イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

ムスリムの子ども教育5~家庭の土台の作り方(5)~

2018年07月18日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育5~家庭の土台の作り方(5)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(2:21:19~34:58) bit.ly/1PPruiy

  

前回は、家庭の土台作りとして、妊娠についてお話しました。今回はその続きで出産です。

 

出産時に子どもに唱えるスンナのアザーンとイカーマ:

 

産まれた子どもの右耳にアザーンを、左耳にイカーマを唱えることがスンナです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにこうあります。

 

《私は、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がハサン・ブヌ・アリーの耳に、ファーティマが彼を産んだ時、礼拝のアザーンを唱えるのを見ました。》ティルミズィー伝承

 

まだ物心もつかない産まれたばかりの赤ちゃんの耳に、アザーンを聴かせることに何の意味があるのでしょうか。実は、このスンナには、とても大きな英知と意味があります。

 

一つ目の英知は、アザーンにより、シャイターンから守られます。赤ちゃんがこの世に誕生した時に、最初にシャイターンに出会い、シャイターンの指で触られた赤ちゃんは泣き叫びます。ただ、預言者ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のご誕生の時だけは、別で、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこの世に産まれた時に泣かず、くしゃみをされました。すると、「ヤルハムカッラー(あなたにアッラーのご慈悲あれ)」という声がして、その場にいたシャッファーウ(アブドゥッラフマーン・ブヌ・アウフフ様の母親(彼らの上にアッラーのご満悦あれ))がその声を聞きましたが、声の主を見ることはなかったそうです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のご誕生は、拝火教徒が1000年絶やさずに拝んできた火が消えるくらい全世界に大きな影響を与えたもので、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の誕生は、普通の子どもの誕生とは比べることができません。

 

また、出産時にアザーンを唱えることの英知の2つ目は、この世に誕生した一番最初に、体の欲求でも、知力の欲求でもなく、魂の欲求を最初に満たすことの重要性です。体の欲求は、ミルクを飲むことを求めますが、魂の欲求は、アッラーを唱念すること(ズィクル)の光が届くことによって満たされます。この世に産まれてきた赤ちゃんに、最初に話しかける言葉は、体にでも、知力にでもなく、魂に向けた言葉です。このことは、私たち人間の名誉は、体に対してでも知力に対してでもなく、魂の名誉に拠ることがわかります。なぜなら、魂は、アッラーがご自分のルーフ(魂)から吹き込んでくださったものだからです。

 

【われは、彼(人間)を(完全に)形作りました。それからわれの霊(ルーフ)を彼に吹込んだ時、「あなたがた(天使)は彼にサジダしなさい。」と(命じました)。】クルアーン アル・ヒジュル章 29節

 

魂に向けたアッラーのズィクルを聞いた子どもの魂は、知力がまだその意味を理解する前に、そのズィクルの甘美さを満喫します。そして、父親がその役目を果たすことで、子どもは、彼にとっての父親が、ただ彼を扶養し、食べ物を与えるだけの存在ではなく、アッラーの光を伝える存在だということを証言します。そのため、父親が産まれたばかりの子どもの耳に、アザーンを唱えることがスンナなのです。それによって、体や知力よりも先に、子どもの魂が、父親との関係を認識するためです。それにより、子どもの心と魂の中に、親孝行の最初のレンガが打ち建てられます。一部の人は、なぜあの子は父親を尊敬し、親孝行なのだろう?多くの若者が、自分の父親のことを、ただ働いて自分を扶養し、食べ物を与え、お金を持って来てくれる人だから、という理由だけで、表面的に父親に従っているというのに?と思うかもしれませんが、それは、父親が、子どもの体の要求だけを満たしているためです。そうではなく、子どもの魂に、父親のアザーンによって、アッラーの光を伝えられた子どもは、知力が理解し始める前に、親孝行の核心をすでに受け取っています。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、すべてのムスリムの父親に、このスンナによって、まるで、こう言っているようです。あなたの役割は、ただ子どもに食べ物や飲み物を与えたり、子どもをかわいがったり、学校の送り迎えをしたり、必要なものを買ってあげることではなく、そんな小さな現世のことではなく、子どもの誕生時に、子どもとの関係を作る最初の段階において、私があなたに命じ、スンナとして行うよう願ったことは、子どもの体や知力を求める前に、子どもの魂を求めなさい、ということです、と。このアザーンは、父親が、体の要求よりも前に、魂の要求を満たしてくれる存在として、子どもに認識されるためのものです。

 

授乳時のスンナ:

 

そして、母親は、子どもに授乳をする時に、アッラーをズィクルするのがスンナです。ミルクを飲ませる前に、「ビスミッラー」(アッラーの御名において)と言って始めることで、アッラーの御名の光が、彼女のミルクと一緒に、子どもの体の中に深く流れ込みます。昔の敬虔な方は、授乳をしている母親が、関係のないおしゃべりをしていると、「アッラーを唱念しなさい。あなたは、子どもに授乳しているんですよ。子どもの心にアッラーの光を一緒に与えなさい。」と言っていました。そして、もし授乳している母親が、アッラーを忘れ悪口などを言っていたら、「あなたは、忘恩をミルクと一緒に子どもの心に入れるのですか?!」と言われたものでした。こういったことは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)からの知識以外からは、学ぶことができない知識です。

 

現在は多くの専門家が、子ども教育のために、子どもの知覚能力が形成された後の体の成長や心の成長などについて、様々な知識を紹介しています。しかし、イスラームにおけるムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)の子どもの教育法は、子どもがこの世に誕生する前から、親が子どもを授かる前から始まります。子どもが、イスラームの光、信仰の光、アッラーとムハンマド様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の光を受けるために、子どもの体が形成されるずっと前から、子ども教育の最初の一歩を始めます。

 

子どもの授乳している時にハラールのお金で得た食べ物を母親に食べさせること:

 

子どもを、授乳の時から、ハラールのお金で得た食べ物やハラールの食べ物を与えるよう、できる限り努力することは、子どもの教育においてとても大切です。現代では、ハラールのお金を得ることがとても難しくなっています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、こう言われたとおりです。

