イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝52

2013年09月26日 | 預言者伝関連
159.ムハージルーンの控えめさ:
  信徒たちはマディーナに到着すると、その中のムハージルーンがアンサールに、かつてアンサールに譲られたナツメヤシを返還しました。ハイバルの戦によって、多くの戦利品を手に入れたからです。ウンム・スライム(アナス・イブン・マーリクの母)はかつてアッラーの使徒(祝福と平安あれ)にナツメヤシを贈ったことがあり、彼はそれらを彼の幼少のころからの召使であったウンム・アイマンにあげて、そしてウンム・スライムにかのナツメヤシを返しました。ウンム・アイマンには代わりに各ナツメヤシに10本のナツメヤシを与えました。

160.改めのウムラ:
  ヒジュラ歴7年には、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)と信徒たちはマッカに入りました。クライシュの人々は彼を制することなく、彼の望むようにさせ、自分たちの家を閉めて、カイカアーンの山に登り逃げました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はマッカに3日間留まられ、ウムラを行われました。これについてはアッラーが次のように仰せです:「確かにアッラーは、彼の使徒にその夢を真実によって正しいものとなし(実現させ)給うた。必ずやおまえたちは、アッラーが御望みならば、安全に禁裏モスクに入るのである。おまえたちの頭を剃り、また、短くして、おまえたちは恐れないで。それで、彼(アッラー)はおまえたちが知らないことを知り、それ(禁裏モスクに入ること)より前に近い勝利を授け給うた。」

161.女児の養育のおける競い合いと平等にされた信徒たちの諸権利:
  イスラームの影響によって、人々の考えや気持ちがとても大きく変わりました。かつてアラブ貴族たちが恥ずかしがり、ある部族では恥から逃れるために生き埋めにされる対象であった女児が、信徒たちの間でその養育権を奪い合うような愛おしい存在になりました。
  また彼らは平等で、徳や権利以外において誰かを優先することなどありませんでした。かつて預言者(祝福と平安あれ)がマッカからの出発をお望みになった際、ハムザの娘がおじさん!おじさん!と行って彼を追いかけてきました。そんな彼女を止めたのはアリーで、彼女の手を取って、妻のファーティマに:君の父方のおじの娘だから手厚く接するようにと言いました。この娘の件でアリーとザイドとジャアファルが争ったのですが、アリーは:彼女は私の父方のおじの娘だ、ジャアファルは:彼女は私の父方のおじの娘である上、彼女の母方のおばは私の妻だ、ザイドは:彼女は私の兄弟の娘だと言い合いました。そこで預言者(祝福と平安あれ)は娘のおばに預けるように裁定しました。「母方のおばは母親に相当する」とも言われ、アリーには次のように言われました:あなたは私から出、私はあなたから出た。ジャアファルには:あなたは外見と性格において私に似た。ザイドには:あなたはわれわれの兄弟だ、と言われました。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P320~322)

72章解説【3】

2013年09月19日 | ジュズ・タバーラカ解説
14.『またわれらは、われらの中には帰依者たちもいれば、不正な者たちもいる。そして、帰依した者、それらの者は正導(しょうどう)を追い求めたのである』。
15.『他方で、不正な者たちについては、彼らは火獄の薪であった』。
16.「彼ら(マッカの不信仰者たち)が(イスラームの)路に真っすぐ立つなら、われらは豊かな水を彼らに飲ませ与えよう」。
17.「われらがそれにおいて彼らを試すために。それで己の主の想念・唱名から背を向ける者があれば、彼(アッラー)は彼(その者)を辛い懲罰に入れ給うであろう」。
18.「そして諸モスクはアッラーのものである。それゆえ、(そこでは)アッラーに並べて何ものにも祈ってはならない」。
19.「そしてアッラーのしもべ(預言者ムハンマド)が立って彼(アッラー)に祈ると、彼らは彼(預言者ムハンマド)の上にもつれた毛とならんばかりであった」と(啓示された)。
20.言え、「私はわが主のみに祈り、彼に何ものも並び置かない」。
21.言え、「私はおまえたちに対し害(の力)も正導(の力)も有さない」。
22.言え、「私をアッラーから守ることは誰にもできない。また、私は彼を差し置いて避難所を見出すことはできない」。

