夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

橋下知事敗訴

2008年10月07日 | profession
予想通り、光市母子強姦(どうしてこの文字をマスコミは使わなかったり、「性的暴行」という間接表現を使うのか。「強姦」という言葉を使わないことが、却って被害者に対するいわれなき偏見を助長しているとなぜ気づかないのか。傷害の被害者も強姦の被害者も非難される余地のない被害者であることにかわりはないのに、言葉の禁忌が強姦被害者をして全く感じる必要のない恥を感じさせ、告発するのを躊躇わせるマイナス効果があると私は思う)殺人事件の弁護人が橋下知事のTVでの懲戒請求呼びかけについて提訴していた事件の一審判決があり、橋本知事の責任を認め、800万円(請求額は1200万円)の損害賠償の支払を命じた。

予想通りの判決だが、現在大阪府に在住する者として、その知事の言動に利害関係を持つ者として一言書いておこうと思った。

まず、弁護士の癖に、法の支配の徹底した立憲国家で刑事弁護人が期待されている役割、どんなに許しがたい犯罪を犯した犯人でも、その味方になって弁護するプロのつかないところで裁かれてはならない、その役割を担うのが弁護人であるという基本中の基本がわかっていない。

中国では、刑事弁護人になっただけで、弁護士が信号無視などの微罪で逮捕・拘留されたりして、公正な裁判を受ける権利を被告人が簡単に剥奪され、2002年に南京でおきた御粥に入れる油条に毒を仕込んだ無差別殺人については、わずか数ヶ月で死刑執行までいったりしている(rule of lawの確立している日本では、私も傍聴に行ったことのある麻原彰晃(終始目をつぶっており全く無反応だった)の裁判が一審判決まで10年近くかかっていることと比べてほしい)。

悲惨な戦争を経て、やっと、日本が基本的人権や適正手続を重視する立憲国家になったこと(もちろん、有罪率99.9%とか、皇室については表現の自由が制限されているとか、日本の法の支配にも欠けるところがないわけではないが)を、一体どう考えているのか。

また、「被告人の主張を弁護団が組み立てた」という発言は明らかに名誉毀損に当たるであろう。

何よりも、自ら弁護士であるならなおさら、自分の法的責任が問われている裁判には出廷してほしかったのに、法廷に一度も現れなかったということに大変失望した。また、「自分がまちがっていた」と繰り返し謝罪しながらも「判決が不当だというわけではないが、ちょっと高裁の意見をうかがいたい」などというふざけた理由で控訴するというのも、裁判制度を愚弄している。府民としてこんな人に知事でいてほしくない。

しかし、私見では、光市事件の弁護団は、別の意味で訴訟戦略を誤ったと思う。
いくら被告人がドラえもんがどうとか、蘇りの儀式だとかいっていても、それをそのまま法廷で主張させるのは、「反省の色がない」という心証を裁判官に与え、却って被告人に不利である。現に、差戻審高裁判決では、「反省していない。反社会性は増大している」と厳しいことをいわれ、死刑を回避すべき特段の事由はないとされ、最高裁で死刑判決が出る公算がさらに高まったではないか。
(これはもちろん、懲戒の対象となる非行とまではいえないが)

今後は、以下のような理由で弁護士の弁護方法が厳しい批判の目にさらされることになるだろう。

この話題はしばらく避けたかったのだが、現在既に司法修習生の3人にひとりが就職難といわれ、今後は弁護士の生き残りも大変だと思うが、そんな中、今後日本で成長が期待される弁護士の職域は、弁護過誤で弁護士を訴えるというビジネスだと考える。(アメリカでは医療過誤と比肩される訴訟で、その専門の弁護士ももちろんいる)(光市の弁護団に弁護過誤があるとはいっていないし、現実にこの程度では弁護過誤ではないと考えている。そこは誤解しないでほしい)

