かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

ハロウィンと選挙の日曜日

2021年10月31日 23時53分00秒 | 一般
今日は10月の終わり。いわゆるハロウィンで、上の子ども2人は仮装をして私の母のところへ行った。お菓子をもらって大喜び。自分が子どもの頃はこんなイベントは日本では広まっておらず、アメリカに行って初めて知ったものだったが、こんなに広まったのはいつのことなのだろうか。子ども達は楽しんでいるので、別にいいのだが。
あわせて今日は総選挙の日でもあった。私は参政権がもらえたときから必ず投票に行くようにしているが、少なからぬ人が行かないらしい。全員が行くというのもそれはそれで問題だとは思うが、少なくとも投票できるにもかかわらず投票しない人がその後で政治にどうこう言うのはどうかと思う。意見を言う方法があるのだから、まず投票に行ってから。文句はそれからだろう。
ここの選挙区はいつも競ることが多く、当確が出るのは遅いのだが、今日は日付が変わる前に出た。今回の選挙戦で思ったが、地道な活動をしているのはどちらかというと野党候補のほうだ。与党候補もたまに見かけるが、もっと地元で活動をしてもらいたい。国会からさほど遠くはないのだから、地盤と行き来するくらい何と言うこともないだろう。実際、嫁さんが入院中に選挙カーの音がうるさかったのは与党候補のほうだったようで、そういう所は音量に気をつけるくらいできるはずだ。実際、野党候補はやっていた。与党候補にできないはずはない。小選挙区で風の助けなしに安定して勝ちたいのなら、頑張ってもらいたいものである。


お散歩の行き先

2021年10月30日 21時45分00秒 | 一般
今日は真ん中の息子と午後にお散歩に行った。
すると電車に乗りたいというので、とりあえず地下鉄に乗った。ただ、どこに行ったものか特に何かあてがあるわけでもなかったので、乗ったはいいがどこで降りたものか少し考えさせられた。
結局、定期の範囲内で大学に行くことにした。思った通り土曜日の午後で大学のキャンパスは人気がほとんどなかった。子どもを連れて歩くと、いつもは何気なく歩いている距離が思いがけず遠く感じられた。キャンパスの中の池のほとりに行くと、コイが何匹か泳いでいて、それを追いかけるがために何回かほとりを往復させられた。
帰りの電車までは何とか持ちこたえたが、駅につく直前で眠くなったらしく、何とか自力で電車を降りるところまではやらせたが、後は抱きかかえて家に帰ってきた。赤ちゃんが2年でここまで大きくなるのだと何だか不思議な感じがした。

環境を作る

2021年10月29日 22時10分00秒 | 一般
今日は休暇をとったので時間がたくさんあるような気がしていたが、意外とそうでもなかった。やることは色々あった。また、家の中の片付けも多かった。
まず、買い物に行って足りないものを調達し、次に赤ちゃんの面倒をしばらく見た。幸いお昼寝してくれたので、その間に自分の片付けをして、命名書の準備もした。これはお七夜までに用意しなくてはいけない。
ケーキ屋で赤ちゃんの誕生祝いのケーキを受け取り、そっと持って帰った。
夕方になると、今度は夕食のしたくをして、それから赤ちゃんの沐浴をして、それが終わったらお兄ちゃん2人のお迎えだった。上は学童で、真ん中は保育園で、どちらもハロウィン関連のイベントがあったらしい。楽しそうで何より。
みんな揃ったところで、赤ちゃんの誕生祝い。ケーキを囲んで、新しい家族をお祝いした。
色々あった金曜日だった。

ドタバタ続く

2021年10月28日 23時22分00秒 | 保健センター仕事
赤ちゃんは昨夜はそれほど騒ぐこともなく朝を迎えた。今日は私はいつも通り外勤日で、上の2人が出かけた後に出発した。
赤ちゃんは家に帰ってきた後も落ち着いているようだった。夕方には初めての沐浴をした。しばらくぶりのことで、勝手がなかなか思い出せなかったが、何とか洗って服を着せ、それから耳と鼻を綿棒で手入れして終わらせることができた。もっと慣れれば色々できそうである。

