長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

中身よりも面白い、トーキー前夜の悲喜こもごも ~映画『恐喝(ゆすり)』~

2023年09月04日 15時03分48秒 | ミステリーまわり
 どもども、みなさんこんにちは~。そうだいでございます。まだまだ暑い日が続きますが、あんじょうしてまっか?

 さて、今回はとっととお題に入ってしまうのですが、前回の『下宿人』(1927年)に続きまして、サスペンス映画の神様にして、あの『サイコ』(1960年)を世に出した点から見るのならば全てのホラー・スラッシャー映画の開祖ともいえる位置におはす大巨匠アルフレッド=ヒッチコックの足跡をたどる企画の第2弾でございます。ペース的にかなりの「気長にゆる~り」を強いる旅になりそうでありんす……『サイコ』にたどり着くのは、いつのことになるのやら~!?
 というわけで、今回取り上げる映画は、こちらにござりまする!


映画『恐喝(ゆすり)』(1929年7月公開 84分 イギリス)
 映画『恐喝(ゆすり)』(原題『 Blackmail』)は、1929年のイギリスのスリラー映画である。1928年にチャールズ=ベネットが発表した同名の戯曲を原作とする。
 制作開始時、ブリティッシュ・インターナショナル映画( BIP)社は本作をサイレント映画として企画していたが、音声入りの別版をもうける案を採用、これを封切るとヨーロッパ初の人気トーキー映画作品となった。当時まだ音響設備のなかった映画館向けには、上映時間76分のサイレント映画版が公開された。本作は、1929年に公開されたイギリス映画の人気第1位に選ばれた。
 本作は、日本では劇場公開されなかった。

 当初サイレント映画として撮影が始まった本作は、ヒッチコック監督が BIP社のプロデューサーのジョン=マクスウェルに交渉し、人気が出始めたトーキー映画技法を一部のシーンに使う許可を得た。そのため、本作はサイレント映画としてほぼ撮影済みとなった後に、出演者の顔が映らないシーンを選んでトーキーを合成した。そうした経緯から、本作では出演者とは別の声優にセリフを語らせ録音するという「アテレコ」方式をとった。したがって、BIPがトーキー映画として宣伝していた本作は、実はサイレント映画の一部音声入り、つまり「一部トーキー映画」と言ってよい。
 一部のシーンのみ音声を入れた背景には、オーストリア=ハンガリー帝国のプラハ育ちでチェコ語なまりが強い主演女優オンドラの肉声を、英語映画に使うわけにはいかないという判断があった。スタッフ陣は当時、録音技術に習熟しておらず、オンドラの声をすべてアフレコすることは不可能だったこと、セリフがあるシーンのみを代役に演じさせる「替え玉撮影」の手法は却下されたことから、女優のジョーン=バリー(1903~89年)を撮影現場に招き、オンドラのセリフを語らせて録音した。そのため、オンドラは会話シーンでバリーの声に合わせて口パクを演じさせられたため、見方によっては演技がぎこちなくなっている。

 ヒッチコック監督は、本作に自身の作品のトレードマークとなる要素をいくつも盛り込み、「金髪の美人」、「迫る危険」、「クライマックスに有名な景色を取り入れる」などの点がすでに揃っている。また、大英博物館図書室のシーンでは実景の光量不足が気に入らず、プロデューサーに無断で模型を用意し、鏡を使った特撮技法「シュフタン・プロセス」で撮影した。
 本作は、評論家に高く評価されて興行も成功し、その音声は独創的と賞賛された。本作の劇場公開はトーキー版が先で、その翌年にサイレント版を上映している。すると上映日数、興行成績ともにサイレント版が記録を伸ばし、イギリス全国の映画館にまだまだ音響設備が整っていなかった事情がうかがえる。
 本作のスタッフ陣には、将来の映画監督の卵も参加しており、ロナルド=ニーム(1911~2010年 『ポセイドン・アドベンチャー』)がカチンコ係、マイケル=パウエル(1905~90年 『血を吸うカメラ』)が宣材用スチル撮影を行っていた。