 信仰においてジンは二種に分かれます:
 「またわれらは、われらの中には帰依者たちもいれば、不正な者たちもいる。そして、帰依した者、それらの者は正導(しょうどう)を追い求めたのである。他方で、不正な者たちについては、彼らは火獄の薪であった。」

 ジンは人間のように、アッラーに帰依して彼の導きの上を歩む、「正導(しょうどう)を追い求めた」帰依者たちがいます。つまり、彼らは真実の道を努力して探し求めたということです。以上は、私たちによるイスラームの選択が観察・熟考・瞑想の結果であるべきであることへと私たちを導いてくれます。なぜなら落ち着きがあり、かつ信頼でき、わずかなことで揺れずまたあらゆる疑いで崩壊しない堅甲な柱に基づくイスラームとして存在するためです。代わって:「不正な者たち」導きと正しさの道に反したために火獄の火力を増加させるための燃料になる者たちです。

 またクルアーンは、人々が導きの道を志したならば、アッラーは必ず彼らに恩恵を下し給うことを解明します:
 「彼ら(マッカの不信仰者たち)が(イスラームの)路に真っすぐ立つなら、われらは豊かな水を彼らに飲ませ与えよう。われらがそれにおいて彼らを試すために。それで己の主の想念・唱名から背を向ける者があれば、彼(アッラー)は彼(その者)を辛い懲罰に入れ給うであろう。」

 もし彼らが真実と善の道、真っすぐな道、つまりイスラームを歩めば、という意味です。「われらは豊かな水を彼らに飲ませ与えよう」彼らに豊富に水を与えよう、という意味です。つまり彼らの糧は増やされ、恩恵も豊かさが増されるということです。「われらがそれにおいて彼らを試すために」それによってわれが彼らを試すため、ということです。

 続いてクルアーンは、各共同体が留意すべき二つの真実を解明します:

 第一:幸せな生活、豊かな生活は、アッラーを畏れたことと彼に服従することにおいての行動の結果の一つとして現れたものであるということ。

 第二:アッラーの導きの上を歩むしもべたちにアッラーが恵み給う安楽は、彼らに与えられた試練であるということ。次のようにアッラーが仰せになっているとおりです:「われらがそれにおいて彼らを試すために」恩恵による試練は、罪に陥らないようにとの常なる自覚を激しく必要とします。お金という恩恵と豊かな財産は、多くの場合、恩恵からの疎外とアッラーの罰の実現を招く自惚れや足りない感謝、主を忘れる、己の教えに背くことに導きます。以上の意味は次のアッラーの御言葉です:「それで己の主の想念・唱名から背を向ける者があれば、彼(アッラー)は彼(その者)を辛い懲罰に入れ給うであろう」己の主の想念・唱名は、己の主に仕えることや、クルアーンや、己の主の訓戒を指します。「辛い懲罰に」安楽のない厳しい罰です。

 アッラーはその使徒に彼御ひとりへの崇拝、彼に同位者を置かないことへと導きます:
 「そして諸モスクはアッラーのものである。それゆえ、(そこでは)アッラーに並べて何ものにも祈ってはならない」マサージド=諸モスクとは、サジダ=跪拝が行われる場所を指します。つまり、サジダという言葉が派生してできた場所の名前ですから、礼拝や崇拝行為のために建てられた場所ということになります。そのためモスクはアッラーの家と呼ばれます。

 かつてユダヤ教徒とキリスト教徒は自分たちの教会やシナゴーグに入ると、アッラーに同位者を配置していました。そこでアッラーはその使徒と信徒たちにアッラーは御ひとりであると崇め、真心込めて彼に祈るよう命じました。

