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巻き込まれ型サスペンスのお手本、早くも登場!! ~映画『三十九夜』~

2024年01月29日 21時34分16秒 | ふつうじゃない映画
映画『三十九夜』(1935年6月 88分 イギリス)
 映画『三十九夜(さんじゅうきゅうや The 39 Steps)』はイギリスのサスペンス映画。イギリス・スコットランドの小説家ジョン=バカン(1875~1940年)のスパイ小説『三十九階段』(1915年発表)を原作とする。製作費5万ポンド。
 本作は、同小説を映像化した複数の作品の中では最も有名なバージョンで(他に1959年版、78年版、2008年版がある)、イギリス映画協会が1999年にイギリスの映画・TV業界の関係者1,000人に対してアンケート調査した「20世紀のイギリス映画トップ100」では第4位にランクされている。

 ヒッチコック監督は、本編の開始後約7分のロバート=ドーナットとルーシー=マンハイムが劇場から駆け出すシーンで、ゴミを放げ捨てる通行人の役で出演している。


あらすじ
 ミュージックホールで「ミスター・メモリー」という卓越した記憶力を持つ男の芸を見ていた青年ハネイは、銃声で騒動になったホールから、謎の女性アナベラとともに自分のアパートに戻る。彼女は軍の重要な機密が奪われそうになっていると語るが、未明にスコットランドの「アルナシェラ」という地名に印がついた地図を持って刺し殺されてしまう。見張りの男たちをまいて汽車に乗り込んだハネイは、新聞で自分が殺人容疑者になっていることを知り、警察の追跡をかわしながらアルナシェラに向かう。その土地に住む農夫の妻の手助けで「ジョーダン教授」と名乗る地元の名士のところに行くが、実は教授が陰謀の黒幕で、ハネイは銃で撃たれるものの、農夫の妻が貸し与えたコートの胸ポケットに入っていた聖書に弾が当たったために助かる。この経緯を警察に訴えるハネイだったが、警察は話を信じてくれず、地元の裁判所の判事も教授と知り合いだという。ハネイは警察に見切りをつけ、殺された女性が遺した「39階段」という言葉だけを手がかりに、教授の陰謀に立ち向かうのだった。

おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(35歳)
脚本 …… チャールズ=ベネット(36歳)、アルマ=レヴィル(35歳)、イアン=ヘイ(?歳)
製作 …… マイケル=バルコン(39歳)、イヴォール=モンタギュー(?歳)
音楽 …… ルイス=レヴィ(40歳)、ジャック=ビーヴァー(35歳)、ハバート=バス(?歳)、チャールズ=ウィリアムズ(?歳)
撮影 …… バーナード=ノウルズ(35歳)
編集 …… デレク・ノーマン=トゥイスト(30歳)
製作・配給 …… ゴーモン・ブリティッシュ映画社

おもなキャスティング
リチャード=ハネイ    …… ロバート=ドーナット(30歳)
謎の女性アナベラ=スミス …… ルーシー=マンハイム(36歳)
パメラ          …… マデリーン=キャロル(29歳)
小作人ジョン       …… ジョン=ローリー(38歳)
小作人の若妻マーガレット …… ペギー=アシュクロフト(27歳)
ジョーダン教授      …… ゴッドフリー=タール(50歳)
ルイーザ=ジョーダン   …… ヘレン=ヘイ(61歳)
ワトソン判事       …… フランク=セリアー(51歳)
芸人ミスター・メモリー  …… ワイリー=ワトソン(46歳)


≪例によっての、視聴メモ≫
・まだTV もなかった時代の一般大衆の娯楽の場として、舞台上で芸人が生演奏をバックにさまざまな芸を披露するミュージック・ホールが登場する。物語の舞台となる1930年代のイギリスにおける入場料1シリングの価値は、現在の日本でいうとおよそ500円くらいなので、仕事帰りのおっちゃんでも子連れのお母さんでも気軽に楽しめたエンタメであったようである。会場で赤ちゃんのぐずる声をちゃんと入れるあたり、やはり今作も音響効果の芸がこまかい。
・10年前の競馬の結果やボクシングの試合結果、都市間の距離などといった既存の情報を、その場で急に客から聞かれても全く動じることなく答える記憶芸人ミスター・メモリー。主人公のハネイも含めた客席の反応を観るだに、確かに正解を答えているようなのだが、今の日本で言うと寄席で客からのなぞかけに即興で応じるねずっちさんみたいな演芸なのだろうか。それにしても、カナダから来たお客さんがいるというだけで客席から拍手が起こる雰囲気が非常におおらかでよろしい。さすがは、大英帝国。
・ミスター・メモリーにヤジを飛ばす酔客と、それを注意した警備員との間で乱闘騒ぎが起こり、にわかに大混乱に陥るミュージック・ホール。なんでもないくだりなのだが、殴り合いの殺陣が、互いの攻撃と反撃にためらいの間が無く当時のフィルムで映せないスピードになっているので、やけにリアルで生々しい。そこらへんは、さすが生粋のロンドンっ子のヒッチコック監督ですな。街中でガチンコをいっぱい見たんだろうなぁ。
・ホール内全体を巻き込む大乱闘になった上に銃声まで轟き、演芸どころじゃなくなって会場から逃げ出す観客たち。ミスター・メモリーは事態の収拾を図って、舞台下のバンドに演奏させるが、阿鼻叫喚の客席の映像に、いかにものんきな演芸出ばやしがのっかるアンバランスぶりが、ヒッチコック一流の皮肉が効いていて面白い。ブラックユーモア、冴えてますね!
・大混乱のどさくさにまぎれて、口ひげにトレンチコート(もちろん襟立て)のいでたちもダンディな主人公ハネイに、唐突に「家に泊めてちょうだい」と頼み込む謎の美女アナベラ。ふつうの男性ならば「すわ、つつもたせか!?」と警戒して逃げの一手なのだろうが、カナダから世界都市ロンドンにやってきて気ままなマンション暮らしを楽しんでいるハネイに、そんな保守的な選択肢はなかったのだ。いやいや、無警戒すぎるだろ……
・ハネイのマンションに来たアナベラは、「私がいいと言うまで部屋の電気をつけるな」とか「反射して見えるから部屋の鏡を裏返せ」とか真顔で言い出し、しまいにはハネイの部屋にかかってきた電話にも「たぶん私にかかってきてるから取るな!」とのたまう。これ、たいていの人は彼女が命の危険にさらされてるんだろうなとは解釈しないよね。「やばい、き〇がいだ……」でしょ。
・「朝から何も食べてないの」と言うアナベラのために、くわえ煙草でタラの調理を始めるハネイ。マッチの火でガスコンロに点火した時の「ボンッ」という音にも過敏におびえるアナベラなのだが、この自動点火装置の無いガスコンロという小道具も、今では意味の伝わりづらい物になってますよね。そのうち、「ジリリン、ジリリン」と鳴る電話も何だか分からなくなる時代になるのかなぁ。どうでもいいが、煙草の火でなくわざわざ別にマッチを使って点火するところに、ハネイの紳士っぷりを感じる。でも、21世紀ならくわえ煙草で料理の時点で問答無用の大炎上である。
・「ホールで銃を撃ったのは私よ」、「2人の男に命を狙われている」、「私はイギリスの防空圏に関わる国家的機密情報の漏洩を阻止するために金で雇われた無国籍エージェントなの」と、立て続けにものすごいことを言い放つアナベラだが、本当に彼女の言うとおりにハネイの部屋を外から監視している2人の男の姿と、深夜に背中を刺されて死んでしまうアナベラという衝撃の事実に直面して、ハネイは自分が取り返しのつかない陰謀に巻き込まれていることに気づく。この急転直下の展開のスピード感もとんでもないのだが、それに加えて「39階段」や「小指の先の無い男」、「アルナシェラという地名に印がつけられたスコットランドの地図」と、いかにも観客の興味をそそる謎のワードがポンポン設定されるテンポが実に小気味よい。RPG ゲーム的な、現代にも余裕で通用するジェットコースター感覚ですよね。
・ところで、アナベラを殺したとおぼしき2人の男が、何回もハネイの部屋に電話をかけるのは、どうしてなのだろうか。マンションの入口にハネイの表札は出ているし、ホールから部屋までハネイがアナベラに同行していることは丸わかりなのはずなのに……電話をしてハネイが在室していることを確認したい理由がさっぱりわからない。たぶんこれは、行動の整合性よりも「鳴り続ける電話」というアイテムの不気味さを優先するという、「理屈よりも感覚」なヒッチコック演出の好例なのではないだろうか。そんな迂遠なことしてないで、アナベラと一緒に寝ているハネイも殺っちゃえばよかったのにねぇ。
・ともあれ、男たちにビッタリ張られているマンションからひそかに脱出するために、早朝にマンションにエントランスに入ってきた牛乳配達夫のお兄ちゃんと上着を交換して、まんまと男たちを出し抜くことに成功するハネイ。今まで異常な言動ばっかりのアナベラに押されっぱなしだったハネイが、初めてサスペンス映画の主人公らしい機転の利いた行動に出る大事なシーンである。また、ハネイが言う「人殺しに監視されている」という本当のことを全く信じないのに、「浮気相手のダンナに監視されている」というウソは一も二もなく信じて脱出の加勢を買って出る牛乳配達のあんちゃんというキャラクターが非常にロンドンっ子らしく、脚本の非凡な腕も垣間見える面白い場面になっている。本作はほんと、演出のセンスとお話の面白さがどっちも冴えわたってる!
・ハネイの部屋でアナベラの遺体を発見して絶叫するマンションの掃除婦の表情に、ハネイが乗るスコットランド行き列車のけたたましい汽笛がオーバーラップする映像演出も、ブラックユーモアたっぷりである。非常にマンガ的なんだけど、最近こんな手塚治虫的な直喩テクニックを使うマンガって、見ないような気がする。センスがもろに出るから気恥ずかしいんですかね。ダジャレを「おやじギャグ」と言って忌避する現代価値観の功罪、かも!?
・列車で逃亡するハネイと同じ個室の乗客が買った夕刊の新聞記事に、自分のマンションで発生したアナベラ殺人事件の記事が出ていて、しかもその重要容疑者として自分自身が捜索されているという事実を知って愕然とするハネイ。いやがおうにもサスペンスが高まる展開だが、前作『暗殺者の家』では危機に陥る主人公サイドが夫婦だったのに対して、今作は完全に孤立無援な「異国の地でひとり」になっているのがキツすぎる。巻き込まれ型のいちばん難易度高いやつ~!! 言語がおんなじだからだいぶ助かってますけどね。
・ストーリー上、ハネイの向かいで新聞を読んでいる客がどういう職業かなんぞはどうでもいいことのはずなのだが、その客が真面目な顔をして女性ものの下着を手にしている下着メーカーのサラリーマンで、しかもそれを見て牧師の老人が顔をしかめるというくだりをけっこうたっぷり描写するヒッチコック監督。一見すると本筋から外れた意味の無いやり取りのような気がするのだが、これによって、周囲の人々はいつも通りにのんきで冗談交じりの生活を送っているのに、ハネイただ一人が無実の罪で警察に追われる緊急事態におちいっているという孤独感がさらに強調されている。非常にブラックと言うか、底意地が悪い!
・底意地が悪いと言えば、夕刊をエディンバラ駅の新聞売りから買う時に、ロンドンから乗って来ているサラリーマンが「きみ、英語わかる?」と聞くのも性格最悪である。なんでスコットランド人に必要のないケンカをふっかけんの!? ロンドンっ子、こわすぎ!
・ついに列車の車内にも刑事の捜索の手が及んできたことを知り、困った挙句、知らない女性の一人客パメラの唇をいきなり奪って親しいカップル客を装おうとするハネイ。これによって、実はハネイもアナベラ以上に異常な人物であったことが判明する。こんなの女性からしたら恐怖でしかないと思うのだが……公開当時、女性の観客はこれを見て「ハネイがカッコいいからいいわ~♡」なんて許してくれたのだろうか。ヒッチコック監督って、わりと平気でこういうヤバいロマンスはき違え展開を入れてくるから油断がならない。奥さんのアルマさん、なんか言わなかったの!?
・当然の如く、パメラに秒で「おまわりさんこいつです。」とバラされて刑事に追いかけられるハネイ。優雅なティールームやシェパードがギャンギャンほえる動物輸送室などを駆け抜け派手な追跡劇が展開されるのだが、殺人逃亡犯を発見したと息巻いた刑事たちが列車を緊急停止させたのがたまたま橋の上だったため、「危ねぇだろ! こんなとこで停めんじゃねぇ!!」と車掌がブチギレて列車はすぐに再発進し、すんでのところで橋に下りて隠れたハネイは逃亡に成功する。息つく間もないハラハラドキドキの展開なのだが、警察を頭ごなしに怒鳴り散らす車掌さんのプロ意識がおもしろすぎる。ここらへん、国家権力になにかと弱い日本人の感覚とは違うなぁ。
・アナベラが遺した地図をたよりに、荒涼としたスコットランドの田舎にたどり着くハネイ。




≪完成マダヨ≫
コメント
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ピーター=ローレはやっぱりすげぇなぁ ~映画『暗殺者の家』~

2024年01月23日 20時36分39秒 | ミステリーまわり
 みなさま、どうもこんばんは! そうだいでございます~。
 雪、ぼちぼち降ってきてますね。それでも例年に比べれば、今シーズンの山形の冬はスタートがだいぶ遅い感じなので、これでブーブー文句を言ってたらご先祖様に怒られてしまいます。だいたい、今のところは雪かきをしなければならない程も降っていないので我慢しなければならないのは寒さだけなんだもんね。ありがたいことではあるのですが、逆にこの程度でいいのかと不安になってしまいますな。

 さて、いろいろとよからぬニュースの連続で始まった今年2024年ではあるのですが、私の住んでいる山形が変わらずおだやかであることに感謝しつつ、今回もいつものよ~に、サスペンスの巨匠ヒッチコック監督の足跡をたどる旅を更新していきたいと思います。
 さぁさぁ、いよいよ面白くなってきましたよ!


