から揚げが好きだ。

映画とサウナ。

ハード・コア 【感想】

2018-11-30 23:00:00 | 映画


山田孝之×山下敦弘ということで劇場鑑賞。想定以上にダウンテンポで盛り下がる。
世間からはみ出した2人の男が、廃屋で謎のロボットを拾い、日常に変化が起きるという話。
「日本を変えるぞ!」と街中でよく見る街宣右翼の人々。主人公らはそうした活動家の元で働いている。同じ思想を持って参加しているわけではなく、働き口のない自分たちを拾ってくれた恩義で行動を共にしている。宣伝活動とは別に、活動資金をあてこみ埋蔵金を探す掘削作業をしている。埋蔵金の当ては全くないが、日銭を与えられるため、老人の妄想に付き合っている。社会の最下層のさらに裏側で這うようなキャラクターたちで、さながら「ウシジマくん」の世界だ。デリヘルを呼ぶも、お支払いはカップめんの袋に入れた大量の小銭。。。こうしたキャラクターの描き込みは山下監督ならでは。汚い部屋で悪臭が立ちこめるよう。
ある日、ガラクタで作られたようなロボットに遭遇。言葉は話さないものの、自立歩行し、彼らと行動を共にする。主人公の弟は普通の社会人で、ロボットの不思議な能力に気付く。埋蔵金のまさかの展開にテンションが上がるも、人生の逆転劇にはならない。救いがなく破滅的。原作漫画は未読なのだが、おそらくこのあたりの作品性が魅力といえるのだろう。
クセが強いキャラたち、隙間に入り込むエロス、負け組たちの行き場のない熱量。しかし、シンプルに話がつまらない。主人公らが追い込まれる先にドラマが感じられず、ロボットが果たす役割も宙に浮いたまま消化不良。とってつけたようなラストも安いコントのようだ。
【60点】
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ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 【感想】

2018-11-28 08:00:00 | 映画


魔法の世界を大スクリーンで堪能。前作に続き、迫力の魔法合戦が楽しい。主人公と他メンバーとの再会にテンションが上がる。全体的に続編を見越した作りであり、散漫なキャラクター描写や、ハリポタにはない本作の独自色が減ったのは残念。ハリポタに寄せた伏線も個人的には受け入れられず。ややこしい話をややこしく描いた終盤で、まさかの睡魔が襲ってきた。もっと映画用に脚色すべきだったのではないかな。。。

ハリポタシリーズの終了から、新たなリブートシリーズとして鮮やかなスタートを切った前作。主人公ニュートと個性豊かな魔法動物たちとの絆、コンビネーション、交わることがご法度とされる人間たちとの友情など、ハリポタにはなかった魅力がことごとくツボに入り、単品のスピンオフ映画としても綺麗にまとまっていた。その続編となる本作は、前作のラストで捕まった黒い魔法使いこと「グリンデルバルド」が起爆剤となって物語を再始動させる。

冒頭から引き込まれる。厳重に囲われた独房から、グリンデルバルドが移送される。魔法の力により宙を浮いた姿で運ばれ、真っ黒な馬車に乗せられ、夜の街を猛スピードで滑空する。空飛ぶほうきに乗った護衛部隊も抜かりなし。胸騒ぎのするドシャ降りの雨のなか、事件が起こってしまう。のっけから当たり前のように大量の魔法が使われる。アクションが想像を軽く超える気持ちよさ。これがファンタビの世界だとワクワクさせる。

ほどなくしてニュートが登場。相変わらず魔法動物たちと仲良しで、その破天荒な飼育風景が楽しい。彼のもとに前作のメンバーが集う。そして、若き日のダンブルドアも登場する。新たな物語の始動に向け、準備が整っていく。ところが、目指す先は前作のキーマンとなった「クリーデンス」。強大な力をもったクリーデンスのもとに一同が集合するという流れだ。再び、前作をなぞるのか、と気にかかる。重要なポイントと位置づけられる、クリーデンスのルーツの解明が本作の厄介な点だ。

道中、新たに加わる2人の闇払いが、クリーデンスの出生に深く関わっているとのこと。クライマックスの舞台で、彼の出自の真実を巡って互いに語り合う。再現ドラマを交えて描かれるものの、普通にわかりにくい。吹き替え版で見たものの、冗長で次第に眠くなってくる。はっきりとは覚えていないが、結局のところ「無関係」だったっぽい。鑑賞後、個人の方が書かれた考察ブログを見ても認識に大きなズレはなかった。では、何の意味があったのだろう。。。

原作者のJ・K・ローリングがこのシリーズから脚本家デビューしている。原作者本人が映画の脚本を書くことのメリットとデメリットがありそうだ。前作ではメリットが作用し、本作ではデメリットが作用したと感じる。原作ありきの映画だったとしても、映像として表現する適性を見極め、必要に応じて脚色することも重要だ。