 続いてクルアーンは、ジンまたは不信仰者たちによる預言者(祝福と平安あれ)に対する態度を解明します:

 「そしてアッラーのしもべ(預言者ムハンマド)が立って彼(アッラー)に祈ると、彼らは彼(預言者ムハンマド)の上にもつれた毛とならんばかりであった」と(啓示された)」

 至高なるアッラーは仰せになっています:「そしてアッラーのしもべ(預言者ムハンマド)が立って彼(アッラー)に祈ると」つまりムハンマド(祝福と平安あれ)が彼の主を崇めるために立ち上がると、「ならんばかりであった」~しそうであった。「彼らは彼(預言者ムハンマド)の上にもつれた毛と」つまり彼らは固まって、またはそれぞれがその上に乗って、という意味になります。「ならんばかりであった」に含まれる主語は、礼拝の中でクルアーンを読んでいた預言者のもとに仲間同士で込み合って彼の読誦を驚きながら聴いたことから、ジンに帰るともいえます。

 また、「ならんばかりであった」の主語がクライシュの不信仰者に帰るとも言えます。すると意味は次のようになります:アッラーより使信を授かったムハンマドがアッラーを崇めているところに大勢の集団が彼を取り囲んでアッラーの光を消そうともくろんで彼の宣教が広まることなく、また誰の益にもならないように専念した、という意味になります。

 以上を前にして、アッラーはその使徒(祝福と平安あれ)に多神教徒たちに次のように話すよう命じ給います:

 「言え、「私はわが主のみに祈り、彼に何ものも並び置かない」。言え、「私はおまえたちに対し害(の力)も正導(の力)も有さない」。」
 つまり:ムハンマドよ、彼らに次のように言ってやれ:“私は主を崇め、祈る際には彼に何ものをも並び置かない”。そして次のようにも彼らに言ってやれ:“私はおまえたちから害を払拭することも、おまえたちに善を到達させることも出来ない。私はおまえたちを導くことにおいても迷わせることにおいても何の力も持っていないのである”。

 これこそが、複雑さや困惑さのないはっきりとしたイスラームの呼びかけです。それはアッラー御ひとりのみに向けられた崇拝の上に立っています。またアッラー御ひとりのみに属する事柄であるのに、自分らの預言者をアッラーと同位に見なしたり、善悪を関連付けたりといったことしていた諸宗教の追従者たちの多くを支配していた間違った理解を正します。

 続いてクルアーンは以上の意味を強調し、アッラーは預言者(祝福と平安あれ)に呼びかけ給います:
 「言え、「私をアッラーから守ることは誰にもできない。また、私は彼を差し置いて避難所を見出すことはできない」。」

 つまり:ムハンマドよ、“私がアッラーに背けば、私を勝たせたり私を守ったりすることは誰にも出来ないし、彼以外に非難できる場所を私は見つけられない”、と言ってやれ。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP99~102)

預言者伝51

2013年09月12日 | 預言者伝関連
155.ジャアファル・イブン・アビーターリブの帰還:
  この戦の中、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)のもとに、彼の父方のいとこであるジャアファル・イブン・アビーターリブとその仲間たちが現われました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はそのことをとても喜び、ジャアファルの額に口づけしました。嬉しさのあまり、「アッラーに誓って、ハイバルにおける勝利に喜べば良いのか、それともジャアファルの帰還に喜べばいいのか分からない!」と言うほどでした。

156.ユダヤ人による罪深き挑戦:
  またこの戦でアッラーの使徒(祝福と平安あれ)は毒を盛られました。ユダヤ人のザイナブ・ビント・アル=ハーリスという女です。サラーム・イブン・ムシュカムというユダヤ人有力者の妻でもある彼女が毒を入れて焼いた羊を彼に贈ったのです。彼は肉のどの部分が一番お好きですか?と彼女がたずねると、人々は、彼は腕肉がお好きだと言ったので、彼女は腕肉に多めに毒を盛っておきました。預言者(祝福と平安あれ)がそれを齧る時、腕肉自身がそれは毒にやられていると知らせたので、彼は齧ったものを吐き出しました。