 ヒッチコック監督は、本作では冒頭で、ロンドンの地下鉄で幼い男の子に読書の邪魔をされる乗客の役でカメオ出演している。その出演時間(約20秒)は、数あるヒッチコックのカメオ出演の中でもおそらく最長である。


あらすじ
 イギリスのロンドン警視庁スコットランドヤードのフランク=ウェーバー刑事は、ガールフレンドのアリス=ホワイトを誘ってレストランに出かけるが、ひょんなことから口げんかになり、ウェーバーは店を出てしまう。その時、ウェーバーはアリスが見知らぬ男性と店を出ていくのを目にした。アリスの相手は画家のクルーだった。
 クルーに口説かれて、クルーの住むアパートのアトリエに入ったアリスは、パレットと絵筆を借りて落書きのような人の顔を描く。すると、そこにクルーは筆を加えて裸婦像に変えてしまい、アリスに筆を持たせると、手を添えて「アリス」というサインを書かせた。そして踊り子の衣装を見つけたアリスは、クルーに薦められるがままに着替え、クルーはピアノを弾き『ミス・アップ・トゥ・デート』を唄う。
 その後、突然クルーにキスされたアリスは腹を立て、もう帰ると言い出し着替えようとするが、クルーはアリスを暴行しようと襲いかかる。身を守ろうと必死になったアリスは、傍にあったパン切りナイフでクルーを刺してしまう。アリスは我に帰ると、自分が来た証拠をあわてて消してアトリエを出ていくが、部屋にはアリスの手袋が残されていた。
 クルーの遺体が発見され、事件の担当に選ばれたウェーバーは、現場でアリスの手袋の片方を見つけると、被害者の素性を知っていながら上司に報告しなかった。ひそかに手袋を持ち出したフランクは、アリスの父が経営するタバコ店を訪れるが、アリスはすっかり取り乱していてフランクにきちんと事情を説明できない。
 アリスの父のタバコ店で密談するふたりのもとに、トレイシーという男がやって来る。トレイシーは昨晩、クルーの部屋へ入っていくアリスの姿を見かけ、アリスのもう片方の手袋を事件の証拠に持ち出していたのだ。ウェーバーも手袋を持っていると知ると、トレイシーはアリスとフランクを脅迫する。最初は些細な要求だったためにふたりは応じるが、ウェーバーは警察が、現場付近で前科者であるトレイシーの目撃情報があったことからトレイシーを事情聴取することを知る。ウェーバーはトレイシーを連行しようとするが……

おもなキャスティング
アリス=ホワイト …… アニー=オンドラ(26歳)
フランク=ウェーバー刑事 …… ジョン=ロングデン(28歳)
脅迫犯トレイシー …… ドナルド=カルスロップ(41歳)
画家のクルー   …… キリル=リッチャード(30歳)
アリスの母    …… サラ=オールグッド(48歳)
アリスの父    …… チャールズ=ペイトン(55歳)
主任警部     …… ハーヴェイ・ブレイバン(46歳)
おしゃべりな客  …… フィリス=モンクマン(37歳)
ガサ入れされる男 …… パーシー=パーソンズ(51歳)

おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(29歳)
原作 …… チャールズ=ベネット(29歳)
脚本 …… チャールズ=ベネット、アルフレッド=ヒッチコック
製作 …… ジョン=マクスウェル(50歳)
撮影 …… ジャック=コックス(33歳)
編集 …… エミール=デ・ルエル(48歳)
音楽 …… ジミー=キャンベル(26歳)、レグ=コネリー(34歳)


