イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

無明時代のアラブ半島の状態、宗教2

2018年11月30日 | 封印された美酒

彼(ﷺ)がお生まれになる前のアラブ世界の状態、特に当時の人々が信奉していた宗教についての続き:
ゆがめられたイブラーヒーム様の唯一神信仰からはずれて多神信仰・偶像崇拝していた人たちは、占師や占星術師の言葉も信じていた(もちろんイスラームでは禁止)。
無明時代を生きていた人たちはイブラーヒーム様の教えすべてを棄てたわけではなかった。神殿を神聖視し、その周りを回る(タワーフ)、巡礼(ハッジ)、小巡礼(ウムラ)、アラファの丘滞在、ムズダリファ滞在、犠牲は行っていた。
クライシュ族(ムハンマド様(ﷺ)もこの族から出ている)は、自分らはイブラーヒーム様の子孫であり、聖地の民、神殿の管理人、マッカの住人であることで他とは位が違う(自分らを”フムス”と呼んだ)としていた。そのため自分らが聖域から出ることは相応しくなく、そのためアラファにも(巡礼時に)行かないとし、アラファからではなくムズダリファから神殿へと移動したため、アッラーは彼らに関して次の聖句を啓示し給うた:【それで,人びとの急ぎ降りるところから急ぎ降り,アッラーの御赦しを請い願いなさい。】(2章199節)
その他にもクライシュ族は特別意識から自分らに色々と制約を設けていた。
こういった多神崇拝、偶像崇拝そして幻想、迷信への信仰が大概のアラブの信仰だったが、ユダヤ教、キリスト教、拝火教、サービア教それぞれは何らかのかたち(土地を追われて移住してきた、帝国との国境近くのアラブ人が影響を受けて改宗等)でアラブの中に入っていてもいた。
多分続く。


無明時代のアラブ半島の状態、宗教

2018年11月30日 | 封印された美酒

「封印された美酒」というタイトルの預言者ムハンマド(ﷺ)の伝記の簡潔版
著者はサフィーユッラハマーン・アル=ムバーラクプーリー(インド ムバーラクプリ生まれ2006年12月1日没)
復習のつもりで読み始めました。
預言者伝(本題)に入る前に、知っておくべき予備知識として、彼(ﷺ)がお生まれになる前のアラブ世界の状態、特に当時の人々が信奉していた宗教について。
本によると、当時のほとんどのアラブ人は、父の教えであったイスマーイール様の唯一神信仰に従っていたが、”フザーア族”の長(別ソースではマッカの長でもあった)であったアムル・イブヌ・ルハイがそれを変えた。アムルはシャーム地方(現在のシリア、イラクの一部、ヨルダン、パレスチナ地方)へ旅した際、その民が偶像崇拝しているのを見、正しいのだろうと理解した。なぜならシャーム地方は使徒たちや諸啓典ゆかりの地だからである。アムルは帰郷時に”バハル”(という名の偶像)を持ち帰り、カアバ神殿内部に設置した。そしてマッカの民をアッラーに同位者を配した崇拝へと誘った。マッカの民は彼に呼応し、まもなくヒジャーズの民もマッカの民を追従した。なぜならマッカの民は神殿の管理人であり、聖域の民だからである。(かつてカアバ神殿はアッラーの命によりイブラーヒーム様とその息子イスマーイール様が建立)
そして数多くの偶像が作られ、名前も付けられ、崇められた。
こうして多神信仰と偶像崇拝は無明時代最大の社会現象になった。かつてはイブラーヒーム様の教えに則っていると主張していた人たちだったにもかかわらず。
偶像崇拝には様々な儀礼があったが、その多くはアムル・イブヌ・ルハイが考案したものである。人々はアムルが考案したこと(偶像崇拝)は良き行為であり、決してイブラーヒーム様の教えを改竄するものではないと考えた。偶像礼拝の儀礼として以下がある:
1.熱心に祈る、頼る、困難時に助けを求める、お願いごとをする。偶像がアッラーに御許で執り成してくれる、願いをかなえてくれると思っている。(アッラーへの信仰もちゃんとあるところがイブラーヒーム様の教えが残っていることをうかがわせる)
2.偶像のもとへ巡礼しに行き、その周りを回る(タワーフ)。偶像の前では謙り、跪拝する(サジダ)。
3.様々な捧げものを偶像に捧げた。偶像の名のもとに動物を屠っていた。【食卓章3節】【家畜章121節】
...と続くが割愛。
感想:「アッラー」はその他の神々の上に位置する存在であると畏れられていた/偶像は執り成し役をしてくれる存在、間に入ってくれる存在(ダイレクトにアッラーにお願いするのは畏れ多いので間に入ってくれるありがたい存在的な?)/唯一信仰が失われてもイブラーヒーム様が神殿を建立したころからハッジという儀礼が行われていた/つまり昔の唯一神信仰が疑問視されたり間違っているとは偶像崇拝していても当時の人は思っていなかった/自分たちのリーダーが教えを変えるとすんなり従う民/