従来だったら、依頼人の主張が法的に全く根拠がなく、裁判で勝てる見込みがないようなケース(裁判所が保守的とか,イデオロギーがどうとか、そういうこととは関係なく、主張内容が法律論にすらなっていないトンデモ言説であるケースもある。こんな訴状を受け取った裁判官は気の毒だなと思う。訴訟代理人の引き受け手がないのは、そんな弁護を引き受けたら弁護士としてlegal communityから笑いものにされるからなのに、「自分の弁護の引き受け手がいなかったのだから弁護士は足りないのだ」とか、「弁護士さえつけてもらえば勝てる」と公言し、自分の言説に与しない<といってもそのように本人にいったりはしていない。個人的な会話や手紙を曲解した上で名指しで公表されたり侮辱されたりプライバシー侵害をされ、それこそ訴えれば勝てても、とにかく相手にするのが馬鹿馬鹿しいので、放置しているだけで、「あなたの公開している訴状は法律家から見ると九九もできないのに微積分の問題を解いた気になっているようなあまりにひどい内容だ」なんて親切に教えてやったりしないのに>法律の専門家に対して、名指しで「法律家の癖にそんなこともわからないのか」と公開の場で罵ったりするのに至っては、「どうして法律の専門家でもないのにそんなことがいえるのか」と、その全能感はどこから来るのか、と不思議で仕方なくなり、その傲慢さに唖然とするほかないのである。裁判で負けたのはイデオロギーの問題で、自分は少数派だから公権力から迫害されている、とまでいうに至っては、もう論評する言葉すら浮かばない)では、依頼に応じる弁護士が皆無(弁護士のモラルとしてそういう訴訟は受けない)で、依頼人が裁判を起こすのを諦めたり、本人訴訟をやったりすることになるのだが、食い詰めた弁護士が着手金がほしいばかりに(弁護士の報酬は、着手しただけでかかる着手金と依頼事項を遂行した後支払われるものと両方支払わなければならない)、そうした依頼でも受けてしまうようなことが出てくるのではないかと危惧するものである。それでは依頼人が敗訴した上に訴訟費用に加えて着手金まで弁護士に支払わなければならず気の毒である。

また、裁判官の友人が「司法修習生で民法177条(民法で最も頻繁に争点になる条文の一つ)を知らない者が複数いる。法曹の質の低下はもはや誰の目にも明らかだ」といっていたが、そんな弁護士が、就職できなくてOJTも受けずにいきなり開業したりして、まともな仕事ができるのだろうか。それで迷惑するのは他ならぬ国民なのである。

この点、私の恩師米倉明先生は、戸籍時報の9月号で「弁護士の数が増えても、その能力や得意分野について国民に徹底的に開示すればできの悪い弁護士にあたって迷惑するということはないだろう」と仰っているが、そんな開示のシステムの実現可能性は殆どないのが現実だろう(例えば医師の能力についての開示だって、よほどの名医はマスコミで紹介されたりするが、藪の場合は、近所などのクチコミに頼るしかなく、全国的なcomprehensiveな開示制度などない。
弁護士の場合は、「近所のクチコミ」などというものすら存在し得ないだろう。)

法律家としても人間としても世界一尊敬する先生であるが、この点だけは賛成できない。先生は正義感が強すぎる方(そもそも、これだけ問題点が指摘されている法科大学院制度なのに、その当事者はなかなか口を開こうとしないところ、先生は法科大学院で教鞭をとっておられる立場で果敢に意見を述べてこられたのである)
なので、司法試験合格者数拡大に反対する弁護士は自分たちの既得権を守りたいからだと考えてらっしゃるのだろうが。

ところで、光市の被害者が残した手紙が「天国からのラブレター」として出版されており、映画化もされたのだが、これも被害者への同情という点ではマイナスになるのではないかといわれている。被害者が親友から洋氏を奪ったエピソードなどが赤裸々に描かれ、被害者の、よくいえば人間くさい(悪く言えば…)姿が浮かび上がるから。しかし、これはおかしい。被害者を美化し、人格高潔な人であったから殺人は許せない、という論法は実は危険で、被害者がどのような人となりの人であれ、強姦して殺害するなどとという行為は、絶対に許してはならないのだ。
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