 今でこそ、「サスペンス、スリラー映画と言えばヒッチコック!」というイメージが定着していますが、当然そんな彼にも駆け出しの若手新人映画マンだった青春時代はあり、自分がどんなジャンルの映画で才を発揮していけばいいのかわからないと悩む日々はあったわけであります。それを如実に表すのが初期のヒッチコック監督のフィルモグラフィで、のちに彼の専門領域となるサスペンス映画と言える内容の作品は、その監督第3(『下宿人』、10(本作『ゆすり』)、12(『殺人!』)、15(『第十七番』)作というようにとびとびになっており、その間には文芸作品、ロマンス、コメディ、スポ魂もの(?)といった風にさまざまなジャンルを転々としていたのです。ヒッチコック監督の作品が、調理法は多々あれど主軸がサスペンスで固定されるのは第17作の『暗殺者の家』(1934年)からですね。
 ただし、全体的に本作の「走る車のホイールのどアップ」や「階段ぶった切り断面撮影」で象徴されるような、日常にあふれている物を非日常的な視点から撮影することによって観客の注目を集めるトリッキーな手法はほぼすべての作品で活用されており、どんなにチープでベタな内容の物語だったとしても、単に登場人物にセリフでペラペラ説明させるのではなく、無言の映像描写で人物の心理を象徴するテクニックは、2020年代の今現在から見ても充分勉強になるヒントにあふれたものになっています。そこらへんはもう、サイレント映画で鍛えられた職人監督ならではの矜持ですよね。
 本作でも、よからぬことを考えている人物の顔に、窓辺のインド風の唐草装飾の影が映ってまがまがしいメイクに見えるとか、死刑台に上がる自分の姿を想像して呆然とする人物の首筋に黒い線の影が映るという細かい演出が冴えわたっています。

 いつも通り、本作の内容に関するこまごまとしたおもしろポイントは後半にまとめておくのですが、あの『下宿人』から2年の歳月が経ち、再び殺人を扱うショッキングな内容の映画となった本作は、結果としてまだまだヒッチコック監督にサスペンス映画専属という舵を切るきっかけにはならなかったものの、あらゆる点で『下宿人』をしのぐ格段のレベルアップを果たした、別人のように登場キャラクターの解像度が鮮明になった野心作となっています。『下宿人』がファミコンソフトだったら、『ゆすり』はスーパーファミコンソフトぐらいなかな?
 本作『ゆすり』は、「ヒロインの彼氏がロンドン警視庁の刑事」とか「殺人の濡れ衣を着せられる男」とかいうキーワードが『下宿人』と共通していることからもわかる通り、ヒッチコック監督的には『下宿人』のリベンジなんじゃないかと思える内容なのですが、それらの要素が導く結末が、古色蒼然としたおとぎ話みたいなハッピーエンドの『下宿人』とはまるで違う、かなり釈然としない不条理な空気のただようものになっています。
 う~ん……見た目はハッピーエンドだし、おそらくこの事件を経て、アリスとフランク刑事はお互いに絶対に離れられない「絆」が生まれたことは間違いないのですが、それが非常にどす黒い「罪の絆」といいますか、2人そろって「これからは静かにつつましく生きていこうね。ハハ、ハハ……」みたいなひきつり笑いを浮かべるような種類のオチなのです。いや、オチてない! 恐喝者トレイシーが、なんかかわいそうになってしまうような、「おまわりさんとの関係が良好だったらオールオッケー!」な世の中のお話なんですよね。大岡裁きのほうが数百倍法治国家だと思います。でもまぁ、もともと悪いことをしていたトレイシーがいけないっちゃあいけないんですが。

