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山形と最上義光の歴史3(フィクション作品編)

2024年02月11日 14時28分39秒 | 日本史みたいな
≪前回までの年表中に登場した主な歴史上の人物たちの基本情報と、ゲーム『信長の野望』シリーズ内での能力評価≫
※複数のタイトルに登場している人物の数値は、平均値です。

伊達 稙宗(1488~1565年)…… 政治87、統率56
 陸奥国の戦国大名・伊達家第14代当主。左京大夫。
氏家 定直(1504?~70?年)…… 政治71、統率56
 戦国時代の武将。山形斯波家重臣。
大宝寺 晴時(1512~41年)…… 政治65、統率48
 戦国時代の武将。大宝寺家第15代当主。
土佐林 禅棟(?~1571年)…… 政治54、統率31
 戦国時代の武将。大宝寺家家臣。出羽国藤島城主。「禅棟」は号であり実名は不明。
伊達 晴宗(1519~78年)…… 政治78、統率62
 陸奥国の戦国大名・伊達家第15代当主。左京大夫。伊達稙宗の嫡男。
山形 義守(1521~90年)…… 政治52、統率46
 出羽国の戦国大名。山形斯波家第10代当主。
天童 頼貞(?~1579?年)…… 政治44、統率61
 戦国時代の武将。天童家第16代当主。「最上八楯」と称された出羽国の国人連合の盟主。山形義光の舅にあたる。
大宝寺 義増(1522~81年)…… 政治46、統率48
 戦国~安土桃山時代の大名。大宝寺家第16代当主。出羽三山別当職。大宝寺晴時の従弟。
前田 利益(1533?~1605?年)…… 政治42、統率98
 戦国時代末期~江戸時代初期の武将。通称・慶次。
織田 信長(1534~82年)…… 政治99、統率93
 戦国~安土桃山時代にかけての大名。「戦国三英傑」の一人。
氏家 守棟(1534~93?年)…… 政治71、統率62
 戦国~安土桃山時代の武将。山形斯波家家臣。氏家定直の嫡男。
足利 義輝(1536~65年)…… 政治63、統率76
 室町幕府第13代征夷大将軍。
猪苗代 盛国(1536~90?年)…… 政治52、統率52
 戦国~安土桃山時代の武将。芦名家家臣。猪苗代家第12代当主。父は芦名盛詮の次男・猪苗代盛清とされるが、天文十(1541)年に芦名家に対して謀反を起こした猪苗代盛頼ともいわれる。
羽柴 秀吉(1537~98年)…… 政治98、統率83
 戦国~安土桃山時代の武将、戦国大名、天下人、初代武家関白、太閤。「戦国三英傑」の一人。主君・織田信長の後を継いで天下を統一し、近世封建社会の基礎を築いた。
木村 重茲(?~1595年)…… 政治70、統率45
 安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。別名・定光、重隆、重高。通称・隼人正、常陸介。千利休「台子七人衆」の一人。
本多 正信(1538~1616年)…… 政治93、統率29
 戦国~江戸時代前期の武将・大名。徳川家康の重臣で、江戸幕府老中。相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代当主。
前田 玄以(1539~1602年)…… 政治79、統率22
 戦国~安土桃山時代の僧侶・武将・大名。豊臣政権五奉行の一人。
本庄 繁長(1540~1614年)…… 政治41、統率82
 戦国~江戸時代初期の武将。山内上杉家重臣。「越後揚北衆」の一人。越後国岩船郡小泉庄の本庄城主。主君・上杉家の陸奥国会津転封後は守山城と福島城の城代を務めた。
徳川 家康(1542~1616年)…… 政治92、統率93
 戦国~江戸時代初期の日本の戦国大名、江戸幕府初代将軍。徳川家(将軍家、御三家など)の祖。「戦国三英傑」の一人。
伊達 輝宗(1544~85年)…… 政治74、統率64
 戦国大名・伊達家第16第当主。左京大夫。伊達晴宗の次男。
東禅寺 義長(1544~88年)…… 政治43、統率47
 戦国~安土桃山時代の武将。大宝寺家家臣。東禅寺城主。初名・前森蔵人。
東禅寺 勝正(1546~88年)…… 政治48、統率46
 戦国~安土桃山時代の武将。大宝寺家家臣。東禅寺義長の弟。
延沢 満延(1544~91年)…… 政治33、統率78
 戦国~安土桃山時代の武将。山形斯波家家臣。出羽国野辺沢(延沢)城主。別名・信景。
増田 長盛(1545~1615年)…… 政治83、統率36
 安土桃山~江戸時代初期の武将、大名。豊臣政権五奉行の一人。官位は従五位下・右衛門少尉。
山形 義光(1546~1614年)…… 政治87、統率77
 戦国~江戸時代前期の出羽国の大名。山形斯波(のち最上)家第11代当主。江戸幕府の山形藩初代藩主。山形義守の嫡男。
中野 義時(1550?~74?年)…… 政治35、統率34
 戦国時代の武将。山形義守の次男。江戸時代に創作された架空の人物の可能性がある。
楯岡 光直(1559?~1629年)…… 政治18、統率39
 戦国~江戸時代前期の武将。山形義守の四男(次男説、三男説あり)。山形義光、中野義時の弟。別名・義久。
白鳥 長久(?~1584年)…… 政治62、統率59
 戦国~安土桃山時代の武将。出羽国谷地城主。最上義康の舅、最上義光の義兄弟にあたる。別名・義国。
志村 光安(?~1609?年)…… 政治47、統率67
 戦国~江戸時代初期の武将。最上家家臣。通称・伊豆守、初名・九郎兵衛。
清水 義氏(1547~86年)…… 政治40、統率48
 戦国時代の武将。山形斯波氏の一族である清水家第6代当主。
新発田 重家(1547~87年)…… 政治30、統率66
 戦国~安土桃山時代の武将。越後国の戦国大名・山内上杉家家臣。蒲原郡新発田城主。
大崎 義隆(1548~1603年)…… 政治42、統率48
 戦国時代の陸奥国大崎地方の大名。大崎家第12代当主。左衛門佐。最上義光の義弟。
一栗 高春(?~1614年)…… 政治28、統率55
 安土桃山~江戸時代初期の武将。陸奥国大崎家家臣。通称・豊後守、兵部。
相馬 義胤(1548~1635年)…… 政治54、統率70
 戦国~江戸時代の戦国大名。陸奥国相馬家第16代当主。
大宝寺 義氏(1551~83年)…… 政治27、統率59
 戦国~安土桃山時代の大名。大宝寺家第17代当主。出羽三山別当職。大宝寺義増の嫡男。
大宝寺 義興(1554~87年)…… 政治38、統率47
 安土桃山時代の大名。大宝寺家第18代当主。大宝寺義増の次男。
谷柏 直家(1551~1610年)…… 政治58、統率41
 戦国時代の武将。最上家家臣。出羽国谷柏城主。
二本松 義継(1552~85年)…… 政治56、統率67
 戦国~安土桃山時代の武将。二本松家第9代当主。陸奥国安達郡二本松城主。
富田 隆実(?~?年)…… 政治21、統率65
 戦国~安土桃山時代の武将。芦名家家臣。
蒲生 氏郷(1556~95年)…… 政治80、統率79
 戦国~安土桃山時代の武将。豊臣政権の重臣。初め近江国日野城主、次に伊勢国松阪城主、最後に陸奥国黒川城主。
上杉 景勝(1556~1623年)…… 政治77、統率82
 戦国~江戸時代前期の大名。山内上杉家第17代当主。豊臣政権の「五大老」の一人。江戸幕府の米沢藩初代藩主。
下 秀久(?~1614?年)…… 政治17、統率40
 戦国~安土桃山時代の武将。山内上杉家、のちに最上家の家臣。「越後揚北衆」の一人・黒川家の一族。別名・吉忠。
片倉 景綱(1557~1615年)…… 政治83、統率76
 戦国~江戸時代前期の武将。伊達家家臣。伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉家初代で、景綱の通称・小十郎は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。
石田 三成(1560~1600年)…… 政治90、統率43
 安土桃山時代の武将・大名。豊臣政権の五奉行の一人。
福原 長尭(?~1600年)…… 政治48、統率36
 安土桃山時代の武将、大名。豊臣秀吉の側近。豊後国府内城主。正室は石田正継の娘で、石田三成の妹婿にあたる。通称・右馬助。
直江 兼続(1560~1620年)…… 政治83、統率79
 戦国~江戸時代前期の武将。山内上杉家の重臣で江戸幕府の米沢藩家老。
福島 正則(1561~1624年)…… 政治44、統率86
 安土桃山~江戸時代前期の武将、大名。「賤ヶ岳七本槍」の一人として知られる。安芸国広島藩の初代藩主、後に信濃国高井野藩の初代藩主。
北条 氏直(1562~91年)…… 政治57、統率54
 戦国~安土桃山時代の関東地方の大名で小田原城主。後北条家第5代当主。父・北条氏政と共に後北条家の最大版図を築き上げたが豊臣秀吉の小田原征伐を招き、後北条家の関東地方支配は終焉を迎えた。
屋代 景頼(1563~1608年)…… 政治46、統率71
 戦国~江戸時代初期の武将。戦国大名・伊達政宗の側近。
鮭延 秀綱(1563?~1646年)…… 政治46、統率63
 安土桃山~江戸時代前期の武将。最上家、のちに佐倉藩土井家の家臣。
氏家 光氏(?~?年)…… 政治46、統率65
 安土桃山~江戸時代前期の武将。最上家重臣。通称・尾張守。氏家守棟の従兄弟・成沢道忠の子。守棟の死後に氏家家の家督を継いだ。最上義光の娘・竹姫を正室に迎えており、最上家では宿老1万8千石の重責を担った。
本多 正純(1565~1637年)…… 政治82、統率23
 安土桃山~江戸時代初期の武将、大名。江戸幕府老中。下野国小山藩主、同宇都宮藩主(第28代宇都宮城主)。本多正信の嫡男で、正信系本多家宗家第2代当主。
小野寺 義道(1566~1646年)…… 政治23、統率52
 安土桃山~江戸時代前期の大名。出羽国横手城主。大宝寺義増の娘婿。
伊達 政宗(1567~1636年)…… 政治87、統率87
 出羽国・陸奥国の戦国大名・伊達家第17代当主。江戸幕府の仙台藩初代藩主。伊達輝宗の嫡男。
伊達 成実(1568~1646年)…… 政治55、統率84
 戦国時代後期~江戸時代前期の武将。仙台藩初代藩主・伊達政宗の重臣で、仙台藩一門第二席・亘理伊達家初代当主。父は伊達実元、母は実元の異母兄・伊達晴宗の娘であるため、主君・政宗の従弟にあたる。
豊臣 秀次(1568~95年)…… 政治41、統率47
 戦国~安土桃山時代の武将、大名。豊臣家第2代関白。豊臣秀吉の甥。
新関 久正(1568~1624年)…… 政治65、統率40
 安土桃山~江戸時代前期の武将。最上家家臣。出羽国藤島城主。
大宝寺 義勝(1573~1623年)…… 政治36、統率43
 安土桃山~江戸時代前期の武将。山内上杉家重臣・本庄繁長の次男で、大宝寺義興の養子。大宝寺家第19代当主。のちの本庄充長。
最上 義康(1575~1603?年)…… 政治42、統率48
 安土桃山~江戸時代初期の武将。最上義光の嫡男。
徳川 秀忠(1579~1632年)…… 政治78、統率37
 安土桃山~江戸時代の武将。江戸幕府第2代征夷大将軍。徳川家康の三男。
最上 家親(1582~1617年)…… 政治45、統率47
 安土桃山~江戸時代前期の武将・外様大名。最上家第12代当主。江戸幕府の山形藩第2代藩主。最上義光の次男。
清水 義親(1582~1614年)…… 政治43、統率41
 安土桃山~江戸時代の武将。大蔵大輔。最上義光の三男。天童頼貞の外孫にあたる。
延沢 光昌(1582~1626年)…… 政治21、統率46
 安土桃山~江戸時代前期の武将。山形斯波家家臣。延沢満延の嫡男。最上義光の娘婿。
山野辺 義忠(1588~1665年)…… 政治50、統率40
 安土桃山~江戸時代前期の武将。江戸幕府の水戸藩家老。最上義光の四男。
最上 義俊(1605~32年)…… 政治24、統率19
 江戸時代前期の山形藩第3代藩主、のちに近江国大森藩主。最上家第13代当主。最上家親の嫡男。初名・家信。


最上義光を題材とした小説
松本 清張『武将不信』(1956年12月発表 講談社文庫『奥羽の二人』所収)
 時代設定   …… 天正十八(1590)年六月~慶長十八(1613)年九月
 主な登場人物 …… 最上出羽守義光、徳川家康、里見権兵衛、戸井半左衛門、本多正信、最上修理大夫義康、最上駿河守家信

南條 範夫『最上源五郎義俊』(1976年2月刊『大名廃絶録』所収 文芸春秋文春文庫)
 時代設定   …… 天正十八(1590)年六月~寛永八(1631)年十一月
 主な登場人物 …… 最上出羽守義光、徳川家康、最上源五郎義俊、里見権兵衛、最上修理大夫義康、鮭延越前守秀綱、最上駒姫

中村 晃『修羅鷹 最上義光』(1987年4月刊 PHP研究所PHP文庫)
 時代設定   …… 永禄五(1562)年秋~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上義光、延沢能登守信景(満延)、白鳥十郎長久、氏家尾張守守棟、里見越後守、本庄繁長、関白豊臣秀吉、伊達政宗、大崎殿としよ姫、岌讃専阿和尚、羽柴中納言秀次、徳川家康、石田治部少輔三成、直江山城守兼続、上杉景勝、清水御前、最上修理大夫義康、白鳥日吉姫、最上義姫、最上駿河守家親、清水義親、徳川秀忠、侍女白石氏、最上義俊

永岡 慶之助『最上義光』(2009年11月刊 学陽書房人物文庫)
 時代設定   …… 永禄五(1562)年初夏~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上義光、氏家尾張守守棟、最上義守、延沢信景(満延)、天童頼久、草刈将監、田村助左衛門、志村九郎兵衛光安、白鳥十郎義国(長久)、伊達輝宗、最上義姫、芦名盛隆、二本松左京亮義継、伊達政宗、猪苗代盛国、片倉小十郎景綱、関白豊臣秀吉、羽柴中納言秀次、徳川家康、最上駒姫、小森田番内、前田慶次(利益)、上杉景勝、直江山城守兼続、相馬長門守義胤、水谷三郎兵衛、堀監物、最上修理大夫義康、石田治部少輔三成、和賀主馬之介忠親、京屋清兵衛、本多佐渡守正信、宮沼平助、炊事役小頭の由蔵、戸枝半兵衛、最上駿河守家親、溝口延三郎、須藤蔵人、本多上野介忠純、鮭延越前守秀綱、楯岡甲斐守義久(光直)