Iman Gülistan Jpさんの写真


続)ムスリムの子ども教育-2- アウラ(隠すべき体の部位)

2018年11月23日 | 預言者の教育方法

続)ムスリムの子ども教育-2-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生11」(~最後)

https://www.youtube.com/watch?v=pze7K8xfzH0

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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質問:子どもに服を着ることの意味をどう教えますか?子どもに服を着せる時、何のために着るのだと教えればいいでしょうか。

 

回答:母親が子どもに服を着せる時、「この服がかわいいわ。さぁ、これを着ましょう。幼稚園で一番ステキな子になれるわよ。」、「こんなかっこいい服を着たら、みんなびっくりするよ。」、また、「髪の毛をこういう風に結ぶと、学校できっと一番かわいいって言われるわよ。」という声かけをすることがよくあります。こういった母親の声掛けは、とても小さなことのように見えますが、子どもの心には大きな教育的な影響があります。

 

ムスリムの子どもにまず教えなければならないのは、服が、アウラ(他人に見せてはいけない体の部位)を隠すものだ、ということです。ムスリムの子どもに対して、「これを着ると、幼稚園で一番ステキな子になれる」という声掛けをすることには、大きな2つの間違いがあります。一つは、子どもが、他人の評価を求めて服を着ることを教えている点です。二つ目は、子どもの心に、自分の価値は、自分が着ている服にある、という価値観を植え付けている点です。本来、子どもに教えるべきことは、服が、「アウラを隠すために着るものであること」、また、「アッラーの恩恵を現すために着るものであること」という2点です。

 

夫婦間の問題で、夫の妻への不満の一つに、妻が、夫の収入を考えずに、友達や親戚の集まりがあるたびに、新しい洋服を次々買ってしまうという浪費の問題がありますが、これも、元をただせば、彼女が小さい時に、両親がどういう声掛けをしてたか、という点が問題になります。彼女が新しい服を次から次へと買ってしまうのは、小さい時から服を着る時、「人に見せるため」というニーヤ(意思)しか教わらなかったからかもしれません。もし小さい時に、「アウラを隠すために」服を着る、という正しいニーヤ(意思)を教わっていれば、友達に会うたびに新しい服を着ていなければならない、という強迫観念を抱かなくて済み、夫婦の関係にまで害を与えることはなかったでしょう。

 

また、ある人は、特定のブランドの服やカバンを持つことで、友達に対して優越感を感じたり、友達が持っているブランドを持っていないと劣等感を感じたりします。これも、小さい時に、「これを着ると一番ステキな子になれる」といった間違った価値観を植え付けられてしまったためです。両親が、きちんと子どもに、「いいえ、服があなたをステキにすることはできないのよ。服があなたを一番かわいい子にすることもできない。服は、アッラーを喜ばせるために、アウラを隠すために着るもだから。」と教えていれば、大きくなってからこういった様々な問題は回避できたでしょう。小さい時に教えられた服を着るニーヤ(意思)という小さなことが、自分の価値がどこにあるのか、という自己肯定感の問題、流行の服をいつも買わなければならない経済的な問題、また、将来の夫婦関係の問題にまで影響を与えます。