 あと、この作品はヒッチコック監督初のトーキー映画としてもその名が知られているのですが、実際に診ていただければわかる通り、本格的なトーキー映画では全くなく、「サイレントでも全然問題なくいける作品に、ギミックとして音声を足した」という雰囲気の作品になっています。
 それに、当時の世界の映画館事情を想像するだに、まずスピーカー設備をつけている映画館自体が少なかっただろうことは明らかで、実際に本作『ゆすり』が大ヒットしたのはもっぱらサイレント版の方だったということです。
 つまり、1929年当時のトーキー映画と言うのは、2023年現在の日本人の感覚で言うと 4DXとか MX4D上映作品のような、ある意味での「とっつきにくさ」がまだまだある新参者だったのではないでしょうか。
 だからこそ、本作の中でヒッチコック監督は確実にキメたい「一番大事なところ」はもっぱら音声に頼らないサイレント方式の演出で撮影していますし、ヒロインを演じるオンドラさんも、どっちかというとしゃべっているよりも黙り込んで雨に濡れた子犬のように小刻みに震えている演技の方が印象的なのです。その一方でヒロインをハッとさせる車のクラクションやウザいおばはんの「ナイフ!」という単語、絵描きのクルーのピアノ弾き語りやトレイシーの下品な口笛、過剰にうるさいインコの鳴き声といった第2線の演出で音声を多用しているので、ほんとに『アバター』とか『ジュラシック・ワールド』シリーズの3D 演出みたいな感じで音声を使っているのがよくわかりますね。
 つまり、今現在認識されている意味でのトーキー映画をヒッチコック監督が撮影するのは、もうちょっと後にお預け、といった感じになるわけです。

 あと、本作はのちのちにヒッチコック監督のトレードマークとなる「金髪美女」や「意味ありげな小道具を使った伏線」、そしてちょっと引いちゃうくらいにねちっこい「のぞき見趣味」がすでに軒並み登場しているという点も重要なのですが、オンドラさんの入魂の「魂のぬけた演技」こそ素晴らしいものの、「アリスの穴の開いた手袋」も「なんかイラっとくる道化師のおっさんの絵」も、映像としてはおもしろいキーアイテムではあるものの、実はあんまり謎解きの本質にかかわってこない小道具どまりなのが、いかにもヒッチコック監督の若き日の模索と言った感じで逆に新鮮ですね。トレイシーが手袋をどこで手に入れたのかとか、フランク刑事がトレイシーの手袋を取り返せるのかとか、道化師の絵のキズがアリスの犯行の証拠として活きてくるのかとか、サスペンス映画としてもっと面白くなる可能性はいっぱいあったと思うのですが、そこらへんはまるっとスルーなんですよね……もったいない!

 というわけで、本作『ゆすり』は、まだまだヒッチコック監督の才能の開花を告げる傑作……とはいえないものの、その萌芽はありありと感じさせてくれる、『下宿人』よりも格段におもしろい作品となっております。特にオンドラさんの「真の初代スクリーミング・クイーン」っぷりは、必見ですね! いや、実際には一度も叫んでないんですけど、叫ぶ一瞬手前の状態をず~っとキープしてるんですから、かなり実力のある女優さんですよ、ほんとに。
 今年観た映画の『バビロン』でも語られていましたが、まさかサイレント映画の世界では全く問題にされなかった「声」のせいで次世代に生き残れなくなってしまうとは……なにか、現代の「映画→テレビ」、「テレビ→動画配信」、「レコード→ CD」、「 CD→音楽配信」にも見られる、技術革新という名のもとに行われ続ける大量淘汰の摂理を見るようで、世の無常を感じますね……

 人の弱みにつけ込んじゃいけないよ! でもこの映画、なんてったって『シャーロック=ホームズ』シリーズ随一のゲスである恐喝王チャールズ=オーガスタス=ミルヴァートンとか、『モンティ・パイソン』の「恐怖のブラックメール・ショー」とかを生み出している本場イギリスの作品なんですから、もはや何を申しても風の前のチリに同じですね。
 諸行ムジョ~!!


