長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『 everyhome 』

2015年07月28日 22時51分16秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『 everyhome 』(2007年5月30日リリース UNIVERSAL SIGMA )

時間 15分1秒

 『 everyhome(エヴリホーム)』は、鬼束ちひろ(当時26歳)の12thシングル。
 前作シングル『育つ雑草』(2004年10月リリース)から、実に2年7ヶ月におよんだ活動休止期間からの復帰シングル。。本作から、音楽プロデューサーに小林武史(当時47歳)を迎えている。また、この作品からは鬼束の個人事務所である NAPOLEON RECORDS(2007年4月1日設立)と、マネジメントを一部請け負う烏龍舎との共同マネジメントで作品をリリースすることとなる。
 かねてから小林の音楽性や創作スタイルに共感し、特に彼のプロデュースした YEN TOWN BAND(1996年~)の音楽性に強く惹かれていた鬼束が小林に会うことを切望し、2005年の夏に初対面を果たす。2006年春にスタジオに入り小林とデモセッションをして、タイトル曲である『 everyhome 』が生み出された。小林は、鬼束の楽曲のクオリティの高さとアーティスト性を高く評価して彼女のサポートを決めたと語るが、当時まだ楽曲のストックが少なかったため、鬼束は2006年いっぱいを楽曲制作にあてたという。本格的なレコーディングがスタートしたのは翌2007年2月であり、翌3月17日に開催された小林主催のライブフェスティバル『 AP BANG! 東京環境会議 vol.1』出演の直前までレコーディングが行われたという。
 楽曲は全て、鬼束のボーカルと小林のピアノ(『秘密』はキーボード)が同時録音されている。また小林は、鬼束のアーティストとしての個性を重視した上で、あくまでアレンジャーとしての作業を中心として行い、詞曲はほとんど修正していないという。
 歌唱と伴奏を同時収録した作品であるため、本作にはインストゥルメンタルが収録されていないが、本作以降、鬼束のシングル作品にはインストゥルメンタルは収録されなくなる。
 オリコンウィークリーチャート最高9位を記録した。

 鬼束の作詞法は、『 everyhome 』を契機に変化が生じたという。それまでは感情をぶちまけるように歌詞を書くという手法が主であったが、本作以降は、「自分が他の歌手だったらこういう書き方をする。」というように自分を客観的に見て歌詞を書いたり、映画の映像から受けた印象をモチーフとして歌詞を書くようにもなってきていると語っており、例えば『 everyhome 』は『フォレスト・ガンプ』(1994年)、『 Sweet Rosemary 』(4thアルバム『 LAS VEGAS 』収録曲)は『ギルバート・グレイプ』(1993年)、『 bad trip 』(『 LAS VEGAS 』収録曲)は『スパン』(2002年)からインスピレーションを受けているという。


収録曲
作詞・作曲  …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 小林 武史
1、『 everyhome 』
 ピアノのみというシンプルな伴奏で制作されたバラード。2007年3月17日に開催された小林主催のライブフェスティバル『 AP BANG! 東京環境会議 vol.1』で初披露された。2007年5月のインタビューによれば、鬼束曰く、「風が大きなテーマになっている」、「映画『フォレスト・ガンプ』を観ていたら曲が出来た」。また鬼束は、通常ならば数時間で楽曲を書き上げるが、この曲は「3日かかった」と、それまでにはない長時間を要したことを語っている。

2、『 MAGICAL WORLD 』
 ピアノとチェロのみの伴奏で制作されたバラード。『 everyhome 』と同様に、『 AP BANG! 東京環境会議 vol.1』にて初披露された。鬼束曰く、「小林武史のイメージをもってして曲を作った」、「寂しい部分も持っている人なのではないかと想像して書いた」。

3、『秘密』
 本作のリリースまで未発表となっていた新曲。バンドサウンドで制作された。


 ……ということでありまして、我が超零細ブログ『長岡京エイリアン』の中でもひときわ屈指の「問はず語り企画」といえる、この鬼束さんの音楽作品を時系列順にたどりブツブツつぶやくくわだても、いよいよここまでやって来ました。
 とは言いましても、単純に時間だけで見ますと、鬼束さんのプロデビューは2000年の19歳のときですから、今回の『 everyhome』のリリースされた2007年までは、たかだか10年もかかっていません。鬼束さんも27歳だし、まだまだ若いですよね。

 でも、こと鬼束さんに関しては、この「羽毛田丈史プロデュース時代」が終わり、新たな「小林武史プロデュース時代」が始まるというタイミングは、かなり大きな転換点であり、鬼束さんのキャリアの「中期」の起点となっていると思うのです。
 いや~、前作の11thシングル『育つ雑草』(2004年)の爆発(暴発?)から3年でございます。まさにアニメ版『風の谷のナウシカ』のドロドロ巨神兵のごとき存在となってしまった(この例え使うの何回目だろ……)『育つ雑草』は残念ながら鬼束さんの新時代の幕開けを飾るものとはならず、小林武史さんという名プロデューサーとの出逢いによって、本当の第2期が始まった、という感じでしょうか。
 鬼束さんとほぼ同い年のわたくしも、この待ちわびた12thシングルがリリースされたと知った時は、期待半分、こわさ半分で近所の CDショップへ自転車たちこぎで馳せ参じたものでした。なつかしい……

 とはいうものの、正直言って当時このシングルをワクワクしながら聴いた私の第一印象は、「こんな感じか……? まぁ、思ってたよりも変わってなくてうれしいけど……」という、なんだか肩透かしのような、妙に手ごたえのなさを感じるものだったのです。
 その理由は、まず歌詞の内容などを抜きにしてこのシングルに収録されている3曲をざっと聴いてみると、ピアノやチェロによる静かな伴奏という演奏形式が、かつての羽毛田時代を想起せずにはいられないスタイルですし、3曲目の『秘密』のバンドサウンドも珍しいといえば珍しいのですが、前作『育つ雑草』ほどのインパクトがあるのかと言えば、そうでもない気がしたからなのでした。
 小林プロデュースによる新時代が始まったというよりは、鬼束さん案外そんなに変わってないな、という第一印象だったのですね。

 実際に、上の記事にもあるように、プロデュースした小林さんは楽曲の制作には積極的には関わらずに裏方に徹していたということですので、本作は鬼束さんの意向がだいぶ大きく反映された作品になっているようで、そうなるとやっぱり、それまでのキャリアのほぼ全てを占めている羽毛田時代の文法を踏襲するのは当然、ということなのでしょうか。

 ただ、確かに2年半の沈黙を破った活動再開第1弾としては、少々静かすぎる印象もある本作なのですが、まだまだ20代ではあるものの、プロの歌手としての鬼束ちひろさんの健在ぶりと、さらなる成長をしっかり感じさせるものになっていることは、聴けば聴くほどわかるようになっています。
 私が聴いた印象として、このシングルから鬼束さんは、唄っている作品との間にある一定の「距離を置くこと」を意識するようになっている気がします。
 それは、本作から鬼束さんが、作品づくりのモチーフを自分自身の経験に基づかずに、鬼束さんが観た映画の登場人物や他人に仮託するようになったという、楽曲作成のスタイル変更にも関係があるのかも知れません。
 『月光』しかり『 infection』しかり、かつての鬼束さんは、なにかと「憑依的」な鬼気迫る唄い方がトレードマークになっていたところがあったかと思うのですが、27歳になって再スタートをきった新しい鬼束さんは、本作ではあくまでも歌に込めた想いをストレートに、最も聴きやすい形で人々に伝える「プロ」になることを目指しているような気がするんですね。
 言い方を変えれば「醒めている」ということになってしまうのですが、前作とはうって変わってかなり冷静な、自分の喉を世界にたった一つしかない楽器として誰よりも上手に使いこなす歌唱。これをプロと言わずしてなんと言うでしょうか。

 本作はセンセーショナルな驚きこそありませんが、『 everyhome』のサビ「goin' on……」の絶唱といい、『 MAGICAL WORLD』のサビ「涙だけが 雨のように なぜ溢れるの」の切ない響きといい、鬼束さんの過去以上の成熟をはっきり宣言するものになっていると思います。早く次の作品を出して~!といった渇望感も気持ちいいくらいですね。
 あと、『秘密』のミョ~に唄いやすいリズム感も、思えば今までの鬼束さんの作品群には無いポップさがあるような気がします。なんか、昭和の歌謡曲みたいに異様に平易な曲調なんですよね。「♪ひみっつなっど なぁにもぉなァ~いィ~」って、三味線もった芸者さんが唄っててもおかしくないような時代不明、国籍不明な陽気さがあるんですよね……民謡!? ここにきて民謡テイストを開拓!?