本作においては人物描写も的確ではない。次回への転換点となる、光側と闇側でキャラクターが仕分けられる経緯があまり理解できない。映像の迫力に押されて、強引に言いくるめられたようだ。前作で大好きだった、ニュートと動物たちとの連携プレーもバリエーションが少なくて残念。いろんな魔法動物が二フラーはイイ仕事をしてくれた。

一緒に見ていた子どもがエンドロール後「あれはニワトコの杖だった」と自慢してきた。ハリポタシリーズを一巡くらいしか見ていない自分は最初何のことかわからなかった。あとで知ったことだが、ハリポタに続く伏線がいっぱい隠されていた模様。それほどハリポタに思い入れのない自分は、思わせぶりな伏線で思考がつまづくくらいなら、ないほうがいい。前作の作風で突っ走ってほしかった。

結末は続編を予告する。やや熱が冷めてしまった本作だが、対戦構図が明確になったのは確かで、どうせ次回作も楽しみにしてしまうのだろう。脚本は改善してほしいな。

【65点】

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 【感想】
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生きてるだけで、愛。 【感想】

2018-11-24 13:00:00 | 映画


快い余韻が残る秀作。キャラクターの心情を嘘なく丁寧にすくいあげた脚本に引き込まれ、物語に包容する映像に魅せられた。
生きづらさに苦悩するキャラクターたち。見えてくるのは、社会に出てまもなく、自身も経験したことのある孤独や疎外感みたいなもの。仕事上、理解できない理不尽さを飲み込んだとき、周りから一瞬取り残されたような感覚になった。これは本作の特異な主人公からも感じ取れること。
主人公はいわゆる「こじらせ女子」で、去年の「勝手にふるえてろ」と重なるキャラだが、こっちはもっと重度。無職、引きこもり、過眠症、自称うつ。ただ、ガチの病気ではなく自身の心の問題のようだ。主人公の身に起こった経緯は全く説明されないものの、社会での人間関係に疲れ、距離を置いたうちに戻れなくなったと想像する。自身に向かうべき不満と怒りを、同棲する心優しい彼氏にぶつける日々。なんでこんな女と付き合っているのか、その答えは結末へ。
そんな彼氏の元恋人という「ストーカー」(笑)が登場。主人公の恋敵という位置づけであるが、周り回って主人公の社会復帰の手助けをするのが可笑しい。主人公が働くことになった職場はこの上ないリハビリの場となる。寛容さと良心を持った人たちが主人公を家族のように迎え入れるのだ。このまま、心温まる再生ドラマに流れると思いきや、主人公を突き放す。確かに思えた繋がりが途切れてしまう瞬間の恐ろしさ、自身の愚かさを隠していても「見つかってしまう」残酷さ。主人公よりもずっと自分は器用に社会と付き合っているけれど、主人公の絶望に強く共感できた。
主人公ヤスコを演じた趣里の女優魂をぶつけた熱演が素晴らしい。全身全霊でヤスコを生きた姿は衝撃的なほどだ。彼女の受け側に回った菅田将暉や、主人公よりもある意味病的な役を演じた仲里依も見事。
それでも人とのつながりによって生きていける。2人の屋上での抱擁に確かな体温を感じ、冷えた心に明かりが灯された。
【75点】
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ボーダーライン: ソルジャーズ・デイ 【感想】

2018-11-23 10:00:00 | 映画


「ボーダーライン」の続編ではなく、仕切りなおしのスピンオフ。前作と比べて社会派の色は薄まり、アクションに重きを置いた仕上がり。男汁100%。

ドラッグの密輸よりも「儲かる」とされる不法移民の斡旋。そのルートがテロリストのアメリカ入国の抜け道になっているという推測から物語が始まる。ルートを確保している麻薬カルテルとテロリストが手を組む、かなり盛りすぎな設定だが、大統領の勅令によりカルテル殲滅のゲームが始まる。

改めて思うのは、アメリカの軍事に対する入れ込み具合。「ウォー・ドッグス」でそのスケールを思い知ったが、本作でも莫大の金をカルテルとの戦争のために湯水のごとく使う。必要なものは全てお買い上げだ。メキシコ政府との関係があるため、表立った動きはできず、秘密裏に極秘部隊が結成され、カルテル同士の抗争に見せかける作戦に出る。政府からのお達しは「ルール無用」。何かあったら尻尾を切ることを部隊に示唆する。

毒を以て毒を制する。手段を選ばないメキシコカルテルと等しく、残酷非道を通すアメリカの極秘部隊。邦題のとおり、越えてはならない境界線を前作では、主人公の葛藤を通して描いていたが、本作では無条件に許容される。邦題タイトルの意味はなくなったが、ノーガードの殴り合いはスリリングで見応えあり。アメリカ側の一方的な展開と思われたが、さすがはメキシコカルテル、思わぬ逆襲を見舞いする。

