イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

預言者伝70

2014年07月17日 | 預言者伝関連
218.戦の発生時期:
  この戦はヒジュラ暦9年のラジャブ月に起きました。果物の収穫期でもあった激しい暑さの中、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は戦へと出かけて行きました。行く先は遠く、道中は砂漠で、敵の数は膨大です。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は信徒たちに戦に向かう準備に取り掛かるようお命じになるのですが、人々は当時、苦境の真っ只中にあり、土地の水不足に悩んでいるところでした。

  また偽信者たちはさまざまな理由を述べて、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)との出発を嫌いました。彼らはとてつもなく強い敵に対する恐怖、そして激しい暑さからの逃避、真実に対する疑惑を心の中に持っていたためです。これについて至高なるアッラーは仰せになりました:
  「彼らの居所に居残された者たちはアッラーの使徒から離れて喜び、自分の財産と己の命を捧げてアッラーの道に奮闘(ジハード)することを嫌い、「暑さの中、突き進む(出征する)な」と言った。言え、「火獄の火は一層熱さが厳しい」。もし彼らが理解するならば。」(悔悟章81節)

219.奮闘における教友たちの競い合い:
  アッラーの使徒は(アッラーの祝福と平安あれ)はこの旅行に覚悟し、人々にも準備を進めるようお命じになりました。裕福な者には、アッラーの道のために費やすよう勧め、裕福な者たちはその通りに戦に必要な出費を背負い、アッラーからの報奨を願いました。またウスマーン・イブン・アッファーンは軍隊を整え、1000ディーナールを払いました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はそんな彼のために祈りました。また乗り物を持ち得ていないアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の仲間たちが彼にそれを求めたところ、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)もそれを持ち得ていないと伝えました。それを聞いたことで彼らの悲しみはより強くなりました。そこでアッラーは彼らに関して次のように仰せになりました:
  「おまえに乗せてもらおうとおまえの許に来た時、おまえが「おまえたちの乗り物を私は見出さない」と言うと、目に涙を溢れさせ、費やすものを見出さないことを悲しんで背を向けた者たちにも。」(悔悟章92節)

  また信徒たちのうちの数名は、疑いもないし、ためらいもないのにこの戦に出遅れてしまいます。

220.タブークへの出征:
  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はマディーナから30,000の人たちを連れてタブークへ向かいました。今までの戦の中で最も数の多い軍隊です。まずサニイヤトゥ・ル・ワダーゥに陣営を取り、アンサールのムハンマド・イブン・マスラマにマディーナの諸事を預け、ご自分の家族にはアリー・イブン・アビー・ターリブを預けていかれました。アリーは彼を置いてゆくアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に偽信者たちの文句を訴えた際、彼(アッラーの祝福と平安あれ)は次のように言われました:「ムーサーの許のハールーンの地位のような私の許の地位につくことにおまえは満足しないのか。しかも私の後に、預言者はいない」(アル=ブハーリーのタブークの戦の門)

  そしてサムードの故郷であるアル=ヒジュルに留まりました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は人々にここは罪を受けている人たちの故郷であることを知らせて、次のように言われました:己自身を害した者たちの家屋におまえたちは入ってはならない。そうしないと、彼らに襲ったことがおまえたちに起こることを恐れて泣いてしまうだろう。また次のようにも言われました:この土地の水を飲んではならないし、礼拝のためにここの水で清めてもいけない。ここでパン生地をこねたのであれば、それはラクダに餌として与えなさい。この土地のものを食べてはいけない。

  人々は水を失ってしまったので、そのことをアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に訴えました。それを聞いた彼(アッラーの祝福と平安あれ)が祈ると、至高なるアッラーは雲を御遣いになり、人々が潤うまで雨を降らせ給いました。

221.ローマ帝国を恐れるアラブ:
  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がタブークに出発しようとしているときに、偽信者の数名は彼を指差して、お互いに言い合いました:ローマ帝国のやつらとの戦が、アラブ同士の戦と同等かと思うか?アッラーにかけて、君たちが縄で縛られているかのように見える、と。

222.アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)とアイラの主たちの間で成立した和解:
  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がタブークに到着すると、アイラの主であるヨハンナ・イブン・ルウバ(アラブとローマ帝国の境に居住している諸君主の一人)が現れ、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と和解し、ジズヤを彼(アッラーの祝福と平安あれ)に捧げました。またジャルバーゥとアズラフの民も現れました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は安全の書を彼らのために作りました。その中には、国境の保証、水源と陸路と海路の確保、御互いの安全の保証が含まれました。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P364~367)
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68章解説【2】