 なるほど、ということは、今後の鬼束さんの作品は、必ずしも主人公が同一人物(鬼束さん本人)ではないという感じになるのか。
 う~ん、でも結局、映画を観て登場人物の精神的履歴を想像するのも鬼束さんですし、小林武史さんを元にしたって言ったって、そんな松本清張ばりに詳細にインタビュー取材を行ったってわけでもないでしょうし……まぁ、歌詞世界にそんなに違いはないような気もします。

 タイトルにもなっている「 everyhome」というのは鬼束さんによる造語なのだそうで、「どこでも家」みたいな意味なのだとか。要するに、一つ所にとどまらない放浪のひとの歌、ということなのか。
 私の大好きなことわざに、「人間(じんかん)至る所に青山(せいざん)あり」というものがありまして、この意味は、「この世はどこにだって骨を埋める場所くらいはあるんだから、故郷だ家だとこだわらずにどんどん外に出ていこう!」みたいなものです。ポジティブね~。
 「 home」と「お墓」はまさしく真逆のものなのですが、だいたい言いたいことは同じなのがおもしろいですね。そう考えると、聴きざわりは確かにおとなしめなのですが、この『 everyhome』が他でもなく鬼束さん復活を高らかに世に告げる第1曲目に選ばれているのは、ちゃんとした理由があるんですな。これぞ、新生鬼束さんの長い長い旅立ちのはじまり!

 私個人としましては、3曲の中でいちばん好きなのは『秘密』なのですが、愛する人と一緒にいることがなんでそんなに「暴かれる」とか「降伏」とか「覚悟」などと、緊張感ありありでしゃっちょこばった物言いになるのか、まったく不思議でしょうがないところが実に鬼束さんらしくて素晴らしいと思います。前の2曲は確かにいいのですが、静かだし内容もすぐにはわかりづらいしで、少々とっつきにくいところがあるので、このシングルは確かに、無理やりでも『秘密』を入れておいてよかったような気がします。ちょっと滑稽なくらいに、人を愛することに七転八倒している姿がチャーミングなんですよね。
 あ~、めんどくさい鬼束さんは健在なんだな、まだ私達の近くにいてくれているんだな、という安心感が湧くんですよね、『秘密』って。秘密にするほどのことなんて、なんにもないのにねぇ。でも、そういうふうに周囲の人々にとってはとことんどうでもいいことにプライドを懸けているのが、人間なのよねぇ。

 さてさて、歌手としてはまごうことなき円熟の域に入りつつある、小林プロデュース体制による鬼束さん第2期のはじまり。他人との距離感の取り方や、世の中を生きていくことへの苦悩、矛盾を吐露する不完全さをうたい上げる鬼束さんは、これからどういった道行きをたどっていくのでありましょうか!?
 次なる作品が待ち遠しいですね! また2年半後なんてのは、なしよ~!?


 ……余談なんですが、小林武史さんって、いちおう私と同郷の有名人ということになるんだそうです。でも、小林さんの生まれ育った山形県新庄市って、私の住んでいる地域からは車で2時間くらいかかる距離のあるほぼ別文化の世界なんで、同郷っていう感覚はまるでありません。だだっ広い田舎あるあるですよね! 新庄市といえば、冨樫義博さんもご出身ですか。ピンとこねぇ~!

 九州人の鬼束さんと東北人の小林さんとの一種異様な二人三脚から、まったく目が離せませんな!!
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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『 SINGLES 2000-2003』

2015年07月25日 22時57分26秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『 SINGLES 2000-2003』(2005年9月7日リリース 東芝EMI )

74分15秒(CD)+26分(初回盤DVD)

 『 SINGLES 2000-2003』は、鬼束ちひろ(当時24歳)の2ndベストアルバム。
 初回限定生産盤のみ、2003年8月に行われたライブ『 UNPLUGGED SHOW '03』の模様を一部収録した DVDが付属する。初回盤と通常盤ではジャケットの配色が違う。
 すでに所属を離れた東芝EMI からリリースされた2枚目のベストアルバム。前作『 the ultimate collection 』と同様に、鬼束本人は作品には全く関与していない。そのため、鬼束の公式サイトのディスコグラフィーにおいても本作は記載されておらず、非公式扱いとなっている。アルバム初収録となる『いい日旅立ち・西へ』を含む全シングル曲に加え、アルバム『インソムニア』収録曲『 We can go 』の別バージョン『 We can go summer radio mix 』や、アルバム『Sugar High』初回限定生産盤のボーナスCD として発表されていた『 Castle・imitation(オリジナルバージョン)』、松任谷由実のトリビュートコンピレーションアルバム『 Queen's Fellow yuming 30th anniversary cover album 』で鬼束がカヴァーした『守ってあげたい』なども収録されている。
 オリコンウィークリーチャートで最高7位を記録した。

収録曲
全作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 羽毛田 丈史(『シャイン』編曲は土屋望、『 Cage 』編曲は土屋望と羽毛田丈史の共同)

1、『シャイン』(2000年2月 1stシングル)
 ※シングルバージョンのアルバム収録は初である。
2、『月光』(2000年8月 2ndシングル)
3、『 Cage 』(2000年12月 3rdシングル)
4、『眩暈』(2001年2月 4thシングル)
5、『 edge 』(2001年2月 4thシングル 両 A面)
6、『 infection 』(2001年9月 5thシングル)
7、『 LITTLE BEAT RIFLE 』(2001年9月 5thシングル 両 A面)
 ※シングルバージョンのアルバム収録は初である。
8、『流星群』(2002年2月 6thシングル)
9、『 Sign 』(2003年5月 7thシングル)
10、『 Beautiful Fighter 』(2003年8月 8thシングル)
 ※アルバム初収録。
11、『いい日旅立ち・西へ』(2003年10月 9thシングル)
 ※アルバム初収録。
12、『私とワルツを』(2003年11月 10thシングル)
13、『 We can go summer radio mix 』(2001年3月)
 ※1stアルバム『インソムニア』収録曲『 We can go 』のラジオオンエア限定バージョン。アルバム初収録。
14、『 Castle・imitation(オリジナルバージョン)』(2002年12月 3rdアルバム『 Sugar High 』初回限定生産盤特典ディスク)
15、『守ってあげたい』(2002年12月 トリビュートアルバム『 Queen's Fellows 』収録曲)
 ※松任谷由実の17thシングル『守ってあげたい』(1981年6月)のカヴァー。

初回限定生産盤特典DVD『 UNPLUGGED SHOW at The Symphony Hall 2003.8.5 OSAKA 』
 2003年8月29日に朝日放送で放送された番組『 The Symphony Hall Sound Renaissance Vol.1 鬼束ちひろ』から、ライブ映像のみを抜粋して収録している。
1、『嵐ヶ丘』(2003年8月 8thシングル『 Beautiful Fighter 』カップリング曲)
2、『眩暈』
3、『 infection 』
4、『 CROW 』(2002年3月 2ndアルバム『 This Armor 』収録曲)
5、『 Beautiful Fighter 』


 な、なんで昨年に1st ベストアルバムがリリースされたばっかなのに、またベストを出すのか……なぜベストを出し尽くすんだ、上田!

