ねこ庭の独り言

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『日本終戦史・下巻』 - 3 ( アメリカの対日政策と、グルー大使 )

2017-04-29 18:28:42 | 徒然の記

 ルーズベルト、トルーマン、マッカーサー、ダレス、ハルなど、私の記憶の引き出しには、米国人の名前が沢山詰まっています。

 大東亜戦争の前後に、日本を痛めつけた人物たちです。ジョセフ・グルーの名前もひとまとめにして突っ込んでいましたが、この人物だけは少し違うと、本を読んで知りました。

  昭和19年当時、米国の国務省と陸軍省が協議した「日本処理方針」は、以下のような漠然としたものでした。

  1. 日本の侵略した領土の返還

  2. 軍事占領による軍政施行

  3. 白人以外にインド、フィリッピンを入れた連合管理によって、日本の侵略主義を世界に向けて否定する。

 そして天皇については、おおよそ次のような措置が考えられていました。

  1. 天皇をしかるべく適当な場所に隔離する。(例えば、中国やロンドン)

  2. 天皇の権限は、官吏への行政権の割り当てのみとし、占領軍が天皇の上にあることを示す。

  3. 天皇の存続で、占領軍が日本の官僚をたやすく使えなかった場合は、直接支配に移って良い。

  4. 日本の無条件降伏前に占領した地域は、直接支配とする。

  5. 占領軍は、天皇を神聖不可侵とする日本国民の観念を、支持または承認するような行為を一切慎む。

  当時のアメリカ人は、天皇制を極悪なものとする考を持っておりました。天皇の処理をめぐる討論には激しいものがありましたが、天皇制は危険なので排除すべきという点では、一致していました。昭和20年にバージニア州で開かれた太平洋問題調査会議では、各国から専門家が集まり、日本の軍国主義、超国家主義者への分析が行われました。

  1. 対日戦は今後長引き、困難である。

  2. 日本の反動派は、降伏後も、国内や大陸で抗米ゲリラ戦を続けるであろう。

  3. 連合国の支持する民主的分子が政府要人になると、暗殺される危険がある。

  4. 敗戦後の日本では、暴力的な政府の変更が数回必要とされる。

  5. 連合国と交渉できる、民主的な政府が作られるのはその後であろう。

 この調査会は民間の研究団体とはいえ、権威のあるものであったらしく、米国以外からも出席した極東問題の研究者たちで、真剣な議論が行われました。一連のこうした動きを見ていますと、現在の中国や韓国が戦後70年経過した今でも、「残虐非道な日本の軍国主義」とか、「極悪非道な天皇制」とか騒いでいますのも、ここに発端があると分かります。

 捏造の嘘まで交えて、中国と韓国・北朝鮮が日本を責めても、アメリカが黙認する理由がここにあります。彼らの言っている中身は、もともとアメリカが言い出したことで、アメリカの対日政策に添ったプロパガンダだからです。

 さて、話を本題に戻しましょう。昭和20年当時の米国の政策のまま、占領が行われていましたら、現在の皇室が、果たして存在していたかということです。ここで初めて、ジョセフ・グルーの名前が出てまいります。

 駐日大使だったグルーは、昭和16年の12月真珠湾攻撃により日米開戦となったため、帰国することとなります。親日家だった彼は、当時のアメリカの世論から強い反対を受けても、日本の実情を訴えました。日本の戦後処理にあたっては、政治機構の健全な部分は残さなくてならないというのが、その骨子でした。

 日本の多くの政治指導者たちは、この戦争を避けようとしてきた。戦争に引き込んだのは軍であり、天皇は利用されただけである。諸悪の根源とされる神道も、軍部の支配を外れれば、国家再建のための資産となりうる・・・これらは10年に亘る日本での生活の中から、彼が得た確信だったと書かれています。

 昭和19年(1944年)に、国務省極東局長を経て国務次官となった彼の働きがどのような作用をしたか、詳しく説明されていませんが、推測することはできます。天皇陛下は、中国へもロンドンへも移されなかった。皇室が維持され、政治が安定した。軍政の施行は、なかった。抗米ゲリラ戦も、政府要人の暗殺も生じなかった等々、米国政府の中にいて、強力に日本を支えた彼の存在が感じ取れます。

 昭和19年に国務次官に任命された時、上院外交委員会の公聴会で、彼は天皇を、日本において「安定した影響を与えうる唯一の政治的要素」であると強調しました。これを無視すれば、七千万人以上の人間が必要となる。くずれかかった日本社会を維持・管理するため、米国は無限の重荷を負うことになると警告しました。

 日本ではマッカーサーの統治が大きく語られ、グルーの働きはその陰に隠れてしまっていますが、本来なら彼は、日本の恩人としてもっと知られて良い人物だったと思います。ただ私がそれほど有り難がらないのは、彼の言葉の功利主義に違和感を覚えるからです。たしかに彼は皇室を守り、日本の平和と安定に寄与しましたが、彼の言に従えば、飽くまでも米国の占領政策を成功させるため、方便としての皇室でしかありませんでした。

 憎悪で固まっていた当時の米国人を納得させるには、そうした表現しかできなかったのかもしれませんが、占領統治を成功させるツールとしての天皇を強調し過ぎていると、その思いが、どうしてもしこりとして残ります。

 彼が存命でしたら、当時の話を聞かせてもらえ、「あの時は、あんな言葉でしか天皇を守れなかった。」と、本音が聞けたのかもしれませんが、今となってはどうするすべもありません。私ももういい加減年をとり、頑迷になりつつあります。

 「グルー氏には感謝しますが、なんとなく親しみが持てません。」

 心が狭いと言われましょうが、この印象を持ったままやがてこの世をおさらばするのでしょう。

コメント (2)
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