リアリティそっちのけのアクションスリラーとして楽しんでいたが、アメリカ政府がカルテルとテロリストの関係性を見誤ったことで(やっぱり)、作戦は中断、以降、全く違う色のロードムービーになる。子連れ狼になる暗殺者。その個性に頼る展開がつまらない。2人の絆が形成された過程もよくわからないので入り込めず。「復活」と「継承」のクダリは明らかに不自然で味気なく、タイラー・シェリダンの脚本としてはかなり粗い。

さておき、本作の見どころは、ジョシュ・ブローリンとベニチオ・デル・トロ、濃ゆい顔面を持つオッサン2人の共演。エミリー・ブラントが2人の間にいた前作から、一気に男臭い映画になった。エミリー・ブラントに代わり中和剤として子役が登場するも、2人の圧迫感の前に霞んでしまう。色気なき、血生臭い争いに終始し、ラストの「処刑」まで行き切る。

本作を見てカルテルへの関心が再びたぎってきた。NetflixのA級ドラマシリーズ「ナルコス メキシコ編」に突入する。

【60点】
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ボディガード -守るべきもの- 【感想】

2018-11-22 08:00:00 | 海外ドラマ



ハウス・オブ・カードの落胆から一転、2018年今年の海外ドラマ、暫定ベスト。

久々にテレビ画面に釘付けになった。

極上のスリルとドラマ。隙のない脚本と演出。魅力的なキャラクターたちと、主人公のカリスマ性。主演のリチャード・マッデンの迫力のパフォーマンス。
Netflixは、もっとこのドラマを宣伝したほうが良い。

計6話ながら、毎話にクライマックスあり。
通常ドラマの10話~13話くらいに相当するほどの濃密度。
「イエス、マム」は、しばらく自分のなかで流行りそうだ。

イギリスで要人警護の任務につく警察官が、イギリス国内で起きる未曾有のテロ事件に立ち向かうという話。

製作はイギリスのBBCで、昨年にイギリス国内で放送された本作をNetflixが配信権を取得し、今秋、日本を含めた世界各国にリリースしているらしい。後で知ったことだが、このドラマ、イギリス国内ではかなりの高視聴率を獲得したとのこと。

ゲーム・オブ・スローンズ(GOT)など、一部の海外ドラマファンにしかフラグが立たないであろう英国俳優のリチャード・マッデン。GOTであまりにも悲劇的な死を遂げた役として印象に残るが、そんな彼がボディーガード役を演じているという情報だけでは興味はそそられず、お試し程度に1話目を見ることにした。ところがどっこい、抜け出せなくなった。1話目の冒頭20分間だけで「傑作」が確定される。

幼い子ども2人と列車に乗る父親らしき男性。停車したホームで、ある異変に気付く。リラックスする乗客と違い、彼の視点は常に違うところにあるようだ。一部の乗務員が車内で慌しく動く。その状況に男は反応、乗客に見つからない場所で、乗務員に自身が非番の警察官であることを告げる。男が察知した爆破テロの可能性が、現実化しようとする。二重のトラップが仕掛けられ、走る列車内で生死を分かつギリギリの攻防が繰り広げられる。極限状態に置かれたキャラクターたちの鼓動が伝染する。あまりの緊迫感に体が硬直する。



主人公の男は勇敢だが、スーパーマンにあらず。死の危険を目の前にして、恐怖することを隠さない。その表情の裏側に家族への強い愛情や、弱き者に対する良心が透けて見える。生身の人間を描く誠実さと、的確な心理描写を感じ取る。緊張感が漲る駆け引きのなかで、主人公が持つ知識とスキルが発揮される。冒頭20分間のシーンで、主人公の個性が雄弁に語られ、作品の完成度が約束される。

その後、主人公はこの事件の功績が認められ、女性内務大臣の警護任務に昇格する。しかし、それは後に続く巨大な陰謀との戦いに身を投じるきっかけになってしまう。

1話目のスタートダッシュから、以降、6話目の最終話まで、スピードを緩めることなく加速したままフィニッシュ。冒頭で感じた本作への信頼は最期まで裏切られることはなかった。

回を追うごとに展開はスケールアップ。冒頭に回帰するようなクライマックスが秀逸で、緊迫感も最大化する。「要人警護」という役割から見た景色や、警護のプロたち仕事ぶりが細かく描かれており、冷静沈着に職務を全うする姿がシンプルにカッコいい。それぞれのキャラクターの個性が丁寧に描かれるため、物語にすっかり感情移入する。視聴者の余白を読み取る力を信じた演出が鋭く、無駄な描写の省略がドラマにスピードを与える。