 何も知らない消費者の側から見れば、なんとも売り手の苦心惨憺というか、「やむやまれず……」みたいな裏事情が透けて見えるような手なのですが、なまじクオリティが保障されているので困っちゃうんですよね。完全な二番煎じだったら気楽にスルーできるのですが、前作のベストアルバムとは、ちょっと趣向が違うんですよね。

 前作『 the ultimate collection 』と同様に「本人不在」という、普通じゃないけど音楽業界ではよくありそうな事情でリリースされた今作なのですが、前作はおそらくプロデュースの羽毛田さんによる「鬼束さんにそうあってほしかった音楽スタイル」を再構築した選曲になっていたかと思うのですが、今作はタイトルの示す通り、ただ粛々とシングルの A面曲を集成したという内容になっています。そして、それだと両 A面曲を含めても12曲だけになってしまうので、今まで通常盤のアルバムに収録されることのなかった3曲と、初回限定盤にライブの模様をおさめた DVDをつけるという、「東芝EMI 時代の鬼束さん総ざらえ」ともいうべきラインナップとなっているのです。なんか、春陽堂文庫で乱歩生誕100周年を迎えた1993、4年ごろにごろごろ刊行された『江川蘭子』とか『五階の窓』とかの合作探偵小説群を思い起こさせるような、「売れるもんならなんでも売る」という商魂を感じさせますね。東芝EMI さんにとっては、鬼束さんとこれでほんとのオサラバ、というわけなのでしょうか。

 ただ、シングル曲を集めましたっちゅうのは、これまた昨年に『シングルBOX 』というそのまんまの形で一度やってますからね……ま、再発売して並べただけじゃなくて、1枚のCD にまとめたという点では、ありがたいのか? う~ん。

 そんな感じなので、この記事で扱うべき内容は、シングル曲以外のボーナストラック的な3曲と、初回限定版の2003年8月のライブ映像ということになりますね。ちょっとそこらへんに触れますか。

 まず、聴けば元気になる初期の名曲『 We can go』の「summer radio mix 」というバージョンなのですが、これはタイトルの通り、ラジオ放送のために編集されたバージョンとのことで、サビ部分を冒頭に持ってきたりして約40秒ほど短くなっているものの、曲調は全く同じものとなっています。この曲は鬼束さんの1st アルバム『インソムニア』の目玉曲にもなっていたようですので、ラジオで聴取者の耳をキャッチするためにも、ダイレクトに鬼束さんの声を届ける構成になっています。じっくり前奏を流して始まるオリジナルバージョンもいいのですが、鬼束さんのパワーが伝わってくるこっちのバージョンもいいですよね。羽毛田さんの世界を優先するならオリジナル、鬼束さんの声を優先するなら summer radio mixというわけです。プロデューサーと歌い手さんの立場の違いが際立つのがおもしろいですね。

 次の『 Castle・imitation』のオリジナルバージョンなのですが、3rd アルバム『 Sugar High』の初回限定盤ディスクに収録されていたバージョンが今作でやっと通常盤に入りました。やっぱこれ、当初は普通にシングル曲としてリリースする予定だったのでしょうか。これは、いつもの羽毛田さんらしくピアノと弦楽器がメインになっていたおとなしいアルバムバージョンと違って、いかにも RPGゲームのテーマソングらしいフルバンド演奏を従えた壮大なバージョンとなっています。こちらもまた、サビ部分の鬼束さんによる「生きて」の連呼が非常にパワフルなので、それに耐えうる音の厚みを持ったオリジナルバージョンの方がふさわしいような気がしますね。やっぱ、羽毛田ワールドならアルバムバージョン、鬼束さんの声ならオリジナルなんだなぁ。ここでも、羽毛田さんのプロデュース力の、ただ一つ一つ作品を作るだけではない、一貫したコンセプトを持った計画性がうかがえます。まぁ、もう青い鳥は飛んでっちゃったんだけどね!

 最後の収録曲の『守ってあげたい』は言うまでもなくユーミンへのトリビュート曲なのですが、編曲は羽毛田さんなので、他の曲とまるで遜色のない「鬼束さん&羽毛田プロデュース」作品に仕上がっています。2002年の曲ですが、翌年の『いい日旅立ち・西へ』を予見させる、「何を唄っても鬼束さんの世界になる」強固な個性を証明するものになっていますね。
 それにしても、歌詞は他人の約20年前のものだったとしても、ここで「守ってあげたい あなたを苦しめるすべてのことから」と唄っている鬼束さんが、同じ月(2002年12月)にリリースされた自分のアルバムで「 I`m not your God」って唄ってるんですから、もはや笑ってしまう他ありませんね。どっちやねん! じゃなくて、どっちも同じ鬼束さん!! 多面的であればこそ、それが人というものなのです。頼みごとは、その人の機嫌を見てお願いしましょう。

 本作の初回限定版のライブ映像 DVDなのですが、常に猫背、左肩をやや上げて左手と五本の指をテルミン奏者か操り人形師のようにひらひらブンブン上下させながら熱唱する鬼束さんのお姿が堪能できる5曲となっております。私としましては、1st と2nd どちらのベストアルバムにも採用されなかった名曲『嵐ヶ丘』が拾われているのがうれしかったです。隊長、大阪ザ・シンフォニーホールに怪獣出現!!

 その内容でも充分に満足なのですが、この映像が、例の鬼束さんの声帯結節手術のほんとの直前(2003年8月)に収録されていることも史料的に非常に貴重だと思います。そう言われれば確かに、鬼束さんの声が全体的に低めで部分的にかすれが入る様子も見受けられるのですが、これもプロになった鬼束さんの生の「味」といいますか、曲のクオリティを下げる要素に全然なっていないのに、うなってしまいます。でも、あれはご本人としては違和感がありありで、だいぶ不自由だったのでしょう。

 やっぱね、超一流の歌手のライブって、多少音源版と唄い方が違っていたりトチったりすると逆にレアでうれしかったりするって聞くんですけど、鬼束さんの声の多少のかすれも、そういう世界の才能であることの証拠なのではないでしょうか。ライブの時点で、若干22歳……恐ろしいほどの早熟さ!!


 こんな感じで、2005年の鬼束さんのリリース状況は、ベスト盤で過去の東芝EMI 時代の遺物をおがむという、いちおう商品として成立してはいつつも、実に寂しい結果に終わってしまいます。これでいいわけねぇじゃねぇかよう、これほどのお人が!!

 新しい、今を生きている鬼束さんの声が、新作が聴きたい!

 しかし、ご本人が『育つ雑草』という一発大噴火を経て休眠に入ってのち、ふたたび重い重い天の岩戸を開けてお出ましになられたのは、実にその「2年後」のことなのでありました……

 女神さま~、帰ってきてくだせぇ! アマテラスさま、鬼子母神さま、カーリー神さま!!
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事件の真相なんか、思いっきりぶん投げて鳥に食わせちまえ  ~映画『ピクニック at ハンギングロック』資料編~

2015年07月24日 21時55分34秒 | ふつうじゃない映画
映画『ピクニック at ハンギングロック』(1975年8月公開 116分 オーストラリア)

 『ピクニック at ハンギングロック』(原題 Picnic at Hanging Rock)は、1900年にオーストラリアで実際に起こった事件を基にしたとされるジョアン=リンゼイの同名小説(1967年11月発表)の映画化作品。ピーター=ウィアー監督。ただし、この事件に該当する当時の新聞記事、警察の記録、女学校などは現実には一切存在せず、完全なフィクションであることが確定している。
 ちなみに、映画の冒頭で事件は1900年2月14日の土曜日に起きたと説明されるが、実際の1900年2月14日は水曜日である。

