イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

アッシャフィイーの詩

2009年06月28日 | 他の解説

شَكَوْتُ إلَى وَكِيعٍ سُوءَ حِفْظِي
فَأرْشَدَنِي إلَى تَرْكِ المعَاصي

وَأخْبَرَنِي بأَنَّ العِلْمَ نُورٌ
ونورُ الله لا يهدى لعاصي


有名な、アル=イマーム・アッシャーフィイーの詩

「暗記が出来ないとワキーゥ師匠に訴えたところ
罪を放棄しなさいと忠言された
また、知識は光であり
アッラーの光が罪人に贈られることはないと教えてくださった」

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【稼ぎの徳とその勧めについて】

2009年06月25日 | 求める者たちの道しるべ
【稼ぎ、生活のマナー、そしてその徳とそれが有効になるためには。またそれらに関すること】

 知りなさい:至高偉大なるアッラーはその繊細な英知によって現世を稼ぐ場とされた。ときに生きるために、ときに来世のために。ここでは売買や製造のマナーそして稼ぐ必要性とその原因を数え上げ、解説する。

《稼ぎの徳とその勧めについて》

 アッラーは仰せになった:「昼を生計の手段として定めた」(消息章11節)。アッラーは稼ぐことを恩義として述べ給うた。「またあなたがたのため、そこに生計の道を授けた。だがあなたがたの(中)、感謝する者は僅かである」(高壁章10節)。ここでは恩恵として述べ給い、それに対して感謝するよう求め給うた。「主の恩恵を求めて祈(り巡礼中に商売す)るのは、あなたがたにとって罪ではない」(雌牛章198節)。

 ハディースによると、預言者(平安と祝福がありますように)は次のように言われた:「ハラール(合法)を求めることは、ジハード(聖戦)である。※1」また、「まことにアッラーは職業に就くしもべを好み給う。※2」他に、「誰でも、自分の手が成す職業で得る糧の良いもの以上の食べ物を食すことはない。まことにアッラーの預言者であったダーウードは自分の手の稼ぎから食べていた。※3」
 他のハディースによると:「ザカリーヤーは大工だった。※4」とある。

 ルクマーンが息子に次のように言ったと伝えられている:息子よ、ハラール(合法)な稼ぎを頼りにしなさい。そうしないと、三つの状態に襲われることになる:宗教(に対する姿勢)の弱化、理性の弱化、そしてプライドの喪失である。これらよりさらに重大なのは、人々に軽視されてしまうことである。

 アフマド・イブン・ハンバルが次のように尋ねられた:自分の家や部屋に座り込んで、「糧がやってくるまで私は何もしない」と言う男をどう思いますか。アフマドは答えて:これは知識を持ち合わせてない男だ、と言った。

 かつて預言者(平安と祝福がありますように)の教友たちは陸でも海でも貿易をし、ナツメヤシを育てていた。

 アブー・スライマーン・アッ=ダーラーニーは次のように言った:私たちが意図しているイバーダ(崇拝行為)は、両足などがあなたのために疲労することを指しているのではない。まず、自分のための2枚のパンを確保すること(糧を得る努力をする)から始め、そして祈り(崇拝行為に耽る)なさい。アブー・アッ=ダルダーゥが「あなたが商売とイバーダに献身したけれども、両者が統一されることはなかった。」と言ったのだから、あなたはイバーダを選ぶのですか?と言われたら、答えはこうだ。商売はそれ自身が求められているのではなく、人々の頼りを不要とし、家族を豊かにさせ、兄弟たちにも豊かさがあふれ出るようにすることが求められているのだ。もし「目的」がお金そのものとそれの収集、自慢などであれば、それは忌み嫌われることである。だからこそ、稼ぎが含まれる売買契約は次の4項目が含まれているべきだ:①有効性、②公平性、③誠意、④宗教への同情。