 

《利子を貪ぼらない人がいない時代が、必ず人々のところにやって来ます。もし、それ(利子)を貪ることがなかったとしても、その埃をかぶります。》イブンマージャ、アブーダーウード、ナサーイー伝承

 

私たちが生きている時代のことです。しかし、アッラーがご覧になっているのは私たちの心です。ハラームの利子をできる限り避けようとしている心があるかどうかを、アッラーはご覧になっています。

 

著名なイスラーム学者イマーム・ガザーリーの師であった、アル=ジュワイニー師(彼らにアッラーのご慈悲あれ)の逸話があります。彼は、イスラームの知識に長け、その演説の上手さや論述の正確さにおいて当時右に出る者がいないほどの学者でしたが、滑らかに話す彼が時々、話の途中で沈黙することがありました。ある人が彼に、「あなたの弁術は本当にすばらしい。しかし、その弁術のすばらしさと、その時折見せる沈黙の秘密は何でしょうか。」と尋ねました。すると、彼は、「私の父は、アッラーを畏れる本当に用心深い人で、ハラールのお金や食べ物を固く守り、私にも、母にも、ハラールのものしか決して与えませんでした。いつも母に、母以外の誰からも、私に授乳させないようにと言って、私に他の人の母乳を与えることを禁じていました。ある日、母が忙しくしている間、私がお腹を空かせて泣いていると、隣の家の奥さんがやって来て、かわいそうに思って私を抱き上げると、自分の母乳を与え始めました。そこへ、父が帰宅し、彼女が授乳をしているのに気付くと、『その子を渡してください。』と言い、私を別の部屋に連れて行くと、急いで足を持って逆さにし、口に手を入れて、『吐き出せ、吐き出せ。』と言って、胃の中のミルクをすべて吐き出させました。父は隣の家の主人が利子を扱っていたことを知っていたからです。私の知識や弁が立つのは、父がハラールで育ててくれたからで、沈黙は、その時に胃に残っていたミルクの分です。」

 

子どもを育てるときにハラームのお金が入らないように、注意することはその子の将来に大きな影響を与え、とても大切です。

 

 


ムスリムの子ども教育4~家庭の土台の作り方(4)~

2018年07月18日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育4~家庭の土台の作り方(4)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(2:7:20~21:19) bit.ly/1PPruiy

  

前回は、家庭の土台作りとして、養育費に対する不安についてお話しました。今回はその続きです。

 

ムスリムは、自分の糧はアッラーの御手にだけある、ということを頭では知っていますが、その確信がまだ心に降りてきていないこともあるかもしれません。本来は、子どもの養育費はアッラーが担っておられるので、アッラーを信じていれば心配しませんが、その確信が弱いために、もしくは体が弱い、病気etc.の理由がある場合、子どもを持つことを遅らせることは、イスラーム的に許されていることです。それは、病気などのやむを得ない理由でなくても、まだ妊娠していない状態であれば、アッラーの糧への確信が弱いために、しばらく子どもを持たないと計画することは、イスラームで許されていることです。ただ、ここでは許されているかハラームか、という話ではなく、アッラーに対する礼儀と心の状態を考えることを薦めています。また、妊娠がわかったならば、母体に危険が及ぶなど何か理由がある場合を除き、中絶することは許されていません。それは殺人になるためです。

 

心配2)夫婦の信頼関係:

 

養育費の心配の次に、子どもを持つことを遅らせる理由は、夫婦仲の心配です。結婚した女性に、「なぜ子どもがほしくないのですか?」と聞くと、「本当にこの人とやっていけるかどうかもう少し様子を見ないと不安で・・」という答えが返ってくることがあります。夫婦喧嘩が多くて、全然理解し合えない、この相手と本当にこの先ずっと一緒に生活していけるのか、という不安があるうちは、安心して子どもを作れない、と言うのです。

 

夫婦仲に安心できない原因は何でしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が教えてくださっていることを実践してみましょう。ご夫婦二人が、お互いに、相手の権利を守ることを、自分の権利を主張することよりも優先すれば、必ず夫婦仲は最も素晴らしい形で完成します。また、二人の間に子どもが産まれることで、アッラーが、夫の心に慈悲とやさしさと思いやりを増してくださることもあるでしょう。アッラーに期待すれば、アッラーが自分に期待する人のことを失敗させるわけがありません。

 

こういった様々な妄想による不安が、子どもを持ちたいという自然な気持ちを妨げます。他にも、出産の痛みや妊娠中の苦しみや子育ての苦労について、シャイターンやシャイターンにささやかれた周りの人たちが女性にささやき、子どもを持つことを嫌悪させます。なぜなら、ムスリムが子どもを産むことによって、最後の審判の日に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が喜んでくださることになるからです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《子どもを増やしなさい。そうすれば、私は最後の審判の日に、自分の共同体の人員の多さを誇るであろう。》ブハーリーとムスリム伝承

 

いろいろな不安を抱えて子どもを持つことをためらうことなく、ただ「預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の心に喜びを入れることができる」ということを期待して子どもを持つことを望む人もいます。

 

それでもシャイターンはあきらめずにささやくかもしれません。「今は、昔とは時代が違う。現代の子育ては、育児も教育もとても難しくお金もかかる。自分の子どもをちゃんと教育できなかったらどうするんだ。」

 

大丈夫です。すでに預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、私たちのどんな心配にもすべて回答を与えてくださっています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《もしも、あなた方のだれかが、自分の配偶者と性交渉をもとうとする時には、「アッラーの御名において。アッラーよ、私たちからシャイターンを退けて下さい。そして私たちに授けて下さったものからシャイターンを退けて下さい。」と言いなさい。そうすれば、そのときにアッラーが子をお授け下さった場合、悪魔がその子に決して害を及ぼすことはありません。》ブハーリーとムスリム伝承

 

アラビア語「 ビスミッラー。アッラーフンマ ジャンニブナッシャイターナ、ワ ジャンニビッシャイターナ マー ラザクタナー。」

 