高橋 義夫『保春院義姫 伊達政宗の母』(2015年1月刊 中央公論新社中公文庫)
 時代設定   …… 永禄七(1564)年春~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上義姫、乳母千歳の局、氏家伊予守定直、伊良子宗牛、最上義光、成沢お筆、円清坊、主殿の局、伊達輝宗、野谷地徳蔵丸、瀬上平三郎定康、伊達梵天丸政宗、砂金お硯、片倉小十郎景綱、伊達成実、二本松左京亮義継、庭番の小平次、湯目景康、延沢能登守満延、片倉小大納言の局、堀喜吽、氏家尾張守守棟、粟野藤八郎、小原縫殿助、伊達小次郎、屋代勘解由兵衛景頼、富塚内蔵頭

天野 純希『北天に楽土あり 最上義光伝』(2015年10月刊 徳間書房徳間時代小説文庫)
 時代設定   …… 永禄四(1561)年夏~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上源五郎義光、最上義姫、氏家尾張守守棟、最上義守、成沢道忠、氏家伊予守定直、大崎殿康子姫、谷柏直家、延沢能登守満延、志村九郎兵衛高治(光安)、鮭延越前守秀綱、大宝寺出羽守義氏、白鳥十郎長久、伊達藤次郎政宗、片倉小十郎景綱、伊達輝宗、二本松左京亮義継、最上永寿丸義康、氏家光棟、新関久正、東禅寺義長(前森蔵人)、東禅寺右馬助勝正、中山朝正、山家河内介、徳川家康、関白豊臣秀吉、最上駒姫、おこちゃの方、坂紀伊守光秀、石田治部少輔三成、直江山城守兼続、上杉景勝、氏家光氏、江口五兵衛光清、中間の藤兵衛、鳥海勘兵衛、前田慶次郎(利益)、堀喜吽、浦山源左衛門、斎藤光則、里見民部大夫、里見正近、清水お辰の方、最上駿河守家親、大悲願寺秀雄

高橋 義夫『さむらい道 最上義光』(2015年7月~16年12月連載 中央公論新社中公文庫)
 時代設定   …… 永禄四(1561)年夏~慶長五(1600)年九月
 主な登場人物 …… 最上源五郎義光、氏家尾張守守棟、堀喜四郎(喜吽)、志村新九郎光安、志村九郎兵衛光清、氏家伊予守定直、柴橋刀自、西窪掃部助、斎藤仁兵衛、願正坊教証、伊良子宗牛、葛西治部右衛門、斎藤左源太、尾張局お陳、一栗城山の方、大崎桂姫、佐藤作右衛門、今野三郎右衛門、最上義守、中野千寿丸義時、織田内府信長、延沢能登守満延、天童鶴姫、庭月屋勘右衛門、氏家左近、駿河の方、東禅寺筑前守氏永(義長)、大行院西蓮、白鳥十郎長久、鮭延源四郎秀綱、山上道牛、小関弥五郎、笹原石見守、一栗玄蕃頭、大宝寺義興、中村内記、氏家十右衛門光棟、畔藤三郎右衛門、一栗兵部少輔高春、遠藤若狭守、最上お東の方、医師玄悦、木村常陸介重茲(定光)、徳川大納言家康、矢島五郎満安、関白豊臣秀次、浦山十兵衛、最上駒姫、茶坊主の玄了、太閤豊臣秀吉、奥山鹿丸、浪江の方、安孫子将監、庭月屋勘右衛門、平野屋佐仲、津金修理亮胤久、最上修理大夫義康、最上駿河守家親、伊達藤次郎政宗

武内 涼『駒姫 三条河原異聞』(2017年1月刊 新潮文庫)
 時代設定   …… 文禄四(1595)年七月~慶長五(1600)年九月
 主な登場人物 …… 関白豊臣秀次、福島正則、福原長尭、清胤阿闍梨、雀部淡路守、氏家尾張守守棟、最上駒姫、おこちゃの方、鮭延主殿助、最上出羽守義光、太閤豊臣秀吉、堀喜吽、石田治部少輔三成、菊亭一の台、池田若政所、浦山筑後守、京極龍子、増田長盛、柿屋宗春、お竹の方、施薬院全宗、大崎としよ姫、浅井淀の方、下男の雲八、北政所ねね、片倉小十郎景綱、最上駿河守家親、徳川大納言家康、本多佐渡守正信、服部半蔵正成、お和子の方、前田玄以
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山形と最上義光の歴史2(1583~1631年)

2024年01月14日 15時02分43秒 | 日本史みたいな
≪前半は、こちら!

『最上義光』                       2016年3月   伊藤 清郎   吉川弘文館人物叢書
『図説 日本の城郭シリーズ 第14巻 最上義光の城郭と合戦』2019年8月   保角 里志   戎光祥出版
『山形の城を歩く』                    2020年7月   保角 里志   書肆犀


天正十一(1583)年
三月
 大浦城主・大宝寺義氏、家老・前森蔵人(40歳 のちの東禅寺筑前守義長)の謀反により自害する(33歳)。
 大宝寺義氏の弟・義興(30歳)、大宝寺家第十八代当主となる。
八月
 東海大名・徳川家康(41歳)、次女・督姫(19歳)を関東大名・北条氏直(22歳)に嫁がせ同盟関係を結ぶ。
十一月
 羽柴秀吉(47歳)、徳川家康を通じて北条氏直に惣無事令を通告する。

天正十二(1584)年
四月
 山形出羽守義光(39歳)、「最上下郷八楯」の鮭延典膳秀綱(22歳)の居城・鮭延城(現・真室川町)を包囲するが攻め落とせず。
五月
 山形義光、伊達家との同盟関係を深め天童家の孤立化に成功する。
六月
 山形義光、谷地城主・白鳥十郎長久(?歳 義光の義兄にあたる)を山形城に招き暗殺する。
 山形義光、白鳥家の谷地城(現・河北町)を落城させる。
 山形義光、寒河江城主・寒河江高基(?歳)を自刃させ寒河江地方を制圧する。
 山形義光、弟・長瀞義保(?歳)を寒河江城主におき大宝寺家との国境の白岩城(現・寒河江市)を改修させる。
十月
 山形義光、天童城を攻略し天童頼澄(別名・頼久 17歳)を陸奥国に追放する。
 山形義光、天童城を破却し跡地に山形宝幢寺別当・愛宕神社を勧請する。天童城近隣の山に貫津新城を建造する。
 「最上下郷八楯」の長瀞家と尾花沢家、天童城の落城を受け自落する(最上下郷八楯の実質的崩壊)。
 山形義光、嫡男・小僧丸(12歳 のちの最上義康)を高擶城主におく。
 山形義光、天童頼澄の義父にあたる小国城主・細川直元(?歳)を攻めて陸奥国に追放する。
 山形義光の家臣・蔵増日向守(?歳)、小国城番となる。
 山形義光、新庄城主・日野左京亮を服属させる。
 山形義光、左沢地方の楯山城(現・大江町)を領有し家臣・長尾右衛門(?歳)を城番とする。
 山形義光、最上地方統一を機にこの頃から姓名を「最上」と改める。
 陸奥国大名・伊達輝宗(41歳)、家督を嫡男・伊達政宗(18歳)に譲り隠居する。
十一月
 最上地方の鮭延城主・鮭延典膳秀綱(22歳)、最上義光の侵攻を撃退する。
 羽柴秀吉(48歳)、小牧長久手合戦を経て徳川家康(42歳)と講和する。
十二月
 庄内地方の大名・大宝寺家の家老・東禅寺筑前守義長(41歳)、山形義光に秘密裏に接近する。

天正十三(1585)年
二月
 天童家遺臣の瀧口某・浅岡某が川原子(現・天童市)で蜂起するが鎮圧される。
四月
 庄内地方の大名・大宝寺家の家老・東禅寺筑前守義長(42歳)、鮭延城包囲のために築いた内町陣城に在陣する山形義光(40歳)に大宝寺義氏の遺刀を贈り同盟関係を結ぶ。
五月
 鮭延典膳秀綱(23歳)、山形義光に降伏する。
六月
 大浦城主・大宝寺義興(32歳)、最上方の清水城を攻撃するが撃退される。
 芦名・最上・相馬・二階堂・佐竹・大崎家ら東北地方の諸大名、連合して伊達家に対抗する伊達家包囲網を展開する。
七月
 東禅寺義長、大宝寺義興と対立し戦闘する。
 陸奥国大名・伊達輝宗(42歳)、重臣・遠藤基信(54歳)を使者として摂津国大坂城の羽柴秀吉(49歳)に馬を贈る。
 羽柴秀吉、関白に叙任される。
九月
 関白・羽柴秀吉、朝廷より「豊臣」姓を賜る。
十月
 関白・豊臣秀吉、九州大名・島津義久(53歳)に停戦令をくだす。

天正十四(1586)年
正月
 最上出羽守義光(41歳)、庄内地方の大浦城主・大宝寺義興(33歳)と戦闘する東禅寺城主・東禅寺筑前守義長(43歳)に援軍を送る。
五月
 最上出羽守義光、仙北地方の大名・小野寺家と出羽国有屋峠で合戦する。
六月
 北陸大名・上杉景勝(31歳)、摂津国大坂城で関白・豊臣秀吉(50歳)に拝謁し服属する。
七月
 伊達家、相馬家の仲裁により芦名・佐竹家と和睦する(奥口総和)。
十月
 東海大名・徳川家康(44歳)、摂津国大坂城で関白・豊臣秀吉に拝謁し服属する。
十一月
 最上義光、伊達政宗(20歳)の仲介により大宝寺義興と和睦する。
 最上義光、大宝寺義興に呼応して挙兵した出羽国白岩城主・白岩八郎四郎広教(?歳)を滅ぼす。
十二月
 大浦城主・大宝寺義興、東禅寺城主・東禅寺筑前守義長と和睦する。
 関白・豊臣秀吉、関東・東北地方に惣無事令をくだす。
 豊臣秀吉、太政大臣に叙任される。

天正十五(1587)年
正月
 関東大名・北条氏直(26歳)、相模国小田原城の大改修を始める。
二月
 陸奥国大名・伊達政宗(21歳)、館山城(現・米沢市)の建造を開始する(館山城は天正十九年の伊達家岩手沢移封により未完)。
五月
 大浦城主・大宝寺義興(34歳)、最上義光(42歳)の支援を受け実権を掌握する家老・東禅寺筑前守義長(44歳)と再び戦闘状態に入る。
 関白・豊臣秀吉(51歳)、九州大名・島津義久(55歳)を降伏させ九州地方を平定する。
六月
 関白・豊臣秀吉、バテレン追放令を発令する。
八月
 出羽国庄内地方の観音寺城主・来次出雲守氏秀(?歳)、最上家と戦闘する。
九月
 出羽国仙北地方(現・秋田県横手地方)の大名・小野寺家、六郷家、金沢家との間に戦闘が起こる(仙北干戈)。
 伊達政宗の仲介により大宝寺義興と東禅寺義長、和睦する。
十月
 大宝寺義興、東禅寺義長に降伏し最上領の谷地城に送られ自害する(34歳)。最上家家臣・中山玄蕃頭朝正(?歳)、大浦城番となる。
 仙北地方の小野寺家、六郷家、金沢家、最上義光の仲介により和睦する。
 伊達政宗、出羽国鮎貝城主・鮎貝盛次(33歳)と宗信(?歳)父子の対立に乗じて侵攻し鮎貝城(現・白鷹町)を攻略する。鮎貝宗信、最上領に亡命する。
 越後国本庄城主・本庄繁長(48歳)、新発田重家(41歳)を討ち新発田城(現・新潟県新発田市)を攻略する。

天正十六(1588)年
二月
 伊達政宗(22歳)、大崎地方の大名・大崎義隆(40歳)の中新田城を攻撃するが大敗する。
 最上出羽守義光(43歳)、庄内・最上地方の家臣に対して秋田・仙北地方からの侵攻に備えるように指令する。
三月
 伊達政宗、出羽国中山城(現・南陽市、別名・岩部山城)を改修し、最上義光と対立する。
 最上義光、伊達政宗の中山城改修に対抗し虚空蔵山に高楯城(現・上山市)を建造する。
 関東大名・徳川家康(46歳)、最上義光に伊達政宗との和平を勧告する。
四月
 伊達政宗、最上領との国境に位置する出羽国鮎貝城(現・白鷹町)を改修する。
 伊達軍と最上軍、狸森(現・上山市)などで戦闘を繰り返す。
 最上義光、伊達領の陸奥国秋保(現・秋保町)に侵攻するが撃退される。
 本庄繁長(49歳)、次男・大宝寺義勝(15歳)と共に出羽国に侵攻し最上軍との戦闘を開始する。
閏五月
 関白・豊臣秀吉(52歳)の使者・金山宗洗(?歳)、山形城に到着し最上領内を視察する。
六月
 最上義光と伊達政宗、義光の妹で政宗生母の保春院義姫(41歳)の仲介により和睦する。
 伊達政宗、陸奥国郡山に侵攻し芦名・佐竹連合軍と戦闘する。
七月
 伊達政宗、相馬・白河家の仲裁により芦名・佐竹家と和睦する。
八月
 関東大名・北条氏直(27歳)の叔父・氏規(44歳)、上洛し京・聚楽第で関白・豊臣秀吉に拝謁し講和する。
九月
 関白・豊臣秀吉の使者・金山宗洗、米沢城に到着し伊達領内を視察して京へ帰る。
十月
 本庄繁長と次男・大宝寺義勝、十五里ヶ原合戦で東禅寺筑前守義長(45歳)を討つ。
 本庄繁長、最上家家臣・中山玄蕃朝正の大浦城を落城させ庄内地方を制圧する。
 最上義光、本庄繁長と大宝寺義勝の軍事行動を惣無事令違反であると豊臣秀吉に訴えるが、上杉景勝(33歳)の差配により事実上黙殺される。
 最上義光、出羽国仙北地方からの小野寺家の侵攻に備えて神室山麓に支城(片平城、落城、小倉城など)を構築する。

天正十七(1589)年
正月
 関白・豊臣秀吉(53歳)、使者・金山宗洗(?歳)を出羽国米沢城に遣わし伊達政宗(23歳)の上洛を要請する。
五月
 最上領の名川城(現・鶴岡市)、上杉軍の攻撃を受け落城する。
六月
 伊達政宗、芦名・佐竹家との和睦を破断し、摺上原合戦に勝利して芦名家を滅亡させ陸奥国黒川城(現・福島県会津若松市)を領有する。
七月
 上杉景勝(34歳)の内意を受けた大浦城主・大宝寺義勝(16歳)、上洛して関白・豊臣秀吉により出羽守に叙任される(最上義光の出羽守職の剥奪)。
十月
 伊達政宗、須賀川城(現・福島県須賀川市)を攻め落とし二階堂家を滅亡させる。
十一月
 関白・豊臣秀吉、上野国沼田の領土問題で名胡桃城(現・群馬県水上町)を占拠した北条家に違反があったとして北条家討伐を決定する。

