湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆メシアン:昇天(アセンション~4つの交響的瞑想)

2017年05月25日 | フランス
○ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団、合唱団(M&A)ロイヤル・フェスティバル・ホール1970/6/18live

冒頭より強いペットがやや外し気味なのが気になるが、まるでメシアンじゃないようにすら聞こえるロマンティックな演奏。限られた音からなる音線は確かにメシアンなのだが、取り出し方というか強調の仕方がどこかアメリカっぽい。というかコープランドのスカスカな音響に似ている。アイヴズの第二組曲(DA盤の評価として別項で既に記述;M&Aのほうが格段に音がいいステレオ)といっしょにやったようだが、内容的統一性に興味はないようである。従って宗教的意味もない。キリストの昇天というよりアメリカ・アカデミズムの手法によるメシアンの再構築だろう。白孔雀の音風景とか、なんとなくそのへんを思わせる清新さが、録音がいいから気持ちいいのだが、ちょっとメシアンというには違う気がする。2楽章の特徴的なタラリラリというフレーズはオネゲルの交響曲を思わせる響きがある。トゥーランガリラをこの人がやっていたら面白かったろうな。色彩的には独自の鮮やかなものを持っているから、素晴らしいものが生まれたろうにと3楽章なんかきくと思う。しかしどこがアサンションなんだ。神秘主義ではあるが、どっちかというとツェムリンスキーの抒情交響曲なんかの音世界だ。生々しくて強すぎる、音楽が。1楽章などオルガン的でさほど印象に残らないが、このへんになってくるとけたたましい弦と常套的な動きをみせる管楽器の絡み合いに独自の構造があらわれて面白い。神々の遊びといったかんじだが、メシアンてカトリックだよね。少なくともこんな重低音で派手に世俗的に交響曲(のスケルツォ)してしまってもいいのだろうか。オリエンタリズムは完全に横の音線にしかあらわれず、音楽自体はまったくアメリカ・アカデミズムぽく表現されている。ストコ、これでいいのか?で、レントの終楽章は美しく昇天してほしい・・・しかし重い響きだなあ・・・バランスがドイツ・ロマン派なんですけど・・・しかし、弦楽合奏の扱いはいつもながら感心する。巧い。きっぱり切り落とされた終結部の思索性に辛うじてメシアンの前衛性が残っている。力強く神の国に昇天してったんだね。まあ、○にしときます。神秘主義というならこのあとにやったアイヴズの「われら祖先へのエレジー」のほうが金属打楽器と怜悧芳醇な音響のかもす雰囲気がよほど神秘的なんですが。

※2007/2の記事です。

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