映画『暗殺者の家』(1934年12月 75分 イギリス)
 『暗殺者の家( The Man Who Knew Too Much)』は、イギリスのスリラー映画。監督はアルフレッド=ヒッチコック。悪役にピーター=ローレを迎え、ゴーモン・ブリティッシュで製作した。イギリス時代のヒッチコック作品の中でも成功した作品の一つ。
 1956年のヒッチコックの監督した映画『知りすぎていた男』(主演ジェイムズ=スチュアート、ドリス=デイ)はこの映画と同じ原題だが、あらすじと作風は変更されている。フランスの映画監督フランソワ=トリュフォーとの対談の中でトリュフォーが『知りすぎていた男』の方が優れて見えると言った時、ヒッチコックは「最初のは才能のあるアマチュアの作品で、二番目のはプロが作ったと言い給え。」と答えている。
 本作の製作当時、ピーター=ローレはナチスの台頭したドイツから亡命して来たばかりで英語を話すことができなかったが、英語の台詞を音読で覚えた。
 本作のラストでの銃撃戦のシーンは、1911年1月3日にヒッチコックの故郷であるロンドンのイーストエンドで起きた「シドニー・ストリートの包囲戦」事件をモデルにしているが、後年のリメイク作『知りすぎていた男』では、この銃撃戦シーンはカットされている。
 ヒッチコックはロイヤル・アルバート・ホールのシーンの楽曲のためにオーストラリア人作曲家のアーサー=ベンジャミンを起用した。この曲『 Storm Clouds Cantata』は、『知りすぎていた男』でも使用されている。
 ヒッチコック監督のカメオ出演は本編開始後33分のシーン。ボブとクライヴが礼拝堂に入る前、黒いトレンチコート姿で前を横切る男の役で出演している。

あらすじ
 冬季スポーツのクレー射撃競技に参加するために、一人娘のベティと一緒にスイスのサンモリッツに滞在したボブとジルのローレンス夫妻。彼らはスキー選手のルイという男と親しくなり夜の舞踏会に参加するが、そこでルイが何者かに銃で射たれてしまった。ルイはボブに、イギリス領事に届けてほしい物があると言い残して息絶える。ボブがルイの部屋を探すと、国際的暗殺組織の陰謀について書かれたメモを発見した。しかし敵は娘ベティを誘拐し、この件を誰にも話すなと脅迫する。
 イギリスに戻ったローレンス夫妻は、娘を取り戻すため奔走する。

おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(35歳)
製作 …… マイケル=バルコン(38歳)
音楽 …… アーサー=ベンジャミン(41歳)
配給 …… ゴーモン・ブリティッシュ映画社

おもなキャスティング
ボブ=ローレンス  …… レスリー=バンクス(44歳)
ジル=ローレンス  …… エドナ=ベスト(34歳)
アボット      …… ピーター=ローレ(30歳)
ベティ=ローレンス …… ノヴァ=ピルビーム(15歳)
ルイ=ベルナール  …… ピエール=フレネー(37歳)


 なんか、もうね。今回の作品で作品のクオリティのフェイズが明らかに一段あがったっていう感じですよね。この作品はなかなかいいですよ。物語を面白くしようとする創意工夫がてんこ森夜!

 本作は、ヒッチコック監督の監督作品としては第17作にあたります。デビュー当初、ヒッチコック監督がサスペンス・スリラーもの一辺倒でなかったことは、サスペンス第1作となる『下宿人』(キャリアとしては監督第3作)についての記事から何度も確認していることなのですが、そこから他ジャンルのコメディ、文芸作品などを差しはさみつつ、『恐喝(ゆすり)』(監督第10作)、『殺人!』(監督第12作)と、とびとびでサスペンス作が制作されてきました。
 それで今回の第17作となるわけですが、『殺人!』との間にある4本の非サスペンス作のうち、ちょっと無視できないのは第15作にあたる『第十七番』(1932年)だと思います。

 『第十七番』は、国際的に暗躍する宝石強盗団とそれを追うスコットランドヤードの名刑事、そしてそれらの対決に巻き込まれてしまったある家族もとりまぜての乱闘劇を描く犯罪アクションコメディなのですが、はっきり申すと物語の2/3か3/4は緊張感のないダルダル~っとした室内劇が続く失敗作だと思いました。殴り合いになってもピストルが出てきても、誰が何のために誰と対立しているのかがさっぱり頭に入ってこない時間が延々と続くんですよね! ほんと、舞台演劇をカメラで撮ってそのまんま流してるていなんです。殺人のような重大犯罪が絡んでいるという緊迫感がまるで無く、それ、覚えた言葉をやり取りしてるだけですよね?というなぁなぁ感ばかりが目立って、演劇やサイレント映画で身についたっぽい、俳優さんがたのオーバーな演技とマンガみたいなメイクも鼻につきまくるという。
 でも、そこらへんの大失敗はどうでもよくて、『第十七番』で重要なのは、クライマックスの「列車追跡シーン」の特撮的な大迫力。ここがすごいんだ!
 家の中での冗長なやり取りが終わり、強盗団はヨーロッパ大陸行きの客船が待つ港へ向かう列車に乗り込むのですが、それを追う刑事たちとの車内での壮絶な銃撃戦の末に、列車は運転制御のきかない暴走状態になってしまい、列車はそのまんまフルスピードで港に突入し、客船に突っ込んでどちらも大破炎上する空前の大事故になってしまうのです。
 この港の大事故、ここを、ここだけを、ヒッチコック監督はしっかり迫力たっぷりに映像化しているんですね! 役者の乗っている実物大の列車セットとミニチュアワークとの連結を、その細やかなのに大胆なカット割りでかなり自然に成功させていて、爆発炎上する列車と客船のミニチュアっぽい粗も、火薬の着火タイミングや音響効果で最小限に目立たなくさせているのです。
 すごい! ヒッチコック監督の特撮センスはかなりのものですよ! このイギリスの若き天才が、海を渡って極東の麒麟児・円谷英二とタッグを組んでおれば、一体どんな世紀の大傑作が……と妄想もしてしまうのですが、時代の制約もありますし、それはなかっただろうなぁ。ヒッチコック監督はチャキチャキ頑固なロンドンっ子だし、怪獣とかには興味一切ないだろうし、だいたい、日本に金髪白人美女はいなかったしなぁ。

 それはともかく、この『第十七番』と撮影が前後して制作されたという『リッチ・アンド・ストレンジ』(1931年)でも、後半にタイタニック号ばりに洋上で主人公たちの乗る豪華客船が沈没するというスペクタクルもありますし、ヒッチコック監督が本質的に「物語」よりも「映像」の創出にモチベーションを求める才能の人だったことは間違いないと思います。問題は、その完璧なイマジネーションの具現化につなげる「お膳立て」がちゃんとできるかどうか、なんですよね。映画は30秒くらいで終わるもんじゃないからねぇ。

 すみません! お話の前がやたら長くなってしまいましたが、今回の記事は、その後の『暗殺者の家』についてですね!

 結論から申しますと、この『暗殺者の家』は、それまでの約10年、監督作17本のヒッチコック監督のキャリアの中でも最高の完成度を誇る傑作だと思います。まぁそれでも、これ以降の綺羅星のごとき大傑作の数々から見ればそんなに目立つ感じでもないのが、むしろヒッチコック監督の来たるべき黄金時代のものすごさを如実に証明するものになっているのですが、とにかく、21世紀の今の目で見ても十二分に楽しめる作品になっているかどうかという観点で言うと、『暗殺者の家』は初めてその責に耐えうる出来になっていると思うのです。まさしく一皮むけた!って感じですね。

 先ほどから言っている通り、ヒッチコック監督のすごいところは映像センスの冴えにあるのですが、スピーディなのに意図がしっかり伝わるし、ベタともいえるわかりやすさなのに今までの映画にはなかった新鮮な切り口があるという個性は非常にインパクト大で、特に本作はどこを切り取って観てみても、ヒッチコック監督作品であることが数秒でわかるという、「思いついたアイデア全部出し」のような、あっという間の75分間になっていると感じました。
 具体的に、どこかどう鮮烈なのかという点については、いつものように観ていて気づいたポイントを本記事の最後にまとめておきましたので例示ははしょりますが、最初から最後まで観客が退屈しないように考え抜かれた工夫が間断なく続くといった感じなんですね。

 これまでのサスペンスもの3作には、どこかしら、特に中盤に必ずダレ場というか、緊張の糸が途切れてしまう時間が出来していたのですが、本作では「主人公夫妻の愛娘が誘拐されている」という非常事態がクライマックスまで続くので、全編ジェットコースター……とまではいかないにしても、ローラーコースター的なノンストップな緊張感を持続させることに成功しています。
 この緊張感に最も大きく貢献しているのは、やはりなんと言っても本作における悪のラスボス的ポジションにいる、国際的暗殺組織の首領アボットを演じる、ドイツ渡来の大怪優ピーター=ローレでしょう。
 ローレと言えば、やっぱり最も有名なのはドイツ本国の巨匠フリッツ=ラング監督によるサスペンス映画の歴史的名作『M』(1931年)での連続幼女殺人鬼の役でしょうか。この映画もものすごい問題作であるわけなのですが、金銭や自己満足のために犯罪を続ける悪人というよりは、自分でも抑えきれない欲望という名の業病に支配されている弱々しい人間という部分をみごとにさらけ出していたローレの演技は、21世紀の今でもなお解決しえない「罪とは何か、罰とは何か」という問題を観る者に考えさせる生々しさを永久に保つものとなっています。にしても、この映画のオーラスの超唐突な締め方はまさに「キング・オブ・力技」って感じで最高ですけどね。それを言っちゃあおしめぇよ!

 そんなローレなのですが、本国ドイツの政情不安によりやむを得ずイギリスに居を移した直後に本作に参加したという事情を逆手にとって、そのために隠しようもなかった英語の拙さを国際的犯罪組織の首領アボットとしての個性に変換しているのは見事だと思います。転んでもただでは起きませんな!
 そして、基本的にうす笑いを浮かべて余裕たっぷりな物腰に終始し、誘拐した少女にも、それを奪還するために立ち向かって来た主人公たちにも極力手荒なことはしないという紳士然としたアボットの態度が、逆にその裏にある「ま、あとで全員殺すけどね、フフ……」という狂気をありありと感じさせるという、ローレならではの「奥行き」を感じさせる演技の懐の深さをいかんなく発揮しているのです。
 ローレはやっぱり、他の同時代の俳優さんがたとは次元が違うんですよね。他の俳優さんって、多かれ少なかれ各自のキャリアの基本にある舞台演劇やサイレント映画の表現法に引きずられて「見てすぐにわかる大きめ演技」を旨とする特徴があると思うのですが、ローレは笑顔の中でもちょっとだけ真顔に戻る瞬間とか、暗殺計画の失敗を予感して寂しそうに目を伏せる素振りといった細かくて小さい演技に魅力があるような気がするのです。
 余談ですが、現在日本で活躍している俳優さんで言うと、染谷将太さんがローレに似てるような気がするんですよね。いや、ただ目がぎょろっとしてるとこが似てるだけでしょと言われればそうなのですが、繊細な部分を隠せないという演技が素晴らしいんですよね。『麒麟がくる』での「孤独な王者」としての信長像は最高だったじゃないですか。あれも、陽気な中にたま~に翳りが見えるバランス感覚がいいんですよね。『利家とまつ』の、「作画・赤塚不二夫」みたいな反町信長も、いいんですけどね!

 いろいろ言いましたが、本作『暗殺者の家』は、スイスのサンモリッツでの国際ウィンタースポーツ会場に始まり、優雅なナイトパーティでの殺人からイギリスの帝都ロンドンでの謎の組織のアジト探索、豪華なオーケストラホールでの要人暗殺の危機から夜の市街地での壮絶な銃撃戦に至るまで、観る者を飽きさせない創意工夫に満ちた傑作になっていると思います。そして、そこに「名悪役ローレ」の厚みのある個性が加わったことで、愛する娘を誘拐された夫妻の必死の奮闘をさらに際立たせる物語の構成も「お見事!」の一言に尽きるのではないでしょうか。

 ただ、それでもあえて苦言を呈させていただくのならば、そんな完璧すぎる悪役ローレを立てるためとはいえ、秘密組織の暗殺計画がうまくいかなかった原因が、何から何まで狙撃実行犯たるレイモというポマードべったべた男の中途半端な仕事ぶりのせいになっているという点が、ヨーロッパを股にかける犯罪組織として情けないにも程がある気がします。絶対に失敗していはいけない大詰めの要人暗殺にとりかかる前に調子に乗って主人公の夫人にわざと顔を見せるのも、自分から失敗させようとしているとしか思えない最悪なスタンドプレーですが、そもそも最初に「知りすぎていた男」ことスパイのルイを狙撃した時も、ルイに遺言をしゃべらせる余裕も持たせないほど致命的な部位を撃てなかったことから一連のトラブルが始まっているわけなので、計画失敗に関する彼の罪はかなり重いですね。

 あと、スイスの名勝からロンドンでの攻防戦へという流れこそヒッチコック的エンタメではあるのですが、スイスのシーンはスクリーンプロセスに頼り切ったスタジオ内での撮影だったり、肝心の「暗殺者の家」こと太陽崇拝教会の入った建物での銃撃戦も夜だったりと、画面の華やかさで言えば制約の多いものになっていると思います。これは予算の問題なのでしょうか……でも、そういった遺恨が残ったために、のちのちヒッチコック監督が本作をリベンジとばかりにセルフリメイクしたのも、理の当然というものだったのでしょう。
 そういえば、この映画の邦題「暗殺者の家」って、ビミョ~にずれているような気もします。暗殺者というよりは暗殺組織だし、家というよりはアジトだしねぇ。ま、原題の「知りすぎていた男」っていうのも、物語の序盤で早々に退場しちゃうルイのことでしょうから、こっちもこっちでピンとこないものがあるけど。

 ともかく、若き日のヒッチコック監督はこの作品で、確実に次なる段階へレベルアップしたような気がします。実際に、本作からヒッチコック監督は作風をサスペンス・スリラーに絞っていくこととなるわけで、ここにきてやっと「いける!」という手ごたえをつかんだのではないでしょうか。
 イギリス時代、モノクロ映画時代はまだまだ続きますが、ヒッチコック監督の新時代への脱皮は完了いたしました。さぁ、お次はどんな作品が生まれるのでありましょうか? 才気あふれる今後に期待ですね!