これ以上に信頼のおける約束があるでしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、私たちの子どものことを、その子とアッラーとの関係を保証してくださっています。アッラーのズィクルによって産まれてくる子どもは一生シャイターンから守られます。

 

最後の審判が近くなると、このズィクルを忘れてしまい子どもを産む人たちが増え、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃっています。

 

アーイシャ様(アッラーのご満悦あれ)は言いました。

《アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は私におっしゃいました。「あなた方のうちで、ムガッラブーンがいます(もしくは別の単語)か?」私は言いました。「ムガッラブーンとは何ですか?」「彼らにジンが加わった人たちです。」》アブーダーウード、ハーキム伝承

ムガッラブーン:夫婦の営みにシャイターンやジンが加わり産まれた子ども。

 

こうしてアッラーのズィクルによることなく産まれた子どもには、シャイターンの害が降りかかってしまい、後になって、親が「なぜうちの子は親に背くのか。」「なぜこの子にはアッラーによるタウフィーク(成功)がないのか。」と驚き、その子による多くの苦悩に悩まされることになるかもしれません。それは親が、アッラーのズィクルによって、自分と子どもと配偶者をシャイターンから守らなかったためです。

 

ハラールの方法により得た収入とそのお金で買うハラールの食べ物:

 

ムスリムの子育てにおいて、大事なことのひとつに、子どもに与える食べ物をその入手方法もハラールにするということがあります。実は、ハラームの食べ物を与えて子どもを育てないことは、両親の喜びとなるような誠実な子どもになるかどうかに大変大きな影響があります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

《ハラームによって育ったすべての肉体には、(地獄の)炎がふさわしい。》タバラーニー伝承

 

人を騙して手に入れたお金や嘘をついて手に入れたお金、賄賂を払って手に入れたお金、人に不正を働いて手に入れたお金、そういったハラームの方法で手に入れたお金で家族を養うことにより、望むと望まないとに関わらず、自分の子どもに取り返しのつかない大きな危険を与えます。子どもに及ぼすこの害は、親が、アッラーに対する確信が足りないことに起因します。子どもにおいてアッラーを畏れましょう。

 

また、子どもを持つことの意図を確認し、クルアーンで教えてくださっているドゥアーをしましょう。

رَبَّنَا هَبْ لَنَا مِنْ أَزْوَاجِنَا وَذُرِّيَّاتِنَا قُرَّةَ أَعْيُنٍ وَاجْعَلْنَا لِلْمُتَّقِينَ إِمَامًا

【そして、「主よ、心の慰めとなる妻と子孫をわたしたちに与え、主を畏れる者の模範にして下さい。」と(祈って)言う者。】クルアーン 識別章25-74

アラビア語「ラッバナー ハブ ラナー ミン アズワージナー ワ ズッリッヤーティナー クッラタ アアユニン ワジュアルター リルムッタキーナ イマーマー」

 

自分と預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)とムスリム達にとって、心の慰めとなる子どもを御恵みくださるよう、このドゥアーでアッラーに求めましょう。子どもを持つ目的は、自分が年老いた時に世話をしてもらうためでも、子どもの卒業大学の名前や就職先を自慢するためでもありません。うちの子は○○大学に合格した、息子が医者になった、うちの子は弁護士になった、これらは、まったく取るに足らないことです。なぜなら、信仰者もアッラーに背く者も同じように、医者にも弁護士にもなるからです。自分の子どもが医者であっても、アッラーに背く人が、その子よりずっと名高い医者であるかもしれません。現世の職業や大学は、まったく自慢すべき対象ではありません。本当に自慢できるものは、その子が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)にどれだけつながっているかどうかです。

 

子どもを授かった後にすること:

 

妻の妊娠がわかったら、夫はアッラーに感謝し、その子が男の子でも女の子でもアッラーのご加護があるように祈ります。妻は、アッラーがお恵みくださった子どもによって得られる大きな報償を思い出し、妊娠中のサブル(忍耐)によってアッラーが自分に満足してくださるよう願いします。妊娠中の気分の悪さや苦労や痛みに関して、アッラーに不満を言わないよう注意しましょう。なぜなら、それらの苦労によって、女性には、男性がどんなに努力し崇拝行為を行っても獲得できない高い位がアッラーから約束されているからです。妊娠中の期間をアッラーへのズィクルで過ごし、心をアッラーに向けましょう。母親が口にする嘘や悪口、中傷やハラームを見る一瞥(いちべつ)が、胎児に影響を与えることがないなどと思ってはなりません。それらは本当にすべてお腹の中にいる子どもに多大な影響を与えます。特に、ルーフ(魂)を吹き込まれた後(120日目以降)には要注意です。魂の知覚能力は理性の知覚能力よりも早く形成されるため、十分な注意が必要だからです。

 

出産が近づいたら、アッラーへのズィクルで過ごし、それによって、アッラーが出産を簡単にしてくださるよう願います。陣痛が起こり、耐えられないほどの痛みに襲われた時には、最初の陣痛が起こると、自分の過去の罪がすべて消されることを思い出しましょう。そのため、昔の敬虔な方たちは、出産が近い女性や、出産後の女性を訪問し、彼女に、「どうかアッラーが私を赦してくださるようにドゥアーしてください」と頼みました。なぜなら、出産によって、すべての過去の罪が消され、真っ白な状態になるので、罪のない彼女のするドゥアーは、アッラーに叶えてもらいやすいからです。

 

母親の徳はまだあります。イエメンのある男がハッジに行き、マッカの強烈な太陽の下、自分の母親をずっと背負い、母親のためにハッジ巡礼の崇拝行為を母親を背負ったまますべて行いました。彼は、イブン・ウマル様(アッラーのご満悦あれ)にこう言いました。「イブン・ウマル様、私はこれによって母親の権利を十分に報いましたか。」すると、イブンウマル様(アッラーのご満悦あれ)はこう言いました。「いいえ。まだあなたが彼女のお腹にいた時の、彼女の陣痛の痛みの1つでさえ(報いてはいません)。」

 