2014年07月10日 | ジュズ・タバーラカ解説
8.それゆえ、おまえは(アッラーのもろもろの印や預言を)嘘だと否定する者たちに従ってはならない。
9.彼らは、おまえが妥協し、そして彼らも妥協することを望んだ。
10.それゆえ、どんな卑しい宣誓常習者にも従ってはならない。
11.(それは)中傷者で、悪口を言いふらす者、
12.善(に費やすこと)を妨げ、度を超す罪深い者、
13.粗野で、その上、素性の卑しい(宣誓常習者)に(従ってはならない)。
14.財産と子供を持っていること(故に)。
15.彼にわれらの諸々の印が読み聞かせられると、「(これは)昔の者たちの作り話である」と言った。
16.いずれわれらは彼の鼻面にに焼印を押そう。

続いてアッラーは預言者に、嘘つき呼ばわりする者たちに従うことを禁じ給います。そして彼らの迷った願望を描写し給います:
「それゆえ、おまえは(アッラーのもろもろの印や預言を)嘘だと否定する者たちに従ってはならない。彼らは、おまえが妥協し、そして彼らも妥協することを望んだ。」

妥協とは:相手に合わせて柔らかい態度を取る、うわべだけの態度を作り上げる、礼儀正しくあることを含みます。ムハンマドよ、おまえの宗教において、彼らの神々を信頼する、との応答を示せば、彼らはおまえの神の崇拝において態度も柔らかくしてくれるだろう、という意味です。しかしこれは彼らの信仰の弱さを示しています。もし、確信を持って自分たちの教えを信仰しているなら、駆け引きしなかったはずだからです。

続いてアッラーは、嘘つき呼ばわりする者たちの一部の者を非常に醜く描写しつつ、彼らに従ってはならないと預言者(アッラーの祝福と平安あれ)に仰せになります:
「それゆえ、どんな卑しい宣誓常習者にも従ってはならない。(それは)中傷者で、悪口を言いふらす者、善(に費やすこと)を妨げ、度を超す罪深い者、粗野で、その上、素性の卑しい(宣誓常習者)に(従ってはならない)。」

至高なるアッラーはこの数節の中で、彼の怒りを誘う9つの特徴を述べ給います:

1.宣誓常習者:何度も宣誓する者のこと。人に信じてもらえないとか、嘘つき呼ばわりされているのを自覚している正直ではない人間くらいしか、誓いの言葉をたくさん言いません。

2.卑しい:下劣な者、嘘つき。

3.中傷者:人々を中傷し、陰口をたたく人。

4.悪口を言いふらす者:歩きながら悪口を人々の間に広めて、彼らの関係を悪くする人。気分を悪くさせる言葉が人から人に移動することでその人たちの間に敵意が生まれます。預言者(アッラーの祝福と平安あれ)は悪口を言う者の罪を次のように解明されました:《悪口を言う者は楽園に入らない》(イブン・マージャ以外が伝承)

5.善を妨げる:人々と彼らが行おうとしている善きことの間に立ちはだかります。ここでの善はお金を指しており、この者は必要としている人たちにお金が渡るのを邪魔します。

6.度を超す:人との付き合いにおける公正と公平の度を超すことで害をもたらします。

7.罪深い者:罪が多いこと。

8.粗野:不信仰なことにおいて非常にドライで無礼な者。または性格の悪い者。

9.素性が卑しい:人々の間でその下品さと悪さで知られている者。またはある民にくっついているが実際は彼らと同じ出身ではなく、父親が不明な者。

続いてアッラーは、これらの特徴に、嘘つき呼ばわりする特徴を加え給います:
「財産と子供を持っていること(故に)。彼にわれらの諸々の印が読み聞かせられると、「(これは)昔の者たちの作り話である」と言った。」

この恩知らずの自分の富と子供で自惚れている者は、クルアーンの諸節のことを昔の人たちの作り話、つまり真実かどうか分からない過去の人たちから伝わった神話だ、と言いました。この節が示している人物が誰については解説者たちの間で意見が分かれていますが、大多数はアル=ワリード・イブン・アル=ムギーラ・アル=マハズーミーであるとしています。アッラーはこの恩知らず者を「いずれわれらは彼の鼻面にに焼印を押そう」と脅迫し給うています。焼印を押すとの言葉で意味したいのは、それが残す跡です。彼の鼻面に焼印を押す、とは、その者に屈辱を与えることを指します。アラブにおいて鼻は、栄光とプライドの箇所とされます。そのため卑屈な者のことを:鼻が切断された者、と言います。アッラーの御約束は確実に実現し、アル=ワリードの鼻はバドルの戦の際に傷を受けたのです。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP29~31)
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預言者伝69