 リメイクされた『知りすぎていた男』は、監督第43作(1956年公開)ですか……レビューへの道のりは遠いなぁ~オイ!!


≪まいど~おなじみの~、視聴メモでございやすっと≫
・開幕からスイスのサンモリッツでの国際スキー大会会場を舞台にし、目新しいロケーションで観客を惹きつけるジャブパンチが鮮やかである。モノクロ映画は白銀の世界によく似合う!
・本編が始まってほんの数秒で、スキー選手のルイが試合中に少女ベティを轢きかけてクラッシュするというアクシデントが描かれるのだが、スクリーンプロセスなどの既存の特撮技術以上に、とにかく「驚き進路を変えるルイ」「おびえて倒れ込むベティ」「騒然とする観客たち」といった多角的な視点のモンタージュが非常にスピーディで絶大な効果を生んでいる。さすが、のちに『サイコ』のシャワーシーンを生むヒッチコック監督! その映像的センスの冴えは、この時点ですでに開花していたのだ。21世紀の今でも全然フレッシュ!
・スキー大会の観客の一人として、早速主人公たち一家に接触する外国人客のアボット。終始ニコニコしている紳士的な彼だが、ルイと目が合った一瞬だけ真顔になるギャップが妙に印象的である。ここらへんの無言の表情の演技は、やっぱ世界的怪優ピーター=ローレの独擅場ですな!
・当時はごくごくふつうの仕草だったのだから仕方がないとはいえ、スポーツ大会の会場の道端で、ボブやアボット、そして他ならぬ出場選手のルイがスッパスッパ歩きタバコを始めるのも、ちょうど自分の顔の高さあたりからバンバンかかってくる副流煙を全く気にせずベティが笑顔で会話を続けるのも、21世紀の現代日本ではなかなか見られない光景である。これぞ、隔世の感。
・クレー射撃選手として出場している母ジルのライバルであるレイモの話題になり、ベティが「あのてっかてかの髪の毛がキライ。」とこぼした次の瞬間に、画面いっぱいにレイモの整髪料でベタベタになった後頭部が映しだされてシーンが切り換わるというカット割りがおもしろい。もう、このつなぎ演出だけでヒッチコック監督の映画であることが丸わかりである。
・本作のヒロインであるジルが、子持ちの人妻で国際大会に出場するクレー射撃の選手という、現代から見てもかなり異質なほどに行動的なキャラクター造形になっているのが実に新鮮で面白い。この特技がクライマックスの展開で利いてくるのも、抜け目が無くてうまい!
・ジルは立場や特技だけでなく、ボブがジョークのわかる夫であることをわかっていたとしても、ルイを「彼氏」に見立てて冗談を飛ばすようなかなり豪胆な性格であるところが、ますます先鋭的である。でも、そんなことを公衆の面前で口走るような母親、娘さんが好きになるとはとても思えないんですが……勢い余って、そんな妻にへらへら笑って合わせるだけの父親も憎悪の対象になっちゃうよね。
・性格相応に冗談のきついジルに負けず劣らず、そんな妻にも全く動じず受け流すどころか、夜のダンスパーティで「セーターのいたずら」を仕掛けるなど、相応に奇矯なキャラクターになっているボブもなかなかに個性的である。でも、度量が広くて冗談好きというよりは単に子どもっぽいという方が当たっているような。ベティは喜ぶかもしれないけど、大人社会から見ればけっこうな変人だと思う。
・陽気なバンド演奏が流れる中で、突如として外から狙撃され凶弾に斃れるルイ。この、他愛もないセーターのいたずらからシームレスで入る本題の殺人描写の温度差がものすごい。一瞬先に何が起こるかわからないハラハラドキドキ感が、本作の魅力の源泉ではないだろうか。
・ルイの遺言→部屋のキー→洗面台のひげ剃りブラシの仕掛け→謎のメモという、重要アイテムのめまぐるしいリレーが、ファミコンのミステリーゲームなみの単純さではあるものの小気味いい。ここらへんのテンポの良さは、やはりサイレント映画仕込みの手際の良さではないだろうか。
・親友ルイの殺害に加えて、謎の犯人からのベティ誘拐の脅迫文書を夫ボブから受け取り、たまらず失神するジル。「失神するヒロイン」という展開はある意味で定番なのだが、そこでも「周辺の風景がグルグルまわる」めまいの主観カットを一瞬サブリミナル的に挿入するところがヒッチコックらしい。『めまい』(1958年)をレビューできるのは、一体いつかナ~!?
・シルクハット、夜会服に馬車というめちゃくちゃロマンチックな格好のレイモに誘拐されおびえるベティの胸で、いかにも意味ありげに笑顔を浮かべる、母ジルからもらった「スキー坊や(仮称)」のブローチが、キモかわいくて妙に印象に残る。いい味出してるアイテム。
・ロンドンのローレンス家で、ベティの遊んでいたおもちゃとして登場する電気仕掛けの電車レールセット。女の子の趣味にしてはちと違和感が残るのだが……ヒッチコック監督、ほんとに鉄道が好きねぇ!
・ベティの誘拐を、最悪の事態を恐れて他言無用にしているボブとジルだが、フィクション作品にしては実に有能なスコットランド・ヤードも、ルイをひそかにスパイとして雇っていたイギリス外務省も誘拐の事実を完全に把握している。ここらへんの、あくまで非力な主人公夫妻の孤立無縁さの強調も、作品に必要な緊張感を巧みに持続させている。
・ジルと外務省の男ギブスンとの、「娘一人の命を取るか、国際戦争突入への道を取るか」という究極の選択についての議論が非常に興味深い。個人の幸せか社会の利益か……永久に解けない問題ですね。
・国際的暗殺組織の重要拠点が、街中のしがない歯科医院という意外性がおもしろいが、確かに「歯医者とサスペンス」は相性がいいな、と『ウルトラマンA 』の第48話『ベロクロンの復讐』がめっぽう大好きな私はしみじみ再認識してしまう。市川森一先生、さてはここからアイデアを拾ったかな? それにしても、歯医者の看板キモすぎ!
・いくらなんでも体格も声色も違うから、アボットとレイモだってすぐにボブの変装だとわかるのでは……と思うのだが、ボブが歯科治療用の強力な照明ライトをわざと2人に向けて目くらましにしている、というフォロー描写をちゃんと差しはさんでいる演出の妙が光る。うまい!
・陰気な歯医者に続いて、謎の組織につながる場所としてボブの捜査線上にのぼってくるのが新興宗教「太陽崇拝教」の礼拝教会という展開も面白いのだが、ボブと相棒のクライヴが、敵に気取られないように讃美歌のリズムに合わせて唄いながら会話をするという機転の利かせ方も笑ってしまう。ちょっと監督、アイデア盛り込みすぎじゃないの!?
・教会でついにボブと正面きって対峙する、暗殺組織の首魁アボット。演じるローレの余裕しゃくしゃくの紳士っぷりと、ボブに対する絶え間ない笑顔とは裏腹に、手下のおばあちゃんをあごで使ったり「使えねぇな……」とばかりに一瞬だけ無表情になる冷徹さとの切り換えの巧みさが、もうホントに魅力的。ドイツなまりで拙い英語もテクのうちよ!
・若干おふざけが過ぎる感もあるものの、神聖なはずの教会で思いきり椅子の投げ合いをする大のおとな達、乱闘の音を紛らわすために無理やりオルガンを演奏するおばあちゃん、そんな状況の中でも催眠術でグースカ眠り続けるクライヴという配置がおもしろすぎるアクションシーンが、サービス精神満点ですばらしい。ほんと、この作品は退屈しない。
・奮闘むなしく組織に捕らわれてしまうボブだが、ボブの伝言を伝えようとするクライヴと、再度脅迫のメッセージを伝えようとする組織とで、ローレンス家への電話口の取り合い競争になる展開が、これまた細かいカット割りでテンポよく描写されていて感心してしまう。この手法、確か石坂浩二金田一シリーズの『病院坂の首縊りの家』(1979年)で市川崑監督もオマージュ的に借用しているのだが、単純なだけヒッチコック監督の方が効果を上げているような気がする。『病院坂』はややこしい。
・不平不満をもらす組織の手下のおばあちゃんをアジトから出させないために、組織が彼女に与える「制裁」が当時としてはもっともらしいのだが、これももしかしたら現代の観客からすればピンとこないかも知れない。ひざ下くらい別にどうでも……みたいな感じですよね。
・ボブが組織に捕らわれてしまったので、その代わりに妻のジルが立ち上がるという物語の流れがとっても自然でよくできている。ヒロインがヒーローになるアツい展開だ!
・ロイヤル・アルバート・ホールで開催される国際コンサートの演奏中、合唱付きオーケストラ曲のクライマックスでのシンバルにまぎれて標的を銃撃するという暗殺計画が、まさに音声のあるトーキー映画ならではのアイデアという感じで盛り上がる。いいですねぇ!
・ホール中の紳士淑女の観客たちが神妙に演奏に聴き入る中、ジルだけが不安そうに客席内を見回して暗殺者を探し続けるという心理状態の対比が、いかにも緊張感たっぷりで手に汗握ってしまう。ホントうまくできとるわぁ。
・ジルと暗殺者レイモのいるホールだけでなく、演奏をラジオ中継で聴いているという形で、アジトのボブとアボットたちも事件の状況に固唾を呑んでいるという緊張感の連鎖が地味にうまい。場所的には離れていても、登場人物全員がひとつのことに集中しているんですよね。
・ラジオ中継のアナウンスで暗殺の失敗を知り愕然とする組織の面々。でもこれって、その必要は1ミクロンもないのにこれ見よがしにジルの前に姿を見せたレイモの余計なスタンドプレーが100% 原因である。「冥途の土産に教えてやろう」と同じく、余裕をぶっこいたがゆえの大チョンボ。しかもまんまと尾行されたままアジトに帰って来るし……こんな超絶ダメ部下を持っていながらも、すんでのところで激昂を抑えられるアボットはんは、大したお人やでぇ。
・ここまでほんとに綿密に練られたプロットと伏線の連続だったわけだが、肝心かなめのジルによる暗殺の妨害の内容が、「たまたま絶妙なタイミングで絶叫した」なのが、非常に惜しい。ここで偶然を持ち出してくるかね……ヒッチコック監督もそうとう遺恨を持ったはずである。
・暗殺計画の失敗に続き、本作のラスト12~3分はアジトでの組織と警察隊との銃撃戦となるのだが、BGMなどで盛り上げずにリアルに乾いた銃の音と市民の叫び声、そしてシャープなカット割りのみで、夜の壮絶な殺し合いを淡々と描写していく演出がすさまじい。そして最後の最後に、ヒロイン=ヒーローの面目躍如! ちょっとハッピーエンドには見えない疲労感に満ちた主人公たちの表情で物語は終わるのだが、非常に簡潔できれいな幕切れである。
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山形と最上義光の歴史2(1583~1631年)

2024年01月14日 15時02分43秒 | 日本史みたいな
≪前半は、こちら!