《一人の男がアッラーの使徒の所にやって来て「私は人々のうちで誰に一番つくすべきでしょうか?」と言った。

すると預言者は「あなたの母親です」と言った。

そこでその男は「その次は誰ですか?」と尋ねた。

すると預言者は「その次もあなたの母親です」と言った。

そこでその男はさらに「その次は誰ですか?」と尋ねた。

すると預言者は「その次もあなたの母親です」と答えた。

さてその男はさらに「ではその次は誰ですか?」と尋ねた。

すると預言者「その次はあなたの父親です」と答えた。》ブハーリーとムスリム伝承

 

このハディースでもわかるように、イスラームは女性に、男性が届かないほどの高い地位を与えています。子どもを授かることは、男性にとってはたった一晩、もしくは一時の快楽ですが、女性にとっては死の危険にさえさらされる出来事です。そのため、イスラームでは、母親の権利は、父親の権利に優るのです。

 


ムスリムの子ども教育3~家庭の土台の作り方(3)~

2018年07月18日 | 預言者の教育方法

あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育3~家庭の土台の作り方(3)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(1:38:00~完、2:~7:20) bit.ly/1PPruiy

  

これまで、家庭の土台作りになるニーヤ(意思)とニカー(結婚契約)についてみてきました。今回はその続きです。

 

結婚式が終わって、結婚相手と一緒に最初の日を過ごすことになったら、まずは部屋に入る際に、サラームを伝える挨拶、「アッサラーム アライクム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ」(あなたにアッラーのご慈悲と平安がありますように)と言って挨拶をします。サラームは、平安、安全です。初めて家族となる相手と過ごす際に、サラームで始めることで、これからの人生に、平安と安全をもたらしてくれます。サラームはとても大切です。そして、スンナの2ラカートの礼拝をし、結婚の際のドゥアーをします。

 

80.結婚する者のドゥアー「アッラーフンマ インニー アスアルカ ハイラハー ワ ハイラ マー ジャバルタハー アライヒ ワ アウーズビカ ミン シャッリハー ワ シャッリ マー ジャバルタハー アライヒ。」

日本語の意味「アッラーよ、私はそこにある良きものを求め、あなたがそのように創造されたところの良きものを求めます。そしてそこにある悪から、そしてあなたがそのように創造されたところの悪しきものからのご加護を求めます。」

 

81.床入り前のドアー「ビスミッラー。アッラーフンマジャンニブナッシャイターナ、ワジャンニビッシャイターナマー ラザクタナー。」

日本語の意味「アッラーの御名において。アッラーよ、私たちからシャイターンを退けて下さい。そして私たちに、授けて下さったものからシャイターンを退けて下さい。」『ムスリムの砦』p.141,142

 

最初に結婚相手と過ごす時、相手との関係を通して、自分とアッラーとの間の関係を築くことをまず考えましょう。昔の敬虔な方は、「アッラーのご満足を求めて妻に対して寛大にし、彼女の権利を守ること、アッラーの権利を守ることを固く心に決めた者には、アッラーは彼女の心に、2つのことを投げ入れます。ひとつは、夫への心からの愛情と優しさ、2つ目は、夫への尊敬と畏敬の念です。」と言いました。新しい家族となった結婚相手と過ごす最初の数日間の夫婦の関係は、これから先、人生を共にする二人の関係が現れます。子どもを迎え入れる準備がここから始まります。子どもの教育が、ここからすでに始まっていることをしっかり思い出しましょう。

 

現在、どれだけ多くのすでに亡くなったご夫婦が、墓の中で結婚当初の日々を思い出し、幸せを感じているでしょうか。アッラーのご満足を求めて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナに従って結婚を進めることで、現世だけでなく、墓の中と来世でも幸せを感じる結婚になります。その幸せは現世の一瞬の出来事ではなく、その人の永遠の来世まで持って行くことができる幸せとなります。

 

しかし、男女の関係が多様化し、結婚の意味が変わって来た現代に、こういった婚約や結婚のスンナに従うことは、ムスリムでない親戚、家族や友達から驚かれたりして、様々な困難を伴うかもしれません。そのことについて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃっています。

 

《誰でも私のスンナを蘇生(そせい)した者は、私を蘇生したのです。そして私を蘇生した者は、天国で私と共にいます。》ティルミズィー伝承

 

《私のウンマ(イスラーム共同体)が腐敗する時代に、私のスンナを堅く守る者には、殉教者と同じ報償があります。》タバラーニー伝承

 

《私のウンマ(イスラーム共同体)が腐敗する時代に、私のスンナを堅く守る者には、100人の殉教者と同じ報償があります。》アル=バイハキー伝承

 

結婚に関するスンナを私たちが他の人たちに伝え、守って行くことは、これほど大きなご褒美があります。

 

出産における心配ごと:

心配1)養育費

 

また、結婚に関する心配事のひとつに、お金のことがあります。結婚しても子どもを作ろうとしないご夫婦に理由を尋ねると「まずは自分たちの生計をしっかりしないと、、、」と言います。つまり、子どもの養育費のことを心配しているのです。しかし、イスラームでは、人が一生の間に手にするお金は、すでに母親のお腹の中にいる時に決められています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《あなた方の誰でもそうだが、母親の体内で40日間でその組織が集められ、その後同様の日数で凝血となる。

それから同様にして肉塊となる。そして天使が遣わされてそれに魂を吹き込む。

それで天使は四つの言葉(を書くこと)を命ぜられる。それは胎児の生計と寿命と行為と幸不幸を書き留めて決定することである。》ムスリム伝承

 

ですから、子どもの養育費は父親ではなく、アッラーが担っておられます。アッラーに不可能なことがありますか?結婚して最初の頃、子どもの養育費を貯めるまで子どもを作らないと決め、収入と支出を計算して、妊娠と出産の計画を立てることによって、寛大なアッラーの糧を自分たちで狭めていることがあります。例えば、ある人は、最初の数年間は子どもの養育費がないから子どもを作らない、と決めます。しかしその決定は、アッラーは私たちにこれだけしか収入を与えてくれない、という確信で、アッラーが与えてくれないと確信すれば、もちろんアッラーは与えません。それは、アッラーに対する悪い見方だからです。つまりアッラーに対して悪い見方をすることによって、自ら収入が入らないようにし、自分で自分の首を絞めていることに気付いていないのです。アッラーの寛大さを自分たちで狭めることはありません。もちろん、出産にも育児にもお金がかかります。しかし、アッラーは、その子の養育費を両親に与えない限り、子どもも与えない、ということを思い出しましょう。