  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はユダヤ人を集めて言いました:皆さん、私がお尋ねしたら、正直に答えてくれますか?
人々:はい。
彼(祝福と平安あれ):あなたたちはこの羊に毒をもりましたか?
人々:はい。
彼(祝福と平安あれ):どうしてそのようなことを?
人々:あなたが嘘つきであれば毒であなたからせいせいできるし、もしあなたが預言者であれば、毒はあなたに影響しないと考えました。
とやり取りがありました。
次にかの女がアッラーの使徒(祝福と平安あれ)のもとに連れて来られました。
私はあなたを殺したかったのです、と彼女は言いました。
アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は言われました:アッラーはあなたによって私を危険な目に遭わせ給うことはありませんでした。
教友たちが、彼女を殺さないのですか?と言うと、彼はいいえ、と答えました。
アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は彼女を捕らえることも罰することもなかったのですが、はじめのうちは彼女を殺しませんでしたが、一緒に羊を食べたビシュル・イブン・アルーバラーゥが亡くなったときには彼女を殺しました。

157.ハイバルの戦の影響:
  ハイバルの戦の発生と、その中で信徒たちが素晴らしい勝利を得たことは、まだイスラームに帰依するに至っていなかった諸アラブ部族の心の大きく響きました。ユダヤ人の戦争における実力や、贅沢な暮しぶり、農作物の恩恵、豊富な数の武器や動物、進撃してくる敵を通さない頑丈な砦、経験を重ねた指導者やムラッヒブのような訓練された勇士の存在は前から知られていたので彼らの惨敗がその理由となったようです。

  ハイバルの戦においては、ユダヤ人の抵抗活動の中心地を成敗するだけではない重要性を帯びた目的がありました。それは、ガタファーンというアラビア半島北方面、ヒジャーズとナジドの中間地に存在する最大のアラブ系諸部族の抵抗行為の払拭です。預言者(祝福と平安あれ)がハイバルでの戦を終えてその持ち得る力全てを携えてマッカに向かう直前までは、この土地以外に考えられる逃げ場などなかったのです。

158.勝利と戦利品:
  アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はハイバルの戦が終わると、ファダクに向かいました。するとファダクの人たちはアッラーの使徒(祝福と平安あれ)に向けて、ファダクで得られる作物の半分を差し出すとのメッセージを送りました。彼(祝福と平安あれ)はそれを承諾しました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はそのような作物をご自身や信徒たちの用益に応じて分配していました。

  続いてアッラーの使徒(祝福と平安あれ)はワーディー・アル=クラーに向かいました。それはハイバルとタイマーゥの間に位置する村々の総称です。ユダヤ人はイスラームの到来以前にそこを植民地化し、やがてファダクは彼らの活動の中心地となり、またアラブのある集団が彼らに加わりました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)は彼らをイスラームへと誘い、彼らがイスラームに帰依すれば財産と血は守られ、その他については来世における清算に委ねられる、としました。

  またこの戦には数々の決闘が起きました。アッ=ズバイル・イブン・アル=アワームはその勝者でした。信徒たちは勝利し、ユダヤ人はすぐに自分たちの手の中にあるものを差し出したので、信徒たちは戦利品を多く得ました。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はワーディー・アル=クラーで得たものを教友たちに分配し、ユダヤ人には土地とナツメヤシとそこで働く者たちを残しました。

  出発したユダヤ人たちが、アッラー使徒(祝福と平安あれ)が足を踏み入れたタイマーゥに到着すると、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)と和解し自分たちの財産でそこに留まり続け、アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はマディーナに戻って行きました。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P317~320)