『最上義光』                       2016年3月   伊藤 清郎   吉川弘文館人物叢書
『図説 日本の城郭シリーズ 第14巻 最上義光の城郭と合戦』2019年8月   保角 里志   戎光祥出版
『山形の城を歩く』                    2020年7月   保角 里志   書肆犀


天正十一(1583)年
三月
 大浦城主・大宝寺義氏、家老・前森蔵人(40歳 のちの東禅寺筑前守義長)の謀反により自害する(33歳)。
 大宝寺義氏の弟・義興(30歳)、大宝寺家第十八代当主となる。
八月
 東海大名・徳川家康(41歳)、次女・督姫(19歳)を関東大名・北条氏直(22歳)に嫁がせ同盟関係を結ぶ。
十一月
 羽柴秀吉(47歳)、徳川家康を通じて北条氏直に惣無事令を通告する。

天正十二(1584)年
四月
 山形出羽守義光(39歳)、「最上下郷八楯」の鮭延典膳秀綱(22歳)の居城・鮭延城(現・真室川町)を包囲するが攻め落とせず。
五月
 山形義光、伊達家との同盟関係を深め天童家の孤立化に成功する。
六月
 山形義光、谷地城主・白鳥十郎長久(?歳 義光の義兄にあたる)を山形城に招き暗殺する。
 山形義光、白鳥家の谷地城(現・河北町)を落城させる。
 山形義光、寒河江城主・寒河江高基(?歳)を自刃させ寒河江地方を制圧する。
 山形義光、弟・長瀞義保(?歳)を寒河江城主におき大宝寺家との国境の白岩城(現・寒河江市)を改修させる。
十月
 山形義光、天童城を攻略し天童頼澄(別名・頼久 17歳)を陸奥国に追放する。
 山形義光、天童城を破却し跡地に山形宝幢寺別当・愛宕神社を勧請する。天童城近隣の山に貫津新城を建造する。
 「最上下郷八楯」の長瀞家と尾花沢家、天童城の落城を受け自落する(最上下郷八楯の実質的崩壊)。
 山形義光、嫡男・小僧丸(12歳 のちの最上義康)を高擶城主におく。
 山形義光、天童頼澄の義父にあたる小国城主・細川直元(?歳)を攻めて陸奥国に追放する。
 山形義光の家臣・蔵増日向守(?歳)、小国城番となる。
 山形義光、新庄城主・日野左京亮を服属させる。
 山形義光、左沢地方の楯山城(現・大江町)を領有し家臣・長尾右衛門(?歳)を城番とする。
 山形義光、最上地方統一を機にこの頃から姓名を「最上」と改める。
 陸奥国大名・伊達輝宗(41歳)、家督を嫡男・伊達政宗(18歳)に譲り隠居する。
十一月
 最上地方の鮭延城主・鮭延典膳秀綱(22歳)、最上義光の侵攻を撃退する。
 羽柴秀吉(48歳)、小牧長久手合戦を経て徳川家康(42歳)と講和する。
十二月
 庄内地方の大名・大宝寺家の家老・東禅寺筑前守義長(41歳)、山形義光に秘密裏に接近する。

天正十三(1585)年
二月
 天童家遺臣の瀧口某・浅岡某が川原子(現・天童市)で蜂起するが鎮圧される。
四月
 庄内地方の大名・大宝寺家の家老・東禅寺筑前守義長(42歳)、鮭延城包囲のために築いた内町陣城に在陣する山形義光(40歳)に大宝寺義氏の遺刀を贈り同盟関係を結ぶ。
五月
 鮭延典膳秀綱(23歳)、山形義光に降伏する。
六月
 大浦城主・大宝寺義興(32歳)、最上方の清水城を攻撃するが撃退される。
 芦名・最上・相馬・二階堂・佐竹・大崎家ら東北地方の諸大名、連合して伊達家に対抗する伊達家包囲網を展開する。
七月
 東禅寺義長、大宝寺義興と対立し戦闘する。
 陸奥国大名・伊達輝宗(42歳)、重臣・遠藤基信(54歳)を使者として摂津国大坂城の羽柴秀吉(49歳)に馬を贈る。
 羽柴秀吉、関白に叙任される。
九月
 関白・羽柴秀吉、朝廷より「豊臣」姓を賜る。
十月
 関白・豊臣秀吉、九州大名・島津義久(53歳)に停戦令をくだす。

天正十四(1586)年
正月
 最上出羽守義光(41歳)、庄内地方の大浦城主・大宝寺義興(33歳)と戦闘する東禅寺城主・東禅寺筑前守義長(43歳)に援軍を送る。
五月
 最上出羽守義光、仙北地方の大名・小野寺家と出羽国有屋峠で合戦する。
六月
 北陸大名・上杉景勝(31歳)、摂津国大坂城で関白・豊臣秀吉(50歳)に拝謁し服属する。
七月
 伊達家、相馬家の仲裁により芦名・佐竹家と和睦する(奥口総和)。
十月
 東海大名・徳川家康(44歳)、摂津国大坂城で関白・豊臣秀吉に拝謁し服属する。
十一月
 最上義光、伊達政宗(20歳)の仲介により大宝寺義興と和睦する。
 最上義光、大宝寺義興に呼応して挙兵した出羽国白岩城主・白岩八郎四郎広教(?歳)を滅ぼす。
十二月
 大浦城主・大宝寺義興、東禅寺城主・東禅寺筑前守義長と和睦する。
 関白・豊臣秀吉、関東・東北地方に惣無事令をくだす。
 豊臣秀吉、太政大臣に叙任される。

天正十五(1587)年
正月
 関東大名・北条氏直(26歳)、相模国小田原城の大改修を始める。
二月
 陸奥国大名・伊達政宗(21歳)、館山城(現・米沢市)の建造を開始する(館山城は天正十九年の伊達家岩手沢移封により未完)。
五月
 大浦城主・大宝寺義興(34歳)、最上義光(42歳)の支援を受け実権を掌握する家老・東禅寺筑前守義長(44歳)と再び戦闘状態に入る。
 関白・豊臣秀吉(51歳)、九州大名・島津義久(55歳)を降伏させ九州地方を平定する。
六月
 関白・豊臣秀吉、バテレン追放令を発令する。
八月
 出羽国庄内地方の観音寺城主・来次出雲守氏秀(?歳)、最上家と戦闘する。
九月
 出羽国仙北地方(現・秋田県横手地方)の大名・小野寺家、六郷家、金沢家との間に戦闘が起こる(仙北干戈)。
 伊達政宗の仲介により大宝寺義興と東禅寺義長、和睦する。
十月
 大宝寺義興、東禅寺義長に降伏し最上領の谷地城に送られ自害する(34歳)。最上家家臣・中山玄蕃頭朝正(?歳)、大浦城番となる。
 仙北地方の小野寺家、六郷家、金沢家、最上義光の仲介により和睦する。
 伊達政宗、出羽国鮎貝城主・鮎貝盛次(33歳)と宗信(?歳)父子の対立に乗じて侵攻し鮎貝城(現・白鷹町)を攻略する。鮎貝宗信、最上領に亡命する。
 越後国本庄城主・本庄繁長(48歳)、新発田重家(41歳)を討ち新発田城(現・新潟県新発田市)を攻略する。

天正十六(1588)年
二月
 伊達政宗(22歳)、大崎地方の大名・大崎義隆(40歳)の中新田城を攻撃するが大敗する。
 最上出羽守義光(43歳)、庄内・最上地方の家臣に対して秋田・仙北地方からの侵攻に備えるように指令する。
三月
 伊達政宗、出羽国中山城(現・南陽市、別名・岩部山城)を改修し、最上義光と対立する。
 最上義光、伊達政宗の中山城改修に対抗し虚空蔵山に高楯城(現・上山市)を建造する。
 関東大名・徳川家康(46歳)、最上義光に伊達政宗との和平を勧告する。
四月
 伊達政宗、最上領との国境に位置する出羽国鮎貝城(現・白鷹町)を改修する。
 伊達軍と最上軍、狸森(現・上山市)などで戦闘を繰り返す。
 最上義光、伊達領の陸奥国秋保(現・秋保町)に侵攻するが撃退される。
 本庄繁長(49歳)、次男・大宝寺義勝(15歳)と共に出羽国に侵攻し最上軍との戦闘を開始する。
閏五月
 関白・豊臣秀吉(52歳)の使者・金山宗洗(?歳)、山形城に到着し最上領内を視察する。
六月
 最上義光と伊達政宗、義光の妹で政宗生母の保春院義姫(41歳)の仲介により和睦する。
 伊達政宗、陸奥国郡山に侵攻し芦名・佐竹連合軍と戦闘する。
七月
 伊達政宗、相馬・白河家の仲裁により芦名・佐竹家と和睦する。
八月
 関東大名・北条氏直(27歳)の叔父・氏規(44歳)、上洛し京・聚楽第で関白・豊臣秀吉に拝謁し講和する。
九月
 関白・豊臣秀吉の使者・金山宗洗、米沢城に到着し伊達領内を視察して京へ帰る。
十月
 本庄繁長と次男・大宝寺義勝、十五里ヶ原合戦で東禅寺筑前守義長(45歳)を討つ。
 本庄繁長、最上家家臣・中山玄蕃朝正の大浦城を落城させ庄内地方を制圧する。
 最上義光、本庄繁長と大宝寺義勝の軍事行動を惣無事令違反であると豊臣秀吉に訴えるが、上杉景勝(33歳)の差配により事実上黙殺される。
 最上義光、出羽国仙北地方からの小野寺家の侵攻に備えて神室山麓に支城(片平城、落城、小倉城など)を構築する。

天正十七(1589)年
正月
 関白・豊臣秀吉(53歳)、使者・金山宗洗(?歳)を出羽国米沢城に遣わし伊達政宗(23歳)の上洛を要請する。
五月
 最上領の名川城(現・鶴岡市)、上杉軍の攻撃を受け落城する。
六月
 伊達政宗、芦名・佐竹家との和睦を破断し、摺上原合戦に勝利して芦名家を滅亡させ陸奥国黒川城(現・福島県会津若松市)を領有する。
七月
 上杉景勝(34歳)の内意を受けた大浦城主・大宝寺義勝(16歳)、上洛して関白・豊臣秀吉により出羽守に叙任される(最上義光の出羽守職の剥奪)。
十月
 伊達政宗、須賀川城(現・福島県須賀川市)を攻め落とし二階堂家を滅亡させる。
十一月
 関白・豊臣秀吉、上野国沼田の領土問題で名胡桃城(現・群馬県水上町)を占拠した北条家に違反があったとして北条家討伐を決定する。

天正十八(1590)年
 最上出羽守義光(45歳)、立石寺日枝神社を改修する。
五月
 最上義光の父・栄林、死去(70歳)。
六月
 伊達政宗(24歳)、豊臣秀吉(54歳)の小田原陣へ到着する。
 最上義光、父・栄林の葬儀により関白・豊臣秀吉の小田原陣への到着が遅れる。
七月
 関東大名・北条氏直(29歳)、相模国小田原城を開城し豊臣秀吉に降伏する。
 豊臣秀吉、北条家の領地を没収し関東大名・徳川家康(48歳)に移封する。
 豊臣秀吉、東北地方平定のために下野国宇都宮城に入城する。
八月
 豊臣秀吉、相馬・佐竹・伊達・最上家ら小田原陣に参加した諸大名の所領を安堵し、参陣しなかった大崎・葛西家ら諸大名を改易する。
 豊臣秀吉、出羽国庄内地方の領有権を上杉景勝(35歳)に与え、本庄繁長(51歳)・大宝寺義勝(17歳)父子の所有権を認めず。
 豊臣秀吉、陸奥国黒川城に入城し東北地方の検地と刀狩りの実施を命ずる(撫切令)。
 上杉景勝、出羽国庄内地方の検地を開始し、観音寺城主・来次出雲守氏秀(?歳)を越後国高田に移封させ、上杉家家臣・寺尾伝左衛門を城番とする。
 豊臣秀吉、伊達政宗(24歳)と最上義光(45歳)に妻子の上洛を命ずる。
 最上義光、豊臣軍の出羽国仙北地方進出への先鋒を任され、家臣・鮭延典膳秀綱(28歳)を湯沢城(現・秋田県湯沢市)の城番におく。
 伊達家の米沢城下、豊臣軍の進出を恐れ大混乱に陥る。
九月
 陸奥国大崎(現在の宮城県北部)、葛西(現在の岩手県南部)、出羽国庄内、仙北など東北各地で豊臣軍の検地・刀狩りに抵抗する一揆が発生する。
 出羽国庄内地方の一揆勢、観音寺城を占拠し城主・寺尾伝左衛門(?歳)を討ち取るが上杉軍により鎮圧され、観音寺城は破却される。
十月
 陸奥国大崎、葛西で蜂起した一揆勢、豊臣家臣・木村吉清(?歳)の籠城する佐沼城(現・宮城県登米市)を包囲する。
 伊達政宗と豊臣家臣・蒲生氏郷(35歳)、一揆勢を鎮圧し佐沼城を救援するが、伊達政宗が一揆勢に通じていたとする疑惑が流れる。
十二月
 豊臣秀吉、陸奥国北部で発生した九戸政実(55歳)の乱と東北各地の一揆の鎮圧のために、甥・豊臣秀次(23歳)を総大将とする奥羽平定軍(徳川家康・上杉景勝・蒲生氏郷・佐竹義宣・石田三成ら)を派遣する。
 豊臣秀吉、大宝寺義勝に信濃国川中島の知行を与える。義勝は京に移住する(ただし大浦城下に大宝寺家領2500石は残される)。

天正十九(1891)年
正月
 伊達政宗(25歳)、上洛し関白・豊臣秀吉(55歳)に大崎・葛西一揆勢との関係否定の釈明をする。
 最上義光(46歳)、上洛し侍従に叙任される。伊達政宗、奥州探題、侍従に叙任される。
 関白・豊臣秀吉、肥前国名護屋城の建造を始める(唐入りの開始)。
二月
 豊臣秀吉、伊達政宗に大崎・葛西領を与える代わりに会津領を没収する。
 最上侍従義光、出羽国仙北地方の領土分配をめぐり横手城主・小野寺義道(26歳)と対立する。
五月
 上杉家重臣・直江兼続(32歳)、上杉家領となった出羽国庄内地方に入り一揆勢を鎮圧する。
 上杉家家臣・下対馬守秀久(?歳)、出羽国大浦城主となる。
六月
 伊達政宗、新たに領地となった大崎・葛西の一揆を鎮圧するために出兵する。
七月
 関白・豊臣秀吉の甥・豊臣秀次(24歳)を総大将とする奥羽平定軍、陸奥国佐沼城合戦で一揆勢を壊滅させ平定を終了する。
 豊臣秀吉、伊達家の領地を陸奥国大崎・葛西のみに減封する。
九月
 伊達政宗、陸奥国岩出山城(現・宮城県大崎市)に入城する。
 豊臣家臣・蒲生氏郷(36歳)、陸奥国米沢城に入城する。
 蒲生家重臣・蒲生郷可(?歳)、出羽国中山1万3千石の領主となり、伊達家の旧中山城(別名・岩部山城)を破却し、近隣の小山に天守閣を有する新たな中山城を建造する。
十二月
 豊臣秀吉、関白位を甥・秀次に譲る。

