「先を争って前進するものにおいて,」彼らは善行面でアーダムの子(人間)を凌ぐ天使たち、と言われます。
「(主の命令で)事を処理するものにおいて(誓う)。」彼らは、地上の生き物におけるアッラーの命令を処理する天使たちと言われます。
「その日(第一のラッパで الراجفة),震動(الرادفة)が(凡てのものを)揺がし,次のラッパ(で震動)が,続く。(不信者の)心は,その日戦き震え,目を伏せるであろう。」
第一のラッパ(الراجفة)は、大地が混乱し、生き物を死滅させる第一の一声で、それはラッパへの息の吹き込みです。震動(الرادفة):第二のラッパです。このとき、人々は世界の主のために墓場から起き上がります。この様子を表現した節があります。「ラッパが吹かれると,天にあるものまた地にあるものも,アッラーが御望みになられる者の外は気絶しよう。次にラッパが吹かれると,見よ,かれらは起き上って見まわす。」(アッ・ズマル章68節)
この光景は私たちの心に恐怖感を植えつけます。「(不信者の)心は,その日戦き震え,」あの日の恐ろしさに怯える不信仰者の心です。「目を伏せるであろう。」彼らの視線は虐げられたようであり、定まりません。
クルアーンは、生き返りについて嘲笑し否定する不信仰者たちの言葉について語ります:
「かれらは言う。「わたしたちは初め(生前)の状態に,本当に返るのでしょうか。何と,わたしたちは朽ち果てた骨になってしまったのに。」かれらは言う。「その場合(復活),損な戻りです。」」
彼らは嘲笑しながら、「わたしたちは初め(生前)の状態に,本当に返るのでしょうか。」と言っていました。つまり、わたしたちは、死んだ後に生きた状態に戻るのか?という意味です。「何と,わたしたちは朽ち果てた骨になってしまったのに。」消滅しそうな骨になってしまった後に生き返るのか?「その場合(復活),損な戻りです。」来世に、生きた姿に戻されることが真実であれば、それを嘘だとしたわたしたちには損な話だ、と言う彼らの嘲笑的な言葉です。
クルアーンは、彼らの否定する言葉と嘲笑に答えます:「(復活は),只一声の叫びである。」つまり、そんなにことを難しくする必要はない、それはただ、一声の叫びだけである、ということで、再生の合図である第二のラッパを意味しています。「見よ,かれらは目覚めて(地上に)現われる。」大地の中で死人として過ごした後に、地上に生きた状態で現れます。