2014年07月04日 | 預言者伝関連
タブークの戦
ヒジュラ暦9年、ラジャブ月
217.タブークの戦が与えた心理的影響と、その経緯:
  敵の心に恐れを投げ入れ、またイスラームは燃えて消えてしまう炎や真夏の留まらない雲のようなものだと思い込んでいる者たちの目から覆いを取り去ることが出来たタブークの戦はマッカ征服と同等の出来事でした。またこの戦は当時、最も力強くまた偉大で、隣人のアラブから恐がられていた国家との摩擦も起こしました。かつて-ローマ皇帝の-ヒラクルがドゥヒヤ・アル=カルビーが携えて来たアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の書簡に関心を持っていたこと、また彼がアラブ半島に預言者が出現することを想定していたことをアブースフヤーンが語っています:「アブーカブシャ(預言者様の乳母、ハリーマの夫)の息子の存在が大きくり、黄色の部族の王(ローマ皇帝のこと)は彼を恐れた。私は彼が現れることを確信していたが、そのうちアッラーは私の中にイスラームを入れてくださった」。

  かつてのアラブ人たちはローマ帝国を襲うことなど夢にも思っていなかったし、逆に彼らに襲われることをその家の中で恐れていました。それだけ自分たちを小さく評価していたのでした。またマディーナのムスリムたちは、有事の際には、ガッサーンが襲ってきたのではと考えるのでした。ガッサーンとは、ローマ皇帝カイサルに追従していたアラブ部族です。

  ローマ帝国はその完璧なまでの力でヒラクルの指揮の下イラン軍を遠ざけ、そして彼らの土地に足を踏み入れ、そしてイラン側は惨めに負けました。ヒラクルはこの素晴らしき勝利に感謝しつつ勝者、成功した指揮官である王の行列の中、ヒムスからイリヤへと向かいました。これが起きたのはヒジュラ暦7年。ヒラクルはペルシャから奪還した十字架を手にし、花が撒かれ、彼のために敷かれた敷物の上を歩きました。この勝利から二年もたたないうちにアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はマディーナからローマ帝国を目指して出発したのです。

  アッラーはアラブの心深くに影響を与えたこの戦によって、アブーバクルとウマルのカリフ時代にムスリムたちがシャーム地方に攻め入りやすくしてくださりました。

  また、この戦が起きたきっかけとして、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のもとにローマ帝国がアラブを攻め入る準備をしているとの知らせが入ったことが言われています。歴史家のイブン・サアドとその師匠であるアル=ワーキディーは言っています:「ヒラクルがその仲間に1年間の給与を与え、ラハム、ジュザーム、アーミラ、ガッサーンなどのキリスト教化したアラブを連れて、その先頭がもうアル=バルカーゥに到着しているとの知らせがナバテアからアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に届いたのである」。

  この伝承が正しかったとしても、正しくなかったとしても、この戦の本当の目的は隣接しているローマ帝国を恐がらせることでした。その国の害がイスラームの中心地とムスリムたち、そして生まれて間もないイスラーム宣教活動に及ぶことを懸念していたためです。また、もう一つの目的は、ムスリムたちがその土地にいる中で彼らを襲うこと、そしてムスリムたちを捕虜となる富と見なすことを禁じることです。もしムスリムたちがその通りであるなら、偉大なローマ帝国に進軍し、宣戦布告することなどなかったでしょう。このことは、タブークの戦について述べられた次の聖句の中にある叡智とも言えます:「信仰する者たちよ、おまえたちに近い不信仰者と戦え、彼らにおまえたちの過酷さを見出させよ。そしてアッラーは畏れ身を守る者たちと共におわしますと知れ。」(悔悟章123節)

  そしてこの目的は実現しました。ローマ軍は進軍を進軍で迎えることも、軍事行動で迎えることもなく、ムスリム軍の挑戦を前に撤退するような形となりました。これを機にローマ帝国は、この新興力に対していろいろと計算し始めました。

  大胆な戦というよりもこの危険な冒険の二つ目の叡智は、アラブ半島にいるまだイスラームに帰依していないアラブの諸部族とローマ帝国に服従しているキリスト教化したアラブの心に恐怖を投げ込むこと、彼らにイスラームという教えの重要性と、それが水面に浮かんでは消える水泡なのではなく、また豊かな未来がまっていることを真剣に考える機会を与えることです。そうすることで彼らが彼らの土地に現れたイスラームに帰依する道が開かれるかもしれないからです。次の、この戦に出ていった者たちに関する聖句が以上のことを示しています:「また彼らが不信仰者を立腹させる踏み跡を踏みしめ、敵から獲得するものがあれば、必ずやその度に、彼には善行が書きとどめられるからである。」(悔悟章120節)

  またローマ帝国は、目的を果たせ切れなかったかつてのムウタの戦を思い出していました。両軍ともに撤退することに満足する形で戦は終わっていました。その瞬間から、アラブの心の中のローマ帝国に対する恐怖心は弱まっていたのです。

  簡潔にまとめると、この戦は預言者伝とイスラーム宣教の歴史において大きな重要性を秘めた出来事であったということです。この戦をとおして、アラブとムスリムたちから遠い存在であったいくつもの目的が実現したのです。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P361~364)
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