文禄元(1592)年
正月
 最上侍従義光(47歳)、伊達侍従政宗(26歳)、蒲生氏郷(37歳)ら東北地方の諸大名、唐入りのために肥前国に向けて出陣する。
三月
 最上義光、肥前国から山形城の大改修と城下町・街道の拡張計画を指示する。
四月
 豊臣軍、渡海し朝鮮王国への侵攻を開始する(文禄の役)。

文禄二(1593)年
二月
 肥前国名護屋城に在陣中の最上侍従義光(48歳)、京の連歌師の要請により家臣・江口五兵衛光清(?歳)を使者として自身と家老・氏家尾張守守棟(60歳)の句を送る。
八月
 太閤・豊臣秀吉(57歳)の三男・拾丸(のちの豊臣秀頼)、誕生。

文禄三(1594)年
八月
 最上侍従義光(49歳)の次男・家親(13歳)、元服し駿河守に叙任される(徳川家康から「家」の偏諱を賜る)。
十一月
 伊達侍従政宗(28歳)の生母・最上保春院義姫(47歳)、政宗の肥前名護屋城出陣中に陸奥国岩出山城を出奔し実家の出羽国山形城に寄寓する。

文禄四(1595)年
五月
 最上侍従義光(50歳)の三女・駒姫(15歳)、関白・豊臣秀次(28歳)の側室に入室することが決まり、京に向けて出発する。
七月
 太閤・豊臣秀吉(59歳)、甥の関白・豊臣秀次に謀反の疑いありとして高野山に追放し自害させる。
 最上侍従義光(50歳)や伊達侍従政宗(29歳)、豊臣秀次の謀反に関係する疑いありとして京・聚楽第に謹慎させられる。
八月
 豊臣秀次の妻子30名、京・三条河原で処刑される。この時、秀次の側室候補として上洛したばかりだった最上駒姫(15歳)も連座して処刑される。
 義光と共に聚楽第で謹慎していた正室・大崎御前、死去(?歳 駒姫の処刑を追っての自害である可能性が高い)。

慶長元(1596)年
 最上侍従義光(51歳)の次男・最上駿河守家親(15歳)、江戸城に出仕して徳川家康(54歳)に仕える。
七月
 最上侍従義光、『源氏物語』への深い教養を反映した連歌解説書『連歌新式』を著述する。
九月
 太閤・豊臣秀吉(60歳)と明帝国大使、摂津国大坂城で会見するが交渉が決裂し再度の唐入りが決定する。
十二月
 最上駿河守家親、歌人・里村紹巴(73歳)から和歌書『三部抄』を贈られる。

慶長二(1597)年
 伊達侍従政宗(31歳)、右近衛権少将に叙任される。
五月
 豊臣軍、再び渡海し朝鮮王国への侵攻を開始する(慶長の役)。

慶長三(1598)年
正月
 北陸大名・上杉景勝(43歳)、所領を越後国から陸奥国会津120万石に転封される。
 上杉家家臣・横田式部少輔旨俊(?歳)、最上領との国境に位置する中山城(現・上山市)の城番となる。
八月
 太閤・豊臣秀吉、死去(62歳)。
十一月
 豊臣軍、朝鮮半島から撤退し唐入りを終結させる。

慶長四(1599)年
閏三月
 大老・前田利家、摂津国大坂城で死去(62歳)。
 奉行筆頭・石田三成(40歳)の失脚により、大老・徳川家康(57歳)が豊臣政権の主導権を握る。
九月
 大老・徳川家康、摂津国大坂城に入城し豊臣政権を掌握する。
 大老・上杉景勝(44歳)、京から陸奥国会津に帰国する。
十月
 上杉景勝、領国国境の防備を強化する。

慶長五(1600)年
二月
 陸奥国大名・上杉景勝(45歳)、領国内の諸城の改修を命じ、重臣・直江山城守兼続(41歳)に神指城(現・福島県会津若松市)の建造を命ずる。
四月
 上杉家、大老・徳川家康(58歳)に対して十五ヶ条の「直江状」を送付し対立が決定的となる。
七月
 徳川家康、全国の諸大名に上杉景勝追討の動員令をくだし、最上侍従義光(55歳)、佐竹義宣(31歳)ら東北地方の諸大名にも出兵を命じる。
 伊達政宗(34歳)、上杉家領の陸奥国白石城(現・宮城県白石市)を攻め落とす。
 徳川家康、江戸城を出陣し下野国小山城に入城するが、京・大坂での石田三成(41歳)挙兵の報を知り上杉家追討を一時停止して今後の動向を合議する(小山評定)。
 最上義光の次男・最上駿河守家親(19歳)、徳川秀忠(22歳)に従い下野国宇都宮城に入城し、その後信濃国の真田家攻撃に参加する。
八月
 徳川家康、東北地方の諸大名の出兵を解き江戸城に帰陣する。
 上杉景勝、佐竹義宣、相馬家、小野寺家と密かに通じ家康派の最上家の孤立化をはかる。
九月
 直江山城守兼続を総大将とする上杉軍2万、最上領に侵攻して宇津野城(現・朝日町)の関三郎兵衛(?歳)と畑谷城(現・山辺町)の江口五兵衛光清(?歳)を討ち、菅沢(現・山形市)に陣をしき長谷堂城(現・山形市)を包囲する。
 上杉家臣の出羽国大浦城主・下対馬守秀久(?歳)、最上家の出羽国谷地城を攻め落とす。
 上杉軍、長谷堂城と同時に上山の上山城と高楯城を攻撃するが攻め落とせず。
 最上義光、嫡男・最上修理大夫義康(26歳)を使者として伊達政宗に援軍を要請する。
 下次右衛門、太平山麓に平城を建造し大浦城を破却する。
 伊達政宗、上杉家領の陸奥国湯ノ原城(現・宮城県七ヶ宿町)を攻め落とし出羽国新宿(現・上山市)まで進撃する。
十月
 直江兼続率いる上杉軍、関ヶ原合戦での徳川家康の勝利の報を受けて、最上軍の長谷堂城の包囲を解き陸奥国に撤退する。
 出羽国谷地城を占拠していた上杉家臣・下対馬守秀久、最上軍に投降し最上家家臣となる。
 最上義光、上杉家領の出羽国大浦城を攻め落とす。
 最上義光、最上家に投降した下対馬守秀久を先鋒として庄内地方に出兵させる。
 上杉家、重臣・本庄越前守繁長(61歳)を使者として上洛し徳川家康に降伏する。

慶長六(1601)年
四月
 鮭延典膳秀綱(39歳)らが率いる最上軍、上杉方である庄内地方の菅野城(現・遊佐町)と東禅寺城(現・酒田市、別名・亀ヶ崎城)を攻め落とす。
 最上侍従義光(56歳)、眼病により執政を嫡男・最上修理大夫義康(27歳)に一時委任する。
 最上義光、上洛して徳川家康(59歳)に拝謁し名刀「大黒正宗」を拝領する。
七月
 陸奥国大名・上杉景勝(46歳)、上洛して徳川家康に拝謁する。
八月
 上杉景勝、所領を120万石から30万石に減封される。上杉家と同盟した小野寺義道(36歳)、改易される(石見国津和野藩預かり)。
十一月
 最上義光、江戸城で徳川家康に拝謁し出羽国庄内地方の領有権を認められ、石高24万石から57万石の大名となる。
 最上義光の甥・白岩備前守光広(13歳 白岩広教の養子)、稲荷山城を建造し寒河江地方を支配する。

慶長七(1602)年
 徳川家康(60歳)、佐竹家を出羽国秋田に転封し、その他の上杉派大名も転封処分にする。

慶長八(1603)年
三月
 徳川家康(61歳)、上洛し江戸幕府初代征夷大将軍に叙任される。
 最上侍従義光(58歳)、徳川家康に供奉し上洛する。
八月
 最上侍従義光、自身を隠居させて家督を相続する動きありと見た嫡男・最上修理大夫義康(29歳)、高野山での出家を命じる。
 最上修理大夫義康、高野山に向かう途上の庄内地方・松原(現・鶴岡市)で、義光派の家臣に火縄銃で撃たれ暗殺される(29歳)。

慶長九(1604)年
閏八月
 最上侍従義光(59歳)、江戸に上京する。

慶長十(1605)年
四月
 徳川秀忠(27歳)、上洛し江戸幕府第二代征夷大将軍に叙任される。最上侍従義光(60歳)、上杉景勝(50歳)、伊達政宗(39歳)ら全国の諸大名も供奉して上洛する。
 最上駿河守家親(24歳)、侍従に叙任される。

慶長十二(1607)年
二月
 最上侍従義光(61歳)、上杉家・伊達家・佐竹家と共に江戸城大改修の堀普請を任される。
三月
 最上侍従義光、大御所・徳川家康(65歳)の隠居城として改修が完了した駿河国駿府城を訪れ徳川家康に拝謁する。

慶長十三(1608)年
 伊達右近衛権少将政宗(42歳)、陸奥守に叙任される。

慶長十四(1609)年
六月
 陸奥国大名・上杉景勝(54歳)、極秘裏に伊達家時代の未完成の城・舘山城(現・米沢市)を改修し江戸幕府との戦闘に備える。

慶長十五(1610)年
 最上侍従家親(29歳)、琉球国国王が来日した際に奏者を務める。
 最上侍従義光(65歳)、山形城に五層の天守閣の建造を検討するが、軍師・山名一吽軒の進言により取り止める。

慶長十六(1611)年
三月
 最上侍従義光(66歳)、左近衛少将に叙任される。
 最上少将義光、江戸城改修や京の内裏改修に参加する。
八月
 最上少将義光、駿河国駿府城の大御所・徳川家康(69歳)にヒシクイ(鴨の一種)を献上する。
九月
 最上侍従家親(30歳)、駿河城の大御所・徳川家康に鷹を献上する。

慶長十七(1612)年
五月
 最上少将義光(67歳)、眼病が悪化し外出が困難になる。

慶長十八(1613)年
正月
 最上少将義光(68歳)、眼病の悪化により駿府城と江戸城への年始参賀を使者で済ませる。
四月
 最上少将義光、体調の回復により上京し江戸城の将軍・徳川秀忠(35歳)に拝謁する。
九月
 最上少将義光、駿河国駿府城の大御所・徳川家康(71歳)に拝謁する。

慶長十九(1614)年
 最上家、庄内地方の亀ヶ崎城の城下町と酒田湊の拡大整備を行う。
正月
 最上少将義光、死去(69歳)。
二月
 次男・最上侍従家親(33歳)、江戸城から出羽国山形城に帰国し最上家の家督を相続する。
三月
 最上侍従家親、将軍・徳川秀忠(36歳)の弟・松平忠輝(23歳)の居城である越後国高田城の普請の加勢に越後国に入る。
六月
 清水義親(最上家親の異母弟)派の添川城主・一栗兵部少輔高春(?歳)、挙兵して家親重臣の大山城主・下対馬守秀実(?歳 下秀久の嫡男)と亀ヶ崎城主・志村光惟(?歳 志村光安の嫡男)を討ち取るが、鶴岡城主・新関因幡守久正(47歳)の軍勢により討ち取られる。
九月
 最上家親、大坂冬の陣の開戦に備えて江戸城留守居役として江戸城を防衛する。
十月
 最上家親、駿河国駿府城の大御所・徳川家康(72歳)に拝謁し最上家相続の礼を述べる。
 最上家親、一栗高春による下秀実・志村光惟暗殺事件の首謀者として、清水城主・清水大蔵大夫義親(33歳 家親の異母弟)を攻撃し自刃させる。
 最上家、最上川の舟運を統括し活性化させる。

元和元(1615)年
正月
 最上侍従家親(34歳)、家臣の出羽国上山城主・坂紀伊守光秀(?歳)を使者として駿河国駿府城の大御所・徳川家康(73歳)に白鳥と黒馬を献上する。
四月
 大坂夏の陣により豊臣家、滅亡する。
閏六月
 伊達陸奥守政宗(49歳)、参議に叙任される。

元和二(1616)年
四月
 大御所・徳川家康、死去(74歳)。

元和三(1617)年
三月
 最上侍従家親、山形城で急死(36歳 毒殺説や江戸城で死去した説など異説あり)。後継は家親の嫡男・最上源五郎家信(13歳 のちの義俊)。
五月
 江戸幕府老中・土井大炊頭利勝(45歳)、最上家に対して藩主家信を補佐していくよう強く指示する七ヶ条の御条目を通達する。

元和八(1622)年
 出羽国松根城主・松根備前守光広(34歳 最上義光の甥)、最上家親の急死の真相が家親の叔父・楯岡光直(64歳)による毒殺であると江戸幕府老中・酒井雅楽頭忠世(51歳)に訴える。
 江戸幕府、最上家親の死因を調査するが楯岡光直の関与を立証できず、松根光広を筑後国柳川藩預かりとして追放する。
八月
 最上源五郎家信(18歳)、最上騒動の責任を取り近江国大森藩1万石に改易される(改易後、最上義俊に改名する)。
九月
 伊達参議政宗(56歳)、最上家に寄寓していた生母・最上保春院義姫(75歳)を陸奥国仙台城に迎える。

元和九(1623)年
五月
 伊達参議政宗(57歳)、将軍・徳川秀忠(45歳)の上洛に供奉する。
七月
 伊達参議政宗の生母・最上保春院義姫、死去(76歳)。

寛永三(1626)年
 伊達参議政宗(60歳)、権中納言に叙任される。

寛永八(1631)年
十一月
 近江国大森藩主・最上源五郎義俊、死去(27歳)。義俊の嫡男・善智(1歳)より、最上家は5000石取りの旗本交代寄合家となる。
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山形と最上義光の歴史1(1335~1582年)

2024年01月12日 10時58分58秒 | 日本史みたいな
『最上義光』                       2016年3月   伊藤 清郎   吉川弘文館人物叢書
『図説 日本の城郭シリーズ 第14巻 最上義光の城郭と合戦』2019年8月   保角 里志   戎光祥出版
『山形の城を歩く』                    2020年7月   保角 里志   書肆犀