72章解説【2】

2013年09月05日 | ジュズ・タバーラカ解説
3.『そして―われらの主の栄光こそ高められよ―彼は伴侶を娶らず、子供も持ち給わない』。
4.『そしてわれらの愚か者はアッラーについて途方もないことを語っていた』。
5.『またわれらは、人間も幽精もアッラーについて嘘を語ることは決してない、と思っていた』。
6.『そして人間の男たちの中には幽精の男たちに守護を求める者がいた。そして、彼ら(人間の男たち)に不遜を増大させた』。
7.『また彼ら(人間)は、お前たち(幽精)が考えたように、アッラーは誰も甦らせ給わいはしないと考えた』。
8.『そしてわれらは天を求めたが、それが厳しい護衛(天使)と輝く流星で一杯であることを見出した』。
9.『またわれらは聴くためにその(天の)座所に座っていた。それで今、聞こうとする者は、そこに見張りの流星を見出すだろう』。
10.『また地にある者(人間)に悪が望まれたのか、それとも彼らの主は彼らに正導を望み給うたのか、われらにはわからない』。
11.『またわれらの中には正しい者たちもあれば、そうでない者もあり、われらはばらばらの違った路々にあった』。
12.『またわれらは地においてアッラーを頓挫させる(出し抜く)ことはならず、(地から天に)逃げて彼を頓挫させることもできないと考えた』。
13.『そしてわれらは導き(クルアーン)を聞くや、それを信じた。己の主を信じる者があれば、そうすれば(前項の報酬の)削減も不当(な重罰)も恐れることはない』。

 ジンたちは、「われらの主の栄光こそ高められよ」つまりわれらの主の王権、権力、能力、偉大さは至高である、と言いました。「彼は伴侶を娶らず、子供も持ち給わない」妻を娶らないので、彼には子供もいないということです。「そしてわれらの愚か者はアッラーについて途方もないことを語っていた」ジンの愚か者とは、アッラーについて嘘、つまり彼には妻と子供がいるという嘘を言っていたイブリースです。

 続いてジンたちが、自分らの中にあった間違った思い込みを残念がります:
 「またわれらは、人間も幽精もアッラーについて嘘を語ることは決してない、と思っていた」

 彼らは、人間であってもジンであっても誰もアッラーに関して嘘を付くことなどないと考えていたということです。クルアーンを聴いたときに、イブリースが嘘つきであることを確信したので、彼らはイブリースをサフィーフ=愚か者と名付けました。

 続いてクルアーンは、人間がジンに加護を求めることが迷いであり間違いであることを解明します:
 「そして人間の男たちの中には幽精の男たちに守護を求める者がいた。そして、彼ら(人間の男たち)に不遜を増大させた」

 イスラーム以前の時代、枯れ谷で野宿するなど、そこに留まらなければならない人は、大声で:この谷の強者よ!私はあなたに服従することに対して愚かでいる者たちからの加護をあなたに求める!と叫んでいました。谷にいる大きなジンへの呼びかけが自分を守ってくれると考えていたのです。「そして、彼ら(人間の男たち)に不遜を増大させた」つまり人間にはジンに対するこのような行為のために不遜が増えた、または、ジンがジンに加護を求める人間をさらに迷わせた、または恐れさせた、または、罪を増加させた、という意味になります。

 続いてクルアーンは、ジンが持っていた間違った信仰を解明します:
 「また彼ら(人間)は、お前たち(幽精)が考えたように、アッラーは誰も(バアス=1.甦る2.人を送る)甦らせ給わいはしないと考えた」

 つまり:不信仰なクライシュの者たちよ、ジンたちはお前たちが考えていたように、アッラーは被造物たちに彼の唯一性を説く使徒を送ることはないと考えていた。または清算のために死から生の状態に人間を戻すこととも言われます。

