ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

シアターテレビ

2015-09-08 18:14:18 | 徒然の記

 偶然だが、面白い動画を見た。

 どうやらここが作った番組らしいが、鹿島平和研究所という名前を初めて知った。相変わらず、何もかも知らない尽くしの自分だが、知っていたのは、皇国史観の歴史学者だった平泉澄氏の名前だけだった。

 戦前の日本でもてはやされた学者が、どのような人物だったのか、好奇心からパソコンで調べていたら、ご子息の、渉氏の動画に行き当たったという次第だ。

 タイトルは「世界のダイナミズム」といい、57回のシリーズになっている。一回の対談が20分から30分に纏められ、見始めると止められない動画だった。現在は18回のところだが、忘れる前に書き残しておきたいという衝動が、抑えられなくなった。渉氏をパソコンで調べると、改めて己の世間知らずを再認識した。

 昭和4年生まれの氏は、元外務省官僚、元科学技術庁長官、元経済企画庁長官、という経歴の持ち主で、結構有名な自民党議員だった。氏はまた、鹿島の副社長でもあった。だから、鹿島平和研究所の会長として、シアターテレビなど作ったのだと理解した。

 父君は、勤皇の学者だったというのに、氏は、私の嫌いなハト派であるらしい。しかし、氏の談話は傾聴に値するものが多く、中国に関して、ここまで率直な意見に接するのは初めてだった。

 博学の氏は、世界の文明から談話を始め、アジアから欧州、ロシア、アメリカへと言及し、世界の覇権国の推移を説明する。古くはスペイン、オランダ、イギリス、そして第二次世界対戦後はダントツのアメリカと、終始穏やかな話ぶりで進める。

 貧しさを友として育った自分には、とてもできない語り口で、それだけでも、惹かされる上品さが漂う。まさかとは思っていたのに、氏は、次に世界の覇権国となるのは、中国であろうと予測し、日本人へ警鐘を鳴らす。今後の世界は、よくも悪くも、「中国問題」を抜きには考えられなくなっている、と断定する。

 人口の差、国力の差、経済力の差と、どれをとっても日本を凌駕する大国だ。そうなる可能性のある中国を、日本人は、初心に返り勉強し直すべきだ。日中の立場はこのままいくと、やがて、アメリカとカナダのようなものになる。国力からいっても、経済力からいっても、カナダはアメリカなしで生きられず、まるで属国みたいなものとなっている。だからアメリカは、口では言わないがカナダを頭から無視している。

 突然、世界の覇権国として眼前に現れた中国に対し、日本は狼狽し、平常心を失っているが、大事なのは、中国を攻撃的にさせてはならないことだ、と氏が言う

 聞くに堪えない話だが、しかし彼はこうも言う。

 「でも、卑屈にならず、断固として対応しなくてはなりません。」「この国は、相手が弱いとなると、容赦せずに攻撃してきますからね。」

 「現実問題として、今は日本と中国の差は、歴然としています。」「彼らから見ると、日本はもう、小さな存在なのです。」「国際社会もそうした目で、中国を見ています」「中国の動向に世界が注目し、世界が無視できない。」「冷戦時代でも、アメリカはソ連を恐れていませんでした。」「ところがどうでしょう。中国が、アメリカを打ち負かす国として、現れてきたのです。」

 「オバマのアメリカにとっては、手強い相手です。」「こうした米中の間にいて、日本がどうするのか。今世紀の大きな課題です。」

 私はこれまで、威勢の良い、右側の人々の論調に賛同してきたが、現実の中国は、こんなに大きく、やっかいもので、世界中が戸惑っているのだと、やっと理解した。昇り竜の勢いだった、ひところの日本同様、何をしでかすか分からない危険な国だ、という認識をもっと持たなくてはならない。

 暴れ者を怒らせてはいけないし、卑屈に引き下がってもダメと、氏の注文は難しいが、確かに現実はそうなのだろう。

 面白かったのは、氏の意見が、自分のものと重なったところだ。

 「考えてもご覧なさい。清朝の末期から、中国が、欧米に味わわされた大きな屈辱。」「あれから100年間我慢して、今がその自尊心の、我慢の限界だったのです。」「あの広大な国の、人間の心を一つにまとめたこと。」「中国の歴史で、そんなことをした者は、誰もいませんよ。」