建武二(1335)年
十二月
 鎮守府大将軍・北畠陸奥守顕家(18歳)、建武政権から離反した前鎮守府将軍・足利尊氏(31歳)を討つために陸奥国府・多賀城(現・宮城県多賀城市)で挙兵し兵5万で上洛を開始する。

建武三(1336)年
二月
 足利尊氏(32歳)、摂津国の合戦で鎮守府大将軍・北畠陸奥守顕家(19歳)に敗れ九州地方に逃れる。北畠顕家軍、陸奥国に帰国。
 足利尊氏の命を受けた足利家一門衆の斯波家長(16歳)、密かに陸奥国に下向し奥州総大将として斯波城(現・岩手県紫波郡)で挙兵し北畠顕家に対抗する(奥州管領のはじまり)。

建武四(1337)年
正月
 鎮守府大将軍・北畠陸奥守顕家(20歳)、足利方の斯波家長(17歳)の攻撃を受けて陸奥国府・多賀城を放棄し伊達郡の霊山城(福島県伊達市)に移転する。
八月
 鎮守府大将軍・北畠陸奥守顕家、吉野朝廷の後醍醐天皇(50歳)の勅命を受け兵3万を率いて上洛を開始する。
十二月
 奥州総大将・斯波家長(17歳)、相模国鎌倉で北畠顕家軍に敗れ討死(杉本城の合戦)。
 足利尊氏(33歳)、重臣の駿河国・伊豆国守護・石塔義房(?歳)を第二代奥州総大将に任命し陸奥国に下向させる。

暦応元(1338)年
五月
 鎮守府大将軍・北畠陸奥守顕家、和泉国石津合戦で北朝軍に敗れ討死(21歳)。
 南朝、北畠顕家の弟・北畠顕信(19歳)を陸奥介・鎮守府将軍に任命し陸奥国に下向させる。

承和元(1345)年
 室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏(41歳)、独断専行が目立ってきた奥州総大将・石塔義房を解任し、幕府引付衆の吉良貞家(?歳)と譜代武将・畠山国氏(?歳)の2名を初代奥州管領に任命して下向させる。

承和五(1349)年
九月
 室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏(45歳)、次男・足利基氏(10歳)を初代鎌倉公方に任命し、相模国鎌倉に下向させる(鎌倉公方のはじまり)。
 すでに鎌倉府執事として活躍していた上杉憲顕(44歳)、初代関東管領に就任し足利基氏を補佐する。

観応元(1350)年
十月
 室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏(46歳)と腹心である弟・足利左兵衛督直義(45歳)との対立が深刻化し戦闘状態に入る(観応の擾乱 ~1352年)。
 陸奥国も観応の擾乱の影響を受け、尊氏方の畠山国氏と直義方の吉良貞家、そして元奥州総大将・斯波家長の遺児・詮経と前奥州総大将・石塔義房の勢力が抗争する「四管領時代」となる。南朝方の鎮守府将軍・北畠顕信(31歳)も北朝の混乱に乗じて挙兵し、陸奥国府・多賀城を攻撃する。

観応二(1351)年
二月
 足利直義方の奥州管領・吉良貞家、将軍尊氏方の奥州管領・畠山国氏の陸奥国岩切城(現・宮城県仙台市宮城野区)を攻め落とし国氏を自刃させる。
 畠山国氏の遺児・平岩丸、陸奥国に定住し二本松国詮として勢力を保つ(二本松家のはじまり)。
十二月
 南朝方の鎮守府将軍・北畠顕信(32歳)、北朝方の陸奥国府・多賀城を攻略し奪回する。

文和元(1352)年
三月
 初代奥州管領・吉良貞家、南朝方の鎮守府将軍・北畠顕信(33歳)を破り陸奥国府・多賀城を攻略する。

文和二(1353)年
五月
 初代奥州管領・吉良貞家、南朝方の拠点・陸奥国宇津峰城(福島県中部)を攻略する。鎮守府将軍・北畠顕信(34歳)、陸奥国北部に亡命する(東北地方における南北朝騒乱の終結)。

文和三(1354)年
四月
 初代奥州管領・吉良貞家が死去し、嫡男の吉良中務大輔満家(?歳)が第四代奥州管領に就任する。
 前奥州総大将・石塔義房の三男・石塔左兵衛佐義憲(?歳)や元奥州管領・畠山国氏の遺児・二本松国詮が挙兵する。
六月
 石塔義憲の攻撃により陸奥国府・多賀城が陥落し、奥州管領・吉良満家、伊達郡(現在の福島県北部)の伊達家をたより亡命する。
 義父・足利直義を継いで室町幕府と対立する足利直冬(28歳)、石塔義憲を奥州管領(僭称)に任命する。
七月
 奥州管領・吉良満家、石塔義憲に反撃し陸奥国府・多賀城を奪回する。
 陸奥国の混乱を重く見た室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏(50歳)、幕府引付衆頭人・斯波家兼(47歳 斯波家長の叔父にあたる)を第五代奥州管領に任命し陸奥国中新田城(現・宮城県加美町)に下向させる(奥州管領は吉良満家と斯波家兼の並立状態に)。
十二月
 第五代奥州管領・斯波家兼、玉造郡(現・宮城県大崎市)の志栄山合戦で石塔義憲を討つ。

延文元(1356)年
六月
 第五代奥州管領・斯波家兼、死去(49歳)。
 室町幕府、斯波家兼の嫡男・斯波直持(30歳)を第六代奥州管領、次男・斯波兼頼(28歳)を初代羽州管領に任命する(大崎家と山形家のはじまり)。
 羽州管領・斯波兼頼、山形城(現・山形市)を建造し出羽国支配に着手する(現在の山形市・山辺町・天童市・鶴岡市を基盤とする)。
十月
 第四代奥州管領・吉良満家、死去(?歳)。

貞治五(1366)年
 奥州管領・斯波直持(40歳)、このころ姓名を「大崎」に改める。

貞治六(1367)年
 室町幕府第二代征夷大将軍・足利義詮(38歳)、譜代武将・石橋式部大輔棟義(?歳)を実質的な陸奥国守護に任命し下向させ奥州管領の補佐を命じる。

永和元(1375)年
 第六代奥州管領・大崎直持(49歳)、家督と奥州管領職を嫡男・大崎左京大夫詮持(?歳)に譲り隠居する。

康暦元(1379)年
六月
 初代羽州管領・斯波修理大夫兼頼、死去(63歳)。

明徳三(1392)年
 室町幕府、陸奥国・出羽国の支配権を鎌倉府に委任し、大崎詮持(?歳)の奥州管領職を廃止する。

応永六(1399)年
四月
 第三代鎌倉公方・足利満兼(22歳)、弟の足利満直(?歳)を陸奥国安積郡篠川(現・福島県郡山市)に、足利満貞(?歳)を陸奥国岩瀬郡稲村(現・福島県須賀川市)に派遣し陸奥国支配を強化する(篠川御所と稲村御所のはじまり)。

応永七(1400)年
 室町幕府、鎌倉府の陸奥国支配強化を懸念して鎌倉の前奥州管領・大崎詮持(?歳)を新たに奥州探題に任命し陸奥国に下向させる。
 この頃、斯波兼頼の嫡男・山形右京大夫直家(?歳)が継承していた羽州管領職も「羽州探題」に改称される。

応永八(1401)年
 陸奥国大名・伊達大膳大夫政宗(49歳)、第三代鎌倉公方・足利満兼(24歳)に対して挙兵し陸奥国信夫郡赤坂城(現・福島県福島市)に籠城する。

応永九(1402)年
 山形家、鎌倉府の命により伊達大膳大夫政宗(50歳)の籠城する赤坂城と刈田城(宮城県南西部)を攻撃する。

応永十七(1410)年
正月
 第二代羽州探題・山形右京大夫直家、死去(?歳)。後継は嫡男・満直(?歳)。

応永十九(1412)年
七月
 陸奥国大名・伊達兵部少輔氏宗(正宗の嫡男)、死去(42歳)。後継は嫡男・持宗(20歳)。

応永二十(1413)年
 陸奥国大名・伊達兵部少輔持宗(21歳)、鎌倉府に対して挙兵し篠川御所・稲村御所を攻撃して大仏城(現・福島県福島市)に籠城する。
 第三代羽州探題・山形満直、鎌倉府の命により奥羽地方の諸大名と連合して伊達持宗の大仏城を攻撃する。
八月
異説 第三代羽州探題・山形満直、死去(?歳)。後継は嫡男・満家(?歳)。

応永二十三(1416)年
十月
 前関東管領・上杉禅秀(?歳)、挙兵して第四代鎌倉公方・足利持氏(19歳)と関東管領・上杉憲基(25歳)を鎌倉から追放し鎌倉府を掌握する(上杉禅秀の乱)。
 室町幕府、山形満直ら奥羽地方の諸大名に鎌倉公方救援の指令を送る。

応永二十四(1417)年
正月
 室町幕府軍、鎌倉の上杉禅秀を追討し自害させる。

応永三十一(1424)年
八月
 第三代羽州探題・山形修理大夫満直、死去(?歳)。後継は嫡男・満家(?歳)。
異説 第四代羽州探題・山形修理大夫満家(?歳)、家督を嫡男・頼宗(?歳)に譲り長瀞城(現・東根市)に隠居する。

応永三十二(1425)年
異説 第四代羽州探題・山形修理大夫満家、長瀞城にて死去(?歳)。

貞享二(1430)年
異説 第五代羽州探題・山形右京大夫頼宗(?歳)、家督を弟・義春(?歳)に譲り隠居する。

永享十一(1439)年
二月
 第四代鎌倉公方・足利持氏(42歳)、関東管領上杉家との戦闘に敗れ自害し鎌倉府が滅亡する(永享の乱)。
 鎌倉府の滅亡後、下総国古河を拠点とする足利持氏の四男・足利成氏(当時2歳 のちの古河公方)と、室町幕府から伊豆国堀越に派遣された第六代征夷大将軍・足利義教(46歳)の四男・足利政知(当時5歳 堀越公方)との間で戦闘状態が続く(享徳の乱)。

嘉吉元(1441)年
二月
異説 先代羽州探題・山形頼宗、死去(?歳)。

嘉吉三(1443)年
三月
 第四代羽州探題・山形修理大夫満家、死去(?歳)。後継は次男・義春(?歳)。
 山形満家は長瀞城(現・東根市)に移転して死去しており、山形義春の兄弟から長瀞家がはじまる。

宝徳二(1450)年
五月
 羽州探題・山形義春(?歳)、庄内地方の清水城(現・鶴岡市)を攻めるが敗れ生け捕りにされる。
七月
 山形義春、清水城主・清水家との和議が成り解放される。

享徳三(1454)年
十二月
 第五代鎌倉公方・足利成氏(17歳)、関東管領・上杉憲忠(22歳)を鎌倉府で誅殺し上杉家との戦闘を始める(享徳の乱)。

康正元(1455)年
三月
 第五代鎌倉公方・足利成氏(18歳)、関東管領上杉家との戦闘を続けながら拠点を相模国鎌倉から下総国古河に移す(古河公方のはじまり)。

長禄四(1460)年
 室町幕府第八代征夷大将軍・足利義政(27歳)、羽州探題・山形右京大夫義春(?歳)と天童城城主・天童修理大夫頼勝(?歳 山形義春の伯父にあたる)に古河公方・足利成氏追討令を出す。

寛正三(1462)年
九月
 庄内地方の大浦城主・大宝寺淳氏(?歳)、室町幕府第八代征夷大将軍・足利義政(29歳)により出羽守に叙任される。

応仁元(1467)年
 庄内地方の大浦城主・大宝寺健氏(?歳 淳氏の嫡男)、山形城の山形義春(?歳)と会見する。

文明六(1474)年
三月
 第五代羽州探題・山形右京大夫義春、死去(?歳)。後継は弟・義秋(?歳)。

文明八(1476)年
 第二代羽州探題・山形直家の六男・成沢兼義の嫡男・満久(?歳)、出羽国比良台地(現・大蔵村)に清水城を建造する。

文明十一(1479)年
十一月
 奥州探題・伊達成宗(45歳 持宗の次男)、出羽国寒河江城主・寒河江為広(?歳)を攻めるが撃退される。

文明十二(1480)年
二月
 第六代羽州探題・山形右京大夫義秋、死去(?歳)。後継は、義秋の叔父・中野満基の嫡男・満氏(35歳 義秋の従弟にあたる)。
四月
 奥州探題・伊達成宗(46歳)、再び寒河江為広と戦闘するが菖蒲沼合戦で大敗し、伊達家重臣・桑折播磨守宗義、自害(?歳)。

明応三(1494)年
七月
 第七代羽州探題・山形治部大輔満氏、死去(49歳)。後継は満氏の嫡男・義淳(?歳)。

永正元(1504)年
七月
 出羽国寒河江城主・寒河江宗広、死去(?歳 寒河江為広の孫)。
 寒河江宗広の六男・孝広(2歳)が後継となるが、一族の内紛に乗じた羽州探題山形家と戦闘状態となる(郡中兵乱)。この戦乱により寒河江の慈恩寺、延焼する。
 出羽国寒河江地方の国人・白岩備前守満広(?歳)、白岩城(現・寒河江市)を建造する。
九月
 第八代羽州探題・山形左衛門佐義淳、死去(?歳)。後継は嫡男・義定(13歳)。