オーストラリア出身のウィアー監督が、その名を世界に知らしめた出世作。規律を重んじる名門女子学園で、生徒たちがピクニックに出かける。しかし、行き先の岩山で3人の生徒と引率した教師が姿を消してしまう。当日の出来事と、彼女たちの日常が交錯する、ファンタジーとリアルが同居した不思議な味わいのサスペンス作品。
原作小説と同様に、映画も真相を突き止めないまま完結する。しかし、女子生徒同士の恋愛ともとれる友情関係や、彼女たちの死に対する甘美な憧れ、レイチェル=ロバーツが好演した校長の厳格さと危うさなど、日本の少女マンガのような空気が横溢しており、失踪の原因に対して、観る者の想像力をかき立てることに成功している。フリルの付いた制服や、風になびく金髪をとらえた映像は、徹底的に繊細かつ詩的で、現実から一歩浮き上がった世界観を描いている。


あらすじ
 1900年の2月14日、聖バレンタインデー。翌年の憲法制定にともなう独立直前のイギリス帝国領オーストラリア。国土の南東に位置するヴィクトリア州ウッドエンドにある名門の寄宿制女子学校アップルヤード女学校(カレッジ)の生徒たち18名が、女性教師2名に引率されて、郊外のマセドン山近くの標高約150メートルの岩山ハンギングロックへとピクニックに出かけた。その昼下がり、4名の生徒が火山の隆起でできあがった山頂の探検に登るが、3名の生徒と女性教師1名が忽然と姿を消してしまうのだった。
 およそ一週間後、その中の一人だけが傷だらけの状態で発見されたが、彼女は、他の生徒たちや教師の行方については何ひとつ覚えていなかった……


主なスタッフ
監督 …… ピーター=ウィアー(31歳)
脚本 …… クリフ=グリーン
原作 …… ジョアン=リンゼイ
音楽 …… ブルース=スミートン
撮影 …… ラッセル=ボイド(31歳)

主なキャスティング
生徒ミランダ(美人)   …… アンルイーズ=ランバート(20歳)オーストラリア出身
アップルヤード校長    …… レイチェル=ロバーツ(47歳 1980年没)イギリス出身
大佐の甥マイクル     …… ドミニク=ガード(19歳)イギリス出身
大佐の御者アルバート   …… ジョン=ジャレット(24歳)オーストラリア出身
ポワティエ先生(ほっそり)…… ヘレン=モース(28歳)イギリス出身
生徒サラ(居残り)    …… マーガレット=ネルソン
生徒アルマ(黒髪)    …… カレン=ロブソン(18歳)マレーシア出身
生徒イディス(ふとめ)  …… クリスティーン=シュラー
生徒マリオン(メガネ小) …… ジェーン=ヴァリス
マクロウ先生(数学)   …… ヴィヴィアン=グレイ(51歳)イギリス出身
ベン=ハッシー(御者)  …… マーティン=ヴォーン(44歳)オーストラリア出身
ラムレイ先生(メガネ大) …… カースティ=チャイルド
メイドのミニー      …… ジャッキー=ウィーヴァー(28歳)オーストラリア出身
ミニーの夫トム(用務員) …… トニー=リュウェリンジョーンズ
庭師のホワイトヘッド   …… フランク=ガンネル
バンファー巡査部長    …… ウィン=ロバーツ
バンファーの妻      …… ケイ=テイラー
ジョーンズ巡査      …… ゲイリー=マクドナルド
マッケンジー医師     …… ジャック=フィーガン
フィッツヒューバート大佐 …… ピーター=コリンウッド


 現在リリースされている本作のディレクターズカット版は、最初に公開されたオリジナル版(116分)から多くのシーンを削除し、短くなっている(107分)。
 監督のピーター=ウィアー自身は、本作の最初のオリジナル版に満足しておらず、再編集を望んでいたのだが、まだ駆け出しの若手監督だったウィアーは意見を通すことができず、プロデューサーが再編集を承諾しなかったため、ウィアーが望まない形で公開されることになった。その後、ハリウッドに招かれ世界に認められる監督の一人となったウィアーが、20年以上の年月を経て、改めて彼の望んだ形に編集し直したのが、1998年にリリースされたディレクターズカット版で、これが現在の公式版となっている。
 ところがこのバージョンは、かつてのオリジナル版にあった多くのシーンを削除した編集となっており、熱狂的なファンからは「改悪版」とまで呼ばれるようになる。本作で生徒ミランダを演じたアン=ルイーズランバートもその一人で、「映画は監督一人のものではない。ファンにとって思い入れのあるシーンを、監督の独断でカットすることが正しいとは思わない。」と、かなりきつい口調でこのディレクターズカット版に異を唱えている。

ディレクターズカット版の制作にあたり、ピーター=ウィアー監督がオリジナル版から削除した主な内容
1、バレンタインデーの朝に、ポワティエ先生が自分に届いた手紙を読んでいるところにミランダたち女生徒が現れ、ミランダが深紅の薔薇をポワティエ先生にプレゼントするシーンと、その流れでポワティエ先生と女生徒たちが階段を下りてくるシーン(06分22秒~07分00秒)
3、救助後に快復したアルマが、ポワティエ先生を伴って自分を救助したマイクルとアルバートにお礼を言いに行き、マイクルと親しげに散策するシーン(87分38秒~91分10秒)
4、アルバートの部屋で、マイクルとアルバートがビールを飲みながらアルマについて会話するシーン(91分10秒~92分15秒)
5、アルマとマイクルがボートに乗って会話するシーン(92分15秒~93分48秒)
6、発見されないままの行方不明者3名の追悼式典で、アップルヤード女学校の女生徒たちとウッドエンドの住民が讃美歌を歌うシーン(93分58秒~94分58秒)
7、誰もいない深夜のサラの部屋にアップルヤード校長が忍び入り物色するシーン(103分40秒~104分40秒)

 以上のように、ディレクターズカット版の最大の特徴は、マイクルとアルマの交流がほとんど無かったことにされている点である。

 この他に本作には、オリジナル版の段階でカットされていたアウトテイク集(オリジナル版とディレクターズカット版の両方を収録した3枚組ディスクの特典映像より)も存在している。
1、マイクルが、ボッティチェリのヴィーナスの姿をしたミランダを見るシーン
2、事件後、アップルヤード校長がハンギングロックに登ろうとすると、岩山の上からサラの亡霊が彼女を見下ろしているシーン
3、アップルヤード校長の遺体をマセドン山から男たちが運び出すシーン


原作小説について
 映画の原作は、オーストラリアの女流作家ジョアン=リンゼイが1967年11月に発表した同名の小説である。事実を淡々と述べるドキュメントのような工夫が凝らされているが、本作はあくまで迫真性を狙ったフィクション作品である。
 この小説には、当初執筆されていながらも、出版社側の判断で削られた最終章が存在し、その内容は後の1987年に発表された『ハンギングロックの秘密』という著作の中で初めて明かされている。