脚本は予想を凌駕する展開を用意する。なかでも印象に残ったのは2点。1つは、映画やドラマで「正義」として描かれることの多いイギリスの諜報機関「MI-5」だが、その独立性に着目した仮説が面白い。もう1つは、イスラム教に持つ社会的先入観を突いた展開だ。後者については、現実世界におけるテロの背景として別の恐怖を感じたりした。

そして、欠かすことのできないキャラクターの魅力だ。

まずは何といっても、主演のリチャード・マッデンだ。主人公はアフガンの戦場で地獄を体験。アフガンでの経験が彼の心身の屈強さを育んだが、PTSDという大きな傷跡を残した。危険な職務をクールに忠実に遂行する反面、プライベートでは妻と子供と別居中という危機的状況にあり孤独を抱える。凄腕の警護職人であり、闇を抱える主人公の複雑な個性をマッデンが見事に体現する。感情のダイナミズムをこれほどナチュラルに演じられる俳優はそういないはず。凄まじい引力であり、GOTでのパフォーマンスから想像するより彼はずっと演技派の俳優だった。



主人公の上司がもれなく女性という点も面白い。女性の社会進出が進んでいる欧州ならでは。彼が警護する内務大臣が、非常にカッコよくて素敵。頭がキレ、剛腕な政治運営は周りに多くの敵を作る。主人公と内務大臣の変化する関係性が本作の大きな鍵となる。また、彼が所属する警察組織で対テロの指揮権を持つ女性ボスも魅力的。細身で猫背で、どこか虚ろな目線。内務大臣と対立する場面も多く、感情的な内務大臣に対して、彼女は一見クールだがかなりの強気。語尾を伸ばすイギリスなまりが耳心地が良く堪らない。2人とも高身長であり、リチャード・マッデンの迫力に負けない存在感だ。



目上の上司に対する言葉遣い。相手が男性の場合はお馴染みの「イエスサー」だが、本作の場合、相手が女性なので「イエスマム」になる。なので主人公は「イエスマム」を劇中何度も連発する。「マム」は、空手でいう「押忍」に近く、何でも「マム」で通じるようだ。「わかりました」も「マム」だし、「失礼します」も「マム」だ。リチャード・マッデンが発する「マム」の発音にハマり、いつか自分も使ってみたいと思った。

リチャード・マッデン演じる主人公のデイビッド・バッドの活躍を再び見たいと続編を望む反面、綺麗な結末で幕を閉じたので、限定シリーズとして終わったとしても納得だ。

【90点】
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マンディ 地獄のロード・ウォリアー 【感想】

2018-11-21 08:00:00 | 映画


B級感満載の邦題とパッケージ。普段なら全く触手の伸びない映画だが、ニコラス・ケイジ主演作としては20年ぶりくらいのロッテン高スコアだったため、日本公開を楽しみにしていた。結果、全く面白くなかったが、新鮮な映像体験だった。かなりの怪作だが、これもアート系といえるかも。

あらすじはシンプル。森の中で生活する1組の夫婦、ある日、カルト集団によって妻が殺されたため、夫が復讐するという話。その夫役がニコラス・ケイジだ。

返り血を浴びた主人公のパッケージから、激しいバイオレンスアクションを予想していたが、めちゃくちゃスローな展開。前半は妻がカルト集団に目を付けられ連れ去られるまで、後半は主人公がカルト集団に殴りこむ様子が描かれる。ギュッと詰めれば30分程度で済む話だが、上映時間は120分。この余白をサイケな映像とヘビメタ&ロックの音楽が埋め尽くす(音楽はヨハン・ヨハンソンだった!)。襲いかかる睡魔とあいまって、夢か現実かよくわからなくなる。どんなシーンがあったのか思い出せない。ドラッグをキメるとこんな視聴感覚に陥るのだろうか。

カルト集団の存在意義、主人公の妻が目を付けられる理由、呼び寄せられる謎のモンスターバイク集団など、謎だらけであり、ロジックという定義をこの映画に求めるのはナンセンス。独特すぎる世界観を楽しめるかどうかだ。この手のジャンル映画にありがちなチェーンソーの戦いでは、片側のチェーンソーが異常に長かったり、随所に笑いどころも用意される。

お目当てのニコラス・ケイジは、だるだるの白ブリーフ姿で持ち前の大袈裟な演技を披露。最高であり、彼の絶叫シーンにニヤニヤが止まらない。かつて、ザ・ロックなどの大作映画から、リービング・ラスベガスなどのドラマ映画まで、自分が洋画を好きになった象徴的な俳優は、今や雑食系俳優としてラズベリー賞の常連になった。本作を見て、もはや戻ることのできない位置まで来てしまった印象。今後カムバックはあるのかな。。。