 またクルアーンは、ジンが人間に関する見えない情報を知ることはなく、魔術師や占い師や魔法使いがジンを介して不可視界の情報を得ているとの主張は嘘であることを解明します。以上によってイスラームはその追従者たちを迷信や幻想から解放し、当時一般化していたすべての事柄に制限を設けました。

 「そしてわれらは天を求めたが、それが厳しい護衛(天使)と輝く流星で一杯であることを見出した。 その(天の)座所に座っていた。それで今、聞こうとする者は、そこに見張りの流星を見出すだろう。」

 アッラーはジンの言葉について仰せになっています:「そしてわれらは天を求めたが」つまり、天の情報を求め、そしてそこに触れることを求めたということです。「それが厳しい護衛(天使)で一杯であることを見出した」われらは天使の強い護衛によって盗み聞きから守られているのを見つけたという意味です。「輝く流星」盗み聞きする者たちを追います。「その(天の)座所に座っていた」これ以前は、われらは護衛や流星のない場所の天に座っていたという意味です。「それで今、聞こうとする者は、そこに見張りの流星を見出すだろう」だが今盗み聞きを試そうとする者は、そのためにあらかじめ準備された流星が待ち構えているのを見出すだろう、流星は彼を追い、捕えて、天の情報を得ることから遮るだろう、という意味です。つまりジンたちは預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)が送られてくるまでは、天の情報から自分たちが必要としているものを得ていたけれども、その後はジンたちにはそう出来なくなったということです。

 またクルアーンは、ジンたちが不可視界について無知あると認識していることを述べ、そして彼らの信仰について解明します:
 「また地にある者(人間)に悪が望まれたのか、それとも彼らの主は彼らに正導を望み給うたのか、われらにはわからない。またわれらの中には正しい者たちもあれば、そうでない者もあり、われらはばらばらの違った路々にあった。」

  われらジンの衆は、アッラーが、われらが天から知らせを盗み聞きすることを禁じることで大地の民に罰を望み給うたのか、それとも彼らの中から使徒を送って彼らに善を望み給うのかわからない、という意味です。「またわれらの中には正しい者たちもあれば」彼らはムスリムで、アッラーに従います。「そうでない者もあり」われらの中には善良さが完全ではない、もしくは善良さがない者がいる、ということです。「われらはばらばらの違った路々にあった」路が違うとは、主義が違うということで、われらはさまざまな学派は宗派に分かれており、中には信仰ある者もいれば、不信仰な者もいる、という意味です。

 またクルアーンは、ジンがアッラーの壮大な御力と完全な権力を認めていることを述べます:
 「またわれらは地においてアッラーを頓挫させる(出し抜く)ことはならず、(地から天に)逃げて彼を頓挫させることもできないと考えた」

 ここでの「考えた」は:確実に知っていることを指します。つまり、彼らは地においてアッラーを出し抜くことは不可能であることを知り、確信した、という意味です。同様に、アッラーが彼らを罰しようとするときには彼から逃げることは出来ませんし、彼は彼らがどこにいようとも彼らを捕え給います。

 続いてクルアーンは、ジンたちがクルアーンを聞いたときについて描写します:
 「そしてわれらは導き(クルアーン)を聞くや、それを信じた。己の主を信じる者があれば、そうすれば(善行の報酬の)削減も不当(な重罰)も恐れることはない」

 ジンたちはクルアーンを聞くと、それを「導き」と名付けました。なぜならそれが彼らの心を真実へと導く光だからです。彼らがクルアーンを聞いたとき、それがアッラーからのものであると信じ、認めました。誰でも己の主を信じる者は、恐れることも「削減」もない。つまり報酬における己が得る権利が減らされてふさわしいものより少なく与えられることを指します。また「不当もない」つまり不正や悪行などからくる罪です。ここでは、信仰の道を取ることで精神が安心でき、憧れるアッラーの公正さが解明されます。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP93~96)