出版されなかった最終章の概略(神隠し事件の真相)
・山頂の草原を歩く3人の生徒の前に、遠くで太鼓が鳴るような振動と共に、巨大な卵型の石柱のような物体が出現する。
・生徒マリオンが「あの物体に引き込まれるような気がする。」と語り、それに生徒ミランダも同調するが、生徒アルマは何も感じられなかった。
・やがて石柱は消失するが、その途端に3人は強い眠気に襲われ、その場で眠り込んでしまう。
・何時間後かに3人が目覚めると、空は夕焼けのように赤く染まっていた。そのとき突然草原の地面が割れ、その中から、痩せた赤ら顔で、フリルのついたパンタロンに黒いブーツを履いた道化師のような姿をした女が跳び出してくる。
・道化師のような女は「そこを通して!」と叫ぶが、アルマが「可哀想に、病気みたい、どこからきたのかしら?」と語りかけ、女の衣装を脱がせる。すると、今度は女がその場に眠り込んでしまう。
・マリオンが「なぜ私たちは、みんなこんなばかげた衣装をきているのかしら? 結局、私たちは自分たちをまっすぐに保たされるために、このような物をつけさせられているのだわ。」と語りだし、3人全員が制服を脱いで、コルセットを崖から放り投げる。
・崖から放り投げたはずのコルセットが下に落ちていないことに気づき3人は不思議に思うが、その時、いつの間にか目覚めていた女が「お前たちは落ちたのを見ていないのよ、なぜならそれは本当は落ちなかったんだから。」と、トランペットのようなかん高い声で告げる。
・さらに女は「少女たちよ、後ろを振りかえってご覧。」と言い、3人が崖と反対の方向を見てみると、そこにはコルセットが空中に浮かんで静止していた。
・ミランダが小枝を持ってコルセットをつつきながら「まるで何かから突き出されているみたい。」と語ると、女はさらに「それは『時』から突き出されているのだよ。」と答え、「何事も、それが不可能だと証明されない限り可能だし、たとえ不可能だと証明されたとしても……」と、威厳に満ちた金切り声で叫ぶ。
・マリオンは女に「私たちは、日が暮れないうちにどこに行けばいいのでしょう?」と尋ね、女は「お前はとても賢いよ、でもすぐれた観察者とはいえないね。ほら、ここには影がないだろう。そして光はずっと変わっていないじゃないか。」と答える。
・アルマは不安そうに「私には全く理解できないわ。」と言うが、ミランダは輝きに満ちた表情で「アルマ、わからないの? 私たちは光明の中に着いたのよ。」と語る。しかし、アルマはさらに「着いた? どこに? ミランダ。」と聞く。
・女は立ち上がりながら「ミランダは正しいよ。私にはこの娘の心が見えるんだよ。その心は理解にあふれているよ。全ての創造物は定められたところに行くのだよ。」と告げる。その姿は、3人にはとても美しく見えた。
・女が「まさに、いま私たちは到着するところなのだよ。」と語ると、3人は突然めまいに襲われ、気がつくと彼女たちの目の前には、岩山も地面も消え、何もない空間の中に穴だけが存在していた。その穴は、満月のような大きさで、確かにそこに実在しており、地球のようにしっかりしていながらもシャボン玉のように透明なものだった。そして簡単に入って行けそうで、まったく窪みも無かった。その穴を見つめるだけで、3人は今までの人生の中で抱えてきた疑問が、全て氷解するような気がした。
・女は3人に「私が最初に入っていいかい?」と聞いた。マリオンが「入るんですか?」と尋ねると、女は「簡単なことだよ。マリオン、私が岩を叩いて合図をするから、続いて入るんだよ。 ミランダはその後。わかったね。」と答える。
・3人が返事をしないうちに、女はゆっくりと頭から穴の中に入っていき、女の姿は完全に消えてしまう。
・その後すぐに岩を叩く音が聞こえ、マリオンは「もう待てない。」と言いながら、後ろを振りかえりもせずにすばやく入っていく。
・続いてミランダが、穏やかで美しく、何の恐れもいだいていない表情で「さあ、次は私の番だわ。」と穴のそばにひざまづきながら言うが、アルマは「ミランダ! ミランダ! 行かないで! 怖いわ、家に帰りましょうよ!」と叫ぶ。
・しかしミランダは、星のように輝く目で「家? なんのこと? アルマ、どうして泣いているの?」と答え、もう一度合図があると、「ほら、マリオンが合図したわ。行かなきゃ!」と言い、穴の中に姿を消す。
・いつの間にか、アルマは女が出現する前の、岩山の山頂の乾いた荒野に座っていた。「彼らはどこからきたの? どこにゆくの? みんなどこにゆくの? なぜ? なぜミランダは消えてしまったの?」
 アルマは空を見上げながら、声をあげて泣き続けるのだった。

 この最終章を挿入した途端に、『ピクニック at ハンギングロック』は単なるファンタジー映画と化す。だが本作の成功の要因の一つは、読んだ人に実話だと思わせる迫真性にある。削除を提案した編集者は慧眼であった。


 ……いや~、これはまごうことなき大傑作ですよ。カルトムービーになってるなんて、もったいなさすぎる! まぁ、意図的にオチを無くしてるんだから、ふつうじゃない映画なのは間違いないんですけどね。
 これが DVDで手軽に手に入るなんて、いい時代になったもんだよぉ。あっ、でもこれ、短いディレクターズカット版だよ! どうしよっかなぁ。

 いつになるかはわかりませんが、いつか必ずじっくり語ってみますわよ! お待ちになってね~!!
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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『 the ultimate collection 』

2015年07月15日 23時39分20秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『 the ultimate collection 』(2004年12月1日リリース 東芝EMI )

時間 77分13秒

 『 the ultimate collection 』(ジ・アルティメット・コレクション)は、鬼束ちひろ(当時24歳)の1stベストアルバム。
 全曲のプロモーションビデオを収録した DVD『 the complete clips 』との同時発売となった。ジャケットやブックレット内の写真は、同年3月にリリース予定だったが発売中止となったオリジナルアルバムのために撮影されていたものを使用している。
 すでに2004年6月に所属を離れていた東芝EMI からリリースされた初のベストアルバムである。選曲は音楽プロデュースを手掛けた羽毛田丈史によるもので、鬼束本人は本作にいっさい関与していない。そのため、鬼束の公式サイトのディスコグラフィーにも本作は記載されておらず、非公式扱いとなっている。本作への再収録に当たって、世界的なエンジニアであるテッド=ジェンセンによる、全曲24ビットデジタルリマスタリングが施されている。
 オリコンウィークリーチャートで最高3位を記録した。

収録曲
全作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 羽毛田 丈史(『シャイン アルバムバージョン』と『 BACK DOOR アルバムバージョン』のプロデュースは土屋望と羽毛田丈史の共同)

1、『流星群』(6thシングル 2002年2月リリース)
2、『声』(3rdアルバム『 Sugar High 』収録曲 2002年12月リリース)
3、『眩暈』(4thシングル 2001年2月リリース)
4、『月光』(2ndシングル 2000年8月リリース)
5、『 infection 』(5thシングル 2001年9月リリース)
6、『 We can go 』(1stアルバム『インソムニア』収録曲 2001年3月リリース)
7、『 Fly to me 』(6thシングルカップリング曲 2002年2月リリース)
8、『シャイン アルバムバージョン』(1stアルバム『インソムニア』収録曲 2001年3月リリース)
9、『 BACK DOOR アルバムバージョン』(1stアルバム『インソムニア』収録曲 2001年3月リリース)
10、『 King of Solitude 』(3rdアルバム『 Sugar High 』収録曲 2002年12月リリース)
11、『 CROW 』(2ndアルバム『 This Armor 』収録曲 2002年3月リリース)
12、『茨の海』(2ndアルバム『 This Armor 』収録曲 2002年3月リリース)
13、『私とワルツを』(10thシングル 2003年10月リリース)
14、『 call 』(1stアルバム『インソムニア』収録曲 2001年3月リリース)
15、『 Sign 』(7thシングル 2003年5月リリース)


 はい、でました~。鬼束さんのデビューから5年目にしてついにリリースされた、1st にして「本人非公認」という、いわくつきのベストアルバムでございます。なんという、因縁に満ちた出生……
 でも、さすがは天にひとつの声と世界を持ち続ける鬼束さんといいますか、内容については全く文句のつけようのない聴きごたえ十分のベストアルバムとなっており、たった2ヶ月前に『育つ雑草』という新機軸を鬼束さんが打ち出していたにも関わらず、それ以前の「羽毛田プロデュース時代」のみに限定した本作でさえ、当時のヒットチャート3位という反響を得ていたのでした。やはり当時の世間では、いや、それから10年以上の歳月が経った2010年代の今でも、鬼束さんといえば2000年代前半の羽毛田時代というイメージが定着しているのでしょうか。