天正十八(1590)年
 最上出羽守義光(45歳)、立石寺日枝神社を改修する。
五月
 最上義光の父・栄林、死去(70歳)。
六月
 伊達政宗(24歳)、豊臣秀吉(54歳)の小田原陣へ到着する。
 最上義光、父・栄林の葬儀により関白・豊臣秀吉の小田原陣への到着が遅れる。
七月
 関東大名・北条氏直(29歳)、相模国小田原城を開城し豊臣秀吉に降伏する。
 豊臣秀吉、北条家の領地を没収し関東大名・徳川家康(48歳)に移封する。
 豊臣秀吉、東北地方平定のために下野国宇都宮城に入城する。
八月
 豊臣秀吉、相馬・佐竹・伊達・最上家ら小田原陣に参加した諸大名の所領を安堵し、参陣しなかった大崎・葛西家ら諸大名を改易する。
 豊臣秀吉、出羽国庄内地方の領有権を上杉景勝(35歳)に与え、本庄繁長(51歳)・大宝寺義勝(17歳)父子の所有権を認めず。
 豊臣秀吉、陸奥国黒川城に入城し東北地方の検地と刀狩りの実施を命ずる(撫切令)。
 上杉景勝、出羽国庄内地方の検地を開始し、観音寺城主・来次出雲守氏秀(?歳)を越後国高田に移封させ、上杉家家臣・寺尾伝左衛門を城番とする。
 豊臣秀吉、伊達政宗(24歳)と最上義光(45歳)に妻子の上洛を命ずる。
 最上義光、豊臣軍の出羽国仙北地方進出への先鋒を任され、家臣・鮭延典膳秀綱(28歳)を湯沢城(現・秋田県湯沢市)の城番におく。
 伊達家の米沢城下、豊臣軍の進出を恐れ大混乱に陥る。
九月
 陸奥国大崎(現在の宮城県北部)、葛西(現在の岩手県南部)、出羽国庄内、仙北など東北各地で豊臣軍の検地・刀狩りに抵抗する一揆が発生する。
 出羽国庄内地方の一揆勢、観音寺城を占拠し城主・寺尾伝左衛門(?歳)を討ち取るが上杉軍により鎮圧され、観音寺城は破却される。
十月
 陸奥国大崎、葛西で蜂起した一揆勢、豊臣家臣・木村吉清(?歳)の籠城する佐沼城(現・宮城県登米市)を包囲する。
 伊達政宗と豊臣家臣・蒲生氏郷(35歳)、一揆勢を鎮圧し佐沼城を救援するが、伊達政宗が一揆勢に通じていたとする疑惑が流れる。
十二月
 豊臣秀吉、陸奥国北部で発生した九戸政実(55歳)の乱と東北各地の一揆の鎮圧のために、甥・豊臣秀次(23歳)を総大将とする奥羽平定軍(徳川家康・上杉景勝・蒲生氏郷・佐竹義宣・石田三成ら)を派遣する。
 豊臣秀吉、大宝寺義勝に信濃国川中島の知行を与える。義勝は京に移住する(ただし大浦城下に大宝寺家領2500石は残される)。

天正十九(1891)年
正月
 伊達政宗(25歳)、上洛し関白・豊臣秀吉(55歳)に大崎・葛西一揆勢との関係否定の釈明をする。
 最上義光(46歳)、上洛し侍従に叙任される。伊達政宗、奥州探題、侍従に叙任される。
 関白・豊臣秀吉、肥前国名護屋城の建造を始める(唐入りの開始)。
二月
 豊臣秀吉、伊達政宗に大崎・葛西領を与える代わりに会津領を没収する。
 最上侍従義光、出羽国仙北地方の領土分配をめぐり横手城主・小野寺義道(26歳)と対立する。
五月
 上杉家重臣・直江兼続(32歳)、上杉家領となった出羽国庄内地方に入り一揆勢を鎮圧する。
 上杉家家臣・下対馬守秀久(?歳)、出羽国大浦城主となる。
六月
 伊達政宗、新たに領地となった大崎・葛西の一揆を鎮圧するために出兵する。
七月
 関白・豊臣秀吉の甥・豊臣秀次(24歳)を総大将とする奥羽平定軍、陸奥国佐沼城合戦で一揆勢を壊滅させ平定を終了する。
 豊臣秀吉、伊達家の領地を陸奥国大崎・葛西のみに減封する。
九月
 伊達政宗、陸奥国岩出山城(現・宮城県大崎市)に入城する。
 豊臣家臣・蒲生氏郷(36歳)、陸奥国米沢城に入城する。
 蒲生家重臣・蒲生郷可(?歳)、出羽国中山1万3千石の領主となり、伊達家の旧中山城(別名・岩部山城)を破却し、近隣の小山に天守閣を有する新たな中山城を建造する。
十二月
 豊臣秀吉、関白位を甥・秀次に譲る。

文禄元(1592)年
正月
 最上侍従義光(47歳)、伊達侍従政宗(26歳)、蒲生氏郷(37歳)ら東北地方の諸大名、唐入りのために肥前国に向けて出陣する。
三月
 最上義光、肥前国から山形城の大改修と城下町・街道の拡張計画を指示する。
四月
 豊臣軍、渡海し朝鮮王国への侵攻を開始する(文禄の役)。

文禄二(1593)年
二月
 肥前国名護屋城に在陣中の最上侍従義光(48歳)、京の連歌師の要請により家臣・江口五兵衛光清(?歳)を使者として自身と家老・氏家尾張守守棟(60歳)の句を送る。
八月
 太閤・豊臣秀吉(57歳)の三男・拾丸(のちの豊臣秀頼)、誕生。

文禄三(1594)年
八月
 最上侍従義光(49歳)の次男・家親(13歳)、元服し駿河守に叙任される(徳川家康から「家」の偏諱を賜る)。
十一月
 伊達侍従政宗(28歳)の生母・最上保春院義姫(47歳)、政宗の肥前名護屋城出陣中に陸奥国岩出山城を出奔し実家の出羽国山形城に寄寓する。

文禄四(1595)年
五月
 最上侍従義光(50歳)の三女・駒姫(15歳)、関白・豊臣秀次(28歳)の側室に入室することが決まり、京に向けて出発する。
七月
 太閤・豊臣秀吉(59歳)、甥の関白・豊臣秀次に謀反の疑いありとして高野山に追放し自害させる。
 最上侍従義光(50歳)や伊達侍従政宗(29歳)、豊臣秀次の謀反に関係する疑いありとして京・聚楽第に謹慎させられる。
八月
 豊臣秀次の妻子30名、京・三条河原で処刑される。この時、秀次の側室候補として上洛したばかりだった最上駒姫(15歳)も連座して処刑される。
 義光と共に聚楽第で謹慎していた正室・大崎御前、死去(?歳 駒姫の処刑を追っての自害である可能性が高い)。

慶長元(1596)年
 最上侍従義光(51歳)の次男・最上駿河守家親(15歳)、江戸城に出仕して徳川家康(54歳)に仕える。
七月
 最上侍従義光、『源氏物語』への深い教養を反映した連歌解説書『連歌新式』を著述する。
九月
 太閤・豊臣秀吉(60歳)と明帝国大使、摂津国大坂城で会見するが交渉が決裂し再度の唐入りが決定する。
十二月
 最上駿河守家親、歌人・里村紹巴(73歳)から和歌書『三部抄』を贈られる。

慶長二(1597)年
 伊達侍従政宗(31歳)、右近衛権少将に叙任される。
五月
 豊臣軍、再び渡海し朝鮮王国への侵攻を開始する(慶長の役)。

慶長三(1598)年
正月
 北陸大名・上杉景勝(43歳)、所領を越後国から陸奥国会津120万石に転封される。
 上杉家家臣・横田式部少輔旨俊(?歳)、最上領との国境に位置する中山城(現・上山市)の城番となる。
八月
 太閤・豊臣秀吉、死去(62歳)。
十一月
 豊臣軍、朝鮮半島から撤退し唐入りを終結させる。

慶長四(1599)年
閏三月
 大老・前田利家、摂津国大坂城で死去(62歳)。
 奉行筆頭・石田三成(40歳)の失脚により、大老・徳川家康(57歳)が豊臣政権の主導権を握る。
九月
 大老・徳川家康、摂津国大坂城に入城し豊臣政権を掌握する。
 大老・上杉景勝(44歳)、京から陸奥国会津に帰国する。
十月
 上杉景勝、領国国境の防備を強化する。

慶長五(1600)年
二月
 陸奥国大名・上杉景勝(45歳)、領国内の諸城の改修を命じ、重臣・直江山城守兼続(41歳)に神指城(現・福島県会津若松市)の建造を命ずる。
四月
 上杉家、大老・徳川家康(58歳)に対して十五ヶ条の「直江状」を送付し対立が決定的となる。
七月
 徳川家康、全国の諸大名に上杉景勝追討の動員令をくだし、最上侍従義光(55歳)、佐竹義宣(31歳)ら東北地方の諸大名にも出兵を命じる。
 伊達政宗(34歳)、上杉家領の陸奥国白石城(現・宮城県白石市)を攻め落とす。
 徳川家康、江戸城を出陣し下野国小山城に入城するが、京・大坂での石田三成(41歳)挙兵の報を知り上杉家追討を一時停止して今後の動向を合議する(小山評定)。
 最上義光の次男・最上駿河守家親(19歳)、徳川秀忠(22歳)に従い下野国宇都宮城に入城し、その後信濃国の真田家攻撃に参加する。
八月
 徳川家康、東北地方の諸大名の出兵を解き江戸城に帰陣する。
 上杉景勝、佐竹義宣、相馬家、小野寺家と密かに通じ家康派の最上家の孤立化をはかる。
九月
 直江山城守兼続を総大将とする上杉軍2万、最上領に侵攻して宇津野城(現・朝日町)の関三郎兵衛(?歳)と畑谷城(現・山辺町)の江口五兵衛光清(?歳)を討ち、菅沢(現・山形市)に陣をしき長谷堂城(現・山形市)を包囲する。
 上杉家臣の出羽国大浦城主・下対馬守秀久(?歳)、最上家の出羽国谷地城を攻め落とす。
 上杉軍、長谷堂城と同時に上山の上山城と高楯城を攻撃するが攻め落とせず。
 最上義光、嫡男・最上修理大夫義康(26歳)を使者として伊達政宗に援軍を要請する。
 下次右衛門、太平山麓に平城を建造し大浦城を破却する。
 伊達政宗、上杉家領の陸奥国湯ノ原城(現・宮城県七ヶ宿町)を攻め落とし出羽国新宿(現・上山市)まで進撃する。
十月
 直江兼続率いる上杉軍、関ヶ原合戦での徳川家康の勝利の報を受けて、最上軍の長谷堂城の包囲を解き陸奥国に撤退する。
 出羽国谷地城を占拠していた上杉家臣・下対馬守秀久、最上軍に投降し最上家家臣となる。
 最上義光、上杉家領の出羽国大浦城を攻め落とす。
 最上義光、最上家に投降した下対馬守秀久を先鋒として庄内地方に出兵させる。
 上杉家、重臣・本庄越前守繁長(61歳)を使者として上洛し徳川家康に降伏する。

慶長六(1601)年
四月
 鮭延典膳秀綱(39歳)らが率いる最上軍、上杉方である庄内地方の菅野城(現・遊佐町)と東禅寺城(現・酒田市、別名・亀ヶ崎城)を攻め落とす。
 最上侍従義光(56歳)、眼病により執政を嫡男・最上修理大夫義康(27歳)に一時委任する。
 最上義光、上洛して徳川家康(59歳)に拝謁し名刀「大黒正宗」を拝領する。
七月
 陸奥国大名・上杉景勝(46歳)、上洛して徳川家康に拝謁する。
八月
 上杉景勝、所領を120万石から30万石に減封される。上杉家と同盟した小野寺義道(36歳)、改易される(石見国津和野藩預かり)。
十一月
 最上義光、江戸城で徳川家康に拝謁し出羽国庄内地方の領有権を認められ、石高24万石から57万石の大名となる。
 最上義光の甥・白岩備前守光広(13歳 白岩広教の養子)、稲荷山城を建造し寒河江地方を支配する。

慶長七(1602)年
 徳川家康(60歳)、佐竹家を出羽国秋田に転封し、その他の上杉派大名も転封処分にする。

慶長八(1603)年
三月
 徳川家康(61歳)、上洛し江戸幕府初代征夷大将軍に叙任される。
 最上侍従義光(58歳)、徳川家康に供奉し上洛する。
八月
 最上侍従義光、自身を隠居させて家督を相続する動きありと見た嫡男・最上修理大夫義康(29歳)、高野山での出家を命じる。
 最上修理大夫義康、高野山に向かう途上の庄内地方・松原(現・鶴岡市)で、義光派の家臣に火縄銃で撃たれ暗殺される(29歳)。

慶長九(1604)年
閏八月
 最上侍従義光(59歳)、江戸に上京する。

慶長十(1605)年
四月
 徳川秀忠(27歳)、上洛し江戸幕府第二代征夷大将軍に叙任される。最上侍従義光(60歳)、上杉景勝(50歳)、伊達政宗(39歳)ら全国の諸大名も供奉して上洛する。
 最上駿河守家親(24歳)、侍従に叙任される。

慶長十二(1607)年
二月
 最上侍従義光(61歳)、上杉家・伊達家・佐竹家と共に江戸城大改修の堀普請を任される。
三月
 最上侍従義光、大御所・徳川家康(65歳)の隠居城として改修が完了した駿河国駿府城を訪れ徳川家康に拝謁する。

慶長十三(1608)年
 伊達右近衛権少将政宗(42歳)、陸奥守に叙任される。

慶長十四(1609)年
六月
 陸奥国大名・上杉景勝(54歳)、極秘裏に伊達家時代の未完成の城・舘山城(現・米沢市)を改修し江戸幕府との戦闘に備える。

慶長十五(1610)年
 最上侍従家親(29歳)、琉球国国王が来日した際に奏者を務める。
 最上侍従義光(65歳)、山形城に五層の天守閣の建造を検討するが、軍師・山名一吽軒の進言により取り止める。

慶長十六(1611)年
三月
 最上侍従義光(66歳)、左近衛少将に叙任される。
 最上少将義光、江戸城改修や京の内裏改修に参加する。
八月
 最上少将義光、駿河国駿府城の大御所・徳川家康(69歳)にヒシクイ(鴨の一種)を献上する。
九月
 最上侍従家親(30歳)、駿河城の大御所・徳川家康に鷹を献上する。

慶長十七(1612)年
五月
 最上少将義光(67歳)、眼病が悪化し外出が困難になる。

慶長十八(1613)年
正月
 最上少将義光(68歳)、眼病の悪化により駿府城と江戸城への年始参賀を使者で済ませる。
四月
 最上少将義光、体調の回復により上京し江戸城の将軍・徳川秀忠(35歳)に拝謁する。
九月
 最上少将義光、駿河国駿府城の大御所・徳川家康(71歳)に拝謁する。

慶長十九(1614)年
 最上家、庄内地方の亀ヶ崎城の城下町と酒田湊の拡大整備を行う。
正月
 最上少将義光、死去(69歳)。
二月
 次男・最上侍従家親(33歳)、江戸城から出羽国山形城に帰国し最上家の家督を相続する。
三月
 最上侍従家親、将軍・徳川秀忠(36歳)の弟・松平忠輝(23歳)の居城である越後国高田城の普請の加勢に越後国に入る。
六月
 清水義親(最上家親の異母弟)派の添川城主・一栗兵部少輔高春(?歳)、挙兵して家親重臣の大山城主・下対馬守秀実(?歳 下秀久の嫡男)と亀ヶ崎城主・志村光惟(?歳 志村光安の嫡男)を討ち取るが、鶴岡城主・新関因幡守久正(47歳)の軍勢により討ち取られる。
九月
 最上家親、大坂冬の陣の開戦に備えて江戸城留守居役として江戸城を防衛する。
十月
 最上家親、駿河国駿府城の大御所・徳川家康(72歳)に拝謁し最上家相続の礼を述べる。
 最上家親、一栗高春による下秀実・志村光惟暗殺事件の首謀者として、清水城主・清水大蔵大夫義親(33歳 家親の異母弟)を攻撃し自刃させる。
 最上家、最上川の舟運を統括し活性化させる。