【60点】
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GODZILLA 星を喰う者 【感想】

2018-11-18 10:00:00 | 映画


アニメ版ゴジラの最終章。前作はNetflix配信を待っての自宅鑑賞だったが、最後かつ「キングギドラ」登場ということで劇場で見た。難解でモヤモヤが残る結末だが、過去2作以上に製作陣の野心が際立っていた。

人知のあらゆる手段を使ってもゴジラを倒せなかった前作。で、最終手段として本作で用いられるのは「神頼み」。主人公が憤慨するのも納得で「じゃこれまでの犠牲は何だったの?」というツッコミも「時期尚早だった」という答え。あまり理解できないが、おそらく脚本上はちゃんとロジックがあるみたい。そこで「神」たるキングギドラが登場。
思い描いた怪獣同士の肉体的戦闘に流れないのがユニーク。本作で描かれてきたゴジラは体長300mもあり、防御力、戦闘力ともに弱点がなく無敵といってよい。同じ土俵で戦える生物が存在するとは思えず、「異次元」から来たという設定はよく考えたものだ。異次元の生物というより概念に近いキングギドラは、胴体があって三つ首が出ているこれまでの外見とは大きく異なる。気になるゴジラとの攻防シーンは、これまた予想だにしない展開。イマジネーションに唸らされる一方、人間対ゴジラのアクションシーンがなくなった本作にあっては、画として地味なのは否めない。スケール描写は相変わらず素晴らしい。「勝つことは生き延びること」という新人類の価値観によって導き出された結末も受け入れられる。いろいろ理解が及ばない点は、二度見の楽しみといえるか。主人公を演じた宮野真守、この間、NHKの生特番ではっちゃけていたがサービス精神だけでなく、声優としても一流の仕事をする人なのだなと実感した。
「ゴジラ」ではなく「GODZILLA」。実写版から一線を画し、アニメで描けることのアドバンテージを最大限に活かし、自由な発想のもと新たなゴジラを作り出した。「人間が築いた文明社会はゴジラ誕生の前座」「人間の憎悪がなければ、ただの巨大な生物」という考察はSFの本作ならでは。最後まで主人公はゴジラではなく人間だった。

【65点】
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ボヘミアン・ラプソディ 【感想】

2018-11-16 08:00:00 | 映画


どうしても涙が溢れるのは、爆発的音楽の魔力に、フレディ・マーキュリーの生き様がそのまま重なるからだ。真実の自分にたどりついた男は、伝説の舞台で命の火を燃やす。クライマックスのライブシーンは、映画体験の極みだ。フレディ・マーキュリーが見た景色が、会場の観客たちが見た景色が、時代を超え目の前に広がり、放出される熱気を全身で受け止める。これほど贅沢な時間があるだろうか。例え、この物語がフィクションだったとしてもこの映画が持つ力は変わらない。約1週間が経過してなお興奮と感動の余韻が冷めない。至高の音楽映画だ。

Queenの名ヴォーカリストで45歳の若さで亡くなったフレディ・マーキュリー。彼が音楽活動を始め、伝説の「ライヴエイド」に参加するまでの道のりを描く。

昨今の日本市場におけるミュージカル映画は、もれなく大ヒットしている。その延長にあるような本作の日本公開は「いかにも」といった具合で、無名タイトルにも関わらず、半年以上前から劇場で予告編を流す異例のプロモーションを展開。「グレイテスト・ショーマン」を当てたばかりとあって、配給会社の鼻息の荒さを自分は冷めた目で見ていた。が、とんでもなかった。

そもそも本作はミュージカル映画にあらず。音楽をメインに据えたドラマ映画という表現が適当と思える。

フレディ・マーキュリーについては、筋肉と体毛を露出した白タイツ姿で歌う、ゲイっぽいミュージシャンというくらいの理解度。ただ、その独特の歌詞と抜群の歌唱力だけは認識していた。Queenの音楽は、海外ドラマ「glee」で知ったくらいのニワカだ。

本作はQueenではなく、フレディ・マーキュリーのドラマだ。青春期から見る彼の生い立ち、今のバンドメンバーとの出会い、生涯のパートナーとなるメアリーとの出会い、ミュージシャンとしての飛躍、バンドメンバーとの確執、ソロ活動、バンドへの回帰まで。当時の音楽シーンを席巻したQueenの華やかな活躍をベースに、その背景にあったマーキュリーの半生を追っていく。

Queenの名曲が誕生した瞬間を本作で目撃する。あらゆる発想を試し、1つの音楽に紡いでいく過程がワクワクして引き込まれる。メンバーのナチュラルな反応から発せられるユーモアと、音楽のアンサンブルが想像を超えたときの高揚感。短いカットでリズミカルに繋ぐ編集が秀逸で彼らの躍動を捉える。ほか、ライブシーンでのカメラワークを含め、卓越したテクニックが観る者を豊潤な音楽の世界に引き込む。