 本作の収録楽曲の内訳は、1st アルバム『インソムニア』から6曲、2nd アルバム『 This Armor 』から4曲、3rd アルバム『 Sugar High 』から2曲ということで、『 Fly to me 』『私とワルツを』『 Sign 』の3曲は、本作にてアルバム初収録ということになります。ですので、デビューからの羽毛田プロデュース時代の全容をまんべんなくフォローしていることは間違いないのですが、全曲がすでにアルバムかシングルいずれかの形で音盤化されている楽曲ということなので、全作品をすでに買ってるよというファンの方にとっては、目新しいのはジャケットとライナーノートに使用されている、黒い袖なしワンピースをまとった鬼束さんの写真3点だけということになります。
 う~ん……入門盤としてはこれ以上ないくらいの選曲とボリュームなのですが、できればボーナストラックみたいな初音盤化の作品が欲しかったような。でも、すでに鬼束さんご本人が音楽会社を移籍してしまっている以上、新曲を録音するわけにもいかず、そもそもそんな作曲環境がちゃんとあるんだったら、『 Sign 』とか『私とワルツを』といった超名曲を収録したフルアルバムがリリースされないとか、本作が本人非公認になるとかいう事態にもならなかったわけなのでありまして。覆水盆に返らず……

 さて、いちおうこの、我が『長岡京エイリアン』におけるとはずがたり企画「在りし日の名曲アルバム」シリーズは、いちおう鬼束さんの楽曲を聴いて雑感をくっちゃべるという記事なのですが、このベストアルバムに収録されている楽曲は、曲がりなりにもすでに過去記事で触れているものばかりですので、ちょっと違う視点にしてお茶をにごしましょうかね。

 すでに鬼束さんご本人が去っている状態でのベストアルバム作成ということで、じゃあ一体誰がこのアルバムの収録曲を選んだのかと考えれば、それはもちろんプロデュースを手掛けた羽毛田丈史さんだと思います。ちょっと、どういった理由で羽毛田さんがこのラインナップにしたのかを、しろうとなりに考えてみたいと思います。

 まず、アルバム収録の順番から観てみますと、各曲のリリース時期に関しては「02年→02年→01年→00年→01年……」となっているので、単純に時系列順に並べたわけではないようです。
 ならば世間的にヒットした人気作を特にチョイスしたのかといいますと、当然『月光』や『 infection』、『流星群』といった必聴の名曲は押さえているわけですが、その一方で『声』や『茨の海』といったアルバム収録のみの楽曲や、そもそもアルバムにさえ収録されていなかったシングルカップリング曲『 Fly to me 』といった、当時としては比較的知名度の低かった楽曲も拾われているのです。
 ベストアルバムにそこらへんの楽曲も収録されているということは、さてはシングルのタイトル曲をそろえるだけでは頭数がそろわなかったか? と勘ぐってしまうのですが、本作にはシングルタイトル曲だった『 Cage』(3rd 2000年)、『 edge』(4th 2001年 両A 面曲)、『 LITTLE BEAT RIFLE』(5th 2001年 両A 面曲)、『 Beautiful Fighter』(8th 2003年)、『いい日旅立ち・西へ』(9th 2003年)といった有名どころが収録されていないので、そんなわけでもなさそうなんですね。
 さて、だとするのならば、本作の選曲にはどういった意図、法則性があるのでしょうか。

 ではここで、完全に独自の勝手な解釈になってしまうのですが、それぞれの楽曲の性質を考えてみることにしましょう。

 すでに何回も触れてきたのですが、鬼束さんの作品世界の中で重要なのは、「あたし」と「あなた」の占有配分だと思います。
 すなはち、外部に全く左右されない「あたし」の心象風景を唄う「告白曲」か、あたしに大きな影響を与える「あなた」が登場することで確実にあたしが変わっていく「対話曲」か。この違いと、そのいずれかを「ポジティブ」に唄っているのか「ネガティブ」に唄っているのか。その4要素でもって、今回のベストアルバムに収録された楽曲のならびを観てみることにいたしましょう。どうなるかな!?

1、『流星群』  …… 対話・ポジティブ
2、『声』    …… 対話・ポジティブ
3、『眩暈』   …… 対話・ポジティブ
4、『月光』   …… 告白・ネガティブ
5、『 infection 』 …… 告白・ネガティブ
6、『 We can go 』…… 告白・ポジティブ
7、『 Fly to me 』…… 対話・ポジティブ
8、『シャイン アルバムバージョン』 …… 告白・ネガティブ
9、『 BACK DOOR アルバムバージョン』…… 告白・ポジティブ
10、『 King of Solitude 』…… 対話・ポジティブ
11、『 CROW 』 …… 対話・ポジティブ
12、『茨の海』  …… 対話・ネガティブ
13、『私とワルツを』…… 対話・ネガティブ
14、『 call 』   …… 対話・ポジティブ
15、『 Sign 』   …… 対話・ポジティブ

 こんな感じになりますか。でも、鬼束さんの世界がこんな「黒か白か」みたいにざっくりした基準4コだけでかっちり分けられるはずもなく、『 Fly to me 』や『 call 』がほんとにポジティブな曲かというとそうでもない気もするし、「告白曲」だとしても、語っている相手として「あなた」がちゃんといる場合もあります。ただ、告白曲における「あたし」と「あなた」の距離は相当遠く、まるで死んだ人か神様のように一方的に呼びかけることしかできない存在になっているようなせつなさはありますね。

 以上の結果を観てみますと、このベストアルバムの中で選者は、鬼束さんのまさしく鬼気迫る声の本領が発揮されるはずの『月光』や『 infection』に代表されるネガティブ曲が、かなり手厚くポジティブ曲で包まれていることがわかります。まず、選曲の中で最も新しい『私とワルツを』でなく、当時の時点での鬼束さん史上最ポジティブ曲である『 Sign』がオーラスになっていることから観ても、このアルバムを明るい印象のものにしたいという意図は明らかなのではないでしょうか。間違っても『 Beautiful Fighter』や『 Tiger in my Love』のようなひねくれたテンションの曲は入れないという、優等生ばかりをそろえた感じはありますよね。不良は帰ってよし!

 優等生というのならば、曲的に非常に耳ざわりがいいというか、なんとなく意味が分かるような気がする、平易な難易度の曲が選ばれているという点でも、本作は入門編と呼ぶにふさわしいと思います。つまり、『ダイニングチキン』や『嵐ヶ丘』、『 Castle・imitation』、『漂流の羽根』みたいな難解な曲は入らないと……そこらへん大好きなんだけどなぁ! でも、こんな中でもちゃんとベストアルバムに入った『 Fly to me』は、なかなかのもんですね。あれもけっこう難解なのですが、それだけ羽毛田さんがこの曲を評価していたということなのでしょうか。

 ただ、そういう選曲になっている以上、鬼束さんにそれほど深く入り込んでいない人が聴くと、「なんかおんなじ曲ばっかだな。」みたいな印象を与えてしまうという弊害も無視はできないのではないでしょうか。トンガリ具合がいいネガティブ曲がありつつも、大半は当たり障りなく聴く人に元気を与える曲なんですもんね。『 Rebel Luck』なんかもとってもいい曲だと思うのですが、それが本作に収録されていないのは、同じ内容の楽曲がもう入ってるから、ということなのでしょう。


 この1st ベストアルバムは、何度も言うように「すでに鬼束さんがいない」状況の中で作られた回顧作品集ということになります。なので、鬼束さんのこれからを予兆させるという未来性はなく、羽毛田時代が理想としていた、そして当時の世間が喜んで受け入れた「こうあってほしかった鬼束ちひろ像」をできるかぎり再現させようとした、悪く言えば後ろ向きな内容になっていると思います。それだけに、まるで高速道路のサービスエリアや、ホームセンターの隅っこのワゴンで売られている山口百恵さんとかテレサ・テンさんのベストアルバムみたいな無難な内容になっているという、デビューから5年くらいしか経っていない歌い手さんとは思えない枯れた作品になってるんだな、と再確認しました。

 そりゃね、今からまた頑張っていこうとする「生きている」鬼束さんが認めるわけがありませんよね。まるで勝手に遺影を売られるような気持になったのではないかと思うのですが……どうだったんでしょうかね。

 アルバム自体はほんとにいいと思うのですが。ま、生まれた事情が幸福なものではなかったということでしょうか。哀しいのう!!