≪まいどおなじみ視聴メモ≫
・巨匠ヒッチコック初のトーキー映画という前情報だけでワクワクしながら本作を観ると、セリフが聞こえてくるのが本編開始から8分を過ぎてからという事実に面食らってしまう。そこまでは、まさに「ロンドン警視庁実録24時!」といった感じで実にテンポよく犯罪者逮捕のもようが描写されるのだが、劇中で登場人物がけっこうしゃべっているのに声が全然聞こえてこないのが奇異に感じられる。Wikipedia の記事にある通り、本作が「基本サイレント方式撮影のアフレコ加工作品」であることを如実に示す冒頭である。実際、セリフが一言も無くても内容が十二分に伝わってくるのだから、さすがは職人ヒッチコックといった手練手管!
・冒頭に逮捕される、インパクト大の悪そうな人相をしたおじさんが、単にロンドン警視庁の仕事っぷりを伝えるだけの役割で、その後本筋に全く絡んでこないのが、もったいないというか大らかというか……結局8分間のハラハラは何だったの!?
・今後なが~く語り継がれる、ヒッチコック映画名物の「金髪美女」。あらゆるホラー映画の中で重要な見どころとなる「スクリーミング・クイーン」の祖先ともいえる伝統の、事実上最初の女優さんとなるのが、本作でヒロインのアリスを演じるチェコ人女優アニー=オンドラさんとなるわけであるが、さすがは初代クイーンと言うべきか、お顔もスタイルも抜群である。そりゃあヒッチコック監督も、英語を話す声優さんを据えてでも出演させたくなりますわな!
・ファンの間では有名な、地下鉄車内でのヒッチコック監督のカメオ出演シーンなのだが、セリフは当然無いながらも、かなり自然で愛嬌のある演技で観客の笑いを誘う芸達者ぶりに驚かされる。でも、別にいたずらをする男の子が今後の物語に絡んでくるわけでもないし、ぶっちゃけ丸ごとなくてもいいシーンなんですよね……まぁ、恐喝だとかなんとか何かと暗めな本編に足りないユーモア成分を取り込むため、と解釈できなくもないのだが。監督、目立ちすぎっす!
・ロンドンの人気レストランのドアボーイが、ほんとに10歳前後にしか見えない「ボーイ」なのに驚いてしまう。それで大人に対して「満席だから入店ダメダメ!」とか強めに対応してるんだから、大したもんである。今じゃ考えられない風景ですよね。
・本作はセリフに関してはアフレコ録音作品なのだが、英語がネイティブ同然には話せないオンドラさんに限っては、声優さんがすでに録音したセリフに合わせて口を動かしながら演技をしなければならないというハードな撮影現場だったらしい。でも、作中を観るかぎりオンドラさんは非常に自然に演じていて、現役刑事の彼氏とケンカしても一歩も引かない気丈な娘さんを表情豊かに好演している。イイ感じ!
・交際も円熟期を通り越して倦怠期に入りかかっているというか、仕事のせいとは言え待ち合わせに遅れてもちっとも悪びれないフランク刑事もだいぶ鈍感だが、別の男と秘密の待ち合わせをしているレストランに彼氏と一緒に入店するアリスもたいがいおかしい。そういう自暴自棄ぎみないたずらでフランクの気を引き締めるつもりなのか? 愛のムチどころかナパーム弾レベルの破壊力なんですが……
・アリスの思惑通りなのかそうでないのか、予想以上に機嫌を損ねたフランクはさっさとレストランを出ていき、待ち合わせ通りに画家のクルーと合流することに成功する。でも、フランクが気を取り直して一緒に映画を観に行ったら、クルーはみすみす目の前にいながらすっぽかされることになっていたのか……う~ん、アリスもなかなかのビ〇チですな! この後に遭う目も自業自得か?
・下心アリアリなクルーの気持ちを知っていながら、一緒に歩いてきておいてアパートの入口で急に帰るとゴネだすアリスの心理描写がものすごくリアル! 彼氏を揺さぶるためのダシにしただけであって、そんなに本気にさせるつもりじゃなかったし……みたいな。ふてぇ娘だぜ!
・クルーのアパートの前のカットで、後に本作の台風の目となる重要人物トレイシーがかなりさりげなく登場しているのが、いかにも職人監督らしい巧みな伏線の張り方でおもしろい。その前のレストランのシーンで「アリスの手袋」の存在にも触れているし、抜け目ないね~!