本作の海外レビューがイマイチ弾けないのは、描かれるフレディ・マーキュリーの姿が真実と離れているからという。本作のタイトルでもある「ボヘミアン・ラプソディ」は、マーキュリーが書いた衝撃的な歌詞から始まる。「ママ、たった今、男を殺してしまった」。歌詞だけなく、様々なジャンルの音楽を取り入れ、異形の音楽を生み出してきた人だ。新たな音楽を生み出す野心だけでは説明できず、音楽的才能とは別に、複雑な人間性が想像できる。1つの伝記映画としていくらでも掘り下げられたはずだ。

そこで本作がとった選択は、彼らの最大の功績である音楽と、時代を熱狂させたライブパフォーマンスを前面に据えることだ。これは大英断だったと思う。フレディ・マーキュリーを知らないので、映画のどこまでが事実か判断はできない。事実を知りたければ、ドキュメンタリーを見ればよくて、自分はこの映画の主人公に心を揺さぶられたのだ。音楽の迫力で誤魔化すことの多い音楽映画にあって、主人公のドラマが誠実に描きこまれているのが本作の特筆すべき点だ。

自身の外見、アジア系の血筋、性的マイノリティなど、派手な音楽パフォーマンスとは裏腹に主人公が抱える劣等感は大きい。傍らには常に孤独がある。家族、バンドメンバー、レコード会社関係者など様々な人間関係が描かれるなか、最も主人公に影響を及ぼすのはソウルメイトのメアリーの存在だ。恋愛から始まった2人の関係だったが、主人公の性的指向は同性に向かう。メアリーを愛する気持ちに偽りはない。「信じ合える関係がすべて」とする主人公に対して、それを受け入れられないメアリーとの距離感。他の男性と付き合い「妊娠した」という告白に、素直に「何てことだ」と失望で返す正直さ。マーキュリーの繊細な個性を体現するために、ラミ・マレックが起用されたのだと感じた。

愛と自身のアイデンティティーを探し求め、ようやく見つけた答え。しかし時を同じくして、性的指向ゆえの時代の不幸に見舞われる。バンドメンバーとの絆を再確認し、復活を高らかに宣言、人生最後の大舞台に挑む。冒頭のライブ会場に向かうシーンに戻る様子から、すべてはこのクライマックスを描くための助走だったようにも見える。そして巨大なカタルシスが襲ってくる。

「屋根がなければ空に穴をあける」
伝説の舞台で目撃するのは、主人公の魂のパフォーマンスだ。歌唱力のスケールとショーマンとしての才能に圧倒される。体はライブ会場に呑み込まれ、体温が上昇し、汗が滲み、震えをこらえる。予測値を超えた音楽の破壊力と、それを形づくった主人公の人生がシンクロする。「We are the champions」に込められた想いが、スクリーンからほとばしる。これほどの映画体験は本当に得がたい。映画が好きでよかった。

【85点】
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ハウス・オブ・カード シーズン6 【感想。。。】

2018-11-13 08:00:00 | 海外ドラマ


ハウス・オブ・カードの最終シーズンとなるシーズン6を見終わったので感想を残す。

一言、ひどい。

Netflixのブランドを築いたといっても過言ではない、看板ドラマに自らの手で泥を塗った。

終わり方以上に失望したのは、製作陣のやる気のなさが透けて見えること。神ドラマ「ブレイキング・バッド」の後継として、「ゲーム・オブ・スローンズ」と双璧をなす、スーパーA級ドラマとして位置づけていたドラマシリーズだったが、それはもはや過去の思い出。こんな無残な終焉は見たくなかった。やはり「ハウス・オブ・カード」はシーズン4で終わるべきだったのだ。

最高傑作だったシーズン4から、脚本家が変わったことでドラマの空気が変わってしまった前シーズン。有終の美として、本シーズンで盛り返すことを期待したが、むしろ急転直下で転がり落ちてしまった。

これまでドラマを牽引してきた主演のケビン・スペイシーが、過去のスキャンダル問題で降板。予告編で既にネタバレを周知していたとおり、彼が演じたフランシスは「突然死」という形で物語から消えた前提で幕を開ける。フランシスの個性が本作の魅力の1つであったため、実に残念な状況であったが、これは仕方のないこと。奇しくも、前シーズンの最終話で妻のクレアに、大統領の座を明け渡すことを示唆していたので、決してあり得ない展開ではない。クレアもフランシスと同じくらいの存在感があったことを考えれば全然アリな話だ。

問題は、ケビン・スペイシーが抜けた穴を埋める努力をすることなく、完全に流し走行でドラマが作られていること。ドラマのスケールを縮小し、粗く仕上がった脚本をそのまま使っている。

