湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

バルトーク:弦楽、打楽器、チェレスタのための音楽

2016年10月24日 | Weblog
コンドラシン指揮モスクワ・フィル(eternities)1969/2/26live

これは素晴らしい。録音が良くなく一部ボロボロで、痩せた音に残響を加えたような(というかホール残響だろう)ところに音量が大きくなるとカットされて抑えられてしまう感じは、演奏そのものの印象を不当に貶めかねないが、耳をすませて聴いていてもこの分厚さにもかかわらず、それと認定しうるミスが無く、強い適性を感じる。モスクワ・フィルはブラスが無いとこんなに完成度の高い演奏ができるのか、と不穏なことすら口にしてしまう。三楽章の毒々しさも素晴らしい。終楽章冒頭の激しいピチカート(これはバルトークピチカートと呼ぶのか?)がびしっと揃っている時点で勝ちなのだが、もっともこのライヴ、やや疲れてきたっぽいところもあって、激しい動きで弦の若干のバラけも出てきてしまい、構成感が半端で最後断ち切れるように弱く終わるから、拍手も通りいっぺんの感じだが、まあ、ソ連の聴衆なんて他所の現代曲には冷たいもので、上手くいっても反応は同じだったのかもしれない。コンドラシンにはバルトークの録音が無いわけではなく、いずれ今風の精緻なものではないが(バルトークはミスを許さずひびきの精緻さを追求すべきという意見なら聴かないこと)、いかにこの時代の現代曲において聴衆との接点を保ちつつ、高度な技巧や発想をつぎこんだ意欲作で、他を寄せ付けない魅力的なものであったかは、クーセヴィツキーが振った数多あるアメリカ現代作品の録音と比べると一目瞭然、その時代のオケのスタイルを前提として書かれたとすると、コンドラシン・モスクワフィルのコンビはまさにその道を行っているから、むしろ正統と言っても過言では無いと思う。悪名高いクーセヴィツキー流の改変は無い、クーセヴィツキーに欠けている色彩感もすごいから、機会があれば聴いてみると楽しいと思います。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドヴォルザーク:交響曲第9... | TOP | ☆ウォルトン:交響曲第1番(1... »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | Weblog