 ①有効性:売買契約であれば、次の3基礎が存在する:契約者、契約されるもの(商品など)、言葉。
      - 契約者に関して。商売人は気狂いと関係しないことが求められる。彼らは責任能力を負わないからである。彼らとの契約は無効となる。 
      - 契約されるものに関して。つまり移動される財産。犬はそれ自身が汚物なので売買は許されない。虫、楽器、泥などで作られた像なども禁じられる。他に空を飛んでいる鳥などの感触で譲渡できないものも禁じられる。
      - 言葉に関して。つまり、売り買いの確認の言葉である。

※1:ムスナド・アッ=シハーブ、アブー・ナイーム
※2:イブン・アディー
※3:アル=ブハーリー
※4:ムスリム

続く。
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食事にまつわるマナーの続き(終)

2009年06月11日 | 求める者たちの道しるべ
【兄弟姉妹に食事を振舞う際】
兄弟姉妹に食事を提供することは好まれる。アリー(アッラーのご満悦あれ)の言葉:私は奴隷を一人解放するよりも、一皿の料理のために兄弟を集めるのを好む。
無理して豪華なものを準備する必要はない。また食べてもらえるか許しを得るのではなく、そうせずに食事を提供すること。持ち得る全てのものを出すのが、「無理すること」である。
訪問者のマナーとして、「~~を食べたい」と料理名を出してリクエストしないこと。どちらがいいか選択肢を与えられた場合は、簡単に作れるものを選ぶこと。ただし、招待者があなたが希望している料理を用意に準備でき、その準備のために手を抜かないことが目に見えているときは別である。

【食事中の人たちの中に入らない】
人々が食事中であることを知ったならば、その中に入るのは良くない。意図せずにその場に遭遇してしまい、皆に「一緒に食べるか」と呼びかけられたら、皆が食べているものをきちんと見ること。もし彼らがあなたを食事に誘わないことに恥じらいを感じて誘っていると分かったなら、食事しないこと。もし彼らが本当にあなたと一緒に食べたいと望んでいることが分かったなら、食べることは許される。

【もてなしのマナー】
不真面目ではない、敬虔な人たちを招くこと。先代の人たちはこのように言っていた:敬虔な人の食べ物以外を食べないように、そして敬虔な人以外があなたの食べ物を食べないように。
また裕福ではなく、貧しい人たちを選ぶこと。
親類を招かないのはいけない。彼らを軽視することで、不仲や絶交のきっかけになってしまうからである。また友人、知人を順番に選ぶこと。招待することに、「見せびらかし」や「高慢さ」を決して意図せず、食事を提供する際のスンナを実行し、兄弟の心があなたに傾倒することを求め、信者たちの心に喜びを差し込むこと。招待に応じることが困難であることが分かっている人を招待しないこと。また招待に出席することでさまざまな原因によってその人が他の招待客から害を被る場合も。
招待に応じる際のマナー:ムスリムが招待する披露宴に呼ばれたなら、一日目に応じることは義務。それ以外の招待は、応じても断っても問題ない。裕福か貧しいかで招待に応じるのかを決めるべきではない。断食の断食をしていると応じられないというわけではないので、出席すること。任意で食を断っていて、断食を解くことで招待側である兄弟ムスリムが喜ぶ場合、解くのが良い。
しかし食事がハラーム場合は招待に応じないこと。同様に禁じられた敷物や容器、偶像などが含まれている場合も。また招待側が加害者、罪人、ムブタディウ(ビドアをする人)、招待を自慢してする人が絡んでいる場合も同じ。
「食べるため」だけを意志して招待に応じるのではなく、スンナに倣うためと意志し、信者である兄弟に恩義を尽くすためと意志すること。招待を断ったときにもしかすると周りの人たちに、「あの人は高慢だから(招待を断ったのだろう)」と言われるかもしれないので、誤解する人たちから自分自身を守ることも意志しておくこと。
出席したら謙遜した態度をとること。食事が出てくる場所を何度も見ないこと。それは大食である証拠だから。
【食事を出す際のマナー】
一つ:早く出すこと。それは客のもてなしの一つである。
二つ:他の食事の前に果物を出すこと。これは健康的によいことである。「また果実は、かれらの選ぶに任せ、種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。」(出来事章20,21節)
果物の後に出すといいものは肉類。特に焼いているものがいい。肉の次にいいのが、サリード(スープをパンに含ませた料理で預言者(平安と祝福がありますように)の好物だったと言われる)。次にお菓子。最後に冷たい水を飲むことで食事を終え、最後にきれいな水を客人の手に注ぐ。
三つ:持っているさまざまなものを出すこと。
四つ:食事をすばやく片付けるのではなく、客人自らが食事から手を離すまで待つこと。
五つ:充分な量の食事を出すこと。少ないと、男らしさに欠ける。
食事を出す前に、自分の家族の分をとっておくこと。客が帰るときは、家の入り口まで一緒に行くこと。これはスンナである。またもてなしの中で最もよいものは、明るい顔つきと、訪問時と帰宅時と食卓のところでよい話をすることである。
客として:招待側にきちんとした対応が足りなかったとしても、満足して家を出ること。これはよい性格であり、よい謙遜態度である。また家の主の満足と許しなしに家を後にしないこと。そして滞在している間、招待側の心に配慮すること。
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114章解説