シーズン5でご乱心気味だったクレアは、引き続き、迷走する。冷徹さと慈悲深さを併せ持ち、クールで迫力あるクレアはどこへ行ったか。本シーズンで大統領となったクレアはあたふたしてばかり。新たなキャラとして加わった富豪兄妹に振り回され、無力なフリして逆襲のタイミングを待つという彼女らしからぬ小細工戦法に出る。その顛末もしっくり来ず、消化不良、全く痛快でない。フランシスと違うことが面白かったのに結局、同じ道を辿ることになる。困ったら邪魔者を消去するやり方だ。まるでセンスがない。

初の女性大統領という華々しい門出にも関わらず、これまでのシーズンで何度も見たことのある、邪魔者を排除することに多くの時間を割く。見ているこっちは、彼女が政権で大鉈を振るう様子が見たいのだ。ホワイトハウスの小さな箱のなかで、限られたキャラクターで会話劇を繰り返すばかり。そもそもホワイトハウスにキャラクターが簡単に立ち寄りすぎだ。権力の象徴である特別な空間は、製作予算をケチるための舞台に変わってしまった。

クレアの敵となる富豪のシェパード兄妹は、グレッグ・キニアとダイアン・レインが演じる。そのキャスティングは大いに興味をそそられたが、彼らがなぜ、大統領を支配しようとするのか具体的に描かれない。クレアの戦いを見せるため、妨害要因として設定されただけのように見える。知性ある政治的攻防は皆無で、ひたすら弱みの握り合い。それが計8話の大部分を占めてしまう。フランシス政権時、報道官として活躍したセスは、シェパード側につき、何をするでなく伝令役のパシリになる。フランシスがいなくなったことで、腹心のダグが主役クラスに格上げされるが、亡きフランシスの残像にすがるばかりで、物語を前に進める推進力になってくれない。ジャッキーやレミーら、魅力的だった過去のキャラクターたちが懐かしい。

このドラマシリーズの魅力であった「語録」はゼロ。視聴者への投げかけシーンは、前シーズンに続き、使い方を間違っている。状況説明のために使わないでほしいし、自身の心情をわざわざ視聴者に解説しなくていい。ダサい。

迫力とスリル、緊張感が漲っていたシーズン4までの本作。洗練された脚本と演出の賜物だったが、シーズン4で製作のボー・ウィリモンが外れたことで、ここまで作品のクオリティに影響が出るなんて。。。

現実世界ではトランプの勝利により、初の女性大統領の誕生は叶わなかった。だからこそ、このドラマの世界でクレアが女性大統領として活躍する画が面白いのだ。このドラマがさらに進化するチャンスだったともいえる。

フランシスの死の真相がクライマックスで明かされるが、結局「フランシスの存在が大きかった」という答えだ。『やっぱ、ケビン・スペイシーがいないとダメだわ』と製作陣の白旗が目に浮かぶ。「ハウス・オブ・カード」のファンとしては受け入れがたく、裏切られた気分でいっぱいになった。

【40点】

ハウス・オブ・カード シーズン5 【感想】
ハウス・オブ・カード シーズン4 【感想】
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華氏119 【感想】

2018-11-11 23:00:00 | 映画


マイケル・ムーアの映画はドキュメンタリーというより、彼の主張を世論に広めるためのプロパガンダだ。ゆえに面白い。中間選挙の直前で北米公開、目的は明快だ。但し、今回のムーア砲の標的は、トランプ個人にあらず。利権をむさぼるアメリカの腐敗政治そのものにメスを入れる。おのずと広範囲に及ぶテーマであるが、しっかりと情報と主張が整理されていて見事な仕上がりだ。オバマ前大統領、思わぬ飛び火を喰らう本作を見たら真っ青になるのでは?

それは笑えないジョークだった。
2年前のアメリカ大統領選挙。ヒラリーが勝つというより、トランプのような非人格者が大統領になるなんて思わなかった。映画の冒頭では、2年前の選挙戦に遡り、メディア、有識者、国民、全員が「アメリカ初の女性大統領誕生!」の光景を信じて疑わなかった状況を映し出す。ところがどっこい、結果はトランプに軍配。面白かったのは、トランプ自身、自分が当選するとは思っていなかったらしく、勝利のスピーチの舞台で戸惑っていたことだ。この導入部の語り口が鮮やかで一気に本作に引き込まれる。

偶然ではなく必然によって、トランプ大統領が誕生した。それは、近代における歴代大統領の政治、そして、州単位の地方政治のレベルでも発生してきた腐敗がいよいよ完成形に近づいたことを示す。本作ではミシガン州のフリントで起きた州知事による「無差別テロ」事件と、今もなお続く銃乱射事件を具体例として大きく取り上げる。前者は一部の富裕層に政治が加担した結果であり、後者は政治献金の後ろ盾である全米ライフル協会との癒着が背景にある。正すべきことはシンプルでわかっているのに、それを実現することができないアメリカ。歯がゆく腹が立つ。

