18日は天気が悪くて外に出ず、写真もありません。
19日は良い天気。
昼前から散歩。
↑急なほうの坂へ行き
↓緩やかなほうの坂へ行き
30分ほどしてまた急なほうの坂へ。
↓これは放牧地横の道を歩いてます。
19日は良い天気。
昼前から散歩。
↑急なほうの坂へ行き
↓緩やかなほうの坂へ行き
30分ほどしてまた急なほうの坂へ。
↓これは放牧地横の道を歩いてます。
2ヶ月ほど遡り、3月17日、前回の記事の続きです。
カメラの内部のゴミが厄介な所に移動し、アップの写真がほとんどないし、全体に数も少ないのですが、ル~との大事な思い出です。
午後の散歩。
1時間ほどで帰って牧草むしゃむしゃ。
カメラの内部のゴミが厄介な所に移動し、アップの写真がほとんどないし、全体に数も少ないのですが、ル~との大事な思い出です。
午後の散歩。
1時間ほどで帰って牧草むしゃむしゃ。
4月3日朝7時、ル~が亡くなりました。
1日夜中、寝る前に見に行った時には元気に食べていました。
ル~ちゃん、また明日
元気でいてよ
といつもどおり、声をかけて家に戻りました。
2日朝、お腹が痛い様子。
これまでに2~3度あった、すぐに治る軽いものとは様子が違ったので、獣医さんに来てもらいました。
小腸が腫れている、ループになっている所がある、との診断でした。
下痢や便秘、ガスがたまっている、などと違い、開腹手術しかない状態でした。
全身麻酔による開腹手術はリスクが大きく、手術後も再発の可能性もある、今、ごろごろしていてひょっこり治る事もある…難しい選択ですぐには決められませんでしたが、29歳という年齢も考え、手術はしませんでした。
もしかして治るかもしれんって、ごろごろしに行こ、と放牧地に行きました。
いつものように私の背中を鼻で押しながら歩いたりもしましたが、やはりしんどかったようで放牧地で横たわる時間が長かったです。
穏やかに横たわっていたもので、この時にはまだ私は夕方からの仕事に行くつもりをしていて、そろそろ時間や、馬房に帰ろ、と起こして連れて帰りました。
帰ると、思ってたより痛がるので、夕方からの仕事を急遽休ませてもらい、そばについていました。
夜にもう一度、獣医さんに来てもらいました。
しばらくの間、痛みがわからないように鎮静剤を注射してもらうしかありませんでした。
朝まで持たない可能性が高い、との事で、今度は安楽死のほうがいいのか、このままのほうがいいのかの選択でした。
暴れてケガするような様子ではなかったのと、過去に獣医さんや牧場の人に見放された後、奇跡の復活をした馬の話もあるので、獣医さんと相談し、私が見ていられるなら奇跡の可能性を残して自然にまかせるのがいい、という結論を出しました。
翌日午前の仕事も他の人に替わってもらえてたので、一晩、そばについていました。
ほとんどの時間、横たわっていましたが、何度か立ち上がり、パドックの外にも出て歩き回ったり、好物のスポーツドリンクを飲んだりもしましたが、何時頃からだったか、立ち上がれなくなりました。
朝まで持たない可能性が高い、との事でしたが、
ル~ちゃん、居なくなったら嫌や!