 

また、「クラスで一番ステキな子になるために服を着る」という価値観は、アッラーとの関係まで壊します。自分が着る服により、人への優越感を感じる、つまり、アッラーのお嫌いなキブル(高慢さ)という病を発症してしまうからです。自分が着ている服に自分の価値を置く子は、他の人の価値も、着ている服で決めるようになることは簡単です。何のために服を着るのか、服を着る時のニーヤ(意思)、そして、服を着る時のスンナ(ドゥアー、右から着る、左から脱ぐetc.)にも注意する必要があります。

 

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質問:小さい女の子のアウラ(異性に対して隠す場所)は、どこですか?何歳から?
回答:
ハナフィー学派(パキスタン、バングラデシュ、トルコに多い): 

①0~4歳まで:誘惑を感じない限り、恥部(尿と便の出る場所とその周り、お尻)のみを隠す。それ以外の全身を見ることは問題ない。

②4~10歳になるまで:お尻と恥部周辺の下半身。(10才は日本の小学校4年生、もしくは5年生)                   

③10歳以上:成人女性のアウラ(顔と手首から先を除く全身。くるぶしから下も除く、という見解が主流。)と同じ。

 

マーリキー学派(モロッコ、アルジェリア、アフリカに多い): 

4歳までは見てはいけないアウラはないが、3歳からは、男性が体に触れることはできない。6歳からは、成人女性のアウラ(手と顔以外の全身)と同じ。

 

シャーフィー学派(インドネシア、マレーシア、エジプト、スリランカに多い)、ハンバリー学派(サウジアラビア):

生まれた時から成人女性のアウラと同じで、手と顔以外の全身

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質問:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代に、サハーバ達(アッラーのご満悦あれ)の子ども達は、どのように預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と接していたでしょうか?

 

回答:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がマディーナにヒジュラ(遷都)された時、マディーナのアンサール達は、男性も女性も大勢で出迎えて、「タラアルバドル」という有名な歌を歌って預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を大歓迎した話は有名です。しかしその時、マディーナの子どもたちが、どのように預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を迎えたのか、ということは知らない人が多いでしょう。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がマディーナにやって来た時、迎え入れた大勢の人たちの中に、子どもたちもいました。彼らは、ダッフ(太鼓)を叩きながら、歌を歌って喜びました。小さな女の子たちがは、マディーナの道を歩きながら、ダッフを叩き歌を歌い、

「あぁ、なんて素敵なこと!ムハンマド様が、わたしの隣人になるなんて♪わたしたちは、アンサールのこども♪あぁ、なんて素敵なこと!ムハンマド様が、わたしの隣人になるなんて♪わたしたちは、アンサールのこども♪」

と繰り返し歌っていました。そこに預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が通りかかり、子どもたちを見て大変お喜びになられ、「私のことが好きですか?」とお尋ねになられると、子どもたちは、「もちろんです。アッラーの使徒さま!」と言い、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、《私があなた達を好きなことは、アッラーが知っています。》とおっしゃいました。(イブンマージャ伝承)

 

子どもたちの預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への大きな愛情に注目すべきです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の、子どもたちへの愛情深さとやさしさが、子どもたちの心に反映し、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を植え付けました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、人々に対し最も慈悲深くお優しいお方で、子どもに対しても大変慈悲深く接していました。

 

《アッラーの使徒様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、(孫の)アル=ハサン・ブン・アリーにキスをしました。彼の御許にはアル=アクラア・ブン・ハービス・アッ=タミーミーが座っていましたが、彼は、「本当に、私には10人の子供がおりますが、その内の一人ともキスをしたことはありません」と言いました。すると、アッラーの使徒は彼を見つめ、それから、「慈悲をかけない者は、(アッラーからも)慈悲をかけられない。」とおっしゃいました。》ブハーリー伝承

 