 

私たちは、収入を得るための「手段」を取ることと、その「手段」を頼りにすること、を混同してないように注意しなければなりません。手段を取ることは、アッラーがお許しになられていることですが、その手段を頼りにすることはアッラーが禁じていることです。マルヤム様(平安あれ)に「手段」なく糧をお与えになられたお方が、やはり「手段」なくマルヤム様(平安あれ)にイーサー様(平安あれ)をお与えになられました。

 

【ザカリーヤ一が、かの女を見舞って聖所に入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

【何かを望まれると、かれが「有れ。」と御命じになれば、即ち有る。】クルアーン ヤースィーン章36-82

 

全宇宙を無からお創りになられたお方が、私たちが「手段」を取らなければ、私たちに与えることができないでしょうか。アッラーは、イーサー様(平安あれ)を出産したばかりのマルヤム様(平安あれ)にこうお命じになられました。

 

【またナツメヤシの幹を、あなたの方に揺り動かせ。新鮮な熟したナツメヤシの実が落ちてこよう。】クルアーン マルヤム章19-25

 

女性がナツメヤシの太い幹を揺らすことなどできるでしょうか。頑強な男性でも実が落ちるほど揺らすことは不可能です。では、出産したばかりの女性にとって、どれほど不可能なことでしょうか。それではどうして、アッラーはマルヤム様(平安あれ)に揺らすことを命じたのでしょうか。もちろん、アッラーは彼女が揺らすことなく、ナツメヤシを彼女に与えることができるのに、です。これが、「手段を取ること」です。マルヤム様(平安あれ)が木を揺り動かそうとすることが、手段です。実が落ちてくることは、その行動とは直接関係ありません。なぜならば、そんな力で揺らそうとしたところで無理だからです。アッラーは私たちに、すべてのものは、「手段」によって起こっているわけではなく、「手段」はただアッラーのご命令に従うだけだ、ということを教えてくださっています。「手段」はアッラーのご命令に従うだけで、私たちは「手段」によってお金を手に入れるのではなく、アッラーのみがそれを与えてくださいます。

 

例えば、小さな子どもがお菓子屋さんで父親に、「飴食べたい!」と言うと、父親が、じゃあ、「1~10まで数を数えてごらん。」と言い、子どもが「1,2,3,4、、、、10!」と数えると、父親は店主のおじさんに合図し、子どもがおじさんから飴をもらって喜んでいる隙にお金を払いました。次の日、子どもはまた飴が食べたいと思い、同じお菓子屋さんに行き、昨日の店主を見つけると、大声で、「おじさん、1,2,3,4、、、、、」と数えはじめ、「、、、10!」と言いますが、おじさんは飴をくれません。この子がやったことは笑いを誘うでしょう。それはそのまま私たちが日ごろアッラーに対してやっていることです。アッラーは、仕事をすることを、糧を得る「手段」としました。決して、「仕事」が糧を与えるわけではありません。しかし、私たちは、糧を得たいと思ったら、「1,2,3,4、、、、」と数えるようになってしまいました。これが私たちの現状です。

 

子どもは店主に、「おじさん、ぼく10数えたよ、昨日みたいに飴ちょうだいよ。」と言います。店主は、「10を数えることが、飴の代金じゃないんだよ。お父さんの言うことを聞いたから、飴をもらえたんだよ。」と言います。アッラーに対しても、私たちは同じことをしています。アッラーが「手段」を取りなさい、と命じたから、私たちは「かしこまりました」と、「手段」を取り、仕事をしますが、その仕事が私たちにお金を与えるわけではないことを、心に刻む必要があります。「手段」がお金をくれるという妄想を消しましょう。「手段」の奴隷になって「手段」を頼りにするのではなく、アッラーに従い、頼ることです。そうすれば、もし「手段」が停滞したとしても、アッラーがそのお力によって、まったく「考えつかないところから、恵みを与え」てくださいます。

 

【かれが考えつかないところから、恵みを与えられる。アッラーを信頼する者には、かれは万全であられる。】クルアーン 離婚章3

 

昔のアッラーをよく知っている先生は、「自分の糧が、いつも考えつくところからしかやって来なければ、自分の信仰を調べなさい。」と言いました。アッラーは、【かれが考えつかないところから、恵みを与えられる。】とおっしゃっているにもかかわらず、自分の糧がいつも考え付くところからしか来ない、ということは、信仰になにか問題がある、ということです。自分の糧の中で、考え付かないところからやって来る糧があるべきだ、ということです。

 

私たちが手段でなく、手段を結果に結びつけてくださる御方にだけ頼ることができますように!


ムスリムの子ども教育2~家庭の土台の作り方(2)~

2018年07月01日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育2~家庭の土台の作り方(2)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(18:10~38:00)bit.ly/1OYuajs

  

第一回目は、ニーヤ(意思)により、家庭の土台を作ることについて学びました。正しいニーヤ(意思)を持つことで、アッラーが家庭の土台を強固にしてくれます。正しいニーヤ(意思)とは、現世の物を求めて結婚するのでも、相手がただ好きだから結婚するというものでもありません。基本的に、「アッラーのご満足を求めて、結婚します。」というニーヤ(意思)です。もしすでに結婚している方は、今からでも遅くはありません。今から、家族に接するニーヤ(意思)、ご主人に対するニーヤ(意思)、子どもたちに対するニーヤ(意思)を誠実に正しく持ち直すことから始めましょう。ご家族に対して、「アッラーのご満足を求めるために」というニーヤ(意思)を持ちましょう。

 

結婚は預言者ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《ニカー(結婚)は私のスンナです。私のスンナをしない者は私の仲間ではありません。》イブンマージャ伝承