2009年06月06日 | ジュズ・アンマ解説

 

 この章は、善と悪の葛藤と、人間の天性の中にある悪行を象徴すると同時に、悪を回避することと悪に勝てるようにアッラーに力を求めることを暗示しています。

 まずこの章は、アッラーへ避難するよう信者に求める言葉で始まっています。そしてアッラーの三つの性質が述べられます:かれこそが人々の主であること、つまり、彼らの教育を任された御方。そしてかれは人々の王であること、つまり、彼らを支配し、彼らに命じ、禁じる御方。そしてかれは人々の神であること、つまり、本物の崇拝対象なる御方。かれは強い御方で全てのことを成し遂げる御方であり、かれこそが全ての悪から私たちを守り給う御方であることをアッラーは私たちに思い出させているようです。強大な悪の力に応じるためにはこのような性質を要するのです。そこで信者に求められるのはアッラーにお助けを求めることです:「言いなさい、私は人々の主、人々の王、人々の神に加護を求めます、と。」三つの性質はアッラーに属します。それらには、力と抑制と保護の機能があります。信者を見張り、悪を美しいものに見せかける隠れた敵から人間はアッラーのこの三つの性質に逃げるのです。

 「人々」というフレーズが繰り返されていることや、「人々」がアッラーの属格として特別な意味合いを持つことで、人々がかれの導きに沿って生きた場合の彼らのアッラーのもとにおける位の高さや尊さが説明されます。

 こっそりと忍び込み、囁く者の悪から。アル=ワスワース(囁く者)とは、人々の胸に囁く悪魔です。アル=ワスワサ(囁き)とは、隠れた声や心の声です。悪魔はアーダムの子の心に腰を下ろし、彼が気を抜いてアッラーを想うことを忘れると、悪に導く隠れた言葉で人間に囁きます。しかし人間が主を想えば、悪魔は縮んで人間を害したり迷わせたりすることを諦めます。

 アッラーに加護を求めることは、悪に誘導するものや悪を犯してしまう可能性を放棄することと結びついていなければいけません。それなしのイスティアーザ(加護を求めること)は無意味な行為でしかありません。

 続いて至高なる御方は、囁きがジンのものである場合と、人間のものである場合があると仰せ給いました:「それが人間の胸に囁きかける、ジンであろうと、人間であろうと。

 実に人間による囁きはさらに危険で害が大きいものです。あなたのもとに友達や親戚や仲間が信頼の置ける忠告者として現れては、悪を美しいものに見せかけて、あなたが悪に陥るまでそうするかもしれないからです。

 ジンは各種類に分かれています。彼らの中には善行を成す良い者がおり、またイブリースやその子孫のように迷い腐敗した者もいます。彼らこそは、悪に導くものの強化を習慣化する悪魔です。彼らこそがアッラーの加護を求められる対象なのです。

