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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2/21・「マザー」ミラ・アルファサ

2013-02-21 | 歴史と人生
2月21日は、毎日新聞の前身、日刊「東京日日新聞」が創刊された日(明治5年)だが、南インドにあるコミュニティー「オーロヴィル」の創設者「マザー」こと、ミラ・アルファサの誕生日でもある。
ミラ・アルファサは、1878年、仏国パリで生まれた。父親はトルコ人の銀行家、母親はエジプトのカイロ出身で、ミラは両親がパリにやってきて一年後に誕生した娘だった。
ミラは4歳のころから独学でヨガをはじめ、よく瞑想した少女で、12歳のころには、フォンテンブローの森へ出かけ、森のなかで瞑想するのが日課になっていた。そのころには、樹木の声が聞き取れるようになっていたという。
13歳のときミラは、はじめて幽体離脱を体験した。夜ベッドで寝ていると、彼女の幽体が肉体を離れて浮かび上がり、天井を通り抜けて空高く上がっていき、夜空に浮かんだ彼女のからだが輝きだすのだった。
ミラは大人になるといよいよ心霊研究に邁進し、オカルト研究会を主催し、降霊術の会を開き、霊力開発のトレーニングをつづけた。そうして、自分の意志で幽体離脱し、霊体となって自由に飛びまわれるまでになったという。
46歳のころ、ミラは南インドのポンディチェリーに、インドの神秘思想家オーロビンドを訪ね、いっしょに暮らすようになる。
当時、ポンディチェリーのその界隈には、オーロビンドを慕って集まり、居ついた弟子がしだいに増えて、何軒かの家に分かれて住むようになっていたが、師であるオーロビンドは書斎にこもり、執筆と個人的な修行にふけるばかりで、弟子たちを顧みる気配は一向になかった。弟子たちはただ師の周囲で思い思いの修行をして日々を送っていた。
ミラは、オーロビンドの手伝いがしたくて、弟子たちの指導は本意ではなかったが、そんなばらばらの状況を見かね、しだいに家のなかのことについて指示を出しはじめた。そうして、早朝に瞑想室へ集まり全員で瞑想し、食事当番を決め、決まった時間にいっしょに食事をとるよう一日のスケジュールが整えられていった。強力な霊能者であるミラが歩くと、そこに光が射したように明るくなったという。オーロビンドの家はミラを中心にしてまわりはじめ、ホームレスの寄り集まりのような状態から、しだいに修行道場らしい体裁が整えられていった。
ミラを、オーロビンドは「マザー」と呼び、弟子たちもそれにならった。
ミラはこの家を「オーロビンド・アシュラム(修行道場)」と名付け、表に表札を掲げた。グルと呼ばれるのを嫌うオーロビンドは、この名称を嫌ったが、表札はそのままにされた。
オーロビンドは、自分にない指導力を発揮する協力者の出現を喜び、彼女を頼りにし、利用した。オーロビンドは、以後、自分への質問は、すべて「マザー」を通すようにと一同に言い渡し、自分はいよいよ執筆と精神修養に専念しだした。
ミラはオーロビンドが修行に集中できるよう配慮するとともに、修行者たちが快適に修行に集中できるよう環境を整えた。とはいえ、彼女は、アシュラムの基本ルールを「なるたけシンプルに」と示し、とくに規則は定めなかった。
アシュラム内での喫煙、アルコール、セックス、政治活動は禁止されたが、そのほかは自由だった。こうした道場にありがちな坊主頭だとか、そろいの法衣、聖歌の合唱、読経、困難なポーズ、苦行などのたぐいは一切なかった。
やがて、オーロビンドは引退を宣言し、ミラ以外の人との面会を拒否し、いよいよ瞑想三昧の生活に埋没していった。
オーロビンド・アシュラムの運営は完全にマザーに任された。入門希望者は途絶えず、アシュラムの規模はしだいにふくれ、1926年に24人だった修行者は、1929年には85人、1930年には百人を超えた。アシュラムは、あたり一帯に20軒ほどの住居に分かれて住み、自動車5台、図書館、パン焼き工房、乳加工場を持つ一大コミュニティーとなった。
第二次世界大戦下、インド北東部の住民たちが難民となり、大挙してこの南インドへ押し寄せてくると、マザーはただちにアシュラムに難民を受け入れ、援助することを決定。マザーは難民の家族に食事を与え、子どもたちのために学校を作り、修行者たちを教師に仕立て、みずからも教壇に立った。
1950年12月に、オーロビンドが没した。
オーロビンド亡き後のアシュラムは、引き続きマザーが率いた。彼女はアシュラムの学校でフランス語や講話の授業を受け持ち、子どもたちに花を使って遊ぶゲームや、卓球、テニスなどを教えた。子どもを教えるかたわら、教師たちを集めて檄を飛ばし、自分の教育方針を徹底させた。マザーの教育方針とは、こういうものだった。
「青白い顔をした画一的な生徒などいらない。個性を尊重し、楽しんで学ぶことを尊び、子どもたちの直覚、直感を発展させることが肝要である。大切なのは、地球で何が起きてきたかを教えることではなく、生徒自身が自分が何者であるか知り、自分の運命を自分で選び、自分がなりたいものになる意志を持つ人間となるよう指導することである」
この学校はその後アシュラムから独立、発展し、「聖オーロビンド国際教育センター」として大学レベルまでの教育カリキュラムを整えて現在も続いている。
そして、ミラが提唱して創設されたのが、巨大なコミュニティー「オーロヴィル」である。
これは、いずれ人類がかつての恐竜のように衰えた、その後にあらわれるであろう、次の種の出現への準備として、世界市民の街をインドに作ろうという彼女の呼びかけに、インド政府や国連のユネスコなどが応じて創立されたもので、ポンディチェリーから北へ約12キロ行った地に、約800ヘクタールの広さをもって敷地が広がっている。
「オーロヴィル」はフランス語で「夜明けの街」という意味だが、無論オーロビンドの名をかけている。1968年に世界124カ国の代表が参加して落成式がおこなわれたオーロヴィルには、現在、世界45カ国から集まってきた約2,200人のメンバーが住んでいる。広大な森のなかに点在する集落には、日本人も数人いる。
人類の進化に備えるこのオーロヴィルを残し、ミラは1973年11月に没した。彼女の遺体は、オーロビンド・アシュラムの中庭にあるオーロビンドと同じ石棺に安置されている。