永正六(1509)年
八月
 奥州探題・伊達成宗の嫡男・尚宗(57歳)、出羽国寒河江家を支配下におく。

永正十一(1514)年
二月
 陸奥国大名・伊達稙宗(27歳 尚宗の嫡男)、出羽国大名・最上家の上山城(現・上山市)と長谷堂城(現・山形市)を攻略し家臣・小梁川中務少輔親朝を長谷堂城主におく。
 第九代羽州探題・山形修理大夫義定(23歳)、伊達稙宗の侵攻に備え山形城から中野城(現・山形市)に退避する。

永正十二(1515)年
 第九代羽州探題・山形修理大夫義定(24歳)、寒河江家の仲介により伊達稙宗(28歳)の妹を正室として迎え、伊達家との間に和議を結び山形城に戻る。

永正十七(1520)年
二月
 第九代羽州探題・山形修理大輔義定、急死(29歳)。後継者がおらず山形家はその後2年間内紛状態となる。
四月
 伊達稙宗(33歳)による傀儡化を危惧した最上家と上山城主・上山義房(?歳)、挙兵して伊達家と対峙する。
 伊達稙宗、山形・上山・天童・寒河江方面に侵攻し最上家の反伊達運動を弾圧する。

大永元(1521)年
 先代羽州探題・山形義定の弟・中野義建の孫・長松丸(のちの山形義守)が誕生する。
七月
 伊達稙宗(34歳)、出羽国高瀬山(現・寒河江市)に陣をしき寒河江家を威圧する。最上家も伊達軍に加勢する。
八月
 伊達稙宗、高瀬山の陣を解き撤退する。

大永二(1522)年
 中野長松丸(2歳)、山形家を継ぎ第十代羽州探題・山形義守となる。実質的な政治は先代・義定未亡人(伊達稙宗の妹)を通して伊達稙宗が干渉する。
 陸奥国大名・伊達稙宗(35歳)、陸奥国守護に就任する。
四月
 山形家の伊達稙宗による傀儡化に反対する成生十郎、中山朝勝、天童頼長、東根頼景が挙兵するが鎮圧される。

天文三(1534)年
 第十代羽州探題・山形修理大夫義守(14歳)、立石寺・日枝神社(現・山形市)を改修する。

天文十一(1542)年
六月
 陸奥国大名・伊達稙宗(55歳)を嫡男・晴宗(24歳)が襲撃する事件が発生し、伊達家中の内乱となる(天文伊達の乱)。
 第十代羽州探題・山形修理大夫義守(22歳)、伊達稙宗に加勢して出羽国置賜地方の晴宗派を攻撃する。
十一月
 山形義守、天文伊達の乱に乗じて置賜地方を制圧する。

天文十五(1546)年
正月
 第十代羽州探題・山形修理大夫義守(26歳)の嫡男・白寿丸(のちの最上義光)、誕生する。

天文十七(1548)年
九月
 陸奥国大名・伊達稙宗(61歳)、嫡男・晴宗(30歳)に家督を譲り丸森城(現・宮城県丸森町)に隠居する。伊達晴宗、拠点を出羽国米沢城(現・米沢市)に移す。

弘治二(1556)年
 陸奥国大名・伊達晴宗(38歳)、奥州探題に就任する。

永禄元(1558)年
 第十代羽州探題・山形修理大夫義守(38歳)の嫡男・白寿丸(13歳)、元服。室町幕府第十三代征夷大将軍・足利義輝(23歳)より偏諱「義」を賜り山形源五郎義光と名乗る。
三月
 出羽国白鳥城主・白鳥十郎長久(?歳)、上洛し山科蔵人頭言継(52歳)らと共に飛鳥井参議雅春(39歳)主催の蹴鞠会に参加する。

永禄二(1559)年
六月
 第十代羽州探題・山形修理大夫義守(39歳)、嫡男・義光に偏諱を賜った礼として京の将軍・足利義輝(24歳)に馬を贈る。

永禄六(1563)年
六月
 山形城主・山形義守(43歳)と嫡男・義光(18歳)父子、上洛し室町幕府第13代征夷大将軍・足利義輝(28歳)に拝謁し馬・太刀を献上する。

永禄七(1564)年
四月
 庄内地方の砂越城主・砂越也足軒(?歳)、越前国一乗谷城主・朝倉家と会見し親交を深める。

永禄八(1565)年
六月
 庄内地方の清水城主・清水義高(?歳)、鳥打場合戦で大宝寺軍に敗れ討死する。

永禄九(1566)年
四月
 出羽国庄内地方の大名・大宝寺家の筆頭重臣・土佐林禅棟(?歳)、清水城主・清水義氏(20歳)を降伏させる。

永禄十(1567)年
八月
 陸奥国大名・伊達輝宗(24歳)の嫡男・梵天丸(のちの伊達政宗)、誕生(生母は山形義光の妹・義姫)。

永禄十一(1568)年
四月
 越後国村上城主・本庄繁長(29歳)、越後国大名・上杉謙信(39歳)に対して挙兵し、出羽国大浦城主・大宝寺義増(47歳)も本庄繁長と同盟する動きを見せる。
九月
 大宝寺義増、上杉謙信からの圧力を受け本庄繁長から離反して上杉家に服属し、交換条件として湯田川地方の七日台城・石堂山城・藤沢城を破却する。

永禄十二(1569)年
閏五月
 大宝寺家、庄内地方の清水城・鮭延城に城番をおき支配する。

元亀元(1570)年
正月
 山形義光(25歳)、出羽国立石寺(現・山形市)に立願成就を祈願する。
五月
 山形城主・山形義守(50歳)と対立していた嫡男・義光、宿老・氏家尾張守守棟(37歳)の仲裁により和解する。
 山形義守、家督を嫡男・義光に譲り出家して栄林と号する。

元亀二(1571)年
八月
 大浦城主・大宝寺義氏(21歳 義増の嫡男)、重臣筆頭の土佐林禅棟(?歳)を誅殺する。

天正元(1573)年
 陸奥国大名・伊達輝宗(30歳)、密かに出羽国の天童家・白鳥家ら有力七国人との同盟関係を深める。

天正二(1574)年
 山形義光(29歳)、この年に織田信長(41歳)の斡旋により出羽守に叙任される。
正月
 山形栄林(54歳)、嫡男・義光と対立し中野城(現・山形市)で挙兵する(最上の乱)。
 陸奥国大名・伊達輝宗(31歳 山形栄林の娘婿にあたる)、山形栄林に加勢して挙兵し、輝宗の命により高畠城主・小梁川中務大輔盛宗(52歳 輝宗の義兄にあたる)、義光方の里見民部少輔の上山城を攻撃する。
 寒河江家、山形義光派に属するが伊達家の意を受けた天童家・白鳥家ら七国人に攻められ降伏、山形栄林派に属する。
二月
 山形義光、伊達領の川樋(現・南陽市)を奇襲して勝利する。
三月
 山形義光、伊達家と和睦し楢下(現・上山市)から伊達軍を撤退させる。しかし山形義光、伊達領の北条(現・南陽市)に夜討ちをかけ伊達家と再び戦闘状態に入る。
四月
 荒砥城(現・白鷹町)と畑谷城(現・山辺町)が山形義光に敵対して挙兵し、伊達軍と義光軍との戦闘が本格化する。
五月
 山形義光、父・栄林方の若木城(現・山形市)を攻撃し、江俣でも合戦となる。
 伊達輝宗、自ら米沢城から出陣し義光方の新地・仙石・楢下・中山に進撃する。
 伊達家家臣・亘理修理亮重宗(23歳 輝宗の従弟にあたる)、伊達輝宗の命を受け笹谷方面から義光領に侵攻する。
六月
 山形義光、上山新地の伊達陣に夜討ちをかける。
 伊達輝宗、荒砥城に陣を移すが、義弟にあたる陸奥国大名・芦名盛興(28歳)急死の報を受けて撤退する。
七月
 伊達輝宗、家臣・亘理修理亮重宗に刈田口からの義光領への侵攻を命ずる。
 出羽国の有力国人・寒河江家、栄林方から離反し山形義光に加勢する。
 伊達輝宗、再び自ら出陣し義光方の五百川(現・朝日町)と新宿(現・上山市)に侵攻する。
八月
 義光軍と伊達軍、国境の刈田口・笹谷峠で戦闘する。
 伊達輝宗、楢下に侵攻するが山形義光への総攻撃を断念し和平交渉を始める。
九月
 伊達輝宗、義光方と和睦し楢下から撤退する(山形栄林・天童家は戦闘を継続)。

天正三(1575)年 
三月
 山形出羽守義光(30歳)と父・山形栄林(55歳)、伊達輝宗(32歳)の仲介で和睦し栄林、山形城下の龍門寺に隠居する。
 山形義光、栄林との内乱中に伊達輝宗に寝返った上山城主・里見民部少輔(?歳)を誅殺する。

天正五(1577)年
五月
 山形出羽守義光(32歳)、長井地方に侵攻する。
七月
 谷地城主・白鳥十郎長久(?歳)、上洛して大名・織田信長(44歳)に拝謁し馬を献上する。
八月
 山形義光、上洛して織田信長に拝謁する。
十一月
 陸奥国大名・伊達輝宗(34歳)の嫡男・梵天丸(11歳)、元服して政宗と名乗る。

天正七(1579)年
 最上八楯の盟主である天童城主・天童頼貞、死去(?歳)。後継は嫡男・頼澄(12歳)。
七月
 大浦城主・大宝寺義氏(29歳)、織田信長に馬と鷹を献上する。

天正八(1580)年
四月
 天童家、山形義光(34歳)と対立し天童城を改修する。

天正九(1581)年
三月
 大浦城主・大宝寺義氏(31歳)、鮭延城(現・真室川町)を攻略し清水・新庄・古口地方に侵攻する。
五月
 谷地城主・白鳥十郎長久(?歳)、伊達家との親交を深める。
 山形義光(35歳)、天童家・東根家と戦闘する。

天正十(1582)年
二月
 大浦城主・大宝寺義氏(32歳)、新庄地方に侵攻し鳥越城(現・新庄市)と猿羽根城(現・舟形町)を攻略する。
六月
 京で本能寺の変が起こり織田信長(49歳)が自刃する。
七月
 山辺家、大宝寺義氏と同盟し山形出羽守義光(37歳)と戦闘する。
八月
 山形義光、この頃から砂越城(現・酒田市)の砂越家と同盟関係を結び庄内地方の情勢を探る。
 山形義光、陸奥国大名・大崎家に鮭延城の救援を要請する。
 大宝寺義氏、由利地方(現在の秋田県南部)に侵攻して秋田家と戦闘する。
 大宝寺義氏の一連の領地拡大政策に対する家臣団の反発が高まる。
九月
 山形義光、天童頼澄(15歳)の天童城を攻めるが撃退される。


後半へ続く。 うらら~、うらら~、うらうらら~♪≫
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今年もよろしくお願いします&雑感

2024年01月08日 09時23分04秒 | 日記
 2024年、明けましておめでとうございます! そうだいでございます~。

 いや~、ついに今年も始まってしまいましたね、今年が!! 何を言ってるんでしょうか。
 もう、日本人の平均寿命の半分くらいも通り過ぎてしまったわたくしにとりましては、もう今年が何年で自分が何歳かどうかなんか、もはや感慨が湧くわけもないことがらなのですが、まぁそれでも、特に事故もなく大病もせず新年を迎えられたことは、本当にありがたいことであります。

 特に今年は、ねぇ。ホントにホントの初日から、日本には大変な災害が巻き起こっているわけでして。ひどいことです。
 私の住む山形県もいちおう日本海側の県なので、地震の発生後にお気遣いいただくメールも知人・友人・先輩のみなさま方からいただいたのですが、うちは内陸なので本震で家が揺れただけで被害はゼロのようでした。幸運ですね。
 でも思い起こせば、2011年の千葉のアパートは、今回の比じゃなくもっと揺れてたんだっけ。あれも、ひと干支以上昔のことになったのかぁ。時が過ぎるのは……もう言い飽きました。

 そんな感じで、ちょっと今年は元日からお正月気分でなんかいられない状況になっている気がするのですが、こんな月は1月だけにしてほしいですね。ともあれ、さっさと気を引き締めて頑張ってまいる所存です。今年は雪も全然少ないことだし、どんどん外に向かって踏み出していこう!

 あっ、そうそう! 谷口賢志さん、ご結婚まことにおめでとうございます!! ほんと、令和6年のお正月の良いニュースはこれだけですよ。

 そんでま、特にここ数日で何があったとかいう訳でもないのですが、いちおう生存確認とご挨拶ということで投稿させていただきました。なので、最近の暮らしっぷりと、夕べついに始まった大河ドラマ最新作『光る君へ』の初回放送を観た感想なんぞを、チョチョイっと。


 昨年から私、現在勤めさせていただいている職場での勤務時間を調整させていただいておりまして、余裕のある時間を確保しやすくなりました。ありがたいことです。
 理由は、心身ともに若くなくなってきたからということもあるのですが、新しい働き方も模索してみたいな~と思い立ったからでありまして、現在のお仕事をセーブさせている分、いちおう新ジャンルに挑戦するための勉強を続けております。
 予定としては、今年いっぱい勉強して、できれば来年にでも独り立ちできれば……と考えているのですが、どこのお仕事も熾烈な実力勝負の世界でありましょうから、どうなることやら。でも、乗り出す以上は悔いの無いように全力で参りたいと思います。ま、まずは焦らずじっくりと。

 それで昨年からは自宅で残業に追われることも少なくなりまして、山形県に帰って来て現在のお仕事を始めてからこっち、実に7~8年以上も買うだけで積ん読状態にしてしまっていた本の数々を、ムチムチとカイコが桑の葉をはむように読んで消化しております。飛ばし読みをしても意味はありませんから、そこは腰を落ち着けてゆっくりと。
 それにしても、私も歳とったなぁとしみじみ実感してしまうのは、ベッドで横になりながら読書することができなくなったことね! 2ページくらい読んだら必ず眠くなっちゃうんですよ。嗚呼、物語に夢中になって気がつけば徹夜をしていた、あの集中力と体力は、いずこ……
 まぁそういうこともありまして、昨年は私の人生史上で初めて「趣味・喫茶店めぐり」が確立した記念すべき年でもありました。なんだ、そのシャレオツなプロフィールは!! お前もえらくなったもんじゃのう!!
 でも、人のいる空間に出向いて読まないと眠くなっちゃうんだもん……近所のお店から、手当たり次第に通う日々であります。もしあなたの町の喫茶店に、猫背で眉間にしわを寄せて文庫本にかじりついているヘンなおっさんがいたら、それはそうだいかも知れませんよ……(『魔法使いサリー』完)

 ほんと、昨年になってやっと読めた本が「2017年」の刊行だなんて、ざらですからね。読まれずに、さぞ無念だったことじゃろう……成仏してくれ!!