・アリスとクルーが部屋に向かうくだりで、アパート全体を縦にぶった切ったような「断面階段」ワンカット撮影があるのが、いかにもヒッチコックらしいトリッキーな発想でおもしろい。どこにお金かけてんの!?
・自分の部屋にひとりで来た女性が、バレリーナの衣装を手にして「私、これ着てあなたの絵のモデルになりたい♡」って言いだすんですよ!? そんなの「超 OK!」って言ってるようなもんじゃないっすかぁ~!! という、クルーの亡霊の哀訴が聞こえてくるようである。とは言っても、最終的に彼がやってしまったことは男として最低の蛮行なのだが……線香の一つでもたむけてやりたくはなる。キリスト教徒だろうけど。
・トーキー映画らしく、クルーのピアノ弾き語りというネタで上品さを取り繕ってはいるが、同時に衝立の裏で下着姿になって着替えているアリスをがっつり観客に見せているという画面構成は、やっぱり品が無いとしか言いようがない。のちの『サイコ』(1960年)に直結する「のぞき見趣味」も、すでに30年も前のここの時点で出てきてるんですよね~! 業が深い。
・クルー役のリッチャードさんは、絵は描くしピアノは弾くし歌も唄うしでものすごい大活躍なのだが、それで最期があんな感じなのだから、まさしく「やり損」としか言いようのない報われない仕事だと思う。よくこんな役を引き受けましたね……
・クルーがアリスの唇を強引に奪うところから、翌日にアパートの大家がクルーの死体を発見するところまでの約9分30秒の流れが、緊迫感に満ちていて本当にすごい。その緊迫感の源泉は、やはり言葉を必要としないアリス役のオンドラさんの迫真の演技だと思う。正当防衛とは言え、偶然手に取ったパン切りナイフで殺人を犯してしまった行為が、確実にアリスの心を壊してしまったということが一目でわかる、その凍った表情、こわばった手足の動き、カッと見開いているのに何も見ていない瞳! トーキー映画だとしても、肝心の部分は俳優のセリフ回しでなく身体にゆだねるというところが、ヒッチコック監督の過渡期を見るようで非常に興味深い。繰り返しアリスが見てしまうクルーの手首やナイフの幻影が、もうドイツ表現主義のレベル! カリガリ~。
・慌てて電話で警察に通報する大家と、電話を受け取っている警察官の姿をかなり強引にワンカットに同居させている極端にマンガチックな構図に、無駄なことをいっさい許さないヒッチコック監督のこだわりを感じる。でも、自分の出演シーンはカットしないのね……
・クルーの描いた、観る者を指さして大笑いする道化師の絵を見て、突発的にイラっときて爪を立てて絵を引き裂いてしまうアリスの心理が非常にリアル。ところで、殺人現場に置かれてあった美術品が重要なキーアイテムとなるミステリー作品といえば、言うまでもなく江戸川乱歩の傑作短編『心理試験』(1925年)なのだが、乱歩先生の方が先ですからね! さっすが~。
・アリスの殺人シーンに次いで、フランク刑事が事件へのアリスの関与に気づくシーンも、セリフを必要としない俳優の演技だけで見せているのが印象的なのだが、もともとサイレント映画のつもりで作っているのだったら、ごくごく当たり前の判断であるとも言える。ほんと、本作は大事な芯の部分が全てサイレント撮影の作法のまんまである。
・人を殺めてしまい、精神に大きなダメージを負ってしまった後のアリスの方が、その前の彼女よりもずっと魅力的に映ってしまうという演出が、実に皮肉で恐ろしい。それにしても、アリスの自宅での着替えシーンも、特に足を執拗に接写していてゾッとするほど気味が悪い。こわ……
・平静を装おうと努めるアリスだが、顔は小刻みに震えてるし目は泳ぎまくっているしでひどい有様なのだが、そこに畳みかけるように浴びせかけてくる、薬局の常連のボーダー柄の主婦のマシンガントークがステキにウザい! その会話の「ナイフ」の単語だけが極端に強調されてアリスの耳に刺さってくる演出は、まさにトーキー映画ならではのアイデアである。こういう「悪意のない脇役の攻撃」も、ヒッチコックお得意の手ですよね!