という私の声に応えて、ちょっとでも長く頑張ってくれたような気がしています。
何日も長引くような状態なら、仕事でついていられなかったし、骨折みたいにあっという間の別れではありませんでした。
もちろん、私が寝てる間や留守中に亡くなる可能性もあったわけですから、まだまだ辛いけど、これでも私が一番ダメージが少ない亡くなり方をしてくれたと思います。
普段の世話のしやすさにも本当に感謝。
そして、ル~が助かるという奇跡は起こらなかったけど、このタイミングでル~が亡くなった事が奇跡だったのです。
ゴ~という馬の話につながるのですが、それはまたの機会に。
ブログを休んでた間の写真があるので、そちらをアップします。
ル~が亡くなってから日がたち、少し落ち着いてきたので、ル~が北海道に来た頃からのブログを読み返しています。
ル~の暮らしを最後までこのブログで見られるようにしておきたいので、3月に戻りますが、もしよろしければご覧ください。
ケータイの、数字でいうと147のキーが反応しなくなり、文が書けなくなり休んでいました。
ケータイを買い換えるまでの休みのつもりでしたが、2ヶ月休んでしまいました。
ご心配いただいた方、申し訳ありませんでした。
コメントやメール、ありがとうございました。
1日夜中、寝る前に見に行った時には元気に食べていました。
ル~ちゃん、また明日
元気でいてよ
といつもどおり、声をかけて家に戻りました。
2日朝、お腹が痛い様子。
これまでに2~3度あった、すぐに治る軽いものとは様子が違ったので、獣医さんに来てもらいました。
小腸が腫れている、ループになっている所がある、との診断でした。
下痢や便秘、ガスがたまっている、などと違い、開腹手術しかない状態でした。
全身麻酔による開腹手術はリスクが大きく、手術後も再発の可能性もある、今、ごろごろしていてひょっこり治る事もある…難しい選択ですぐには決められませんでしたが、29歳という年齢も考え、手術はしませんでした。
もしかして治るかもしれんって、ごろごろしに行こ、と放牧地に行きました。
いつものように私の背中を鼻で押しながら歩いたりもしましたが、やはりしんどかったようで放牧地で横たわる時間が長かったです。
穏やかに横たわっていたもので、この時にはまだ私は夕方からの仕事に行くつもりをしていて、そろそろ時間や、馬房に帰ろ、と起こして連れて帰りました。
帰ると、思ってたより痛がるので、夕方からの仕事を急遽休ませてもらい、そばについていました。
夜にもう一度、獣医さんに来てもらいました。
しばらくの間、痛みがわからないように鎮静剤を注射してもらうしかありませんでした。
朝まで持たない可能性が高い、との事で、今度は安楽死のほうがいいのか、このままのほうがいいのかの選択でした。
暴れてケガするような様子ではなかったのと、過去に獣医さんや牧場の人に見放された後、奇跡の復活をした馬の話もあるので、獣医さんと相談し、私が見ていられるなら奇跡の可能性を残して自然にまかせるのがいい、という結論を出しました。
翌日午前の仕事も他の人に替わってもらえてたので、一晩、そばについていました。
ほとんどの時間、横たわっていましたが、何度か立ち上がり、パドックの外にも出て歩き回ったり、好物のスポーツドリンクを飲んだりもしましたが、何時頃からだったか、立ち上がれなくなりました。
朝まで持たない可能性が高い、との事でしたが、
ル~ちゃん、居なくなったら嫌や!
という私の声に応えて、ちょっとでも長く頑張ってくれたような気がしています。
何日も長引くような状態なら、仕事でついていられなかったし、骨折みたいにあっという間の別れではありませんでした。
もちろん、私が寝てる間や留守中に亡くなる可能性もあったわけですから、まだまだ辛いけど、これでも私が一番ダメージが少ない亡くなり方をしてくれたと思います。
普段の世話のしやすさにも本当に感謝。
そして、ル~が助かるという奇跡は起こらなかったけど、このタイミングでル~が亡くなった事が奇跡だったのです。
ゴ~という馬の話につながるのですが、それはまたの機会に。
ブログを休んでた間の写真があるので、そちらをアップします。
ル~が亡くなってから日がたち、少し落ち着いてきたので、ル~が北海道に来た頃からのブログを読み返しています。
ル~の暮らしを最後までこのブログで見られるようにしておきたいので、3月に戻りますが、もしよろしければご覧ください。
ケータイの、数字でいうと147のキーが反応しなくなり、文が書けなくなり休んでいました。
ケータイを買い換えるまでの休みのつもりでしたが、2ヶ月休んでしまいました。
ご心配いただいた方、申し訳ありませんでした。
コメントやメール、ありがとうございました。