おかえり三男くん

2021年10月27日 22時33分00秒 | 一般
今日めでたく退院の日を迎えた。私も病院に行くのは手術日以来である。
息子たちをそれぞれ学校と保育園に送り出し、その後職場にちょっと寄ってから病院に行った。まず入院費の精算からで、会計窓口に言って患者の名前を言って、機械で入院費を支払った。その後は病棟に行って、まず荷物を受け取って車に積み込んでから再度病棟に向かい、そして嫁さんと三男くんとともに病院を出た。三男くんを抱っこしたのはこれが初めてのことだった。駐車場に移動したら、まずはチャイルドシートの調整からで、少し前まで真ん中の息子が使っていたためだいぶ大きくセットされていたヘッドレストを一番低い位置に動かした。それからベルトの調整。そうして出発の準備が整い、後は慎重に運転して家に帰ってきた。
三男くんにとっては初めての外の世界で、光がまぶしそうな顔をしていた。天気が今ひとつだったが、病棟から出て、駐車場に移動するまでの間は雨があがっていた。この子も晴れ男の素質があるかもしれない。
家に入り、昼食の支度と荷物の片付けをしてから、書類を持って近くにある役所の出張所に行った。今回も前回と同様に出生届と児童手当と医療証の手続きをして、それからマイナンバー付き住民票の写しをもらった。待ち時間の間に隣の部屋が期日前投票所になっているので、期日前投票をしておいた。
しばらくして出生届はめでたく受理され、三男くんは戸籍に登録された。国に三男くんの存在が認知されたわけである。
その後は学童に上の息子を迎えに行き、連れて帰ってきた。しばらくして真ん中の息子も保育園から帰ってきた。兄2人は三男くんと初対面で、しばらくそばから離れなかった。上は真ん中のときも抱っこしているので比較的手慣れていたが、2歳の真ん中は赤ちゃんをこわごわ触っていた。いずれ慣れっこになるだろう。
さあ、これから5人家族の生活が始まる。男の子が3人になり、これからもっと騒がしく賑やかになっていくのだろう。

誕生! part 3

2021年10月20日 22時34分18秒 | 一般
今日はいよいよ帝王切開の日。臨月に入ってからというもの、予定通りにこの日が迎えられるかは気が気でないところだったが、幸い陣痛が来ることもなく予定通りに進んでくれた。幸いにして天気はよく晴れていて、新しい子どもを迎えるにふさわしい青空が見られた。前回の時と同じ病院で、予定帝王切開というのも同じ。だが、このコロナ禍で面会ができないため前回のようにおしゃべりしながら病棟で一緒に待つということができない。そのため、今日は手術の時間が決まったらそれに合わせて出発し、手術室前の待機室で待つのみということになった。
上の息子はいつも通り学校へ行かせ、下の息子は母の家で預かってもらった。そして、手術の時間になるまでに私は家の中の片付けに取りかかった。今日の仕事は床に敷いてあるパネルを全て外して間に溜まっていたゴミを徹底的に掃除することである。これがちょうどパネルの境目の形にこびりついていてなかなか取れない。霧吹きでしめらせつつ丹念に拭いていくしかなかった。そして、床をきれいにした後は用意しておいた新しいマットを丁寧に床に貼っていった。本当は似たような色で注文するはずだったのが、手違いで少し違った色になってしまったが、これはこれで落ち着いた感じがしていい気がする。その間に病院から体調確認の電話があった。特に問題ない旨を伝え、最終的な来院許可が出た。
午後、待ちきれなくなり早めに家を出発し病院近くで待機することにした。そして、連絡を受けてから病院に到着するまで10分弱。すぐに地下の手術室前にある待機室へ行った。前も同じ場所に行った気がしたが、すこし様子が違った。大きなパーティションが置かれていたためだろう。そして待つこと30分ほどで、嫁さんが助産師さんに連れられてやってきた。簡単に言葉を交わし、私はまた待機室に戻った。それから30分ほど経っただろうか、また呼ばれて手術室入口で我が子と対面(アクリル板越し)ということになった。無事に生まれてくれて何よりだった。しばらく写真を撮らせてもらった後で赤ちゃんは先に病棟に上がっていった。そして私は三度待機室に戻り、手術が終わるのを待つことになった。しばらくして主治医の先生が来て簡単な手術経過を教えてくれ、手術室で撮ったポラロイド写真を2枚渡してくれた。手術も順調だったそうで、またまた安心した。それからしばらくして手術が終わったということで手術室の入口に向かった。嫁さんは意識はしっかりしていたが、麻酔の影響で気分が悪そうで話すのはしんどそうだったので、簡単な会話だけにして後は様子を見守ることにした。病棟に向かうのを見送り、私の役目は終わった。滞在時間は合わせて2時間半くらいだったが、とても緊張した時間だった。
前回帝王切開だったため今回も帝王切開になるのはもはや既定路線で、赤ちゃんの向きは最初から問題としていなかったが、最後まで頭が下に来ることはなかったそうである。
とにかく、無事に生まれてくれた。そして嫁さんも大過なく手術を終えることができた。今回の妊娠期間は過去2回と比べてだいぶしんどかったようだが、それも今日で終わった。ここ数ヶ月の間のしんどそうな様子は見ていても辛そうで、ここまで来られたことは本当に頭の下がる思いとしか言いようがない。
そして、三男くん、ようこそ。やっと会えてうれしいよ。これから元気に大きくなっていってね。