私たちの子どもに、「明日、預言者ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が、家にやって来るよ。」と言ったら、何と答えるでしょうか?マディーナの子どもたちのように、大喜びで歌を歌って祝うでしょうか。この「喜び」は、崇拝行為でもあります。子どもたちが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が家を訪問すると聞いて、どんなに喜ぶでしょうか。お子さんがいらっしゃる方は、ぜひ、今日尋ねてみてください。もしお子さんが大喜びしたら、そのことは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)をとても喜ばせるでしょう。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、いつも私たちの行いを見ています。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

≪私の生は、あなた方にとって良い事です。あなた方が話をすれば、あなた方のためにフクム(イスラーム法学的見解)が啓示されます。私の死はあなた方にとって良い事です。私にあなた方の行いが提示され、私がその中の良い行いを見れば、その人についてアッラーを賞讃し、もし悪い事を見たら、あなた方のためにアッラーに許しを乞います。≫バッザール伝承

 

もし子どもたちが預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が訪問する、と聞いても、興味がないようだったり、怖がったり、という否定的な反応を見せたら、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のことを、もっともっと子どもたちに話してあげましょう。数週間後に、同じ質問をしたら、子どもたちが大喜びするように。イスラーム教育をしてくれる学校などない日本では、ご家庭が唯一の学校です。

 

 

質問:イスラーム社会においても、奇妙な名前を子どもにつける親がいますが、イスラームでは、子どもの名前を付ける時、どんなことに気を付けるべきですか?

 

回答:親が子どものために行う良いことのひとつに、良い名前を選ぶことがあります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、一部のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)が入信した後、彼らの名前を変えました。名前を変えたのは、次の2つの理由のうちのどちらかがあったためです。

1.アキーダ(信仰箇条)に反する名前(例:偶像神のしもべetc.)

2.醜い名前(馬鹿、悪魔etc.)

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子ども達の名づけにも関わられました。アリー様(アッラーのご満悦あれ)が、ハサン様(アッラーのご満悦あれ)の誕生を預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に告げた時、何と名付けたのかと尋ねられ、アリー様(アッラーのご満悦あれ)が、「ハラブ(戦い)」と名付けたと言うと、「いや、彼はハサン(善良)です。」とおっしゃいました。(当時のアラブの習慣で、子どもに強く、敵に恐怖を与えるような名前を付けることが多かった。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこの習慣に反対し、訂正した。)イスラームでは、子どもの名前をとても重視します。名前は、その子の個性を構築するからです。

 

私たちの子どもたちに、アッラーのご加護がありますように。

 

 


続)ムスリムの子ども教育-1-

2018年11月18日 | 預言者の教育方法

続)ムスリムの子ども教育-1-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生11」

https://www.youtube.com/watch?v=pze7K8xfzH0

 

前回までお送りした、ハビーブ・アリー先生の「ムスリムの子ども教育」についての講義は、イエメンのモスクで録画されたもので、前回で終了しているのですが、同じ先生が他の場所でされた、子育てについてのトピックを続けたいと思います、インシャーアッラー。

今回からは、エジプトのテレビ番組で、イスラームにおける子育てについて話しているシリーズをお送りします、インシャーアッラー。テレビで一般の方向けに話されているので、比較的、初心者の方でもわかりやすい内容になっていると思います。

 

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まず最初に、皆さんに考えていただきたいことがあります。それは、人はなぜ子どもを産むのでしょうか?という質問です。

 

子どもを産む理由のひとつは、「本能」です。子どもがほしい、自分の子孫を残したい、という人間や他の動物も持つ本能によって、私たちは子どもを持ちます。この「本能」を、人間の目的である、アッラーを崇拝するようになるために、というような、アッラーのご満足とつなげたものが、子育てになります。

 

現代は、いろいろな病を抱えています。そのひとつに、「考える前に行動する」、という特徴があります。情報が増えるにつれ、人々は、その情報の海の中で、深く考えることなしに、瞬時に反応することを求められます。子どもを産むことについても、同じ問題があり、正しい目的を考える前に、子どもを持つことによって、多くの人が、子どもに関する問題、子育てや家族の問題を抱え、様々な不満を漏らします。例えば、子どもの養育費がたくさんかかることについて、子どもがいることで時間がとられることについて、母親が外で働くことが困難になることについて、教育費の問題、子どもが親の意見に従わない、子どもの考えていることが理解できない、反抗期の子どもについての問題、中二病と呼ばれるような時期の子どもの扱いについて、子どもが大きくなれば進学の問題、結婚の問題、結婚した後も、嫁姑関係の問題、等々、子どもに関する親の不満は尽きません。

