもがんばってほしいなぁ、と思ったりもいたしましたよ。
あと見に行きたい展覧会は九州国立博物館の「大英博物館展」と、
熊本市現代美術館の「ポップアート 1960's~2000's」。
来月までには両方見に行く予定を立てなくては・・・
バスに乗って佐世保まで行ってまいりました。
そして見てきたのが
佐世保市博物館島瀬美術センターで開催中の
「アメリカン・ポップアート展~1960年代からのアメリカ~」です。
会場は昨年「ねこ歩き」を見に行った会場であり(ほぼ丸1年ぶりですね)
展示の1/3は昨年見たアンディ・ウォーホルの作品だったわけですが
コンパクトな会場、(天気のためか)ゆっくり落ち着いて見られるコンディションと
作品に直接触れられない(当たり前だ)以外はかなり恵まれた展覧会でございました。
展示は4Fから下に降りていく形式となっています。
4Fは「ポップアート」の始まりからの流れとして
「ポップアート」の語源となったコラージュアート
「一体なにが今日の家庭をこれほどまでに変化させ、魅力的にしているか」
(この作品の中のキャンディの広告からのコラージュに書かれていた「POP」が
「ポップアート」の語源という説が一般的でございます)と同じ
リチャード・ハミルトンのコラージュ作品や、
大量生産・大量消費時代の到来へのメッセージ性をはらんだアルマン、
アメリカで人気を博したジャスパー・ジョーンズといったアーティストの作品が並びます。
3Fでは、コミックの1コマを拡大したような、印刷の網点まで手描きで再現した
ロイ・リキテンスタインの作品から、モネ「積みわら」をもとにした連作を中心に、
ジョージ・シーガルの生きて生活する人をそのまま型どりし、石膏像にした
「コーヒーを注ぐウェイトレス」、
トム・ウェッセルマンの「グレート・アメリカン・ヌード」シリーズから2作品と
「大衆化」「ディフォルメ」といった側面を中心とした展示となっています。
そして2Fは丸々アンディ・ウォーホルのためのフロア。
左半分は「電気椅子」シリーズに「ジャクリーン」「マリリン」といった
「死」をテーマにした作品たちが。
右半分には「キャンベル・スープ」に「シャネル」、オファーを受けて制作した肖像画と
「消費」をテーマにした作品がずらりと並んでいます。
「ポップアート」というムーブメントの黄金時代を小さな会場にぎゅっと凝縮、という
イメージをうけた展覧会であり、「かっこよさ」「ポップさ」の中に孕まれた
「空虚さ」「むなしさ」をも肌で感じられるような、そんな展覧会として楽しめました。
同時開催は「生誕80周年記念 エルヴィス・プレスリー レコード展」。
こちらはM2Fと1F(と親和ギャラリー)での展示となっており、
長崎で歯科医を開業していたプレスリーマニアの方が集めた
日本版・海外版のさまざまなレコードを一同に集めた展示となっています。
シングルヒットは頭に浮かぶものの、「アルバム単位」ではタイトルがぱっと出てこない、と
いう程度のプレスリー知識で見るこの展示は、同じような表情やアングルのエルヴィスが
ずらっと並んでいる感覚がまさにウォーホルのアートのように見えて
(ウォーホルの「エルヴィス」の作品も2Fに1点展示されています)
大量生産・大量消費時代の始まりのスーパースターだったのだなぁ、と改めて思ってしまいます。
(そして、この文脈とともにこの世を去ったのがマイケル・ジャクソンだったのかもしれない、とも)
そして1年ぶりに歩いた佐世保のアーケード街はシャッターが下りた店が増えつつも
なんとか商店街全体を盛り上げよう、というベクトルも感じられて
(九十九島Tシャツデザインコンテストとか、街のあちこちにあるIngressのポータルとか)
長崎市にもがんばってほしいなぁ、と思ったりもいたしましたよ。
あと見に行きたい展覧会は九州国立博物館の「大英博物館展」と、
熊本市現代美術館の「ポップアート 1960's~2000's」。
来月までには両方見に行く予定を立てなくては・・・