 

もちろんイスラーム以前の人たちも、ムスリムではない人たちも結婚します。彼らの結婚が、ムスリムにとってのニカー(結婚契約)と違うのは、それが預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナ、つまりそれによってアッラーからの報奨をもらえる行為である点です。人間の持つ性欲という欲望さえ、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナに従って結婚することで、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を通してアッラーに近づく行為となります。ですから、基本的には、ムスリムは結婚し家庭を築くことを優先するため、他の宗教のように修道院に入ったり、出家したりしません。ただ稀な例として、経済的な理由など、様々な理由により結婚が難しい場合で、ハラームの行為(婚外交渉や異性のことを注視したり、考えたりするetc.)に陥らないのであれば、独身でいることもあります。

 

例えば、タービイーンの有名なハサヌ・ル=バスリー師(アッラーのご慈悲あれ)は、「なぜアッラーの使徒のスンナをなさらないんですか?」と尋ねられ、「私はそれがスンナであることは知っています。決してそれを軽視したり、怠惰なために結婚しないわけではありません。ただ自分の心が2つのもの、我が主と妻を収めることができないことがわかったのです。そして、私の心にとって、偉大かつ崇高なるアッラーは義務であり、妻を娶ることはスンナであるため、義務をスンナよりも優先したのです。」と答えました。また、イマーム・ナワウィー師(アッラーのご慈悲あれ)も44歳で亡くなりましたが、知識探求と教授とダアワに専念し、結婚のことについての考えがまったくよぎることなく生涯結婚しませんでした。こういった例はまれですが、イスラームでは結婚しない人を批判する必要もないですが、結婚しないことがアッラーに近づく特別な方法だという訳でもありません。

 

著名なビシュル・ル=ハーフィーとイマーム・アハマド(彼らにアッラーのご慈悲あれ)の逸話があります。ある人がビシュル・ル=ハーフィーに「あなたの状態はどうですか。」と尋ねると、彼は、「アッラーは私をイッリッユーン※の中に入れてくださり、天国をおゆるし下さいました。」と答えました。

※天使が書く善行をした人たちの帳簿とも、最高天にあるアッラーの玉座の下の場所とも言われる

次に「イマーム・アハマドはどこにいますか?」と尋ねられると、彼は、上を見上げ頭を上げ、また更に見上げ、また更に見上げ、かぶっていた帽子が床に落ちるほど上を見て指さしました。「どうして彼はあなたよりも上にいるのですか?」と尋ねられると、「彼は結婚し、アッラーの御使い様のスンナを実行しましたが、私はしなかったからです。また彼は子どもを持ち、知識とズィクル(アッラーを唱念すること)についての善い教育を施し、彼にはその子ども達の知識とズィクルの報奨がありますが、私にはないからです。また彼はアッラーの道のために拘留され罰を受け試練に遭い忍耐しましたが、私は行っていないからです。この3つにおいて彼は私を超越しているのです。」このようにイスラームには、結婚しないことがより敬虔であるといったことはありません。

 

結婚するかどうか、といえば、基本は結婚するというのが正解です。次に、誰と結婚するか、については、ハディースがあります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《次の四つの理由において、女性と結婚します。それらは、彼女の財産、彼女の血統、彼女の美しさ、そして彼女の信仰です。それ故、信仰深い女性を得るようにしなさい。あなたの両手が埃だらけになりますように!※》※しっかりやりなさい!の意。人を励ます場合にも使われる言葉である

 

女性の財産、地位、容姿などを理由に結婚することもできますが、基本は、信仰深い女性を選ぶことが優先されます。

 

またどんな理由で結婚するか、というと、前回お伝えした誠実なニーヤ(意思)によって結婚します。「アッラーのご満足を求めて、結婚します。」というニーヤ(意思)です。

 

次に、どうやって結婚するか、です。配偶者になる人を選んで、実際に結婚したいと決めたら、次にすることはフトバ(婚約)です。結婚したい相手の女性の後見人(父親etc.)の家に、本人、または代理人が行き、出席したムスリムたちが見守る中、婚約をしに来た男性が、アッラーを称賛し、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に祝福祈願をし、参加者たちにアッラーを畏れるよう忠告した後、彼女の父親または、後見人に結婚を申し込みます。これらのスンナは、家庭を築く最初の行事ですが、最近は行われることが減っています。後見人は、結婚経験のない女性には結婚の意思を確認すべきで、特に再婚の女性には彼女に結婚の意志がなければ結婚は成立しません。もし彼女に結婚を受け入れる意志があれば、後見人はそれを男性に伝え、最後にファーティハ章を読誦し終了します。フトバをした後は、まだニカー(結婚契約)をした後のように、二人きりで出かけたり話したりすることが許されているわけではありません。ただ、お互いに、フトバ中は、他の人とフトバや結婚をすることが禁じられるというものです。男女の関係は、結婚前の状態なので、二人きりで話したり、会ったりすることは許されていません。このことは家庭を築く上でアッラーの英知があります。

 

次に、二人が結婚の意志を固めたら、ニカー(結婚契約)をします。ニカーをする際には、敬虔な人たちに集まってもらうことがスンナです。また、招待する人たちは、アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が最後の審判に喜んでくれる人たちを選びましょう。例えば、親戚関係をよくするという義務を果たすために、親戚をたくさん招待します。結婚式が、親戚関係を悪くするきっかけにしないように気を付けましょう。また、結婚式では、忙しさや人の多さでアッラーのことを忘れてしまうことがないよう注意しましょう。そう言うと、「今日は彼らの結婚式なんだから放っておいてあげたら。」と言ったりしますが、アッラーとのつながりが結婚式に切れるということがあるでしょうか。結婚式の当日だけの喜び、幸福で終わらせず、現世だけでなく永遠の来世でもふたりで喜び、幸せになることができる結婚式にしましょう。それはお祝いやパーティーをしない、ということではありません。イスラームでも喜びを表すことはスンナです。結婚式で喜びを表すことについて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がこうおっしゃっています。

 