 

また、社会的な問題もあります。現代の子どもの傾向についての不満、今どきの若者についての不満、また、国単位の問題、例えば、一部の国では、子どもが多過ぎることを問題視し、若者の失業率の問題、教育が行き届かない問題などを挙げています。これらすべての不満や問題はどこから来るのでしょうか?多くの国は、少子化問題に悩まされていますが、ムスリムの人口は増え続け、子どもも増え、少子化の問題はないにもかかわらず、せっかくたくさんの子どもに恵まれても、家族間の問題、社会の問題、国の問題、様々な問題があるのは、なぜでしょうか?

 

原因のひとつに、多くの子どもを持つバラカ(祝福)と、子どもを持つ正しい「目的」がうまくつながっていないことがあります。なぜ、子どもを産むのか?という質問にも、「みんな産んでいるから」、「結婚したから。結婚したら子どもを産むものでしょう」等、本来の目的とうまくつながっていないことが、様々な問題の原因となっています。

 

なぜ子どもを産むのか?という質問の答えは、大きく分けて、二つあります。一つは、本能と崇拝行為との連携、つまりこの二つがつながったものです。まず、最初の「本能」は、自分の子孫が欲しい、子どもを増やしたい、という、アッラーが人間に与えた本能があります。そのため、最初の子どもが産まれると、父親は何にもまして喜び、初めて自分の子どもを見た時の感動を一生忘れません。母親は、出産という死と隣り合わせの激痛に耐え、出産後には二度と子どもを産みたくない、と思うにもかかわらず、赤ちゃんを抱いて、母乳をあげたり、その匂いを嗅ぐと、出産の大変さをすべて忘れてしまいます。出産した日は、二度と子どもを産まない、と決意していても、数年たつと、また子どもが欲しくなります。これは、アッラーが与えた本能、人間の持つ欲望です。しかし、目的なく本能に従うのではなく、もっと注意深く、善いニーヤ(意思)を持つことで、出産は、イバーダ(崇拝行為)にもなるものです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

《子どもを増やしなさい。そうすれば、私は最後の審判の日に、自分の共同体の人員の多さを誇るであろう。》ブハーリーとムスリム伝承

 

このハディースについて、ひとつ注意すべきは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、それを誇ることを必要としている訳ではない、という点です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、最初に天国の扉を開けられる御方で、アッラーから最も愛されている御方で、最後の審判の日に、ウンマの人員の多さを誇ることを必要としている訳ではありません。その上で、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、こうおっしゃっているのは、ただ、私たちのためです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、私たちに、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が誇ってくださる対象となるという名誉を与えたいと思ってくださっているのです。子どもを持つ時のすばらしい「目的」の一つは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が誇りに思ってくださるような子どもをたくさん持つこと、それによって、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、最後の審判の日に、誇りに思ってくださるという名誉を手に入れること、という「目的」です。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《人が死ぬと、次の三つ以外は止まります:継続するサダカ、有益な知識、ドゥアーしてくれる善良な子どもです。》ムスリム伝承

 

《死者は死後、位を上げられて言うでしょう:主よ!これは何ですか?彼は言われるでしょう:あなたの息子があなたのために罪の許しを請うのだ。》アル=ブハーリー伝承

 

子育てにはアッラーゆえの自我との戦いがあります。子どもを養育するためにハラールのお金を稼ぐこと、良いムスリムに育てるよう教育すること、これはジハードの一種です。子どもがウンマ(イスラーム共同体)を発展させる役割を担えるよう、人々の役に立つ子どもを育てること、それによって、人類の発展にも貢献すること、こういった目的意識をしっかり持つことによって、子育ては、アッラーへと近づく崇拝行為になります。

 