元和元(1615)年
正月
 最上侍従家親(34歳)、家臣の出羽国上山城主・坂紀伊守光秀(?歳)を使者として駿河国駿府城の大御所・徳川家康(73歳)に白鳥と黒馬を献上する。
四月
 大坂夏の陣により豊臣家、滅亡する。
閏六月
 伊達陸奥守政宗(49歳)、参議に叙任される。

元和二(1616)年
四月
 大御所・徳川家康、死去(74歳)。

元和三(1617)年
三月
 最上侍従家親、山形城で急死(36歳 毒殺説や江戸城で死去した説など異説あり)。後継は家親の嫡男・最上源五郎家信(13歳 のちの義俊)。
五月
 江戸幕府老中・土井大炊頭利勝(45歳)、最上家に対して藩主家信を補佐していくよう強く指示する七ヶ条の御条目を通達する。

元和八(1622)年
 出羽国松根城主・松根備前守光広(34歳 最上義光の甥)、最上家親の急死の真相が家親の叔父・楯岡光直(64歳)による毒殺であると江戸幕府老中・酒井雅楽頭忠世(51歳)に訴える。
 江戸幕府、最上家親の死因を調査するが楯岡光直の関与を立証できず、松根光広を筑後国柳川藩預かりとして追放する。
八月
 最上源五郎家信(18歳)、最上騒動の責任を取り近江国大森藩1万石に改易される(改易後、最上義俊に改名する)。
九月
 伊達参議政宗(56歳)、最上家に寄寓していた生母・最上保春院義姫(75歳)を陸奥国仙台城に迎える。

元和九(1623)年
五月
 伊達参議政宗(57歳)、将軍・徳川秀忠(45歳)の上洛に供奉する。
七月
 伊達参議政宗の生母・最上保春院義姫、死去(76歳)。

寛永三(1626)年
 伊達参議政宗(60歳)、権中納言に叙任される。

寛永八(1631)年
十一月
 近江国大森藩主・最上源五郎義俊、死去(27歳)。義俊の嫡男・善智(1歳)より、最上家は5000石取りの旗本交代寄合家となる。
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山形と最上義光の歴史1(1335~1582年)

2024年01月12日 10時58分58秒 | 日本史みたいな
『最上義光』                       2016年3月   伊藤 清郎   吉川弘文館人物叢書
『図説 日本の城郭シリーズ 第14巻 最上義光の城郭と合戦』2019年8月   保角 里志   戎光祥出版
『山形の城を歩く』                    2020年7月   保角 里志   書肆犀


建武二(1335)年
十二月
 鎮守府大将軍・北畠陸奥守顕家(18歳)、建武政権から離反した前鎮守府将軍・足利尊氏(31歳)を討つために陸奥国府・多賀城(現・宮城県多賀城市)で挙兵し兵5万で上洛を開始する。

建武三(1336)年
二月
 足利尊氏(32歳)、摂津国の合戦で鎮守府大将軍・北畠陸奥守顕家(19歳)に敗れ九州地方に逃れる。北畠顕家軍、陸奥国に帰国。
 足利尊氏の命を受けた足利家一門衆の斯波家長(16歳)、密かに陸奥国に下向し奥州総大将として斯波城(現・岩手県紫波郡)で挙兵し北畠顕家に対抗する(奥州管領のはじまり)。

建武四(1337)年
正月
 鎮守府大将軍・北畠陸奥守顕家(20歳)、足利方の斯波家長(17歳)の攻撃を受けて陸奥国府・多賀城を放棄し伊達郡の霊山城(福島県伊達市)に移転する。
八月
 鎮守府大将軍・北畠陸奥守顕家、吉野朝廷の後醍醐天皇(50歳)の勅命を受け兵3万を率いて上洛を開始する。
十二月
 奥州総大将・斯波家長(17歳)、相模国鎌倉で北畠顕家軍に敗れ討死(杉本城の合戦)。
 足利尊氏(33歳)、重臣の駿河国・伊豆国守護・石塔義房(?歳)を第二代奥州総大将に任命し陸奥国に下向させる。

暦応元(1338)年
五月
 鎮守府大将軍・北畠陸奥守顕家、和泉国石津合戦で北朝軍に敗れ討死(21歳)。
 南朝、北畠顕家の弟・北畠顕信(19歳)を陸奥介・鎮守府将軍に任命し陸奥国に下向させる。

承和元(1345)年
 室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏(41歳)、独断専行が目立ってきた奥州総大将・石塔義房を解任し、幕府引付衆の吉良貞家(?歳)と譜代武将・畠山国氏(?歳)の2名を初代奥州管領に任命して下向させる。

承和五(1349)年
九月
 室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏(45歳)、次男・足利基氏(10歳)を初代鎌倉公方に任命し、相模国鎌倉に下向させる(鎌倉公方のはじまり)。
 すでに鎌倉府執事として活躍していた上杉憲顕(44歳)、初代関東管領に就任し足利基氏を補佐する。

観応元(1350)年
十月
 室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏(46歳)と腹心である弟・足利左兵衛督直義(45歳)との対立が深刻化し戦闘状態に入る(観応の擾乱 ~1352年)。
 陸奥国も観応の擾乱の影響を受け、尊氏方の畠山国氏と直義方の吉良貞家、そして元奥州総大将・斯波家長の遺児・詮経と前奥州総大将・石塔義房の勢力が抗争する「四管領時代」となる。南朝方の鎮守府将軍・北畠顕信(31歳)も北朝の混乱に乗じて挙兵し、陸奥国府・多賀城を攻撃する。

観応二(1351)年
二月
 足利直義方の奥州管領・吉良貞家、将軍尊氏方の奥州管領・畠山国氏の陸奥国岩切城(現・宮城県仙台市宮城野区)を攻め落とし国氏を自刃させる。
 畠山国氏の遺児・平岩丸、陸奥国に定住し二本松国詮として勢力を保つ(二本松家のはじまり)。
十二月
 南朝方の鎮守府将軍・北畠顕信(32歳)、北朝方の陸奥国府・多賀城を攻略し奪回する。

文和元(1352)年
三月
 初代奥州管領・吉良貞家、南朝方の鎮守府将軍・北畠顕信(33歳)を破り陸奥国府・多賀城を攻略する。

文和二(1353)年
五月
 初代奥州管領・吉良貞家、南朝方の拠点・陸奥国宇津峰城(福島県中部)を攻略する。鎮守府将軍・北畠顕信(34歳)、陸奥国北部に亡命する(東北地方における南北朝騒乱の終結)。

文和三(1354)年
四月
 初代奥州管領・吉良貞家が死去し、嫡男の吉良中務大輔満家(?歳)が第四代奥州管領に就任する。
 前奥州総大将・石塔義房の三男・石塔左兵衛佐義憲(?歳)や元奥州管領・畠山国氏の遺児・二本松国詮が挙兵する。
六月
 石塔義憲の攻撃により陸奥国府・多賀城が陥落し、奥州管領・吉良満家、伊達郡(現在の福島県北部)の伊達家をたより亡命する。
 義父・足利直義を継いで室町幕府と対立する足利直冬(28歳)、石塔義憲を奥州管領(僭称)に任命する。
七月
 奥州管領・吉良満家、石塔義憲に反撃し陸奥国府・多賀城を奪回する。
 陸奥国の混乱を重く見た室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏(50歳)、幕府引付衆頭人・斯波家兼(47歳 斯波家長の叔父にあたる)を第五代奥州管領に任命し陸奥国中新田城(現・宮城県加美町)に下向させる(奥州管領は吉良満家と斯波家兼の並立状態に)。
十二月
 第五代奥州管領・斯波家兼、玉造郡(現・宮城県大崎市)の志栄山合戦で石塔義憲を討つ。

延文元(1356)年
六月
 第五代奥州管領・斯波家兼、死去(49歳)。
 室町幕府、斯波家兼の嫡男・斯波直持(30歳)を第六代奥州管領、次男・斯波兼頼(28歳)を初代羽州管領に任命する(大崎家と山形家のはじまり)。
 羽州管領・斯波兼頼、山形城(現・山形市)を建造し出羽国支配に着手する(現在の山形市・山辺町・天童市・鶴岡市を基盤とする)。
十月
 第四代奥州管領・吉良満家、死去(?歳)。

貞治五(1366)年
 奥州管領・斯波直持(40歳)、このころ姓名を「大崎」に改める。

貞治六(1367)年
 室町幕府第二代征夷大将軍・足利義詮(38歳)、譜代武将・石橋式部大輔棟義(?歳)を実質的な陸奥国守護に任命し下向させ奥州管領の補佐を命じる。

永和元(1375)年
 第六代奥州管領・大崎直持(49歳)、家督と奥州管領職を嫡男・大崎左京大夫詮持(?歳)に譲り隠居する。

康暦元(1379)年
六月
 初代羽州管領・斯波修理大夫兼頼、死去(63歳)。

明徳三(1392)年
 室町幕府、陸奥国・出羽国の支配権を鎌倉府に委任し、大崎詮持(?歳)の奥州管領職を廃止する。

応永六(1399)年
四月
 第三代鎌倉公方・足利満兼(22歳)、弟の足利満直(?歳)を陸奥国安積郡篠川(現・福島県郡山市)に、足利満貞(?歳)を陸奥国岩瀬郡稲村(現・福島県須賀川市)に派遣し陸奥国支配を強化する(篠川御所と稲村御所のはじまり)。

応永七(1400)年
 室町幕府、鎌倉府の陸奥国支配強化を懸念して鎌倉の前奥州管領・大崎詮持(?歳)を新たに奥州探題に任命し陸奥国に下向させる。
 この頃、斯波兼頼の嫡男・山形右京大夫直家(?歳)が継承していた羽州管領職も「羽州探題」に改称される。

応永八(1401)年
 陸奥国大名・伊達大膳大夫政宗(49歳)、第三代鎌倉公方・足利満兼(24歳)に対して挙兵し陸奥国信夫郡赤坂城(現・福島県福島市)に籠城する。

応永九(1402)年
 山形家、鎌倉府の命により伊達大膳大夫政宗(50歳)の籠城する赤坂城と刈田城(宮城県南西部)を攻撃する。

応永十七(1410)年
正月
 第二代羽州探題・山形右京大夫直家、死去(?歳)。後継は嫡男・満直(?歳)。

応永十九(1412)年
七月
 陸奥国大名・伊達兵部少輔氏宗(正宗の嫡男)、死去(42歳)。後継は嫡男・持宗(20歳)。

応永二十(1413)年
 陸奥国大名・伊達兵部少輔持宗(21歳)、鎌倉府に対して挙兵し篠川御所・稲村御所を攻撃して大仏城(現・福島県福島市)に籠城する。
 第三代羽州探題・山形満直、鎌倉府の命により奥羽地方の諸大名と連合して伊達持宗の大仏城を攻撃する。
八月
異説 第三代羽州探題・山形満直、死去(?歳)。後継は嫡男・満家(?歳)。

応永二十三(1416)年
十月
 前関東管領・上杉禅秀(?歳)、挙兵して第四代鎌倉公方・足利持氏(19歳)と関東管領・上杉憲基(25歳)を鎌倉から追放し鎌倉府を掌握する(上杉禅秀の乱)。
 室町幕府、山形満直ら奥羽地方の諸大名に鎌倉公方救援の指令を送る。

応永二十四(1417)年
正月
 室町幕府軍、鎌倉の上杉禅秀を追討し自害させる。

応永三十一(1424)年
八月
 第三代羽州探題・山形修理大夫満直、死去(?歳)。後継は嫡男・満家(?歳)。
異説 第四代羽州探題・山形修理大夫満家(?歳)、家督を嫡男・頼宗(?歳)に譲り長瀞城(現・東根市)に隠居する。

応永三十二(1425)年
異説 第四代羽州探題・山形修理大夫満家、長瀞城にて死去(?歳)。

貞享二(1430)年
異説 第五代羽州探題・山形右京大夫頼宗(?歳)、家督を弟・義春(?歳)に譲り隠居する。

永享十一(1439)年
二月
 第四代鎌倉公方・足利持氏(42歳)、関東管領上杉家との戦闘に敗れ自害し鎌倉府が滅亡する(永享の乱)。
 鎌倉府の滅亡後、下総国古河を拠点とする足利持氏の四男・足利成氏(当時2歳 のちの古河公方)と、室町幕府から伊豆国堀越に派遣された第六代征夷大将軍・足利義教(46歳)の四男・足利政知(当時5歳 堀越公方)との間で戦闘状態が続く(享徳の乱)。

嘉吉元(1441)年
二月
異説 先代羽州探題・山形頼宗、死去(?歳)。

嘉吉三(1443)年
三月
 第四代羽州探題・山形修理大夫満家、死去(?歳)。後継は次男・義春(?歳)。
 山形満家は長瀞城(現・東根市)に移転して死去しており、山形義春の兄弟から長瀞家がはじまる。

宝徳二(1450)年
五月
 羽州探題・山形義春(?歳)、庄内地方の清水城(現・鶴岡市)を攻めるが敗れ生け捕りにされる。
七月
 山形義春、清水城主・清水家との和議が成り解放される。

享徳三(1454)年
十二月
 第五代鎌倉公方・足利成氏(17歳)、関東管領・上杉憲忠(22歳)を鎌倉府で誅殺し上杉家との戦闘を始める(享徳の乱)。

康正元(1455)年
三月
 第五代鎌倉公方・足利成氏(18歳)、関東管領上杉家との戦闘を続けながら拠点を相模国鎌倉から下総国古河に移す(古河公方のはじまり)。

長禄四(1460)年
 室町幕府第八代征夷大将軍・足利義政(27歳)、羽州探題・山形右京大夫義春(?歳)と天童城城主・天童修理大夫頼勝(?歳 山形義春の伯父にあたる)に古河公方・足利成氏追討令を出す。

寛正三(1462)年
九月
 庄内地方の大浦城主・大宝寺淳氏(?歳)、室町幕府第八代征夷大将軍・足利義政(29歳)により出羽守に叙任される。

応仁元(1467)年
 庄内地方の大浦城主・大宝寺健氏(?歳 淳氏の嫡男)、山形城の山形義春(?歳)と会見する。

文明六(1474)年
三月
 第五代羽州探題・山形右京大夫義春、死去(?歳)。後継は弟・義秋(?歳)。

文明八(1476)年
 第二代羽州探題・山形直家の六男・成沢兼義の嫡男・満久(?歳)、出羽国比良台地(現・大蔵村)に清水城を建造する。

文明十一(1479)年
十一月
 奥州探題・伊達成宗(45歳 持宗の次男)、出羽国寒河江城主・寒河江為広(?歳)を攻めるが撃退される。

文明十二(1480)年
二月
 第六代羽州探題・山形右京大夫義秋、死去(?歳)。後継は、義秋の叔父・中野満基の嫡男・満氏(35歳 義秋の従弟にあたる)。
四月
 奥州探題・伊達成宗(46歳)、再び寒河江為広と戦闘するが菖蒲沼合戦で大敗し、伊達家重臣・桑折播磨守宗義、自害(?歳)。