 ところが、不幸はふたたび。
 こんな1st ベストアルバムがリリースされて舌の根も乾かない内に、またもや生きている鬼束さんの意思とは全く違う場所から、次作は生まれ来るのでありました。

 え! 1st から1年も経たないうちに2nd ベスト!? また!?
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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『育つ雑草』

2015年07月14日 23時14分10秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『育つ雑草』(2004年10月27日リリース UNIVERSAL SIGMA )

 『育つ雑草(そだつざっそう)』は、鬼束ちひろ(当時24歳)の11thシングル。ユニバーサルミュージックへの移籍後第1弾シングル。
 タイアップ企画のないシングル作品はデビューシングル『シャイン』(2000年)以来であり、鬼束によるセルフプロデュース作品となったのは、本作のみである。オリコンウィークリーチャート最高10位を記録した。

 鬼束は、10月27日の『育つ雑草』リリースと同時に、体調不良による年内の休養を発表。予定していた TV出演や雑誌インタビュー等も全てキャンセルし、事実上の活動休止期間に再び入った。翌2005年1月31日には、移籍したばかりの音楽事務所 Sony Music Artists とのマネジメント契約をわずか9ヶ月で終了している。
 後に2007年に行われたインタビューにおいて、鬼束は、「自分のペースでの創作と、アーティスト活動、世の中のペースが一致しない。」、「何か問題やトラブルがあった訳ではない。」、「もっともっと休む時間が必要だった。」と語っている。
 なお、休養期間を挟んで3年後にリリースされた4thアルバム『 LAS VEGAS 』(2007年)には『育つ雑草』は収録されず、アルバムバージョンとして新録音された『 Rainman 』が収録された。


収録曲
作詞・作曲・プロデュース …… 鬼束 ちひろ

1、『育つ雑草』4分07秒
 かつての路線とは全く異なり、ピアノを排除し、ストリングスを起用した楽曲となっている。リリースに先立ち、2004年9月20日に東京・日比谷野外大音楽堂で開催されたライブイベント『 SWEET LOVE SHOWER 2004』にシークレットゲストとして出演した際には、かつてのナチュラルメイクに裸足といった印象から一変して、黒髪に真っ赤な口紅とブーツ、ミニスカートという、これまでになくロック色を強めた出で立ちで登場した。
 2004年7月のレコード会社移籍からリリースの10月までの約3ヶ月間と、制作期間が極端に短かったこともあってか、このシングルのみプロモーションビデオが全く制作されていない。
 音楽家の菊地成孔(なるよし)は自身のコラムにおいて、作品の世界観や歌唱法を宗教性と絡めて酷評した上で、本作を「完全迷走状態で面白い。」と断じている。

2、『 Rainman 』3分39秒
 初めて鬼束自身によるピアノ弾き語りを披露した楽曲で、全編英語詞である。録音の観点から見ると、オーバーダビングが施されている部分があり、ボーカルにエフェクト効果を持たせた楽曲としても本作が初めてだった。
 後に4thアルバム『 LAS VEGAS 』で、小林武史のプロデュースによるアルバムバージョンが新録音されている。


 きたきたきた! ついにこの曲のところまできちゃいました!! 伝説の秘曲『育つ雑草』。

 上述のような境遇であるため、この直後にリリースされた2作のベストアルバム(羽毛田プロデュース作品)にも、数年後にリリースされた小林武史プロデュースのアルバムにも収録されていないという悲劇の一曲です(カップリングの『 Rainman 』は小林プロデュース時代に新録収録)。いとかなし……

 この『育つ雑草』って、確かにまぁ傑作とは言い難い部分もあるのですが、もしかしたら、私がいちばん愛着のある作品かも知れません。「一番好き」でもないし、カラオケで好んで唄うってわけでもないのですが。

 まず個人的なことを話しますと、この『育つ雑草』がリリースされた2004年当時に私が受けた衝撃はかなりのものでした。
 その頃、私は音楽雑誌を読んでアーティストの動向をチェックするというほど音楽好きでもないものの、部屋にいる時はなんとなく『カウントダウンTV 』みたいな音楽番組はつけっぱなしにしておくし、ヒマな時は CD屋さんをほっつき歩いて新譜を眺めるという感じのゆるい生活を送っており、鬼束さんに関してはアルバムは3枚、シングルは直近の『私とワルツを』を持っていたか程度の注目具合だったのでした。
 それで、1年ぶりに新曲出したんだ~、みたいな感じで『育つ雑草』のジャケットを観てみたら、あの眉ぞりパンダ目のかんばせでしょ!? ビックラこきましたね~。
 しかも、上の記述でも言及されている日比谷野音のライブステージも TVで観たんですよね、確か。

 いや、もう鬼束さん、どうしちゃったの!? と。度肝を抜かれてしまったわけです。闇堕ちというか……それまでの鬼束さんの羽毛田プロデュース時代の作品群と比較してみたら、まさしく「堕天」ですよね。あのライブステージの、いっぱいの観客の異様な沈黙が忘れられない……

 あの時期に、『育つ雑草』という作品が生まれてしまった経緯は、前後の鬼束さんを取り巻く状況からも類推できそうですし、実際にご本人も何らかの媒体で語られているのかもしれませんが、それはそれとしまして、この記事では純粋に楽曲としてのシングル『育つ雑草』に収録された2曲から得られる雑感を、のんべんだらりとつぶやいていきたいと思います。別に鬼束さんの伝記を作るつもりもない個人ブログなんで、許してちょーよ!

 まず『育つ雑草』なのですが、私がなんでこの曲が好きなのかといいますと、歌詞の内容のどれ一つとして整合性の取れている文言がないという、この矛盾さ加減と、修飾がほぼない余裕のなさを非常に正直に作品にしてしまっていること! この、「今こんな感じ! おしまい!!」みたいな思い切りの良さにズキュウゥゥンと胸を射抜かれてしまうからなのです、何度聴いても!!

 「稼がなきゃならない」と現状への覚悟を持ちつつも「前へ前へと押されて行く」と不可抗力でやってますみたいな言い訳もするし、今の自分が「野良犬」のようだと分析していながらも「綺麗だと何度も言い聞かせて」生きている。「落ちるように浮き上がる」、「始まりも終わりもない」、「私はフリーで 少しもフリーじゃない」という矛盾に満ちた言葉を続けた上で、しまいには「よみがえり 再生するため 私は今 死んでいる」という極めつけの文句を宣言するわけなのです。キてるなぁ~!!
 この、「今 死んでいる」という言葉は、決して「死んだ」という完了形ではなくて現在進行形であるわけです。ということはつまり、たまたま今は死んでいるというだけなのであって、ある時期が来れば「よみがえり 再生する」フェイズに突入せんとする火種は、確かにこのハートに残しているゾというわけで、ここらへんの復活ありきの死生観は、この作品がなんだかんだ言いつつも、過去の羽毛田プロデュースからさほど変わっていない鬼束さんの宗教観に根ざしていることは明らかなのです。やっぱりここでも、鬼束さんは「 GOD'S CHILD」なのだ!

 ただ、これはキリスト教的というよりも、なんだか「舞踏とは 命がけで突っ立った 死体である」という、芸術家の業を感じさせるかの土方巽の至言を連想させるものがあります。
 若干24歳のみそらで、鬼束さんの身に降りかかった難業が一体いかほどのものだったのかは知る由もないのですが、「生活」と「芸術」だとか、「愛」と「エゴ」、「創造」と「破壊」といった様々ないとなみの板ばさみになった状況を素直にぶっちゃけたこの『育つ雑草』は、構図を計算しつくした絵画作品やアート写真のような美しさは全然ないかもしれませんが、ブレブレになりつつも被写体の「生きるためのあがき」を克明に記録した戦場写真のような稀少さがあると思うのです。これを「迷走状態」と言うのは、ちょっと違うと思います。正しいルートを走ることにこだわらずに全身汗みどろで、無明の闇を疾走しているのです。
 歌詞が幼稚だとかムチャクチャだとか評するのは簡単だとは思うのですが、そうやってこの作品をけなせるのは、人生で一度もテンパりまくって言動が幼稚になったり周囲に迷惑をかけたりしたことのない人だけですよ。うおっ、またキリストか!