イバーダ(崇拝行為)は、一般的に、自我にとって「重い」ものです。夜明け前、眠いのを我慢して、ファジュルの礼拝に起きること、真夏の暑い日にラマダーンの義務の断食をすること、こういった行為は、最初はとても大変で、自我がやりたくないことです。もちろん、それを習慣づけることで、その「重さ」は軽くなり、ついには自分が望むものになり、甘美なものへと変化していき、イバーダ(崇拝行為)に込められたアッラーの英知を知ることになりますが、一般の人にとって、イバーダ(崇拝行為)をし始めた時には、大きな困難を伴います。しかし、子育てというイバーダ(崇拝行為)は、ある種の本能、それを望む気持ちに沿うもので、喜びのイバーダ(崇拝行為)とでも言うようなものです。この種のイバーダによって、アッラーへの感謝や、しもべ性の実現という別の扉を開けることもできます。

 

【われは、両親に対し優しくするよう人間に命じた。母は懐胎に苦しみ、その分娩に苦しむ。懐胎してから離乳させるまで30ヶ月かかる。それからかれが十分な力を備える年配に達し、それから40歳にもなると、「主よ、わたしと両親に対して、あなたが御恵み下された恩恵に感謝させて下さい。またあなたの御喜びにあずかるよう、わたしが、善行に勤しむようにして下さい。また子孫も、幸福にして下さい。わたしは悔悟してあなたの御許に帰ります。本当にわたしは、服従、帰依する者です。」と言うようになる。】クルアーン砂丘章46-15

 

この種のイバーダは、他のイバーダの困難を簡単にできるようにしてくれる効果もあります。

 

なぜ子どもを産むのか?という質問の答えの二つ目は、夫婦の関係を安定させ、家庭という根を深く張ることです。実際には、多くの人がこの目的を忘れ、子どもがいない期間は夫婦間の愛情を深め、初めての子どもが産まれても、その愛情は続きますが、2人目、3人目、となると、子どもに関心が移り、夫婦の愛情を育くむことが難しくなるように感じてしまう人も多くいます。奥さんは、子どもの世話で忙しく、ご主人は、妻が子どもたちだけに興味を持ち、自分にまったく関心がないように感じてしまったり、また、ご主人が子どものために仕事を増やし忙しくなり、奥さんは、ご主人が自分の要求よりも、子どもたちの要求ばかり聞いているように感じたりします。こうして、多くの夫婦が、子どもを持った後、関係が悪くなったり、関係が冷え切ってしまうことがあります。

 

また、子どもを持ったことで、子育てについて夫婦で意見が違ったり、子どもの教育に関する意見の相違が浮上したり、食育について、生活習慣について、子どもが父親の言うことをよく聞くのか、母親の方の言うことをよく聞くのか、等、様々な点で夫婦間で対立したり、意見が食い違い、問題が起きることもあります。本来は、子どもを持つことは、アッラーからのバラカ(祝福)であり、子育てにより、アッラーに近づくこともでき、ウンマの発展、人類の発展に貢献するすばらしいことであるはずです。自分が、子どもによって、不満や問題を抱えることになるのか、それとも、イバーダになり、アッラーのお喜びを得ることができるのか、その分かれ目は、子どもを持つことに関して、「目的」を持つことです。

 

そのため、ある先生のところに弟子が行き、「私には子どもが産まれましたが、子どもにとって良い教育をするために、何が必要でしょうか?」と尋ねた時、先生は、「いつ産まれましたか?」と尋ね、彼が、「昨日です。」と言うと、「その質問をするには、遅すぎました。」と言いました。昨日産まれたばかりの子どもの教育について尋ねているのに、遅すぎるというのです。先生はこう続けました。

 

「子どもにとって善い教育とは、結婚に際してのあなたのニーヤ(意思)から始まっています。

次に、子どものために、信仰深い妻を選ぶこと、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナに基づいた結婚生活、妊娠中の妻の食べ物をハラールにすること、出産時のスンナ、あなたの子どもに善い教育を施すために、これだけのことが、すでに終わってしまいました。」

 

子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます

すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)(「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思))をしておきましょう。

 

ムスリムの子どもたちに、アッラーのご加護がありますように。