明応三(1494)年
七月
 第七代羽州探題・山形治部大輔満氏、死去(49歳)。後継は満氏の嫡男・義淳(?歳)。

永正元(1504)年
七月
 出羽国寒河江城主・寒河江宗広、死去(?歳 寒河江為広の孫)。
 寒河江宗広の六男・孝広(2歳)が後継となるが、一族の内紛に乗じた羽州探題山形家と戦闘状態となる(郡中兵乱)。この戦乱により寒河江の慈恩寺、延焼する。
 出羽国寒河江地方の国人・白岩備前守満広(?歳)、白岩城(現・寒河江市)を建造する。
九月
 第八代羽州探題・山形左衛門佐義淳、死去(?歳)。後継は嫡男・義定(13歳)。

永正六(1509)年
八月
 奥州探題・伊達成宗の嫡男・尚宗(57歳)、出羽国寒河江家を支配下におく。

永正十一(1514)年
二月
 陸奥国大名・伊達稙宗(27歳 尚宗の嫡男)、出羽国大名・最上家の上山城(現・上山市)と長谷堂城(現・山形市)を攻略し家臣・小梁川中務少輔親朝を長谷堂城主におく。
 第九代羽州探題・山形修理大夫義定(23歳)、伊達稙宗の侵攻に備え山形城から中野城(現・山形市)に退避する。

永正十二(1515)年
 第九代羽州探題・山形修理大夫義定(24歳)、寒河江家の仲介により伊達稙宗(28歳)の妹を正室として迎え、伊達家との間に和議を結び山形城に戻る。

永正十七(1520)年
二月
 第九代羽州探題・山形修理大輔義定、急死(29歳)。後継者がおらず山形家はその後2年間内紛状態となる。
四月
 伊達稙宗(33歳)による傀儡化を危惧した最上家と上山城主・上山義房(?歳)、挙兵して伊達家と対峙する。
 伊達稙宗、山形・上山・天童・寒河江方面に侵攻し最上家の反伊達運動を弾圧する。

大永元(1521)年
 先代羽州探題・山形義定の弟・中野義建の孫・長松丸(のちの山形義守)が誕生する。
七月
 伊達稙宗(34歳)、出羽国高瀬山(現・寒河江市)に陣をしき寒河江家を威圧する。最上家も伊達軍に加勢する。
八月
 伊達稙宗、高瀬山の陣を解き撤退する。

大永二(1522)年
 中野長松丸(2歳)、山形家を継ぎ第十代羽州探題・山形義守となる。実質的な政治は先代・義定未亡人(伊達稙宗の妹)を通して伊達稙宗が干渉する。
 陸奥国大名・伊達稙宗(35歳)、陸奥国守護に就任する。
四月
 山形家の伊達稙宗による傀儡化に反対する成生十郎、中山朝勝、天童頼長、東根頼景が挙兵するが鎮圧される。

天文三(1534)年
 第十代羽州探題・山形修理大夫義守(14歳)、立石寺・日枝神社(現・山形市)を改修する。

天文十一(1542)年
六月
 陸奥国大名・伊達稙宗(55歳)を嫡男・晴宗(24歳)が襲撃する事件が発生し、伊達家中の内乱となる(天文伊達の乱)。
 第十代羽州探題・山形修理大夫義守(22歳)、伊達稙宗に加勢して出羽国置賜地方の晴宗派を攻撃する。
十一月
 山形義守、天文伊達の乱に乗じて置賜地方を制圧する。

天文十五(1546)年
正月
 第十代羽州探題・山形修理大夫義守(26歳)の嫡男・白寿丸(のちの最上義光)、誕生する。

天文十七(1548)年
九月
 陸奥国大名・伊達稙宗(61歳)、嫡男・晴宗(30歳)に家督を譲り丸森城(現・宮城県丸森町)に隠居する。伊達晴宗、拠点を出羽国米沢城(現・米沢市)に移す。

弘治二(1556)年
 陸奥国大名・伊達晴宗(38歳)、奥州探題に就任する。

永禄元(1558)年
 第十代羽州探題・山形修理大夫義守(38歳)の嫡男・白寿丸(13歳)、元服。室町幕府第十三代征夷大将軍・足利義輝(23歳)より偏諱「義」を賜り山形源五郎義光と名乗る。
三月
 出羽国白鳥城主・白鳥十郎長久(?歳)、上洛し山科蔵人頭言継(52歳)らと共に飛鳥井参議雅春(39歳)主催の蹴鞠会に参加する。

永禄二(1559)年
六月
 第十代羽州探題・山形修理大夫義守(39歳)、嫡男・義光に偏諱を賜った礼として京の将軍・足利義輝(24歳)に馬を贈る。

永禄六(1563)年
六月
 山形城主・山形義守(43歳)と嫡男・義光(18歳)父子、上洛し室町幕府第13代征夷大将軍・足利義輝(28歳)に拝謁し馬・太刀を献上する。

永禄七(1564)年
四月
 庄内地方の砂越城主・砂越也足軒(?歳)、越前国一乗谷城主・朝倉家と会見し親交を深める。

永禄八(1565)年
六月
 庄内地方の清水城主・清水義高(?歳)、鳥打場合戦で大宝寺軍に敗れ討死する。

永禄九(1566)年
四月
 出羽国庄内地方の大名・大宝寺家の筆頭重臣・土佐林禅棟(?歳)、清水城主・清水義氏(20歳)を降伏させる。

永禄十(1567)年
八月
 陸奥国大名・伊達輝宗(24歳)の嫡男・梵天丸(のちの伊達政宗)、誕生(生母は山形義光の妹・義姫)。

永禄十一(1568)年
四月
 越後国村上城主・本庄繁長(29歳)、越後国大名・上杉謙信(39歳)に対して挙兵し、出羽国大浦城主・大宝寺義増(47歳)も本庄繁長と同盟する動きを見せる。
九月
 大宝寺義増、上杉謙信からの圧力を受け本庄繁長から離反して上杉家に服属し、交換条件として湯田川地方の七日台城・石堂山城・藤沢城を破却する。

永禄十二(1569)年
閏五月
 大宝寺家、庄内地方の清水城・鮭延城に城番をおき支配する。

元亀元(1570)年
正月
 山形義光(25歳)、出羽国立石寺(現・山形市)に立願成就を祈願する。
五月
 山形城主・山形義守(50歳)と対立していた嫡男・義光、宿老・氏家尾張守守棟(37歳)の仲裁により和解する。
 山形義守、家督を嫡男・義光に譲り出家して栄林と号する。

元亀二(1571)年
八月
 大浦城主・大宝寺義氏(21歳 義増の嫡男)、重臣筆頭の土佐林禅棟(?歳)を誅殺する。

天正元(1573)年
 陸奥国大名・伊達輝宗(30歳)、密かに出羽国の天童家・白鳥家ら有力七国人との同盟関係を深める。

天正二(1574)年
 山形義光(29歳)、この年に織田信長(41歳)の斡旋により出羽守に叙任される。
正月
 山形栄林(54歳)、嫡男・義光と対立し中野城(現・山形市)で挙兵する(最上の乱)。
 陸奥国大名・伊達輝宗(31歳 山形栄林の娘婿にあたる)、山形栄林に加勢して挙兵し、輝宗の命により高畠城主・小梁川中務大輔盛宗(52歳 輝宗の義兄にあたる)、義光方の里見民部少輔の上山城を攻撃する。
 寒河江家、山形義光派に属するが伊達家の意を受けた天童家・白鳥家ら七国人に攻められ降伏、山形栄林派に属する。
二月
 山形義光、伊達領の川樋(現・南陽市)を奇襲して勝利する。
三月
 山形義光、伊達家と和睦し楢下(現・上山市)から伊達軍を撤退させる。しかし山形義光、伊達領の北条(現・南陽市)に夜討ちをかけ伊達家と再び戦闘状態に入る。
四月
 荒砥城(現・白鷹町)と畑谷城(現・山辺町)が山形義光に敵対して挙兵し、伊達軍と義光軍との戦闘が本格化する。
五月
 山形義光、父・栄林方の若木城(現・山形市)を攻撃し、江俣でも合戦となる。
 伊達輝宗、自ら米沢城から出陣し義光方の新地・仙石・楢下・中山に進撃する。
 伊達家家臣・亘理修理亮重宗(23歳 輝宗の従弟にあたる)、伊達輝宗の命を受け笹谷方面から義光領に侵攻する。
六月
 山形義光、上山新地の伊達陣に夜討ちをかける。
 伊達輝宗、荒砥城に陣を移すが、義弟にあたる陸奥国大名・芦名盛興(28歳)急死の報を受けて撤退する。
七月
 伊達輝宗、家臣・亘理修理亮重宗に刈田口からの義光領への侵攻を命ずる。
 出羽国の有力国人・寒河江家、栄林方から離反し山形義光に加勢する。
 伊達輝宗、再び自ら出陣し義光方の五百川(現・朝日町)と新宿(現・上山市)に侵攻する。
八月
 義光軍と伊達軍、国境の刈田口・笹谷峠で戦闘する。
 伊達輝宗、楢下に侵攻するが山形義光への総攻撃を断念し和平交渉を始める。
九月
 伊達輝宗、義光方と和睦し楢下から撤退する(山形栄林・天童家は戦闘を継続)。

天正三(1575)年 
三月
 山形出羽守義光(30歳)と父・山形栄林(55歳)、伊達輝宗(32歳)の仲介で和睦し栄林、山形城下の龍門寺に隠居する。
 山形義光、栄林との内乱中に伊達輝宗に寝返った上山城主・里見民部少輔(?歳)を誅殺する。

天正五(1577)年
五月
 山形出羽守義光(32歳)、長井地方に侵攻する。
七月
 谷地城主・白鳥十郎長久(?歳)、上洛して大名・織田信長(44歳)に拝謁し馬を献上する。
八月
 山形義光、上洛して織田信長に拝謁する。
十一月
 陸奥国大名・伊達輝宗(34歳)の嫡男・梵天丸(11歳)、元服して政宗と名乗る。

天正七(1579)年
 最上八楯の盟主である天童城主・天童頼貞、死去(?歳)。後継は嫡男・頼澄(12歳)。
七月
 大浦城主・大宝寺義氏(29歳)、織田信長に馬と鷹を献上する。

天正八(1580)年
四月
 天童家、山形義光(34歳)と対立し天童城を改修する。

天正九(1581)年
三月
 大浦城主・大宝寺義氏(31歳)、鮭延城(現・真室川町)を攻略し清水・新庄・古口地方に侵攻する。
五月
 谷地城主・白鳥十郎長久(?歳)、伊達家との親交を深める。
 山形義光(35歳)、天童家・東根家と戦闘する。

天正十(1582)年
二月
 大浦城主・大宝寺義氏(32歳)、新庄地方に侵攻し鳥越城(現・新庄市)と猿羽根城(現・舟形町)を攻略する。
六月
 京で本能寺の変が起こり織田信長(49歳)が自刃する。
七月
 山辺家、大宝寺義氏と同盟し山形出羽守義光(37歳)と戦闘する。
八月
 山形義光、この頃から砂越城(現・酒田市)の砂越家と同盟関係を結び庄内地方の情勢を探る。
 山形義光、陸奥国大名・大崎家に鮭延城の救援を要請する。
 大宝寺義氏、由利地方(現在の秋田県南部)に侵攻して秋田家と戦闘する。
 大宝寺義氏の一連の領地拡大政策に対する家臣団の反発が高まる。
九月
 山形義光、天童頼澄(15歳)の天童城を攻めるが撃退される。


後半へ続く。 うらら~、うらら~、うらうらら~♪≫
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遅くても、やらないよりゃマシだバカヤロー☆ ~映画『首』~

2023年12月03日 10時29分46秒 | 日本史みたいな
 こじゃんとさむいねやぁ~! どうもみなさま、こんにちは。そうだいでございます。
 もう12月ですってよ、奥さん! 早いな~。もう2023年も残り1ヶ月きっちゃいましたよ。みなさんにとっては、今年も楽しく充実した年になりましたか?
 私の住む山形もいよいよ寒さが厳しくなってきたのですが、やっぱりこの時期になっても雪がほとんど無い……というか、今シーズンまだ一度も積もるほど降ったことがないというのは、ちと異常ですわなぁ。年明けにやっと積もるくらい降るか、って感じなのかなぁ、この冬も。大人にとっては雪かきがなくなるからありがたいばっかりなんですが、子ども達にとってはさすがに、つまんないですよね。

 今年2023年も、私はといいますと御覧の通りに自分勝手、気ままに楽しく生きさせていただきました。もう不惑を越えていくとせかが過ぎ、人生の折り返し地点を回っちゃったかなという年齢になったのですが、まことにありがたいことに大した病にもかからず、身体にも目立つガタはきておらず、このままうまくいけば無難に新年を迎えられそうであります。無事これ名馬!!
 今年度から、個人的には生活にも多少の時間的余裕を持つようにし(代わりに経済的余裕がなくなってますが)、おかげさまでこの数年でたまりにたまった部屋の積ん読を、あたかもはらぺこあおむしが葉っぱをムチムチとはむかのような速度で減らし始め(©江戸川乱歩)、長年の懸案だった「片道500km の山梨ドライブ旅行」も7月に無事に終え(すんごい楽しかった!!)、しまいにゃほぼ毎週末に話題の映画を観るために映画館に通うという、自分なりに理想としていた「おっさんライフ」を堪能できるようになりました。なかなかうまくいかないことも当然のようにありますが、振り返れば心の安楽が得られた非常に幸福な一年になったかと思います。このままうまく過ごせればね……歳末こそ、気を引き締めねば!

 読書に時間をさけるようになったのもうれしいのですが、今年は比較的頻繁に映画を観られるようになったのもありがたいことで、そりゃまぁ出費は痛いには痛いのですが、いろんな作品を楽しむことができました。ちょっと手元のメモをひもといてみますと、なになに、今年最初に観た映画は、ドキュメンタリー映画の『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』(監督・武石浩明)でしたか! けっこう渋い選択から始めてたんですね、面白かったけど。そうかそうか、『かがみの孤城』とか『すずめの戸締まり』は去年の映画でしたか。ホント、光陰矢の如しですな!

ん……あれ、この、1月に観た『レジェンド&バタフライ』って題名の映画、どういうお話だっけ……洋画かな?

 あぁ、思い出した。綾瀬はるかさんが殺人マシーンになる映画だった。旦那さんは、なんかヒマさえあればめそめそ泣く甲斐性なしだったな。
 あれ、その旦那さん、キムタクっていうか……織田信長?

 え、織田信長!? 織田信長って、私がゆうべ見た映画で、出るシーン出るシーンぜんぶで青筋と首筋おったてて、真っ白い顔で絶叫しまくってたキ〇ガイ!? キムタクとあの山王会若頭が、同一人物ぅ!?