・アリスの実家の薬局が、店舗部分と家族のプライベートな食卓とがドア一つ隔てているだけの間取りになっているのが、昭和の日本の駄菓子屋を連想させるようで妙になつかしい。見えてましたよね~、店の奥にちゃぶ台とテレビ。
・アリスと同様に、事件の真相に気づいてしまったとたんに人物造形の彫りが深くなるフランク刑事も皮肉なものである。カップルのよりを戻すきっかけエピソードにしては、事態が深刻過ぎる! こんなの『新婚さんいらっしゃい!』でも聞いたことないわ!!
・物語の中盤を過ぎて、やっと本作のタイトル『ゆすり』の首謀者となるトレイシーが本格的に乗り出してくるのだが、薬局で顔を見せた瞬間からすでにめちゃくちゃ腹の立つニヤニヤ顔をしているのが、観ている側も笑ってしまう。こういうキャラクターのわかりやすさも、サイレント映画っぽいですよね。
・アリスの殺人シーンに続いて、フランク刑事が薬局に来店してからトレイシーがアリス一家の食卓につくまでの約11分間も、肝心のアリスがほとんど言葉を発さない状態で物語がずんずん進んでいく構造になっているのが非常に印象的である。とにかく、冒頭の奔放さとは打って変わって、周囲の状況におびえながら立っているがやっとというギリギリの感じが切迫感に満ちていて、アリスを演じるオンドラさんの、美貌だけでない演技派としての実力を感じさせるシーンとなっている。セリフをしゃべっている人物よりも、それを固唾を吞んで聞いているアリスを観ている方が面白いという逆転現象がすばらしい。オンドラさんがあまり英語を上手にしゃべれないという裏事情があるにしても、その逆境を巧妙なシチュエーション作りに利用してしまうところが、プロの仕事ですよね!
・苦虫を噛んだような表情でしぶしぶ現金を渡すフランク刑事を横目に、余裕綽々で口笛ふきふきアリス家の朝食を食べるトレイシーなのだが、ナイフとフォークをカチャカチャ鳴らして食べている、ベーコン的なうすっぺらい何か(はっきり見えない)が、1ミリもおいしそうに見えないのがすごい! さすがは全世界にその名を轟かせるイギリス料理!! 逆ジブリめし!!
・ここまでトントン拍子にゆすりがうまく運んでいたトレイシーだったが、自分自身のこれまでの悪行が災いして、アリスでなく自分が警察に追われてしまうという末路をたどってしまう……のだが、これって要するに、クルー殺害事件の犯人としては正真正銘の「冤罪」じゃないっすか? そりゃまぁ、人の弱みにつけ込んでゆするようなゲスはバチが当たっていいのだろうが、こともあろうに警察官であるフランクが、恋人を救いたいという私情以外の何者でもない動機で他人に罪をなすりつけるという行為が、本作を何とも言いようのないモヤっとした味わいの作品にしていると思う。少なくとも、21世紀に生きる私達が観ていてスッキリする内容じゃないですよね……
・トレイシーもトレイシーで、ふんばって冤罪を叫んでいたら、もしかしたらアリスの犯行を裏付ける新証拠が出たかもしれないのだが、いかんせんフランク刑事の心証を最悪なものにしてしまっているので、不透明な警察捜査の中で一気に罪をおっかぶせられるビジョンしか見えず逃げだしたのだろう。悪役がかわいそうに見えてはいけないと思うのだが、のどカラッカラの状態で大英博物館に逃げ込むトレイシーは、もう哀れとしか……
・モノクロ映画の映像の不鮮明さも手伝って特撮のタネはよく判別できないのだが、確実に実物を背景にした撮影には見えない不思議なミニチュア感がただよう大英博物館のシーンが、なんか NHK『みんなのうた』の伝説的名曲『メトロポリタン美術館』(1984年 歌・大貫妙子)を想起させるようで非常によろしい。シュフタン・プロセスっていうんだ、あれ……
・例の道化師の絵も含めたアリスとフランク刑事の苦笑い地獄がインパクト大なラストなのだが……これ、オチてるかぁ!?
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