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続)ムスリムの子ども教育-6-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

2019年01月28日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

続)ムスリムの子ども教育-6-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生12」(37:25~最後)13(最初~8:54)

https://www.youtube.com/watch?v=JpETpYyw1zU 

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

 

前回は、7歳までは、親が礼拝している姿を見せ、7歳になったら礼拝を教え、10歳になるまでに5回の礼拝ができるように練習して行くというお話をしました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《7歳になったら、子どもに礼拝を教えなさい。10歳になって(しなかった)ら、叩きなさい。》アブー・ダーウードとティルミズィー伝承

 

10歳以降の子どもへの接し方:

10歳を過ぎた頃、11歳、12歳になると、思春期と呼ばれる時期になります。この時期は体の成長やホルモンの変化が起き、心の状態にも変化があります。まず特徴的なのは、自立心の芽生えです。“自分”というものを確立していく大切な時期なので、子どもの自立したいという気持ちに、周りの大人がよい接し方をすることが大切です。よい接し方というのは、「叱責したり、頭ごなしに強制したりせず、かといって、放任もしない」、ということです。この時期の子どもに対して、頭ごなしに怒ったり、力で説き伏せるようなことは厳禁です。また反対に、何の保護もせず、したいままにさせておく、というのもよくありません。この時期の保護のひとつとして、子どもが、物事には、「超えてはいけない一線」があることを感じること、が必要になります。

 

この時期の子どもは、何でも自分でやりたがり、親や大人の干渉を嫌がり、今までの習慣を打ち破り、新たな自分を確立しようとします。これは自立心の芽生えで、良いことですが、それをただ放っておくと、何をやってもいいとなり、そこには大きな危険が伴います。まず、大人が、私はあなたのことを尊重している、あなたの選択を尊重し、あなたの趣味を尊重し、それを応援しますよ、ということを話した上で、だから、あなたにも尊重してほしいことがあることをわかってほしい、と伝えます。あなたはもう大きくなったのだから、あなたや友達の行動を尊重し、干渉するつもりはありません、ただ、あなたも自分のことを尊重してほしい、と伝えます。「物事には、「超えてはいけない一線」があります。それは、「アッラーへの振舞い」です。あなたはもう大人の仲間入りをしているのだから、アッラーの権利を欠くことだけは、許されません。もし、礼拝をしない友達と一緒に遊んでいて、礼拝を忘れるようなことがあったら、それは許されないことです。」こう告げます。

 

しかし、間違えてしまいがちなのは、10歳になるまでに、イスラーム的な子育てを何もせず、子どもの心に、アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を育てることをおろそかにし、家の中で礼拝のすばらしさを感じるような環境づくりをせず、子どもが家で礼拝をしている人を見ることがないような状態、また、子どもが、母親や父親の振舞いや言動の中に、「礼拝の効果」を見ることがないような環境で育てた後に、10歳になってから、突然、このハディースを思い出すことです。

《7歳になったら、子どもに礼拝を教えなさい。10歳になって(しなかった)ら、(軽く)叩きなさい。》アブー・ダーウードとティルミズィー伝承

 

そして、なぜ礼拝をしないのか、と言って子どもを叩く、これは大きな間違いです。叩くこと、は、小さい時からのイスラーム的教育があり、その上で、7歳から10歳になるまでの礼拝の練習があり、その上に蓄積されるべきことです。その上でできない場合だけに、それが許されないことを知らせるためだけに行うことが許されているのです。

 

自分が持っていない物を人にあげることはできない、というアラブの諺がありますが、親がまず5回の礼拝を時間内にして見本を見せなければ、子どもが礼拝を守るようにはなりません。親が礼拝を守り、子どもが、自分に対する親の言動の中に、「礼拝による影響」を見ることができれば、子どもに、叩くことは全く必要ありません。このハディースを読み聞かせるだけで十分です。

 

また、叩くと言っても、このくらい(と言って先生は、右手の人差し指と中指の2本の指で、左手の甲を叩く。)の叩き方しかしてはいけません。そこには条件があります。顔を叩くことは大部分の学者がハラームとしています。ハラームです。跡が残るような強い叩き方をしない、兄弟や他の人が見ている前で叩くなど子どもの尊厳を損なうようなことをしないことも条件です。このハディースを教えた上で、10歳以上の子どもに、「超えてはいけない一線」があることを教えるために、10歳になって礼拝を怠った時だけにこの方法は使われます。礼拝以外のことで使うことは許されません。10歳以上の子どもに、レッドラインがあることを、知らせるためだけに使われます。