映画『首』(2023年11月23日公開 131分 東宝)
 映画『首』は、2019年12月に出版された北野武による時代小説を原作とし、北野自身による脚本・編集・監督・主演で、出版元の角川書店の製作により映画化された作品である。R15+ 指定。
 総製作費15億円。北野武監督にとっては6年ぶりの新作映画で、2023年5月に開催された第76回カンヌ国際映画祭の「カンヌ・プレミア部門」に日本人映画監督として初めて出品された。撮影は山形県鶴岡市のスタジオセディック庄内オープンセット、岩手県奥州市のえさし藤原の郷、長野県富士見町などで行われた。
 北野武脚本・監督作品としては、『あの夏、いちばん静かな海。』(1991年)以来、約32年ぶりに東宝の配給作品となる。

あらすじ
 時は戦国時代末期。織田家重臣・羽柴秀吉と豪商・千利休に雇われ、謀反人と逃げ延びた敵方を探して各国を旅する抜け忍・曽呂利新左衛門は、織田信長に反旗を翻した武将・荒木村重を偶然に捕らえる。一方、丹波国篠山の農民・茂助は、播磨国へ向かう秀吉の軍勢を目撃し、戦で功を立てようとその従軍に紛れ込む。
 信長、秀吉、織田家重臣・明智光秀、信長と同盟する東海地方の大名・徳川家康までをも巻き込み、荒木村重の首を巡る戦国の狂宴が始まり、それはやがて本能寺の変へと繋がっていく。

おもなスタッフ(年齢は映画公開当時のもの)
監督・原作・脚本・編集 …… 北野 武(76歳)
製作 …… 夏野 剛(58歳)
プロデューサー …… 福島 聡司(62歳)
音楽 …… 岩代 太郎(58歳)
撮影 …… 浜田 毅(71歳)
衣裳 …… 黒澤 和子(69歳)
特殊メイク / 特殊造形スーパーバイザー …… 江川 悦子(?歳)
殺陣 …… 二家本 辰己(70歳)
能楽 …… 二十六世観世宗家 観世 清和(64歳)
製作 …… 角川書店
配給 …… 東宝、角川書店

おもなキャスティング(年齢は映画公開当時のもの)
羽柴 秀吉 …… ビートたけし(76歳)
羽柴 秀長 …… 大森 南朋(51歳)
黒田 官兵衛 孝高 …… 浅野 忠信(50歳)
徳川 家康 …… 小林 薫(72歳)
千 利休  …… 岸部 一徳(76歳)
荒木 村重 …… 遠藤 憲一(62歳)
服部 半蔵 正成 …… 桐谷 健太(43歳)
本多 忠勝  …… 矢島 健一(67歳)
宇喜多 忠家 …… 堀部 圭亮(57歳)
蜂須賀 小六 正勝 …… 仁科 貴(53歳)
滝川 一益  …… 中村 育二(69歳)
丹羽 長秀  …… 東根作 寿英(51歳)
安国寺 恵瓊 …… 六平 直政(69歳)
弥助     …… 副島 淳(39歳)
難波 茂助  …… 二世 中村 獅童(51歳)
明智 光秀  …… 西島 秀俊(52歳)
斎藤 利三  …… 勝村 政信(60歳)
初代 曽呂利 新左衛門 …… 木村 祐一(60歳)
丁次      …… アマレス兄(アマレス兄弟 48歳)
半次      …… アマレス太郎(アマレス兄弟 39歳)
間宮 無聊   …… 大竹 まこと(74歳)
般若の佐兵衛  …… 寺島 進(60歳)
清水 宗治   …… 荒川 良々(49歳)
織田 信長   …… 加瀬 亮(49歳)
織田 信忠   …… 中島 広稀(29歳)
森 蘭丸 成利 …… 寛一郎(27歳)
遣手婆マツ   …… 柴田 理恵(64歳)
多羅尾 光源坊 …… ホーキング青山(49歳)
為三      …… 津田 寛治(58歳)


 いや~、すごいもん観ちゃいましたねコリャ。とんでもない怪作でございました。
 だいたいみなさま、映画を観なくても、上のキャスティング表を見れば、この映画がいかに異常な映画なのかがよくわかるでしょ!?
 よく見てくださいよ、主要キャストで女性はただ一人! しかも、柴田理恵さんなのよ!? すごすぎるだろこれ……
 かと言って、この作品が漢っ気ムンムン、お色気ゼロのむくつけきマッチョ映画なのかといいますと、そうでもないのよね。なんだったら、男性俳優でお色気方面もカバーしようとしてるんですから。なぜおなごにお願いしない!?
 本作での最濃カップルとなる「光秀×村重」、西島さんが50歳過ぎてるのもそうとうなもんなんだけど、エンケンさんにいたっては還暦過ぎてるんですからね(撮影時はもうちょっと前か)!? 邪魔男爵もいろんな仕事をふられて大変だなぁ~オイ!

 あっ、本題に入る前にちょっとすみません。
 私、上記のように本作の原作本の出版社と、映画化に際して製作・配給を担当した企業のことを「角川書店」とあえて旧名で表記しているのですが、これはもう、現在の社名の超絶ダサさが心の底から大嫌いなので、強い抗議の意味も含めて旧名で通させていただきます。
 ダサい!ダサい!!クソダサい!! なに、日本語きらいなの!? そんな社名にして泉下の角川源義が納得してるとでも思ってんのか!? 最近のグループの大失敗の数々は、絶対に荒ぶりまくってる源義の怨霊のしわざだからな!! 即刻もどせェい!!
 でもあそこ、最近は狂ったように横溝正史のマイナー小説を復刊させてくれてるしな……「 KADOKAWA、だぁ~いすき♡」と、ハズキルーペの CM並みにはりついた笑顔でエールを贈らせていただきましょう。

 すみません、少々取り乱してしまいました。

 先ほども申した通り、今年2023年は「よわよわキムタク信長」に始まり、「正統武闘派ひらパー岡田准一信長」が大河ドラマ枠で大暴れし、そして再び銀幕では「超超破滅型ブチギレ加瀬亮信長」が疾走して終わるという、織田信長大豊作な年になったと思います。みんな信長で、みんないい! 多様性信長社会 SDGs に決まっとるがやぁあ~!!
 作品の出来不出来は別としましても、「ほんとは暴君でも魔王でもなかった他力本願信長」に、「ほんとは幼なじみの家康が大好きだったツンデレ信長」に、本作の「愛情の示し方が暴力しかない哀しきヘッジホッグ信長」と、フィクションの世界ならではの百花繚乱な信長解釈があって、天界の信長さんご本人が見下ろしたら、とってもおもしろい景色が広がっていたのではないでしょうか。
 前にも我が『長岡京エイリアン』のどこかの記事で申したかもしれませんが、私そうだい個人としましては、史実の織田信長というお人は、そんなに始終激怒しているわけでも、年がら年中マントをはおって闊歩しているような新し物好きでもない、ただ他の同時代人たちと比べて「異様に勘と運が良い」、きわめてマジメな仕事人間だったと思うんですけどね。

 それで、今回観た北野武待望の映画最新作『首』だったのですが、さすが世界のキタノと申しますか、公開当初からさまざまな反響がネット上でも沸き起こっております。まさに賛否両論! 「超おもしろかった!」から「たけしも老いたな……」まで、正反対な声が轟々とうなりまくってますね。
 私が昨夜、公開から1週間が経過した時点の週末土曜日に観に行った時も、広めのスクリーンの会場は観客層はやや高めではあるのですが、熟年夫婦を中心にしたお客さんで半分以上埋まっておりました。1週間たっても客足があんまり変わらないのって、山形ではけっこう珍しいと思います。

 そんでま、ここからはつらつら~っと私が観た感想をつづっていきたいのですが、本作はホントに不思議な怪作といいますか、


異常な世界を淡々と観察し続ける、完成されたモキュメンタリー調キタノ映画


 みたいな感じになりますでしょうか、簡潔に言っちゃいますと。

 例えば、かつて我が『長岡京エイリアン』にて私は、何の因果か、この『首』のきっかり10年前に公開された、同じく信長の晩年付近の日本史をテーマにした映画『清須会議』(2013年 監督・三谷幸喜)をはっきり「おもしろくない」と評価いたしました。あっ、でも『鎌倉殿の13人』は最高よ!?
 そう評した理由は、ご覧の通りこまごまと先の記事にて述べ立てたわけなのですが、結局のところフィクション作品として「つまんない」としか言いようのない、自分のかましたギャグへの「責任感の無さ」を全編に感じたからだったのでした。滝川一益や神戸信雄をあれだけ史実からかけ離れた笑いものにしておいて責任を取らないんですよ。要するに、「この作品はパロディコントです。」というただし書きをちゃんと付けないから、私みたいなねちっこい歴史おたくが「織田家家督・信忠はどこいった」とか「三法師の母親が武田の娘なわけないだろ」とかいきり立ってしまうのです。
 つまり、あの『清須会議』における最大の失敗は、三谷さんご本人が自分でちゃーんと冒頭に明示していた、前田玄以が「動く絵巻」を開陳して広げた大風呂敷という「えそらごと」のパッケージを、ド忘れしたかのようにラストでたたまなかったこと。これに尽きると思います。最後の最後に絵巻物を片付ける玄以さえ出てきてくれたら、観客は「あそっか、史実と違ってムチャクチャでもしょうがねっか、えそらごとなんだから。」と納得してくれるはずだったのです。

 なんで『首』の感想を言ってる記事なのに三谷さんを叩いてるんだといぶかる向きもあるかと思いますが、要するに「オチ」というものはそのくらい大事なものだということなのです。オチが悪かったら全て悪し!

 その点この『首』はどうなのかと言いますと、声を出して笑えるかというとそれほどでもないのですが、最後の最後のカットでたけし演じる秀吉が叫ぶ一言は、「あぁ、これで終わりだな。」と万人が納得するオチになっていたと思います。全てが無に帰す、ゼロに還る一言。それまで131分もの時間をかけて積み上げてきたものを瞬時に破壊してしまう秀吉の感覚は決して無責任な放り投げエンドではなく、歴史的に観れば新しい価値観の台頭ともとれる革命的な言葉ですし、そこまで持ち上げなくとも、あれほどまでにさんざん馬鹿にされ、泥水すすって生きてきた老獪な秀吉の心の底からの叫びなのです。めんどくせーんだよバカヤロー!! みたいな。これに、自分の身の回りの倦み疲れた日常の煩雑さを連想して共感しないお客さんはいないと思いますよ、よっぽどのおこちゃまでない限り。
 おれも、たけしみたいに蹴っ飛ばしてやりてぇなぁ! このルサンチマン、エネルギーを人々に呼び覚まさせる扇動術こそが、芸歴半世紀を超えるビートたけしの魔力の源泉であり、その必殺技をもって締めくくりとする『首』という作品は、完成されたひとつの「領域展開」といいますか、スタンド「じょ~うだんじゃっ、ないよっ」なのです。だからもう、史実がどうこうとか、登場人物たちの生活感がまるでないとか四の五の言っても意味無いんですよ。全ての不完全さ、いい加減さが、ビートたけしの芸のうちなんだから。

 こうなっちゃうと、もうね……131分という上映時間が冗長なのも、秀長役の大森さんのアドリブ対応がへったくそなのも、寛一郎さんのカツラが合わなくて頭が縦に長いのも、「そういうもんなんだからしょうがない。」という空気になっちゃうので、くさすだけ野暮になっちゃうんですよね。
 ずるい! 殿はずるいなぁ!! でも、その老獪さが主人公の秀吉と見事にオーバーラップしちゃうんですよね。ですから、本能寺の変が起きた時の史実の秀吉が数え年46歳だったのに、その役を30歳も年上のたけしが演じるのはどうなんだという声もあるとは思うのですが、70歳を越えたビートたけしだからこそできる秀吉像というものを、本作はちゃんと見せてくれていたと思います。
 本作の後半にて、中国攻めの陣営で信長横死の報を公表しながら下手なウソ泣きをする弟・秀長の様子をうかがい、屏風の裏で忍び笑いをする秀吉という描写があるのですが、ここは単なるコント風スケッチのようでありながらも、「時代を観察し嘲笑する秀吉」という、原作者兼脚本兼監督兼編集のたけしの視点をバッチリ提示してくれる象徴的なカットだと思います。軽いようで超重要! やっぱりタケちゃんはすごいな!!

 わたし、最近の『ゴジラ -1.0』みたいな「監督兼脚本」が当たり前のようになっている風潮は全く好きではないのですが、今回の『首』に関して言えば、ここまで原作者の言いたいことが気持ちよく伝わるんだから、これは同じ人がやる方がいい稀有な例なんだろうな、と思います。でもこれは、監督のほうの手腕がそうとうのもんでないと無理な変換でしょうけど。

 ちょっと話が変わりますが、私の持論として、21世紀に活躍する俳優さんが、だいたい20世紀以前の「歴史上の人物」を演じる場合、その年齢は「史実の10歳くらい年上がちょうどいい」と思っています。それは、人生経験的にも生物としての平均寿命の高齢化的にも、健康医学の向上といった点でも。多くの人々にとって、現代は「人生五十年」ではないわけです。
 そういう意味で、年齢が晩年の信長とほぼ同じはずの加瀬亮さんは、ちょっと若すぎて見えますよね。逆に秀吉と家康はやっぱり本能寺の変前後にしては老けすぎていると思うのですが、たけしと小林薫さんの「小牧・長久手合戦」を観てみたい気はします。
 ただ、そういう上下のブレはあっても、本作に出演する俳優さんがたの多くはもうバッチリどストライクの全盛期と言いますか、秀吉のネガともとれる無名の農民・茂助役の獅童さんとそろり役のキム兄は無論のこと、秀長役の大森さんも官兵衛役の浅野さんも、なんだったらちょっとだけしか出てこない安国寺恵瓊役の六平さんにいたるまで、「今撮らなくていつ撮る!?」という最高の演技を見せてくれていたと思います。『アウトレイジ』三部作では、ちょっと無理して頑張ってるかな、という息切れ感のあるベテラン俳優の姿もちらほら見られたのですが、今作は全体的に若返っているというか、キャスティングで大成功を確定させている面が大きいと思うんですよね。
 なので、確かに「たけしが秀吉!? 遅すぎるだろ!」と感じる人もいるのは分かるのですが、作品全体としてはたけしの実年齢をおぎなって余りある万全の態勢で作られている、脂ののりきった絶好のタイミングの一作であることは間違いありません。

 キャスティングでいえば、さすがたけしと言いますか、そろり役のキム兄と最終的に対峙する役の人が、よりにもよって「あの人」というのも、日本お笑い演芸史の東西対決と言いますか、なんか「ヒトシ VS タケシ」の代理戦争を見るかのようでおおっと手に汗握るものがありましたね! まぁ、ここでたけしの側で出るのが軍団のどなたかでないのが、そこはかとなく寂しくもあるのですが……
 あと、個人的に本作の中でいちばん気になっていた登場人物が、実はキム兄とはまた違った角度での「ヒトシの代理人」といった感じでキタノ映画に出向して来た堀部圭亮(言うまでもなく放送作家・竜泉)さん演じる宇喜多忠家で、終始どのシーンでも「借りてきたネコ」のようなカッチンコッチンの姿勢と表情でいたのが、ある意味でたけし=秀吉に匹敵するほど中身と役とが一致し過ぎていて笑ってしまいました。また、宇喜多忠家という「板ばさみ人生」というか、どこでどう生きても常に目上にコワい誰かがいるザ・苦労人な武将を堀部さんが演じているというのが、おもしろうてやがて哀しきキャスティングになっているんですよね! この『首』の世界線での宇喜多直家って、どんなヤバい人だったんだろうなぁ……配役するなら、やっぱ演じるのは椎名桔平さん一択でしょ! こわ~!!