失意と共に、ムーアは希望にも焦点を当てる。利権にとらわれない「普通」の一般人の政治参加と、SNSを駆使する若い次世代の存在が、この腐敗政治を絶つ兆しとして紹介される。特に、銃規制問題を中心に後者のムーブメンドは、自分が想像していた以上だった。アメリカという国のスケールを改めて感じる。ただ、この問題を解決するにはそれでもまだまだ時間がかかると思われる。それだけ、腐敗政治の根幹は深い。

「アメリカは滅びるか変わるかのどちらかだ」と、アウシュビッツの生き残りである政治学者の言葉が印象に残る。ムーアも同じ気持ちで、事態の緊急性を警告したかったに違いない。本作では、過去作と比べて「突撃」パフォーマンスは2つくらいで、これまでのような魅せるムーア映画とは一線を画す。その点はやや肩透かしをだったものの、彼にとっての覚悟の現れでもあると考えた。

SNSの社会になって、関連する映像は過去作と比べて比較にならないほど膨大になったはずだ。それをよくぞここまでまとめあげたもの。映像作家としても成熟している。ムーア自身によるパフォーマンスは減ったが、悪意ある毒っ気は健在。トランプの娘に対する性的な視線は気色悪く、ヒトラーが演説する映像にトランプの肉声を被せた編集に吹き出す。

ヒトラーも国民に選ばれて誕生したことを忘れてはならない。ナチスの台頭前のドイツは、自由な産業と文化に彩られた寛容の国だったという。それがヒトラーの政策によって一変した。現代のヒトラーこと、トランプは排斥感情を持つ国民によって選ばれ、分断するアメリカの上で政権を振るう。劇中の映像でも流れる、差別主義を声高に掲げる人間たちの醜さったらない。日本で生まれたことの幸福に甘んじながら、政治に無関心な自分を戒める。

【70点】

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ヴェノム 【感想】

2018-11-10 08:00:00 | 映画


ヴェノムは愉快なお友達だった。

"最も残虐な~"というフレコミから、まさかの安心安全仕様。見所という見所もなく、サクサク進んでサクサク終了。主人公を筆頭にキャラクターがみんな単純過ぎて空笑い。愛すべきお馬鹿映画にすらならない。一番のネックは、ヴェノムが人間と同じ知性と価値観を持ち得た経緯がバッサリ省かれているということ。「負け犬同士の共鳴」とか、観客に委ねるのは雑。CGで固められたアクションに驚きはなく、残酷描写は不自然なまでに隠される。クライマックス、夜の闇の中で、黒と黒がぶつかるのは画ヅラは普通に見えなくて、自らアクション殺し。前評判で抗体はできていたので過度な落胆をしなくて済んだ。

トム・ハーディ演じるジャーナリストは正義の存在として、扱われているようだが、馬鹿にしか見えない。あんなことやったら、愛するフィアンセに大迷惑がかかるのは必至。無鉄砲で回りが見えない男というだけ。彼のフィアンセも、変わり身があまりにも早すぎる(笑)。とりあえず、余計な人物描写は端折って、さっさっと「ヴェノム」が登場させる算段かと冒頭から切り替える。

スパイダーマンシリーズで登場した「ヴェノム」は明らかなヴィランだった。ヴィランを主人公に据えた映画は難易度が高く、周り回って人間にとって善なる「正義」として安易に着地する。そして、本作も同じ道のりをたどる。地球外生命体が主人公に寄生するが、支配に至らず、共存を選ぶ。お行儀よく二人三脚。乱暴をしようとするも、主人公の静止に素直に応じる良いコだ。あぁ勿体ない。好きにやらせればよいのに。

前半からことごとく血を見せない様子から、予想はできた。敵と見せかけて味方。ありがちな展開に加えるスパイスはユーモアだ。寄生した怪物は脳内で主人公と掛け合い漫才をかます。人体を破壊するほど、相容れない地球外生命体が、なぜか主人公とのっけから同じ視点で話をし出す。本作を見た翌週早々、楽しめたという会社の同僚とその謎を探りあったが、「よくわらかない」が結論。ロジックが重要ではなく、希代のヴィランを、安易に身近なキャラに変換させたことがつまらない。

残虐描写をひたすら避ける「マイルド」アクションの窮屈なこと。粘質体なヴェノムによるアクションは当然CGが多用される。中盤のカースタントシーンも、もはやよく見る画で、CGヴェノムの登場により映像加工の範囲が一層広がる。すっかり主人公と仲良くなったラスト、悪人だけを懲らしめる。「悪いことをしちゃダメよ」というお子様メッセージがトドメを刺す。

【55点】
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