自分は、米国のコミュニティーを研究している延長のつもりで、以前、オーロヴィルを訪ねた。それで、ミラ・アルファサのことを知った。日本ではほとんど知られていない人物だと思う。
オーロヴィルへ行くと、家の玄関に、居間に、タクシーのダッシュボードに、と、あらゆるところに「マザー」ことミラ・アルファサの写真が飾られている。
でも、彼女を信仰しているということではなくて、ただ、親愛、尊敬しているのである。
オーロヴィルでは、宗教は自由で、いろいろな宗教を信仰する人が入りまじっている。オーロヴィルでは、
「真理はひとつ。しかし、そこへ至る道は、たくさんある」
という考え方をしているから、宗教はなんでもOKなのである。
この「道はたくさんある」という融通のきくところが、インドらしいと思うし、自分は好きである。
また、ミラ・アルファサの言った、
「大切なのは、自分が何者であるか知り、自分の運命を自分で選び、自分がなりたいものになる意志を持つこと」
ということばに、強い共感を覚える。まったくその通りだと思う。
(2013年2月21日)




●おすすめの電子書籍!

『オーロビンドとマザー』(金原義明)
インドの神秘思想家オーロビンド・ゴーシュと、「マザー」ことミラ・アルファサの思想と生涯を紹介する人物伝。オーロビンドはヨガと思索を通じて、生の意味を明らかにした人物で、その同志であるマザーは、南インドに世界都市のコミュニティー「オーロヴィル」を創設した女性である。

『オーロヴィル』(金原義明)
南インドの巨大コミュニティー「オーロヴィル」の全貌を紹介する探訪ドキュメント。オーロヴィルとは、いったいどんなところで、そこはどんな仕組みで動き、どんな人たちが、どんな様子で暮らしているのか? 現地滞在記。あるいはパスポート紛失記。南インドの太陽がまぶしい、死と再生の物語。

『コミュニティー 世界の共同生活体』(金原義明)
ドキュメント。ツイン・オークス、ガナスなど、世界各国にある共同生活体「コミュニティー」を具体的に説明、紹介。


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