 

また、注意すべきことは、10歳になって、礼拝を怠る子どもには、必ず、礼拝しない友達がいる、ということです。友達が全員礼拝をする子であれば、その子も礼拝するでしょう。しかし、家でも親が礼拝しない、友達も礼拝しない、子どもはどうやって礼拝できるようになるでしょうか。そういった状態に陥っている10歳以上の子どもには、親に対して、ある種の反抗が見られることがあります。そういう子には、礼拝だけでなく、その子の信仰も心配です。その状態の矯正のためにも、親がレッドラインを示す姿勢は有効です。もう一度言いますが、小さい頃からアッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を教え、親の礼拝の影響を言動に見て育った子どもには、10歳になっても叩くことはまったく必要ありません。これは、とても例外的な状況のみのことです。

 

 

質問:現在は、アラブ圏で子どもをインターナショナルスクールに行かせる親が増え、アラブ諸国に住んでいてもアラビア語ではなく英語しか話せない子どもが増えていますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がその子ども達をご覧になったら、どう思われるでしょうか?

 

回答:もしその子たちが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に、「私は、あなたの宗教、あなたの言葉を世界中の人たちに教えるために、外国語を学びました。」と言ったら、その言葉は間違いなく、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を喜ばせることでしょう。しかし、もし、それが、クルアーンの言語であるアラビア語が「話せない」という状況ならば、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)をとても悲しませることになるでしょう。間違いなく、それは悲しむべきことです。私たちの宗教は、外国語を学ぶことを奨励しています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、一部のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)に、シリア語やコプト語等を習得して、人々との関係を良くするよう命じています。しかし、それも、アラビア語の基礎がしっかりあった上でのことです。

 

もし外国語を学ぶインターナショナルスクールに子どもを通わせる必要がある場合は、学校の勉強とは別に、アラビア語の基礎をしっかりと教える学習が必要です。言語学の教授が証明していることには、外国語を学び、それを使いこなしたいと思ったら、しっかりとした母国語を確立し習得する必要があります。母語がしっかりしていなければ、外国語を学ぶことも中途半端になり、また、それを使いこなすことはできません。子どもには、母語の教育がまず何よりも必要です。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子ども達への接し方:

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子ども達の遊びにも興味を持って、声をかけていました。

 

アブーフライラ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)は伝えて言いました。

 

《ハサンとフサインが、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところで戦いごっこをして格闘していると、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、「ほら、ハサン」と言ったので、ファーティマ様は、「アッラーの御使い様、どうして『ほら、ハサン』とおっしゃるのですか?(別の伝承では、「彼(ハサン)の方が好きなようですね?」)」と言うと、こうおっしゃいました。「実に、ジブリールが、『ほら、フサイン』と言うのです。」》イブン・ハジャル・ル=アスカラーニー、イブン・アサーキル伝承

 

これは、ジブリールが参加し応援するという、ハサン様とフサイン様(お二人の上にアッラーのご満悦あれ)の祝福の大きさを表すハディースでもありますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が子ども達の遊びにも関心を持ち、よく声をかけておられたことがわかるハディースです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、エチオピアから来た小さな女の子に、外国語を話したことがあります。そのハディースをご紹介しましょう。

 

《預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、小さな黒い服を持って来て、おっしゃいました。「これを誰に着せたらいいでしょうか」人々は沈黙しました。「では、ウンム・ハーリドにあげてください。」そこで、彼女にそれが与えられると、ご自身の手でその服を持ち、彼女に着せてあげました。そして、「その服が擦り切れるまであなたが長生きしますように。」と言いました。その服には、みどり色か黄色の模様がありました。そして、こうおっしゃいました。「ウンム・ハーリドよ、これは”サナー”ですね。」”サナー”とは、エチオピア語で、かわいいという意味です。》

 

このハディースでもわかるように、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、いつも子ども達に自分から声をかけていました。以前もこのシリーズでお話したように、道で子ども達に会うと、ご自分の方から子ども達に挨拶をされていました。子ども達にも、彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が彼らの預言者であることを感じさせ、大人たちの預言者であるだけではなく、子ども達の自分たちにとっても、良い物を持って来てくれる預言者であることを感じさせていました。

 

【われは只万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。】クルアーン21-107

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、大人だけでなく、子どもにとっても、動物にとっても、すべての被造物にとっての慈悲として遣わされました。