 要するに、常に矛盾の中に生きていて、苦しみながらさまよっているのが人間。それを、決してスマートかつ耳障りの良いやり方ではないにしても、綺麗ごと一切なしできわめて正直な態度で提示した、まるで黙示録かお寺さまの地獄絵図のような歌。それこそが、この『育つ雑草』だと思うのです! だから、それを聞かされた日比谷野音のお客さんがたはお通夜のような静けさになってしまったのか……納得!!

 そういう意味で言えば、この『育つ雑草』は鬼束さん史上初の「仏教要素」が入ってきた作品なのかもしれませんね。人の世の不条理を、我が身の矛盾をありのままに受けとめよう、でもできない……そういったぐずぐずの状態をそのまんまお皿に乗せて提供してしまった『育つ雑草』は、日本歌謡界史上に残る「ドロドロ巨神兵」メニューなのです! 大好き。

 確か私、鬼束さんの『嵐ヶ丘』で特撮怪獣うんぬんの話をしたと思うのですが、この『育つ雑草』の意図的な醜さ、体裁の悪さは、おもに円谷プロの昭和ウルトラシリーズで定番の風物詩となっている、「着ぐるみくったくたの再生怪獣たち」のすがすがしいまでのカッコ悪さを彷彿とさせるものがあると思います。知らない人には伝わらないと思うのですが、『帰ってきたウルトラマン』の2代目ゼットンとか、『ウルトラマンA 』の2代目ムルチとか。扱いがひどすぎる!!
 その中でも、私は特に『ウルトラマンタロウ』における「改造巨大ヤプール率いる再生怪獣・超獣軍団」の生き恥のさらし具合を、この『育つ雑草』のテンションにオーバーラップさせずにはおられません。いや、ほめて言ってるんです! 信じてください山中隊員!!
 本人(本獣)の名誉のために付言しておきますと、その中でも見てくれは別として改造ベムスターだけはウルトラマンタロウをボッコボコにする大戦果を挙げているのですが、残りの改造サボテンダーと改造ベロクロンⅡ世、そして首魁の改造巨大ヤプールのダメダメっぷりは、大いに涙を誘うものがあります。たった1年前にはあんなにカッコいい強敵だったのに、なんであんな惨状に……それだけタロウと ZAT(とスーパー海野青年)が強すぎたというだけなのかもしれないのですが、この「一度死んだ者たち」の執着だけで再び立ち上がったボロボロのみにくさに、言い知れぬ感動をおぼえてしまうのです。え、私だけ!?

 特撮の話はいい加減にしておきまして、要するに私は、『育つ雑草』の整合の取れなさに、完成度の低さでなく、「見てくれにこだわらない覚悟」を、私は今死んでいると宣言する矛盾に、情緒の不安定さでなく「生を渇望する熱いエネルギー」を感じるのです。それが感じ取れるんだから、少々の声の細さなんか、どうでもいいじゃねぇか!? 誰に言っているんでしょうか。

 それにしても、かつてあの『 infection』にて「何とか上手く答えなくちゃ」とあがく主人公の舌に増えていくと唄われていた「雑草」そのものに、まさか主人公がメタモルフォーゼしてしまうとは。でも、これも決して退行や衰微などではないのです。生きることは、忘れること。生きることは、死を思うこと! 堕ちることを受け入れ、呑み込み、育てよ雑草!!

 さて、お次はカップリングの『 Rainman 』のシングルバージョンなのですが、こちらは『育つ雑草』からは一転して、ピアノの弾き語り形式というシンプルで落ち着いた曲になっています。
 ただ、だからといって『育つ雑草』とのバランスがとれていないという訳では決してなく、『育つ雑草』の状態から、ふと視線を窓の外にやったら『 Rainman 』が始まるみたいな、絶妙に肩の力のぬけた「緊張と緩和」がひと続きになった姉妹曲になっているのです。
 私は死んでいる! でも必ず生き返ってやる!! だけど今どうしたらいいのかわからない……と心の中でぐだぐだ煮こごっていても、地球は普通に回っているし、雨も静かに降り続けているのだなぁ、という諦念を身軽につづっている『 Rainman 』の存在は、『育つ雑草』の息苦しさに対する救いの一作でもあるし、『育つ雑草』に面食らって少なからず当惑する人もいるだろうしなぁ、という鬼束さんのまごころあふるる気遣いを強く感じさせるカップリング選曲になっているのです。くぅう~、ジャケットであんなにワルぶっておきながら、2曲目にこういう歌を入れてくれるんだもの、だから鬼束さんのこと、放っておけなくなっちゃうんだよなぁ!!(当時)

 こういう感じなので、一聴するとこの11th シングルは、かなりギリギリの制作期間に追われたために、不完全状態ながらもやむなく世に出されたという「望まれなくして生まれた忌み子」みたいな評価を受けがちな作品かと思うのですが、さすがそこは鬼束さん、シングル10枚にアルバム3枚を出しているプロの歌手の腕は錆びちゃいねぇと言いますか、その逼迫感を逆手にとって、『育つ雑草』と『 Rainman 』のニコイチでひとつの完全な作品にするという、シングル形式ならではの戦法を採ったのではないでしょうか。コンセプトアルバムならぬ、コンセプトシングル。

 だからこそ、『育つ雑草』単体は矛盾の塊ですし、それだけを抜き出して評価することにさほどの意味はないのです。『育つ雑草』と『 Rainman 』で、ひとつのメッセージ。こう考えれば、2010年の3rd ベストアルバム(にして初の本人公式ベストアルバム)まで長らく再録されていなかった理由もわかるのではないでしょうか。決して、『育つ雑草』の出来がよくないから冷遇されていたという訳ではないのです。それだけで独立した作品にはしなかった、ということなんですね。

 つまり、鬼束さんが『育つ雑草』で「もう必要もない あらゆる救済」と唄っておきながら、そのすぐ後の『 Rainman 』の中で自分に寄り添ってくれる Mr.Rainmanの存在を必要とし感謝しているのは、全く矛盾していることではないのです。だって、同じ一日の中でこんな風に感情が正反対になるのなんて、悩みながら生きている人間ならばごくごく当たり前のありさまではないでしょうか。そういう意味で、この2曲は互いを補完し合っているのです。

 とは言いましても、この『育つ雑草』のインパクトが世間に与えた影響は非常に大きかったようで、これ以降、鬼束さんは日本歌謡界の第一線のシーンからは別の界隈に身を移したような感があります。そういう意味で、この11th シングルは非常に大きな分水嶺になったのではないでしょうか。『育つ雑草』についてこられない方はここまで、みたいな。今でも、鬼束さんのファンになろうとするわこうど達にとっては、一種の踏み絵のような存在になっているのかも!? 鬼束さんの鬼子、『育つ雑草』!!

 でもものは考えようで、これをもって鬼束さんは、売れ線アーティストたちのひしめく、生き馬の目を抜くような果てしないレースから身を引くことができたのかもしれません。その後の鬼束さんのオンリーワンなご活躍をかんがみれば、これで良かったのかも知れず。人生、何がきっかけになるものなのか、わからないものですね。

 私も今後の人生の中で、幾度となく心身ともに打ちひしがれて、この『育つ雑草』が脳裏に鳴り響くトラブル、災難に見舞われることと思います。
 でもそのたびに、私の些細な問題なぞ比較にもならない大きさのプレッシャーに徒手空拳、ノドひとつで立ち向かった、24歳の鬼束さんの「日向かぼちゃ」な雄姿に勇気をもらうんだろうなぁ。

 鬼束さん、いつもありがとう! 感謝感激、rainy day!!
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