 こんなことつぶやいても仕方ないんですが、私の勝手な理屈で言うのならば、本能寺の変前後の頃の秀吉をたけしが演じるのならば、それは50代半ばごろ、つまりは2000年代前半ということで、ちょうどキタノ映画で言うと『 BROTHER』(2001年)とか『座頭市』(2003年)を制作していたころで、俳優面で言うと『バトル・ロワイアル』(2000年)とか『血と骨』(2004年)に出ていたたけしになるわけです。
 ホ~ラかっこいいでしょ、めっちゃくちゃ見たいでしょ!? やっぱ、髪の毛染めてタップダンスやってる場合じゃなかったんだって! 『御法度』(1999年)から直行で秀吉もやるべきだったんだってぇ~!!
 でも、それはそれで、今年の『首』よりもだいぶナルシスティックで主観的な秀吉像になっていたろうし、第一、周辺に集まる俳優陣も、本作程に心身ともに充実したメンツにはなっていなかったかも知れないんでねぇ。それはもう、今回の『首』と20年前の『座頭市』のどっちにも出演している浅野忠信さんの成熟度を見ても明らかだと思います。今の方がだんぜん、いい!
 そういう意味では、本作は2000年代のキタノ映画とは趣が変わってプロの俳優さんの比率がだいぶ上がった現在だからこそ完成度も上がった、と言えるのかも知れません。キム兄の、たけし派でないからこそみなぎりまくっていた緊張感も良かったわけだし。やっぱり、いくら遅い遅いと言われようが、この『首』は今のタイミングで世に出るのが最高なのです!!
 ただ一点、大杉漣さんの出ている『首』も、観たかったような気はします。人間、先立つ不孝だけはやりたくないもんですな……

 少なくとも私にとって、今回の『首』はとっても満足のいく内容のものでしたし、その力技を押し通す勢いに元気ももらい、「ビートたけし健在なり!」という手ごたえを感じさせるものとなりました。
 でも、本作は始まって十数秒の時点で、苦手な人にとってはかなりキツい残酷描写が展開されますし、女性がいない分、戦国時代に「一流武士のたしなみ」として流行していたという衆道、同性愛の愛憎が露骨に絡む内容にもなっているので、最後の最後までドギツい描写がどこかで必ず出てくる作品となっています。もうタイトルからして『首』なので、全く覚悟せずに観に来るお客さんもそうそういないかとは思うのですが、それでも耐え切れず脱落してしまう人がいても、それは仕方のないことかと思います。ほいほい人に勧められる作品ではない、ということですね。

 以下は、そんなに気になったわけでもないけど少しばかり不満に感じたことをば。

・本能寺の変前後の歴史的出来事のどこをピックアップするのか取捨選択を行った結果、登場人物のうち誰かのエピソードが中途半端になってしまうことは仕方のないことなのですが、荒木村重の「その後」に全く触れないまま映画が終わってしまうのは、非常にもったいないと感じました。あの後の村重の生きざまこそが一番面白いと思うんですけどね……それとも北野監督、もしかして続編『首 びよんど』を制作する腹づもりなのか!? いずれにしても、エンケン入魂の村重はもうちょっと長く観たかったような気がしました。有岡城攻防戦での、喉がカッスカスに枯れ切ってもなお「逃げるなー! 逃げるなー!」と絶叫し続ける村重の姿は、もう地獄そのものでしたね。
・画面の色彩配置が、なんか全体的にふつうだったような。冒頭の「切り口とカニ」とか、高松城攻防戦下の豪雨の中を傘をさして歩く官兵衛とか、絵になりそうなカットはいくつもあるのですが、それぞれが断片的であるため散漫であんまり効果的と言えず、かつてのカラー映画時代の黒澤映画にあったような「えらいもん観てもーた」的な毒々しいインパクトが無かったように感じました。そもそも黒澤映画と比較すること自体が無理難題なのですが、それでも、もうちょっと一矢報いるくらいの冒険は観たかったような気がします。黒澤和子の衣装も、もはやそこらじゅうの時代劇で見られるような「ちょっとおしゃれなデザイン」くらいにまでありふれたものになっちゃいましたしね……明智光秀だから水色か紫、織田信長だから黒、羽柴秀吉だから黄色って……ベタですよね。

 そして、この映画はあくまでもビートたけしの芸を観る映画としてよくできているのであって、かつて万人が恐怖したような得体の知れない不条理、理屈の全く通らない火山噴火か台風のような「死の美しさ」を描いていた北野武の映画とは、全く別種のものになっていたと思います。その点を物足りないと感じている人は、けっこうおられるのではないでしょうか。
 言ってみれば、キタノ映画は絵画であり、今回の『首』は落語だと思います。そのくらいの別次元のものになっているってことですね。でも、それは仕方のないことだとも思えます。天下御免のビートたけしも歳はとるし、いつまでも気が狂わんばかりに過酷な世界で闘い続けてもいられないでしょう。

 にしても、今回の『首』の、娯楽映画としての完成度は間違いないと思います。アレルギー物質も塩分も辛みも徹底的に除去されている病院食のような時代劇ばかり観ていてもう飽き飽き!という方はぜひとも映画館に足を運んで、2023年のたけしの挑戦状に立ち向かってほしいと思います。

 そうそう、ホント、「こんなえいがに まじになっちゃって どうするの」の世界なんですよね……ブチギレるのは加瀬亮信長に任せといて、私たちはわろとけ、わろとけ~!!
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そりゃあね……おもしろくはないっすよね。  映画『清須会議』  ~10年ごしの感想!!~

2023年11月01日 23時20分00秒 | 日本史みたいな
≪前回までのあらすじ、もなにも……≫
 資料編歴代信長家臣団のあゆみの記事から、なんと10年が経っちゃったよ!


 ……いや~、ついにこの時が来てしまいました。じゅ、10年!? 感想言うのに10年もかかっちゃったの!?
 でもね、今回、ついに重すぎる腰を上げて記事をまとめようと思って、DVD で再見してみたのですが、ほんとに面白くないと私が感じた理由は、もうこんなに時間をかけるまでもなく単純明快なんですよね。ただ、当時から今に至るまでなんやかやと記事の完成を先送りにしてしまっていただけなんです。何か難しい事情があったとか、そんなことは全く無かったのであります。

 ただ、この10年で私の中での三谷幸喜さん作品への印象もだいぶ変わりました。っていうか、昨年2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、ほぼ正反対に転換したわけだったのです。
 『鎌倉殿の13人』は、もうほんとに面白かったんです。なにが素晴らしいって、脚本の伏線の張り方、オリジナリティの打ち出し方に、「史実に誠実に対峙する」という態度がしっかり守り抜かれていたんですよね。破天荒に見えるキャラクターや展開があっても、そこは三谷さんだけの発想で生み出されているんじゃなくて、一見無茶苦茶に聞こえる「異説」や「伝説」が現代に残っている状況を丁寧に取材した上で組み立てている「ハイブリッド新説」に仕上がっているのです。その、歴史への仁義の切り方が非常にすがすがしい!
 登場人物の面々も、役者さんがのきなみ名演を見せてくれましたし、第一、「人の死」というものがこれほどまでに恐ろしく哀しいものなのかと、最終回のラストカットまで戦慄させられ通しになってしまう緊張感と重厚さが、『鎌倉殿の13人』には行き渡っていたと思います。
 映画『清須会議』もそうなのですが、三谷作品の大河ドラマ『新選組!』と『真田丸』には、歴史上実在した人物の死を、正面きって重苦しいものとして描く姿勢がない……とまでは言いませんが、観やすいものに軽くしていた手法があったかと思います。いや、そうでもしないと江戸幕末も戦国時代末期も、血なまぐさ過ぎてとてもじゃないが見られたもんにならないだろうという配慮もあったのでしょうが。
 でも、『鎌倉殿の13人』は、死ぬ人死ぬ人、みんなの最期の演技が本当に真剣勝負なんですよね。あまりにも重すぎて、ハードディスクや映像ソフトで何回も繰り返し観たいとは思えないかも知れませんが、すごいよね……死にざまがすごいってことは、生きざまもすごいってことだもんね。義経、全成、上総広常、比企能員、善児、そして義時。パッと今思い出しただけでも、一体いくつの名シーンがあったでしょうか。個人的には、実朝暗殺のときの源仲章の小物感たっぷりの死にざまが最高でしたね。NHK であそこまでギリギリの表現はすばらしい。でも、私の中での『鎌倉殿の13人』ベストカットは、巴御前の最後の絶叫です。あれはもう……涙なしには観られない。

 話が長くなりましたが、結局なにが言いたいのかと言いますと、『鎌倉殿の13人』の精華は、まさしくこの『清須会議』の大失敗なくしては生まれ得なかった、「泥沼に咲いた蓮の花」だったのではないかということなのです! リメンバー『清須会議』!! 無かったことにするなかれ、黒歴史にするなかれ!!
 あ、あと、『清須会議』とはまったく関係がないのですが、今月末に公開されるらしい映画『首』が、なんだか非常にかんばしいかほりのする予告編で妙にぞわぞわしてきましたので、そっちを観る前に、いい加減こっちの方にケリを着けようという気分にもなったので、今回の感想編にとりかかる運びとなりました。『清須会議』のちょうど10年後に『首』とは……なにやら因縁めいたものを感じちゃいますね。今年の初めに公開された映画『レジェンド&バタフライ』もそうとうな珍作でしたが、なかなかどうして『首』もすごそうだぞ~。青筋おったてて家臣をののしり蹴りまくる織田信長って、いったい何十年前から時の止まっている化石イメージなのでしょうか。

 お話を『清須会議』に戻しますが、私がこの作品をおもしろくないと感じた理由は、まさに『鎌倉殿の13人』の真逆の作風、つまり「史実に敬意の無い創作設定」をけっこう多めに弄しておきながら、その効果が「単に歴史上の人物をバカにしているだけ」にとどまり、作品の面白さに全くつながっていなかったから。ほんと、ひとえにこれだけのことなのです。

 映画をざっと見て気がついただけでも、この作品では、

・「織田家家督・織田信忠」という事実の無視
・武田松姫の設定
・池田恒興の設定
・滝川一益の設定と描写演出

 という、「そこでウソついちゃったら『清須会議を舞台にしているお話』って言う資格ないんじゃない?」と言いたくなるえそらごとが満載なのです。
 これ、映画のタイトルが『喜劇・清須会議』だったり、『きよそ会議』だったら私もそんなに怒らなかったかと思うのですが……題名の段階で「フィクション史劇以前のコントで~っす☆」って言ってくれればよかったのにねぇ。

 要するに、史実の清州会議は前提として「本能寺の変の6年も前から勝幡織田家第6代当主になっていた織田信忠」の嫡男である織田三法師の「後見人」を決める宿老会議であり、その三法師が武田松姫の実子である可能性はゼロで、宿老の一人・池田勝入斎は会議に参加する前の段階で完全に秀吉派になっており、滝川一益は最初から会議に参加する気など無かったのです。

 おいおい、作品の根幹を揺るがす「事実と異なる創作ポイント」が最低4コもあるよ! しかもこれらは、「そうだったかもしれない」可能性がまるでない完全なるでっちあげなのです。「そういう異説もあるよ」なんていうロマンなどかけらもない三谷コントの思いつきと申してよろしいでしょう。ぜ~んぶ、えそらごと。

 当然、三谷さんも無鉄砲ではないわけで、言葉にこそしていませんが、本作は「史実そのまんまではありませんよ~。」と解釈できる演出は、ちゃんと冒頭で提示しています。
 すなはちこの映画は、物語の脇役であるはずの前田玄以が誰もいない清須城の1階大広間に現れて、京での本能寺の変をアニメ的に表現する不思議な絵巻物を開陳するところから始まるのです。つまり、この映画の全ては玄以の披露するえそらごとであります、と。
 でも、だったらだったで、この清州会議の後に秀吉に取り入り、最終的に豊臣政権五奉行に名を連ねる程に出世した前田玄以がこの『清須会議』を語る必然性があってもよいものかと思うのですが、この映画は玄以の出てくる冒頭の演出の意図を全く説明せず、フツーに勝家と秀吉が別れる描写で終わるのです。織田信雄があんなにバカ殿さまに描かれる理由も、黒田官兵衛が吹き矢を放って勝家がビーチフラッグスに負ける理由も、ありもしない信忠と松姫との円満な家庭生活が空想される理由も、第一に玄以が途中から脇役以下に成り果てて物語にいっさいからまなくなる理由も、説明は一切ナシです。あと、西田敏行さんや天海祐希さんがあんなにくだらない出番のためにひっぱり出された理由も!

 ほんとね、清須会議が終わった後の残り30分、本当にいらない!! なんか、あの西田さんやら天海さんやら松山ケンイチさんやらが、クソどうでもいい役柄でちょっとだけ出てくるノリって、「私の映画には、こんな日本芸能界を代表する名俳優のみなさんがたも、どんな役でもいいから出たいってせがんできちゃうんですよね~。困っちゃうなぁもう♡」みたいな声が聞こえてくるようで、とっても嫌な気分になってしまうんですよね。いや、こんなの私の一方的な思い込みなんでしょうけれどね……モテモテな陽キャののろけ話を聞かされてるようで、心のズイから怒りがこみあげてきます。

 役者さんの話をするのならば、確かに本作も、三谷監督作品らしく当代人気の俳優さんがたのオンパレードといった陣容です。その中でも、私としましては大泉さんと浅野忠信さんの演技が光っていたかな、と思います。あと、やや軽めの立ち位置でかなり自由に遊んでおられた佐藤浩市さんの「小物」演技と、中谷美紀さんのハイテンションなダンスも素晴らしかったですね。あんな浩市さんと中谷さん、今じゃもう観られないのでは?
 ただ、それ以外のみなさんは、まぁ彼 or 彼女だったらそのくらいの仕事はするだろうな~、といった感じの、まるで TVのバラエティコントのような緊張感のない演技の持ち寄りあいにしか見えませんでした。ただダッシュさせてただけの阿南健治さんとか、ボーっとしてるだけの梶原善さんとか、一体どういう感覚をしていたらそういった貴重な人材をドブに捨てるような使い方ができるのかがまったく理解できません。
 特にもったいないにも程があるのは、やっぱり主演の役所広司さんでしょう。まるで三船敏郎のものまねのような安っぽい豪傑感! 絶対にその程度しかできない俳優さんじゃないのに、なんであんなことになってるんだろう。それはもう、確実に演出している監督が「そんな感じでいいです。」とギアダウンさせてしまっているのでしょう。役所さんに限らないことでしょうが。
 やっすいものまねと言えば、お市の方役の鈴木さんもひどかった。どこからどう見ても黒澤明の『乱』における原田美枝子さまのものまね……なんですが、設定として本作でのお市の方の年齢が三十代半ばなので、演技においてもビジュアルにおいても全面でオリジナルに劣っているという負けいくさっぷり。まさか黒澤明に TVバラエティコントで挑もうとするとは……浮き輪ひとつで太平洋に浮かぶ人間を、ホホジロザメは笑って許してくれるかな?
 そしてど~しても見逃せないのは、武田松姫役の剛力さんですよね。たぶん、ご本人はとっても真面目で勉強家なんだろうなぁ。でも、声の質と絶対的能力値が……三谷さんも、よくもまぁあそこでワンカットの長ゼリフを彼女にぶっつけたな。三谷さん、剛力さんキライ?