《このニカーを公表して、マスジドで行いなさい。またそれにおいてダッフ(タンバリンのような太鼓)を叩きなさい。》ティルミズィー伝承

 

楽器は基本的にはイスラームでは禁止されていますが、結婚式には人々に喜びを与えるためにダッフを叩き祝いなさいと言っています。善い言葉や詩で喜びを表し、女性は女性のみの会場で礼儀を護った簡単な踊りを楽しむこともできるし、男性は男性のみの会場で礼儀を護った踊りをすることも許されています。イードの日には、預言者モスクでさえ踊りをしていました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースにこうあります。

 

《イードル・アドハーの日、アブー・バクルが彼女の所にやって来た。その時、彼女の許に二人の女性がいてタンバリンを打ち鳴らしながら歌っていた。アッラーのみ使いは衣服で全身を覆っておられた。アブー・バクルは彼女達を叱った。

するとアッラーのみ使いはお顔をお出しになり「アブー・バクルよ、祭なのだから彼女達をそのままにしておくがよい」と申された。アーイシャは「アッラーのみ使いは私がエチオピアの人々がスポーツをしているのを見ておりますと、その御方の外とうで私を人目から遮るようにして下さったことがありました》ムスリム伝承

 

《イードの日、モスクにエチオピアの人々が歌い踊りながらやって参りました。預言者は私をお呼びになりました。

私は私の顎をその御方の肩に乗せました。私は終始そのような恰好で彼等のスポーツを眺めておりました。》ムスリム伝承

 

この時エチオピアの人たちが歌っていたのは、エチオピア語で預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を称賛する歌でした。お祝いの席やイードでは預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を称賛するのがスンナです。これらは、結婚式のハラールな楽しみ方です。それによって、結婚式にアッラーの祝福が降り、アッラーの光によって二人が祝福されるやり方です。

 

よりによって人生の門出に、アッラーに背く方法で行う結婚式に何の意味があるでしょうか。小さいころからヒジャーブをしていた女性が結婚式の日に、それを脱いでドレスに着替えてしまうのはどうしてでしょうか。男性がアウラの表れている自分の妻を横に置いて、参列した男性たちに彼女の美しさを見せているのに満足するのはなぜでしょうか。それはただ、西洋の習慣が入って来たから、というだけではありません。結婚式の本来の意味が失われていることに拠るものです。

 

また、自分の持っているものを自慢するという悪習に慣れてしまったためです。新しい車を買った人は、友達に見せて自慢したがります。必要だから買うのではなく、自慢するために買う人もいます。新しい服を買ったら、人々が見て褒めてくれるのを期待します。アクセサリーを買ったら、それを着けて人が称賛してくれるのを待ちます。自慢する心は、心の病のひとつです。

 

現世の物だけでなく、アッラーとの崇拝行為まで自慢したくなります。クルアーン読誦を人前でする時、美しい読誦を人々が褒めてくれるために読むのか、アッラーのお喜びを求めて読むのか、そこには天と地の差があります。

 

自分の車を自慢するように、自分の家の美しさを自慢するように、自分の妻の美しさを自慢するのは病気です。女性は物ではありません。女性はアッラーがお創りになられた価値ある存在です。これも人々に褒められたという心の病気のせいです。この病気は、その人の人生を台無しにします。なぜなら、現世の物には流行があり、新型のものがどんどん出てきます。今、人々が褒める物も、来年には古い物になってしまい、幸せを感じるには、また新しい物を買わなければならず、お金を浪費し、消費を続けていかなければ幸せも続きません。これがアッラー以外のものの満足を求める人生の結末です。

 

反対に、アッラーのご満足を求めて行うことは、現世でも来世でも消えません。「どうしてその服を着ましたか?」「アッラーのお喜びを求めて清潔にするため」、「アッラーの恩恵を示すため」、「アウラを隠すというアッラーの命令を遂行するため」と答える人は、年月によってその服を着るときの幸せは変わりません。10年後に着ても、同じ幸せを感じることができます。

アッラーが私たちの心を病気からお守りくださいますように。

 


ムスリムの子ども教育1~家庭の土台の作り方(1)~

2018年07月01日 | 預言者の教育方法

ムスリムの子ども教育1~家庭の土台の作り方(1)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(~18:10)https://www.youtube.com/watch?v=1oJ2IfRLFXU 

 

家を建てる時に、どんなにすばらしい建物をデザインして、内装を美しくしても、土台の基礎工事をしていなかったら、雨が降っただけで屋根も壁も崩れ落ちてしまうかもしれません。家庭も同じです。すべての行いの土台は何でしょうか。家庭の土台は、ニーヤ(意思)です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《行為とはニーヤ(意思)にもとづくものであり、人はみな自らのニーヤ(意思)した事柄の所有者です。

したがってアッラーとその御使いのためにヒジュラ(聖遷)に参加した者は、アッラーとその御使いのために

聖遷(せいせん)を行なったのであり、現世の利益、結婚相手の女性のために聖遷に加わった者は、

それらのためにヒジュラ(聖遷)を行なったにすぎません。》 ブハーリーとムスリム伝承

 

ムスリムの子どもの教育において、まずは、その土台となる結婚について気を付けるべき点をお話します。

 

1.     結婚、出産において正しいニーヤ(意思)を持つこと:

  昔の敬虔な方は、結婚しようと決意したら、まずイスラームの知識のある先生のところに行き、「私は結婚したいと思いますが、結婚に際して行う正しいニーヤ(意思)を教えてください。」と先生に尋ねました。なぜなら、そのニーヤ(意思)こそが、その後の結婚生活すべての土台となることをよくわかっていたからです。ニーヤ(意思)を正しく持つことで、その後の結婚生活がアッラーによって守られます。「アッラーのご満足を求めて、結婚します。」というニーヤ(意思)です。

 

クルアーンの中には、マルヤム様のお母様(ハンナ様)が出産に際して、ニーヤ(意思)をするところがあります。

 

【イムラーンの妻がこう(祈って)言った時を思え、「主よ、わたしは、この胎内に宿ったものを、あなたに奉仕のために捧げます。どうかわたしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。」】クルアーン イムラーン家章3-35.