 注目すべき点に、アッラーは「囁き」を「人々の胸に囁くもの」、と表現し給うたところがあります。「スドゥール(胸)」と読んで、実は胸の中に存在する「心」をアラブでは指します。心こそが囁きが入り込む場所であると同じように、「心」が指すものが固体ではなく、その場所に安置されている精神的力であることが意味として求められています。

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【食事のマナーなど】

2009年06月05日 | 求める者たちの道しるべ
【食事のマナーなど】
食事のマナーは、食前、食中、食後のものに分けられる。

食前のマナー:ハディースで述べられたように、汚れを取るために食べる前に手を洗うこと。地面に敷物を敷いた上に食べ物が置かれること。これは食事をテーブルの上に置くよりも預言者(平安と祝福がありますように)の行いに近い。そしてこの食事方法は、より謙遜的である。謙遜差を示すマナーは他に、敷物の上に座るときに、右足をおって左足に重心をかけるようなポーズをとること。食事を食べるのは、アッラーを崇めるための力を付けるため、というニーヤを持つこと。そうすることで食事がターア(崇拝行為)になる。預言者(平安と祝福がありますように)は言われた:「・・・(胃の)1/3は食事に、1/3は飲み物に、1/3は呼吸のために」(アッ=ティルミズィーなど)

また大切なことに、空腹時にしか食事に手を伸ばさないこと、満腹になる前に食事から手を上げることがある。こうすることで、医者は不要となるだろう。他に、存在する糧に満足すること、少ない糧を不満に思わないこと、家族でも良いので食事を共にする人間を増やす努力をすること。

食事中のマナー:ビスミッラーで開始し、アルハムドゥリッラーで締めくくること。
右手で食べること、口に入れる一口を小さめにすること、よく噛むこと、口に入っている食べ物を飲み込む前に他の食べ物に手を伸ばさないこと。食べものを馬鹿にしないこと、自分の近くにあるものから続けて食べること。果物など種類が豊富なものは例外。手で食べるなら3指で。食べ物を落としたら、きちんとそれを拾うこと。

熱い食べ物に息を吹きかけないこと、タムル(デーツ、ナツメヤシ)を食べる場合、実と種を同じ皿に乗せないこと、種は手の甲に口から出して乗せ、捨てること。他の似たような食べ物でもそのようにすること、食事中に水を飲まないことは医学的にもよいこと。

飲む際のマナー:右手で器を取ること、飲む前に入っているものを確認すること、ガブガブと飲まず、穏やかに口に入れること。また立って飲まないこと、3回に分けて飲むこと。
預言者(平安と祝福がありますように)は3回に分けて飲まれていたという。つまり、口から容器を遠ざけ呼吸をすること。その際は容器に息を吹き込まないこと。

食後のマナー:満腹になる前に手を止めること。(昔は手で食べていたため)指をなめること。皿も(指などで残り物をきれいに取り)同様にすること。アッラーを賞賛する(アルハムドゥリッラーという)こと。預言者(平安と祝福がありますように)は次のように言われた:「まことにアッラーは食事をしてそのことでアッラーを賞賛し、飲み物を飲んでそのことでアッラーを賞賛するしもべに満足し給う。」(ムスリムなど)最後に、手を洗うこと。

【食事を共有し、食事のために大勢で集まる際に身に付けておきたいマナー】
「食事は始めるに相応しい人」(年長、徳のある人)が同席しているときは、その人よりも前に自分が食べ始めず、常に自分は後ろから追う立場であること。
黙って食事をせず、よい話をして盛り上がること。
食事をともにしている一人一人が、友人に対する親愛感を意図すること。友人に「食べろ」と無理強いせず、困らせないこと。
友人たちが食べている様をじっと見ないこと。彼らが恥ずかしがらないためである。
他人が気分を害することをしないこと。(料理が入っている大きな)皿の上で手をブラブラさせたり、頭を皿の上に持っていって、自分の口に食べ物を運ばないこと。口から何か出したいときは、食べ物と逆方向を向いて左手で受け取ることなど。
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