 「だから毛沢東は、偉大なのです。」「つまりナショナリズムを、目覚めさせたこと。毛沢東だけが、成功したのです。」

 列強に切り取られ、為されるがままに、国を蹂躙された屈辱感を、私は理解する。欧米よりはるか昔から、世界の文明国だった中国なら、それこそ臥薪嘗胆の100年だったであろう。

 しかしそれなら、彼らの矛先は真っ先に、イギリス、オランダ、ドイツ、フランス、そしてアメリカへと向かうのが、自然でないか。よりにもよって、最後の列強だった日本を狙い撃ちにし、やくざまがいの横車で、今頃なぜ攻撃するのか。順番が違うでないかと、そこだけが氏の意見と違っていた。

 「それはそうでしょう。日本史の中で中国から得たものは、」「政治、経済、文字、建築物、仏像、絵画、詩歌・・・・、中国からのものばかりですよ。」「外務省なんかが、経済のことで、大国意識をもって、中国に対応していますが、どうでしょうかねえ。」

 「だから中国からすると、一番の敵は日本、ソ連、そしてイギリス、アメリカとなるのでしょうね。」

 中国は、そんなことを思ってもいないのに、日本人の多くは、「一衣帯水」と親近感を持っている。ここ数年の中国の振る舞いを思えば、とても氏のような寛大な気持ちにはなれないが、冷静に検討すれば、確かに「恩義深き」隣国ではある。親中派の政治家や、経済人や文化人たちを、私は「獅子身中の虫」と切り捨てているが、そうばかりとは言えない面があるのかもしれない。

 忌々しいことながら、そんな思考を持つ必要を感じさせられた。

 氏の話が、猪突猛進する自分の鼻面を抑え、少し落ち着いて周りを見なさいと言ってくれた。これには感謝したい。

 「韓国は、日本と中国と、どちらを取るのでしょうか。」司会者の問いかけに対する、単純明快な答えだった。

「強い者につく、小さな国が生き延びるには、これしかありません。」「もともと朝鮮は中国の範囲ですし、中国人は、自分のものと思っていますよ。」

 元自民党の政治家でも、隠居の身となれば、ここまで赤裸に言えるのかと驚かされた。
興味深いのは、次の意見だった。

 「一党独裁の共産主義も、正しいとは思いませんが、」「数さえ集めれば民意だという、民主主義も、考え直すべきではないのでしょうか。」「たった一票の差でも、議員が決まる。」

 「国民が、みんな同じなんてことは、ありませんよ。」「随分馬鹿な人もいるし、無知な人もいるし。」「国会も、県会も、市会も、町会も、なんでもかんでも多数決なんて、変ですよ。」

 「アメリカが手本だというし、年数が経てば、良識のある選挙が育ち、望ましい民主主義が生まれると思っていましたが、」「どうですか、昨今のアメリカの選挙。票を集めるために、どれだけの金を使っていますか。」

 「テレビを時間で買い取るなんて、想像もつかない金を使っていますよ。」「あれではもう、金を持った人間しか、政治家になれないということです。」「票集めに金のかかる選挙・・。日本だって、そうなっていますね。」

 「これまで見てきましたが、選挙民に人気があって、当選した政治家に、大した人はいませんでしたね。」

 中国への対応についてと同様に、多数決の民主主義制度に関しても、氏の意見にうなづきはするものの、即座に賛同できない私だった。今まで、愚かな害務省と簡単にののしってきたが、氏のような人物もいたと知れば、これまた即座に批判しづらくなった。私もまた、初心に返り、学びの日々を今日から歩くとしよう。


 本日パソコンで検索したら、今年の7月に氏が逝去されたとのこと。享年85才だった。心からご冥福をお祈りしたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 資源小国ニッポンの挑戦 | トップ | シアターテレビー2 ( 平泉氏... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

徒然の記」カテゴリの最新記事