 

このハンナ様の誠実なニーヤ(意思)によって、アッラーは彼女に預言者イーサー様(平安あれ)の母親のお母様になるという栄誉をお与えになられました。イーサー様(平安あれ)の誕生から2000年以上経った現在でも、世界中の人たちがイーサー様(平安あれ)の復活を待っています。この栄誉はどこから来ましたか?母親の誠実なニーヤ(意思)からです。またハンナ様は、出産後にアッラーにこうドゥアーをしています。

 

【それから出産の時になって、かの女は(祈って)言った。「主よ、わたしは女児を生みました。」アッラーは、かの女が生んだ者を御存知であられる。男児は女児と同じではない。「わたしはかの女をマルヤムと名付けました。あなたに御願いします、どうかかの女とその子孫の者を、呪うべき悪霊から御守り下さい。」】クルアーン イムラーン家章3-36

 

ハンナ様がアッラーに捧げたニーヤ(意思)の成果は、何だったでしょうか?

 

それで主は、恵み深くかの女を嘉納され、かの女を純潔に美しく成長させ、ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

ハンナ様のニーヤ(意思)によって、【恵み深くかの女を嘉納され】、つまり、その子をアッラーが受け入れてくださったという成果です。私たちは、結婚が「崇拝行為」だということを知っているでしょうか。結婚がアッラーへと近づくための崇拝行為だと知っていたら、結婚においても、アッラーが受け入れてくださるかどうか、と考えることができるでしょう。アッラーに受け入れられた結婚は、アッラーによって守られます。

 

アッラーが与えてくださったこの人生は、すべてがイバーダ(崇拝行為)になることを、ムスリムは知っています。崇拝行為というのは、ただ、礼拝することや断食すること、クルアーンを詠むこと、ズィクルをすることだけでしょうか。それらは人生の中のほんの少しの時間だけです。私たちの人生は、すべてが崇拝行為です。アッラーはクルアーンの中でこうおっしゃっています。

 

【ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるため。】クルアーン 撒き散らすもの章51-56

 

私達ムスリムにとっては、食べることも、眠ることも、結婚も、出産も、すべてがアッラーへと近づくための崇拝行為となります。それを行う時の誠実なニーヤ(意思)によって、アッラーに受け入れられる崇拝行為となります。

 

誠実なニーヤ(意思)を持ち、夫が妻と子どもを扶養し護ることで、アッラーに近づくことができ、誠実なニーヤ(意思)を持ち、妻が家庭を守ることでアッラーに近づくことができます。ですから、まずニーヤ(意思)が何よりも大切です。誠実なニーヤ(意思)によって、ご家庭が、アッラーの元で認められ、アッラーからの平安が降りる場所となり、アッラーの元から安心と祝福が降りてきます。

 

私達は家を建てる時に、お金があれば、自分の家をできるだけ美しいデザインになるよう、また訪れる人にセンスがいいと言われるような内装や家具を選ぶよう、いろいろ考えるでしょう。しかし預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、私達の家を輝かせる方法をこうおっしゃっています。

 

《その中でクルアーンが詠まれる家は、天上の住人たちに(光り輝いて)見えます。

星が地上の住人たちに(光り輝いて)見えるように。》バイハキー伝承

 

誠実なニーヤ(意思)によって築かれた家庭は、天使たちの間で光り輝いています。天使たちはその家を指して、「これは○○さんの家ですね。」と言い合います。私たちが夜空を仰ぎ、星を見て、これは北極星、あれはカシオペア、と言うように、天使たちは地上の家々を見て、その中の光り輝く家をよく知っています。

 

子どもの教育を考える時に、まず最初に考えることは、家の土台、ニーヤ(意思)を誠実に正すことです。ニーヤ(意思)が誠実であれば、アッラーがその結婚を受け入れてくださって、そこに誠実な子どもたちをお授けくださいます。

 

マルヤム様の父親亡き後、父親の兄であり、後見を任された預言者ザカリーヤー様(平安あれ)が、彼女のところに行くと、彼女の部屋には、不思議なことに夏には冬の果物が、冬には夏の果物がありました。

 

【ザカリーヤ一が、かの女を見舞って聖所に入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。】クルアーン イムラーン家章3-37

 

アッラーの、マルヤム様への寛大さを目にした彼は、こうドゥアーします。

 

【そこでザカリーヤーは、主に祈って言った。「主よ、あなたの御許から、無垢の後継ぎをわたしに御授け下さい。本当にあなたは祈りを御聞き届け下さいます。」】クルアーン イムラーン家章3-38

 

このドゥアーによって、預言者ヤヒヤ―様(平安あれ)が産まれます。ハンナ様の誠実なニーヤ(意思)によって、マルヤム様は預言者イーサー様(平安あれ)をアッラーの奇跡によって身ごもり、アッラーからの啓示を人々に伝える息子を育てる母親という栄誉を得ました。すべては、母ハンナ様の誠実なニーヤ(意思)によって、アッラーがお与えくださった恩恵です。

 

私達の家庭はどうでしょうか。私たちムスリムは、アッラーが地上で最も良いウンマ(共同体)と名付けたムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)のウンマの一員です。もし私たちが誠実なニーヤ(意思)を持って、アッラーゆえに家族を大切にし、誠実なニーヤ(意思)によって夫は妻に接し、妻は夫に接するならば、それぞれの家から信仰の光り輝く子どもたちがこの地上に広がり、アッラーが最も愛しておられたムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)のウンマの一員として、アッラーが、ハンナ様に与えた以上のものを与えてくださるでしょう。

 

ニーヤ(意思)による大きな成果が、私達を待っています。もしすでに結婚している方は、今からでも遅くはありません。今から、家族に接するニーヤ(意思)を正しく持ちましょう。ご主人に対するニーヤ(意思)、子どもたちに対するニーヤ(意思)を誠実に正しく持ち直すことから始めましょう。「アッラーのご満足を求めるために」という正しいニーヤ(意思)を立て直しましょう。

 

アッラーが私たちの家族とムスリムの子どもたちをお守くださいますように。