 「消化」といえば、もしかしたらもうお気づきという超奇特な方もおられるかも知れませんが、読書以外の時間の使い方として、我が『長岡京エイリアン』にて、主に私が山形で働き始めた2015年あたりから爆発的に増加した「 Wikipediaの記事をのっけただけで本文がちっとも書かれやしない」塩漬け記事の再始動・完成も、ほんとにおっせーペースなのですが、昨年から少しずつ始めております。
 これまた、4~5年は凍結状態になっているタイトルがゴロッゴロ横たわっていて本当になさけない体たらくなのですが、気の向いた記事からランダムにつづっておりますので、もしおヒマでしたら、「あの話題どうなってるんだろう」みたいな感じでたまに過去記事を覗いていただければ望外の喜びであります。ご覧の通りの自己満足の零細ブログでございますし需要があるかどうかわかったもんじゃないので、いちいち「20××年×月の記事を完成させました~。」みたいな通知はしませんが、地味にやっておりますので、どうぞよろしくお願い致します。

 こんな感じで、昔したためたノートやメモをひっぱり出して過去の亡霊記事の復活にも注力しております都合上、例年どおりに今年のブログ記事もアップは月1~2回ぐらいの生存確認ペースになるかと思いますが、面白い映画を観た時などに随時つづるつもりですので、長い目でお見守りください。たぶん、今年ものんきに生きていきます!

 面白い映画と言えば、昨年も映画館に足を運んでいろいろ楽しみましたので、せっかくですからランキングでもつけときますか。どうにもこうにも個人ブログだにゃ~。

≪けっこう観たんですよ 極私的2023年公開の映画ベスト10≫
1位『ベネデッタ』 監督・ポール=ヴァーホーヴェン(3月鑑賞)
2位『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』 監督・古賀豪(12月鑑賞)
3位『マッドゴッド』 監督・フィル=ティペット(1月鑑賞)
4位『バビロン』 監督・デイミアン=チャゼル(2月鑑賞)
5位『プリキュアオールスターズF 』 監督・田中裕太(9月鑑賞)
6位『地球防衛軍 4Kリマスター版』 監督・本多猪四郎(8月鑑賞)
7位『バービー』 監督・グレタ=ガーウィグ(8月鑑賞)
8位『ヒトラーのための虐殺会議』 監督・マッティ=ゲショネック(3月鑑賞)
9位『フェイブルマンズ』 監督・スティーヴン=スピルバーグ(4月鑑賞)
10位『ザ・フラッシュ』 監督・アンディ=ムスキエティ(6月鑑賞)

 ざっとこんな感じでしょうか。順当ですよね?
 「あれっ? もっと他の映画の感想、記事にしてたじゃない?」と思われる方もおられるかと思いますが、『レジェンド&バタフライ』とか『シン・仮面ライダー』とか、『ハロウィン THE END』、『ドラキュラ デメテル号最期の航海』、『ゴジラ -1.0』、『首』といったその他もろもろの作品はぜんぶ11位以下です。さんざん記事のネタにしておいてこの扱い……でも、こんなもんよね。信長だライダーだゴジラだという超有名コンテンツにあぐらをかいてるとは言いませんが、「攻め」の姿勢が足りないような気がしたので。その点、『ゲゲゲの謎』や『オールスターズF 』は、鬼太郎や現役ひろプリ組の人気に全く頼ろうとしないヒリヒリした緊張感を感じたので、そこが全然違うと思った次第です。1位は本当は2023年の映画ではないのですが、とにかく圧倒的でした。3位もそうですが、じいちゃんヤバすぎ!!

 結局、昨年は2~30本映画館で映画を観たのですが、ちょっと今年はそのペースは難しいかも。でも、アリ=アスター監督の最新作とか『ジョーカー2』とか、いよいよ日本公開の『オッペンハイマー』とかは必ず観る予定です。え? 『ゴジラ×コング』? 知らん。
 実はもう一つ、これは絶対に観なきゃという作品があるのですが、それは次の話題にからめて。

 いや~、大河ドラマ『光る君へ』、ついにスタートしましたね!
 60作以上の悠久の歴史を持つ NHK大河ドラマの中でも初の平安時代中期を舞台とした作品なのですが、華々しい合戦も無いし(刀伊入寇は大戦争だけど)、誰もが聞いたことはあるというレベルの歴史上の偉人も藤原道長と紫式部と清少納言くらい、出てくる奴はのきなみ藤原さんばっかという、なかなかハードルの高い作品かと思うのですが、初回からそうとうに飛ばしまくる展開でしたね! いや~大石静脚本、エンジンふかしまくり!!
 大石静作品の大河ドラマといえば、あの『功名が辻』(2006年)があったわけなのですが、登場人物たちの動向がそこそこ詳しく記録に残っている戦国時代末期を舞台とした前作と違って、今回は肝心の主人公でさえ半生がほとんどはっきりしていない位の自由度ですから、史実がどうとか堅苦しくかまえずに大石静ワールドのフィクションとして楽しむべきですよね。なんか、第1回から「ハウス世界名作劇場」なみに主人公の家庭に降りかかる悲劇……容赦ないな!
 まず、第1回は主人公の幼少時代なので、主演の吉高さんと柄本さんはまだ出てこないのですが、吉高さんの幼少期を演じるのが、あの『鎌倉殿の13人』で悲劇の大姫を演じた子役さんだって言うんだから、なんかイヤな予感がしたんだよなぁ! そしたらあの展開なんだもの。子役さん、キツすぎるだろ!!
 でも、ただ主人公を悲劇のヒロインにするだけでなく、「わたくしは帝の血を引く姫なのよ……」などという妄想を炸裂させる「ちょっとヘンな娘」というクセをつけるあたり、さすがは大石脚本という余裕を感じました。そうそう、今回のドラマの主人公は、将軍でもお姫さまでもなく「趣味で小説を書いている家庭教師」なんですもんね。そのくらいの変人で当り前よ!

 まだまだ登場人物は出そろっていないのですが、ともかく第1回の話題をかっさらっていったのは、藤原道長の母・時姫役を演じる三石琴乃さんと、うさんくさいにも程のある中流貴族・安倍晴明を演じるユースケ・サンタマリアのお2人だったかと思います。

 三石さんはもう、過去の大河ドラマにおける声優出演枠と比較しても破格の出ずっぱり大活躍でしたよね! 『軍師官兵衛』で安国寺恵瓊を演じた山路和弘さんもかなり重要だったけど、三石さんは十二単姿でゴージャスだし、娘役の吉田羊さんとどっちが母親なのか分からなくなるくらいの美しさ……とまではいかないけど、素晴らしかった。詮子がちょっと大人びすぎてるのよね。
 三石さんがお出ましになって第1回のタイトルが『約束の月』ってんですから、これはもう確信犯だろう! おい道兼、月に代わっておしおきされなかっただけ、命冥加だと思えい!!
 たぶんこれ、三石さん演じる時姫が、道長かみひろに『かぐや姫の物語』の話をするシーン、絶対にあるぞ! 非常にたのすみだ。

 そしてもう一人の大注目人物である安倍晴明(あべのはるあきら!)役のユースケさんなのですが、冒頭から登場して、本業の天文観察のお仕事風景を見せてくれます。この調子で、怨霊を調伏したり式神に酒をつがせて昼間っから飲んだくれたり、スケートリンクでくるくる回るだけが陰陽師ではないぞという、下っ端国家公務員としての実態を明らかにしてほしいと思います。でも、主人公のみひろがまだまだ幼少の段階で晴明はご覧の通りの老成っぷりですので、果たして放送第何回くらいまで顔を出してくれるのか……注目していきたいですね。
 そうとう昔の話になるのですが、ここらへんの紫式部、藤原道長と安倍晴明の時代的な世代関係は、我が『長岡京エイリアン』で映画『源氏物語 千年の謎』(2011年)を扱った時の記事で触れておりますので、お時間がありましたら是非そちらをご照覧ください。大滝秀治さんの晴明、観たかった~!!
 ちなみに、第1回の時代設定は貞元元(977)年ですが、この時点で史実の晴明は数え年57歳です。没年は寛弘二(1005)年。命みじかし、励めよ晴明!!

 さらにちなみに触れておきますと、道長の父である右大臣・藤原兼家の上司にしてライバルというポジションにある左大臣・源雅信(「まさざね」と読むのが正しい 演・益岡徹)という人物が劇中に登場しますが、その名からも予想のつく通り、彼はかの晴明のワトスン役として名高い貴族・源博雅の親戚にあたります。雅信卿のおじいさんと博雅卿のひいおじいさんが同じ宇多天皇なんですね。年齢に関しては、『光る君へ』第1回時点の貞元元(977)年でいうと雅信卿は58歳、博雅卿はドラマには出てきませんが60歳ということになります。博雅卿の没年は天元三(980)年……博雅くん、出るなら今しかない!!

 それはともかくとして、「顔が真っ白けなニヤニヤ美青年妖術師」という20年ものの古臭いイメージを一掃してもらうべく、ユースケさんには『麒麟がくる』の朝倉義景同様に頑張っていただきたいと思います。急急如律令!!
 でも、まず晴明にくっついて離れない従者の役を DAIKIさんが演じている時点で、あの実相寺昭雄監督の映画『帝都物語』(1988年)へのオマージュになっていることは間違いありませんね。志高し! いいですよ~。
 あっ、そういえば、その狩衣姿、最近どこかで見たことがあるな~と思ったら、『光る君へ』で藤原宣孝の役を演じる佐々木蔵之介さんも安倍晴明を演じたことがありましたよね(2020年のスペシャルドラマ『陰陽師』)……けっこう面白かったんですけど、なんであのタイミングで放送されたんだろう!?

 そしてそして、陰陽師・安倍晴明といえば忘れてならないのは、今年の春に夢枕獏さんの『陰陽師』シリーズの映画最新作が公開されるんですって!
 タイトル、その名も『陰陽師0(ゼロ)』!! え、えぇ~……主演・山崎賢人!? えぇ~……

 なんか、映画館でチラシを見かけた時、その古色蒼然過ぎるビジュアルイメージにかなりゲンナリして「誰が観に行くか!!」と舌打ちをしたのですが(そのくらい、私の心に映画『陰陽師Ⅱ』のトラウマは深く根差しているのです)、チラシの隅っこに小さく書いてあった、

監督・佐藤嗣麻子

 という文字を見て、俄然ぜったいに観に行こうと翻心したのでありました。それを早く言いなさい。
 でも、予告編を観るだにそうとうキッツい鑑賞になりそうなんですが……陰陽師の仕事は天気予報とカレンダー作りでしょ!!
 ここは、監督の腕を信じて耐えよう。染谷将太さんも奈緒さんも出るし、たぶん佐藤嗣麻子監督のダンナの白組さんも手伝ってくれるだろうし。

 確かに、大河ドラマに晴明が出るっていうんですから、今年2024年に晴明の映画をやらない手はありませんよね。ま、がんばって……

 最後に話を『光る君へ』に戻しますが、私は当然、毎週チェックしていきたいと思います。まず、今まで全く触れられなかった時代に挑戦するという意気込みがいいですよね。大石静脚本も、その実力を堪能させていただこうと思います。できれば『軍師官兵衛』みたいな全話視聴日記もつけたいくらいなのですが、さすがにそれはムリか。

 それに、やっぱり吉高由里子さんの活躍が大いに楽しみです!
 吉高さんといえば、TV でしょっちゅう流れている銀行の CMを観てもわかる通り、その美貌からはちょっと想像がつかないヘンな声質が個性的ですよね。でも、私はそんな彼女の「へげ声」とでも表現したくなるようなウィークポイントが最高だと思うんだよな! あれはまさに、さとう珠緒さん以来の逸材ですよ。
 なんだかんだ言っても吉高さんは朝ドラ主演の実績もある第一線の女優さんですし、紫式部は美声でなければならないなんていう縛りもありませんから、オンリーワンの魅力を発揮して走りきってほしいなと思います。ヘンな声、ばんざい!!

 あと、『光る君へ』のオープニングもなかなか斬新でしたよね。
 オープニング映像に主演の人が出ること自体は、昨今の大河ドラマでは別に珍しくもなんともないのですが、後半の盛り上がりのところで吉高さんのかんばせがやっと鮮明に映ってカメラ目線になり、そこに2回目のタイトルだめ押しドーン!という演出はちょっとビックリしました。吉高さんをグイグイ推しますね~!!

 でもあれ多分、紫式部は部屋とか外の野っぱらをうわの空でほっつき歩きながら手を上下させて、「こいつとそいつがくっついて、それをあいつが知ってドロドロの修羅場に……よし、いける!」みたいに『源氏物語』のゲスい展開を悶々と練っているところなんでしょうね。
 今も昔も、日本人は下世話なゴシップが好きよのう!

 ま、今年もしゃっちょこばらず気負わずに、自分に正直に生きてまいりましょう~。
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