 とまぁ、そんな感じで10年もの時が経過した今もなお、1万字になんなんとする思いのたけは、まだ残ってました!
 でも、しゃべり出したら記事を何回やってもきりがないので、最後にその他気になった点をズラズラ~っと羅列するいつもの流れでしまいにしたいと思います。一部、先に触れたことと重複する内容もありますが、DVDを観ながらたったかたーっと打ったものですので、なにとぞご寛恕いただきたく。

その他、気になったポイントメモ
〇2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』を存分に楽しんだ人間としては、やっぱり森蘭丸成利を染谷将太くん(当時21歳)が演じているのが非常に感慨深い。蘭丸くん、出世したねぇ~! 出世しても本能寺で死んじゃうけど。
〇織田信長役の篠井英介さんも、明智光秀役の浅野和之さんも、物語的に本作にはちょっとだけしか登場しないのだが、ビジュアルが非常に良い。特に光秀は、あんまり他の映像作品では採用されない「本能寺の変当時67歳説」がちゃんと採用されていて最高です。あとキンカン頭も!
〇若干コミカルに描かれている末期の信長が印象的。案外、そのくらいのフツーのおじさんだったのかも?
〇ビジュアルと言えば、「織田家の血筋の特徴」として、現代日本から見ても異様に見える程の高い鼻筋を、登場する織田家関係者全員が特殊メイクで表現しているのも、他映像作品ではなかなか見られない演出である。でも信包役の伊勢谷さんは自鼻だったとか? さすが。
〇本作の重要な物語要素として、織田信忠の嫡男、つまり信長の嫡孫の織田三法師秀信が、あの武田信玄の四女である信松尼松姫の実子であるという設定がある。つまり三法師が信長と信玄の両方の血を引くハイブリッド貴公子であるという非常に魅力的な話なのだが、実は史実の三法師の母親ははっきり確定しておらず、大小とりまぜて5説あるうちのひとつが松姫説ということになる。武田信玄の血を引く可能性20%か……でも、面白いから本作で松姫説が採用されるのも、しょうがないよね! 三谷作品だし。
〇ちなみに、松姫以外の三法師の母親候補の中には、織田家武将・森可成の娘もいる。もしこっちが正しいとすると、三法師は森蘭丸くんの甥ということになる。こっちはこっちで面白いが……武田信玄の娘に比べると、ちょっとスケールがねぇ。
●史実では、武田松姫は確かに織田信忠の「婚約者」とはなったものの、例の信玄西上作戦と三方ヶ原合戦で織田家との関係が最悪になってしまったために婚約は立ち消えになり武田家領内から出ることはなく、織田三法師が誕生した天正八(1580)年には兄・仁科盛信のいる信濃国高遠城下に、武田家滅亡後は北条家の庇護のもと武蔵国八王子にいたという。え、じゃあ、映画の中のように本能寺の変の時に信忠と一緒に京にいるのも、そもそも三法師を産むのもムリなのでは……? 本編開始3~4分のこの時点で、本作が「史劇」でないことは明確になっている。ファンタジー!
●ついでに言うと、映画では父母と一緒に京の二条新御所にいた織田三法師(当時3歳)も、史実では父の居城の美濃国岐阜城にいたらしいです。そりゃそうだよね、現代感覚の京都旅行じゃないんだから、織田家当主と次期当主候補が軽々しく一緒に行動するわけがありません。
〇本作のストーリーテラーである前田玄以が、本能寺の変当日に信忠と一緒に二条新御所にいたのは史実らしいのだが、やはり本作は、冒頭の演出から見ても「前田玄以が盛りに盛ったフィクション」と受けとめるのがいいかもしんない。でんでんさんらしいうさんくささ!
〇3年後の2016年大河ドラマ『真田丸』であんなにはっちゃけた秀吉を演じた小日向文世さんを観てしまうと、本作でいかにも苦々しく大泉秀吉の栄達を眺めている丹羽長秀の姿が非常に興味深く見える。今に見てろよ、コノヤロー!
〇実質どこからどう見ても秀吉 VS 光秀の大決戦だった山崎合戦だが、本作で描写される通り、形式上の秀吉方の総大将は信長の三男・神戸信孝だった。ここでの信孝の存在感も、他作品では省略されがちなので地味にうれしい。
●冒頭の絵巻物風アニメでも実際の撮影でも、本能寺は約2m そこそこの土塀で囲まれただけのふつうの寺として描写されているが、まさか戦国時代の真っただ中に京にあった法華宗大本山の寺院がそんなわけなく、実際には堀と土塁と石垣に囲まれた要塞のような城館であったという。だからこそ信長も油断してたし、光秀も全軍をガッツリ投入して攻め込んでたわけでねぇ。
●やっぱりこの作品は、丹羽長秀が信孝を次期織田家当主に擁立して、宿老筆頭の柴田勝家を際立たせるために古巣の尾張国清須城で会議を開こうと提案したという根幹の筋が決定的なえそらごとになっている。清州会議が開かれたのは、当時清州城に三法師(次期当主確定)がいたからなのでは……
●本能寺の変の時点で、羽柴秀吉はすでに15年以上、織田家武将として活動しているはずなので、本作の時期に正室お寧の方や弟・秀長があんなに百姓ライズした言動で秀吉を裏切者扱いしているのは、ちょっと何を今さらな感じがする。そもそもお寧は百姓じゃないし。木下家の特徴らしい耳の特殊メイクも、こっちはやりすぎじゃない?
〇予想通り、苦み走った表情に黒服の寺島官兵衛のビジュアルが非常にいい。岡田准一官兵衛ほど美化されてもおらず、斎藤洋介官兵衛ほど異貌でもない絶妙なバランス! 本作においては陽の面の強い大泉秀吉と好対照ですね。
〇上映開始から12分というスピード感で、本作の重要な舞台となる清須城が出し惜しみなく登場して、映画のタイトルがクレジットされる。清須会議が行われるのは、二重四階建て檜皮葺きの、黒壁でも白壁でもない非常に簡素な印象の天守閣の一階である。あの信長の城としては意外すぎるほど地味なのだが、だからこそ信長もちゃっちゃと清須城から出ていったと考えられるわけで、納得のいく外観ではある。そしてこの天守も、清須会議から4年後の天正地震で倒壊するわけ。言うまでもないことだが、今現在清州城跡に建っている三重四階建ての鉄筋コンクリート造の模擬天守とは全く関係がない。
〇20年ぶりに清須城に入るという柴田勝家を満面の笑顔で迎える、清須城の老足軽・義兵衛。彼を演じるのは三谷作品に欠かせない名優・近藤芳正なのだが、近藤さんは本作の翌年の大河ドラマ『軍師官兵衛』で、柴田勝家その人を演じることとなる。ものすんごい出世! でも、ずいぶんとかわいらしい鬼権六ですね。
〇本作では信長の妹・お市の方がもともと清須城に住んでいたような描かれ方になっていたが、史実の彼女は当時どうやら美濃国岐阜城にいたらしい。確かにあの信長の妹として、そっちの方が自然な気がするのだが、そこはそれ、映画ですからね……便宜上のショートカットということで。
〇清須城入城に際して勝家が一番優先したのがお市の方との接見で、秀吉が優先したのが清須城下の民衆への施しセレモニーという、上層 VS 下層の対比が非常にわかりやすい。いろいろと目端の利く秀吉の深謀遠慮を象徴するエピソード。
〇冒頭からちょいちょい登場している信長の三男・神戸信孝に対して、もっと上位のはずの次男・北畠信雄がずいぶんと後になって登場する。上映開始18分でやっと会話の中に名前が出てきて、しかものっけから勝家に「大うつけ!」と呼ばれているさんざんっぷり。まぁ、実際そうなんですけどね……山形県人の私としては、地元近くの天童市に非常に縁の深い方なので、ついつい信雄に肩入れしたくなっちゃう。
〇お市の方が秀吉を蛇蝎のごとく嫌う理由は、清須会議から9年前に彼女の夫・浅井長政を、信長の命を受けた秀吉が先鋒として攻め滅ぼし、夫妻の間にできた嫡男・万福丸を処刑したことにあるとされている。しかし、当然ながら秀吉の行動は全て主君・信長の代行としてのものであり、なんだったら勝家も浅井攻めにはしっかり参加しているのである。秀吉が嘆く通り、織田家の中でも秀吉だけを嫌っているお市の方が理不尽なのか、それとも、それだけのことをしでかしておいて「9年も経てば忘れてくれるだろう」と考えている秀吉が異常なのか……
〇上映開始から23分たち、ついに本作の台風の目となる重要キャラクター・北畠信雄が登場。しかし、居室には所狭しと役に立つんだか何だかさっぱり見当のつかない発明グッズやおもちゃの数々が……織田家きっての「奇人」としての信雄の印象を強調する演出だが、史実の信雄はそれなりの水準以上の教養はあったにしても、ともかく長期的な戦略眼のなさや中途半端な世渡り上手さがあったゆえに歴史の渦に飲み込まれた「凡人」という方が正しいような気がするので、ここらへんも本作の創作のにおいが強い。そんなの奇人変人度で言ったら、信雄なんか足利将軍家のみなさんの足元にも及ばないんじゃなかろうか。格が違う!
〇特殊メイクによるつけ耳がやたら印象に残る大泉秀吉なのだが、実は右手にずっと手甲のような布を巻いているのも、映像作品の中の秀吉像としては非常に画期的である。これはつまり、「秀吉の右手は6本指(多指症)だった」という、本作にもがっつり登場している秀吉の盟友・前田利家の証言を採用している演出であると思われる。これなんかは特に NHKの大河ドラマではまず映像化されないであろうし、映画作品ならではの味付けなのではないだろうか。別に中二病で黄金の指ぬき手袋をしてるわけじゃないんだぞ!
●これまた三谷作品の常連名優である梶原善さん演じる羽柴秀長の存在が、史実よりもずっと小さい。山崎合戦後のこの時期に秀吉の傍にいないなんてことはありえないと思うのだが……これはおそらく、ポジションが黒田官兵衛とかぶりすぎるために採られたカット策であると思われる。そんな、お寧といっしょに一般人ヅラしてこっそり入城なんてできるわけないでしょ。
〇上映開始36分で、本作の新たなるキーパーソン、織田信包が登場! 物語の中で、秀吉は清須会議を有利に導くための奇策として信包の懐柔を謀るが、史実の信包はもっと早く、本能寺の変の直後から秀吉=信雄派に属していたらしい。これはおそらく、信包も信雄も本拠地が同じ伊勢国にあるという地政学的判断からだと思われる。ちなみに、信包が本作のように兄貴譲りの西洋かぶれなオシャレ人だったという記録史料は残っていない。むしろ、毒にも薬にもならない、兄・信長に従順な常識人だったのではなかろうか。ほら、二人のあいだにいた信勝(信行)くんの一件もあるし……
〇上映開始44分で、清須会議の行く末を決める織田家新宿老として、今度は信長の乳兄弟の池田恒興が登場。演じる佐藤浩市さんの、長いものに巻かれる俗物感がいい。しかし、ここでの秀吉派と勝家派とのはざまでフラフラする恒興というのも、実は本作にしかない虚像であり、史実の恒興は中国大返しを果たした秀吉軍と合流して山崎合戦に参戦した功によって織田家宿老に昇格されたという流れがすでに清州会議前にあった。さらにこの時点で秀吉との間に、次女(若政所)を秀吉の後継者候補である甥・秀次の正室とし、次男・輝政を秀吉の養子とするという盟約を結んでいるため、会議の時にすでに恒興は、勝家と長秀がつけ入る余地などないほど濃厚な秀吉派になっていたのである。さすが、人たらしの秀吉! ちなみに、山崎合戦の直前に恒興は剃髪して勝入斎と名乗っているため、本作の時期にはツルッツルの僧形になっているはずである。なんか、信長の死後すぐに出家するというその素直さは、本作のイメージとはちょっと違う気がする。むしろ、大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU 』(1992年)で恒興を演じた的場浩司さんがぴったりな気がしますね。筋は通すゼ!
〇キャラクター造形の是非はおいておいて、当時もうすっかり大女優の仲間入りを果たしていたはずの中谷さんが、かなり長い時間を使って秀吉の饗宴シーンで愛知県重要無形民俗文化財「津島市くつわ踊り」のソロダンスを披露しているのが非常にうれしい。若いな~! さすがは中谷さんだ、キャリアは積んでも、アイドルグループ「桜っ子クラブさくら組」内のアイドルデュオ「 KEY WEST CLUB」時代のステップは衰えちゃいねぇぜ! 夢はマジョリカ・セニョリータ!!
〇清須城内での秀吉派の酒宴の乱痴気騒ぎっぷりを、「あれもいくさ」と寝室から冷静に分析する前田利家。しかし、そういう無礼講パーティにいのいちばんで飛び込みたいのは間違いなく、若いころの犬千代時代に「槍の又佐」、「織田家きってのかぶき者(狂犬)」とおそれられた利家のはずである。大人になったな~!
●本作の公開後、2018年に提唱された柴裕之氏の新説によると、清州会議の前日の日付で秀吉が関東にいたと思われていた滝川一益にあてた書状に、「徳川家康と連携して北条家の織田領への侵攻を防いでくれ」としたためられていることから、清州城に参集していた織田家要人たちは、最初っから一益を会議に呼ぶ気はなかったのではないかと唱えられている。そりゃそうですよね、「関東から一益が来るかも」なんていう不確定要素のためにいつまでも待っていられる悠長さなんて、信包に言われるまでもなく当時の織田家にあるわけがありません。
〇清須会議後の祝宴での、池田恒興の「この世は生き残った者勝ちだ。俺は生き残ってみせるよ。」という発言が非常に深い。だって、彼はこの2年後に……ねぇ。


 まぁ、ざっとこんな感じよ。

 いろいろ言いましたがこの『清須会議』は、つまるところ大失敗作だと思います。
 でも、それは間違いなくのちの『鎌倉殿の13人』の大成功に結実している、長い長~い道のりのひとつだと思います。

 今2023年、令和になってしばらく経ってから観直してわかってくる『清須会議』の嫌なところは、「茶化しておもしろがる」、「無駄遣いしておもしろがる」という、実に平成らしい文化の一側面だったような気がしてきます。そして、三谷幸喜さんはそこにとどまらず、『鎌倉殿の13人』をもって令和にも大傑作を打ち出していける脚本家として進化したのではないでしょうか。
 だとすると、令和はかなり殺伐とした、余裕のない社会時代なんだろうなぁ。それはそれで、平成がなつかしく思えてくる?

 さぁ、これから公開される『首』は、どうなりますかねぇ? とっても楽しみですね!
 『首』に小日向さんが出てこなさそうなのが、実に残念ですね! でも、それじゃほんとに『アウトレイジ』のタイムスリップ版になっちゃうか。逮捕しちゃうぞ、コノヤロー☆
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