かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

ずっと残るもの

2020年01月26日 23時05分36秒 | 一般
上野の国立科学博物館のミイラ展に上の子どもと行ってきた。
雨がちのあいにくの天気の中、10時頃に到着したときには入場待ちの行列はできておらず、空いているのかと思ったら、中はわりと混んでいた。ぎっしりで全然動かない、というわけではなかったので少しずつ見ていくことができた。
ミイラというとエジプトのものをすぐに思い浮かべてしまうが、世界中で人工のものも自然のものも含めいろいろな場所にミイラがあり、多くの場所では自然環境の中で消滅してしまう死者を何とか残そうとしていることがわかってなかなか興味深かった。当然のことながら保存状態も様々で、人の形のとどめ具合もだいぶ違う。その中でも、やはり頭部があるかどうかで印象はだいぶ変わるような気がした。
最後のほうで日本の即身仏も展示されていて、仏として祀られているのは初めて見ることができた。
1時間半ほどで全部を見終わり、図録とおみやげを買って、その後は常設展に行った。ひとしきり見て回った後で、コンパスに行って子どもは大はしゃぎだった。少し前に風邪をひいていたので、大丈夫か心配になったが、そんな懸念はものともせずに楽しく遊んでいるようだったので一安心。
時間になったのでそのまま博物館を出て、スーパーに寄って買い物をしてから、嫁さんと下の子どもが待つ家に帰ってきた。

学位審査

2020年01月10日 23時40分25秒 | 研究生活
今日はいよいよ学位審査の日。
日程が決まったときにはずいぶん先のような気がしていたが、あっという間にこの日を迎えてしまった。発表の練習は何度となくしてきてはいたものの、不安はつきまとうものでどうしようもなかった。
学位審査の部屋は2時間前から使えると言われてはいたが、そんなに早くに行っても緊張が募るだけなのでとりあえず早めに研究室に行って、少し時間をつぶしてから1時間前に行った。
発表にかける時間は30分の予定で用意してあったので、プロジェクターのテストもかねて最後にもう一度練習した。用意したスライドはきちんと映ってくれていたので、その点はまず安心できた。あとは用意した筋書に沿って発表をしていくだけである。言われたことをメモする準備をして、後は審査委員が来るのを待つばかり。
予定の時刻を少し過ぎて5人の審査委員全員が揃い、審査が始まった。はじめに審査委員それぞれから挨拶があったが、ほとんどの先生には一度会っていたので形式的な感じで進んだ。その後、発表を始めることになった。まず用意しておいたスライドで簡単な自己紹介をして、それから何度となく練習した口上を述べていく。練習したとおりなので、だんだんと緊張もほぐれつつ、急に靴を挟まれることもあるので、完全には緊張が解けるわけでもなく進んでいった。結局、心配していたような鋭いコメントで完全に流れが止まってしまうことはなく、発表を済ませることができた。
その後の審査委員との質疑応答が一番重要なところで、ここでおかしなことを口走らないことが肝心ということはこちらも重々承知しているところである。質問はある程度想定していたものもあれば、少し話しながら考えて答えなければならないものまで、様々なものが出た。一番返答に困ったのは、正常なニューロンがどのくらい残っているのか、という質問で、これはそもそもわからないのが答えだとは思うのだが、根拠を問われると窮してしまうので、少しかわしながら答えざるを得なかった。
質疑応答がひとしきり済んだ後で、一度退室させられて別の部屋でしばらく待機になった。その間に質問点を整理して、これからやらなければならないことをいくつか考えながら過ごした。その後主査の先生にあらためて呼ばれ、これからの修正点などを打ち合わせた。少なくともこの時点で落とされはしなかったので、ほっとした。修正が済んで審査委員がOKすれば合格にすると言われ、学位取得に向けて先が見えた感じはあった。
こうして学位審査は終わった。大きな山を越えたわけだが、まだ気は抜けない。これからコメント一つ一つに対する回答文をまとめて、学位論文を修正しなくてはいけない。とはいっても、修正は比較的軽微で済みそうな感じがするので、大枠では道筋がついてきたように感じた。