かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

もどかしい速達

2020年11月02日 23時17分08秒 | お受験
今日はまた別の小学校の受験があった。併願というには失礼なレベルの学校なのだが、練習の過程でよく過去問を使っていたこともあり受験することにした。この日は午前中の試験で、付き添いは1人に限られていたため私は家で留守番をすることになった。気になるのは昨日の結果で、速達郵便で来るはずなので家にいなければ受け取れない。なにしろいつ来るかわからないので、インターホンに気を取られて落ち着かないことおびただしかった。
結局来ないまま子どもは嫁さんと共に帰宅してきて、そして夕方になり、幼児教室に他の家はどうなのか聞いてみる始末だった。不合格だと早く来る傾向はあるらしいが、とりあえず合格の連絡は来ていないらしく、全体的に遅いのだろうとしか考えようがなかった。
待ちに待った郵便が来たのは結局暗くなってからだった。郵便局の人が差し出した封筒を一目見た瞬間に開けずとも結果はわかった。「入学手続書類在中」と書いてあったからである。すぐに玄関で開封して合格証書を確認し、幼児教室に合格の一報を入れた。そして、また幼児教室に出かけ、先生達と話をして帰りがけにデパートでケーキを買って帰った。今日は遅くなってしまったが、今日くらいはそれもいいだろう。
子どもはここまでよく頑張った。そしてその努力はきちんと実った。本当によかった。おめでとう。
こうして我が家のお受験はひとまず幕を閉じたのだった。

本命の日

2020年11月01日 23時01分45秒 | お受験
今日はいよいよ本命校の入試の日である。出願の関係で試験時間は午後になったため、なんとも落ち着かない午前中になった。考えようによっては朝も無理に早起きする必要もなかったので良かったのかもしれない。
事前に調べておいたとおり、少し余裕を持って家を出発した。受験用の服装はすでに経験済みなので最初に比べると私も含め皆多少の落ち着きがあるように思えた。
途中の電車にもトラブルはなく、予定通り学校に到着した。ここは私がかつて巣立った小学校で、校舎はその頃とほとんど変わりがない。そういう意味では緊張とは別の懐かしさや暖かさを感じていた。受付で名前を名乗り、息子にゼッケン代わりの受験番号の書かれた大きなシールを胸と背中に貼ってやった。最初に通された待機場所は1階の教室で、受験番号ごとに色分けがされていて5家族くらいが1部屋に割り当てられていた。1家族に1つ机があり、それを囲むように椅子が配置されていた。待っていると係の先生がきて注意事項を話していき、しばらくして子どもが呼ばれていった。あとは親は面接で呼ばれるまで待つだけ。そして、しばらくして呼ばれ、面接会場の2階の教室(確か6年生の教室)の前の廊下の椅子でしばらく待った。その後呼ばれて中に入るまでの流れは練習通り。面接官は2人で、片方は実は知っている先生だった(直接の担任ではなかったため向こうは覚えていない様子だったが)。聞かれた質問はおおよそ想定通りのものだったが、アドミッション・ポリシーのどれが一番当てはまるかという質問には一瞬答えに詰まった。が、すぐに直感で答えを返した。後から嫁さんにあれは違ったのではないかと言われたが、今更どうにもならないことで、筋の通らない説明はしなかったつもりなのでよしとしよう。面接が終わった後は緊張が解け、後はまた元の待機場所に戻って子どもが戻ってくるのを待った。不思議とあまり時間の流れを感じなかった。
子どもはにこにことした様子で戻ってきた。聞けばだいたい全部できたという。それはよかった。
帰りがけに幼児教室に寄って、今日の試験の様子についてお話しした。子どもは先生達に熱心に今日の試験の様子を事細かに伝えていた。きっと来年以降の手助けになることだろう。ひょっとすると下の息子もその恩恵にあずかるかもしれない。先生も「まあ大丈夫でしょう」と言ってくれた。
結果が出るのは明日。きちんと結果が出てくれるといいが。後は祈るだけだ。