湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ブラームス:交響曲第3番

2008年08月10日 | ドイツ・オーストリア
○クレンペラー指揮ニュー・フィル(TESTAMENT)1971/9/26ロイヤル・フェスティバルホール クレンペラー引退公演live

あの有名なクレンペラー最晩年様式が、でも間延び感は皆無で、構成感を最小限に留めながら、明るく極めて幸福な音楽に昇華した独特の境地を示す名演。これはクレンペラー自身の壮年期の即物的なライヴ記録とも一線を画する、「違う」音楽である。録音が残響付加モノラルのうえ遠くて分離が悪いゆえ、最高評価にはできないが、ここまで来るとクレンペラーという一個人の狭い解釈の音楽ではなく、クレンペラーという芸術世界の最後を飾るために、演者全員がそのフォーマットをもとにこの上なく美しいフィナーレを作り上げようとし、それが成功したのだ。よくぞ残っていたというドキュメントである。とくに1,2楽章のクレンペラーとフィルハーモニア管の作り上げたハーモニーは「けしてイギリス様式の薄い気分の演奏ではない」しっかりした・・・でも暖かな光の中にもう今にも消えてしまいそうな、悠久の音楽。ワルツの旨くない、でもウィーンが大好きだったクレンペラーに対して、ここではニュー・フィルハーモニア管サイドから贈り物のように「これがやりたかったんでしょう」と言わんばかりの表現。クレンペラーではついぞ聴かれなかった滑らかなアンサンブル。3楽章はまるで壮年期のように速いテンポでボリュームをみせるが、終楽章コーダではまるでマーラーの「告別」の末尾のような、非常な感傷をおぼえる。偉大な芸術人生の正式に最後を飾る音楽会はこの曲で幕を閉じ、聴衆はいつまでも拍手を終えない。ブラームスのシンフォニー録音のたいていは凡演である。私のプレイヤーにはえんえんと聴かないまま溜まっていくナンバーワンの交響曲がブラームスのそれである。大雑把には解釈のパターンが限られ、それを網羅してしまうとあとはどの典型におさめるかしかない。もちろんどれかのパターンを聴きたいというときに、その様式の演奏を聴く楽しみはある。だが、ニュートラルな状態で聴いた場合は、どんな演奏でも、「ああまたこんな感じね」という場合が殆どだ。だが、この演奏は違った。全く違った。だから最後まで没入できた。それだけ付け加えておく。

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Otto Klemperer: The Last Concert - Beethoven, Brahms

Testament

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2 Comments

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ほぉ~ (けん)
2008-08-10 23:37:15
このなかなか渋い
「風が吹けば~雨がふ~るよ」
に没入出来ましたか。
と言う事はかなり良い演奏だったのだな。
この曲は難しいね。
普通にやるとただただ眠い曲で知った旋律だけ聴いたらそれでOKってな曲だからね。
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ワルター (管理人)
2008-08-10 23:50:01
この曲はワルターでハマったはいいもののその後いいものがなく、エキセントリックなスヴェトラで少し茶を濁す程度でしたね~。2番のほうが好きなんですけど。
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